墓標
時空の狭間浮かぶ大陸都市――巨大な大地そのものを、城とも都市とも取れるそれへ作り変えた十世界の本拠地の中では、天使シャリオが跪いていた
「――以上が、冥界で行われていることです。我らも協力を促されましたが、断ると刃を向けられたため、身内での戦闘を避けるためにこうして戻ってまいりました」
片膝を突き、首を垂れるシャリオの先に佇んでいるのは、十世界の盟主にして「姫」と呼び慕われている「奏姫・愛梨」と、その腹心である戦の神の神片の一人「戦王」と神敵の神片の一人「先導車」
十世界にいる二柱の円卓の神座に名を列ねる神の眷属を両脇に従えた愛梨は、シャリオの報告にその柳眉を顰める
「そうですか、真紅さんが……」
「はい。どうか彼らを止めていただけないでしょうか」
口元に手を添え、難しい表情で考え込んでいる愛梨に、シャリオは首を深く垂れたままで進言する
手段はどうであれ、真紅達が成そうとしているのは十世界の理念そのもの。しかし、その手段では結果が同じでも本質が違ってしまっている
忠誠心に篤すぎる真紅達の行動を止められるのは、その主である愛梨のみ。――そう考えたからこそ、シャリオはあの場から紅蓮とラグナ、ジュダを連れてここへ帰還したのだ
「分か――」
「姫、今はそのようなことにかかずらっている場合ではありません」
シャリオの進言を受けた愛梨がその口を開いた瞬間、これまで沈黙を通していた男の抑揚のない淡泊な言葉が、その声を遮る
「!」
「先導者……!」
それを聞いた愛梨が視線を向け、シャリオは伏せたままの顔に不快感を露にし、当人たちに聞こえないように抑えた声で声の主の名を忌々しげに言う
神敵たる神の眷属である先導者に対し、本能――あるいは、それよりも深い存在としての根源で忌避感を抱いてしまうのは神に列なる全霊命として当然の反応だ
だが、あらゆる存在との共存を理念している十世界において、神敵という存在だけで拒絶するのは褒められたことではない
それが分かっているシャリオは、自身の思いはどうであれ、存在としてどうしても生じてしまう神敵たる悪意への敵意を懸命に押し殺す
「しかし、捨て置くこともできないのではないか? 冥界には確か神獄がある。あそこには、ルシアが持ち込んだ邪神の骸があるはずだ。それに、あの性質の悪い円卓の神も封じられている
万が一真紅が事を成せば、我々にとって決して良いことにはならないだろう――それとも、お前の狙いはそこに在るのか?」
その言葉を聞いた戦王は、その重い口を開くと戦の神の眷属の証である瞳のない目で悪意の欠片たるその姿を射抜く
円卓の神座№2「反逆神・アークエネミー」が、神敵と呼ばれるのは文字通りその存在意義が、神と敵対することにあるからだ。
真紅が成そうとしているように、世界を争いがないものに作り変えるということは、今のこの世界の理と仕組みを作った神に対する叛逆そのもの。それは即ち、神敵としての本懐であるともいって過言ではないだろう
「随分と心外な言い方だな戦王。私は真紅の計画は失敗するから、捨てておいても問題はないと言っているんだ」
「ほう」
九世界の者ならば、誰もが抱くであろう疑問を遠まわしにぶつけた戦王の敵意を心地よく笑った先導者は、静かな声で言う
「そもそも、真紅にその気があるのなら、とうの昔に行動を起こしているだろう? 融神器だけならば、いつでも手に入れることはできたのだし、神獄の攻略も不可能ではなかったはずだ
だが、それを今日この時まで引き延ばしていたのは、真紅自身がその計画の非実現性を誰よりも知っていたからではないのか?」
酷薄な笑みを浮かべながら言うヘイトの言葉に無言で耳を傾けていた戦王が、その話に一定の共感を示しているのは誰の目にも明らかだ
ヘイトの言うように、今回の行動はいつでも起こすことができた。荼毘や八宵が守っていることを差し引いても真紅の力があればその攻略そのものは決して不可能ではなかっただろう。だが、それを今日まで引き延ばしていたことに、何らかの作為が感じられる
