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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
195/305

静かな夜に





「お待たせいたしました」


 天井から吊り下げられた光源によって明るく照らし出されているのは、意匠を凝らされた巨大な門を眼前にするエントランスホール。

 ソファなどが隅に置かれ、十分この場所でもくつろげるとを表しているその空間に、敷き詰められた絨毯を踏みしめながらやってきたのは、この場所を拠点とする組織――「十世界」の長たる「奏姫・愛梨」。


 その背後に戦の神の眷属である「戦王(ブレイカー)」と、悪意の神の眷属である「先導者(ヘイト・アリーダー)」を連れ立って現れた愛梨は、そこに待っていた者達に穏やかに微笑みかける

 そこにいたのは、天使シャリオ、堕天使ラグナ、悪魔紅蓮に加えてもう一人――腰まで届く漆黒の髪に、頭部の両側から伸びる角を持つ、金眼の悪魔「死紅魔(シグマ)」だった


「いえ」

 一同を代表して、この中で最も組織内での位が高い死紅魔(シグマ)が応じると、そのエントランスの端にある柱に背を預けていた男が口を開く

「頼んだぞ死紅魔(シグマ)

 そう言って声をかけたのは、十世界に所属する悪魔達を総べる総督を任されている悪魔の原在(アンセスター)――皇魔の一角「ゼノン」

「ああ」

 ゼノンの声に一瞥を向けて死紅魔(シグマ)が答えると、同じく愛梨を見送りに来ていた天使の総督である「アーウィン」が不安を隠しきれない表情で言う

「姫、本当にこのメンバーで行かれるのですか?」

 光の存在として、これから向かおうとしている聖人界と聖人について良く知っているアーウィンがその身を案じて言うとそれを受けた愛梨が穏やかに微笑む

「これでも失礼なくらいです。私は対話に行くのですよ? 神や原在(アンセスター)の皆さんのような強い力を持つ方々がいては、ただの威圧になってしまいます」

 そう言ってこの場にいる十世界の同胞たちに視線を巡らせた愛梨は、自身の譲れないその考えとそれを遵守する強い意志が込められた声音で言う


 聖人界は拒絶するのではなく、十世界の言葉に耳を傾けようともしなかった。その事実がある以上、アーウィンをはじめとした多くの者達の不安も尤もなことだ。

 そして、その理由も愛梨は十分に理解しており、同時にそれだけ身を案じてくれる仲間達に申し訳なく思いながら心から感謝している

 だが、それでも愛梨は全ての世界が手を取り合う恒久的平和世界の実現という自身の理想と目的のために十世界の長としてこの選択を変えることはできなかった


「では、行ってまいります。ここの事はくれぐれもお願いいたしますね」

 穏やかに微笑んだ愛梨は、見送りに来た者達の視線を背で受け止めながら、待たせていた同行者兼護衛達――シャリオ、紅蓮、ラグナ、死紅魔(シグマ)の方へと歩いていく

「申し訳ありません。同行をお願いしてしまって」

「いや」

 そうやって四人の円陣の中へ足を踏み入れた愛梨は、その視線を前に向けたまま、隣にいる死紅魔(シグマ)に声をかける

余計なお世話(・・・・・・)でしたか?」

 聖人界に対話に赴くにあたって同行者を選ぶ際、自分を同行者に選んだ愛梨の意図が分かっている死紅魔(シグマ)は、その問いかけに金色の瞳を抱く双眸をわずかに細める

「――そろそろけじめ(・・・)をつけなければいけないとは思っていたからな」

 遠くを見ているような瞳に、どこか哀愁にも似た感情を浮かべている死紅魔(シグマ)の横貌を見た愛梨は、励ますように強く優しく声で語りかける

「大丈夫です。死紅魔(シグマ)さんの思いはきっと届きますよ。私も協力しますから」

「あぁ、そうだな」

 疑うことを知らないのではないかと思えるほどに、純粋で穢れのない無垢な瞳から信頼の視線を送ってくる愛梨に目を伏せた死紅魔(シグマ)は、どこか心ここにあらずといったような声音でそれに答える

