外縁離宮の女主人
「では。ごゆるりと聖人界を堪能していってくださいませ」
聖人界の中枢である聖議殿――聖人の原在の一人「ワイザー」の理力によって作られた芸術品のように美しい白亜の城街の入り口の門まで大貴達を見送ったスレイヤは、深々と頭を下げながら、淡白な口調で一行を送り出す
門の外まで大貴達を送り出すまでが自分の役目だというスレイヤの言葉を受けたリリーナは、軽く頭を下げて視線を巡らせる
「皆さん、行きましょう」
そう言って五対十枚の白翼を広げたリリーナが中空に舞い上がると、それに続くように大貴達も空へと舞い上がる
「外縁離宮へは、この方向へまっすぐ飛んでいただければ到達することができます」
「ありがとうございました」
この聖人界での滞在先として、界首から示された「外縁離宮」と呼ばれる場所を口伝したスレイヤに頭を下げたリリーナは、その翼を羽ばたかせて天高く舞い上がっていく
それに続き、大貴、神魔、クロス、マリア、桜、瑞希と結界に守られた詩織が続き、ほんのわずかな時間だけ滞在した聖人界の中枢から離れていく
「――……」
聖議殿へと視線を向けた大貴は、見送ることもなく街の中へと戻っていくスレイヤの後ろ姿を、左右非対称色の瞳に収める
「外縁離宮ってどんなところなんですか?」
桜が展開する結界に守られた詩織は、悪意である自分を敵視する聖人達の視線から解放された安堵感に胸を撫で下ろしながら、気心の知れた面々に質問を投げかける
「確かに、俺も聞いておきたい。この世界に来て、色々困ったからな」
詩織の言葉に同調した大貴が、聖人界に来てから起きた様々なことを思い返しながら辟易とした様子で嘆息する
この数時間で、神魔達や冥界での死神達の反応の意味を嫌と言うほど思い知った大貴は、聖人界がこれまでに訪ねた世界とは違うということをしみじみと噛み締めていた
「申し訳ありません。ある程度予想はしていたのですが、聖人の方々は、私達の想像以上に聖人としての在り方を見せてくださったもので」
大貴のその反応に、思った以上に聖人と聖人界の印象が強く焼き付いたことを感じ取ったリリーナは、曖昧な笑みを浮かべて言う
ある意味で予想以上に聖人らしい歓迎をしてくれた聖人達の反応を思い返したらしいリリーナの様子に大貴も小さく息をつく
聖人界による歓迎はある程度予想できていたことだが、自分達の主観によって影響を受けることを避けるために、リリーナ達はあえて情報を伏せてこの世界へと連れてきたことを大貴も十分に理解していた
ただ、聖人界も十世界――特に彼ら擁する反逆神と戦うためには、覚醒した光魔神を自陣に引き入れなければならないことは十分に承知しているはず。もう少し柔らかな対応をしてくれると思っていたリリーナ達の期待は見事に裏切られることになったわけだが
「話を戻しますが、誤解を恐れずに申し上げるなれば、外縁離宮とは聖議殿から追放され、そこに入ることを許されない聖人たちの居住区ということになります」
その大貴の言葉を聞いて表情を戻したリリーナは、その深い慈愛と包容力を感じさせる美貌で端的な説明をする
「追放……?」
「そこが、俺達の滞在の場所に適しているってわけか?」
これから向かう場所の情報を聞いて独白する詩織の声を背で聞きながら、大貴はその言葉の中にあった聞き捨てならない部分についてリリーナに確認の意味を込めて問いかける
先程シュトラウスも語っていたが、これから向かう外縁離宮という場所は「自分達にとって滞在に都合がいい場所」らしい。しかしそれが、聖人界の中枢を追放された者達が住む場所だと言われれば、小さくない違和感を禁じ得ない。
とはいえ、大貴としてはそこでリリーナ達が強く反対しなかったことからも、その言葉がある程度真実なのであろうとは考えていた
