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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
178/305

花結






 様々なアトラクションが置かれた遊園地を思わせる洋上の孤島――その楽し気な外観とは裏腹に、そこはこの冥界を総べる王が住まう、世界の中枢だ

 そんな冥界王城の一角で、漆黒の闇が渦巻いていた。

 そこに在る光の全てを、そこにあるものの全てを呑み込んでしまうほどに黒いそれは、まるで嵐のように渦を巻くそれは、見る者に例外なく恐怖を与え、それに立ち向かう意思をも殺してしまうほどに深い、深い闇だった


「――ちっ」

 その闇を睥睨するのは、黒のコートを纏った死神の男。

 金色の髪を短く刈り込み、精悍で端正な顔の額にある三つ目の目を細め、顎鬚で縁どられた口元から忌々しげな音を発する

「化け物が……!」

 その男――夜半(よはん)が三つの目で見据える深黒の闇の中心にいるのは、黒髪をなびかせ、両耳に羽を模した金色の飾りを付けた最強の死神、冥界王「(くら)」だった

 深く恐ろしい漆黒を従えて宙空に佇む(くら)は、周囲に渦巻く漆黒を無数の剣の形として押し固めると、一斉にそれを夜半(よはん)に向けて放つ

「――ッ!」

 放たれた無数の剣は、世界の理の全てを超越する神速で世界を貫き、時間と空間の介在を許さずに夜半(よはん)へと突き刺さる

 (くら)が放った深く禍々しい闇の力を受け止めた夜半(よはん)は、その顔を苦悶に歪め、そこに在るだけで命を奪われてしまいそうになる力に耐える


(――これが、(くら)が持つ神器の力か……)


 身の丈を超える巨大な片刃の刀剣を携えた夜半(よはん)は、目の前で炸裂する暗黒の闇の力に身体を軋ませながら、内心で舌打ち気味に言う


 原在(アンセスター)と呼ばれる、神から生まれた最初の全霊命(ファースト)――その死神である(くら)は、神威級と呼ばれる神器を持っている

 それを使うことで神の位――「神位第六位」という力を得る神威級神器。その力を発現させた(くら)の今の力は、文字通り神に等しい次元にまで到達している


「――オイオイ、夜半(よはん)。あんまり、逃げ回るんじゃねぇよ。久しぶりに抜いたんだ。()の力を御し違えたら困るだろうが」

 死神の王としてある限り使うことは無く、死神の王として神に等しい力をもつ者と戦う際にのみ使うその力を発現させた(くら)は、気が遠くなるほどの長い間使っていなかった力を行使しながら、口端を吊り上げて嗤う

(下らない冗談を……!)

 まるで見る者を殺しかねないような凄惨な笑みを浮かべた(くら)を三つの目で睥睨し、宙に浮かぶ大剣を従えた夜半(よはん)は、心の中で吐き捨てる

 神器で得た力とはいえ、その力は冥力――自身の神能(ゴットクロア)と変わらないのだから、その適合者が制御を失うなど考えられない

「なら、自滅してくれよ」

「それは無理な相談だな」

 自身よりも一回り以上巨大な大剣を携えた夜半(よはん)が、神にも等しい力を砲撃として放出するが、(くら)が従える闇がそれを呑み込んで消滅させる

(――これが、冥府神の〝死〟の神力の片鱗か。実際に戦ってみると厄介なこと極まりないな)


 (くら)が持つ神威級神器「死神羽(しかばね)」は、死神をはじめとする闇の全霊命(ファースト)の神でもある闇の神――その中でも、最高位に近い神位第四位「至高神」の一柱、「冥府神・デス」の力の欠片から生まれた神器。

 その力を発現させた者は、死を司る神の力を得て、その力を「死」そのものに変える。それは即ち、死を支配し、司るということ。


(触れれば死ぬ。そして、この力を使っている間は、奴は死ぬことがない――欠片程度で、これほどの権能を振りまくとはな)

 自身の衛星のようにつかず離れずの位置にある大剣――円卓の神座№8夢想神・レヴェリーの神片(フラグメント)、「現滅ノ妄夢シュリーガー・イル・ウヘーヴ」によって、神位第六位と同等の神格を得ている夜半(よはん)は、(くら)が使う死の力に相対して、その精悍な顔に険しい表情を浮かべる


