再会
先程まで、世界を破壊しかねないほどの圧を纏って天を軋ませ、地を揺るがす力の脈動が停止し、戦場に静寂が訪れていた
寸前まで刃を交えていた聖人界最強の聖人の三人「ワイザー」、「ミスティル」、「ツェルド」と十世界の盟主「愛梨」と「死紅魔」、「シャリオ」、「紅蓮」、「ラグナ」――その視線が注がれるのは、天空に作られた空間の道を超えてこの場へと現界した無数の人物だった
「さっきまでの戦いを知覚して慌てて来てみれば、一体どうなってるんだ?」
「少しばかり、派手に戦りすぎたか……!」
大貴の言葉で、その突然の来訪の理由をおおよそ理解したワイザーは、小さな声でそう吐き捨てると、天空に出現した九世界の客人たる異世界からの来訪者たちを双眸に収める
聖人の原在達と、二つの神器によってその力を限界を超えて高めた者達。全霊命として紛れもなく最強級の力と戦いは、はるか遠くにある外縁離宮にもそれを知らしめていた
それを知覚すれば、聖議殿を追放されたとはいえ、聖人であるウルトがこの場へと戻ってくるのは、ある意味で必然であったであろうし、そこに大貴達が同行しているのも当然のことだと想像するのは容易だ
実際には、その前に大貴がここへ戻ってくる意思を示していたのだが、そんなことをワイザー達が知る由もなければ、求めてもいない
「大貴……!」
だが、光魔神達の再臨を快く思っていない聖人達とは違い、その姿を知覚と記憶に焼き付けている十世界の者達は、淡白であったり、再会を喜んでいた
その中でも、特に大貴に対して戦意を露にし、歓喜のあまり舌なめずりをせんばかりにその名を呼んだ紅蓮からは、充実した魔力が噴きあがっている
「ウルト」
聖議殿で行われている尋常ならざる力の激突を同じように知覚し、大貴達と共にこの場所を訪れた外縁離宮の支配者――「ウルト」は、自分を呼ぶ重厚な声に視線を向ける
その視線の先にいるのは、聖議殿を背に立つ偉丈夫。十世界撃退のために出陣していたワイザー達三人に遅れてこの場へとやってきた天支七柱の筆頭「マキシム」だった
「申し訳ありません。異常事態と判断いたしましたので」
マキシムの声に軽く目礼して答えたウルトは、それに対する聖人界側からの見解を拒むようにその視線を愛梨へと向ける
また、そう答えられたマキシムもまた、それ以上の言及はせずに愛梨へと視線を向ける。それが、ウルトの行動に対する黙認と容認の意味であることは誰の目にも明らかだった
「ご無沙汰しております、光魔神様。ご機嫌麗しく、ますますご健勝のことと心よりお喜び申し上げます」
「――……」
(相変わらずどうも戦う気になれない。こいつのこういうところが苦手なんだよな)
姿勢を正し、嫌味や皮肉などの一切ない心からの言葉を向けられた大貴は、平静を装いながらも左右非対称色の双眸に若干の揺らぎを生じさせる
直接会うのはこれで二度目になるが、大貴は純粋な好意のみが宿った言動と澄んだ瞳で、まるで夢を見ているような理想を心から真摯な言葉で伝えてくる愛梨のことが嫌いではなかった
だが、そんな愛梨や十世界の理念を認める一方で、それと相対する際にこちらの決意と意思を挫くかれるという意味で、大貴はこの愛梨という人物を苦手としていた
敵ではない。味方でもない。共に歩む事はできないが、決してその道はかけ離れたものではない――敵と呼ぶにはあまりに優しく、味方と呼ぶにはあまりにも甘いその存在は、大貴にとって手に余るものだった
「実は、聖人界の皆様とゆっくりとお話させていただく場をお願いに上がったのですが、ご覧のように中々耳を傾けてもらうことができず、かような醜態を晒している次第です」
「ま、だろうな」
肩を竦め、自身の至らなさを恥じ入るような微笑を浮かべた愛梨の言葉に、その光景をありありと思い浮かべることができた大貴は、ため息混じりに呟く
昨日の聖人達の行動や態度を思い浮かべれば、九世界の友和を求める愛梨が拒絶されることは想像に難くなかった
「――……」
その大貴の視線を注がれる愛梨は、微笑みを浮かべたまま真正面から受け止めると、その意識をこの場にいるとある人物へと傾ける
