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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
200/305

懐かしき決別






 守りたかったものは、一つしかなかった



 瑞希にとって、他者との関係は、ただ「裏切ってきた」という一言でしか言い表すことができないものだった


 十世界の前身となる組織と愛梨を売って魔界に身を置きながらも、それは自分ではない別の人物の意思が強く関わっている

 確かに愛梨のやり方を単純に認めることができなかったのも事実。だがそれは本当に自分が決めたことだったのかと、いつしか己の意思に自信が持てなくなっていた

 いつかは魔界も裏切ることになるかもしれない――そんなことを考えていた瑞希は、いつの頃からか人を遠ざけるようにして生きていた


(私は、幸せだわ)


 これまでの半生を思い返し、己の生き方を自身で嘲笑った瑞希は、目の前に突きつけられた三又の燭台槍の切っ先を見つめながら周囲に意識を巡らせる


 周囲には、これまで共に世界を回ってきた仲間達の戦意と義憤が渦巻いており、罪に塗れた自分のために聖人界と聖人達に立ち向かってくれている

 与えられた役割によるものとはいえ、この出会いとこれまで培ってきた出会いで得てきたものを確かに感じ取った瑞希は、自分が孤独ではなかったのだと改めて強く実感し、こみあげる熱い感情と共に感謝の念を募らせるばかりだった


(信頼を裏切り、信頼を利用してきた私が、最後にこんな素敵な出会いに恵まれたのだから――)





「瑞希……!」

 最後にして最高の出会いと思い出に感謝しながら、その思いを胸に秘めていつも通りの淡泊で抑揚に乏しい声で発したその言葉に、大貴が声を震わせる

 その声に宿っているのは、一度魔界で裁かれた罪で再び聖人界で裁かれようとしていることに対する抗議とそれ以上に、今まで共に旅し、戦ってきた仲間をここで渡したくないという思いだった

「構わないわ」

 聖人達の言い分の方が法律的に正しいことは誰もが分かっている。だが、その上で自分達の信念のもとに世界を束ねる方に異議を示してくれることを嬉しく思いながらも、同時に瑞希は自分のためにここにいる仲間達の立場を危うくすることはできないと強く思っていた


 大貴、そして神魔と桜はもちろん、敵対する存在であるはずの天使――クロスとマリア。さらには九世界の立場ある人物であるリリーナ

 この世界の住人であるウルトを含め、少なからず向けてくれていると分かる友好的な感情が、何よりも自分を認めてくれているが故のものだと思えば、わずかなりとも救われるというものだ


「ここで彼らと揉めていいことなんて、何一つないはずです。私さえついて行けば彼らは満足するのですから、そうするのが妥当と言うものでしょう」

 刃をまっすぐに見据えながら言った瑞希は、今まさに起きようとしている聖人界と光魔神(大貴)達との戦いを収めようと淡々と言葉を並べる


 今問題となっているのは、自分がかつて十世界の前身の組織に所属していたという事実だけ。それは変えることのできないものであり、たとえ裏切った身であってもそれを否定することは瑞希にはできない

 聖人界の望みは、その罪を自分達の手で正しく裁くこと。ならば、聖人界と話をこじらせるよりもここで自分がそれに従っておけば、ここにいる全員の立場を悪くすることは無い


「そんなこと、僕は認められない」

 しかし、その言葉にかぶせるようにして瑞希に言い返した神魔は、ツェルドに突きつけた大槍刀の刃を引く様子を見せずに言う

 その声に視線を向けた瑞希は、一瞬さえも気を緩めずに自身よりも倍以上の身長を持つツェルドに刃を突きつけたままでいる神魔の横顔を見て、その表情をわずかに綻ばせる

「ありがとう――その気持ちだけ、受け取っておくわ」

 その硬質な言葉を優しく緩め、神魔の言葉に感謝を告げた瑞希は瞼を伏せると、小さく――誰にも聞こえないように抑制した声で呟く


 思い返してみれば、瑞希にとって神魔達は大貴よりも繋がりの強い人物だ。最初は、魔界王の命によって、神魔と桜を捕らえるために向かったゆりかごの世界で出会った

 その後、魔界の牢の前で二人を監視し、その後二人のお目付け役という大義名分の下で光魔神と合流した。所詮は職務の一環としての関係だったが 自分が十世界創始者の一員だと知られた時、誰よりも自分を信じ、誰よりも疑い、誰よりも許してくれたのが神魔だったように思う――それは単に、神魔が桜以外の相手に深層的な面でほとんど興味を抱いていないからなのだが


