この世で最も正しきもの
「神魔さん」
世界が焼き切れるのではないかと思えるほどの純然たる殺意を帯びた力を発する神魔は、その言葉に視線をずらす
そこに佇んでいるのは、この世界――「聖人界」の案内をしている天界の姫「リリーナ」。短く紡がれたその硬質な言葉と澄んだ瞳は、刃を収めるようにと求めていた
「……」
三メートルを超えるその巨躯と同じ長さを持つ薙刀の刃を大槍刀のそれで軽々と受け止めた神魔は、リリーナの背後で自分に鋭い視線を向けてきている聖人界の案内役――「スレイヤ」と名乗った女性を見る
まだ明確に戦意や殺意は表れていないが、これ以上続けるのならば自分も参戦する意思があると、その瞳が語っていた
「ふぅ」
この場で目の前の聖人を殺すことは難しいことではないが、それで本来の目的を損なうのも得策ではないし、聖人界と揉めるのも後々面倒なことになりかねない――そう判断した神魔は、大槍刀を振るって薙刀の刃を弾くと、殺意に満ちていたその魔力を鎮める
「大丈夫、詩織さん?」
「あ、はい」
突如攻撃を受けたことに怯えている詩織に優しく声をかけた神魔は、視線で桜に指示をして先に街の中へと送り出す
桜に守られた詩織が門をくぐり、街の中へ入ったのを見届けた神魔は、絶対零度の金瞳で門番の巨人を一瞥し、その傍らをすり抜ける
「命拾いしたな」
「――ッ」
背後から送られてくる敵意に満ちた聖人の視線を意として無視する神魔の背後で、聖人界王城「聖議殿」を外界と隔てる扉が重厚な音を立てて閉ざされる
「こちらへ」
神魔と瑞希、クロス、マリアが入ったことで全員が城内へと入ったのを確認したスレイヤが、そう言って傍らに目的へと続いているであろう時空の門を形成したのを見たリリーナは淑やかに声をかける
「お待ちください。できれば、少し歩いてご案内を願えないでしょうか? 界首様達に御目通りを願う前に、各々の世界の中枢を目に焼き付けるというのも風情と言うものだと思いますので」
「少々お待ちください。界首様に連絡いたします」
リリーナのその言葉に、静かな視線を向けて一瞬だけ思案したスレイヤは淡泊な声音でそう告げると、思念通話を始める
(聖人の方々がこういう方たちだとは存じていましたが、今回の対応は少し想定外でしたね)
自分達に背を向け、おそらく界首と連絡を取っているであろうスレイヤの姿を見つめながら、リリーナは心の中で軽くため息をつく
リリーナが歩いて向かうという提案をしたのは、スレイヤに述べた理由が全てではない。それ以上に今のまま聖人という存在と対話をさせると恐ろしく話がこじれてしまいかねないと考えたからだ
確かに聖人がこういう種族であることは知っていた。主観の入った話をするより、俯瞰的に見て聖人という存在を大貴に見極めてもらうために事前の説明を避けたのだが、まさかここまで辛辣な――良くも悪くも聖人らしい対応をするとは、リリーナも想定していなかったことだ
このまま直行して界首や聖人たちと会い、今以上の不快感を大貴に抱かせてしまえば九世界の思惑とも反してしまうであろうし、聖人という存在に対して印象は悪くなるばかり。
そういった考えから、リリーナはある程度の説明を細くするためにスレイヤに歩いて向かうように願ったのだ
「許可が下りましたので、リリーナ様の仰せの通りに……ではこちらへ」
そんなリリーナの考えをある程度見通しているであろうスレイヤは、それについては何も言わず、思念通話の結論を一言で簡潔に述べると、彫刻のように作り込まれた白亜の廊下を進み始める
その身体をその神能で包んだスレイヤが滑るように廊下を移動し始めるのを見て、リリーナが自身の魔力で全員を包み込んでその後に続く
人間界をはじめ、これまでに行った世界もそうだったが、九世界――特に全霊命の城は原則として規格外に大きい。特に身体の大きな聖人の城である聖議殿の大きさは敷地面積だけで言えば九世界の城の中でも最大級だ
さすがに物理限界速度を遥かに超越する神速で移動すれば、一瞬でどこにでも行けるだろうが、ある程度時間をかけたいというリリーナの意図を組んだスレイヤは、神能によってゆっくりと飛行移動することでそれに答える
「……」
(この女、さっきの戦いを止めなかったどころか、咎めもしないのか……?)
