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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
202/305

迷いと決断(大貴)






 時空と次元を隔てて数えきれないほどに存在する世界。それら全ての世界の頂点に位置する九つの世界――「九世界」の一角を成し、唯一半霊命(ネクスト)によって支配されているのが「人間界」だ。

 光魔神によって生み出された「人間」が総べるその世界の中枢――「王都・アルテア」の中心に佇む荘厳で巨大な人間界王城の一室で、この世界の王である「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」は執務を行っていた


 ゆったりとした柔らかな椅子に腰かけ、コの字型をした机を前に空間に映し出される無数の画面に目を走らせる

 長い漆黒の髪に、翼のように背中へと流れている王の証である至宝冠(アルテア)を戴くヒナの執務室には、実妹であり補佐を行っている「シェリッヒ」と王城の全ての機能を統括する魔道人形(マキナ)の一人「ミネルヴァ」が控えている


「どうぞ」

「ありがとうございます」

 王務に勤しむ王であり姉であるヒナの身をいたわって、リッヒは無人の機械から取り出した淹れたての紅茶を差し出す

 リッヒの好意に、感謝の言葉を述べたヒナは、それを一口含むと安堵の息をついて微笑を零す。それは、公務の間は王と家臣として一線を引いている二人が、ほんの一時実の姉妹の顔を取り戻す時間だった


『――ヒナ』


 その瞬間、不意にヒナの頭上に戴かれた王冠が隔てられた世界を繋ぎ、人間の神の言葉を人間の王へと届ける

「!」

 その瞬間、王の表情を浮かべていたヒナが、花の(かんばせ)を綻ばせ、一人の恋する女の顔を浮かべたのを見たリッヒとミネルヴァは、その通信相手が誰なのかを察して、そっと距離を取る

「お久しぶりです。――今ですか? はい、もちろん大丈夫ですよ」

 リッヒとミネルヴァが自分に気を使って距離を取ったのを、照れ混じりの視線で見ていたヒナだが、至宝冠(アルテア)を介して意識に伝わってくるその人の声に、即座に自身の意識の全てを集中させる

「たしか、今は聖人界におられるのですよね?」

『あぁ』

 最近は、折を見て通信をしてくれるため、ある程度大貴の同行を知っているヒナは、意識を通じ、心身を響かせる想い人の声に胸を高鳴らせていた

 喜びのあまりか、無意識に声が半トーン高くして大貴に答えたヒナだったが、その声に不審なものを感じ取ってその声音に神妙な心情を滲ませる

「……どうかされましたか?」

『あぁ、悪い。ちょっと相談に乗ってくれないか?』

 ほんの些細な言葉のやり取りだけで、只ならぬものを感じ取ったヒナが問いかけると、意識を介して繋がった大貴から、深刻な声音で言葉が返される

「……はい」

 至宝冠(アルテア)を介して伝わってきたその言葉を聞いたヒナは、神妙な面持ちを浮かべると、それに続く大貴の言葉を待って意識を研ぎ澄ませるのだった――





 聖人界にある「外縁離宮」。先代界首ウルトの理力によって作られた、自然と調和する荘厳で美麗な純白亜の街城の景色を中央の屋敷から眺めながら、詩織は大きなため息を一つつく

「はぁ」

 詩織の表情に暗雲をかけ、心に憂鬱な影を落とすのは今置かれた状況によるもの


 これまで共に行動し、戦いをくぐり抜けてきた瑞希が十世界創始者だったという罪で、聖人界に囚われてしまったこと。

 このままでは瑞希と世界を巡ることは不可能。そして、現状瑞希を取り戻すためには聖人界に対して実力行使を取るしかない。だがそんなことをすれば、大貴達を含めた全員がどんな状況に置かれるか分からないのだ


