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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
183/305

冥宮の戦い





 最強の異端神、円卓の神座の№5「慾界神・ディザイア」は、その名が示す通り欲望の神。


 その性質は、極めて強欲で貪欲。十二柱存在する円卓の神の中でも、反逆神に次ぐほど悪性が強い。


 しかし、同時に欲望とは生命にとって必要不可欠なもの。

 食を欲するのは生きるため、異性を欲するのは子孫を残すため。

 眠りを求めるのは身体を休めるため。戦いを欲するのは、自身がこの世に個として存在しているからこそ。

 欲望とは自身の証明の手段に等しい――鳥が飛ぶことを知っているように、魚が泳ぐことを知っているように、そして全ての生命が生きることを知っているように、己が己という種、人格、存在であるために必要不可欠なもの。即ち、欲望とは同時に〝本能〟そのものでもある。


 全霊命(ファースト)であれ、半霊命(ネクスト)であれ、この世に命を持って存在するものは欲望を持っている。

 食欲、睡欲、性欲、戦闘欲、知識欲、金銭欲、愛欲――種族や存在によって差異や強弱はあれど、それらは必ず存在するものだ。

 欲望とは、()し、()むこと。平和であろうと、愛であろうと友情であろうと欲し求めればそれは欲望だと言える。


 だからこそ、慾界神(ディザイア)もまた、本能のままにあらゆるものを求めた。

 異神大戦の後、「欲界」、あるいは「煩悩界」と呼ばれた世界を支配し、自らの眷属を増やしていった。

 円卓の十二柱の中でも上位のユニット作成能力を持つ慾界神とその眷属達は、己が支配する世界で数を増やしていったが、そのあまりにも強すぎる欲望は、たった一つの世界を制するだけでは物足りなくなっていく。

 それは、慾界神という神の性質を考えれば、至極当然の結末だったのかもしれない。

 当然のように九世界全てを欲し、神界へ消えた神さえをも欲した慾界神は、九世界に向けてついに牙を剥いた。


 だが、それは他の円卓の神にとっても想定の内だった。

 異神大戦の後、九世界における中立的司法者として協力関係にあった№11「司法神・ルール」は、激しい激戦の末に慾界神をこの神獄(ディグマヘイズ)へと封じ込めたのだ。




『――我を解き放つ?』


 この場にいる慾界神・ディザイアの情報を脳裏に思い返していた夜半(よはん)は、侵食された室内の中で唯一本来の形を保っているであろう神々しい神檻の中から響いてきた重厚な男声に意識を引き締める。


 敵意や戦意はないが、悠久の時をこの場所に封じられて過ごした慾界神の声には、気を引き締めていなければ神片(フラグメント)の力を発現した自分でも膝を折ってしまいそうになるほどの圧が込められていた。