今回の訪問に当たり、愛梨は自身に同行する者達をいくつからの理由から選んだ。一つは、単純に光魔神との関係性。そしてもう一つがとある人物たちを再会させることだった
「…………」
愛梨からのさりげない目配せを受けた張本人――死紅魔は、自身の主の好意とお節介に息をつきつつ、その金色の双眸を天に佇んでいる一人の悪魔へと注ぐ
その視線を微動だにせず真正面から受け止めている神魔の姿を横目で確認した桜は、最愛の人の姿とその視線の先にいる人物を見比べて小さく息を呑む
「神魔様、まさかあのお方が……?」
以前に聞いていた情報と、二人の外見、存在のを比べた結果辿り着いた一つの仮説に目を瞠る桜の言葉に、神魔はその言わんとしていることを正しく理解して頷く
「そうだよ」
「あの人が、僕の父親だ」――神魔が発した言葉の後ろに続く内容を正しく聞き取った桜は、その場で死紅魔に向かって深々と頭を下げる
例え神魔が望まなくとも、現在十世界に所属する敵対関係にあったとしても、桜にとって死紅魔は愛してやまない最愛の人の父親であり、己の義父に当たる人物。軽んじていいはずがない相手だ
「……」
そんな桜の深い礼に一瞥を向けた神魔は、それについては何も言及することなく父を含めた十世界全員へと視線を戻す
「知り合いか?」
「まあね。――今はただの敵だよ」
その様子を見ていたクロスがおもむろに口を開くと、神魔はそれに素っ気ない淡泊な声で答えて死紅魔を睥睨する
「珍しいな。あんたがそこまでして食い下がるなんて。ちょっと攻撃されたら、撤退するタイプだろ?」
神魔達ごく一部で行われているやり取りを横目に、大貴は率直な疑問を愛梨に向ける
大貴の中にある愛梨という人物像は、最低限の自衛以外の戦闘を極力避ける人物で固定されている。
己の信念を曲げない頑固で意固地なところはあるが、それを力ずくで通そうとするようなタイプではない。
最終的に追い詰められれば、己の命と信念を守るために戦うことを選択するかもしれないが、少なくともその最終防衛ラインがこんなところにないということは分かる
「なんだか、少し照れてしまいますね」
大貴の左右非対称色の瞳から送られる視線を注がれていた愛梨は、不意にその表情を緩めて穏やかな笑みを浮かべる
「は?」
十世界と愛梨の目的を知らないため、その真意を探ろうと意識を研ぎ澄ませていた大貴は、その予想だにしない反応に、思わず素っ頓狂な声を零してしまう
大貴だけではなく、この場にいる大半の人物が大なり小なりその反応に戸惑いを見せる中、口元に手を当てて上品な笑みを浮かべた愛梨は、わずかに頬を赤らめて恥じらいがちに口を開く
「光魔神様が、私のことをそこまで分かってくださっているというのが嬉しくて」
「……」
愛梨が何よりも恐ろしいのは、その口から出る言葉の全てが、嘘偽りのない心からのものであるということだ
皮肉や嫌味、心理的駆け引きなどとは無縁の言葉で、愛梨が心底喜んでいるのだと察した大貴は、わずかに狼狽して苦々しげに視線を逸らす
愛梨と大貴の面識はほとんどない。だが大貴は、愛梨という存在の心、能力、その在り方の大半を共感し、概ね理解を示している
本人にどの程度の自覚があるのかは分からないが、大貴のそれは他者を思いやり、心を一つに結ぶ愛梨の理念に限りなく近しいものであり、そしてまたその心に触れ、琴線を揺らすものだった
「光魔神。今が絶好の機会だ! この女を討てば、不毛な戦いの全てが終わる!」
仲間ではありながらも敵でもない――そんな微妙な距離を感じさせる大貴と愛梨の耳朶を、ワイザーの怒号が叩く
蛮刀の切っ先を愛梨へ向け、中断していた戦いを今にも再開させんとばかりに、純然たる殺意に彩られた理力を解放する
「それは違います。人々が、他者の心に想いを寄り添わせ、言葉に耳を傾けなければ、本当の意味で争いがなくなることはありません」
「ならば、その信念を抱いたまま、我らの心と言葉のままに消えろ!」
ワイザーの言葉に慈母のような笑みを崩すことなく答えた愛梨に、光を灯す燭台槍を持つツェルドの神速の刺突が放たれる
「オイオイ、お前の相手は俺だろ!?」