「それに、いかにお前でも、まさか我々が真紅をそそのかしたなんて思っていないだろう?」
そしてそれを分かっているであろう戦王に視線を向けた先導者は、悪意に満ちた皮肉な言い回しで問いかける
「……そうだな」
いかに神に敵対することが存在意義の悪意の神とその眷属であれ、今回真紅がとった手段は思いついても行動に移すことのないものだ
その理由は至極単純。敵対することが存在意義である反逆神にとって、世界が戦えないように改変されてしまえば、その存在意義が失われてしまうから。反逆神とその眷属ならば、絶対に敵を失わないように立ち回ることは、この世界に生きる者にとっては常識だ
「だろう? とはいえ、真紅も今回の行動には命を賭しているはず。ならば、その意を汲んで己が信念と行動の中で引導を渡してやるのも悪くはない。――これから姫には重要な用事があるのだからな」
自分達が「どういう存在なのか」を正しく理解し、その悪意と敵意を信頼してくれている戦王の言葉にヘイトは口端を吊り上げる
神敵たる悪意の眷属であるヘイトは、真紅の目論見が仮に成功しても失敗しても実現しないことを確信している
それは、自分達が誕生して以来叛意を以って戦ってきた「神」という存在とそれによって作られたものがいかに強いかを知っているからこそ出てくる言葉。敵として培ってきた心からの敬意と信頼があるからこその嘘偽りのない言葉だ
「重要な用事?」
真紅がしたことは少なくとも十世界の意思ではない。ならば、自身の責任の中でどのような終わりを迎えても構わないだろうと言う先導者の言葉を聞いたシャリオは、その中に含まれていた単語に眉を顰める
「言っていなかったか? これから姫は、英知の樹の首領、『フレイザード』と会談のために赴かれるのだ」
「――!」
シャリオの訝しげな反応を見た戦王は、その理由に思い至って簡潔に説明する
英知の樹は、十世界と並んで九世界が最も危険視する組織。特に、神の力を求めて世界で神器を探すことから危険度で言えば十世界より上と考えられている
全ての神器を使えるため、神器を集めるほど強くなる「奏姫・愛梨」を擁する十世界と相容れず一定の距離を置いていた組織の長と接触するということは、確かに重要な案件だ楼
「そんなことはありませんよ」
しかし、これから起こることの重要性を理解して息を呑んだシャリオの耳に、当人である愛梨自身から否定の言葉が発せられる
「姫」
その言葉に戦王と先導者、シャリオの視線が向けられるが、愛梨はそれに微動だにせず、普段と変わらない穏やかな表情で微笑み返す
「私達の大切な仲間の事です。大事も些少もありません」
英知の樹との会談も、真紅のことも等しい重要性だと説く愛梨の声音からは、その深い思いやりに満ちた心根がありありと伝わってくる
「真紅さんがそのような強硬手段に出たのも、全ては私の至らなさが故です。理想や願いばかりを語って、未だに十世界の意思すら一つにまとめることができないから、そのような形で私の願を叶えようとしてくださったのでしょう」
まるで痛む心を手当てするように自身の胸に触れた愛梨は、その美貌に隠しきれない無力感と憂いを浮かべ、噛み締めるように言う
世界にもたらされる争いに心を痛め、自らを慕う者達が傷つくことの胸を痛め、そして自分が至らぬがゆえに止めることのできなかった仲間の行動の責任の一切を背負った愛梨は、それを受け止めて引き結んだ唇を開く
「先導者さん。戦王さん。何とか、真紅さんを止めて連れ戻してもらえませんか? 真紅さんの気持ちはとても嬉しいです。でも、私は解り合いたいのです――分かり合うことができないからと諦めて、結果だけを求める様な手段を取りたくありません」
一言一言自身に言い聞かせるように発した愛梨だったが、そこまで口にすると、そこで言葉を区切ってふと自嘲じみた笑みを零して目を伏せる
「綺麗ごとですね。――きっと、私がこんなことだから、真紅さんはこんなことをしてしまったのでしょうね」