「浮かない顔をしておられますね、詩織さん」

 身の丈が倍ほどもある聖人に合わせて作られているため、まるで子供になったような錯覚を覚える離宮の屋敷に佇んでいた詩織は、不意に聞き慣れた淑声に呼ばれて顔を向ける

「桜さん」

 そこに芍薬のように清楚で淑やかな居住まいで佇んでいたのは、詩織の恋敵にして憧れの女性でもある「桜」だった

 その名を表しているような艶やかで癖のない桜色の長い髪を揺らし、純白の羽織を羽織った着物のような霊衣を纏う絶世の美女は、口元をわずかに綻ばせて詩織の許へと歩み寄る

「どうしてここに?」

「そうですね、少し気分転換をしようと思いまして」

 目を丸くした詩織の表情が、「神魔さんと一緒じゃないんだ」というその驚きの心情をあからさまに表しているのを見て、桜は口元を手で隠しながらおしとやかに微笑む


 以前から常に神魔と一緒にいるわけではないと常々語っているにも関わらず、詩織がそれに新鮮な驚きを示していることに、桜の心の中には嬉色の幸福に彩られた花が咲いていた

 なぜならそれは、常に自分が神魔の傍らにいるという印象を持ってもらえているということ。伴侶として、ごく自然に最愛の人の隣にいるものだと思えてもらえているということは、桜としては喜ばしいことなのだ


「あの、じゃあ神魔さんは……?」

「お部屋におられますよ」

 念のためということなのか、視線を巡らせて周囲の様子を窺いながら言う詩織の言葉に、桜は神魔がいる場所を嘘偽りなく述べる

 そこには、半霊命(ネクスト)――まして、悪意の眷属(ゆりかごの人間)という結ばれぬ運命(さだめ)の中にありながら、神魔に想いを寄せ続ける恋敵に対する敬意があった

「やっぱり、神魔さんも迷ってるんですか?」

「そうですね、今回は相手が相手ですから」

 想い人の状況を真っ先に尋ねた詩織の乙女心を分かっている桜は、それを何も言わずに受け止めると、その美貌にわずかに翳を落とす


 神魔と桜は、ゆりかごの世界――地球に無許可で滞在し、戦闘を行った罪によって極刑を言い渡されている。今、大貴と共に世界を回っているのは、命を賭けて十世界と戦うことが魔界王から下された判決であり、唯一二人の罪が赦される方法であるからだ

 つまり、今の神魔と桜は完全に魔界――引いては九世界の側。いかに同じ悪魔であり、自分達の監視役であるとはいえ、瑞希を助けるという行為はそれにそぐわないもの。下手をすれば、罪が重くなる可能性さえあるため、決断と行動には慎重を期す必要があった


「桜さんは、瑞希さんの事どうするつもりなんですか?」

 そういった背景と事情をある程度分かっている詩織は、それに対して言及することなく、率直な意見を桜に求める

 その双眸を受けた桜は、一度目を伏せると、流れるような所作で滑るように詩織の隣まで移動すると、淡桃色の花唇から、たおやかな声音で言葉を織り紡ぐ

「一言でお答えするのは難しいですね。このまま何もしなくていいとは思っておりませんが、許容はできずとも、許容できない不満を呑み込むことはできなくはない、と言ったところでしょうか」

 遠回りな言い回しで自身の意思を濁しながら言う桜の言葉を聞いた詩織は、その意味を咀嚼して考えると自信なさげに言う

「えっと、やっぱり法律だから仕方がないってことですか?」

 「瑞希のことは納得がいかないが、その納得できない気持ちを呑み込むことはできる」という意味であるという意味で桜の言葉を受け取った詩織は、その理由を解釈して訊ねる


 世の中には納得いかないことも、自身が許容できないことも多い。だが、それで反抗までするものはそう多くはないだろう

 多くの場合、その許容を超えた時に叛逆が起き、その刃が国などに向けられるのであってその許容の境界は人それぞれということになる

 「感情的に許せなくても、行動に至るまでには至らない」――簡潔に言えば、それが桜の意見なのだろうと推察してのことだ


「それもございますが、それだけではありません」

「!」

 詩織の意見をおおよそ自身の意見と一致すると肯定した桜は、その美貌から微笑を消して真剣な眼差しを返す

「瑞希さんを助け出すために聖人界と事を構えるとなれば、聖議殿(アウラポリス)へと攻め入り、聖浄匣塔(ネガトリウム)へと攻め込まなければなりません。

 この世界の最大戦力が集まっているそんな場所に攻め入れば、わたくし達も生きて帰って来られるかわかりません。そこまでの危険を冒すべきかという迷いはございます」

「……」

 桜のその言葉は、詩織も分かっていたことだ

 戦いとなれば命を賭ける必要がある。ただでさえ普段命を賭けて戦っているというのに、ここで命を賭けてまで瑞希を助けるべきか否か――感情論はともかくとして、実利的な命の価値がその天秤に釣り合うべきかというのは無視できないことだろう