その刃が愛梨に届くよりも早く漆黒の斬閃で真上へと切り上げた紅蓮は、相殺された神格の殺意がもたらす天地の崩壊の中で口端を吊り上げる
戦いを好むものとして、これまで力が遠く及ばなかった相手と互角以上に斬り結ぶことができる歓喜は言い表しようがない。そういった感情をありありと浮かべている紅蓮に、攻撃を防がれえたツェルドが静かな怒りを露にする
「神器の力で強くなった程度で、図に乗るなよ……!」
「生憎、もう俺が戦り合いたいのはお前じゃないんだ。さっさと終わらせてもらうぜ……!」
自身に叩き付けられた最強の全霊命からの視線をそよ風のように受け流した紅蓮は、その視線を自身の最高の標敵――「大貴」へと向けて魔力を放出させる
「――ッ!」
瞬間、大地が踏みしめられ、ひび割れるように砕けた大地の音にその場にいた全員の意識が集中する
その音の発生源――己の足で大地を踏み砕いた最強の聖人の筆頭「マキシム」から、その存在に恥じない圧倒的な理力が噴きあがる
「いずれにせよ、この神聖な王都の前でこれ以上の戦いを見過ごすことはできん!」
聖議殿を背負い、野太く重厚な声で言い放ったマキシムの声に応えるように、天が裂けて一振りの剣が現れる
金色の刀身に、虹色の光を宿す宝玉を抱く柄を持つ剣の大きさは、全長三メートルを超えるほど。その使用者である聖人の標準的な背丈とほぼ同じ剣は、刃を下にして降下し、そのままそれを呼び出したマキシムの身体に突き刺さる
だが、その金色の刃の剣でマキシムの身体が傷つくことは無い。マキシムの身体に突き刺さった瞬間、その剣が砕け、その身体の中へと吸い込まれていく
「『不変箴言』!!!」
瞬間、マキシムの身体から噴きあがる理力がその規模と神々しさを増し、その場にいた全員の知覚と存在を圧倒する
(……神威級神器)
その力――神位第六位にまで匹敵する神格の力を得たマキシムを見た大貴は、その力を得た理由を理解して左右非対称色の瞳に険しい色を滲ませる
天支七柱の長であるマキシムは、最も神格の高い聖人。故にその存在は、他の世界の王達と同様に、神の力を得る神器の寵愛を受けている
神器を複数発現し、光闇いずれにも属さない異端の存在である愛梨であるからこそ、世界を守るべく王の誇りを以って「神威級神器」と呼ばれるそれを発動させたマキシムは、神に等しい領域にまで至った光の力を纏って荘厳に佇む
「『天征七煌剣』!」
さらにそれに続いて力を解き放ったマキシムの力が、その存在を投影した戦う形となって具現化する
マキシムの力が具現化して生まれたのは、磨き上げられた白金色の刃に金色の柄を持つ両刃の大剣。質素だが、荘厳で洗練された身の丈にも等しい巨大な剣が全部で七本同時に顕現する
その内の一振りはマキシムの手に。そして残る六つの剣は、まるで翼のようにマキシムの背後に滞空していた
「……! あれが、噂に名高いマキシムの武器か」
七本一対の大剣を顕現させたマキシムを見て独白したラグナが、その双眸を鋭く細める傍らで、愛梨はその理力に宿る純然たる滅意を知覚して寂しげな表情を浮かべる
「マキシム様」
「言ったはずだ奏姫。揺るがぬ信念は強く美しい。だが、信念を通せば通すほど、その周りにいる者はそれに己の意思を重ねてくれる者と、拒絶する敵しかいなくなると」
戦いを望んでいないその胸中を何よりも雄弁に物語る愛梨の表情を瞳に映したマキシムは、それに動揺することなく強固な意志を以って答える
「私もお答えしたはずです。私は分かり合うことを求め続けます、と」
かつて遠い昔に交わした会話を思い返し、自身を一刀の下に断じて見せたマキシムに、愛梨はその時と全く同じ、そして変わらない答えを返す
「『神魂装載』!」
愛梨の澄んだ声に応じるように頭上に顕現したのは、金色の環輪。宝玉をちりばめられた光輪の如き金環は、冠のような形状を以って愛梨の頭上に浮かんでいた
愛梨の頭の直径よりも大きな金冠が展開した瞬間、その神格が一気に高まり、神位第六位と同等以上までに高められる
「光魔神様。私達は、彼ら聖人界が聖浄匣塔の最下層に、他の世界を欺いて幽閉したあるお方に会いに来ました」
「……!」