 闇の神位第四位(至高神)である冥府神は、すべてのものに死を与える死の神。己から死を取り去ることすらできるその力は、欠片とはいえ死神の王が選ばれるにふさわしい神だともいえる

 「神器」とは、かつて神々の大戦で砕け散った神の力が形をとったもの。その力の欠片、断片的でしかないとはいえ、その力はあまりにも強大で絶大だ

 神器の加護を得、神に等しい力を得た(くら)は、その存在そのものが死だ。武器も、冥力も身体も――そこに触れたものには、無慈悲で絶対的な死が事象として与えられる


(夢の力にまで死を与えられるとはな)

 自身が持つ夢想神の神片(フラグメント)たる大剣を一瞥した夜半(よはん)は、平静な表情の下で死の闇を従える(くら)を見据える

 神器の力によって死の力に染まった、漆黒の武器を束ねて巨大な大鎌へと変えた(くら)は、神格に等しい神速で夜半(よはん)へと肉薄すると、最上段からそれを力任せに振り下ろす

「どこでそんな力を手に入れたか知らねぇが、ここに出てきたのが運の尽きだ」

 その力だけではなく、瞳に映しているだけで死をもたらすのではないかと思われる黒で形作られた鎌を受け止めた夜半(よはん)に言う

 この世にある全てを夢へと変えて消滅させる大剣と、すべてに死を与える鎌の刃がせめぎ合い、神格の意思が冥界を揺らして軋ませる

「年貢の納め時だぜ、夜半(よはん)

 かつて、ヘイルダートの悪夢と呼ばれる九世界史に残る大事変の中心にいながら、これまで姿を晦ましていた夜半(よはん)に向けて、(くら)は王としての言を告げる

「――ここに命を置いてきな」

 瞬間、死が具現化した黒鎌が形を変えて夜半(よはん)へと襲い掛かる

 鎌の形状をとってはいるが、(くら)の武器の正体は目に見えない極小の武器。(くら)の意思によって形を変える武器が夜半(よはん)に死を与えるべく、その威を振るう

「それは、ごめん被る」

 神速で迫りくる(くら)が操る死を、夢の神の眷属が具現化した大剣の一薙ぎで打ち払った夜半(よはん)を、さらに全方位から迫る黒が呑み込む

 だが、その死の黒がほどけた場所に、夜半(よはん)の姿はなく、その遥か後方――(くら)からはるか距離を取った場所にその存在が顕現する

「――夢の神の力か」

 遥か後方へと移動した夜半(よはん)の姿を見止めた(くら)は、自分の攻撃を逃れた力を理解して小さく舌打ちをする

 夢の神である夢想神(レヴェリー)は、自分の存在を現に非ざる夢へと変えることができる。その力を使って、(くら)の攻撃を回避したのだ

「――同じ神の力を持っていてもこれか」

 だが、同じ頃夜半(よはん)は、自分の腕についた傷と、そこから立ち昇る血炎を見て眉を顰めると、苦々しげに独白する


 目に見える刃の乱舞に隠れた、目に見えない死――死神として、かつて冥界に仕えていたからこそ知っている(くら)の常套手段

 先程の攻撃は、知っていたからこそ回避することができた。だが、知っていても無傷で凌ぐことはできなかった


 確かに、夢想神の神片(フラグメント)の力を手に入れた今の夜半(よはん)は、自身の存在を夢へと変えて現実世界からの攻撃の全てを無力化することができる

 だが、神能(ゴットクロア)は己が力の及ぶ限り、全ての事象を否定し、望むままに事象を顕現させる力。だからこそ、同等の神格をもつ者の力ならば、それを相殺して攻撃を通すことができる



「やはり、元の実力の差か……いや、それとも、これが奴と俺の差なのかな」

 夢になった自分にさえ届いた、(くら)の死の力による傷の痛みを感じながら、夜半(よはん)は自嘲するように肩を竦める

「さて、急いでくれよ柩。俺がこの化け物に殺される前に」

 自身の身体の周囲を一定の距離を保って浮遊する夢神の大剣を背負いながら、自身の武器である双鎌を顕現した夜半(よはん)は、死の黒闇を従えて神速で肉薄してくる(くら)を見て呟いた