十世界の盟主として、神の巫女と呼ばれる存在として、何より一人の存在としての願いもままならない虚無感を抱きながら天を仰いだ愛梨に、戦王が言葉を贈る
「それは違いますよ姫」
その声に視線を向けた愛梨をその瞳のない白い目に映した戦王は、遠く離れた世界で戦っている真紅を見る様な遠い視線を注ぎながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく
「あいつが本当に許せないのは、争うことを強いるこの世界でも、それを作った神でもない。あなたの願いを叶えられず、あなたを守ることのできない自分自身の不甲斐なさと弱さです
奴は、この十世界でも古株。そして特にあなた自身に対して忠誠が強い男です。それは覇国神の眷属も同じです。だから分かるのですよ……あなたは誰をも愛そうとしている。その思いを確かに受け取っている者もいるのです」
真紅の思いは、愛梨の唱える十世界の理念に共感しているほど理解できる。誰もが同調できる願いでありながら、決して同じになることのないもの
それを訴えかけるように語りかけた戦王は、その視線を愛梨から外すと小さく息をついてその思いに答える
「かしこまりました。我々から誰かを出しましょう」
「その必要はない。そういうことなら我々がやろう――こういうことは、嫌われ者がやるのが適任というものだ」
しかし、戦王の言葉は、先導者のそれに遮られる
その意思は反対だが、姫が望むならばとばかりに切り出された神敵に列なる存在の進言を受けた戦王は、釘をさすような鋭い視線を声を向ける
「やりすぎるなよ」
その言葉を聞いた先導者が小さく鼻を鳴らすのを見ていた愛梨は、悪意たる神敵と戦の神の眷属が、敵対しながらも互いを分かり合う姿に、自身の願う恒久的平和世界を実現させる小さな光明を幻視して、優しく慈愛に満ちた笑みを浮かべる
「お二人とも、ありがとうございます」
※
冥界の大陸に突き刺さった神の監獄――神獄の中にある隔離された牢獄世界の一つ。一面を新緑の森が覆い尽くし、起伏のある山や澄んだ大河が流れる自然豊かな世界の中で、滅びの力が渦を巻いていた
「く……ッ」
天地を滅ぼす闇が崩れ、その中から姿を現した十世界冥界総督たる死神「真紅」は、自分自身の身体を武器と化す特異型武器の力によって全身を武器化させていた
紅く光る血管のような文様を浮かべた金属質の光沢を放つ黒い身体で佇む真紅は、その三つの視線と知覚でこの場に現れた二人を捉える
「随分と早かったな、光魔神」
「そうか?」
低く抑制された真紅の言葉に答えた大貴は、神魔の魔力と共鳴したことで高まった太極の力が絡みつく太刀の切っ先を軽く振るい、不敵な笑みを向ける
「……!」
その言葉に答えるように、全身を黒化させた真紅の肩口に亀裂が奔り、そこから血炎が立ち昇る
全霊命の武器は己の神能が戦う形として具現化した自分自身。それを傷つけられるということは、己の魂と意思を傷つけられることと同義
故に、武器が傷つけられたことによる反動でその存在に損傷を受けた真紅は、口端からは血炎を零して大貴を見据える
(まさか、これほどとはな)
自分そのものを武器と化す力を持つ真紅にとって、武器と化した身体を傷つけられるということは、己の力と意思を超えられたということに等しい
神魔との共鳴によるものとはいえ、ここまで力を強化していることに内心で驚きを覚えながら、真紅はその視線をゆっくりと移動させる
その視線の先では、真紅から奪いとった漆黒の珠を神魔が大槍刀の一閃で破壊し、その中に封じられていた夜薙を助け出していた
「……ありがとうございます」
気絶することがない全霊命の特性によって、ここまで何が起きていたのかを正しく把握している夜薙は、自分を封印から解き放ってくれた神魔に感謝の言葉を述べる
その身体に刻み付けられた傷口からは未だに消えることなく血炎が立ち昇っており、その身に受けた傷の深さを感じさせる
「下がっててください」
「……はい」
