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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
177/305

夢見草





(私の、所為だ……)


 斬り落とされ、溶けていく桜色の髪が作り出すおぼろげな光景に包まれた詩織は、自分の身体に寄りかかってきた桜の体重を受け止めながら自責の念に駆られる

 覆いかぶさるように体重を預けてくる桜は、わずかとはいえ身長が少し高いとは思えないほどに軽く、鼻腔をくすぐる優しく甘い香りと相まって、まるでこの世から消え去ってしまうかのような儚さと非現実感を強く刻み付けてくる


(桜さんのことがずっと羨ましくて……綺麗で、おしとやかで優しくて、神魔さんとすごくお似合いで。それが妬ましくて……すごく憧れて――)


「あ、ぁ……」

 この事態を招いたのが、全て自分自身の弱さであることを悔いる詩織は、今にも消えてしまうのではないかと思える桜の体重と温もりに包まれながら、その姿に死を重視する

 桜を抱き留める様な体勢になっている詩織の目には、桜の特徴でもある桜色の髪と、その身に纏っている着物と羽織の霊衣、そして、背中に負った傷から天高く立ち昇っている血炎が映っていた

「詩織、さん……」

 先程までその心身を押し潰そうとしていた全霊命(ファースト)の存在が放つ神能(ゴットクロア)の圧力とは全く異なる圧力に苦しむ詩織の耳に、桜の声が届く

 苦痛を噛み殺し、懸命に絞り出したような声でありながらも、桜の声は優しく響いて、詩織の意識を引き留める

「落ち着いて、ください。わたくしは、まだ、大丈夫ですから」

 覆いかぶさるように身体を預けているため、互いに顔を直することはできないが、だからこそ桜の小さな声は、その口に近い場所にある詩織の耳にはっきりと届く

「桜、さん……」

 大きくその背を斬られながらも、致命傷を紙一重で避けた桜は、その深い傷の痛みに苦しみながらも、詩織を励まそうと、懸命に優しい声で語りかけてくれる

(こんな傷なのに、私のことを……)

 それを聞いた詩織は、こんな状況でも自分を気遣ってくれる桜の強さに励まされ、動揺して弱気になっていた恥じるように、己を叱咤して唇を引き結ぶ


「――まだ、その子を守る結界を張るだけの力はあるようね」


 そうして詩織が決意を新たにする暇もなく、傷を負って倒れ込んだ桜に、柩の冷ややかな視線が注がれる

 桜色の髪を切り落として桜吹雪を散らせた大剣を手に、その背から帯びたしい量の血炎を立ち昇らせている桜が、詩織を魔力で包み込んで守っているのを見た柩は、アンダーリムの眼鏡の下にある目を険しいものに変える

「悪いけれどここまでよ。神器(その子)は渡してもらうわ。その子から離れるならよし、離れないのなら――」

 死神の優れた知覚によって、致命傷こそ避けてはいても、桜がかなりの深手を負っていることを見てとった柩は、その手にした大剣を大きく振りかぶる

「命の保証はしないわ」

 アンダーリムの眼鏡の形状として顕現している霊衣の下で、その目を細めた柩の冷ややかな声に、桜は唇を引き結び、詩織は大きく目を瞠る

「助けて……」

 力なく倒れている桜を支える詩織の口から零れたのは、そんな小さな言葉

 「逃げて」でもなければ、「やめて」でもない――無意識に出たその言葉は、自分を諦めない詩織の本心が素直に現れた、たった一つのことを願う言葉だった

(桜さんを――)

 本当なら、桜は自分を見捨ててもよかったはずだ。神魔も分かってくれるだろうし、そのことで桜を責めはしないだろう

 だが、桜は自分を身を挺して守ってくれた。そして、桜の命が潰えてしまうのではないかと思えるようなこの状況下だからこそ、詩織は劣等感を抱くだけだった存在である桜に対する自分の本当の気持ちに気付くことができた


