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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
196/305

理想と正義(前)




 天の頂に鎮座している神臓(クオソメリス)の月の輝きがその強さを増し、夜の帳を切り払って朝をもたらしてきた頃、聖人界の中枢「聖議殿(アウラポリス)」の門の前には、自身の武器を手にした二人の聖人が門番として佇んでいた

 九世界で最高の法治世界である聖人界、その中枢を守護するという大役を任された誇りと責任を胸にして聖なる領域へと通じる門扉を守っていた二人の聖人の前で、時空が歪む


「――っ! これは……」

「時空転移か」

 空間を歪め、異なる世界同士を繋ぐ道が開いたのを見て武器を構えた二人の聖人の前に、緑の大地を踏みしめる無数の影が出現していた

「あ、あれは……っ」

 聖議殿(アウラポリス)の敷地から十メートル程離れた場所に出現したその無数の影を見た聖人の門番たちは一様にして驚愕を露にする


 そこに現れたのは、性別も種族も異なる五人の人物。天使、堕天使、悪魔が二人、そしてその四人の男に守られるようにして中央に立つのは、光、闇いずれにも属さない性質の力を持つ異端の存在たる見目麗しい女性だ

 腰まで届く白みがかった金色の髪に、祭礼のそれに似たドレス調の霊衣に身を包んだその女性は、全霊命(ファースト)特有の現実ば離れした美貌に穏やかな笑みを浮かべていた


「このような形での来訪、ご無礼いたします。私は十世界盟主を務めさせていただいている愛梨と申すものです」

 後ろにいる四人の男達に先んじてゆっくりとした足取りで警戒心と敵愾心を露にしている二人の門番へと無防備に近づいた金白色の髪の女性――十世界盟主「奏姫・愛梨」は深々と一礼して名乗ると、慈愛に満ちた微笑みで語りかける

「早速で申し訳ございませんが、界首シュトラウス様にお取り次ぎ願えますか?」

 武器を構え、臨戦態勢を取っている二人の門番の前でなんら臆することなく無防備に立つ愛梨は、澄んだ透明な瞳でまっすぐにその誠意を訴えていた


 聖議殿(アウラポリス)の守護を任されている聖人たちは、己に向けられる敵意や殺意を感じていないはずなどないというのに、あまりにも自然にそこにいる愛梨の姿に気圧される

 今の愛梨は、例えるならば業火の前に咲く一輪の花。いつその炎と熱がその身を焼くのか分からないというのに、抜身の刃の前に身を晒す愛梨には恐怖どころか防衛や自衛の感情さえも微塵も宿っていない


(なんだ、こいつは……っ)

(なぜ、刃を取らない? なぜ、敵意を向けられて自衛をしない? 後ろの連中を信頼しているからか……!?)

 片や、今にも滅びを与えんとする殺意。片や死や戦いとは無縁とも思える穏やかな慈愛。対面していながら、全く相容れない感情を抱いている者達がにらみ合い、世界を二つの感情に分けていた