神魔の声を受けた夜薙は、今の時分では足手纏いになるだけだと素直にそれを受け入れ、目を伏せるとそのまま森の中へ姿を晦ます
「――……」
「残念だったな。これで、お前の目的は達成できなくなった」
死神としての特性によって神能を知覚できない夜薙が森の中へ逃げ込んだのを見て取った大貴は、それを横目で見ていた真紅に声をかける
真紅達の計画には、夜薙の存在に溶け込んだ神器「融神器」の力が必要不可欠。それを失ってしまえば、なにもできなくなってしまうのが通りだ
「諦めて、ここから出て消えろ。――これ以上戦うことに意味はないだろ?」
混じり合うことがない純黒と純白の太極を纏う太刀の切っ先を向けた大貴が左右非対称色の双眸で睨み付けると、真紅は三つの目でそれを見据え穏やかな声音で言う
「――お前達が来る少し前、この世界に跋扈していた欲望の化身達が一斉に死に絶えた」
「?」
計画の要たる夜薙を失ったことに対する焦燥や憤りなど微塵もない真紅の声は、どこか達観しているようでこの状況に相応しいものとは思えない
そんな真紅の様子に対するものと、その言葉の内容に二重の意味で違和感を覚えた大貴が眉を顰めると、神になることを求めた十世界の死神を総べる長は、確信に満ちた視線と声を向ける
「――〝ルシア〟に会ったな?」
「!」
「やはりか」
その言葉に待機がわずかに反応を示したのを見て取った真紅は、自身の推察が正しかったことを確信して独白する
神獄の中に伴侶たる邪神と共に身を隠したルシアの存在を知っている者なら、ルシアがかつてヘイルダートの悪夢の際にさえ、誰にも味方をせず姿を現さなかった事を知っている
これまで世界に対して不干渉を貫いていたルシアが、突如光魔神に助力し、全面的にその力を振るったということは、九世界の歴史において大きな意義を持つ
そのことを思案していた真紅は、先程自分の三つの目で見た光景を脳裏に思い返していた。
神獄を支配する慾界神の眷属たる欲望の化身は、この世界にも無数に存在していた。知覚に捉えられない死神といえど、同じ全霊命には見つかってしまう恐れもある
最新の注意を払い、息を殺していた真紅の目の前で、そこにいた欲望の化身が消滅し、それに続くように次々と他の欲望の化身達が消え去っていったのだ
それは、真紅の知覚を以ってさえ正体を知ることができなかった滅びの連鎖。そうしている間に現れた大貴達を見て、真紅はそれをもたらした人物の正体を正しく把握したのだ
「――……」
(そこまでして、ルシアが力を貸す理由――なにか、あるというのか?)
これまで沈黙と不干渉を守り続けてきたルシアが突然その力を科したことを訝しんで険しい表情を浮かべる真紅に、大貴が問いかける
「それがどうした?」
自分達の身に起きたことがどれほど重大な意味を持っているのかを理解していないらしい大貴の言葉に意識を向けた真紅は、眼前にいる円卓の頂点に座す神を見据えて息をつく
(まあいい。そんなことは、今考えても仕方がないことだ)
心の中で自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えた真紅は、その両腕を黒化させて臨戦態勢に入ることで、先程の大貴の問いかけに対する自身の意思を示す
「そういえば、まだ答えていなかったな」
「――!」
それを見た大貴が目を瞠って太刀を構えたのを見て、真紅は、両手を組んで一つにした拳を前に突き出すと同時に咆哮する
「これが、俺の答えだ!」
その言葉に応じ、黒化した真紅の腕から巨大な黒槍が放たれ、左右非対称色の黒白の翼を広げる大貴へと向かって放たれる
真紅の渾身の冥力が米らえた大槍は神速で天を穿ち、触れるもの全てを滅ぼす威力を以って大貴へと向かって奔った
「っ、馬鹿が……!」
真紅が放った極大の槍を非対称色の双眸に映した大貴は、戦わずに退ける最後の一線を踏み越えた一撃に舌打ちし、黒白の力を纏わせた斬撃でそれを打ち払う
同時に、真紅の背後には夜薙を解放した神魔が暗黒色の魔力を纏わせtあ大槍刀を手に肉薄しており、その刃を力任せに叩き付ける