「では行きましょう」

 その死紅魔(シグマ)の言葉に微笑んだ愛梨は、そこにいるシャリオ、紅蓮、ラグナの三人に声をかけると、自分達の進行方向に聖人界へと続く時空の扉を生み出した





 天の中心に座す神臓(クオソメリス)が月へと変わり、世界に夜をもたらす。その夜の帳に包まれた聖人界――その星光に浮かぶ白亜の外縁離宮では、各々が割り当てられた部屋の中で来界初日の疲れを癒していた

 ウルトが容易してくれた客室は、外縁離宮の中央宮殿内に一人一部屋。今日の事もあり、詩織を誰かと同じ部屋にするという考えもあったのだが、外縁離宮の中心にあるこの場所にはウルトしかいないこともあって、こうして一人で一部屋を借りている

 万一のことがないように、周囲の部屋には神魔達の部屋があるため、詩織もこの聖人界での初夜をこうしてそれなりに安心して過ごせていた


「はぁ」

 特に九世界を巡っていて、初めてあからさまな忌避の視線を向けられた詩織は、室内に腰を下ろしながら装霊機(グリモア)から取り出した軽食を口に含む


 元々食事を必要としないこともあり、全霊命(ファースト)の世界では歓迎の際に軽食や食事会を催すような文化がない。

 一介の半霊命(ネクスト)に過ぎない詩織は、生きるために食事をしなければならないため、こうして人間界を出るときにヒナが用意し、装霊機(グリモア)の中に収納しておいてくれた食料や、これまでの世界で手に入れたもので空腹を満たすことも珍しくない


「なんか、こう……凄い感じ。全部大っきいし……そういえば、子供の頃はこんな感じだったかも」

 九世界の料理に舌鼓を打ちながら、感慨深げな視線で周囲を見回した詩織は小さく独白する

 最初の対面の事もあって、聖人界、聖人という存在に対してこれまでに出会ってきた者達と同じように接することに躊躇ってしまう詩織ではあったが、まるで神話の世界に迷い込んでしまったかのように感じられるこの外縁離宮の室内には純粋な感嘆の息が出てしまう


 外縁離宮そのものが三メートルはある聖人の身体の大きさに合わせて作られているため、椅子もベッドも詩織から見れば一回り以上も大きい

 それは、とうの昔に忘れてしまったが、大人に合わせて作られた様々な物に囲まれていた子供の頃の生活にも酷似しているように思えるものだった


「でも、不謹慎かもしれないけど、この世界ではこれでいいのかも。この世界には十世界の人達がいないみたいだし、もしあの人達が来なければ、神魔さんや大貴が戦わなくてもいいんだから」

 装霊機(グリモア)から取り出した保存食で空腹を満たした詩織は、一心地つくとふと目線よりも高い位置につけられた窓から見える夜空を見る


 確かに聖人界は、ゆりかごの世界である自分達などに対して一切の御社のない厳しさがあるが、それが皮肉にも十世界を遠ざけている

 これまで十世界と戦い続け、傷ついてきた神魔や大貴の姿を見守ることしかできなかった詩織は、せめてこの聖人界では戦いのない日々を過ごしてほしいという願いを抱かずにはいられない


「いつも命をかけて戦ってくれてるんだから、せめてこの世界でくらいは平穏に過ごしてもらいたいな」

 そう言って目を細めた詩織の言葉は、ティーカップに注がれた紅茶の香りに(くゆ)られて白亜の室内に溶けていった




 一方その頃、同じく別の部屋に宛がわれた大貴は、今日の事の顛末を簡潔に人間界にいるヒナに向けて送っていた

「――って感じだな」

《そうでしたか。大変でしたね》

 人の神(大貴)と繋がり、意思の疎通を可能にする神の遺産至宝冠(アルテア)の力によって意識の中で対話するヒナは、神妙な声音で言う

《聖人の方々は良くも悪くも正しく厳格ですから。しかし、まさか詩織さんを殺めようとするとは思いませんでしたが……》

 聖人という存在について知っていた以上、ヒナやリリーナは悪意の眷属であるゆりかごの人間である詩織に対する敵意をある程度想定はしていた。とはいえ、実際はそれを超える形で聖人の特性を大貴達の目に焼き付けることになってしまったが

