葬送~悪夢から覚めて~
世界を照らし出している光を喰らっているかのような艶のない黒。それが、空をかき分けるようにゆっくりと掲げられ、その切っ先に絡みついた紫色の冥力が黒に彩られる
同時に天空から降り注いだ無数の黒杭がシキトに命中することなく周囲に突き刺さり、黒い墓標の群れを作り出す
「――終わりにするぞ、鎖牙」
「……あぁ」
艶のない漆黒の太刀を携え、低い声で決着を求めてきたシキトに、鎖牙は一拍の間を置いて小さく笑う
二人が抱く椎稲への想いは同じ。しかし、今二人はその同じ想いを胸に抱きながらそれぞれの信念を以って敵対していた
「決着をつけよう。――俺達と、椎稲との約束に」
寂しげに笑い、シキトの言葉に答えた鎖牙は、自身の冥力を纏わせた黒杭で地面に突き立てられた黒杭を叩き、それらを一斉に反響させていく
その言葉に答えるように、シキトは全霊の冥力を纏わせた漆黒の剣を握る手に力を込め、そして一拍静かに静寂を作り出すとおもむろに地を蹴る
瞬間、シキトは神速で奔る漆黒の矢となって無数の黒杭で自身の冥力を共鳴させている鎖牙へと向かっていく
その眼前で、地に突き立った黒杭が一斉に砕け散り、そして次の瞬間知覚を奪う冥力の波長が瞬間的に世界から全てを奪い去る
目に映ることがないほどの極小のサイズへと破砕された黒杭は、冥力が持つ知覚されない特性を完全な消失までの一瞬に最大限に顕現させ、その力をもつ者――即ち鎖牙自身の存在を完全に消し去る
知覚はもとより、視覚、聴覚、嗅覚、触覚――一瞬だけ作り出されるその虚ろな空間は、シキトの認識から鎖牙の存在を完全に消失させ、そして必殺の一撃を打ち込む一瞬の隙を作り出す
(――っ)
だが、そのすべてが失われた空間の中に在っても、シキトはその力を緩めることは無い。ただ一直線に、まっすぐに自身を神速の矢と変えて刹那すら介在しえない時間を以って世界を貫く
シキトと鎖牙は親友であり好敵手。故に互いの手の内を知り尽くしている。鎖牙のこの技をシキトが知っているように、シキトの黒太刀を鎖牙も知っている
本来、シキトの黒太刀は敵との剣戟の刹那に抜き放ち、その命を斬り取るための暗器。それを目の前で堂々と抜いて見せたのは、この一撃で終わらせるというシキトの覚悟の表れだった
「オオオオオオッ」
まるで静寂の世界を打ち消そうとするかのように声を振り絞ったシキトの咆哮に応え、鎖牙もまたそれに等しい咆哮を上げる
一瞬だけ、互いが認識できな世界に身を置いた二人は、しかし誰よりも確かにお互いを認識し合い、そして真正面からその刃を切り結ぶ
《シキト、鎖牙》
時間の介在を許さない神速の邂逅の中、シキトと鎖牙の脳裏には、椎稲との様々な想いが甦っていた
「――……」
そして、二つの斬閃が閃いた次の瞬間には、シキトと鎖牙にかき消されていた世界が戻ってくる
その身体から吹き上がるのはおびただしいほどの血炎。まるで思い出を焼く炎のように燃える血炎を噴き出し、そのままその場に崩れ落ちたのは――シキトの刃でその胸の中心を貫かれた鎖牙だった
「グ……ッ!」
(やっぱ、強いなお前は……)
血炎を上げて膝をついた鎖牙は、一度自身の胸の中心を貫いている黒刃の刀へ視線を落とすと、そのまま視線をシキトへと向ける
まだ背を向けているため、鎖牙の目に映るのは漆黒の霊衣を翻すシキトの後ろ姿だけ。そしてその左腕は中ほどから失われていた
(腕一本――か)
心の中で独白し、視線を滑らせた鎖牙の目に、先程の一撃で切断され、宙を舞っていたシキトの腕が回転しながら落ちてくるのが見える
身体から離れたことで、すでにその形を維持できずに崩壊を始めていたそれが完全に消失するのを見た鎖牙は、静かに目を伏せて口端を吊り上げる
「俺の、負けだ……」
同時に、鎖牙の身体の輪郭が揺らぐ。――それは、胸に突き立てられたシキトの太刀が自分の命を貫いたことの証。神能そのものである全霊命に与えられる存在の終焉、死の形だった
「やっぱり強いな、お前は」
自分を殺めたシキトに対して怨嗟の念を向けることなく、鎖牙は、己の死を受け入れた穏やかな声音で小さく呟く