横薙ぎに放たれた神魔の斬閃は、大貴の太極の神力によって共鳴、強化されており、その威力を各段に増している
ただでさえ、ここ最近急激に力を増し、強くなった神魔の魔力は、大貴の共鳴の力によってさらにその力を高め、真紅でさえ圧倒するほどにまでなっていた
「――ッ」
掠めただけで、存在の根底まで震わせるほどの圧倒的な威力をみせる神魔の斬撃に歯噛みし、わずかにその表情を引き攣らせた真紅は、一点の陰りもない黒と白の力を放出しながら肉薄してくる大貴を知覚で捉えてその三つの目を細める
(さすがに分が悪いか……)
いかに自分といえど、今の神魔と大貴を一度に相手にするのは骨が折れると判断した真紅は、武器を振り上げ、前後から挟むように斬撃を放とうとしている悪魔と太極の神に、自身に宿った神の力を向ける
「界棋盤」
「――!」
瞬間、二つの斬撃が命中するよりも早く、真紅と神魔が世界から消え、標的を失って斬撃を空転させた大貴は、何が起きたのかを理解して小さく舌打ちをする
「くそ……ッ!」
「これは――っ!」
その頃、真紅の神器によって二人だけの隔離空間へと連れされれた神魔が一瞬の動揺を浮かべた瞬間、その衝いて黒化した腕から伸びた大鎌が振るわれる
「く……っ」
純然たる殺意を帯びた冥力の斬撃を紙一重で交わした神魔は、頬についた一条の浅い切り傷から血炎を立ち昇らせながら、大槍刀に纏わせた魔力を真紅へと叩き付ける
闇よりも暗く、暗黒よりも黒い力に込めれた純然たる滅びの意思が世界に顕現し、神器によって想像された大地を薙ぎ払い、天を震わせる破壊を振りまく
「はあッ!」
その時、世界を無明の闇に閉ざす魔力の解放を突き破り、微塵も臆することなく一直線に肉薄してきた真紅が、黒化した腕から伸びた太刀を神魔に向けて最上段から袈裟懸に振り下ろす
全霊の冥力が込められた真紅の斬撃を魔力を帯びた大槍刀の刃で受け止めた神魔は、その力の圧で軋む身体で双眸を険しく細める
「――大貴君との共鳴も切れちゃったか」
神器界棋盤によって作られた空間に囚われた時に、太極による大気との共鳴も切断されてしまっていた
「そのために、ここに取り込んだわけだからな」
神魔の双眸と真紅の三眼が真正面からぶつかり合い、身体そのものである黒刃と大槍刀の黒刃がせめぎ合って相殺される冥力と魔力が火花を散らす
口端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる真紅を見据える神魔は、しかしそれに動じることなく魔力を解放する
「そう。でも、だからって、簡単にやられては上げないよ」
神格の及ぶ限り、この世に思うままに現象と事象を顕現させる神能の権能を解放し、力任せに大槍刀を振るった神魔は、その力によって真紅を後退らせる
知覚から伝わってくる魔力の強さ。そして、闇色の力に込められた純然たる殺意が真紅の存在に重圧のような衝撃をもたらす
「そうだな。一筋縄ではいかなそうだ」
共鳴が途絶えても、決して雲泥程の開きもない神魔の魔力を感じながら険しい表情を浮かべた真紅は、全身を武器化させると、黒化した肉体を高めて限界まで戦意を高揚させる
自分自身を武器化することができる真紅の武器も、無尽蔵に武器化できるわけではない。刃を出すにしても、一度に身体の体表面積分までしか武器として顕現させることはできない
放たれる武器は、常に最大で体表面積分。即ち、真紅が全身を黒化したということは、まさに自分の身体そのものを一つの武器としたということだ
「はああっ!」
戦意と殺意が一体となった重低音の声と共に天を蹴った真紅は、助速など必要とせず最初から最高速の神速を出して神魔にその拳を振るう
全身を武器と化した真紅は、その存在そのものが凶器。その状態で繰り出される拳も足も、刃であり、土であり、鞭であり、槍である殺傷と滅殺の武器と化す
「――ッ!」
その拳を回避した神魔は、知覚できずとも伝って来るその危険性を敏感に感じ取り、大槍刀に魔力を纏わせて迎撃する