「私にあなたのような人がいれば……なんて、考えるのは無駄なことだけれどね」

 誰にも聞こえないように発せられた瑞希の声は、刃を突きつけているツェルドはもちろん、この場にいる本人以外の誰にも聞こえないようなものだった

 自分を納得させ、心の奥に残っている己の気持ちに対して語りかけた瑞希は、その思いを噛み締めながら再び自身に突きつけられた三又の燭台槍の切っ先へと凛とした視線を向ける


 これまで、本当の意味で誰かと心を寄り添わせてきたことのない瑞希にとって、桜は羨望の対象だったと言ってもいい

 もし、自分に桜における神魔のように、心から信頼できる人がいたのならば自分の運命は変わっていたのだろうかという些細な願望を振り払うことはできなかった


「さぁ、行きましょうか」

「懸命な判断だ」

 顔を上げ、静かな声で言った瑞希の言葉にツェルドは表情を変えることなく受け止め、今日まで行動を共にしてきた大貴達が動揺を浮かべる

「待――ッ」

 声を上げようとした神魔と桜、大貴、クロスとマリア、リリーナとウルトの前にマキシムが放った剣が突き刺さり、その言葉を遮る

「役目を果たせなかったことは申し訳なく思うわ。せめてあなた達のこれからに、幸いがあることを祈っているわ」

 それを横目にした瑞希は、静かに息をつくと大貴達の視線を振り切るように自らの足で前へと進み、聖議殿(アウラポリス)へと向かっていく

「瑞希!」

 自分を呼び止める声を背で聞きながら歩く瑞希は、それに未練を覚えながらもこれまでとは違う晴れやかな気持ちを心中に抱いていた

(これでいいの……今度は、自分の意志だけで選んだのだから)

 門の内側へと足を踏み入れ、足を止めた瑞希はそこで始めて肩ごしに視線を向けて自分達に視線を向けている仲間達を見る

 マキシムを含めた四人の天支七柱に足止めされ、歯噛みする大貴達の姿を見た瑞希は、その凛然とした美貌に感謝から生まれる優しさと別れを覚悟した寂しさを同居させた笑みを浮かべる


「最後にこういう終わり方ができたのなら、私のこれまでの人生もあながち悪いものではなかったのかもしれないわね」


 自身の行動が大貴達の意にそぐわないものであることを分かっている瑞希は、それを申し訳なく思いながらも、己が下した決断に満足して呟く

 別れの寂しさと利己的な己の心情を慰めるように自分に言い聞かせた瑞希の目に、その姿を隠すように八だ勝ったシュトラウスが門の外にいる大貴達を睥睨して言う

「この女は、我々が裁く。もうあなた方の仲間に戻ることは無いだろう。――戦力の低下が問題ならば、新しい人員の派遣を求めることだ」

 どのような判決が下されるかは分からないが、少なくとも即座に釈放されることはないことを確信しているシュトラウスは、そう忠告すると一方的に話を打ち切って大貴達に背を向ける

 それを合図にするかのように、聖議殿(アウラポリス)の扉がゆっくりと閉じていく中、大貴をはじめとする一行は、警軍の聖人達によって奥へと連れていかれる瑞希の後ろ姿を見送ることしかできずにいた


 束ねられた黒髪を揺らしながら、一度振り返ることなく歩いていく瑞希の後ろ姿を見送る大貴達の目の前で、まるでその関係を断ち切るように扉が閉ざされた





「瑞希……」

 閉ざされた聖議殿(アウラポリス)の門を前にした大貴は、左右非対称色の瞳でその内側へと消えて行った瑞希の事を見据え、止められたなかった己の無力を悔やんで歯噛みする

 門が閉じると同時にマキシム、ワイザー、ミスティル、ツェルドの四人もそこから転移して消えており、聖議殿(アウラポリス)の前には、大貴達と二人の門番だけが残されている

「……ッ」

 瞬間、全員の意識を殴りつけるように、力任せに振り下ろされた漆黒の刃の大槍刀の破壊音が、静寂を取り戻した聖人界に響き渡る

「神魔」

「神魔様」

 意識して力を抑えたため、ただ地面に突き刺さっただけでそれ以上の破壊をもたらさなかった大槍刀の柄を握る神魔に、大貴達は視線を向け、桜はゆっくりと近寄って寄り添うようにそっと身を添える