背中越しに届いてきた友からの賞賛と勝利を称える声を、背中を向けた受け止めたシキトは、その三つの目をわずかに細める
「お前達が作ろうとしたのは、少なくとも十世界盟主が望んだ平和じゃないだろう? あいつは、誰もが戦わないことを選んだ結果、世界から争いが消えることを望んでいるはずだ」
感情の籠らない淡泊で抑揚のない声を背中越しに友へと送るシキトは、道を違えてしまった親友との決別に沈痛な面持ちを浮かべていた
真紅達が求め、鎖牙が賛同した平和の解は、確かに十世界盟主たる姫が求めるものと同じ。しかし、姫が求めているのは、世界にいる誰もが争いを避け、そして手に手を取り合う心から笑いあうことができる夢のような理想郷だ
その理想郷を同じように求めたからこそ、鎖牙達はそれを実現しようとした。確かにそれは、十世界の――その盟主が唱える恒久的な平和ってやつを実現させるのに、最も簡単で一番確実性がある合理的で現実的な手段だろう
真紅達の手段で仮に争いのない世界が出来上がったとしても、それは、平和になった世界ではなく、平和であることしか許されない世界でしかない――それは、先日の戦いで冥も言っていたことだ
「姫は、平和な世界が欲しいんじゃない。この世界に住む全てのものに戦いをしない意思を持ってほしいんじゃないのか?
『みんなで飯を作ろって食おう』って言ってるのに、お前達が作る飯は不恰好で不味いからって、店に行って〝ほら、この飯はうまいから食えよ〟なんて言っても、それはそもそも本題からずれてるだろ? お前達がやっているのはそういうことだ」
淡泊な口調で背中越しに語りかけられるシキトの声に、鎖牙は無言のまま耳を傾ける
「お前達のやり方は侵略と同じだ。例え戦いや犠牲がなくなろうとも、それをやった瞬間に、お前たち以外の全員が敗者で、犠牲者になるだけだ」
平和が分かり合うものだとするならば、真紅達のそれは平和ではない。ただ勝者が敗者を、力ある者が力ないものを支配するだけの序列と秩序の世界だ
「……お前達が、勝手に姫の願いを諦めて、都合のいいように解釈してやるなよ」
姫が願うものと、真紅達が成そうとするものの決定的な違いは確かにそれに近い。結末は同じだが、その過程に決定的な齟齬が生じている
「無理だ」と本人でもない者がその人の願いを諦め、別の同じ結末をもたらそうとしている。それはひとえに姫を思えばこそなのだろうし、恒久的世界平和の実現という理念に対する真紅達の真摯な想いの裏返しでもあるのだろう――だが、結果的にその偽りのない本心や、強い忠義心が姫自身の想いを裏切ってしまっているのだ
「そんなことは分かっている!」
シキトの淡々とした声を背中で聞いていた鎖牙は、その言葉に魂の底から絞り出したような同国で答える
弱り切った身体で張り上げられたその声には覇気がなく、しかしだからこそ十世界と姫が願う理念と現実の間ですり潰される人々の運命の儚さを強調していた
「だが――それで、何が変わる? その間にも誰かが戦いで死ぬ。その方法があるのに、いつか実現させて見せるからって、今死んでいく奴らを見過ごすのか!?」
まるで道を違えた二人を象徴するかのように、シキトに背を向けた鎖牙は、引きちぎられる様な思いに彩られた声で嘆く
「大切な者を失う痛みは、俺達には痛いほどわかるはずだ。! これ以上、戦いで大切な誰かを殺させないようにするにはどうすればいい? 姫がいつか叶えてくれるはずだと、今の犠牲を目にしながら訴え続け、実現を待っていればよかったのか!?」
そう語る鎖牙の心に椎稲の姿が映っているであろうことは、シキトには容易に察することができた
椎稲の死という受け入れ難い現実。愛する人を守れなかった絶望。なぜこんなことになってしまったのかというやり場のない心
おそらくは自身と全く同じ悩みを抱き続けてきたのであろう鎖牙の想いは、シキトには痛いほどよく分かるものだった
「なぁ、シキト。なら俺は――俺達はどうすればよかったんだ……!?」
怒りと悲しみが混在し、道に迷ってようやく見つけた一筋の光明さえ、正しくはないのだと知っていてなお突き進んだ鎖牙は、己の生の最期に、歩き続けた足を止めて初めてその答えを求める