目の前を滑るように移動する自分の倍ほどの背丈を持つ聖人の後ろ姿を見ながら、大貴は内心で憤りを募らせる
これまでは、訊ねた先々の世界で大なり小なり歓迎されてきた。人間界では崇め奉られてむず痒く勘弁してほしいとさえ思っていた
こうして九世界を回っているのは、あくまでも現在の世界で世界最強の存在である大貴を十世界に加えず、自分達の陣営に取り込みたい。最低でも、不干渉や中立的立場を取らせたいという九世界の思惑によるものだ。
「来てやっている」などと傲慢な言い方をするつもりはないが、大貴にしてみれば、敵意を以って迎えられるいわれなどないと憤りたくなるというのが本音だ
何より、いくら悪意であるからと言って、一応は客人である相手に対し、突然殺意のある攻撃を繰り出したばかりか、それを上役に当たる人物が咎めもしないという事実に、大貴は苛立ちが高まっていくのを抑えられない
謝ってほしいというつもりはないが、姉を突然殺されかけて看過できるほど大貴も寛大ではない。さらに、前を行くスレイヤからがそのことを詫びる気配どころか、全く意に介していないことが分かる態度と口調を取ることが気に入らなかった
(舐めやがって……!)
門の内側に広がっている、純白の建造群など目に入らないほどに先程の一件を腹に据えかねていることが分かる大貴の気配を感じ、リリーナはその美貌を曇らせながら声をかける
「光魔神様、ご機嫌を損なわれてしまわれたやもしれませんが、どうか寛大なお心でご理解を頂きたいのです」
事態を起こした聖人ではなく、天使であるリリーナが謝罪の言葉を述べるのを見た大貴は、隣にいる天使の姫の顔を立てて、小さく歯を食いしばることで怒りを抑える
「聖人という存在は、九世界の全霊命の中で、最も正義を重んじる存在なのです。ですが、そうであるがゆえに、それにそぐわないものに対して、過剰なほどに反応してしまわれるのです」
振袖と巫女服、ドレスを合わせた様な白と赤の霊衣に包まれたその胸に手を添えたリリーナは、主賓である大貴に対する聖人の礼を欠いた言動を代わりに謝罪し、説明する
九世界を総べる四種の光の全霊命の一角である「聖人」という存在は、最も正義に殉じる誇り高い種族だ
本来、光と闇の全霊命は互いに戦うことを本能としている。そして、神によって生まれえた全霊命は、神によって定められた世界の理と正義を守る存在。そして、聖人はその自負と誇りを最も強く持っている
だからこそ、正しく闇の存在を忌み嫌い、正しく神敵たる悪意を滅ぼそうとする。
そのため、半分が闇の神格である光魔神、闇の存在である神魔達、神敵の眷属である詩織を存在ごと嫌悪し、拒絶しているだけに過ぎない。それを、悪いなどと思うなどありえないだろう
「正義っていうのは、自分達のそれに相容れないものに対してはとことん不寛容で排他的だからね」
そのリリーナの言葉を引き継ぐように、先程の事に対する不満がわずかに見え隠れする口調で答えた神魔が、小さく肩を竦める
「……?」
その言葉にわずかに眉をひそめた詩織だったが、下手に口を出して先程のように怒りを買うことを恐れて喉まで出かかった声を呑み込む
先程門番の聖人から向けられた殺意は、おそらくこれまで直接向けられたことがない全霊命の本気の敵意と殺意だった
これまで、世界で最も高い神格を持つ全霊命が放つ純然たる殺意を近くで感じてきた詩織だが、それは誰かに向けたものの余波でしかなく、詩織自身に向けられたものではなかった
「恨みや憎悪で殺せる人数より、正義や神のために殺す人数の方が圧倒的に多いということよ」
初めて向けられたそれによって心に深い恐怖の傷を刻み込まれた詩織が委縮してしまっているのを横目で見た瑞希は、その口を開いて淡泊な声でその疑問に答える
「……!」
まるで自分の心と疑問を見透かしているような瑞希の言葉に、詩織が小さく目を瞠ると、その反対側にいる桜が淑やかで慈愛に満ちた優しい声で語りかける