 その桜の温もりに視線を向けた神魔は、自分を案じて不安そうな表情を浮かべる最愛の伴侶を安心させようと、優しく表情を綻ばせて見せた

「ごめん。大丈夫だよ」

「はい」

 淑やかに微笑む桜と、武器を消した神魔を横目で見た大貴は、いったん離れていた視線を聖議殿(アウラポリス)へと向けて、その表情を険しくする


 行動には直接移すことは無くとも、神魔と同じようなやり場のない気持ちだけが、大貴はもちろんの事、天使やウルトを含めたこの場にいる全員の意識にこびりついて離れない

 瑞希の気持ちも分かる。聖人界の言い分も不愉快ではあるが、法律上決して間違っていない。だが、なぜ瑞希はついて行ってしまったのか、なぜ聖人界は他の世界が裁いたということで話を終わらせなかったのかという不満があることも否めない


「いかがなされますか? 光魔神様」

 誰もが、そんなやり場のない感情を抱え、平静を保っている中、五対十枚の純白翼を持つ緋髪の天使が、神妙な面持ちで大貴を見つめる

「リリーナ」

 空気を浄める様な神々しいその声に応じて視線を向けた大貴に、リリーナはその美貌に影を落とし、心苦しそうな様子で話を続ける

「ある程度やむを得ない状況であったとはいえ、瑞希さんは、自ら望んで彼らについて行きました。彼女を釈放させるのは事実上不可能です」

「……だろうな」

 九世界の存在全てから、歌姫と慕われる美声で言葉を選びながらも、その事実を告げるリリーナの言葉に、大貴もそれを理解して重々しい口調で頷く


 あのままでは、聖人界と大貴達の間に戦端が開かれていた可能性は多分にある。そうなってしまえば、九世界と十世界、光魔神の関係がどうなってしまうのかは分からない

 魔界王に仕え、魔界――九世界のために大貴の随伴者となった瑞希からすれば、それは自身に与えられた役割としてはもちろん、個人としても受け入れ難かったのだろうことは推察できる

 そういった事情があった上で、聖人界の同行に応じたのはほぼ間違いないだろうが、そうなってしまった以上、リリーナやウルトには瑞希に手を出すことが極めて難しくなったことは、大貴にも分かる


「でも、力ずくで取り返そうなんてすれば、聖人界に戦争を吹っ掛ける様なもんだ。下手したら九世界との関係もこじれかねない」

「はい」

 確認の意味も兼ねて独白した大貴の言葉に、それを聞いたリリーナが重い口を開いて肯定の意を示す

 翳りと憂いを帯びたその美貌は、やるせなさに打ちひしがれるリリーナの心情を如実に表しており、今回の事が、それだけ深刻な事態であることを何よりも雄弁に物語っていた


 理由や過程はどうであれ、瑞希は聖人界という世界そのもののに囚われた。これに異議を唱えることは九世界の法に反すること。少なくとも、正規の手段以外の全てが聖人界という九世界の一角を担う世界そのものに敵対する行為に等しい

 聖人の性質を考えれば、瑞希に恩赦が与えられる可能性は皆無に等しい。だが、これが気に入らないからと言って、力ずくでの奪還を図れば、それは聖人界という世界に対して宣戦布告するも同義になってしまう


「方法としては、お父様たちに口添えという形で協力を仰ぐ以外には……正直、それでも彼女を釈放していただくのはかなり難しいと言わざるをえませんが」

 一縷の望みを、聖人界と同じ光の世界であり、事実上九世界の管理者的な役割を担っている天界の王である両親に抱くリリーナだが、その望みもまた薄いものであることが分かってしまうために、表情は冴えない


 闇の世界と存在を、正しく敵視している聖人達が悪魔や魔界の言葉に容易に頷くことがないのは分かりきっている。可能性があるとすれば、同じ光の世界である天界などだろう

 だが、聖人達の頑なさと、法を順守する信念は紛れもなく本物で、その頑なさが天界王の言葉でも変わるとは思いづらい――そもそも、そういう考えと行動を取る意思を持っているならば、聖人達は瑞希に対してあのような行動に出なかっただろう