漆黒の魔力を纏った神速で薙ぎ振るわれる神魔の大槍刀を身体で受け止めながら、真紅は同時に体勢や軸などを一切必要としない肉弾戦で責め立てる
自身の一つの武器と化し、全霊の冥力を注いで放たれる真紅の攻撃は、一撃一撃が速さと破壊力を持つ攻撃
神速で嵐のように放たれる嵐撃を、神魔がほぼ同等の速度で捌くことで、神器によって作られた世界に魔力と冥力の衝突と相殺によって生じた闇色の太陽が幾億と顕現する
一撃一撃が自分の命を奪いかねない威力を込められた攻撃の乱舞。死の一歩手前にその身を晒し、一筋の生を掴み取ろうと大槍刀と肉体を振るう神魔と真紅は、無意識の内にその口端を吊り上げて笑っていた
「はああっ!」
「オオオッ!」
一瞬にも満たない時間の中で、もはや打ち合った攻撃の数など把握できない神魔と真紅は、互いに眼前の敵を撃ち滅ぼすために全霊の力を己が武器に纏わせて真正面から叩き付ける
「なっ!?」
しかし次の瞬間、渾身の威力を以って最上段から振り下ろされた神魔の斬撃は空を切る。そこに込められていた純然たる殺意が神器の世界の大地を斬り裂いたと同時に、神魔の周囲の風景が一変し、深い緑に覆われた大地の上空へと放り出される
「しまった。乗せられた……!」
神器の世界から、神獄の中に在る世界へと戻されたことを察した神魔は、その周囲に大貴が知覚できないことから、真紅の目論見に歯噛みする
「いい反応だったな」
その頃、全身を黒化した真紅は、手刀の形を取った手と刃を合わせている人物を見て不敵に口端を吊り上げて見せる
そこにいるのは、この世の全を己が一へと取り込む太極の神力を持つ存在「光魔神・エンドレス」――即ち大貴だった
神魔が神器に取り込まれ、神獄に取り残された大貴は、突如真紅からの奇襲を受け、気が付いた時には神器の世界へと取り込まれていた
その攻撃を防いだ大貴は、神魔と共に神器の世界に消えたと思っていた真紅が突然現れた事実に、最悪の可能性を想像せずにはいられなかった
「お前がここにいるってことは、神魔を殺したのか?」
「いや。相手を乗り換えたんだ」
真紅の手刀と自身の太刀が冥力と神力の火花が散らす中、険しい表情で問いかけた大貴は、返されたその答えに安堵し、放たれた蹴撃を後方へ身をずらして回避する
「随分、セコイ戦い方するんだな」
身を引いて斬撃と打撃の力を持つ蹴りを回避し、反撃した大貴の声音に憤りはなく、むしろ喜悦の色が混じっていた
それは神魔の生存に安堵したことに対する者であると同時に、真紅という強敵と相まみえている戦闘による昂揚であることを、大貴自身は気づいていないかもしれない
「戦いだからな。セコかろうと殺せば勝ちだ。全霊命というのは、元々最強の存在であるがゆえに、同じ全霊命に絡め手を取られると案外弱い」
「同感だ」
その身を武器として振るう真紅の攻撃を、黒と白のちからを纏わせた太刀で捌きながら、大貴は不敵に口端を吊り上げる
自身の望むままに事象を支配する全霊命は、この世界において神に次ぐ絶対的強者たる存在。その力ゆえに下手な絡めてや策略を力任せにねじ伏せてしまえるため、限りなく神格が近いもの、あるいは神器などを用いた変則的な攻撃に虚を突かれやすい面がある
自身の身体につけられた真紅の攻撃による傷の痛みに、その言葉を痛感しながら、大貴はそれでも怯むことなく純然たる黒と白が混じり合うことなく同時に存在する太極の力を解き放つ
「――っ!」
太極を纏わせた刃を自身の身体で受け止めていた真紅は、そこから生じた違和感にその三つの目を剣呑に細める
大貴――円卓の神座№1「光魔神・エンドレス」が持つ神力である「太極」は、この世の全てを取り込むことができる。
その力の特性によって、神能そのものである冥力、そして武器化した肉体までを含めた真紅という死神の存在そのものを太極へと還そうとしていた
「これが――十世界の理念のために神になることが、お前の目的なのか?」