「前もって言っておいてくれたら楽だったんだけどな」

『申し訳ありません』

 あらかじめ情報を得ることで先入観を与えないようにするという配慮は分かるが、という声が聞こえてきそうな疲れた声音で言う大貴に一瞬の間を置いてヒナからの謝罪の言葉が送られる


 その謝罪の言葉は、半分は真実だが、残る半分はある意味で九世界側の思惑通りでもある。これまでの世界でもそうだったが、九世界の目的は光魔神(大貴)が十世界に取り込まれないようにしつつ、可能ならば自陣に引き入れることにある

 そのために最も簡単な方法は良い部分だけを見せ、九世界(こちら)に都合がいいように情報を吹き込めばいい。だが、九世界の者達はそれを良しとせず、世界の全てを包み隠さずに見せることで大貴自身の目と意思で決定することを求めている

 聖人に情報がない状態で接触させたのもそのため。世界の法と理を重んじ、正義を貫く。しかしその反面、他の世界に配慮しない独りよがりな正しさは多くの存在に疎まれてもいる

 そんな聖人や聖人界の在り方もまた九世界の一面。それは、これまでの世界で会ったよな、思想や理念、信念の違いによる争いとは違うもの。そして九世界が光魔神(大貴)に見せたいものでもあった


『光魔神様、聖人の方々にお会いになられていかがでしたか?』

 謝罪の言葉に続き、ヒナは通信を介して対話する大貴に向けて率直に聖人界、聖人という存在に対する感想を訊ねる

 ヒナが「大貴さん」ではなく「光魔神様」と呼ぶのは、一人の人間――一人の女性としてではなく、人間界王として話しているからこそのけじめによるものだ

「……正直苦手だな。悪いことじゃないとは分かっていても、どうも好きになれない」

 ヒナの問いかけに数秒の間を置いて返された大貴の声には、偽らざる本心と共に、どこか躊躇いにも似た感情が込められていた


 法は正しく遵守されなければならない。だが、法では見えない個人の価値があることも確か。聖人という存在は、それをはっきりと実感させてくれる者達もである

 法と心。どれもが正しく、しかし決して同じになることはなく、その正しさを同列に語ることのできないものが作り出すその歪さこそが、九世界が大貴に感じてもらいたいものだった


『そうですか……それは、あなたが純粋に聖人の方々を見て感じた大切な気持ちですから、なんら気遣われることではありません

 私も今は王という立場にあります。ですから、常に法と人を天秤にかけ、その幸福の形を探し続けているつもりです。それに答えがあるのか分かりませんが私はそれをあなたにも見て考えていただきたいと思っております』

 遠慮がちに答えた大貴の言葉に、ヒナはその言葉で自分の思いが伝わるようにと願いながら、一言一言噛みしめるように至宝冠(アルテア)を介して己の心を語りかける

 そのヒナの言葉を聞いた大貴は、その言わんとしていることを察して深刻な面持ちで自身の手の平に視線を落とす

(法と心……か。確かに、今まで戦ってきたのは、信念を貫く奴ばかりだったな。けどここでは、どう思うかじゃなくて、どうするべきか――目先の事だけじゃなくて世界全体の事にも目を向けないといけないのか)

 これまでの戦いの中で手にし、勝ち取って掴んできたものを数えるように左右非対称色の双眸で自身の手の平を見つめる大貴は、そこにこの世界で自分がするべきこと、見つけることを付け加えていく


 これまで大貴が戦ってきたのは、良くも悪くも己の信念に殉じる者達だった。守りたいもの、手にいれたいもの、変えたいもの――理想と願いを叶えようと戦う者達だったからこそ、正面から自分の思いをぶつけるだけでよかった

 だが、聖人界は違う。聖人界が掲げるのは、法という名の正義。世界に生きるあまねくものが縛られる理とは違うもの

 全員で同じものを共有する大義でもある正義は、ただ自分がどうしたい、という程度の思いで覆ることはなく、また覆してはならないものでもある。正義を否定するのは、個人の感情を否定するよりも難しく、その対応を常に考えなければならない