「良くも悪くも、その通りかもしれません」
そう言って困ったように苦笑したリリーナがその言葉を続けることを躊躇っているような様子を見て取ったクロスは、おもむろに口を開く
「聖人っていうのは、議会制民主主義をやるために、この世界中にある街単位で代表者を選出して議会を作ってるんだが、これから向かう外縁離宮だけはその参政権を与えられていない。――ま、聖人界の中にある別勢力ってところだろうな」
いかに聖人が全霊命であっても、この聖人界にいる億、兆の桁では収まりきらない人数で議会を構成することは無理がある
そこで聖人達は、聖人界中に一定の距離を以って都市を作り、全ての聖人達がいずれかの街に所属する形をとっている。そしてその中の代表として聖議殿の議会へ赴く人物を選出するのだ
しかし、今大貴達が向かっている「外縁離宮」はその中にあって、議会への参政権を認められていないもが集まり、作られた都市ということになる
「へえ、そうなんだ」
その言葉を聞いていた神魔が感嘆の声を漏らすと、クロスはその反応に視線を向けて応じる
「ま、外縁離宮に関しては、闇の全霊命は知らないことかもな……聖人もあまり言いふらしたいことでもないだろうし」
基本的に九世界でも、人間界以外の世界は他世界との接触は最低限しか持っていない。特に、闇の全霊命をことごとく嫌っている聖人達は、それらとの接触を頑なに拒むため、天界や妖精かといった他の光の世界と比べて闇の存在との接点が極端にないという面がある
また、神魔としても自分達を嫌い、自分が嫌いな相手のことなど知りたくもないため、最低限以上の情報を得ようとは思わなかったため、そのことを知らなかった
「わたくしも初耳です」
「私も。まあ、聖人界は九世界の中でも、他の世界との接触が一番少ない世界だから」
そのクロスの言葉を聞き、「外縁離宮」というものの存在を知って答えた桜と瑞希の言葉を聞いた詩織は、その意外な反応に目を丸くする
「意外ですね。神魔さん達も知らないことがあるなんて」
「そりゃそうだよ。代々の知識を継承してきてるからって、知らないことも多いんだから」
詩織の率直な意見を聞いた神魔は、その言葉に苦笑を浮かべて言う
全霊命は両親から記憶以外の知識を継承することができるのだが、だからと言って世界の全てを知っているわけでもない
緩やかであっても確実に変化を続ける世界。また、この広い世界の中においては、通常の全霊命では知りえない情報など数えきれないほど存在し、どこにでも、いくらでもあるものなのだから
「そういうことです」
「余談ですが、聖議殿と外縁離宮を除く全ての街は、天支七柱の『ミスティル』様が作ったもので、そういった街の意見や投票全般を中立的に監視しながら調整するのが、『法党院』の役目なんですよ」
そのやり取りを聞いて微笑んだリリーナの言葉に、マリアが補足を付け加える
この聖人界にある街は、聖議殿と外縁離宮を除いて聖人界の議会を構成する三つの政党の一つ「法党院」の長でもある「ミスティル」が作り出したもの
法党院の役目は、中立と仲裁。街ごとの代表を決める際に公正に票を数えたり、他の二つの政党の意見を聞きながら、最終的な議決の際に調停する役目を持っている
「なるほど。中立派ってことなんですね」
「俺達の知ってるのとはちょっと違うんだな」
その話を聞いた詩織が納得したように声を漏らすのを聞いた大貴は、同じ議会制民主主義でも、地球――日本で行われているものと違うことを感じ取って独白すると、左右非対称色の黒白の翼を羽ばたかせる
「ま、とりあえず外縁離宮に行ってみるか」
そう言って進行方向へと視線を向けた大貴は、自分達が向かっている先に聖議殿とは違う理力によって作られた建造物の存在を知覚していた――。
※