「無粋な言い方をさせていただくのならば、わたくしは命が惜しいのです。……酷い女と思っていただいて構いませんよ」

 共に戦ってきたからと言って瑞希のために命を賭けることを躊躇う自身を嘲るように自罰的な笑みを浮かべた桜に、詩織は小さく首を横に振る

「それは、そうですね……でも、本当に桜さんが惜しいのは神魔さんの命の方でしょうけど」

 自分の命を惜しいと思うことを恥じることなどない。そして、桜が何よりも案じているのは神魔の命であることも詩織には分かっている


 同じ人を想い、自分と違って愛している人に愛されている桜は、詩織にとって最強の恋敵であり、最も敬愛する人であり、憧れでもある

 神魔を想えば想うほど、桜はそれと同じだけ見続けることになる人物だ。だからこそ詩織には、桜という人物の為人がよく分かる


「変わられましたね、詩織さん」

 そんな詩織の視線を向けられた桜は、その絶世の美貌を花のように綻ばせて淑やかに微笑みかける

「そ、そうですか?」

「ええ。とても詩織さんらしいと思います」

 その名と同じ髪を揺らめかせる桜の幻想的な美貌は、思わず詩織が我を忘れて見惚れてしまうほどのもの

 人の――あるいは半霊命(ネクスト)の知覚では、欲情することすら叶わないほどの高次元の美笑を向けられた詩織は、思わず声を上ずらせてしまう

「これは、本当にわたくしも油断していられませんね」

「はは、お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいです」

 自分にとって理想の女性ともいえる桜から掛け値のない賞賛の言葉を送られた詩織は、照れ混じりに恐縮しつつ、憑き物の落ち切った表情で軽く天井を仰ぐ

「どうせ私は悪意なんだから、この際私は私らしく思ったことを思いっきり言ってやろうかと思いまして……まあ、桜さんや神魔さん達がいてくれるから言えただけなんですけどね」

 自分が悪意の眷属(ゆりかごの人間)であることも、桜のようにはなれないことも分かっている。だがその上で自分らしく、自分のまま、ありのままの自分を認めてもらう――そんな簡単なことが、どれほど難しく、尊いことなのかを教えてくれたのは、神魔と桜だ

 そして、だからこそ詩織は神魔を諦めず、一人の女性として桜に憧れ続ける。桜のようになるためではなく、なりたい自分としての目標と理想として。


「それは、とても素敵ですね」


 劣っている自分を受け入れ、欲しいものが届かなくとも諦めず挑み続ける――それが、どれほど難しく、どれほどの強さを求められるのか、桜にはよく分かる

 故に桜は、そう言って何ごともないかのように笑う詩織に対して、一つの存在として、一人の女として最大級の敬意を以って微笑みかける

「わたくしは神魔様のことを、なによりも大切に想っております」

「知ってます」

 淑やかな微笑を小さな吐息と共に抑え、真摯な眼差しを向ける桜の言葉を聞いた詩織は、分かりきったその感情に苦笑じみた笑みを浮かべながら一つ頷く

 桜の桜色の花唇から紡がれるその言葉が、余計な飾りのない心からの言葉であることを知っている詩織は、その女心を一人の女性として受け止めていた

「ですから、仮に神魔様が瑞希さんを助けに行くと判断されても、勝算が見えないのでしたら、わたくしはそれを全力でお止めいたします」

 たおやかに、だが何よりも強い愛を以って告げた桜からは、一片の迷いも感じられない

 この世の何よりも――自分自身よりも大切に想い、心から愛しているからこそ、その心を支え、命を守ることを願う桜の言葉は、おそらく最も利己的で最も強く、最もかけがえのない想いを表していた