「そうだ」

 魂さえも押し潰してしまいかねないほどの力を持つ檻の中の神の問いかけに、夜半(よはん)は可能な限り平静を装って答える。

『我でさえ破壊することが叶わないこの檻を、〝神〟の力しか持たないお前が破壊できるとでも言うのか?』


 慾界神のように、欲望に塗れた神が永い間おとなしくしていたはずはない。

 当然、檻の破壊など遥か昔から試みているだろう。他にも自身の神片(フラグメント)達にも様々な試みをさせていたはずだ。

 それでもこの封印の檻を壊すことができなかったからこそ、慾界神(ディザイア)達は今でも神獄(ディグマヘイズ)の中に閉じ込められているのだ。


「一柱で無理なら、二柱で壊せばいいだろう」


『自明の理だな。では、誰がそれをしてくれる?』


 円卓の神座№3から№12までの神格はほぼ同じ。故に「慾界神(№5)」の力では、「司法神(№11)」の封印を破壊することは難しい。

 ならば、もう一人同格の神がいれば封印の破壊は不可能ではないというのは必然だ。

 だが、問題は多くの異端神が慾界神を解き放つことを良しとしないことだ。

 円卓の神の中でも反逆神に次ぐ悪性を誇るために、慾界神は他の異端神からも疎まれる傾向にある。

 そんな円卓の神がそれなりの必要性もなく自身を解き放つことなどないことを、慾界神は誰よりも理解していた。


「その話をする前に、お前をここから出す条件がある」


『ほう、条件(・・)か――面白いことを言うな』


 おもむろにその話題を切り出した夜半(よはん)に、檻の中から慾界神の嘲笑じみた声が返される。


『仮に我がお前の提示した条件を呑むと言って、お前はそれを信じられるのか? 欲望の神たるこの我が約束を遵守すると思うのか?』


 条件を提示するのは自由だ。

 だが、それを承諾したからと言って履行するかどうかはまた別の話になる。ましてその交渉の相手が欲望の神たる慾界神ならば、その信憑性に疑問を差しはさまない者の方がいないだろうことは想像に難くない。


「――夢想神(レヴェリー)に協力して、『五つの鍵』、『祭壇』、『矛』を手に入れてもらう」


 しかし夜半(よはん)は、そんな慾界神の試すような言葉には答えず、条件のみを簡潔に説明する


『貴様、かの神(・・・)を解き放つつもりか』


 その提案を聞いた慾界神は、先程までの嘲笑じみた声音を一瞬にして硬質化させ、物量さえ獲得しているような圧倒的な覇気を誇る威嚇じみた重低音の声音で言う。


 声を張り上げたわけではない。

 ただ、剣呑な響きを帯びただけで、今立っていること場所から吹き飛ばされそうな重圧が夜半(よはん)に真正面から叩き付けられた。


「そうだ。そして、その神を殺す」


 神位第五位に相当する力を持つ神の圧をかろうじて耐えた夜半(よはん)は、檻の中から自身へ注がれる白い双眸をまっすぐに見据えて言い放つ。


 周囲にいる慾界神のユニット――「欲望の化身グリード」達も、その言葉にざわめき、瘴気に満ちた室内に初めて喧騒が生まれていた。


『――随分と野心的な話だ。なるほど、お前達の真意がそこにあるのならば、仮に解放されたとて、我もまたそれを無下にはできんことになる』


 もしその姿が見えていれば、顎に手を添えて思案を巡らせているような声音で語る慾界神は、夜半(よはん)の提案に喜悦を隠しきれない声で笑う。

『実に貪欲で、中々に面白い提案だ』

 自身が欲深いからこそ、他者の欲望をも肯定的に受け止める慾界神は、白い双眸で夜半(よはん)を見据える。

 その声音と視線に、小さくない手応えを覚えた夜半(よはん)は、息を一つ吐くと眼前にいる異端の神へ敬意の籠った声で言い放つ。


「返答はいかに、慾界神・ディザイア!」





 「神獄(ディグマヘイズ)」の外、大陸に突き刺さった神殿の傍らでは、神速で行きかう二つの影がぶつかっては離れてを繰り返し、純然たる殺意が込められた力の火花を散らしていた。


 時間と空間の介在を許さない概念的な速さを持って戦う二人――シキトと鎖牙(サガ)は、武器をぶつけ合い、距離を取る際には冥力を収束した砲撃を放ちながら、互いに相手の命に鎌をかけるべくその機を窺う。


「――ッ」

 シキトの武器である鎌の刃を鎖牙(サガ)は無数に顕現させることができる黒杭で受け止め、反撃の一撃を放つ。

 しかしその攻撃を身をよじって回避したシキトは、縦横無尽に空を奔る冥力の流星を鎖牙(サガ)へ叩き付けると、それが相殺される前に再び肉薄して鎌の刃を振るう。


「――ハハッ!」

 純然たる殺意と戦意に満ちた極大の冥力を纏い、最上段から袈裟懸けに振り下ろされたシキトの大鎌を交差させた黒杭で受け止めた鎖牙(サガ)は、思わずその口端を吊り上げて笑みを零していた。