「私も、なにか力になることができればいいのですが……」

 自分を含め、天界王でもある父の事を考えれば、容易に行動することができないリリーナに、ウルトは自身の無力と同胞への小さくない憤りをその表情に滲ませる

(本当に、どうして私には何もできないのでしょうか……これでは、あの時(・・・)と同じではないですか……)

 今は政権に敗れて発言力も影響力も失っているが、かつてウルトは、聖人界の代表の立場にあった

 聖人界の頑なすぎる正義は、九世界の中でも浮いてしまっている。それを分かっていたウルトは、このまま聖人界が孤立するのを避けるため――そして、聖人達の在り方を変えるために、他の世界と同程度の関係を築こうとした

 思い返せば、そうウルトが考え、行動を起こすに至った源流には瑞希が関わっているともいえる。だが、その時も今回も結局自分にはなにもできなかったという思いだけが、ウルトの中に湧きあがっていた

「……いずれにしても、ここにいても何かが好転するわけではありません。一旦、離宮へ戻りましょう?」

 固く握りしめられたウルトの手が小さく振るえているのを見たリリーナは、大貴達の強張った感情を解きほぐそうとするかのように優しい声で語りかける

「――……」

 リリーナのその言葉に、そうするしかないと分かっていても、そうすることしかできないことへの不満から重い沈黙が下りる

「ああ、そうだな」

 誰もが口を閉ざしたまま佇んでいる中、その静寂を打ち破った大貴の言に、神魔、桜、クロス、マリアもゆっくりと聖議殿(アウラポリス)に背を向ける

 ウルトが外縁離宮へと繋がる空間の扉を開いたのを視界と知覚の隅で認識した大貴は、肩越しに視線を向け、荘厳に佇むこの世界の中枢たる白亜の街城を睨み付ける


 さながら、侵入を拒む壁のように立ちはだかる聖議殿(アウラポリス)に忌々しげな視線を向けた大貴は、一度瞼を下ろすと先行した大貴達に続いて時空の門をくぐるのだった





「――」

 理力によって作られた光の台座に乗りながら街の中を連行されていた瑞希は、肩越しにその視線を聖議殿(アウラポリス)の門へと向ける


 今の瑞希は、十世界創始者としての咎から罪人として扱われる立場にある。いかに、憎い敵であっても、法によって罪を裁くことを信条とする聖人達は、実力で反抗しない限り、乱暴に扱うことは無い

 暴れるのを防ぐため、背後に佇んでいるツェルドの持つ燭台槍の石突から伸びる理力の光鎖で繋がった枷に両腕を拘束されていた


「どうやら、光魔神達は外縁離宮に戻ったようだな」

 瑞希の身体に絡みついている光の「封印」を施しているツェルドは、その微かな身じろぎとその理由を察して言う


 聖議殿(アウラポリス)の周囲を取り囲んでいる門壁の向こうには、先程まで大貴を含む光魔神一行の神能(ゴットクロア)が存在していた

 だが、ここに入ってからしばらく大貴達が門の前でとどまっていたことは知覚で分かっていた。その存在が消失したということは、この場を離れたということを意味し、瑞希はひそかに心の中で胸を撫で下ろす


「よかったな。お前の判断が無駄にならなくて」

 そんな瑞希の心中を見透かしたように、鬣のような白髪と褐色の肌を持つ大男――聖人界の議会を構成する三つの議会の一つ軍党院(デクストラ)の党主「オーヴァン」が小馬鹿にしたように笑う


 瑞希が素直に聖人界の求めに応じたのは、決してその人生に諦めたからなどではない。あのまま行けば、九世界との間に決定的な溝を作りかねないと判断したからだ

 その決断を下した瑞希にとって、自分のために大貴達が聖人界と事を構えるのだけは避けたかったはずだ。こうするしか選択肢がなかったとはいえ、その選択をされては本末転倒になってしまう