 だが、そうしていながら、自分達に向けて普段となんら変わらない慈愛に満ちた視線を送ってくる愛梨に、二人の聖人は戦慄さえ覚えていた

「あの……」

 いつまでも二人の聖人の門番が何の反応も示さないことに首を傾げた愛梨は、了承であれ拒否であれ、せめて何らかの返答を求めて声をかける

「姫、心配ない。そいつらは門番だからな。とっくに報告をしているはずだ。しばらくここで待っていれば、何らかの反応がある」

 そのやり取りを背後から見ていた死紅魔(シグマ)が声をかけると、愛梨は武器を持った聖人から無造作に視線を外し、無防備に肩越しに振り向く

 いつ攻撃されてもおかしくない状況と立場であるにも関わらず、なんのためらいもなく死紅魔(シグマ)を見た愛梨は、二人の聖人に視線を戻して優しく目元を綻ばせる

「申し訳ありません。少し、配慮が足りていなかったようです」

 そう言って二人の門番に微笑みかけた愛梨には、すでに報告をしていることに対する不満のようなものは一切感じられない

 門番の聖人達から何らかの反応を期待していた愛梨は、それを返してくれないことに対して自身の至らなさを痛感したように目を伏せて、改めて言葉を紡ぐ

「私としたことが、あなた方とは初対面だというのに少々失礼が過ぎていましたよね。よろしければ、お名前を教えてください。そして、一緒にお話をしませんか?」

 強張らせた表情で武器と視線を向けてくる二人の聖人を見た愛梨は、花のような笑みを浮かべると握手を求めて手を差し出す

「私は対話による平和を望んでいます。そしてそれは、決して正義や法をないがしろにしようというのではありません

 ですから、語り合いましょう? 分かり合えるまで話し合いましょう。私達とあなたは必ず同じものを想い合えるはずです」

 皮肉や嫌味などではなく、純粋に心から親しい関係を築きたいと願って差し出されたその手に、二人の聖人達は無意識の内にその巨体を半歩後ずさらせていた

「く……ッ!」

 自分達でそれに気づいた二人の門番は、自身の胸中に湧きあがった感情をかき消そうとしているかのように歯噛みすると、手を差し伸べたまま笑みを向けてくる愛梨に鋭い視線を送る

(なにをしている? 目の前にいるのは、世界の法を脅かす存在であるはず)

(そうだ。今ここでこの女を討ち取れば、十世界との不毛な戦いも終わりを迎える……!)

 護衛としてついてきている者達を置き去りに、単身で眼前に敵意もなく立っている愛梨を見る聖人達は気圧されていた己の心を鼓舞する

「……」

 その存在から放たれる聖人の神能(ゴットクロア)――「理力」がその力を高めたのを見て取った死紅魔(シグマ)は、その目を鋭く細めて金色の瞳を険しくする

「残念だが」

「過つことを許し、それを認め合おうとすることを求めるなど愚の骨頂。正しくある者の正しさを侮辱する貴様のような者と交わす言葉は、我らにはない!」

 声を揃え、言葉を並べた二人の門番は、純然たる戦意に染められた理力を纏わせた武器を愛梨へと向けて力任せに振り下ろす

 正義の光を帯びた薙刀と槍が神速で振り下ろされるのを見ながらも、愛梨はその場を微動だにすることは無い


 時間と空間の介在を許さない神速の斬撃が振り下ろされ、輝ける光の力が相乗して大地にもう一つの光源を出現させる

 そこに宿っていた純然たる殺意がその神格のままに世界にその力を映し出し、生みだされた衝撃波が聖議殿(アウラポリス)の大地を舐めるように広がっていく


「――ッ!」

 しかし、その光を生み出した二人の聖人は自身の武器が振り下ろされた先へと視線を向けて息を呑む

 その刃を向けた対象である愛梨は、先程までと寸分違わぬ位置に立っている。しかし、その正面には、いつの間にか割り込んできていた黒髪の悪魔が、その攻撃を漆黒の刀身を持つ片刃の大剣で受け止めていた

「怪我は?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 万が一さえもないが、あえて肩ごしに視線を向けて訊ねた死紅魔(シグマ)に、愛梨は博愛の微笑を浮かべて応じる

(こ、こいつ……っ)

 片手で持った大剣で、軽々と自分達の攻撃を受け止める死紅魔(シグマ)を前に、二人の聖人は彼我の実力差を感じ取って表情を強張らせる

 聖人の体格に合わせて顕現されている巨大な刃を造作もなく受け止めている死紅魔(シグマ)を見る二人の聖人達は、黒髪と金眼、そして現在目の前で起きている事象に既視感を抱く

「――!?」

 死紅魔(シグマ)によって自分の攻撃を受け止められた姿に、昨日同じように自分の攻撃を受け止めた悪魔――神魔の面影を重ねた二人の聖人達に、愛梨が優しく声をかける


「あなた方の思いは確かに伝わってきました」


 愛梨が願いであり、十世界の理念となっている「恒久的平和」という言葉はただ優しいだけのものではなく、世界の法に認められず、認められないことにいじけた者達の戯言という一面も持ち合わせている

 例えば、異なる存在同士が愛し合うことや、混濁者(マドラス)はその最たるものだ。己を律することもできずに世界の法を犯したというのに、それを認められないからという理由で法を否定するような考え方を認められないのもまた真理であり、世の常だ


「確かに、正義の前では私の言葉や願いでも悪になってしまうのでしょうね」

 刃を離し、死紅魔(シグマ)から距離を取った二人の聖人が武器を構えるのを見ながら、それでも普段と変わらない笑みをたたえた愛梨は、どこまでも慈愛に満ちた声で語りかける

「正しくあろうとすることはとても尊いことです。ですが、それと同じだけ難しいものでもあると思います。世の中はこういうものだから、こういう法律だから――それで全ての物事を納得させてしまっては、いけないと思うのです」