「何がおかしい?」

「いや、つい気が昂ぶって――な!」

 不機嫌そうに眉を顰め、三つで睨み付けてくるシキトの言葉に答えた鎖牙(サガ)は、渾身の冥力を解放して、力任せに二つの黒杭を弾き上げる。

 概念そのものである神能(ゴットクロア)の力によってシキトの大鎌を弾き飛ばした鎖牙(サガ)は、そのまま黒杭を横薙ぎに払う。


 しかし、その横薙ぎは空中で体勢を変えて飛びずさったシキトの腹部を軽く掠め、霊衣を傷つけるだけに留まる。


「俺達は互いに同じものを背負って、別々の道へ行った。こうして戦うのも少しばかり感慨深いものがあるだろ?」

 牽制するようにシキトへと黒杭の先端を向けた鎖牙(サガ)は、同じ意志を宿していながら全く異なる意思を向けて言い放つ。


 親友であり、互いを認め合った好敵手(ライバル)

 そして同じ人を愛した恋敵であり、共にその人の幸せを願った仲間――それがシキトと鎖牙(サガ)の関係だ。

 しかし、その愛した人の死によってシキトと鎖牙(サガ)の道は違えられ、今こうして敵として相対していることに皮肉めいた因縁を覚えざるを得ない。


「そんなものはない」

 しかし、そんな鎖牙(サガ)の言葉を一刀のもとに切り捨てたシキトは、刃を稼働させて槍の形状を取ってその刃を軽く振るう。


「夜薙はどこだ?」


 空間ごと空気を切断するような鋭さを持って振るわれた槍の刃の斬音に次いで、深く、それでいて静かな怒りを秘めたシキトの声が鎖牙(サガ)の耳へ届く。

 感情のままに声を荒げることのない親友(シキト)の普段通りの姿と言葉に小さく笑った鎖牙(サガ)は、己の冥力を込めてその手に握った黒杭を投擲する。

「真紅が中へ連れて行ったよ」

 神速を持って放たれた黒杭に込められた世界を容易く滅ぼすほどの破滅の力を、全く同等の力を持つ槍の刃が弾き飛ばす。

 空中へと舞い上がった黒杭が、神能(ゴットクロア)へと還ってその形状を失うよりも早く、鎖牙(サガ)は、肉薄してきていたシキトの斬撃を受け止める。


 互いの冥力に込められた神格を持つ意思が顕現し、世界に物理的な破壊をもたらす。

 大地は砕け、雲は消し飛び、刃を合わせた二人を一点の曇りもない空と大地が包み込む。


「急がないと、夜薙が殺されて神器が取り出されるぞ」

 自分を両断するべき力と意思を込められた刃を受けとめた鎖牙(サガ)は、シキトへと視線を向けてその戦意を煽るように言う。

「それが、お前の答えなのか?」

「なに?」

 憐れみさえ込めて向けられたシキトの言葉に、鎖牙(サガ)は一瞬眉を顰める。

「お前は、自分の目的のために夜薙を切り捨てるのかって言ってるんだ! 夜薙(あいつ)を生贄にすることが、お前が望んだことだったのか!?」

 夜薙は、二人の想い人である椎稲(しいな)の妹であり、同時に二人にとってもかけがえのない古くからの友人でもある。

 その命を意にも介していないかのような鎖牙(サガ)の言葉に、シキトは激しい憤りを隠せなかった。

「お前は言ったな!? 俺だけが過去を向いて立ち止まったままでいる。俺には椎稲(しいな)の想いを守ることしかできなかっただけだと!」

 先日の戦いで語っていた鎖牙(サガ)の言葉を思い返したシキトは、冥力を込めた刃を全霊の力で振り払う。

「なら、前を向いて進んだお前がたどり着いた答えがこれだっていうのか!? ――大層に俺に語ったくせに、これがそうだっていうなら笑い種だな」

「――ッ!」

 想いのままに力を得る神能(ゴットクロア)の特性によって語られるシキトの意思にたじろいだ鎖牙(サガ)は、崩れた体勢など意にもせず、普段の十全のそれと変わらない斬撃を叩き付ける。