(……難しいな)

 ただ一人のためではなく、この世界全体のことを考えながら行動しなければならない、これまでとは違った自分の振る舞いを想像した大貴は、その考えを一旦思考の隅へと追いやる

「ま、この話題はそろそろやめておくか。俺の愚痴ばっかり聞いてもらうわけにはいかないからな」

 苦笑混じりにそう言って話の流れを変えようと提案した大貴に、思念通話の先にいるヒナは慌ててそれに応じる

『そんな、お気遣いには及びませんよ』

 その言葉を聞いた大貴は、軽く指でこめかみをかきながら、目の前にはいないはずのヒナから視線を逸らすようにして言う

「いや、まぁなんだ……いっつも俺が相談してばっかりだしな。たまにはヒナの事も聞きたいし、たまには他愛のない話だってしたいだろ?」

『……ぁ』

 その言葉に大貴の言わんとしていることを察したヒナの声が恥じらいを帯び、凛と澄んだ王の声が一人の女性のものに変わる

 至宝冠(アルテア)による思念通話のため、大貴にあその様子を窺うことはできないが、もし目の前にヒナがいたならば、真っ赤に染まった可愛らしい顔を見ることができただろう

「で、そっちはどんな感じだ?」

『はい。人間界の方は特別変わったことはありません。人間界王のお仕事にも少しだけ慣れてきましたし、次に大貴さん(・・・・)を迎えする時には以前よりもおもてなしをさせていただけるかと思います』

 それを言った大貴自身、照れて赤くなった顔でややぶっきらぼうな口調で話を話を振るが、それが照れ隠しであることは明らかだった

 だがあえてそれを指摘するような無粋なことはせず、ヒナは心の中だけで交わされる言葉のやり取りに心を傾ける

「ほどほどにしてくれよ。仰々しいのは好きじゃない」

『はい。あと、お料理も少しお勉強しているのですよ。お口に会うかわかりませんが、ぜひ召し上がっていただけたらと思います』

 もう一度人間界に帰ったときの歓迎を想像して苦笑を浮かべる大貴に、ヒナははにかむように乙女色の言葉で語りかける


 一見他愛もない惚気話で雑談でしかないように聞こえるその会話だが、そこには九世界を回りながら十世界と戦っている光魔神(大貴)の無事と性感を祈るヒナの切ない思いが込められている

 頻繁委ではないが、意識して思念通話をしているため、ヒナは大貴がこれまでの世界で経験したことを概ね把握している。十世界との戦い、反逆神(アークエネミー)との邂逅――その心と身体を案じるなというほうが無理な相談だろう


「ああ、楽しみにしてる」

 漠然とヒナのその思いを感じ取っている大貴ではあるが、それを追求することはせず、そう答えることで「必ず生きて帰る」という自身の決意を伝える

『はい』

 大貴の言葉に込められた思いを確かに受け取り、噛み締めるようにして答えたヒナは、そのかけがえのない尊い思いを胸の奥にしまい込む

 その優しく慈愛に満ちた声からは、ヒナが大貴に向けるただ一つの想いを透けるように見通すことができる

「ん?」

 そのヒナの声に、左右非対称色の瞳を抱く双眸を優しく細めていた大貴は、ふとその顔を上げて視線を巡らせる

『どうかされましたか?』

 大貴のその訝しげな声を至宝冠(アルテア)を介して聞いたヒナは、何かあったのかと不安めいた声で訊ねる

「いや、なんでもない」

 しかしその声の不安を振り払うように答えた大貴は、知覚で捉えたその人物に傾けていた意識をヒナに戻す


(――瑞希、か……)


 瑞希の魔力が部屋を出て離れて行ったのを知覚した大貴は、そのことをそれ以上意に介することなく、ヒナとの会話を堪能するべく言葉を続けるのだった




「――」

 基本的に眠らなくてもいいとはいえ、全霊命(ファースト)達も必要もなく夜に騒ぐ者は多くない。そのため、夜が深まるにつれて、大貴達が滞在する外縁離宮も静寂の支配が強まっていく