 自身の心に触れるように胸に手を当て、一言一言を噛み締めながら言う愛梨は、まるで聖母のような表情で二人の聖人に訴えかける

 正義を否定せず正しいと認識しながら、それに疑問を投げかける愛梨は、聖人達の自らの思想を否定する意思を肯定しながら模索の道を選ぶ


「ですから、話し合いましょう?」


 手を取り合いたいという意思を示すためにそっと手を差し伸べた愛梨は、穏やかに微笑む


 今目の前にいるのは門番という大役を任せられているとはいえ、一介の聖人でしかない。仮にこの二人と話しあえたとしても何一つかわることはないだろう

 しかし愛梨は、目の前にいる全ての人々と分かり合おうとすることを惜しまず、言葉を交わすことを怠らることはない


「正義と正しさを守りながら、少しでも人に優しくあれるように。一人でも多く――そして、最後には全ての人が笑って過ごすことができる幸せな世界を。

 それは私だけでは作れないものです。ですから、私にあなた達が持つ正しさや考えを教えてください。――まずはそこから始めましょう?」

「――……」

 慈愛と博愛に満ちた笑みを浮かべ、手を差し伸べた愛梨の姿を見た二人の聖人は、武器を握る手に力を込めて鋭い視線を送るのだった





 愛梨が聖人界に降り立つ少し前、この世界の中枢である白亜の街城――「聖議殿(アウラポリス)」の中にある議場では、百人を超える聖人達が円形の会議場の中で対話を重ねていた


 聖人界の中央議会は、聖議殿(アウラポリス)の中に在る聖議会場の中で行われる。理力によって作られた荘厳な造りの円形の議場には、ただそこにいるだけで感じられる重厚な空気が満ち満ちており、この場所に世界の命運を決める運命が収束している重さを表しているかのようだった

 神殿を思わせるその議場の入り口正面中央には、王冠を模したような玉座が置かれ、そこにはこの聖人界を総べる界首にして、聖人界の議会を束ねる役割を持つ「シュトラウス」が座っている


 そこから見える真正面には、ミスティル率いる「法党院(ケントルム)」。右側にはオーヴァン率いる「軍党院(デクストラ)」。左側にはヘイヴァンス率いる「民党院(シニストラ)」に属する者達が集まっている

 この場にいる聖人達こそ、全霊命(ファースト)達が支配する世界の中で唯一議会制民主主義を敷く聖人界を動かす議員達。聖人界各所にある街ごとに選ばれ、彼らの代表として、責任と誇りを胸に抱く代弁者達だ


「――では、これを以って外縁離宮監視役『ラーギス』から提供された情報に対する対応の決議とする」


 玉座を思わせる演説台の前に立ち、会場にいる全員を見回したシュトラウスは、厳かな声でそう締めくくる


 聖人界は議会制民主主義を敷いているが、そこで交わされる議論の内容は、半霊命(ネクスト)などが行うそれとは少々異なっている

 全霊命(ファースト)は衣食住を必要としない。また、九世界の一角である聖人界が遵守する法は神の理にほぼ準じているため、政治的な意味においてほとんど議論する内容もない

 そのため、以前界首だったウルトが、聖人界の在り方を問い、変えるために聖人界の行動や法理念を他の光の世界と同程度にするべきだと主張したような案件は、滅多にあるものではない


 故に聖人界の議会では、なんらかの事案に対して聖人界がどのように対応するのか、その総意を決める審議することが多くなる。

 そして、聖議会を総べる界首たつシュトラウスの役目は、三つの党派、合計百人を超える議員達が重ねてきた議論と意見を踏まえてそれを一つに束ね、多数決を以って採決されることだ


「皆のおかげで、今回も良き議会を行うことができた。深く感謝を申し上げる。では、これにて今回の聖議議会を閉会する」

 とある議題についての会議を終え、界首として議員を務める者達に感謝の言葉を述べたシュトラウスは、会議の終わりを告げて玉座に腰を下ろす

「ではオーヴァン殿。決議に従って、早急に準備をお願いしますね」

 議会が終わり、誰もが緊張感を緩める中、三つの政党の一つ「民党院(シニストラ)」を預かる党主――「ヘイヴァンス」は、一言述べると、その視線を両腕を組んで座している白髪白鬚の男へと向ける