 逆袈裟に斬りあげられた鎖牙(サガ)の斬撃を槍の形状を取っている武器の柄で弾き飛ばしたシキトは、そのまま斬撃を放つ。

「お前は、そんなことで椎稲(しいな)に顔向けできるのか!? 胸を張って、あいつに今の自分を誇れるのか!?」

「――ッ」

 冥力を帯びた斬撃が神速で空を滑り、今まさに鎖牙(サガ)を捉えんとするが、それは紙一重で回避されてしまう。

「く……っ」

 頬についた切り傷から血炎を立ち昇らせる鎖牙(サガ)は、それを軽く拭うと死神の証である三つの目でシキトを見据える。

「答えろ鎖牙(サガ)!」

 静かに響く声の中に、それからは想像もできないほどに強い激情を込めたシキトは、槍を鎌へと可変させ、その刃に纏わせた冥力を極大の斬波動として解き放つ。

 シキトの怒りを表しているような荒れ狂う斬撃の波動は、鎖牙(サガ)を捉えて炸裂し、紫闇の力を持って天地の色を塗り替える。


 その力の波動は神獄(ディグマヘイズ)を捉えるが、神能(ゴットクロア)による破壊対象制御がかけられ、神格を持つ意思による物理的な破壊現象もまた、神によって想像された監獄の前に沈黙し、その神殿を構築する壁の一欠片さえ傷つけることを許さない。


 一瞬とも、永遠とも感じられる冥力の爆発が消え、世界に本来の色が戻ってくると、そこには黒杭で自身を守る結界を展開した鎖牙(サガ)の姿があった。

 霊衣は傷つき、全身に小さな傷を負って血炎を燻らせてはいるが、例えその力を知覚できなくとも、まだその戦意は微塵も衰えていないことがシキトには手に取るように分かった。


「お前こそ……」

 今にも砕けるのではないかと言うほどに強く歯を噛み締めた鎖牙(サガ)は、小さく呟くと、大鎌を構えて佇むシキトに三つの視線を向ける。

「お前こそ、みんな仲良く幸せになんてこと、椎稲(しいな)がいない世界でそんなことができるのか!?」

 慟哭のようでもあり嗚咽のようにも聞こえるその言葉は、鎖牙(サガ)の心の声そのものだったのかもしれない。

「……!」


 シキトと同じように、鎖牙(サガ)椎稲(しいな)の最期を看取っている。

 また、椎稲(しいな)と行動を共にすることも多く、想い人として頻繁に気にかけていたために多くの時間と想いを聞き、共有してきた。


 椎稲(しいな)は確かに光の存在――オルセウス達と友好的な関係を築くことを望んだ。

 だが、椎稲(しいな)が本当に望んだのは、自分達の幸福だったことを鎖牙(サガ)も分かっている。

 だが、愛する者を失った世界で幸せになることなど鎖牙(サガ)にはできなかった。椎稲(しいな)がいなくなった世界では、そんなことはできないのだ。


「俺にはできない。だから、俺は俺のために椎稲(しいな)の願いに報いる生き方をするって決めたんだ。だから俺は、この世界から正しい理不尽と戦いを失くすことを誓った」

 心の底から絞り出すような声と共に、冥力を放出した鎖牙(サガ)は、最上段から渾身の一撃をシキトへと叩き付ける。

 その一撃をシキトの鎌が受け止め、激しい金属音と神格を帯びた意思によって生じた破壊の嵐の中心で二人の冥力が拮抗する。

「俺は、姫の言葉に感銘を受けた。争いを失くしたい、戦いで傷つく者を失くしたい。誰もが幸せに暮らせる世界を作りたい――正義が正しく人を傷つけ、戦いがあまねく犠牲を生むのならそれをなくせばいい。