「――ッ!」



 瞬間、まるで世界が剥がれるように崩れ、そこからその中に封じられていた力が解き放たれ、冥界王城にいた全ての者達の知覚に一つの事実を伝える

「これは……」

「――真紅の世界が開いたか」

 それによって、一旦その場で停止した(くら)夜半(よはん)は、その三つの視線を同じ方向へと向けて、その事実を口にする





「どうやら、終わったみたいだな」

 巨大な大鎌を携え、解放された神器の世界から解放された者達の力を知覚した斬黒(ざくろ)が言うと、それを前に黒扇を構えていた冥界王妃「時雨」が、その三つの目を細める


「――ッ!?」


 その時、隔離されていた空間が開くか否かというタイミングで、全員の知覚を震わせるような魔力が迸り、漆黒の流星が冥界王城の敷地内の一角へと飛翔する

 この場にいる誰もが畏怖するような強大な神格を帯びた魔力を振りまき、それに準じる神速で移動した魔力の黒星は、多くの者が黒い軌道としか認識できない速さである空間を破壊してその中へと消えていった


「なんだったんだ今のは……!?」

 それを見ていた者達の誰かから零れたその声を聞いていた時雨には、その魔力の持ち主に思い至るものがあった

(あの魔力は確か……なるほど、伴侶の方の許へ向かったのでしょうね) 

 その魔力が光魔神と共にこの冥界へやってきた悪魔――神魔のものであることを知覚した時雨は、夜半(よはん)の襲撃依頼姿が見えなくなっている詩織と、桜のことを即座に結び付けて結論を出す

 神魔と桜が伴侶であることは、すでに知識として知っている。ならば、契りを交わすことによって命を交換している神魔には、伴侶たる桜の存在と危機をこの場にいる誰よりも確かに感じ取ることができていることだろう

「さて――」

 そうして結論を出した時雨は、その顔を巡らせて、未だ崩壊という解放を行っている神器の空間へと意識を戻す

「知覚する限り、光魔神様、天使と悪魔の方々も生きてはおられるようですが……」

 真紅が持つ神器によって作られた世界から解放された力を知覚し、正確に読み取った時雨は、光魔神(大貴)、クロス、マリア、神魔、瑞希の力を知覚して安堵すると同時に、その三つの目に思案の色を浮かべる

 死神の神能(ゴットクロア)である冥力は、同じ死神であっても知覚することはできない。時雨が別世界からの客人の無事を安堵すると同時に案じたのは、知覚することができない者達の安否だった



「全員、退くぞ。目的のものは手に入れた」

 (くら)や時雨を始め、冥界王城で戦いを繰り広げていた冥界と十世界の死神達の耳に届いたのは、冥力に乗せて放たれた真紅の声だった

「――!」

(あれは……)

 その声に視線を巡らせた時雨がその三つの目に映したのは、真紅の傍らに控える副官――夜死(イエス)の武器である黒糸に絡めとられた夜薙の姿だった

 その傍らには、戦の神の眷属と逆立った真紅の髪の悪魔、そして天使に肩を借りている堕天使の姿を確認しながら、時雨はそんなものなど意にも介さずに弾かれたように声を上げる

「皆、夜薙を!」

 冥力に乗せて放たれた時雨の声に、各々が十世界の死神達と相対していた冥界の死神達が、その方向を変えて一斉に中空に浮かぶ真紅達の許へと向かう

 神速で宙を翔け、およそ一瞬さえそこへとたどり着くであろう冥界の死神達を三つの目で映る視界の端に捉えながら、時雨は黒の鉄扇を構えてその後に続く

(真紅達の本当の目的は、光魔神様達ではなく、夜薙だったなんて……!)