神威級神器を発動し、その力を神の領域にまで昇華させた愛梨の言葉に、大貴は十世界がこの場に留まってったく理由を理解して目を細める
「我らは、法に反したことはしていない。世界の裁判権は各世界が有する。――我らは、聖人界として世界の法に照らし、公正な法の裁きを下しただけだ」
「世界を欺いて」という部分が誤解を招くと考えたワイザーは、それを否定するために即座に声を上げて愛梨の言葉を打ち消す
聖人界の方は九世界の法と同じ。そして、各世界での裁量権は各世界に準拠するというのは、九世界でも認められていることだ。
例えば悪魔が罪を犯した場合、魔界が裁くのではなく、それを捕らえた世界が量刑を下すことができるということ。それは、犯罪を犯した者は自身の所属する世界から逃げ、別の世界に行く可能性が多いにあり得るからだ
特に留置、拘留などが行われることが少ない全霊命の世界ではそれが顕著であり、その存在が所属する世界ではなく、その人物を殺す世界が裁く――それが、この世界の常識だ
「我らの正義を貶めるか奏姫!」
「そうではありません。ですが、あなた方が彼女の事を世界に隠しているのは事実であるはずです」
激昂し、怒りを露にするワイザーの言葉を否定した愛梨は、しかし紛れもない事実を告げて己の義を示そうとする
「私は――」
「やめろ」
再度刃を交えた論戦の火蓋が切って落とされそうになるのを重厚な声音で打ち消したマキシムは、神の領域へと至った神能と己の武器である七剣一対の剣を携えて前へ歩み出る
「退け、奏姫。もはや我らに交わすべき言葉はない。――どうしてもというならば、力ずくで押し通るがいい」
「マキシム様……」
手に持った一振り、背後に浮かぶ六本の大剣の刃の切っ先を一斉に向け、静かに言い放ったマキシムの言葉に、愛梨はその美貌を心が届かない悲痛な思いに歪める
終始欠片もない戦意に加え、分かり合えない想いに心を痛めながらも一歩も退かない愛梨は、諦めることなくその場に立ち続ける意思を存在そのもので示す
「――ったく、全く話が見えやしねぇ」
そのやり取りを見ていた大貴は、一触即発の空気を前にしてその手の中に一枚の板を顕現させると、それを太極の力に取り込む
「それは、真紅さんの……」
全ての力を合一する神力の権能によって、神器「界棋盤」を取り込んだことで、その力を神の領域に匹敵するほどまで高めた大貴に、その場にいた全員の意識と知覚が向けられる
その身体から噴きあがる純黒と純白が同在する力を纏わせた太刀を突きつけた大貴は、その場にいる全員に向けて声を上げる
「とりあえず剣を下げろお前ら。こんなところでやり合って、街を消し飛ばす気か!?」
神の力も神能同様に破壊対象を限定することができる。だが、神の領域に至った者達が全力で戦ってここが無事で済む保証もない
この場で神の力を使った全面戦争になるようなことは避けたい大貴が言うと、それをマキシムの重厚な声こ打ち消す
「それなら、心配には及ばない」
「これは……!?」
それと同時に発現した空間隔離が、一瞬にして世界を切り取ったこの場にいる全員を神能で作られた世界へと取り込む
「これで心置きなく戦えるだろう?」
空間隔離を発動させたマキシムの言葉を聞いて表情を引き攣らせる大貴に、背後からリリーナが申し訳無さそうに声を挟む
「聖人は、意思とは別に力を発動させ続けることができます。ですから、空間隔離にも私達のようなリスクがないんですよ」
神格の及ぶ限り望むままに現象と事象を顕現させる神能には、その力を発動させ続けるために意識と力を常に振り割っていなければならないという欠点がある
これまでも、神魔やクロスをはじめ、多くの全霊命達が結界や空間隔離を発動させてきたが、その力を維持し続けるために意識と力を傾けたことによる戦闘力の減退に悩まされることは珍しくなかった
だが、聖人にはそれがない。九世界を総べる八種の全霊命の中で唯一意識から離れた力の効果を発現させ続けられる聖人にとって、多くの全霊命が持つ力の使用に対するリスクは存在しえないのだ
「――ッ」
(こっちが、戦いを終わらせようとしてるってのに……)
神威級神器を発動させたうえでの空間隔離ならば、十分に神の力を持つもの達の戦闘に耐えることができる