「桜さんらしいですね」

 その言葉に小さく笑みを零した詩織の言葉に、桜もまた淑やかに微笑んで応じる

「こんな風に、神魔様にはお見せできない愚かな女心を語り合えるというのは、とても良いものですね」

「私でよければいつでもお話は聞きますよ。ただ、神魔さんとの惚気話はできるだけやめてほしいですけど」

 親しみを込めた軽い口調で言葉を交わした詩織と桜は、互いに視線を絡ませると、ほぼ同時に笑みを零す



 互いのあるがままの心を言葉にして伝え合った詩織と桜は、恋と愛の好敵手たる相手への敬意と好意を浮かべながら、この一時を過ごしていた





『――お話は分かりました』

 聖人界に来てからの一通りの話を終え、現状を伝えた大貴の意識に、世界を超えて心で通じ合っているヒナの声が返される

 大貴の話に、人間界王として答えるヒナの声音には威厳さえも宿っており、聞く者の背筋を正すような厳かで凛とした響きがあった

『そこまで分かっておられるのでしたら、私から言うことは何もございません。これまで通り、あなたのお心に沿うようにして下さい』

 そして、一拍の間を置いて返されたヒナの言葉に、大貴の口からは疲れたような息が漏れる

「そんな簡単なことじゃないだろ?」

 いつものように、自分の意見を尊重してくれようとするヒナの言葉に、大貴は眉間に皺を寄せながら重苦しい口調で言う

 ヒナの言葉が気に入らないとか、怒りを覚えるなどという訳ではないが、自分の行動の結果で人間界やヒナに迷惑がかかってしまうかもしれないと思うと、素直に受け取ることは難しいと言わざるを得なかった


『いえ、簡単なことです』


 しかし、そんな大貴の不安を全て分かった上で、ヒナは王としての責任を持ってその一言を伝える

『確かに、光魔神様が案じてくださっているように、人間界王として申し上げるのならば、瑞希さんのことは諦めてくださいと申し上げるべきなのでしょう』

 自分は決して光魔神(人間の神)を妄信し、思考停止しているのではないとその一言を前置いて伝えたヒナの言葉を意識の中で聞く大貴に、さらにそれでもそうしない理由が続けて届けられる

『確かに強引なことをなされば、九世界にどのような影響があるのか想像もつきません……ですが、光魔神様は、これまでいくつかの世界に赴かれ、そして聖人界をご覧になられてどう思われたのかが大切なのではないでしょうか?』

「……!」

 世界を越えて意識に直接響いてくるヒナの声に、大貴は小さく目を瞠る


 九世界の王達が大貴に九世界を回らせているのは、十世界と敵対させつつ、現在の世界に於いて反逆神と双璧を成す最強の存在である光魔神を自分達の陣営――最低でも中立にしたいという思惑からだ

 そのことは分かっていたはずだというのに、人間界、妖界、妖精界、冥界と回っている内にそのことが意識の隅に追いやられてしまっていたことに、大貴は目も覚めるような感覚を覚えずにはいられなかった


『九世界は創世以来ほとんどその形を変えることなく、今ままで続いてきました。ですが、それは不変ではありますが、絶対でもないはずです』

 そんな大貴に、ヒナは優しく包み込むような思いが込められた声で慈しむように語りかける


 九世界の中心にして頂点である九つの世界は、創世の時代から大きな変容を遂げることなく歴史を重ねてきた

 全霊命(ファースト)という最も神に近いものが、最も神に近しい力で総べてきた世界ならば必然だったのかもしれない。だが、世界の在り方は決して一つではないはずだ。――九世界の中で、聖人界だけが違うように


『あなたの目から見て、あなたの心から見て、今の世界の在り方が間違っていると思われるのなら――変えるべきところがあると思われるのならば、その意思を示していただくことも重要なことであると考えます』

 今は九つの世界の一つを預かる王として、世界が間違っているとは言えない。だが、その中に変わる余地があるのならば、その可能性を消すべきではないとヒナは考えていた

 変わらなかった世界で生き続けてきた自分達には、その意思も力もない。だが、大貴ならば――神の意思で作られた世界と、悪意で作られた世界の両方で生きてきたその人には、自分達とは違うものが見えているのだろうと思うことができる