 だが、理想は掲げているだけでは意味がない! それを実現しなければ、理想はただ自分を傷つけるばかりだ。ならそれを合理的に実現する手段がいる」

 黒杭と鎌刃がせめぎ合い、至近距離でシキトに向き合った鎖牙(サガ)は、まるで自身の心を叱咤するように咆哮する。

「夜薙にも、椎稲(しいな)にも顔向けできなくてもいい! ただ俺は、世界を変えてやることを誓ったんだ!」

 その拮抗が崩れ、相殺された二つの冥力に共に吹き飛ばされたシキトと鎖牙(サガ)は、地面を削りながら後退し互いの戦意と武器を研ぎ澄ます。

「十世界の――いや、姫の理想は美しいものだ。だが、それは同時に形がないものでもある。姫が言うように人を想い、人を愛すれば戦いを収めることはできるかもしれない。

 でも、人を想い、人を愛すればこそ、俺達は戦わざるを得なくなる――俺達のようにな」

 そう言い放つと同時に投擲された黒杭は、シキトの鎌によって弾き飛ばされ、硬質な金属音と破壊の意思をまき散らす。

「なら、この世界に姫が求める真の意味での平和なんて存在しない。少なくとも、訴えているだけでは手に入らないものだ」


 「争いがない」、「誰もが平等に生きられる」――そういう抽象的なものではなく、平和になった世界の仕組みは具体的には何もない。

 ただ武器を使って戦わなければ、平和という訳ではない。

 そんなことをしても、半霊命(ネクスト)世界のように経済や他のもので殺し合うだけだ――結局それでは、誰かの手によって殺されるか、社会に殺されるかの違いしかない。

 だが、それを考え選ぶのならば、そこにもはや平和はない。

 何故なら誰もが自分達の得たいものを欲し、認め名たくないものを拒絶して押し付け合うだけだからだ。

 平和と平穏は違う。戦う意思をもつ者の戦う者の意思を否定すれば、その時点で自分と相容れないものの意思を否定したことになる。


「平和は、想い願い、叶えようとした瞬間に叶わなくなる!」

「だから、神の力を使ってそれが実現するように世界を作り変えるっていうのか!?」

 冥力の砲撃を潜り抜け、再び武器をぶつけ合ったシキトと鎖牙(サガ)は、正しいがゆえに引くことのできない信念を力に乗せて振るう。

「そうだ! 叶わないものを願い続けるのではなく、叶えるために何をするかが重要なんだ!」

 シキトの刃を弾き、全霊の冥力を込めた黒杭の連撃を放ちながら、鎖牙(サガ)は声を上げてその心情を吐露する。

「――ッ」

 次々に撃ち込まれる黒杭の連撃を鎌の柄で防ぎながら、シキトは苦悶の表情を浮かべる。

「信じることだけを積み重ねても、同じだけの屍が積み上げられるだけだ! いつか来るかもしれない、だが絶対に手に入らないものを追い求めるなんて無意味だろ!」

 両手に持った黒杭を同時に叩きつけ、シキトを吹き飛ばした鎖牙(サガ)の言葉はかつて守れなかった愛する人への想いと、手に入らない未来の相容れない軋轢が上げる悲鳴のようだった。