 大貴達を守るためにこうして同行に応じたはずが、結果的に聖人界との戦争の引き金になってしまったでは、皮肉にもならないのだから


「――……」

「フン」

 挑発めいたその言葉に、感情が抜け落ちた様な無機質な表情を崩さず、無言のまま無反応を返す瑞希を一瞥したオーヴァンはつまらなそうに鼻を鳴らす

「もしかしたら、力ずくでお前を取り戻しにくる可能性も考えていたんだが、さすがに聖人界(我々)と争うなどという愚を犯さないだけの冷静さは持っていたようだな」

 「それとも、そこまでしてもらえるほどの間柄ではなかったということか?」という声が聞こえてきそうなオーヴァンの言葉に、瑞希は怜悧な視線にさらなる険を帯びさせる

 これまで培ってきた関係に疑問を呈するようなオーヴァンの言葉を聞いた瑞希は、呆れたように小さく耐え息をついて口を開く

「程度の低い悪口を言うのね。器が知れるわよ」

 感情の籠らない瑞希の冷ややかな言葉にオーヴァンは一瞬だけ眉を顰めるが、それに反論するようなことはせず、視線を前に戻す

 その威厳に満ちた表情には微塵の揺らぎもなく、瑞希の言葉がわずかにでもその心情を揺るがすことができたとは到底思えない。強いてその心情を表すならば、「勝手に言っていろ」だろう

「――……」

 オーヴァンの沈黙を横目にわずかに顔を伏せた瑞希は、その口端をかすかに吊り上げて小さな微笑を浮かべる

 それは、大貴達が離れてくれたことに対する安堵と、自分が成したことへの自己満足、今日までの思い出を胸にする喜び――そしてそんな自分へ向けた嘲笑が入り混じった複雑なものだった

「このまま、即座にお前の罪を裁く法廷を開く」

 わずかに顔を俯けたまま、微笑を浮かべている瑞希を横目で見たシュトラウスは、淡白な口調で言う

 その言が示すように、瑞希を含めた一同を乗せている理力でできた光の浮遊台は、まっすぐにその進路を大聖廷(レゲスキウム)へと向かっていた

「お久しぶりです。まさか、このような再会をすることになるとは思っておりませんでした。――非常に残念です」

 その門の前で瑞希たちを出迎えたのは、界首シュトラウスの秘書であり、聖人界に訪れて最初に聖議殿(アウラポリス)の中から現れた女性の聖人――「スレイヤ」だった

 決して嘘ではないのだろうが、白々しいほどに感情の籠っていない言葉で瑞希を歓迎したスレイヤは、軽く一礼する

「では、ここは任せたぞ」

「はい」

 ツェルドと、一部の警軍に所属する聖人達に瑞希を委ねたシュトラウスとオーヴァン、ワイザー、ミスティルは大聖廷(レゲスキウム)へと入っていく

 その様子をその場に佇んだままで見送っている最強の聖人の険しい表情に違和感を覚えたスレイヤは、畏敬を抱きながら問いかける

「マキシム様?」

 最初にして最強の聖人に対する敬意は、界首に向けられるそれとは異質でありながら同等以上の価値を持つ。存在そのものから感じるその威圧感に、崇敬の念を抱かない聖人などいはしない

「……なんでもない」

 スレイヤの声を受けたマキシムは、大聖廷(レゲスキウム)の中へと消えて行ったシュトラウス達の姿と、光の封印を施された瑞希を見比べてその重い口を開く


 九世界で唯一、全霊命(ファースト)のための牢獄である「聖浄匣塔(ネガトリウム)」の創造主にして管理者でもあるマキシムは、あくまでも牢獄の管理人でしなく、法廷への干渉は認められていない

 シュトラウス達を見送ったマキシムが眉間に皺をよせ、険しく深刻な表情を浮かべている理由は、本人以外に知る者はいなかった





「どうしてあんなことをしたんですか?」

 普段は慈愛に満ちた微笑か、世の争いと犠牲を思いやって浮かべる憂いを帯びた表情を見せることが多い十世界盟主「奏姫・愛梨」が、珍しく詰問するような表情を浮かべていた


 神器「空領土(レルヴォキス)」によって作り出された次空間――そこは、何もないが世界そのものといっても過言ではない領域だ

 その次元の中で、聖議殿(アウラポリス)から撤退してきた愛梨は、その原因となった死紅魔(シグマ)の真意を(ただ)すために向き合っていた


「それが俺がするべきことだからだ」

 声を荒げるわけではないが、ささやかな憤りと不満がありありと浮かんだその表情で見据えられた死紅魔(シグマ)は、愛梨の視線から逃れるように瞳を逸らす

「そんなことでは分かりません。ちゃんと、話してくださらないと分かりませんし、納得できません――神魔さんとは父子なのでしょう? どうしてもっとわかり合おうとしてくださらないのですか?」