『あなたはお優しいのです』


 自分の言葉に沈黙を守り、思案を深めている大貴の姿を容易に見て取ることができたヒナは、慈愛に満ちた優しい声音で囁く

『世界を巡り、そこで繋いできた縁の全てを慈しんでおられる。だから、今ある大切なものを全て守りたいと思われているのですね

 今日までの一つ一つを背負って、その全てを大切に想っておられる。その心の在り方は、まさに光魔神として相応しく、何より大貴さんらしいものだと思います』

 労わるような温かさを持つその声は、大貴にまるでヒナが触れているような安らぎを与えてくれる


 ゆりかご(地球)で生きてきた時間、光魔神として覚醒してからの時間、そして九世界と十世界――今日まで巡り合った全ての人の想いや世界の在り方を受け入れ、そのすべてを大切に想っているが故に大貴の心は身動きが取れなくなってしまっている

 全てを受け入れ、一の全として信じているその心の在り方は、太極である光魔神の存在、大貴自身を体現しているかのよう。

 そしてそれは、大貴が自分を含めた世界の全てを思ってくれていることであると考えるヒナは、自分の心に温かなものが広がっていくのが感じられた


『王としての私は、型に嵌ったことしか言えません。ですが、私個人として申し上げるのならば、その想いはたった一つです

 私は、あなたを信じています。あなたが決して間違わないとは思っていません。もし間違えたならば、共に考え、そしてあなたの傍に在り続けます』

 自身の中にあるたった一つの想いに背を押されるように、ヒナは自分の思いを口にする


『それでは駄目でしょうか?』


 「何があっても自分はあなたの味方だ」と伝えたヒナは、告白にも似た自分の言葉にその声をわずかに恥じらいの色を宿して、そのあふれ出す気持ちを伝える

『もし、本当にどうにもならなくなって、何もかも投げ出したくなったのなら、私を連れて逃げてください。私が本当に大切なのは、人間界王としての矜持や在り方などではないのですから』

 悩んでいる大貴の力になりたいという一心から、ヒナは無意識の内に普段は心の中に秘めている気持ちを言葉にしていた

「ヒナ……」

 自身の全てを投げ打ってまで、自分の意志を尊重してくれようとするヒナの言葉に、大貴は嬉しさと共に大きく思い責任を感じる

「けど、俺はこの世界のことを何も分かってない。そんなことをして、もし何かあったら――」

『大丈夫。私は、人間界の王ですよ。私は、王としての私と、一人の人間としての私の誇りにかけて、あなたの味方であることを誓います』

 世界の事、そしてそれと同じだけの重さで人間界王である自分を案じてくれている大貴の言葉を、ヒナは強い意志の込められた声で打ち消す


 人間界王「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」にとって、王であることは誇りでもある。世界と民とその命を背負う責務を軽んじるつもりはない

 だが、「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」という一人の人間にとって何よりも大切なのは、王であるということではなく、光魔神の――大貴の傍に在るということは揺るぎない


『ですから、今回もいつものように、私を信じ、あなたが信じた通りになさってください。過ちを犯すことを恐れ、何もしなければなにも変えられません

 もし、あなたが間違えたとしても、例えあなたが過ちを犯したとしても、私だけはあなたが正しくあろうとしたのだと知っています

 過ちを犯すことを恐れないでください。何もできないことに怯えないでください。何もしないことを悔やみ、したいことを諦めることを否定してください。例えお一人ではできずとも、あなたのそのすべてに私は寄り添い続けます』

 世界を越え、意識を繋いで届けられるその言葉に、大貴は左右非対称色の瞳を抱く双眸を細めて思案を巡らせる


 全幅の信頼を置いてくれているヒナの言葉に対する不安は山のようにある。だが、大貴はそれ以上にその信頼に答えなければならないのだと感じていた

 不安ばかりを並べて足を止めていても何も始まらない。「できないと言われたなら、それを諦めるのか?」――かつて自分で自分に誓ったはずの言葉が、大貴の脳裏に甦り、「止まるな」、「進め」とその意思を叱咤する


「そうか。そうだったな……」

(情けない。自分で自分に言ったことを忘れてるなんてな。これも同じだ)

 諦める理由を並べ、やめることは簡単だ。だが、それをしないことを自分に誓ったことを思い返した大貴は、大きく息をついて、自分の意志を整える

「ヒナ……迷惑をかけるかもしれないけど、俺が信じたことをしてもいいか?」

『はい』

 訊ねる形をとっているが、その声にはすでに確信があるのを感じ取ったヒナは、優しい声音でそれを受け止める

「世界は……世の中はこんなもんだって、小さな何かを諦めて、大きなものを守り続けるんじゃなく、一から十まで全部手に入れられるようにやってみてもいいか?」

『……はい。あなたのお望みのままに』

 脳裏に響いてくる大貴の声に、ヒナはその想いを慈しみながら噛み締める


 ヒナが大貴に伝えたのは、十の全てを守るのではなく、本当に大切なものを通す意思だった。だが、大貴は、その言葉を聞きながら、そこに込められたヒナの意思だけを汲み取って、自分の意志で十の全てを守ろうとしていた