輪郭が崩れ、その存在が失われていく中でかきむしるように求められた答えをシキト自身返すことはできない
真紅達が取った手段は、正しくはなくとも間違ってはいなかった。それを求める者に、示すことができるたった一つしかない確実な道だったのも確かだ
だが、それを否定したシキトは、この別れの最期にその命を奪った者として、そして何より友として送る答えが必要があった
「さぁな。ただ、それを見つけるのが――いや、見つけられなくても、答えがなくても、それを探し続けるのが生きるってことなんじゃないのか?」
鎖牙の想いに胸を締め付けられながら、シキトはわずかに細めたその三つの目で空を仰ぎながら囁くような優しい声で答える
この世界には答えがあることばかりではない。そんなことは分かりきったことだ。多くの者は諦めて、あるいは許容して、そして達観して生きている
だが、それでもそれを諦めず、もがき続ける者もいる。そしてそれは間違っているということはない。鎖牙の想いを噛みしめながら答えたシキトは、かつて過ぎ去った日々を思い返し、そして未だ来ない明日を幻視するような遠い目に青い空を映しながら、ゆっくりとその口を開く
「お前は夢を見ていたんだよ、鎖牙。現実っていう、どうにもならないほど理不尽で、残酷な悪夢から目を背けるための夢を」
傷ついた友の肩を叩くような優しく強い声で語りかけたシキトは、背後で鎖牙がわずかに身じろぎしたのを感じ取って小さく笑う
「俺達が椎稲を好きになったように、結局俺達は似た者同士なのかもしれないな。俺が、過去に囚われているのだとすれば、お前は未来に――見果てぬ夢に囚われていたんだ」
「――諦めて、受け入れるだけが現実だというのか……?」
「滑稽だな」とでも聞こえてきそうなシキトの言葉を聞いた鎖牙は、地面へと視線を落としながら失意を隠し消れない声音で訊ねる
シキトの言葉は正しく、世界の誕生以来誰もがそうしてきた――そうせざるをえなかったことだ。思いのままに世界を改変できる全霊命であっても変えることができず、ただ許容し共存してきた世界の在り方に、鎖牙は唇を引き結ぶ
「諦められなくても、受け入れられなくても、それが現実ってやつだろ」
寂しげに続けられたシキトの言葉は、その心の内を雄弁に物語るものだった。シキトもまた、椎稲の死を認めたくはないのだと
だが、それでも今自分ができることしなければならない。生きていかなければならないのだと友の淡泊な声は泣いていた
「夢がないな」
シキトの言葉を背で受けた鎖牙は、その形を失っていく中で小さく笑ってみせる
その言葉を聞いたシキトは、それに同意を示すように小さく口端を吊り上げると、そのまま首だけを回して三つの目におぼろげな輪郭へと変わっている鎖牙を映す
「……現実から覚めた気分はどうだ?」
この最期の一時だけ、なんのしがらみもなくただ一人の女を巡って争っていた親友であり、ライバルである関係へと戻ったシキトが声をかけると、その意図を汲み取った鎖牙は、ゆっくりを瞼を閉じる
「――最悪だ」
その言葉と共に形を失い、冥力の残滓へと溶けていく鎖牙を見たシキトは、一瞬だけ沈痛な面持ちを浮かべる
「椎稲に怒られて来い」
背中で鎖牙が冥力へと溶けていくのを見届けたシキトの耳に、友の胸に突き刺さっていた自身の武器である太刀が地面に落ちて生じた空虚な金属質の響きだけが残響していた
※
神獄の中に広がる世界の一つ。無数に立ち並ぶ都市群の中を、純白の双翼を羽ばたかせた天使――「クロス」が神速を持って駆け抜けていく
神能の持つ権能により、あらゆる物理特性を無視することができる飛翔は、物理的にありえない軌道を描きながら乱立する高層建築群をすり抜けて行く
「く――そッ、たれが……」
しかし光を纏って光を超えるクロスの表情は冴えず、噛み締められた口から苦虫を噛み潰したような声が吐き捨てられる
その身体には無数の傷がついており、そこから立ち昇る血炎が純白の軌跡の後に、赤い余韻を残していく
(どこだ、どこから来やがる……!?)