「そのようなこと、貴様に言われるまでもなく分かっている」

 自身に注がれるヘイヴァンスの切れ長の目の視線に鼻を鳴らした「軍党院(デクストラ)」党首「オーヴァン」は、突き放すように言い放つ


 細身で貴族然とした優美さを持つヘイヴァンスとは対照的に、褐色の肌と筋骨隆々とした肉体を持つオーヴァンはまさに武闘派という印象がある

 民党院(シニストラ)軍党院(デクストラ)、そして法党院(ケントルム)は平等と公平を期すために定期的にそのメンバーをランダムに入れ替えている。

 そのため、三つの党派間での柵や繋がりはほとんどないのだが、初代聖人界界首の時代から議会に名を列ね、一度も落ちたことのないオーヴァンとヘイヴァンスは犬猿の仲といえるほど個人的(・・・)に仲が悪いことは、聖人界でも良く知られている


「相変わらずだなあの二人」

 議会に座る者達が、もはや見慣れたオーヴァンとヘイヴァンスのやり取りを見て苦笑じみた声を漏らして笑い合う

 仲が悪いとはいえ、敵対しているわけではない。とことん馬が合わないとしか言いようのない二人が小競り合うのはいつもの事。度が過ぎれば、界首(シュトラウス)の護衛を務める「ワイザー」や、法党院(ケントルム)の長であるミスティルが諌めることをこの場にいる誰もが知っている

「二人とも、そのくらいで――」

 それを見ていたシュトラウスが口を開いたその瞬間、この議場にいる――否、この聖議殿(アウラポリス)に住まう全ての聖人達が、それを知覚してその表情を険しくする


「ッ!?」


「この力は……」

 街の外に出現した理力とは違う無数の神能(ゴットクロア)に、腰を浮かせた聖人達はその表情に驚愕や怒りなど多様な感情を浮かべて深刻な声で言う

「馬鹿な、奏姫が自らやってきただと……!」

「いつ以来だ!?」

 聖人界の中枢たる白亜の街城の外に、奏姫を含む五人の全霊命(ファースト)が出現したことを察した議場は、無数の囁きが重なり合って生じた大きな喧騒に包まれる


 以前十世界の盟主である愛梨は、聖人界に世界の恒久的平和を実現する対話のために聖議殿(アウラポリス)にやってきたことがあった

 当然その際は聖人界が総力を以って十世界を撃退し、以来奏姫(愛梨)がやってくることはなかったため、聖人界はそれに驚きを覚えずにはいられなかった


「皆、落ち着くのだ」

 議場を包む喧騒を、厳かな威圧感を込めた一言で鎮めた聖人界界首「シュトラウス」は、一身に集めた同胞たちの視線に力強い声音で答える

「ここで十世界の盟主を討ち取れば、世界の法と秩序は守られる……ならば我々がすべきことは一つのはず」

 固く握りしめた拳を見せつけながら議場の聖人達の意識を集めたシュトラウスがそう訴えかけると、この場にいる者達の意識にそれに賛同する意思が波及していく


 十世界は九世界にとって脅威となる力を持っているが、同時にその組織が盟主である愛梨一人の人徳によって成り立っていることも知られている

 愛梨を失えば、十世界は空中分解することを免れないだろう。そうなれば、九世界の脅威が一つ減ることになる。

 聖人は聖議と法に対して厳格ではあるが、決して独善的ではない。――仮にその結果、闇の全霊命(ファースト)を守り、助けることになるとしても、現状では九世界の法と秩序の維持のために十世界を排することを優先するほどには。


「お願いできますか? 天支七柱の皆さま」

 そう言って議会を構成する聖人達の意思を束ねたシュトラウスは、その視線を自身の背後、真正面にいる二人へと向ける

 神から生まれた最初にして最強の聖人「天七支柱」の一角――「ワイザー」と「ミスティル」。今この場にいる最強の聖人へ向けられたシュトラウスの言は、訊ねる形をとっているが半ば決定事項として当人たちを含めた全ての者の耳に届いていた