 そんな中、外縁離宮の中庭に佇む天に浮かぶ月を見上げているのは、この街城をその理力によって作り出した人物――先代界首でもある「ウルト」だった


「お久しぶりですね」


 街の中に流れる小さな泉の上に立ち、月に照らされるその姿を水面に映していたウルトは、空を見上げたままで口を開く

「ええ」

 その声をかけられたのは、泉に佇むウルトの背後。月光に照らされ、ほのかに輝いているようにみえる金色の髪の背後に、夜の闇を纏ったかのような漆黒の長い黒髪が揺らめく

「またこうしてあなたとお会いできるとは思っておりませんでした」

「私もです」

 三歩ほどの距離を取って瑞希が立ち止まったのを知覚したウルトは、ゆっくりと振り向いて穏やかに微笑みかける

 金と黒。夜の闇に浮かび上がる艶めく長い髪を揺らす二人の美女は、月の光によって洗練されたその美を泉に映して視線を交錯させていた

「こうしていれば、来てくださるような気がしていました」

 目元を綻ばせ、思念通話はおろか、事前の打ち合わせをはじめとした合図を何一つ送ることなく実現した二人きりの再会に感慨深く語るウルトに、瑞希は目礼することで謝意を示す

「お気遣い感謝いたします。あの場で知己の間柄だということを黙っていてくださって」

 こうして会話をしていることからも分かるように、瑞希はウルトともっと以前に面識がある。だがウルトは、大貴達と面会したときに瑞希との関係を語ることをしなかった

 そこに、ウルトの配慮があることを知っている瑞希がその気遣いに感謝の意を表するのは当然のことだった

あのこと(・・・・)は隠しておられるのですか?」

 主語や具体性を欠いてはいるが、それが何を意味しているのかを誰よりも分かっている瑞希は、小さく首を横に振って答える

「私が、前身(・・)の集まりにいたことは知っています」

 淡泊なその言葉は、瑞希とウルトが初めてであった時の事を二人の記憶にありありと思い出させるに十分なものだった


 瑞希は以前、愛梨と行動を共にしに、現在十世界と呼ばれている組織の前身となった集まりの中にいた「十世界初期メンバー」の一人だ

 互いに事情を知っているからこそ、今瑞希とウルトのその会話が成立しているのであり、なにも知らない者が聞いても抽象的過ぎて判断に困ることだろう


「そうですか……それを分かった上で受け入れてくださっているのなら、幸せなことですね」

 九世界に敵視される十世界の出身。ましてや、十世界と戦うために光魔神(大貴)達と行動していることを鑑みれば、それを分かって上で仲間として受け入れて貰えてるのは十分幸せなことだ

「どうでしょうか」

 ウルトのその言葉に、瑞希は自嘲しているようにもみえる笑みを浮かべて答える


 確かに大貴をはじめ、今行動を共にしている者達は瑞希が十世界の創立メンバーであることを知っている。

 だがそれは、以前に尋ねた妖精界で話さざるを得ない状況に追いこまれたからだ。確かに大貴達はそれを受け入れてくれているが、その間にあるものが信頼であると言い切れるかどうかは瑞希には判断しかねるものだった