 素っ気なく返された死紅魔(シグマ)の言葉に、愛梨はさらにその顔を不機嫌にして、切な様子で訴えかける

 他人事だというのに、まるで自分の事のように胸を詰まらせた様子は、愛梨らしいものだったが、眉根を寄せた死紅魔(シグマ)は、困ったような視線を同じくこの様子を見ている者達に向ける

「親子……死紅魔(シグマ)と神魔が?」

「言われてみれば、似てるか」

 その言を聞いて目を丸くする紅蓮に、思案気なラグナが呟くのを、傍らに立って聞いているシャリオを見た死紅魔(シグマ)は、小さくため息をつく


 全霊命(ファースト)は神から生まれた存在。その存在は、それぞれの原在(アンセスター)に集約され、それらは神へと収束されていく。結果、ある程度の傾向はあるが、その顔立ちや姿はある程度似通っているため、外見からの親子の判別は信頼性に足りるものではない

 事実神魔と死紅魔(シグマ)も髪の色と瞳の色こそ似ているが、それだけでそのように断じられることは無い。ただし、その関係は神能(ゴットクロア)に表れる

 普段はそこまで留意しないが、その気になって知覚すれば、その神能(ゴットクロア)に親類関係があることを見止められてしまう。そのため、死紅魔(シグマ)はもうその事実を隠しておくことができないことを理解していた


「姫、あまりそういう個人的な事情を迂闊に口にされるのは困るんだがな」

「すみません……ですが、どんな理由があろうと、あなたが彼に手をかけるのを黙って見ていることなどできません」

 死紅魔(シグマ)の言葉によって自身の失言を察した愛梨は、そのことを謝罪しつつも、自身の想いの丈を訴えかける

 頭一つ程低い位置から死紅魔(シグマ)をまっすぐに見つめ、視線を交錯させた愛梨は、その胸に手を当てて唇を震わせる

「私達は、全ての人々が分かり合える平和な世界を作ろうとしています。その中で、血の繋がった親類は一番わかり合える位置にいるはずなんです。なのに、その親子が殺し合わなければならないなんて悲しいではありませんか……っ」

 愛梨には死紅魔(シグマ)と神魔の間にどんな因縁があるのかは分からない。だが、父子で殺し合うことを正しいと容認することはできなかった

「せめて、もっと話し合ってください。私も力になります。あなたに非があるなら、一緒に謝ります。すれ違いがあるのなら、分かっていただけるまで一緒に訴えかけます

 なにか理由があるのなら、それ以外の方法を見つけてみせます。ですから、早まらないでください。かけがえのない繋がりと絆を大切にしてください」

 自分の事ではないというのに、自分以上に心を痛め、今にも泣いてしまいそうな表情で言う愛梨の言葉に一度目を伏せた死紅魔(シグマ)は、瞼を開いて金色の双眸でその姿を映す

「姫。お前は、誰もが手に手を取り合う世界を求めている」

 切実な様子で言う愛梨を見据えた死紅魔(シグマ)は、感情の抑制された硬質な声でそれに答える


 十世界の理念は恒久的平和の実現だが、今の愛梨はそんな理念ではなく、自身の想いを率直にぶつけてきてきていた

 そしてそれを受ける死紅魔(シグマ)の心中には、個人的なことだから関係ない、余計なお世話だ、などという感情が湧くことは無く、むしろ愛梨にそんな顔をさせてしまっていることに対する罪悪感が沸々と湧き上がっていた


「はい」

 どこかばつが悪げに、それでもその信念を揺るがすことなく淡泊な声で語りかけてきた死紅魔(シグマ)の言を、愛梨は神妙な面差しで受け止める

 十世界の理念であり、自身の信念でもあるそのことを、今更改めて口にする死紅魔(シグマ)に一抹の疑問を抱くものの、愛梨はそれは真正面から受け止めて次の言葉を待つ

「だが、もしそこに、存在するだけで(・・・・・・・)世界を滅ぼし、そこに生きる全てのものを消し去ってしまうような存在がいたらどうする?」

「――っ」

 硬質な表情を浮かべる死紅魔(シグマ)から向けられた予想だにしなかった言葉に、愛梨は小さく息を詰まらせる

「なに、を……?」

 愛梨の目的は、全ての者が手に手を取り合って支え合うこと。神敵である反逆神とも手を取り合ってこそいるが、もし仮に、そこに存在するだけで全てを滅ぼしてしまうものがいたとしたのならばどうするのか?