「正義や信念に頑なであるほど、自分と違うものを許せなくなるものです。その線引きは、わたくし達が思っているより難しいものなのですよ」
桜の優しい声で紡がれたその言葉は、不思議なほど自然に、緩やかに詩織と前を行く大貴の耳に流れ込んできた
「正義――〝正しい〟という言葉もその意味も、この世界で知らない者はいません。ですが、本当に正しいことが何なのか知っている者は、もしかしたら誰もいないのかもしれませんね」
正義は頑なであるほど人を排し、一度自分が正しいと確信した人間は、自分と同調しない全ての考え方、全ての人に対して攻撃的になる
特に宗教などで、強く特定の神や教えを信仰している者ほど、異なる神や宗教を忌み嫌い、決して許容しないことからもそれは分かるだろう
正義とは善が持つ強い攻撃性と排他性を兼ね備えた概念でもある。誰もが己が正しさを信じ、誰かの正しさを理解して否定している
正義の名の許に戦争が起き、正義を建前に何十万もの人が命を奪われる。自分が悪だと思って戦ってくれる者などいはしない。誰もが、己が信念と正義を貫くため、それを守るために刃を取るのだから
だが、だからと言って正しいことが悪いことではない。私情で法を歪めることなど許されるべきではないのと同じように、個人の感情で国や世界の大義が変わるなど、あってはならないのだから
正しいとは、口にすることは簡単だが、それを実践することはとても難しい。聖人は、ただその「正しさ」に忠実過ぎるだけに過ぎない。そしてそれは、その感性を理解し、共有することができない聖人以外の存在にとって、疎ましく感じられてしまうのだ
「闇の全霊命もそうだけれど、特にあなたにはこの世界はかなりつらい世界よ。これまでの様にはいかないから、気を付けておきなさい」
「……はい」
桜の言葉によって息を呑んだ詩織に一瞥を向けた瑞希が、淡泊で麗凛な声で忠告する
この中では、特に神敵の眷属に当たるゆりかごの人間である詩織に当たりがきついが、聖人は闇の存在も敵視している。そのため、これまでとは違う何かが起きる可能性は否めない
「正しさ、か」
神妙な面持ちで頷く詩織を横目にし、桜のその言葉が持つ重さと意味を思案して独白した大貴の意識に、魔力に乗せられた神魔の思念通話が届けられる
《ようは、図体はでかいくせに、器は小さいってことだよ》
それに視線を向けた大貴に神魔が軽く片目を閉じてウインクして見せるのを、前を進みながら肩ごしに見ていたスレイヤは、その柳眉を顰めて不快感を露にする
「――」
だが、何も言わずにその視線を進行方向へと向けたため、スレイヤが浮かべたその表情に気付いた者はこの場には誰一人としていなかった
(とはいえ、城の中は相当なもんだな……)
(遠近感狂いそう)
心を落ち着け、わずかに平静を取り戻して聖人界の中枢たる城――「聖議殿」を見回せば、その荘厳な景色と大きさに大貴と詩織は心中で小さくない感嘆の意を覚える
一点の曇りもない純粋な城で構築された聖議殿は、壁で囲われた城内に無数の建物が点在し、それを同じく白い橋や道で繋ぐことで形作られている
城というよりは、都市群と言った方が適切に思えるかもしれない聖議殿は、当然の事ながら平均身長が三メートルの聖人を基準に作られているため、大貴達から見るとすべてが一回り大きく、まるで小人になったような錯覚さえ抱かせるものだった
(とはいえ、歓迎もされてないな)
門から続く白亜の道を歩いていた大貴は、その周囲から注がれる聖人たちの穢れたものを見る様な視線に、否応なく気が重くなる
悪魔が三人、神敵の眷属、半分闇の力を持つ異端神――聖人にとって、敵対の条件を満たした者達がこれほど揃っているのだから歓迎されるということは無いが、その突き刺さる様な視線には居心地の悪さしかない
「お待ちください聖王閣はあちらではないのですか?」
混じり気のない純粋な白亜に彩られた街の景色を見ながら歩いていた大貴の前でリリーナが足を止め、先頭を行くスレイヤに声をかける
(聖王閣……?)