「外縁離宮」は、聖人界の中枢「聖議殿」から全霊命の神速で三時間ほど離れた場所にある理力によって作られた都市であり城でもある建造物の名称だ
透明感のある清らかな水が穏やかに流れる無数の大河が流れる一角に存在するその場所は、聖議殿と同様に白亜で作られ、周囲の水がその純白の景色を映し出して幻想的な美しさを演出していた
「あれが外縁離宮か」
「綺麗」
その光景を視界に映した大貴が言うと、桜が展開する結界に守られているために神速の世界の中でもそれをはっきりと見て取ることができた詩織から感動と感嘆の声が零れる
「そうです。では、門の方へと向かいましょうか」
九世界の街は、多くの場合その全土を結界などによって覆っている。特に理力によって作られた聖人界の街ならば、それを守る結界は神能に準じた防御力を有しているのは必然
そのため上空から侵入することは難しく、何より礼を欠いている。全霊命であれ、半霊命であれ、街は門などの正規の入り口から入るのが正しいに決まっているのだ
「ああ……ん?」
その様子を見て優しく穏やかな声で微笑んだリリーナが、ゆっくりと外縁離宮の街城の門へと向かって移動を始めると、大貴はそこに気になるものを見止める
(あれは……)
「見張り、いや監視か……?」
外縁離宮と呼ばれる純白亜の街城を囲む壁の四方に在る塔。その頂には聖人が立っており、街の外ではなく、街の内側に向かって佇んでいた
大貴達の来訪に気付いているのか、その視線で一瞥こそ向けているが特になんの反応も見せない聖人達を見て取った瑞希がその麗貌に険を帯びさせる
「そのようですね」
(この理力……)
大貴の言葉を肯定し、高い位置から外縁離宮と呼ばれるその場所を見た瑞希は、その中から感じられる聖人の神能――理力に、柳眉を顰める
一方、外縁離宮の街の中――そのとある場所から、大貴達が来訪したことを知覚して、窓越しに天を仰ぐ一つの影があった
「この魔力は……ふふ、縁とは言いえて妙なものですね」
窓から差し込む光にその長い金色の髪を輝かせるその女性は、自身の知覚が伝えてきたその人物の来訪に、花のように可憐な唇を綻ばせるのだった
※
外縁離宮を監視しているらしい聖人達に見咎められるようなことは特になく、大貴達が門扉の前に降り立つと、外界と純白亜の街城を隔てる巨大な扉がそれを待ちわびていたかのようにゆっくりと開いていく
聖人の体格に合わせて作られているため、十メートル以上もの高さを誇っている重厚で分厚い門扉が、まるで羽の様に軽やかに開き、一人の聖人がその中から歩み出てくる
聖人の特徴である三メートルを超える巨躯。赤みがかった髪を持ち、真紅のコートを纏って腰布を巻き付けた青年が大貴達の前で立ち止まる
全霊命特有の左右対称で現実感がないほどに整った容姿。当然、悠久の時を生きてきているのだろうが、大人びているというよりは、どこか幼さを感じさせる十代後半から二十代前半と言った印象の童顔めいた顔立ちを持つ聖人の青年は、翡翠色の双眸で大貴達を見据えて口を開く
「光魔神様のご一行ですね」
「はい」
一見して分かり切ってはいるが、事務的な手続きの意味を孕んでいる確認の言葉に、大貴に代わってリリーナが答える
この外縁離宮も、聖議殿も聖人界の施設。そこに他世界から来た者が入ろうと思うならば相応の手続きが必要になるのは道理というものだ
「ようこそ外縁離宮にお越しくださいました。俺は『アレク』。あなた達の案内役をするようにと言われてきました」
リリーナの言葉を受けた赤髪の聖人――「アレク」は、一つ頷くと謙虚な姿勢が垣間見える言葉遣いで大貴達に声をかける
その声には、聖議殿の門番や大聖廷で出会った聖人達のような闇の存在や悪意を蔑視しているようなものは表向きは感じられない
「……」