「――そうか」

 巻き上げられた粉塵の中に立ち、理不尽な世界への恨言をぶつけてきた鎖牙(サガ)を三つの目で見据えたシキトは、手にしていた鎌を地面に突き立てる。


「あの時の答えを返す」


「?」

 鎌を突き立てて言い放ったシキトに鎖牙(サガ)は怪訝そうに眉を顰める。

「俺には、未来はないかもしれない」

 まるで自分の心に向かい合うように淡々と言うシキトの言葉に、鎖牙(サガ)はそれが先の戦いで自分がした問いかけへの答えだと気付く。

 椎稲(しいな)の想いを守り続けそれに縛られてきたシキトは、あの日――椎稲(しいな)が死んだ時から自らの心と魂に絡みついた鎖を引き摺りながら言う。

「でも、今までがある。椎稲(しいな)との約束も、お前との思い出も――俺に肝心なことを隠し続けてくれた夜薙も」

 今の自分を作ってくれた今日までの全てを胸にそう言って地面に突き立てた鎌の柄を握りしめたシキトは、軽く回す。


 それに合わせて鎌の柄が硬質な金属音を立てたかと思うと、シキトはその柄をゆっくりと引き抜いていく。

 引き抜かれた柄の中から現れたのは、漆黒の刃を持つ太刀。シキトの武器である鎌の柄は、仕込みになっておりその中に刀が仕込まれているのだ。


「夜薙は返してもらう。そして俺は、そこから始める」

 艶のない刀身を持つ鍔のない刀を手にしたシキトは、その切っ先を鎖牙(サガ)へと向けて言い放つ。

 確かに鎖牙(サガ)の言うように、今までのシキトには過去しかなかったかもしれない。

 だが、それに気付き、それを変えようとしたその瞬間から今日までを変えることはできる。


「その先が俺と同じだとしてもか?」


「――あぁ」

 夜薙を助けても、今後シキトが生きていく中で、今の鎖牙(サガ)達と同じ結論に達する可能性は否定できない。

「少なくとも今の俺はお前達のやり方を認めない。もし、俺がお前達と同じことをしたら、俺のやり方を認めてくれない誰かが同じように止めるだろうな」

 シキト自身それを分かった上で、鎖牙(サガ)の言葉を否定して不敵な笑みを浮かべる。

 だがその口調は自身に満ち溢れ、そんな時が来ないことを確信しているかのようだった。

鎖牙(サガ)

 冥力を纏わせ、艶のない漆黒の刀身を振るったシキトは、無数の黒杭を展開した鎖牙(サガ)に向けて言い放つ。

「お前こそ舐めるなよ? あの中に入っていったのが誰だと思っている?」






 神獄(ディグマヘイズ)の中、無数に繋がる空間を純白の六枚の翼が飛翔する。神速で移動し、羽ばたくごとに舞う白い羽が光力の残滓となって煌めく。



「――!」


 無数の世界を内包した神の監獄の道が一斉に繋がり、そこから無数の影が各々の世界へと飛び散っていく。



「あれは……!」


 神獄(ディグマヘイズ)の中に在る、巨大な森の世界。その中を蠢く欲望の化身(グリード)達の目をかいくぐりながら移動していた真紅は、天空に開いた穴を見てその三つの目を瞠る。


「真紅!」


 瞬間、天空に開いた時空の門から、左右非対称色の翼を持つ人物がまっすぐに自分を見据えて飛来してくるのが目に入った。

「光魔神……!?」

 その武器である太刀を顕現し、そこに万象を一へと合する力を持つ黒白の力を纏わせた大貴は、そのまま力任せにその刃を叩き付ける。

 咄嗟に黒化された真紅の身体から生まれた鎌刃が冥力を帯びて大貴の斬撃を受け止めると、破壊の意思の暴風が顕現し、大地を軋ませて木々を薙ぎ払う。

「く……ッ」

(まだ、もう一人(・・・・)……!)

 大貴の斬撃を受け止めた真紅は、その威力に歯噛みしながら自身の知覚が捉えるもう一つの存在を知覚して視線を滑らせる。

 瞬間、真紅が背後に従えていた黒球――夜薙を封じ込めたそれに手をかけた黒い悪魔――神魔が、魔力を纏わせた大槍刀を一閃させる。


 神魔の斬閃の軌道に合わせた放たれた天地を塗り替えるほどの黒闇が、大地を薙いで天へと牙を突き絶てる。

 破滅の意思が込められた暗黒色の魔力が、定められた対象である真紅を滅ぼすべくその威を振るって荒れ狂う。


「く……っ」

 その闇の波動を冥力を纏って抜けた真紅は、自身の存在に響くほどの威力を持つ魔力の攻撃に、苦悶の表情を見せながらそれを放った神魔を見据える。

(この魔力の強さ……)

 死神の証である三つの瞳に神魔の姿を映していた真紅は、自身を見る黒髪の悪魔の口元がわずかに緩んでいるのを見て目を瞠る。

「っ! しまっ……」

 それに気づいて反射的に視線を反対側へ向けた真紅は、先程放たれた神魔の魔力をその力によって統一し、極大の力へと変えている大貴を見止めて息を呑む。

 この世界で唯一、誰とでも神能(ゴットクロア)の共鳴を可能とする太極(オール)の力を以って神魔の魔力を束ねた大貴は、その力を纏わせた太刀を最上段から袈裟懸けに振り下ろす。