 先に響いた真紅の言葉と現実の光景を照らし合わせ、そのことに思い至らなかった自身を失跡した時雨が移動を始めた瞬間、そこに影がかかる

「させませんよ」

「――っ」

 その声に視線を巡らせた時雨は、一瞬の動揺の内に肉薄していた斬黒(ざくろ)が、その武器である大鎌を振り上げていた




「――っ、たく。どうなってるんだよ!?」

 神魔があっという間に消えたかと思えば、真紅とその傍らには夜死(イエス)と、捕らえられた夜薙の姿がある

 現在進行形で起きている事態を把握できずに混乱する大貴がやや困惑気味に言う傍らで、先ほどまで共に真紅と戦っていた瑞希は、静かに麗悧な視線を送っていた

「とにかく、助けるぞ」

 だが、現状を説明してくれる誰かがこの場にいるわけではなく、そんな時間はない。ただ一つ言えることは、このままみすみす夜薙を真紅達に連れ去られるようなことがあってはならないということだけだ

「はい」

 現状でできることを即座に判断し、決断した大貴の言葉に静かに応じた瑞希は、その身体から魔力を放出して、双剣を手に真紅へと向かっていく

「オイ、今度こそ邪魔するなよ」

「やめろ」

 それを見て戦意を昂ぶらせる紅蓮が、そう言い残して向かっていこうとするのを、ラグナに肩を貸しているシャリオが光力の結界で閉じ込める

「なっ!?」

 十世界が内輪で揉めているのを横目に、光魔神の神力である「太極(オール)」の力により、瑞希の力と大貴の力が共鳴して強大なものへと変化するのを見た真紅は、黒化させた身体から、巨大な刀剣を投擲する

「邪魔をするな」

 その声に応えるように、真紅が放った巨大な剣はその場で炸裂して無数の小さい剣槍へと変わると、大貴と瑞希へ向けて雨のように降り注ぐ

夜死(イエス)

「はい」

 自身が放った攻撃を、舞うよう剣を振るう瑞希が迎撃し、太極の黒白の力を帯びた斬撃で、それらを中和して消滅させる大貴を睥睨しながら、真紅は静かな声で隣にいる夜死(イエス)へと指示を出す

 その声に応えた夜死(イエス)が、その武器である黒糸を駆使し、全員を黒糸の繭で包み込んで隠していく

「マルチナ、骸」

 夜死(イエス)の黒糸の玉繭に包み込まれる前に、真紅は冥力に乗せて声を届ける



「分かってるわ」

 抑制された平淡な真紅の声を受けたゴシックドレスのような霊衣を纏う女死神――「マルチナ」は、それに淡泊な口調で答えると、その手を高らかに振り上げる

 それに答えるように、マルチナの周囲に浮かんでいた金属質の光沢を持つ水が収束し、天へと打ち上げられると同時に、無数の礫となって神速で降り注ぐ


 マルチナの武器である「葬陵水(フューネラル)」は、液体重金属の武器。暗器としての形状を強く顕現させたその武器は、マルチナの意思によって自在に形を変える不可視の武器水だ