自身の武器である大剣を手に飛翔するクロスは、知覚できない死神を知覚するために、自身の光力をソナーのように全方位に張り巡らせながら、それが消える場所を捜索する
だが、知覚を研ぎ澄ませるクロスの努力を嘲笑うかのように、〝空白〟を捉えることはできない
「――ッ」
そして、その代わりとばかりに返されたのは、摩天楼の間を縫って放たれた冥力の斬撃。
車輪のように回転しながら迫ってきた冥力の斬撃を光力を纏させた一撃で相殺したクロスは、その方向に光力の極撃を放つ
「……ダメか」
それが虚しく空を切ったのを感じ取ったクロスは、一瞬の思案の後にその目を鋭く細める
(姿が見えない。知覚もできない……こっちからは見つけられないのに、あっちから見えてるなら、このままじゃジリ貧もいいところだ。なら、もうこれしかないな)
姿の見えない敵に業を煮やしたクロスは、純白の翼を羽ばたかせて頭上に光力を収束させる
「――ここは神が作った世界。ちょっとばかり無茶してもいいだろ。遠慮なくやらせてもらうぞ」
誰にともなくそう呟いたクロスは、頭上に生み出した白光の太陽から極大の光力砲を放って摩天楼の大地へと打ち込む
瞬間、クロスが定めたもの――今戦っている死神「狂牙」――を滅ぼす意思を与えられた光力が、全てを浄化し消滅させる神聖な光の爆発を生み出す
(さぁ、どこだ……!?)
慾界神を封じるために司法神によって作られた神獄の中の世界は、全霊命の力を以ってすら破壊することはできない
それが分かっていても、破壊対象を限定して光力砲を放ったクロスは、摩天楼の大地を呑み込む光の中へ意識と知覚の全てを向ける
死神は全霊命の知覚でも捉えきれない存在。完全に姿を見せないのなら、それを燻り出す最も効果的な手段は辺り一帯を容赦なく焼き尽くすことだ
いかに知覚ができなくても、そこに存在していることには変わりがない。神能の破壊対象限定の力を以って撃ち込まれた光力の渦は、視界に映る範囲すべてに及び、そこに標的がいれば確実にその姿をクロスに見せてくれるはずだ
「残念、そっちは外れだ」
「!」
瞬間、頭上から聞こえた声にクロスが視線を跳ね上げると、そこには獣の頭蓋を思わせる兜を被った十世界に所属する死神「狂牙」が骨のような槍戟を手に浮かんでいた
天に足を向け、地に頭を向けて逆さまに滞空していた狂牙は、その声と共に骨槍戟を一閃させる
「く……ッ」
首を斬り落とすその斬閃をかすり傷ひとつで回避したクロスは、首筋から立ち昇る血炎を無視して広げた白翼から無数の光力の閃光を放つ
「残念」
一つ一つが意思を持っているかのように奔る神速の閃光を槍で弾き、回避してみせた狂牙は、その槍を振るって生み出した冥力の膜で自身を覆い尽くしてその姿を完全に消失させる
「くそ……っ!」
(こいつ、完全に姿を消せるのか……!)