「助けて神魔さん!」


 桜を抱き留めた手に力を込め、瞼を固く結んだ詩織は、嗚咽のような声で祈るように言う

 決して声を荒げたわけでもない。仮に声を張り上げたとしても、空間隔離で作られた世界から声が届くはずはない


 しかし、その瞬間、まるで詩織の祈りが届いたかのように、隔離された空間の空が砕かれる


「なッ!?」

 天が砕かれた瞬間、柩は天を仰いで息を呑む

 それは、隔離された空間が破壊されたことに対する驚愕以上に、それによって知覚されることとなったもの――暗黒の力を纏ったそれが、一瞬たりとも意識を逸らすことを許さない圧倒的存在感と恐怖を柩の魂の根源に与えていたからだ

「――……」

 柩が顔を青褪めているかのように強張らせる一方、詩織に身体を委ねている桜は、背を向けたままその花唇を優しく綻ばせる

「桜!」

 天を砕いた黒い存在――神魔は、知覚と好感した命によって、即座に背中からおびただしい量の血炎を立ち昇らせている愛しい人の姿を見つけ、その名を呼ぶ

 声を上げるや否や、時間と空間を超越する神速によって桜の許へと降り立った神魔は、それに気づいて後方へと飛びずさった柩に一瞥もくれることなく、その身体を抱き起して腕の中に収める

「桜!」

「神、魔様……」

 神魔の声に、この世で最も愛しい人の腕に抱かれた桜は、その瞼をうっすらと開いて、穏やかに微笑む

「申し訳ありません。あなたに、そのようなお顔をさせてしまって……」

 自分を覗き込む神魔の表情を映した桜は、愛しい人の腕の中に抱かれた安心感と温もりに自分の全てを委ねながら、謝罪の言葉を述べる

「いいから。そんなこと言わなくてもいいよ」

 その貞淑で大和撫子然とした性格から、自分が心配をかけてしまっていることを詫びる桜に、神魔は安堵の入り混じった苦笑を浮かべて優しく微笑み返す

 何よりも、桜が生きていてくれたことに心から安堵した神魔は、桜と視線を重ね、互いの心の内を分かち合うようにその一時を共有する

「ごめ、なさい……私を庇った所為で――」

 そんな神魔と桜を見ていた詩織は、その身体をおこりのように震わせながら、罪悪感と自制の念に押しつぶされそうな弱々しい声で言う

 神魔は、先ほどから詩織に一瞥たりとも向けることはない。その言葉を聞いても、本当に聞こえているのか分からないほどに反応を示さない――それは、神魔にとって大切なものが何なのかを、何よりも雄弁に物語っている

「申し訳ありません。とても大切にしてくださっていたのに――」

 その柳眉を苦痛ではない感情にひそめた桜の言葉に、その名と同じ色をした美しい髪が切り落とされているのを見た神魔は、小さく首を横に振って優しく答える

「桜が生きててくれればそれでいいよ」

 神魔の金色の瞳に見つめられた桜は、その目を愛おしげに細めて、わずかに頬を朱に染める

 最愛の人に抱きしめられ、大切に想われていることを強く実感して身を委ねる桜に、神魔は安堵の表情を浮かべる

「まったく、こんなになる前に――」

「神魔様」

 安心したからなのか、不安と心配に背を押される形に窘めるように零れた神魔の言葉を、桜は穏やかな声で遮る

 それによって言葉を止めた神魔が自分を覗き込んでいるのを見て、桜は自分を愛してくれている人が、愛してくれているからこそ言おうとした言葉に対する答えを優しく言う

「その先を仰ってはいけません」

「――桜……」

 その言葉が示そうとしていた人に視線を向けることはせず、ただ視線を重ねたまま桜は神魔に言う


 「こんなになる前に詩織さんを見捨てればよかったのに」――それが、先ほど神魔が言おうとした言葉。詩織は神魔にとって特別な存在ではあるのは間違いない。だが、伴侶である桜はそれ以上に大切だ