 神速で降り注ぐそれは、一つ一つが槍であり、剣であり、弾丸でもある凶器と化す。一つ一つがマルチナの武器である破壊の金属雨が降り注ぎ、爆塵が冥界王城を覆い尽くす


「――マズイ、あれは……!」

 それを見た(くら)は、その大半が迎撃され、相殺されたマルチナの金属雨が巻き起こした粉塵に包まれる冥界王城を見る

 かつてマルチナを勧誘しようとしたことがある(くら)は知っている。ここから(・・・・)がマルチナの武器――「葬陵水(フューネラル)」の本領であることを。

「これは……ッ!」

 粉塵に紛れるようにして大気に漂うのは、微細な水滴。それは、マルチナの武器である金属水が、爆撃の衝撃を利用して霧状に分散、散布されたものだ

 それを見た時雨が息を呑む中、自身の武器が形を変えたきりに覆われた冥界王城を睥睨するマルチナは、軽く指先をすり合わせて音を鳴らす


 その瞬間、極大の爆発が冥界王城を呑み込む


「なっ!?」

 天地を震わせ、大洋を乱すほどの衝撃を生み出した爆撃を背後に感じた大貴が視線を向ける

 その爆発を生み出した冥力に込められていた純然たる殺意が、その神格によって世界に顕現することで、海は大きく荒れ、天を衝く炎が唸りを上げる

「――……」

 うねりを上げる波動が収まった時、そこには真紅をはじめとする十世界の者達と、夜半(よはん)の姿は、まるで風にさらわれたように消え去っていた

「逃がしたか。くそ、死神羽(神器)まで使ったってのに……情けねぇ」

 またしても夜半(よはん)を取り逃がしてしまったことに、王としての自責の念に苛まれる(くら)が視線を落とす

 そこには、冥界王城全体を呑み込む極大の爆発を凌いだ時雨をはじめとする守るべき冥界の死神達の姿があった

 その身体には、漆黒の霧が絡みついており、それらは役目を終えて本来あるべき場所――(くら)が支配するウイルスサイズの武器の黒群の中へと戻っていく

「――にしても、夜薙を狙ったってことは、あいつの中に椎稲(しいな)が隠したもんを知ってたってことか」

 冥界の中でもほんの一握りしか知らないその事実を真紅達が知っていたことに、(くら)はそのことを失念していた自分の考えの浅はかさに苦々しげに歯噛みする

「いや、待てよ。まさか……だが、その可能性は十分にある」

 しかし、その瞬間(くら)の脳裏に閃くものがあった

 にわかには信じ難い漠然としたその考えは、これまでの無数の言葉と事柄を結んでいき、やがておぼろげだった一つの可能性に輪郭を与えていく

「真紅。まさかお前は――」

 空を仰いで淡泊な声で独白する(くら)の言葉を遮るように、先ほどの爆発で吹き上げられた海水が雨のように冥界王城へと降り注いでくる



 戦いのひとまずの終結を告げるかのように降り注いだ海水の雨は、勝利を得た者、戦いを生き延びたことに安堵する者、そして敗北した者すべてに等しく降り注ぐ

「くそ……ッ」

 地面が砕けるほどの力で拳を叩き付けたシキトは、身体から血炎を立ち昇らせながら敗北感と自身の無力に打ちひしがれる

 その身体を守る冥力によって降り注ぐ海水でも全く濡れることのないシキトは、自身を縛り続けてきた椎稲(しいな)の言葉と鎖牙(サガ)の言葉、そして夜薙を重ね合わせていた



 そんなシキトにとって、爆発が巻き上げた海水が降り注いでいた数秒は、果てしなく長い時間だったに違いない





「柩は死んだか。できれば、神眼(ファブリア)も手に入れたかったのだがな」

 その頃、その身に纏うコートのような霊衣を翻らせる夜半(よはん)は、共に行動をしていた柩の死を知って言う

 その声音と表情はあくまでも冷静で、少なくとも見た限りでは柩の死に対する動揺を窺うことはできない

《ごめーん》

 その夜半(よはん)の声に応えたのは、明るく跳ねる様な印象を持つ中性的な声だった

 言葉では誤っているが、悪気を感じているとは思えない声音の主へと視線を向けた夜半(よはん)は、そこにいないが、そこに存在している人物に向けて語りかける

「しくじったようだな、ルートラ」

 その声に、夢から具現化したルートラが肩を竦めてお手上げのポーズを取り、夜半(よはん)の言葉を肯定する

 本来通常の全霊命(ファースト)では知覚できない夢の眷属であるルートラを夜半(よはん)が認識することができるのは、夜半(よはん)自身もまた夢の神の神片(フラグメント)の力を持っているからだ

《でも安心して。ゆりかごの彼女の記憶からは、僕のことを消しておいたから》

「なぜ出てきた(・・・・)? 次の機会を窺えばいいものを」

 その言葉で、ルートラが宿体――詩織から抜け出してきたことを知った夜半(よはん)は、そうした理由を低い声で問いただす


 夢想神(レヴェリー)の眷属である夢の存在達は、他者を依代とすることで存在し、力を振るうことができる。たとえ宿体を抜け出しても、夢想神の庇護があれば夢想神を宿体として生き続けることができるため、存在し続けること自体には問題はない