それを見て苦々しげに履き捨てたクロスは、神速で飛翔しながら距離を取ると苦々しげに歯噛みして自身を光力の結界で包み込む
(あーらら。俺を見つけるのを諦めて、防御に徹したか……これは分が悪い)
自身を冥力の膜で包み込み、姿を隠した狂牙は、結界で自身を包み込んだクロスの姿を遠目で見ながら、心の中で独白する
狂牙の武器が生み出す冥力の膜は、知覚はもちろんの事自身の姿や己が発する音をはじめ、あらゆる存在の痕跡を完全に隠す力を持っている
そして何よりも優れているのは、通常の全霊命が死神を見つける手段――自身の周囲に神能の波長の領域を展開し、そこに生じた空白を感知することで発見する――に対しても効果があるということだ
隠蔽というより迷彩に近いこの力は、完全に周囲と溶け込むことができるため、知覚を凝らさなければ容易には見つけられない程度まで狂う牙を隠すことができる
(あいつ、さっき攻撃の瞬間に姿を見せた――ってことは、あれが俺をいたぶるためって理由でもない限りは、あの姿を隠す力は攻撃の時には使えないってことだ)
光力の結界に身を包んだクロスは、自身の周囲に無数の光力の星を生み出すと、それを全方位へ向けて射出する
光力が収束された光はその力が及ぶ距離全てに届き、破壊対象を限定した白光線で舐めるように空間を薙いでいく
姿を消す狂牙の力が常時のものなら、姿を消したまま攻撃を仕掛ければいい。だがそれをしないのは、おそらくあの力を使ったまま攻撃ができない身体をクロスは推察していた
そしてそのクロスの推察はおおむね正しい。死神でなくとも全霊命が全霊命の知覚を逃れる術はある。
それは、普段無意識の内に知覚から切り捨てている小さな力にまで力を弱めること。そして、狂牙の迷彩――否、冥彩は その状態でいることでその真価を発揮する。即ち、力を大きく発動させてしまえばしまうほど、その内側にいる者を隠せなくなってしまうのだ
(――なァんて、言うと思うなよ?)
しかし、そんな自身の力の欠点を誰よりも理解している狂牙は、それを見抜かれた程度の事で狼狽することはない
自分を探すように世界を穿ち薙ぐクロスの光力の閃光を軽やかに回避しながら、骨槍戟を手にした狂牙は、その刃を光力の結界の中にいる天使へと向ける
死神の武器は、その大半が暗器としての機能を備えている。そしてそれは、狂牙であっても例外はない
自身の居場所を知覚されないよう、細心の注意を払いながら可能な限り冥力を使わずに軽やかに閃光を躱して天を舞う狂牙は、その骨槍戟の切っ先をクロスへと向ける
(――死ね!)