「是非もない。行くぞ『ミスティル』」

「――……」

 シュトラウスの背後に護衛のように佇んでいたワイザーが口を開き、視線を向けると正面で議席に座っていたミスティルがゆっくりと立ち上がった





「……まぁ、想像はしてたけどよ」

「なんで嬉しそうなんだお前」

 口端を吊り上げて気だるげな言で言った紅蓮だったが、その顔が歓喜に彩られているのを見て天使シャリオはその言葉に隠された真意を見抜いて呆れたように言う

 戦う機会が訪れたことを心から喜んでいる紅蓮の姿にため息をつきながら視線を動かしたシャリオは、聖議殿(アウラポリス)の門を開いて出てきた三人の姿を双眸に映す

「天支七柱――『ワイザー』、『ミスティル』、『ツェルド』か……『マキシム』と『ビオラ』は来ていないんだな」

 その視線に答えるように、愛梨の背後に控えていた死紅魔(シグマ)が、門の中から現れた三人を見て険しい表情を浮かべる

 聖議殿(アウラポリス)の中から現れたのは、三人の聖人。拮抗するその桁外れに強い理力が、三人全員が天支七柱であることを、何よりも如実に物語っていた


 一人は界首護衛を務める「ワイザー」。もう一人は聖人界議会の一角法党院(ケントルム)を束ねる長たる美女「ミスティル」

 そしてその二人と現れたのは、「ツェルド」という名を持つ天支七柱に名を列ねるワイザーより筋肉質な肉体を持ついかにも屈強そうな大男。

 鋭い眼光を抱く双眸が特徴的な精悍な顔立ちに、鎧と一体となった毛皮風の霊衣を纏い、藍色の長い髪を後頭部で束ねた形――いわゆる総髪(そうはつ)にしたその姿は、狩人のようでも野武士のようでもあった


「貴様らを退けるのに、全員(・・)が出張ってくる必要はない」

 何の気なしに独白した死紅魔(シグマ)の言葉に、ワイザーがその眼光を鋭くして抑制された声で言い放つ

(あァ、そういえば天支七柱は、二人死んでたんだっけな……)

 それを聞いていた紅蓮は、目の前にいる三人の聖人を見ながら心の中で漠然とそんなことを考えていた


 最強の聖人である天支七柱は、その呼び名の通りに全七人だった(・・・)。しかし九世界創世、そして聖人界が積み重ねてきたこれまでの歴史の中で二人が命を落としたため、今は五人しか存在していない


「おお……」

 聖人界が誇る最強の戦力たる三人の聖人が肩を並べているのを見た門番の二人は、畏敬の念に満ちた声を漏らし、勝利を確信した安堵の表情を浮かべる

 現在この場にいる十世界のメンバーの中で、原在(アンセスター)である天支七柱に勝てる者はいない。それが知覚で分かっているからこそ、撃退、あるいは征伐が可能だと考えるのは当然の事だった

「下がっていろ」

 一言で簡潔に告げ、二人の門番を下がらせたワイザーは、一歩前に踏み出すとそこで穏やかな笑みを浮かべたまま微動だにせずに佇んでいる愛梨を睥睨する

「奏姫・愛梨」

 倍以上も違う身長を持つワイザーに、低く抑制されていながらも押し潰される様な圧力がある声で呼びかけされ、睥睨される愛梨はそれに臆することなく恭しく一礼する

「はい。わざわざ起こしくださって恐縮です。此度は、ぜひ皆様と親交を深めるべく対話の席を設けさせていただきたく――」

「それは土台無理な話だ。貴様と話し合う余地はない」

 敬意と礼節を以って語りかけてくる愛梨の言葉を一刀のもとに切り捨てたワイザーは、その手の中に己の理力を具現化させて作り出した武器を顕現させる

 ワイザーの身の丈に半分ほど――愛梨の身長とほぼ同じ長さを持つそれは、刀と鉈を合わせた様な形状をしたいわゆる「蛮刀」などとよばれる形状をしていた

「だが、せめてもの情けに、久方ぶりにここへ来た目的位は聞いてやろう」

 蛮刀を軽く振るい、臨戦態勢に入ったワイザーは未だ武器を顕現させることもせずに佇んでいる愛梨に向けて言葉を投げかける

「いえ、本来なら全ての世界にお伺いさせていただきたいと思っているのですが、何分身が一つしかないものですから」

 その言葉を受けた愛梨は、小さく苦笑を浮かべて言う


 その性格上、愛梨は十世界の理念を実現させるために全ての世界に自分自身で訪問し、交渉を重ねたいと常々思っている

 しかし、それを許さないのが、十世界の側近たちだ。万が一がないように愛梨を守るため、その周囲を常に警護しているため、自由に動き回ることが難しい

 そんな側近たちの思いを汲み取っていることに加え、自分がしゃしゃり出てばかりいては、各世界に交渉役として赴いている各々の十世界員たちのことを信じていないようにも思えてしまうため、愛梨はおとなしくしているに過ぎない