 だが、記憶を消す処理までして出てきたということは、ルートラはもう詩織の身体に戻る気はないということ。神眼(ファブリア)の力を狙っている夜半(よはん)としては、次の機会を待てばいいという考えが先に立つ


《――いや、もう多分無理だよ。彼女は、決めたみたいだから。下手にバレるより、こうしたほうがいいと思っただけさ》

 低い声で言う夜半(よはん)に、ルートラは両手を頭の後ろで組んだ体勢で答える


 詩織の心に宿っていたからこそ、ルートラにはその心が伝わってくる。だから、もはや詩織が自分の言葉に惑わされることは無いだろう

 何よりあのまま記憶を残していれば、詩織は自分のことを他の面々に話していただろう。ならば、もう自分にできることは無い。――そう考えたからこそ、ルートラは詩織という宿体から出ることを決意したのだ


《それに、オイラ達夢の住人(ファンタズマ)は夢の化身。叶わぬ夢の残酷さも知っているけれど、叶わない夢に挑む者の結末を見届けるのもお勤めみたいなものさ》

 そう言って笑うルートラは、遠くを見る様な目で天を仰ぐ

 一見無関心にも聞こえるその言葉は、自身が宿っていた宿体の少女の心に触れてきた夢の、偽りのない言葉だ


 応援するわけでもなければ、否定するわけでもない。ただ夢として、その心を見据えてきたルートラは、静かに目を伏せて、遠く離れてしまった宿体の少女へと思いを馳せるのだった





「どうやら、こっちの戦いも終わってるみたいだね」

「はい」

 柩を倒してしばらくの後――何者かによって展開されていた空間隔離が崩壊し、そこに囚われていた桜と詩織、そしてそこへと乱入した神魔は冥界王城の一角へと姿を現していた

 そこから見える光景を見て、すでに十世界との戦いが終わっているのを見て取った神魔の言葉に、その傍らに寄り添う桜が頷く

「じゃあ、しばらくはここでゆっくりしようか」

「え? ――ぁッ」

 戦いが終わっているのを見て取った神魔が発した言葉に反応を返す間もなく、桜はその華奢な身体を横抱きにされる

「よいしょっと」

「し、神魔様……!」

 その場に腰を下ろした神魔の腕に横抱きにされた桜は、その絶世の花顔を朱に染めて最愛の人の肩口に顔を埋める

 それが、顔を見られまいとする桜の貞淑な恥じらいであることを知っている神魔は、苦笑を浮かべて悪戯っぽく笑いかける

「あ、あの……」

「怪我人なんだから、平気でしょ?」

 未だ完全に癒えていない背や肩口の傷へと視線を向け、先程の「怪我をしたら、堂々と甘えさせてもらえる」という言葉を踏まえた神魔の言葉に、桜は完全に愛色に蕩けている顔を隠すようにして消え入りそうな声で答える

「――だとしても、やはりここまでしていただくのは恥ずかしいです」

 恥じらいながらも、決して逃げようとも離れようともしない健気で可愛らしい桜の髪を優しく梳くように撫でていた神魔は、緩めていた表情をわずかに引き締めておもむろに話題を切り出す

「それにしても変だよね。何で桜の結界が消えたんだろう?」

 柩を倒した後、結界内で話を聞いていた神魔は、桜が重傷を負うに至った最大の要因を思い返して仕上げに呟く


 通常、全霊命(ファースト)の結界が、本人の意思での解除、破壊を含めた他者からの干渉による無力化以外の方法で消えることは無い

 ならば桜の結界が消えたのも、当然何者かによる干渉があったからだと考えるのが自然だ。だが、柩がそのような素振りを見せることは無かったと桜は言い、あの場にはそれを行いうる可能性を持つ第三者はいなかった――少なくとも、神魔、桜、詩織の知覚が及ぶ範囲(・・・・・・・)には