 それでも、瑞希のその表情にはどこか柔和な温かも同居しており、瑞希自身が今の状況を決して心から悪いと思っていないことを読み取ることができる


「ところで気付いて(・・・・)おられますか?」

 瑞希が決して不幸の中にいるばかりではないことを察して、安堵するように優しく微笑んだウルトは、その柔らかな表情を硬質なものに変えて問いかける

「はい。この外縁離宮を監視する聖人の中に、あの時(・・・)の人がいますね」

 その問いかけが意味するところを分かっている瑞希は、自身に注がれるウルトの視線を真正面から受け止めて答える


 真剣な眼差しで問いかけられた瑞希は、 瑞希がこの外縁離宮を知覚した際に感じ取った無数の理力。その中には、瑞希と相互に面識がある聖人のものが二つ存在していた

 一つは言うまでもなく、今目の前にいる「ウルト」。そしてもう一人が、この外縁離宮を監視するように周囲の柱に陣取っていた聖人の一人だった


「一応、注意をしておいてください」

 凛とした麗貌の中で輝くその瞳には、特にそれに対する感情は浮かんでいない。憎んでいるわけでもなければ、好意を抱いているわけでもない

 なぜなら瑞希にとってその人物は、ただ接触したことがあり、面識があるという程度の存在に過ぎないからだ。だが、今は自分のことを(・・・・・・)知られている(・・・・・・)ということが問題であることも、瑞希には十分に理解できていた

「ええ。とはいえ、なにかをできるわけではありませんがね」

 注意を促された瑞希が、どこか達観しているような遠い視線を伏せるのを見たウルトは、「そうですね」と小さく呟いて同意を示す

「そういえば、(あららぎ)さんはお元気ですか?」

「――それは……」

 むかし話に花が咲いたことでふと過去を懐かしむ気持ちが強くなったのか、話題を変えたウルトに問いかけられた瑞希は、その麗凛とした美貌をわずかに翳らせる

 その瑞希の表情を見たウルトは、それで(あららぎ)が少なくとも芳しい状態ではないことを察してばつが悪そうに視線を逸らす

「すみません」

「いえ」

 不用意に踏み込んだ問いかけをしてしまったことを詫びるウルトに、瑞希は視線を伏せたまま小さく首を横に振る

 唇を引き結び、その柳眉を顰めて表情を強張らせた瑞希の横顔は、怒りや悲しみといった感情よりも、明言を避けようとしているような印象が感じられた

「思えば、私が聖人界のやり方に疑問を覚えたのは、あなたと(あららぎ)さんに出会ってからでした」

 瑞希の胸中を追及することなく、軽く天を仰いで空を見たウルトは、天の中心で輝く月に過去を幻視して独白する

「正義を掲げ、命を奪う。戦意がない者や身を寄せ合って生きている者達にさえ刃を向けて追い立てる……あの時私は、正義の持つ危うさを痛感したのです。そして、今のままではいけないと思うようになりました――結果はご覧の通りですが」

 かつて聖人界の界首として聖人達を率い、法という名の正義を執行してきた自分の行動と判断を思い返しながら、ウルトは沈痛な面持ちで目を伏せて自嘲混じりに言う


 法は誰にもでも平等であり、無慈悲で残酷だ。時にはそれが戦意がない者にさえ振り下ろされることもある

 その時、ウルトは自分達が守ってきた正義の持つ正しさ以外の一面を垣間見た。法や世界の正義を否定したいのではない。だが、ただ正しいだけでいいのかと自分の信じていた正義に一抹の疑念を抱いたのだ

 そして、それによって自分、そして聖人と聖人界のあるべき姿を見つめ直したウルトは、世界の在り方を変えようとして力及ばずに敗れた


「私は、兄についていただけです、あなたに賞賛される様な理想とも信念もありはしませんでしたよ」

 かつての自分を恥じるように言うウルトの言葉に耳を傾けていた瑞希は、小さく肩を竦めると謙遜しながら答える


 事実、十世界の創立メンバーの一人に数えられているとはいえ、世界の平和を求める気持ちなど瑞希にはなかった

 無論平和であればそれでいいと思っているが、愛梨や兄――(あららぎ)のように、手を差し伸べるだけの信念や理念があったわけでもなかった。ただ、今を……自分にとって居心地がいい場所と時間を守りたかったに過ぎない


「そうだとしても、です」

 自身の行動の原理を軽薄なものだとして自嘲する瑞希に、ウルトはその考えを否定してその行動と結果を肯定する

 瑞希自身の意思がどうであれ、その在り方が自分の意志を変えたことをウルトは誰よりも知っている。だからこそ、瑞希に対してその言葉を贈ることができた

「私自身も、私達聖人も己の存在と信念に従って正義を守ってきました。誰かに認めてほしかったわけではありませんし、見返りが欲しかったわけでもありません……でも、誰にも認められないというのもまた居心地の悪いものですね」