聖議殿に入る際の事を思い返し、神魔の影に隠れるようにしてその様子を窺っていた詩織は、その様子にわずかに緊張を緩める
全霊命には知覚があるため、自分が身を隠すことなど無意味だと分かっていた詩織だが聖議殿での存在そのものを嫌悪をするような視線はやはり耐え難いものがあり居竦んでしまう
「ここの主人の許へ案内しますので、ついてきてください」
神魔の後ろに隠れるようにしている詩織に気付いたアレクは、一瞬だけ一瞥を向けるが、即座にそれをリリーナと大貴に戻して外縁離宮の中へ一行を招き入れる言葉を動きを見せる
外縁離宮の中は、聖議殿と比べれば一回りほど小さく、質素な印象を受ける外観の純白亜の建物が並び、聖議殿と比べて緑や水のせせらぎといった自然の息吹が強く感じられる造りになっていた
建物と建物を一切汚れのない白き橋道が繋ぐ街の中を、アレクの先導によって移動した大貴達は、数分もかからない内に、門からまっすぐ伸びた最も太い道の先に在る門扉の前へと辿りついていた
「ここは……?」
「この外縁離宮の主人が住む屋敷です」
背後から聞こえた大貴の声にアレクが答えると、街城の中にある二番目の街壁の内側に広がっている巨大な庭園を宮殿が一行の視界に晒される
純白の外壁に覆われたその場所は、生い茂った緑と透明な水をたたえた敷地に、周囲に立つ建造物と比べると、一段低い宮殿が佇む屋敷だった
(うわぁ、綺麗……)
聖議殿もそうだったが、神能で作られた街並みは、どこか無機質でそこにいるだけで近寄りがたいほどの神々しさを感じさせる
だが、今眼前に出現したその場所に詩織は、それとは違うものが感じていた。それは、神に近しき力によって創造された街にあまねく命を内包する――そう。それはまるで、小さな〝世界〟そのものだった
警戒心から、心の中で感嘆の声を述べるにとどめた詩織の視線の先で、アレクが宮殿の扉を開き、リリーナと大貴が先頭となってその後に続く
天の中心に座す神臓から降り注ぐ陽光を取り入れ、天井につけられた理力で作られた光源からの光がそれと調和して美しく清浄な空間を作り出していた
「こちらです」
全てが聖人の規格に合わせて作られているため、高さも広さも一回り以上大きな廊下を数分歩いた先にある扉の前でアレクはその足を止める
「アレクです。入ります」
「どうぞ」
扉越しに返ってきた耳に優しい穏やかな女声に、アレクは半身退いて扉を開く
部屋を区切る扉が開かれ、真っ先に大貴達の目に飛び込んできたのは正面に置かれた執務机に腰を下ろす一人の女性だった
「ようこそお越しくださいました」
扉が開かれ、互いに視線が交錯すると同時に、執務机に座っていた女性がゆっくりと腰を上げて大貴達を出迎える
腰まで届く長い金色の髪は後頭部で結われており、さながらオーロラのように輝いている。中心で分けられた髪から覗く美貌は、見るものに母性的で包容力に満ちた安心感を与える深い慈愛を湛えていた
その身を包むのは、祭礼服に似た羽織の下に、その身体つきを際立たせるマーメイドラインのドレスに似た霊衣。三メートルに届こうかという背丈を持って佇むその姿は、全霊命特有の現実感のない美貌と相まって、さながら生きた御神体のような神々しさと、浮世離れした幻想的な美を演出していた
「お初にお目にかかります。私はこの外縁離宮の責任者を任されている『ウルト』と申します」
ゆっくりと移動し、穏やかな微笑みを浮かべたこの外縁離宮の長――「ウルト」は、入り口からは死角になる場所に置かれているソファを手で示し、座るようにと促す
それに一礼したリリーナが腰を下ろすのに倣って、一同はウルトが正面上座に座れるように、大貴を中心としてソファに座り、その程よい柔らかさと弾力に身を委ねる
「まずは謝罪をさせてください。皆さん、聖議殿では色々不愉快な思いをされたでしょう?」