「申し訳ありません。わたくしには思い当たりません」

 その言葉の裏に隠された神魔の本当の疑問を理解している桜は、惚気て赤らんでいた顔色わずかに薄めて答える

「詩織さんは?」

「え? えっと――」

 突然話を振られた詩織は、白昼堂々抱き合うようにしている神魔と桜を見て羨ましさと気恥ずかしさに赤らめていた顔で慌てて答える

「すみません。分からないです」

「そっか」

 その詩織の反応を見た神魔は、瞳の中に抱いていた疑いの色を静かに消し去る

 神魔が見せた一瞬の疑念は、詩織には全く気付くことができないほど小さなもの。だが、長く共に生きてきた桜にはそれをはっきりと見て取ることができた

(あの場には、最低でももう一人別の誰か(・・・・)がいた。それは一体――)

 あの空間隔離を展開していたのは、柩ではなかった。柩であればその死と同時に空間隔離が解けていたであろうし、元々桜と同程度の神格の持ち主だったのだから、戦っていれば気付くことができただろう


 つまり、最初からあの場所には最低でも一人――桜、神魔、詩織の知覚が及ばない何者かがいたということ。

 そしてその人物こそが桜の結界を消し去った人物である可能性は十分ある。だが、現状でわかるのはそれだけ。それ以上のことは知る術もない


「――……」

 桜が深手を負ったことがかなり気にかかるのだろう。まるでその存在を確かめるように、桜の身体を優しく、それでいて強く抱き留める神魔の姿を見ていた詩織は、その表情をわずかに曇らせる

 その視線が向けられているのは、短くなってしまった桜の髪。腰まで届くほどに長く、艶やかで美しかった癖のない桜色の髪は、詩織を庇って受けた背中の傷に伴って半分以上失われてしまっていた

「あの、桜さん」

「はい」

 意を決して口を開いた詩織に、桜は神魔の腕に身を任せてながら、首だけを動かしてその顔を見る

「ごめんなさい。私の所為で――」

 唇を引き結び、顔を曇らせる詩織が何を指してそう言っているのかを即座に理解した桜は、花のような清楚で可憐な微笑を浮かべて微笑む

「気にしないでください。髪はまた伸ばせばいいだけなのですから」

 言葉ではそう言っていても、桜自身神魔が気に入って、大切にしてくれていた髪を失ってしまったことへの喪失感はある

 だが、生きていればまた伸ばせるのも事実であり、神魔もそう考えているだろう。何より、それを気にしすぎれば、詩織を傷つけてしまう。だからこそ桜は、あえて気にしていない素振りでそれに答えた

「でも……」

「詩織さん」

 それでも納得しきれていない様子の詩織の言葉を、名を呼ぶことで遮った桜は、小さく首を横に振ってから穏やかな声音で語りかける

「この髪のことは詩織さんが気に病むことではありませんし、わたくしも気にしておりません。

 ですから、ご自分を責めないでください。そんなに気にかけていただいては、わたくしも申し訳なくていたたまれません」

「桜さん」

 自分を優しく微笑みながら慰めてくれる桜の言葉に、詩織は感極まったようすでわずかに声を震わせる


 今の詩織はルートラのことを忘れてしまっている。だがそれでも、自分の所為で桜が傷ついてしまったことだけは覚えている。

 そのことで自分を責め、桜を失いそうになってようやく自分の愚かさと過ちに気付くことができた詩織は、それを噛み締めながら唇を引き結ぶ


「ありがとうございます……」

 これ以上何を言っても堂々巡りにしかならない。そして桜の言う通りどお互いに気に病んでいてもなくしたものは戻らない

 ならばせめてと、桜への謝罪と感謝を込めて発した詩織の目尻に、今にも零れそうな雫が浮かぶ


「それに、一晩もすればこの髪も元に戻るでしょうし」


「……ぇ?」

 その時、桜の口から告げられた言葉に、詩織の嗚咽にも似た声は、拍子抜けしたようなものにとってかわられる

 涙で濡れた視線を向ける詩織に、桜は肩にかかる程度の長さになってしまったその桜色の髪を軽く指先で弄びながらさも事も無げに言う

「何を驚いておられるのですか? 髪の長さなど自由に調節できるものでしょう?」

「へ……?」

 詩織の面喰った表情があまりにも意外だったのか、桜はわずかに首を傾げると即座にその反応の理由に気付いて訂正する

全霊命(ファースト)の身体は、神能(ゴットクロア)によって形作られておりますから、髪の長さを止めたり、伸ばすことも難しくはないのですよ」

「そっか。人間は髪が伸びるのに時間がかかるんだったね」

 そのやり取りを見ていた神魔も、桜の言葉を受けて納得したように呟く


 その身体が自身の神能(ゴットクロア)そのものでもある全霊命(ファースト)は、たとえ髪が短くなっても元通りの長さに即座に再生させることも、長さを今のまま維持することもできる