 手に手を取り合ってその存在を守れば、全てのものが失われてしまう。ならば、そういう存在がいたとして、そう言う力を持つ存在ともまた平和的、友好的に接するべきか――死紅魔(シグマ)の質問に、愛梨は言葉を曇らせる


 質問の意図は分かる。そしてそれが、究極のたられば論であることも分かっている。だが、今この状況でその問いかけをする理由を考えた愛梨は、死紅魔(シグマ)の金色の瞳の奥になる真意の前に、息を呑むしかなかった


あれ(・・)はそういう類のものだ。今はまだ、この程度(・・・・)で済んでいるが……このまま行けば、確実に奴によって世界が滅ぼされる

 分かるか? あいつが世界を滅ぼすかどうかではない。あいつが存在するだけで(・・・・・・・)すべてが滅びるのだ。それを回避する術はない」

 自身に注がれる視線から、その先の言葉を想像しているであろう愛梨に、死紅魔(シグマ)は淡々とした毛でその事実を告げる


 何らかの理由があり、その意思によって力を振るうことで世界が滅びるのではない。ただ、そこに存在するだけで世界が滅びてしまう。

 誰が手に手を取り合っても、取り合うことができなくとも、この世界が滅びてしまう。十世界の理念があったとしても、そんな存在を放置しておけないと考えるのは、至極当然の判断だろう


(存在するだけで世界を滅ぼす……それは、円卓の〝0番〟を冠するかの神(・・・)の……!)

 死紅魔(シグマ)から発せられた一言一言が心に重しのようにのしかかってくる重圧を感じながら、神の巫女でもある愛梨は、その存在に思い至って表情を硬くする


 神の巫女である愛梨は、光と闇の創世の神々と異端神の全ての神の名と力を知っている。だから死紅魔(シグマ)の言う、存在するだけで世界を滅ぼしてしまう神が実際にいることも知っていた

 この世界に生まれながらこの世界を害する異端の神。今は封じられ、眠りについているその神の力と恐ろしさを愛梨はこの場にいる誰よりも知っていた


「……まさか、神魔さんがそうだと仰るのですか?」

 存在するだけで世界を滅ぼすものに思い至ったのであろう、目に見えて狼狽した様子を見せる愛梨の震える声に、死紅魔(シグマ)はたった一つの答えを返す

「世界を守るため、それが存在できる術がないのならば、せめて()の手で引導を渡してやるのが人の情というものだろう」

 その言は、先の自分の行動を説明するものであり、愛梨の問いかけに対する肯定でもあった

 金色の瞳に揺るぎない覚悟を宿した死紅魔(シグマ)の視線は、それが偽りでないことを雄弁に物語っており、この事実に選択の余地がないことを確信させるに十分な説得力を持っていた

「……死紅魔(シグマ)さんは、それでいいんですか?」

 だが、死紅魔(シグマ)の言葉を受けて尚愛梨はそれを容認することはできなかった。震える手を握りしめ、自らの子を殺すという判断をした男に悲痛な面持ちで訴えかける

 死紅魔(シグマ)という男の人格を知っているからこそ、その理由にも行動にも合点がいってしまった愛梨は、それでも自身が最も信頼を置く腹心の一人である男にそのようなことをさせたくはなかった

「これしかないのなら、是非もないだろう」

 淡泊に、わずかの迷いも感じさせない面差しで答えた死紅魔(シグマ)に、愛梨はその答えを否定する言葉を投げかける

「だとしても、せめて何か方法を考えるべきです!」

「これ以外の方法はない」

 これまで淡々とした声音で話してきた死紅魔(シグマ)が、初めてこの話題で語気を強いものにして断じる

 荒げたわけでもないにも関わらず、威圧感に満ちた抑制された低い声を受けた愛梨は、それに怯むことなく澄んだ瞳を返す

「それは、死紅魔(シグマ)さんお一人でなさる場合ではありませんか?」

「……!」

 その言葉にわずかに眉をひそめた死紅魔(シグマ)に、己の胸に手を当てた愛梨は優しくも力強い声で語りかける

「そうやって諦める前に、私を――私達を頼ってください。一人ではできないことも、みんなの知恵と力を合わせれば解決できるはずです

 あなたが神魔さんを殺さなくて済む方法も、あなたが危惧するその力と共存する術も、諦めなければきっと見つけられるはずです」

 一人ではできないことも、仲間とならばやり遂げるができる、違う選択を見つけることができる――心から仲間達を信頼し、この世界に生きる者達の可能性を信じている愛梨は、切な表情で死紅魔(シグマ)に訴えかける