その空いた席へと腰を下ろしたウルトは、開口一番に謝罪の言葉を述べる
「いや、別に」
まるでその場にいたかのように、聖議殿でのやり取りを見透かしているウルトに応じた大貴は、自分達へ向けられた面差しと表情を観察して心中で思案を巡らせる
(この人、さっきの聖人達とは少し雰囲気が違うな。それに、この理力はこの街と同じだな)
聖議殿で会った聖人たちのような傲慢さが感じられない謙虚な言葉遣いと立ち振る舞いにわずかに警戒を緩めた大貴は、ウルトの理力がこの外縁離宮を構成しているものと同じであることを知覚していた
「なんか、話し易そうな人ですね」
リリーナとクロスに挟まれている大貴が真空で抱いているものと同様の感想を抱いた詩織は、そのやり取りの横で声を潜めて隣に座っている神魔に声をかける
可能な限り声を殺し、囁くように言った詩織の言葉が聞えたのかは定かではないが、大貴の隣に座っていたリリーナがそれに応じるように口を開く
「ウルト様は、先代の聖人界界首です」
「!」
簡潔にウルトの事を説明したリリーナの言葉に大貴達がわずかに目を瞠る中、当の本人は照れたように苦笑を浮かべる
「昔の話です。今はこうして、聖人界の中枢に関わることを禁じられ、半軟禁状態で隠居している身ですから」
「え? それって……」
隣に神魔が座っていることに対する安心感と信頼、そしてウルトが醸し出している安堵感のある居心地の良い雰囲気に包まれていた詩織は、その言葉に思わずいつものように声を出してしまう
「ぁ」
慌てて口を噤んだ詩織だったが、それに一瞥を向けたウルトは目元を綻ばせただけで、それ以上の反応を見せることは無かった
「現在の界首シュトラウスは四代目。私は三代目の界首でした。厳密には聖人界王マキシム様からその後を継いだ初代界首『ヴィクター』様の死後に選ばれた二代目界首、となりますが」
そうして全員の視線を向けられたウルトは、自分のかつての立場を持ち出すことを憚っているのか、わずかに苦笑を浮かべて肩を竦める
聖人界は当初、他の世界と同じように王によって統治される「王制」だった。その時の聖人界王が、聖人の原在天支七柱の中で最強を誇った筆頭――「マキシム」だ。
だが、世界最初の大戦「創界神争」のと、各々の世界が各々の在り方を確立していく中で、「ヴィクター」という聖人が、議会制民主主義を提案した。そして、マキシムから王位を譲られて初代界首に就任したのだ
そのヴィクターが死に、その後に聖人界の議会で選ばれた二代目界首こそが、今大貴達の前にいる「ウルト」その人だ
「で、なんでその先代界首がここに?」
「議会で界首を罷免されましたから」
それを聞いた大貴が訊ねると、ウルトはさも当然のように穏やかな声音で言う
界首は王ではないため、聖人界の議会によって罷免されることがある。ウルトはそうして界首の座を追われ、この外縁離宮を作って聖人界の監視を受けている状態にあるのだ
「私は、聖人界の議会で他の世界とのより強い強調を求めました。ですが、多くの聖人達は私のその思想が許せなかったようで、界首を罷免し、こうして私に同調してくれた皆さんと共に隔離、監視を行っているのです」
その美貌にわずかに翳を落としたウルトは、どこか寂し気な響きを帯びた声音でそう言うと、その時の事を思い返しながら目を伏せる
自身の境遇を語ったウルトの言葉は、どこか自嘲じみているように聞こえるものだった。
それが、自分の言葉に耳を傾けなかった聖人達に向けたものなのか、そうなると分かっていて提案した自身の浅はかさに対するものなのかまでは分からなかったが。
「皆さんは、もうすでに身を以って体感してこられたと思いますが、聖人界は極めて閉鎖的な世界です。闇の方たちはもちろん、同じ光の存在の中でさえ浮いてしまっているのが現状です」