瞬間、狂牙の意思を受け取ったその力そのものである骨槍戟は、自身の求めるままにその刃を射出する
その柄から離れた骨槍戟の刃は、最初から最高速の神速を出して結界で身を包んでいるクロスへと放たれる
「――!」
さすがに全霊の殺意を帯びた冥力の攻撃は、知覚の波長に穴となって表れる。神速で自身へと向かって来るそれをクロスが知覚して認識した瞬間、その結界に刃が突き立てられた
「これは……刃だけ?」
自身の結界に突き刺さり、光の護りを揺るがした冥力の塊たる刃を見止めたクロスが目を瞠った瞬間、その背後から再び刃が結界に突き刺さる
「ッ!」
一瞬目の前の刃に気を取られた所為で知覚の穴に気付けなかったクロスは、結界を揺るがす衝撃を以って叩き付けられた刃に歯噛みし、その方向へ極大の光力砲を放つ
だがそこにはすでに狂牙はいない。一撃を放つ共に離脱した狂牙は、自身の存在を隠蔽しながら、全方位からクロスを狙い撃っていく
(――この、野郎)
正面かと思えば背後、背後かと思えば、右、右かと思えば下――攻撃によって乱れる力の波長による知覚の一瞬の乱れを利用し、さらに八種の全霊命の中で最も知覚能力の高い死神としての能力でクロスの動きを先読みしながら、狂牙は容赦のない攻撃を与えていく
「この……ッ」
もはや反撃を諦めたのか、クロスが全ての意思知己と力を光力の結界に回した瞬間、その頭上の空が剥がれ、骨槍戟を振りかぶった狂牙が姿を現す
「――っ!」
これまで離れての遠距離攻撃ばかりをしていた狂牙が突然現れたことに、クロスが目を瞠る
「ハアッ!」
そんなクロスをよそに、渾身の冥力を纏わせた狂牙は、骨槍戟の刃を光力の結界に突き立てる
「なっ!?」
闇の力である冥力と光の力である光力がぶつかり合い、純然たる殺意と純然たる守護の意思がぶつかり合うことによって生じた空間が軋むほどの衝撃にクロスが目を瞠る
神格を持つ霊的な力である神能は、光と闇に分かれており、その二つは決して相容れることがない対極の力だ
強大な力をもつ闇に対し、光はその多様性によってその力を示す。故に光の力は闇に対して優勢をえるという理がある
即ち、神格が限りなく等しい場合光の存在に軍配が上がる。そんなことは百も承知のはずなのに、ほぼ等しい神格の神能を持つ自分に対して真正面から攻撃を仕掛けてきた狂牙に、クロスは驚愕を覚えたのだ
「――ッ」
しかし、そんな一瞬の逡巡を振り払い、結界の中から光力を纏わせた斬撃で迎撃しようとしたクロスは、獣の頭蓋を思わせる兜の下で嗤う狂牙の表情に身を凍えさせる
瞬間骨槍戟の刃が射出され、一点に凝縮された冥力を帯びた刃がクロスの光力結界を貫いてその身体に突き刺さる
「く……ッ」
「守りに、必死になりすぎだ」
結界は無敵ではない。それが使用者の神能で作られたものである以上、同等以上の神格をもつ者ならば、力ずくで破壊することは不可能ではない
これまで攻撃を防がせて自分の攻撃で結界が容易に破壊されないことを刷り込んだ狂牙は、満を持してそれを破り、クロスの身体に刃を突き立てて笑みを深める
「く……ッ」
「引きこもりにはお仕置きが必要だな」
身体に刃を突き立てたまま苦悶の表情を浮かべるクロスを睥睨した狂牙は、自身御弄した策がうまく機能したことに満悦し、冥力を纏わせた骨槍戟をさらに叩き付ける
刃を通した放たれた冥力が炸裂し、目の前で自身の力が極大の爆発を生じさせるのを見て狂牙は勝利を確信する
「――ッ!?」
しかし、それも一瞬の事。己の武器である槍が微動だにしないのを見て取った狂牙の前で、冥力の爆発の中から傷ついたクロスが姿を見せる
「ようやく、掴まえたぜ」
(こいつ、わざと――!)