「この世界の王たる界首がいる宮殿よ」
その単語に訝しげに眉をひそめた大貴の疑問に答えるように、声を潜めた瑞希が淡泊な声で詩織にも聞こえるように言う
聖人界の王城である聖議殿は、無数の建物が混在し、その中の幾つかは特定の役割を与えられた施設になっている
その中で、「聖王閣」と呼ばれる建物は、聖議殿の中央にそびえ立つ最も高く、最も荘厳な建物であり、こここそこの世界の支配者当たる聖人の王「界首」がいる本丸にあたるのだ
「その界首様より、『大聖廷』へと招くように言われております」
明らかに聖王閣へと向かう道ではない方へと進んでいたことをリリーナに見咎められたスレイヤは、その問いに淡泊な口調で答える
「……! 彼らは客人ですよ?」
その言葉に、リリーナがわずかにその声音を硬質なものに変えたのを見て取ったスレイヤは、それに対してあくまで事務的、かつ無感情な表情で応じる
「いずれにしろ、それが、今回九世界の申し出を受けるにあたり、聖議会で決定された聖人界としての方針になりますので」
対話している相手がリリーナであるからこそ、あくまで遜った口調で応じているが、スレイヤの言葉に含まれた意図が、「闇の存在と、忌まわしい悪意を聖人界の中心に招くなどありえない」であることは誰の目にも明らかだった
「それに、あなた達が聖人のことをどう思おうと勝手ですが、あなた方の思惑に沿う必要が我々にあるとは思えません」
それに対して、納得がいかない散った様子を見せるリリーナの視線を受けたスレイヤは、小さくため息をついて冷たく言い放つ
「……どういう意味だ?」
スレイヤの言う「思惑」が、光魔神を十世界ではなく九世界の陣営に引き込むためのものであることを正しく解している大貴の疑問に、腕を組んで事の成り行きを見守っているクロスが答える
「そのままの意味だ」
「聖人の方は、十世界にはいないのです」
そして、クロスの言葉を引き継ぐように続けられたマリアの言葉に、大貴は思わず目を瞠る
「先程も説明されていたと思いますが、聖人はとても正義を重んじる方々です。そのため、少なくともこれまで十世界のメンバーとして、聖人が確認されたことはありません」
そして、その大貴の疑問に答えるように、軽く目を伏せたリリーナが厳かな声音でスレイヤの言葉を肯定する言葉を紡ぐ
先程説明されたが、聖人は極めて強い「正義」を持っている。九世界で最も清く正しい聖人は、闇の存在を嫌悪し、神敵たる悪意を忌み嫌う
そんな彼らが、敵対し、唾棄すべき存在であるそれらとの共存を望むはずなどないのは自明の理。結果的に、聖人という存在は、九世界の中で十世界に所属していない唯一の存在でもあるのだ
もしかしたら、所属しているのかもしれない。だが、少なくともそれは勢力と呼べるほど大きくなく、これまでの歴史で十世界に所属する聖人が確認されたことは無いのが実情だった
(……なるほど。何ごとも善し悪しってことか。とはいえ、十世界に聖人がいないことと、この世界に十世界がいないことは、必ずしも同じじゃないだろうけどな――特に、あいつの性格を考えれば)
頑なでありすぎるがゆえに、大義に沿わないに在り方を認めない聖人の在り方を理解した大貴は、小さく心の中で独白する
十世界に聖人がいないのは、聖人という存在が他の存在と頑ななまでに相容れず、歩み寄ろうとしないという一面があるからだ。だが、その聖人界に大貴を案内したのは、一つが九世界という世界の全てを包み隠さず見てもらうためだ
だが、もちろんそれだけではない。例え、聖人界が十世界を拒んだとしても、十世界の方が、聖人界と繋がりを持とうと考えないわけではない。以前、人間界で会った十世界盟主「愛梨」の性格を考えれば、分かり合うことを諦めない姿が容易に大貴の脳裏に思い描かれる
「で、その、『大聖廷』ってのは、結局なんなんだ?」