その視線をさりげなく神魔達闇の全霊命、そして詩織へと向けたウルトの言葉に、大貴達は内心で同意せざるをえなかった
聖人達の在り方は決して間違ってはいない。光の存在として闇を敵視し、神に列なるものとして、それにそぐわない忌むべきものを忌み嫌う。
潔癖すぎるほどに法と正義を守り、正しくあるがゆえに聖人達は九世界でも近寄りがたい――嫌われていると言ってさえ過言ではない状態にあるのが現状だ。それは大貴が九世界を回るにあたり、天界がこれほど根回ししても尚あの歓迎だったことを考えれば想像に難くないだろう
「それが聖人の在り方だと言ってしまえばそれまでなのですが、このままでは、聖人界が九世界から孤立してしまいかねません。
そんな危機感に駆られた私は、せめて他の光の世界と同じ程度には他の世界に合わせるようにと求めたのですが……聖人達の心を動かすことはできませんでした」
その時の事を思い返して小さく頭を振ったウルトは、変えることできなかった自身の無力を噛み締めているかのように独白する
ウルトが議会で提案したのは、聖人としての在り方も尊重しつつ、もう少し他の存在、種族との協調と協和を測ることだった
法を歪めるのではなく、正しさを曲げるのではなく、それらが許す範囲でするのではなくほんの少しだけ歩み寄る気持ちを持つことを訴えかけたのだ
初めから多くを求めたわけではなかった。九世界の中心たる九つの世界の中で特殊な聖人界を、ほんの少しだけ天界や妖精界、天上界といった他の光の全霊命が支配する世界に近づけようと考えたのだ
「私の意見に賛同してくださる方もある程度の数はいたのですが、所詮は全体の一割にも満たない数でしたから、力及ばずシュトラウス様率いる保守派に敗れてしまいました」
聖人界は議会制度を敷いている。たとえ時の界首であるウルトの言葉でも、議会の賛成を取り付けられなければ行動に移すことはできない
ウルトは議会でその意思を訴えかけたが、議会を構成する多くの聖人たちの心を動かすことができず、反対派の筆頭となった今の界首――「シュトラウス」に敗れて、そのまま界首を罷免されることになってしまったのだ
「そのまま、私はその時に同調してくださった方々と共に自分の力で作った宮殿に監視付きで隔離されることになってしまったのです」
どこか他人事のように自分の境遇を穏やかな笑みを浮かべて簡潔に語ったウルトからは、現状に対する不満や悲観は感じられない
「……そうか。難しいもんだな」
その説明を聞いておおよその事情を理解した大貴の小さな独白を聞いたウルトは、その声に同情にも似た感情を感じ取り、穏やかに微笑みかける
「そうですね。法を守るためには、ある程度個を犠牲にしなければなりません。個を重んじているばかりでは世界全体の法が揺らいでしまいます。法とは自由を制限することで生まれるものですから……その線引きはとても難しいものです」
人間界はもちろん、これまで大貴達が訊ねた全霊命が支配する世界の法律は、世界の理に限りなく近いため、それが分かりにくい面がある。だが法律とは、本来神が許した全ての自由から何かお制限することによって成り立つものだ
例えば、この世界に人を殺してはいけないという理も、人から者を奪ってはいけないという理もない。ただ、社会というコミュニティを作り、維持していくためにそれを禁じただけだ
法とは、その庇護下にある全ての者に平等に与えられるものだが、極稀にそこからはみ出してしまう者も少なからず存在する。
そういった少数のものをどう守るのか、あるいはその少数のために多数派のものにどれだけ負担を強いるのかは、常に考えられなければならないことだろう
「でも、監視までつけられることは……いや、十世界か」