「オオオオオオッ!」


 刹那、斬撃に合わせて放たれた黒白の力が炸裂し、天地を塗り替えて全てを呑み込んだ。




「あらら……早かったね」

 満点の星が輝く夜空に覆われた荒野の世界に佇んでいた斬黒(ざくろ)は、足元に突き刺さった漆黒の投擲ナイフを見て辟易とした様子で息をつく。

 そう言って顔を上げた斬黒(ざくろ)の三つの瞳には、荒野にはえる葉のない枯れ木の上に立つ死神――冥界王直下の特殊部隊「無言(しじま)」の一人である空木が映っていた。





 神獄(ディグマヘイズ)の中に広がる都市群。欲望の化身(グリード)で溢れたそこを捜索していた獣頭蓋の兜をかぶった死神――狂牙(クルウガ)は、天空に開いた門から放たれる純白の光を回避して剣呑な声を漏らす。


「――これは」

 天を見上げた狂牙(クルウガ)の目に映ったのは、白い双翼を羽ばたかせ、身の丈にも及ぶ大剣を手にした天使「クロス」の姿だった。




 一面の白に追い尽くされた雪原を漆黒の闇と紫色の闇が塗り潰す。その力に込められた破壊の意思がもたらす現象の顕現により、白い雪が天へと舞い上げられ、風雪に混じって流れていく。

 その衝撃波の中を共に反対方向へと飛びずさったのは、漆黒の髪を束ね双剣を持つ悪魔「瑞希」と、一振りの太刀を持つ死神「鈴音」だった。

「――」

 共に言葉の少な麗しき容貌の美女。二人の対話は、限りなくその武器によって代弁され、交錯する視線と、妖しく輝く刃が互いの戦う意思を物語っている。

 絶え間なく降りしきる白い雪の中、一拍の間を置いて互いに視線を交わした瑞希と鈴音は、振った美その身に闇の力を纏い、その刃を交錯させた。



 辺り一帯を覆い尽くす青い海。岩礁だけが所々顔をのぞかせているその海が穿たれ、天へと突き抜けたのは金属の光沢をもつ鋼の雨。

「――ああ。めんどくさい」

 力の波動によって引き裂かれた海の中で苦々し気に舌打ちをするのは、ゴシックドレスに似た霊衣に身を包む死神「マルチナ」。

 そして、その視線が捉える先にいるのは、液体の武器の雨を軽やかに回避してみせる大鎌を持つ死神の少女。

「よりによもって、あんたが相手だなんて、私も運が悪いわ」

「――いき、ます」

 小柄で、髑髏の髪飾りで束ねた前髪で顔の半分を隠した「ユニ」は、普段の気弱な振る舞いからは想像もできないほどに淀みのない動きで天を舞いながら、苛立ち混じりに言うマルチナへ冥力の斬撃を放った。



 大地を満たす煮えたぎる溶岩で赤く染まった大気、まるで何かに覆い尽くされたかのような圧迫感を感じさせる漆黒の空。

 その下で巨大なハルバートを軽々と動かして構えた十世界所属の死神――「骸」は、片眼鏡(モノクル)を付けた三つの目で眼前の相手を見据えて言う。

「ふむ、やりますな」

 その声と共に、溶岩を突き破って姿を見せたのは、長身痩躯の死神「ヘド」。その両手に五本の刃を持つ手甲を付けたヘドは、その目で骸を射抜いて口端を三日月型に吊り上げて笑う。

「――そして、恐ろしい」

 その笑い顔に平静に感想を述べた骸は、ハルバードの刃に冥力を纏わせると地を蹴って不気味に佇むヘドへと肉薄していった。





「おうおう、こんなところにいたとはな」

「――(くら)

 神獄(ディグマヘイズ)の最深部、その最も迂回場所に閉じ込められている慾界神と対面していた夜半(よはん)は、その声に視線を向けて冥界王の姿を見止める。

「なるほど。お前の目的はこっちってわけだ」

「心外だな。こっちも(・・・・)と言ってもらおうか」

 檻に封じられた慾界神の視線と、そのユニットたる欲望の化身(グリード)、そしてその神片(フラグメント)から一斉に視線を注がれて尚、微動だにしない(くら)の言葉に夜半(よはん)はゆっくりと向き直って笑う。