「ですが、そういっていただけるのでしたら、僭越ながらお答えさせていただきたく思います――」

 仲間達の過保護で自由に動き回れないなどという皮肉は決して言わず、むしろ自分のために心を砕いてくれることに心から感謝している愛梨は、自身の胸に手を当ててワイザーの問いかけに答える

 普段は十世界のメンバーに任せている各九世界との交渉。以前追い返されてから幾星霜、今回に限って皆の制止を振り切り、護衛を最低限にしてまでも愛梨自身が訪れたその理由がその口から告げられる

「無論、これが第一の目的というわけではありません。私にとっての目的は、あくまでも皆さんとの真の友好を築くことです」

 前もって、目的方が目的ではないことをあらかじめ告げた愛梨は、その透明で透き通った双眸でワイザーを捉えて言う


聖浄匣塔(ネガトリウム)最下層(・・・)にいるお方に御目通りをさせていただきたく思います」


「――ッ!」

 愛梨の口から告げられたその言葉に、ワイザーばかりではなくそのやり取りを背後から見ていたミスティルとツェルドも目を瞠る

「誰から、それを聞いた……?」

 驚愕を浮かべた表情を険しいものへと変えたワイザーは、今にも斬りかかりそうなほどの覇気を放ちながら愛梨に言う

 硬質な語調で発せらえたその言葉は、抑制されていながらも、それをと問いただす強い追及の意思を帯びている

「それは、答えできません」

 しかし愛梨は、その問いかけに微動にせずワイザーと視線を交錯させて断言する

「そうか。だが、それは情報提供者がいると白状したのと同じだぞ」

 他の世界にも報告していない聖人界の最大機密(・・・・)を情報源を愛梨が知っている時点で、何者かが情報を流したことは明白。それを確信したワイザーは、蛮刀を構えて愛梨を睥睨する

「死ぬ前に、情報提供者の名前を言っておけよ」

「私には戦う意思はありません」

 純然たる戦意と殺意に彩られた理力を解放したワイザーの力によって、肌が焦げ付くような感覚を覚えながらも、愛梨は穏やかな声音でそれに答える

「私は対話をしに来たのです。是非とも力ではなく言葉で互いを分かり合いませんか?」

「言ったはずだ。それは不可能だと。――お前との対話は無意味だ」

 対話を求める愛梨の言葉を一刀のもとに断じたワイザーは、理力を纏わせた蛮刀をゆっくりとした所作で天高く掲げる

「姫!」

 無抵抗の相手を頃うのは矜持に反するからなのか、「戦え」と言わんばかりに緩慢だが、明確な殲意を込めた動きで蛮刀を掲げたワイザーに、背後にいた死紅魔(シグマ)達が武器を顕現させる


 死紅魔(シグマ)達の実力は確かだが、全霊命(ファースト)の最高位である原在(アンセスター)との神格の差は歴然。仮にその攻撃を受ければただではすまないのは明白だ

 しかし、そんなことは、死紅魔(シグマ)達の戦意をくじく理由にはなりえない。しかし、今まさに決死の覚悟で前へと出ようとした十世界のメンバーを手の動きで制止したのは、他ならぬ愛梨自身だった


「!」

 その動きに死紅魔(シグマ)達が二の足を踏んで動きを澱ませた瞬間、ワイザーは力任せに振るって神速の斬撃を放つ

 原在(アンセスター)としての神格を以って放たれたワイザーの斬撃が叩き付けられてそこに込められた理力の波動が天地を揺るがす


 ワイザーの刃に纏われた理力は、触れるもの滅ぼす全てを消し去る断罪の聖光。罪を裁き、咎を雪ぐ光を以って放たれた斬撃は、しかし愛梨が展開した神能()の結界によって阻まれていた

 結界に食い込んだワイザーの刃から迸る純聖の光は、今にも愛梨が展開した結界を破壊してしまいかねない力を纏って唸りを上げる


「……っ」

「地力で防ぐか……さすがは、神の巫女だ」

 その美貌にわずかに苦悶の色が浮かんだをの見て取ったワイザーは、その理力の力を高めてそのまま両断せんとして言う


 愛梨は光闇いずれにも属さない「異端の存在」であり、「神の巫女」と呼ばれる四姉妹の末妹。その神格は、原在(アンセスター)に匹敵するほどに高い

 それを知っていたため、ワイザーには攻撃を正面から受け止められたことに対する驚きはない。ワイザーのその言葉は、愛梨が神器を使わなかったことに対する皮肉混じりの賞賛だった