そのやり取りで、言葉に含まれたリリーナとスレイヤの意図をある程度解した大貴は、脱線しかかっていた話題を元に戻すべく口を開く
元々この話は、大貴たちをスレイヤが「大聖廷」という場所に案内しようとしたことに端を発している。それが何なのかを訊ねることは、今この場で最も必要なことだろうと結論しての質問だった
「罪人を裁く場所ですよ。簡潔に言えば、法廷ですね」
「――!?」
「聖人は、『聖浄匣塔』と呼ばれる九世界で唯一の全霊命のための牢獄を持っているのです」
自分の答えに淡泊に返されたスレイヤの言葉を聞いた大貴と詩織が隠しきれない驚愕に目を瞠ると、リリーナがそれに答えるように厳かな声音で言う
「どうやら、私達の情報を事前に得ているという訳ではないようですね。私達聖人の神能――『理力』は、九世界で唯一、永遠にその効果を発動させ続けることができるのです」
その二人の反応を見たスレイヤは光魔神が事前にリリーナ達から聖人の情報を全く与えられていないことに至って説明する
「この意味が解りますか? 九世界を総べる全霊命の裁量は、原則として無罪、極刑、労働奉仕の三つ。ですが、この力の特性を持つが故に、我々は全ての咎人に正しく量刑を与えることができるのです」
聖人の神能――「理力」は、九世界で唯一、永続効能の特性を持っている。
神能は、その力を使用する全霊命がその意思によって決めている。攻撃の際には、「どのように攻撃するのか」を、防御の際には「どのように防御するのか」を決めることで、その力をこの世に顕現せしめている
そのため、その力を使用する者の意思が離れた時、神能はその力を失う。例えば、砲撃として力を放ったとして、その攻撃が回避されて意思を離した瞬間、その威力や殺傷力が失われる
だが、理力にはそれがない。そのため、一度効果を定めて発動させたその力は使用者本人が解除するか、第三者の力によって破壊されない限り、永続的に効果を発揮することができる
神魔と桜、瑞希がそうであるように、全霊命の世界で罪を犯した場合、それに対する判決は「無罪」、「極刑」、「労働奉仕」の三つしかない。これは、全霊命の神能を封じておく手段がないからだ
仮に、全霊命を封印しておこうとするならば、封印される者より強大な力を持つ全霊命がその力によって封印を施し、更にそれが解けないように永遠に意識と力を割き続ける必要がある
だが、封印する者が増えればその分封じる者の神能が弱体化してしまうという欠点があるため、全霊命の世界では投獄という手段は非効率極まりないものになってしまう
だが、一度発動すれば意識を切り離しても効果を永続させられる理力は、その神能の弱点を克服した力であるといえる
そして、この力を持っているからこそ、聖人という存在は、法廷を開き、断罪を行い、牢獄に全霊命を捕らえておくことができるのだ
「なるほど」
「その力があるから、聖人は聖浄匣塔という九世界唯一の全霊命の牢獄を運営していられるんだよ」
その説明に理解を示した大貴に、クロスが淡泊な声で言うと、スレイヤはそれに「そういうことです」と答えて言葉を続ける
「即ち、力だけではなく、法と秩序を重んじ、司る力を持つ聖人こそが、この世界で最も優れた正義の担い手なのです」
自信と誇りを感じさせる凛々とした声音でそう語ったスレイヤの言葉に、大貴は聖人という存在の自負を感じ取っていた
(――ってことは……)
そして、スレイヤの言葉を聞いた大貴は、聖人界に来てこの聖議殿を見た時から感じていた違和感の正体に核心を抱いて言う
「やっぱり気の所為じゃなかったか……この建物、神能でできてるよな」
「え……!?」
大貴の指摘を受けた詩織は、驚愕に目を見開いて周囲に立ち並んでいる純白の建造物を見回す
「ええ。この街は、天支七柱のお一人であらせられる『ワイザー』様によって作られたものです。聖人界は、九世界で唯一神能によって作られた建造物がある世界でもありますから」