このまま戦いを終わらせようと考えたていた大貴は、「余計なことを」と言いたくなる心情を押し留めて太刀を握る手に力を込める
「……あんたたちは下がってろ」
このままではマキシムと愛梨と自分――神位第六位の力をもつ者達による三つ巴の戦闘を避けられないと考えた大貴は、苦虫を噛み潰したように言って、ウルト達に退避を促す
他の状態ならばいざしらず、神の力がぶつかり合う戦場においては足で纏いにしかならにことが分かっているウルトとリリーナは、大貴の言葉に小さく目礼して距離を取る
「じゃあ、ここは任せるよ」
「神魔?」
ウルトとリリーナを筆頭に、クロス、マリア、瑞希が移動を始めるのを見た神魔は、一言声をかけるとその一群から離れていく
「わたくしも失礼させていただきます」
神魔が距離を取ることを訝しんで声を発するクロスの横を、清楚な声を残して桜が横切っていくと、瑞希が柳眉を顰める
「桜さん?」
桜色の髪を揺らめかせ、先を行く神魔に追従した桜は、遠ざかっていくクロス達を知覚の隅で捉えながら、いつものように最愛の人の傍らに淑やかに移動する
大貴、愛梨、マキシム――神の力を発現した者達の戦いに巻き込まれないように十分な距離を取った神魔と桜の前に、先んじてこの場所へ移動していた人物が声をかける
「久しぶりだな」
「……そうですね」
両手を組み、自分たちを出迎えた黒髪金眼、二本角の悪魔――「死紅魔」の言葉に、神魔は他人行儀な敬語を持ちいて硬質な声音で応じる
これほど離れていても神器の力は有効であるらしく、「祝神鐘」によって高まった神格は原在と同等以上の力を有していることを知覚に訴えかけてくる
「……そっちは?」
数えきれないほどの年月を経て再会した神魔と視線を交錯させた死紅魔は、その視線を斜め後方に淑やかに控えている桜に向ける
「お初にお目にかかります。桜と申します」
死紅魔に声をかけられた桜は、たおやかな所作で深々と頭を下げて、最愛の人の父に最大級の敬意と礼を尽くす
「僕の一番大切な人だよ」
それを背で感じ取った神魔が簡潔に桜の紹介をすると、死紅魔は、それについて何一つ言及することなく嘆息する
「そうか……やはり、俺が愚かだった」
失望感を露にした声で呟いた死紅魔の言葉を聞き逃さず、わずかに眉をひそめた神魔は、感情を押し殺した平淡な声で語りかける
「一応聞いておくけど、僕がいるのを分かってて距離を取った理由は何? そんなことをすれば、僕がこうするって分かってたでしょ?」
神魔がこの場所へ来たのは、死紅魔が一人この場所へ移動したのを知覚したからだ。誘っているとしか思えない動きをして自分を呼び寄せ、この状況をあつらえた理由を尋ねた神魔に、死紅魔は感情の機微のない平淡な声音で応じる
「決まっているだろう?」
その声と共に、自身の身の丈にも及ぶ片黒刃の大剣を手の内に顕現した死紅魔は、それを軽く振り抜くと金色の瞳で神魔を射抜く
「お前を殺し損ねた己の罪を精算しに来た」
父からの殺滅宣告を受けた神魔は、背後で息を呑む桜とは裏腹に、それを純然たる殺意に彩られた瞳で受け止める
「そう。昔の僕とは違うってことを見せてあげるよ」
その手の内に両黒刃の大槍刀を顕現させた神魔は、実父である死紅魔の殺意に滅意で応じて暗黒色の魔力を放出する
「桜!」
これまでの戦いを潜り抜け、死線を超えて高められた今の自分の魔力でも、神器で強化された死紅魔の力には及ばないことが分かっている神魔は、背後に控える伴侶を呼ぶ
「はい」
それだけで――否、そんな言葉などなくとも、神魔が求めていることを十分に分かっている桜は、父と殺し合おうとしている伴侶を止めるともせず、その心を汲んで求めるままに魔力を解き放つ
『魔力共鳴!』
契りを交わし、魂から結ばれあった伴侶だけに許された力の共鳴によって相乗的に高まった神魔と桜の魔力は、原在と比べてさえ遜色がないほどの領域にまで至っていた
(まさか、これほどまでとはな……)
肌を打つ二人の魔力を知覚する死紅魔は、共鳴する力の中心にいる神魔と桜を見比べて心中で思案する
(共鳴でここまで力が強くなるというのは、よほど相性がよくなければならないはず……)