「だが、いつまで保つかな?」

 愛梨の神格より、自身の神格の方がわずかに勝っていることを知覚しているワイザーは、結界に阻まれて力の火花を散らしている蛮刀から理力の波動を噴き出す

「姫」

「大丈夫、です……っ、今、お話している最中ですから、少し待っていてください」

 それを見かね、参戦しようとした死紅魔(シグマ)達を結界の中から優しい声音で諭した愛梨は、その視線をワイザーに向けて、微塵も翳ることのない慈愛の笑みを向ける

「あなた達は、とても清廉で潔白な方々ですものね。私もよく色々な方に『理想論だと』言われてしまいます

 ですが私は、私の理想を夢物語で終わらせたくはありません。そのためには、それを成すための正しい道筋と行動が必要です」

 自身の結界がワイザーの攻撃の力によって軋む中、愛梨はその美貌に一抹の苦悶と九割の分かり合えない寂しさを浮かべて訴えかける

「私は願うばかりで、何もできません。神の巫女、奏姫などと言われても、世界に満ちる多くの悲劇や犠牲をどうすることもできない無力な女です

 そんな私がこうしていられるのは、私の夢を信じ続けられているのは、多くの方々が私に力を貸して支えてくださっているからです。まだ十世界(自分達)の中でさえ、志をまとめ上げることもできない私ですが、どうか皆さんの正しさを貸していただけませんか? そうすればきっと、一緒に誰もが幸せになれる世界を実現させることができるはずです」

 今にも結界を破壊してしまいそうなほどの力が荒れ狂っているにも関わらず、愛梨は引くどころか一歩前に歩を進めてワイザーに訴えかける

 結界が砕かれ、その力の直撃を受ければいかに愛梨といえどただでは済まない。最悪命を落とすだろう。しかし、自らの命を刈り取るかもしれない力の前に無防備に己の命を晒す愛梨の姿は凛然としており、否応なくこの場にいる者全員の視線と意識を集めていた


 理想は語っているだけでは実現しない。それを成すための行動と手段が必要になる。現状では、あくまでも言葉を重ね、心を交わし、皆で分かち合うというしかない。

 だからこそ、九世界の多くのものはそれを夢物語りだと鼻で笑い、十世界の中でさえそれを成すために愛梨の意思に背いて行動する者が現れているのだから

 無論愛梨もそれを十分承知している。だからこそ、いつも心を一つにする以外で全ての存在が幸福になれる世界を考え続けてきた。理想だけではない、現実性と法と正義が整った世界を。


「法と正義はとても大切で尊いものです。それを軽んじる気はありません。ですが、絶対に変えてはならないものではないはずです。今よりも、もっと優しく、今よりももっと幸せな世界の法を考えましょう」

 今にも結界を砕かれ、吹き飛ばされてしまいそうになる自分の身体を顕現させた杖を地面に突き立てて支える愛梨は、その心を言葉に乗せてワイザーへと伝える


 九世界の法は神の摂理――世界に最初からある理に限りなく準じているが、そうではない部分もある。そういった九世界の法は、世界の狭間にある円卓の神座№11「司法神・ルール」の直轄領である「九世界中立殿・大界議場(レディスレスタ)」で議論され、採択されたものが世界に通達されている

 確かに法は厳格でありべきであり、容易く人の意見に流されて変えてはならないものもある。だが、決して変えてはならないものでも、変えられないものでもない。人々が望むならば、その心の正しさを映し出すことができるだろう


「――……」

 その愛梨の言葉を受けたワイザーは、一瞬だけ眉根を寄せると結界に打ち込んでいた蛮刀を引く

 だがそれは、決して愛梨の言葉に耳を傾ける意思を持ったからではないということを、愛梨を含めたその場にいる全員がワイザーの理力に込められた純然たる殺意から理解していた


「お前の言葉は理想論だ。そして、正義と理想が相容れることは無い」


 淡泊に言い放たれたワイザーのその言葉と共に、物理的に現界した意思が時空間を揺るがすほどの力を持つ理力が蛮刀の刀身から放出され、そのまま容赦なく愛梨へと振り下ろされた




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