冥力の直撃によってできた傷から血炎を立ち昇らせながらも、掴んだ骨槍戟を離さずに笑ったクロスは、光力を纏わせた大剣を逆袈裟に斬りあげる
「く……ッ」
反射的に武器を冥力へと戻し、後方へ飛びずさった狂う牙は、胸についた一文字の傷に顔をしかめながら、再びその姿を冥彩で隠す
「借りがあるんだよ」
「!?」
一端距離を取りながら攻撃の機会を窺う狂牙の耳に、光力に乗せられたクロスの抑揚のない声が届く
大剣の柄を強く握りしめるクロスの脳裏に思い返されるのは、先日のシャリオとの戦いで己の前に背を向けて立った神魔の姿だった
その時神魔が来たのはマリアに頼まれたから。だが、神魔はそれを無視せず応えてくれたこともまた事実。不本意だが、それに関しては認めざるを得ない
そしてその時に、クロスは神魔に誓ったのだ。「この借りを熨斗を付けて返す」と。だが、神魔が自分よりも圧倒的に強いことをクロスは知っている。このまま何もできなくても神魔は何も言わないだろうが、クロスはそんなことをするつもりはない
(俺は、神魔に借りを返して、マリアを守る――そのためには強さがいる。こんなところで、こんな奴にいつまでも手こずってるわけにはいかない)
いつか自分がされた以上に神魔を助け、そして呪わしい運命を得負ったマリアを自分の手で守り幸せにする
純粋で頑なな思いで目標を新たにするクロスは、そのために強くあることを自身に望んでいる。今の自分が神魔を助けて借りを返すには、マリアを幸せにするには、もっと強くならねばならないのだ
「あいつに、借りを作ったままなんて死んでも御免だ!」
天使として、そして、それ以上に想いを寄せる女の憂いを受け止めて拭ってくれた神魔に対する男としての誇りと対抗心を燃やすクロスは、純白の光力を解放する
「!」
(光力が上昇った!?)
天空で白い太陽の如くまばゆい光を薙圧クロスの光力が一瞬にして先ほどよりも強くなったのを知覚した狂牙は、神格と神聖を増したその力に軽く舌打ちする
「ちっ」
距離を取り、次の攻撃の機会を窺おうとする狂牙の視界の中で、クロスは光力を収束させた大剣を逆手に持ち替える
「当たり前の話だが、知ってるか?」
冥彩で姿を隠した狂牙の耳に、光力に乗せられたクロスの声が届く
純然たる殺意に彩られたその声からは、再び狂牙を見失ってしまったことに対する焦燥や焦りは感じられない
「全霊命の身体は、神能の塊。そこに傷をつけられて出た血は、すぐに形を失って消える」
「……?」
クロスの言葉を聞く狂牙は、「何を当たり前のことを?」とばかりにその疑念の表情を浮かべる
全霊命の身体は、自身の神能そのもの。その形も力も、人格――魂によって定められ顕現している
それが本体であるからだから分離すれば、形を失って消失するなど、わざわざ説明されるまでもなく分かりきったことだ
「――けど、結界やら何やらと同じで、意図すれば残したままにできるんだよ」
「!」
クロスの言葉の真意を掴みあぐねていた狂牙は、次いで続けられたその言葉にその意味を理解して三つの目を限界まで瞠る
確かに、全霊命の身体から分離したものを形を失う。だが、武器が手を離れても形を失わないように、力さえ注ぎ込み続ければ結界が維持され続けるように、その意識して消失を妨げば、全霊命の血は血炎となって消滅することは無い
「これ、は……っ!」
それに視線を巡らせた狂牙は、自身の脇腹についた赤い血炎を見て息を詰まらせる
(あいつ、最初からこれを狙って……!)
身体についた赤い炎が、クロスの血炎であることを理解した狂牙は、自分が敵の罠に嵌っていたことを完全に理解していた
防御に徹し、結界を破られ、傷を受けたのも至近距離で血を出すため。周囲一帯を薙ぎ払ったのは、自分の光力の残滓で場を満たし、反撃の斬撃に紛れさせた自分の血炎に気付かれにくくするため
(この血は標的の目印――!)
知覚ができないなら、知覚ができるように別のものをくっつければいい。
クロスは、狂牙の冥力を知覚するのではなく、狂牙の身体に付けた自分の血を知覚して標的を定めたのだ
「――!」
それを理解するが早いか、逆手に持たれた大剣がクロスの全霊によって投擲され、収束された光力によって光の流星剣と化して、目印を付けられた狂牙へと突き刺さる
「ガッ……!」
その身体の中心にクロスの大剣が深々と突き刺さり、狂牙の口端から血炎が立ち昇る
神聖な光の力で貫かれた狂牙は、自身の敗北と死を理解し、口端を吊り上げて笑うと自分の命を奪った天使へと視線を向ける
声にならない声で笑い、冥力へと溶けて消滅していく狂牙の最期を、クロスは静かに見送っていた