 自身の言葉を受け入れながら、それに流されることなく、己の成したいことを信じることができる。大貴らしいその考えに、ヒナは自分が愛する人の強さと弱さに愛おしさと誇らしさを募らせる

 大貴が選んだのは、全てを救うという妄想にも似た実現が困難な道。だがヒナは、その痛みと心に寄り添っていきたいと心から思えていた


「ありがとな、ヒナ」

 大貴自身、自分が言っていることがどれほど難しいのか分かっている。だが、それでも譲れない生き方があり、ヒナにもその自分の意志を行動として見ていてもらいたかった

「お前に相談してよかった」

『光栄です』

 その言葉を聞いたヒナは、心の中から湧き上がる愛色の思いに、胸を焦がさずにはいられない

 自分が大貴に必要としてもらえているのだと思うと、ヒナは自身の身体と魂が名状しがたい幸福に満たされることを感じていた

「いつもお前には助けてもらってばっかりだな。人間界王のお前の方が色々あるのに、俺ばっかりが愚痴ってるしな」

 しかし、そんなヒナの思いとは裏腹に、大貴はなったばかりの人間界王として力を尽くしているヒナに頼ったばかりの自分に自嘲するように言う

『そんなことありませんよ。一人で抱え込まず相談するというのはとても大切なことです。ただ、もし私があなたのお役に立てているのなら、こんな嬉しいことはありません。

 そして、そのお声をかけていただけることは、とても嬉しく思います。なんと申しましょうか――冥利に尽きるというものです』

 しかし、自分の至らなさを悔いる大貴のそんな言葉を優しく否定して受け入れたヒナは、その言葉を聞くことができることにささやかでかけがえのない喜びを覚えていた


 迷いや弱音を聞くことができるというのは、それだけその人に心を許されている証――自分がその人にとって特別な存在であることの証左と言ってもいい。ましてそれが想いを寄せる人からのものならば、その幸福と喜びはひとしおというものだ


 故に、大貴に答えたヒナは、冥利の尽きるという最後の部分をあえて言葉にせず濁すようにして答える。そこには、「王」、「女」、「妻」、「伴侶」――ヒナが考え、望みうる全てのものが当てはまるのだ


『ですから、きっと私も、困ったときには真っ先にあなたを頼らせていただきます』

「ああ。その時は、俺も全力でお前を助けるよ」

 いつもヒナを話したことで、心が軽くなったような感覚を覚えた大貴は、世界を越えて思念で結ばれた先にいるその姿を幻視して、自分の姿を映している窓に軽く拳を当てる

 それは、ヒナに応えたいという男の矜持の表れであり、その言葉を自分の魂に刻み付けるための宣誓でもある

『はい――ですが、くれぐれも無理はしないでくださいね』

 それを遠く人間界で聞くヒナは、背後にある窓ガラスにそっと指先を触れさせながら、大貴の身を案じる言葉で締めくくる

 ガラスに映る自分の姿に、それぞれの相手を重ねた大貴とヒナは、まるで今その人と触れ合っているような温もりを感じていた

「ヒナ」

『はい』

 思わず口をついて出てしまったその名を持つ人物が応えると、大貴はしばし言葉を探してから、瞼を下ろす

「いや、今はやめておく」

 伝えたい気持ちや言葉は多くある。だが、感謝とは違う自分の気持ちをヒナに伝えるのに、今は相応しくないと考えた大貴は、それを呑み込む

 それを聞いたヒナには、大貴の声が先程までとは違うものであることが分かっている。「いずれ機会と場を改めてから言う」という意思を正しく受け取ったヒナは、それを聞くことはせずに、包容力と安らぐに満ちた声で語りかける