太極と冥力が相殺し合い、火花を散らしてせめぎ合う中、大貴は以前、神器によって作れた戦場の中で真紅と交わした会話を思い返して問いかける
低く抑制された詰問の声に、その心の奥底を見通そうとしているかのような左右非対称色の双眸を送る大貴は、真紅の真意を見通すべく言葉を続ける
「それとも、ただ惚れた女をお取り戻したいだけなのか?」
真紅の行動の根幹にあるものを見通そうとして問い呆気た大貴の目に映るのは、その言葉を聞いて眉ひとつ動かすことのない真紅の能面のような表情だった
「冥からでも聞いたか……少しばかり恥ずかしいな」
自分がシェオルに向ける感情を知っていることから、その情報源を正しく推察して特定した真紅は、太極による合一の力がこれ以上及ばないように、その手の平を大貴へと向けて極大の冥力砲を放つ
「両方だよ」
極太の冥力の滅閃を逃れ、左右で色の混じり方が違う黒と白の翼を羽ばたかせて移動する大貴の耳に、力に乗せられた真紅の声が届く
「以前の戦いでお前も言ったはずだ。神は、世界を選ぶ側ではなく、決める側だと。ならば、選ぶ側ではなく決める側になってもらうこと! それが、十世界の理念を実現し、姫を幸福にする――それが俺の願いだ」
冥力の極砲で大貴と一端距離を取り、太極の影響から逃れた真紅は、自身の存在の合一化が止まったのを確認して一振りの武器とかしたまま、再度一直線に肉薄していく
「ハアアッ!」
渾身の冥力を纏わせた拳を大貴へと叩き込んだ真紅の三つの瞳には、自身の攻撃を受け止めた太刀の刃と黒化して硬化した身体が甲高い金属音を響かせながら咲かせている火花が映っていた
この世界に存在する者である以上、この世の理から逃れることはできない。光、闇、全霊命、半霊命――自らは、自らとして生まれた存在を享受し、その許された中で生きていかなければならないのだ
命を命たらしめるものが愛であるならば、それが同じでない以上争いが生まれる。あるものは自分を、ある者は愛するものを、信念を、正義を守るためにこの世にあまねく命は、すべからく意思の刃を向ける
言葉は心を表すものだが、心に替わることはない。どれほどの言葉も、願いも、人の――少なくとも、全ての人の心を動かし、変えるには至らないのだ
だからこそ、力がいる。世界を――人の在り方を変えるには神の力が。大切なものを守るためには、降りかかる全ての脅威を退ける力が必要なのだ
「光魔神。お前は、俺を愚かだと思うか?」
「――あぁ。お前は間違ってる」
刃を合わせた真紅の自虐的な笑みを受け止めた大貴は、叶わぬ願いに絶望することなく手を伸ばし続けたがゆえに、決して実現しえない手段を取ったその姿に、憐れみと敬意を込めて答える
生きていれば、世の中はこういうものだと受け入れ、諦めなければならないことの一つや二つはあるだろう。それが、人が作った法律ではなく、この世の全てに等しく与えれた神の理ならばなおの事だ
だが、真紅はそれを許せなかった。愛梨が願う恒久的平和を心から実現させたいと望んだがゆえに、それが実現しないことを悟り、他ならぬその人のために、世界そのものを作り変えることを望んだのだ。――たとえ、それが形の似たまがい物であると分かっていたとしても
「俺もだ」
大貴の言葉に口端を吊り上げてって機嫌良さそうに嗤った真紅は、武器と化したその身体を己が信念で研ぎ澄まして攻撃を繰り出す
それを迎え撃つ大貴と真紅の神速の応酬が繰り広げられ、神器で作られた世界の中で力が渦を巻いて荒れ狂い、天地を震わせる
「我らが、神になることを傲慢だというか、異端なる神よ!」
「が……ッ」
真横から叩き付けられた斬蹴撃の威力を受け止めきれなかった大貴は、その衝撃を全身に叩き付けられながら、力任せに吹き飛ばされる
そのまま大地に激突し、地面を削りながら地平の彼方まで吹き飛ばされた大貴は、左右非対称色の翼を羽ばたかせて飛びあがると、太極を纏う太刀を肉薄してきていた真紅に叩き付ける
「ああ。世界を変えようとする奴は、神じゃない……! あんたは、ただの一人の男だ!」