 天に向けていた視線を落としたウルトは、自分自身に問いかけるように透明な水面に映った自分の顔に語りかける


 法は様々な思想を持つ者達が社会という生活コミュニティを作るにあたって必要不可欠なものだ。そしてそれは神から生まれ、理を最も重視する在り方をしている全霊命(ファースト)であっても例外ではない

 たとえ他の世界や存在からはよく思われていなくとも、ウルトには法を守っていることに自負と矜持があった。

 事実今も昔も聖人達の行動は、法的にも理的にも正しい。だが、正しくあろうとすればするほど、他の世界の者達となにかが決定的に乖離していっているようにさえ感じられた


「そう……かもしれませんね」

 ウルトの言葉に同意をするように答えた瑞希の顔には、その心情を表しているかのような硬質な表情が張り付いていた

 それは、諦めにも似た嘆き。自分の置かれた状況も、世界の主流から外れ、罪を背負って贖罪の中に生きる生き方を受け入れるしかない瑞希の心そのものだった

「……もしかしたら九世界も十世界も同じなのかもしれませんね」

 その表情を瞳に映したウルトは、それを自身の心に焼き付けるように一旦瞼を落とすと、再度開いた双眸を瑞希に向けて優しく綻ばせる

「この世界には生きる者は、誰もが法と理の中でそれを胸に生きています。でも、全ての人がそれを守らなければならないことを分かっていながら、ごく一握りそれを守れない者がいる

 仮に十世界の理念が実現し、平和がこの世界を包んだとして、その時私達は誰もがそれに従っていられるのでしょうか?」

 優しく、寂しげに言葉を紡いだウルトは、その答えを問いかけるように天に浮かぶ月に視線を向けて夜天を仰ぐ


 この世界には十世界が求める様な平和はないが、平和を求める気持ちはある。そして、誰も世界という枠組の中で生きるための法とその正義を知っている

 法も、正義も、平和も、誰もが守らねばならない者だと知っているというのに、全ての人がそうすることができない。それは、光の存在も、闇の存在も、神に最も近い全霊命ファーストであっても例外ではない

 ならば、十世界が提唱するような恒久的平和は実現しうるだろうのか? 仮に十世界の理念が現行の世界の理に取って変わったとして、誰もがその平和を守り、そしてそこから先に続く無限の未来でも同じようにそうあり続けることができるのだろうか?


 九世界も十世界も変わらない。ただ、一部の者が、世界に定められ、世界から求められる何かを否定するのではないか――ウルトは、そう問いかけていた


「……それは、やってみないことには分かりませんね」

 月を見ながら紡がれたその言葉が自分に向けられたものであることを承知している瑞希は、ウルトの隣に立つと、同じように夜天の中心に浮かぶ金色を見て言う

「そうですね」

 倍ほども高さが違うウルトと肩を並べた瑞希は、まるで十世界が世界を支配しても構わないようなことを告げた意図を確かめようとするかのようにその横顔へ視線を向ける


「けれど――」


 瑞希が自分に視線を送っていることを気付いているウルトは、穏やかな笑みを浮かべると月を見ていた瞳を隣にいる自分の半分ほどの背丈の黒髪の女性へ向ける


「どれほど法を重んじても世界が正しくならないのと同じように、平和だけでも世界を平和にはできないのではないでしょうか? 難儀な話ですが」

 かつこの世界を総べた者らしく、心の奥に染み入ってくるような厳かな声音で語ったウルトは、最後に寂しそうに苦笑して瑞希に微笑みかける

 ただ幸せを求めただけだというのに、ただ理想を願っただけだというのに、それは手を伸ばすほどに遠ざかり、掴んだつもりでもその平から零れ落ちていく――そんな果てのない理想と現実を匂わせるウルトの言葉に、瑞希もまたその硬質な表情を綻ばせて独白する



「本当に難儀なことですね」


 月の光に照らされ、庭園の泉面にその姿を逆さに映している瑞希とウルトが肩を並べて佇むその姿は、気の置けない友人のように優しい空気を纏っていた





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