『御武運をお祈りいたしております』


 いかに王の身であるとはいえ、ヒナは所詮一人の人間に過ぎない。その身で自分達の神の恩寵や恩恵を願うなどおこがましいとは思いつつも、ヒナは一人の人間として、一人の女として、光魔神たる大貴の身を案じる自分の気持ちを――ささやかな祈りを届けずにはいられなかった

「ああ。あとは、具体的な方法を決めるだけだ」

 ヒナの言葉に、決意を以って答えた大貴は、端的に述べる

 これまでは、想いや考え方の話。だが、ここからは、更に一歩踏み込んでその願いを叶えるための行動に関することだ


「で、だ。ちょっと一つ考えがあるんだが――」


 その方法に関して、とある意見を持っていた大貴は、思念で繋がっているヒナに対して、ゆっくりとその考えを伝えていった





 聖人界の中枢たる聖議殿(アウラポリス)。聖人界から選ばれた議員達によって構成される聖議会が開かれるこの街城には、聖人界の全ての戦力と全ての機能が集約されている

 その一角にある神殿――「大聖廷(レゲスキウム)」。先日大貴達が聖議殿(アウラポリス)を訪れた際に招き入れられたそこは、本来聖人達が罪人を裁くための法廷だ


 天空から注ぐ光に照らし出されるその場所には、両手を理力の枷で塞がれ、身体に巻き付く光の封印を施された瑞希ただ一人

 法廷の証言台に相当する場所に一人佇む瑞希は、顔を伏せたまま表情を変えることなく、静かに周囲で行われているやり取りに耳を傾けていた


 先日は、一応他世界からの来客という立場で立った証言台に罪人として立つ瑞希の周囲には、聖人界の議員達がその罪を裁くために集まり、その罪――十世界創始者であることについて議論を交わしている

 議員達が話している内容は、瑞希の量刑に関するものだ。聖人界の法廷では、光の画面に議員達が罪状などを踏まえた各々の判決を書き込み、それについて言葉を交わしながら最終的に一つの判決を導く形を取っ手いる

 光の画面を前に、シュトラウスの指揮の下で理知的な語り口を崩すことなく至極真剣な面差しと口調で議論を交わす聖人達のやり取りを知覚の片隅に捉えながら、冷めた表情を崩さなかった。――それが、聖人達に向けたものなのか、自分の人生を思っての事なのかは判然としないが



「それでは、諸君。そろそろ判決に移ろうではないか」

 十分に場が煮詰まってきたのを見て取った、裁判の統括――界首・シュトラウスの厳かな声が聖なる法廷に響き渡ると、全ての言葉が止み、静謐な静寂が聖なる法廷を包み込む

「さて、判決の前に何か言いたいことはあるか?」

 静寂を取り戻した法廷を見回したシュトラウスは、丁度正面下段にある証言台に立つ瑞希へと視線を向けて訊ねる

 瑞希に注がれるシュトラウスの瞳には、侮蔑や敵意といった負の感情はおろか、個人の感情は一切宿っていない。そこにあるのは、法に則り厳正で公正な判決を下す裁判官としての責務に准じるものだけだった

「いえ、ありません」

 瑞希が淡泊な答えを返すと、一旦目を閉じたシュトラウスは、その視線を半円型に広がっている法廷にいる議員達へ向ける

「では、諸君。これより判決を下す。最終判断を」

 その声に従い、議員達が眼前に浮かんでいる理力の光画面に手をかざす

 その画面には、これまでの話し合いで絞られた量刑の候補が並んでいる。最後はその中から多数決によって罪人への量刑が決められ、判決が下されるのだ


 この場にいる聖人達の意見は、シュトラウスのいる中央席の中段――聖人界三大政党の一角である「法党院(ケントルム)」の座席の中心に座す人物へと集まっていく

 三大政党の一角にして、最も人数が少なく、中立と中庸を信条とする政党の長を纏める天支七柱の一人――「ミスティル」の許へと収束されたその意思は、彼女とシュトラウスの公平かつ公正な目によって、正確な票数を示すのだ


「では、判決を言い渡す」

 眼前に示された光の画面に映し出されている多数決の結果を見たシュトラウスは、小さく頷くと口を開いて厳かな声で瑞希に判決を下す


「被告を懲役千二百年に処す」


 シュトラウスの口から告げられたその言葉は、静寂に包まれた聖なる法廷の中に重々しい残響を以って響いていた







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