静かな方向と共に、大貴が逆袈裟に切り上げた黒白の斬撃が奔り、今度は先ほどとは逆に真紅がその威力に押されて後退させられる
「格好いい理由をつけるんじゃねぇよ! お前がそこまでして本当に守りたかったのは、たった二人の女のはずだ!」
「――!」
真紅の攻撃を捌きながら、太刀から手を離した大貴は、自身に向かって放たれてくる神速の攻撃を紙一重で交わしながら切り込んで全霊の太極を込めた拳を撃ち込む
「く……ッ」
武器と化した身体を介してさえ感じる衝撃と、それ以上に核心をつくような言葉に、真紅は地面を後退りながら歯噛みする
真紅の脳裏に浮かぶのは、自分が心から想う二人の女性。想いを寄せ続けている純白の死神「シェオル」と、十世界盟主「奏姫・愛梨」の姿
真紅は、十世界の理念を自分のために実現させたいと考えているのではない。愛梨のためにそれを成そうとしているのだ
それは、蒐集神にとられたシェオルを助けたいと願う意思に等しい。真紅はその心に従い、最も大切な者のために、世界の全てを敵に回したのだ――そう、真紅自身が守りたいと願っている人さえも
「あんたは結局、どこまでも全霊命なんだよ。どこにでもいる、惚れた女のために命を賭ける馬鹿な男だ!」
大切なもののためならば、それ以外のすべてを切り捨てることができる闇の全霊命としての在り方のままに刃を取った真紅を見据えた大貴は、極大の太極斬を渾身の力で叩き付ける
その力が炸裂し、白と黒が世界を二色に塗り分ける中、全身を武器化した真紅は、さほど大きな傷もなく後退し、次の剣戟に向けて冥力を洗練させながら一合の時を待つ
「――っ!?」
しかしその瞬間、真紅はその三つの目を限界まで瞠り、目の眼で起きている光景に息を呑む
(馬鹿な。奴の神格が、跳ねあがってきている!?)
真紅の三つの視線が映す大貴は、その力である太極の力が先程までとは比較にならないほどに高まっており、それを知覚した真紅は、あまりに強大過ぎるその力に戦慄していた
(これはまるで――)
大貴が放つ太極の今にも消し飛ばされてしまいそうな感覚を覚えながら、真紅はその強大な力の圧、そして何よりもその高まった神格に話す言葉を失っていた
「待たせたな。ようやくだ」
「――!」
(そうか。これは……)
その口を開いた大貴の声で我に返った真紅は、もはや全霊命の息にない神格と規模を持つ力の根拠を口にする
「界棋盤と一体化したのか……!」
うなされるように呟いた真紅の言葉に、大貴は小さく笑みを返すことで肯定する
以前、妖精界でやったように、万象を合一して取り込む太極の力を自身へと取り込んだ大貴は、真紅が持つ神器の神格のままに、その力を神の領域に届くまでに強化させたのだ
「この神器は、少しばかり、俺と相性が良すぎる」
力の共鳴によって神器の力を散り込み、その神格を用いて自身の神能を高めた大貴は、左右非対称色の瞳で真紅を射抜く
界棋盤は、この世界そのものが神器といっても過言ではない。故に太極の力によって共鳴する対象があまりにも堂々と晒されていた
意図するまでもなく、自身の力の及ぶ範囲全てが真紅そのものなのだ。通常の神能と違って共鳴までに時間がかかってしまったが、一度その片鱗を取り込むことさえできれば、あとは強化されるままにその力を神格まで引き上げることができる
「――いくぞ」
神器との共鳴によってその力を神の領域まで引き上げた大貴は、抑制された声音で宣告すると同時に、神黒と神白の力を帯びた太刀を一閃させる
神器との共鳴によって、神位第六位に等しい力を得た大貴の力は、もはや真紅の神格では遠く及ばない領域に至っている
その力で顕現した事象に、ただ神器を使えるだけの一全霊命が及ぶべくもない。まさに神すら断つ力と速さを持つ一閃を知覚することもできず、真紅が気が付いた時には、全身を黒化させたその身体から、天を衝くような勢いで血炎が噴き吹き上がっていた
「……俺の、負けだ」
身体に刻まれた傷へ視線を落とした真紅の達観した声がどこか嬉しそうに聞こえたのは、大貴の気のせいだったのかもしれない