その反応を見たスレイヤは、周囲に立ち並んでいる純白の建造物に対する誇りと自信が滲み出た声音で大貴に答える
神能は、何も戦闘にだけしか使えないわけではない。その力と神格が許す限り、思うままに世界に望むままに事象を顕現させることが神能の力だ
故に。、そのように力を使いさえすれば、望んだままに街だろうと建造物だろうと作り出すことはできる。ただ、他の全霊命がそれをしないのは、その維持のために常に力と意識を割き続けなければならないからだ
だが、一旦発動させれば半永久的に機能する理力を持つ聖人にとって、そんなことは問題ではない。故に聖人界にある 聖人たちが住む街などの施設の全ては、誰かが力を用いて作り出したものなのだ
(これが、全部神能……普通の街と同じにしか見えない)
その言葉を聞いて足元に在る白亜の回廊を見た詩織は、そこに物質と寸分違わぬ存在を以って顕現している街の感触を信じられない気持ちで確かめる
「この街そのものが、誰かの手の内ってことか」
「心配せずとも、四六時中誰かを監視するような力はありませんよ」
この街を遠くから確認した際に、知覚で捉えたその事実を確認した大貴の独白に、スレイヤはどこか嘲っているようにも見える微笑を浮かべて言う
確かにこの街そのものが理力で作られているのは間違いない。だが、だからといってこれを顕現させている者がこの街にいる全ての存在の一挙手一投足を常時監視しているといううわけではない
ただ、この街を生み出した者が意図しない限り、永遠に存在し続け、壊れても再生し、その者に劣る全霊命には破壊することができないというだけのことだ
「少し、おしゃべりが過ぎましたね。議会の方々を待たせてはいけません。まいりましょうか――」
その時、小さく何かに反応するような素振りを見せたスレイヤは、その視線をこれから向かう場所――聖議殿の一角に設けられた純白の宮殿のような建物へと向ける
「大聖廷へ」
その様子から、おそらくは誰かから思念通話が届いたのだろうと推察したリリーナ達は、これ以上ここで異論を述べても事態は進展しないと判断し、不本意な長もその後に続くことを視線を交わして確認し合う
光の世界からの水先案内人であるリリーナを含めた大貴達全員がそれを了承したのを確認したスレイヤは、異世界からの客人達を連れて九世界唯一の全霊命の法廷へと向かうのだった
※
まるで雲の切れ間から差すように降り注ぐ光に照らし出されるのは、壁や床、天井の全てが白亜で作られた一室。
そこには、天井から光を注ぐ光源へと向かって、水晶で形作られているかのような氷柱が伸びる光景が広がっている荘厳な空間が広がっていた
その中で一際高い水晶の氷柱の先端は二つに分かれ、それを光で作られた金色の鎖が幾重にも絡みついて繋いでいる
そして、その光鎖が繋ぐ二股に分かれた水晶の先端には、光の鎖でその身体を雁字搦めにされた一人の女性が磔にされていた
両手両足、腹部に光鎖が繋がっている光の杭が撃ち込まれ、四対八枚の純白の翼にも、白い杭が打ち込まれ、その動きを封じ込めている
その傷口から小さく燻るように赤血炎を立ち昇らせたその女性は、項垂れるように首を垂れているために、その顔を窺うことはできない
「――……」
髙くそびえ立つ水晶の針に磔にされたその女性は、鮮やかな紅の髪の下で閉じていた瞼をゆっくりと開き、そこに抱かれている翡翠色の瞳に、空虚な室内の景色を映す
光の鎖と杭でその身動きを封じられ、磔にされた女性を遠巻きに見つめている一つの影があった。沈黙を守り、腕を組んでそれを見る人影は、不意にその首を動かす
「そうか。光魔神が来たか」
脳裏に伝わってきた思念の声に、低い声で答えたその男は、その場で身を翻すと、水晶の磔にされた女性に背を向けて悠然と歩を進めていくのだった