その目を細めた死紅魔が映すのは、神魔と魔力を共鳴させる桜の姿。その武器である薙刀を携え、淑やかに佇んでいるその姿に、死紅魔はその意識を集中させる
神能の共鳴は、深い男女の関係を結べば可能だが、誰もが同じように強くなるわけではない。互いの存在の相性によって、共鳴による力の上昇幅は異なり、仮に同じくらいの強さを持つ者が共鳴をしても、今神魔と桜が発している力に至ることができる者達はほとんどいないだろう
しかも、神能の共鳴はどちらかが強すぎたり、弱すぎればその影響が露骨に現れてしまう力でもある。
故に神魔と桜が原在のそれにさえ匹敵しうる神格へと強化されるためには、互いの神格が限りなく近く、その力と存在の相性がいいことが必要不可欠だ
(いや。共鳴としては、破格の性能だ)
これ以上ないほどに相性のいい伴侶を連れた神魔を見る死紅魔の険しい表情は、その事実を理解しながらも、そのことを歓迎していないことを雄弁に物語っていた
「不躾ではございますが、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
漆黒の片刃大剣を持ち、戦意を研ぎ澄ませる死紅魔を神魔の隣で見る桜は、共鳴する魔力で高まる神格を感じながら、厳かな声音で口を開く
「……『お義父様』と、お呼びしてもよろしいのでしょうか?」
男を立てる貞淑な性格をしている桜は、最愛の人である神魔の実父である死紅魔に対する最大の敬意を示すために、他人行儀な呼びかけをしないための許可を求めてのことだ
そしてそれは、死紅魔に対してだけ向けられたものではない。実父だからとはいえ、因縁のある死紅魔をそう呼んでもいいのかという神魔への確認の意図も含んでいる
「――……」
それに対する神魔と死紅魔の沈黙を了承、あるいは黙認と判断した桜は、その魔力を染め上げていた純然たる殺意を和らげて言う
「では、お義父様。あなたの事は、神魔様からお聞きしております。何か、理由があるのでしたら、今ここで仰っていただけませんか?
わたくしといたしましては、お二人が戦わずに済むのでしたら、それにこしたことはないと考えておりますので」
神魔と死紅魔の関係は桜も十分に知っている。だが、いかに過去に因縁があるとはいえ、最愛の人とその父が殺し合うのを見たくないというのも桜の心からの思いだ
神魔と死紅魔ではこの話題を切り出すのは難しいと判断した桜は、あえて二人の殺意に対しる疑問の言葉を投げかける
かつて、死紅魔が神魔を殺めようとしたのには、何かのっぴきならない事情があったのではないか。分かり合い、仲直りする余地はないのか――今ならば、取り戻せるものや、やり直せることがあるのならばと、あえて私見と希望を述べる
「理由? そんなことは決まっている」
心中を見透かそうとするようにまっすぐに己へと注がれる桜の視線を受け止めた死紅魔は、向けられたその言葉を鼻で笑ように答えると、射る様な金瞳を神魔へと向ける
「そいつが、この世界に存在してはならないものだからだ」
死紅魔から返された言葉と視線、そしてその魔力に宿る殺意が微塵も揺らいでいないのを知覚した桜は、沈痛な面持ちで目を伏せ、やがてそれらを振り払うように淑然とした淑貌で答える
「そうですか。やむを得ませんね」
下げていた武器を構え直し、その力に純然たる殺意を乗せた桜の言葉を聞いた死紅魔は、片刃の黒大剣に魔力を纏わせてその視線を神魔へと視線を映す
「何か言い残すことはあるか?」
「そっちこそ」
淡泊な問いかけに嫌味を乗せて答えた神魔は、準備運動をするかのように片手で風車のように回していた大槍刀を握り直し、純黒の闇を放出させる
「生憎だが、こちらにはない」
「僕もだよ」
戦意を漲らせ、抑制された声で言う死紅魔に応じた神魔は、穏やかな口調とは裏腹に研ぎ澄まされた殺意に彩られた冷淡な視線を向ける
「なぜなら――」
その言葉を合図にするように、神魔と桜、そして死紅魔の姿がかき消える
「死ぬのはそっちだ!」
次の瞬間、時間と距離の概念を滅ぼす神速で移動した神魔と桜、死紅魔の斬撃がぶつかり合い、強大な黒の力が渦を巻いた