「それはそれは。そこの神に劣らず、欲張りなことだ。二兎を追う者は一兎をも得ずって言わねぇか?」

「悪いな。そういうことを言われると、乗り越えてみたくなる性分なんだ」

 口端を吊り上げた(くら)の忠告を受けた夜半(よはん)は、笑ってそれを受け流す。

「難儀な性分だな」

 その言葉に肩を竦めた(くら)の耳に羽の飾りが顕現し、そして次の瞬間、その冥力を死の闇へと塗り替える。

「なら、俺が直々にその難しさってやつを指南してやるよ」

「恐縮なことだ」

 神威級神器「死神羽」を発動した(くら)の三つの視線に答えるように、夜半(よはん)の背後に滞空していた夢の神の神片(フラグメント)がその威を振るう。

「ってわけで、頼むぜ」

「はい」

 瞬間、その前に六枚の純白の翼を羽ばたかせたルシアが現れ、(くら)夜半(よはん)を時空の門へと取り込む。

『――貴様』

 それを見た慾界神が檻の中で低い声を発するのを聞いたルシアは、慈愛に満ちた笑みと共に封じられた神に視線を向ける

「あまり、〝おいた〟をしないことです。私は、あなたを滅ぼすつもりはありませんよ」



『神の伴侶め』



 一瞬にして(くら)夜半(よはん)を連れ去り、自分と自分の眷属だけが残された空間に慾界神(ディザイア)の苦々しげな言葉だけが残響していた。



 ルシアによって(くら)夜半(よはん)が運ばれたのは、一面を覆う砂漠の世界。熱砂ばかりが果てしなく広がる空間に降り立った夜半(よはん)は、(くら)へと感情のない視線を送る。

「ルシアの協力を取り付けるとはな。……どうやってあの女を動かした?」

「さぁな。あっちはきまぐれって言ってたぜ?」


 神獄(ディグマヘイズ)の中に意図的に(・・・・)隠れ、全ての空間を把握して移動できるルシア――神の伴侶に連れられてきた(くら)に、夜半(よはん)は静かに問いかける。

 ヘイルダートの悪夢でも誰にも味方しなかったルシアが、なぜか力を貸していることを訝しむ夜半(よはん)に、同様の疑問を抱いている(くら)が肩を竦めて笑う。


「気まぐれね……お前ならまだしも、あの女がそんなことで動くとは思えないが」

「さぁな。それよりさっさと始めようか。お前だけは俺が殺らなきゃいけねぇからな」

 信じられないと言った様子で問いかけてくる夜半(よはん)に軽く笑った(くら)は、一瞬にしてその顔を死神の王のそれへと変え、死の神の力を帯びた闇を吹き上がらせる。


 今回神獄(ディグマヘイズ)へ侵入した者の中で、夜半(よはん)は神の力をもっている。

 そのため、どうしても夜半(よはん)だけは、同じ神の力を行使できる(くら)が相手をしなければならなかった。


「本当は、真紅(あいつ)も俺が殺らなきゃいけなかったんだがな。まあ、いいさ」

 小さく嘆息した(くら)は、自身の周囲に存在する目に見えないほどの常時顕現型武器を収束して、漆黒の大鎌へと変えると、その柄を握りしめて小さく口端を吊り上げる。

「あっちは任せてある。それに、さっさとお前を片付ければいいだけだ」

「言ってくれる」

 死の闇を従えた(くら)の言葉に、夢想神(レヴェリー)神片(フラグメント)を従えた夜半(よはん)は、全く笑っていない愛でその姿を見据えながら、その口端を吊り上げていた。





「俺達の王だ」


 漆黒の刃の切っ先を鎖牙(サガ)へと突きつけたシキトは、揺るぎない忠誠と信頼の籠った力強い声で言い放つのだった。




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