 そうでなければ、常に自身を最盛期の状態のまま死ぬまで維持できる全霊命(ファースト)にとって、髪は伸び放題になってしまうだろし、短く維持するのも一苦労だろう

 加えて、人間界のような世界にも髪の長さを調整する技術もある。故に神魔と桜は詩織――ゆりかごの世界の人間(地球人)が髪を伸ばすのに相応の時間がかかることを失念していたのだ


「へ、へぇ……そうだったんですね」

(こ、この感じのやり取り、なんだか懐かしい……)

 全霊命(ファースト)や九世界の常識と自分達の常識の違いに愕然とするこの感覚を久しぶりに覚えた詩織は、やり場をなくした涙を目尻に浮かべたまま遠い目で立ち尽くす

(でも、だったらあんなに神妙なやり取りしなくても……)

 その詩織の脳裏によみがえるのは、髪が短くなってしまったことをしきりに神魔に謝罪する桜の姿。

 確かに全霊命(ファースト)の女性にとっても髪は命なのかもしれないが、それほど簡単に長さを調節できるなら、あの反応は少々過剰だったようにも思える

「――ですが、新しく伸びた髪には神魔様との思い出がありません」

 そんな詩織の疑問に答えるように、桜は短くなった髪の毛先に指先で触れながら、わずかにその美貌を翳らせて声を落とす

 だが、そんな様子も一瞬の事。その視線を神魔へと向け、その腕の中に身を委ねた桜は、その花の顔を愛おしさと恥らいで赤く染める

「ですから、また愛でてくださいませ」

 自身の髪に触れながら、神魔に身を委ねている桜は淑やかな声で噛み締めるように囁く


 確かに、髪の長さは自由に変えることができる。だが、失われてしまった髪には、神魔と過ごしてきた日々の思い出と、愛でてもらった幸福の記憶が染み込んでいると、桜は思っている

 その大切な想いと思い出を失ってしまったことを悲しみながらも、今の桜は新しく伸びたその髪にその寵愛を賜れることへの期待と喜びを抱いていた


「うん」

 自身の全てを最愛の人に染めることを望み、淑やかに甘える桜の言葉を受けた神魔は、腕の中に抱きしめた伴侶に優しく微笑みかける

「ありがとうございます」

 その言葉を腕の中で受け止め、一層その表情を愛色に染めた桜の幸福に満ちた笑みを見ていた詩織は、胸に去来するやるせない思いに肩を落とす

「わ、私のあの涙は一体……?」

「ふふ」

 髪のことに関しては失念していたが、後半のやりとりは詩織にみせるためのもの。神魔に抱きしめられた桜は、その温もりに身を任せながら詩織の反応に目元を綻ばせて花のように微笑む

「桜さん、意地悪です」

「申し訳ございません」

 それに拗ねたように言う詩織と、微笑みながらそれを受け止める桜を交互に見た神魔は、小首を傾げて腕の中にいる伴侶に問いかける

「詩織さんと仲直りしたの?」

 つい先程までぎこちない雰囲気で接していた二人が、以前のように――否、前以上に親し気に接しているのを見た神魔の率直な疑問に、その腕に身を委ねていた桜はたおやかに微笑み返す

「わたくし達は、喧嘩などしておりませんよ」

「え? でも……」

 さも当然のようにそう言って詩織と目配せをした桜の様子に、神魔はさらに疑問を深める

「神魔様」

 優しい声音で紡がれた桜の声によって、追及を遮られた神魔は、しばし思案をして一つの結論を導き出す

「――ま、いっか」

 同じ女同士、自分には分からないことがあるのだろうと結論付け、納得した神魔を見て、桜と詩織はそれぞれに笑みを浮かべるのだった





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