その言葉に監視までされる必要性はないと考えた大貴だったが、それが必要になる要因に思い至って自分の言葉を自分で遮る
「ご明察です。シュトラウス様をはじめとする議会の方々は、他の九世界と歩み寄ることを考える私達が十世界と接触する事がないように監視を付けているのです」
それを聞いたウルトは大貴の洞察を貶めないように配慮された仰々しすぎない語調で、社交辞令的に賞賛の言葉を告げる
「ウルトさん達は、聖人界の人達に十世界と接触するって思われてるってことですか?」
その話を聞いていた詩織は、要領をえないそのやり取りに隣にいる桜に声を潜めて訊ねる
聖人界に十世界はいないということを情報として知っている詩織は、ウルト達が聖人界を離反して十世界に接触を図ると思われていることに不満を感じていた
確かに十世界はそういう世界だろう。だが、それに近い意見を持っているからと言って、十世界に接触し、あまつさえ仲間になるかもしれないと思われているというのは、ウルト達にとって失礼なのではないかという思いが否めない
「そうではありません。確かに聖人に十世界のメンバーはおりませんが、彼らが聖人界に接触を図ってこないわけではないですから」
しかし、その詩織の問いかけに対し、桜は声を潜めて答える
「!」
「俺は以前一度、十世界のリーダーに会ったことがある。あの人が、話を聞いてもらえないっていう程度で話し合おうとすることを諦めるとは思えないからな」
桜の言葉に小さく目を瞠る詩織を横目に、大貴は、対面する位置にいるウルトに確信に近い感情を込めた言葉で言う
その脳裏に浮かんでいるのは、以前人間界で出会った十世界盟主――「愛梨」の姿と言葉。わずかではあったが、その理想と心の在り様に直に触れたことがある大貴は、彼女が聖人界に接触を図らないはずはないという確信を抱いていた
そして事実、十世界はメンバー自体はいなくとも、聖人界に接触を図り、「恒久的平和世界」という組織の理想を実現させるための助力を求めている――尤も、九世界の中でその対話に最も手こずっているだろうが
「聖人界は、聞く耳も持たないといった感じで十世界のメンバーを寄せ付けませんから。以前に拠点を築いたときなどは、実力行使で排除してしまったほどです」
「ああ、なんか分かるよ」
聖人界と十世界のやり取りを思い返し、苦笑じみた笑みを浮かべたウルトの言葉に、大貴はその光景をありありと思い浮かべることができていた
「まあ、十世界は聖人界と殺し合うつもりはありませんから、攻撃されればそれなりに素直に撤退してくれますので、大きな揉め事には発展することはありませんが」
十世界を擁護するつもりはないが、もう少しやり様もあったのではないかといわんばかりの表情を浮かべたウルトは、そこで話を切ると大貴達に視線を向けて口を開く
「さて、こちらの事情はおおよそ分かっていただけたと思います。聞きたいことがあれば、いつでも私や誰かに聞いてください。できる限りお応えさせていただきます
皆さんのお部屋はこの宮殿の中に用意しておりますので、聖人界におられる間は、ゆっくりとなさってください」
外縁離宮、そして自分達の状況の説明、そして十世界との関係――ある程度必要なことを説明したと判断したウルトが、大貴達に休息を促すと、リリーナが深く一礼する
「お心遣いありがとうございます」
(さて、どうしたもんかな……)
リリーナの清らかな声を聞く大貴は、この世界で自分がやるべきことを思案しながら、軽く天井を仰ぐ
十世界に所属する者がいない。十世界を排斥する。自分にも決して好意的ではない――これまでとは全く毛色の違う聖人と聖人界へ思いをはせていた大貴は、ここでのふれあいや滞在が、これまでとは違うものになりそうだという確信めいた予感を抱いていた