 諦めて答えを出す前に、諦めずに答えを探し続けたい――その心を現したかのような愛梨の真摯な瞳が死紅魔(シグマ)へと注がれる

「ですから諦めないでください。それでも仮に、その先に死紅魔(シグマ)さんが出した結論しか無かったのなら、その咎は私が背負います。ですから……」

 必死に訴えかけ、自分を引き留めようとする愛梨のその姿に死紅魔(シグマ)は思わず口元を緩めて微笑を浮かべる


 誰が考えても合理的ではない、感情と盲目的な信頼に任せた暴論にも近い希望的観測。死紅魔(シグマ)の方法が最も現実的だと分かっていながら、諦めずに誰にとっても最良の結果をもたらす道を模索する

 自分の事ではないというのに、その当事者よりも諦めずに考え、もがこうとするその心と言葉の在り方は、実に愛梨らしいものだった


「姫。お前は一つ勘違いをしている」

 微笑を浮かべた死紅魔(シグマ)の姿に、自分の思いが通じたのかと一瞬安堵した表情を見せた愛梨に、その期待を打ち砕く冷たい響きを持った視線と声が向けられる


「俺は、あいつを殺すことを悲しんではいない。むしろ、俺がこの手で殺すことを望んでいるのだ」


 そう言って握りしめた拳を差し出した死紅魔(シグマ)の双眸には、輝くほど強い意志が宿り、心なしかその表情にも喜びに似た感情が浮かんでいる

 時折、自身が心から望んでいることをしている者が見せる、充足感に満ちた死紅魔(シグマ)の表情からは、自身がしようとしていることに対する誇りさえも垣間見えていた


「これは俺の願いだ。だから、邪魔をするな」

 そう言って譲る気のない信念と、折れることのない意志を示した死紅魔(シグマ)は、その視線を沈黙を守って一連のやり取りを見守っていた他のメンバーに向ける

「姫の事は任せたぞ」

 シャリオ、紅蓮、ラグナ――三人を見透けてそう告げた死紅魔(シグマ)からは、決戦に赴く決意が滲み出していた

 今の死紅魔(シグマ)を止めるには、力ずくでなければならないことを察していながら、愛梨はその身を翻した男の背に声をかけることができなかった

「姫、この次空を開いてくれ。神器で作られたこの空間から、俺の力で出ることはできない」

「――……」

 優しく、諭すように語りかけられた死紅魔(シグマ)の言葉に、愛梨は小さく首を横に振る

 止めなければならない。この先には、どう転んでも悲劇しか待っていないことが分かっているというのに、愛梨はいつもなら思いのままに出てくるはずの死紅魔(シグマ)を引き留める言葉を紡ぎだせずにいた

「頼む、姫」

 それは、命を賭して、誇りと信念を掲げて戦いに望む決意をした男を引き留めるような無粋な真似ができない愛梨の女としての気質だったのか、死紅魔(シグマ)の覇気に気圧されてしまったのかまでは、本人にさえ分からないことだ

「――愛梨」

「……っ」

 優しかった語気を強め、名を呼ばれた愛梨は唇を引き結んだまま、神器によって作り出していたこの次元の扉を開く


「心配するな、姫。すぐに戻ってくる」


 自身に注がれる愛梨の悲壮で悲痛な視線を感じ取った死紅魔(シグマ)は、おもむろに足を止めると語後押しに振り返って穏やかな声で語りかける

「世界の憂いを取り除いて……な」

 そう言い残し、全てを滅ぼす己の息子を父として滅ぼすことを決意した死紅魔(シグマ)が空間にかき消えると、その間際に残された声が残響のように愛梨の耳に届く


「お前に叱られるように、生きて帰ってくるさ」


死紅魔(シグマ)さん……どうして、ですか?」

 目の前から消えた死紅魔(シグマ)の存在を幻視しながら佇む愛梨は、男を引き留めることができなかった己の無力さに、肩を震わせるのだった






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