 桜を一番大切に想っているからこそ、その命のために詩織の命を切り捨てるそれは、神魔にすれば至極当たり前の考えだった

 それを止めたとはいえ、桜とてそれは同じ。命を懸けてまで詩織を守ろうとは考えておらず、本当に危険が迫れば、見捨てるつもりでいる。

 だが、今止めなければ、詩織はそれを神魔の口から聞くことになっただろう。――だからこそ桜は、同じ人を愛する者として、同情したのだ


 詩織は「桜には自分の気持ちは分からない」と思っていただろう。愛しい人に愛され、大切にされ、その幸福に満たされている桜には、同じ人を愛しながら見向きもしてもらえない者の気持ちなど分からない、と

 だが、実際は違う。桜には詩織の気持ちは痛いほど理解できていた。神魔に――この世で何よりも愛しいと思える人に愛されているからこそ、「もし、この愛しい人がいなくなってしまったら」、「愛されなくなってしまったら」、「もし、この人と出会い、愛してもらわなかったなら」という恐怖が深くなる


 互いの想い、世界の法がある以上、詩織と神魔の関係を許容することはできないが、一人の女性として想い人から切り捨てられるような言葉を向けられるようなことは避けてあげたかった


(そう、だよね)

 一瞥さえ向けられることなく、二人の世界に入り浸っている神魔と桜の姿を一歩離れた場所から見ていた詩織は、仲睦まじいその様子を見て改めて確信を抱く

(私、分かってたのに。桜さんになにかあれば、神魔さんが悲しむだけだった。桜さんがいなくなっても、神魔さんは私を選んでくれないって知ってたのに――結局自分のことばかりだった)

 数歩歩み寄れば届く距離にいる神魔と桜を見据え、詩織は物理的なものとは比べ物にならないほど遠く離れた心の距離を噛み締める

 仮にルートラの言の通りに桜がいなくなっても、神魔の気持ちが自分に向くはずがない。当たり前の話だが、詩織には桜にも、桜の代わりにもなることはできないのだ



「――……」

 その様子を離れたところから見ていた柩は、アンダーリムの眼鏡の下の顔を引き攣らせていた

 桜を無力化し突如乱入してきた神魔もその傍らから動こうともしない。今こそが、詩織(目的の物)を手に入れる絶好の機会であるのは間違いない

(なんなの、この感覚は?)

 だが、柩がその絶好の機会に動くことができないのは、横になった桜を抱えるように地面に無防備に膝をついている乱入者――神魔によるものだった。

(確かに、彼は強い。けれど、彼女に気を取られている今のうちに神器を持つゆりかごの人間を連れ去るくらい造作もないことのはずなのに――)

 乱入してきた神魔の魔力は強大。だが、全霊命(ファースト)の知覚でさえ捉えることのできない死神の力ならば、桜に気を取られているこの隙をついて詩織を手に入れることも可能なはずだ

 だが、頭では分かっているはずなのに、柩の足はまるでそこに縫い付けられてしまったかのように前に歩を進めることを拒んでいる

(どうして、動けないの……?)

 殺気を向けられているわけではない。恐怖はあるが、それはいつも戦いのときに感じている死のそれとさほど変わらず、自分の動きを制限するほどのものではないはず。

 だが、柩は自らの意志ではなく、魂――あるいは存在の根幹にあるなにかが、そこへと踏み込むことを拒んでいるようにさえ思えていた

(まさか、私が気圧されているとでもいうの!?)

 恐怖でもなく、しかし最も存在の奥深いところから生じているような感覚に足を止めていた柩は、心中でそんな自分を否定し、己が警告を無視して足を踏み出す

「動くな」

「!」

 しかし、その瞬間に神魔からかけられた言葉に、柩は踏み出した足を止める

 怒気に彩られているわけでもなければ、荒げられたわけでもない静かで抑制された声音で発せられたその言葉は、しかしまるで言霊のように柩の動きを縛りつける

「悪いんだけど、僕は今一瞬たりともここから動きたくないんだ。だから、君の相手をしてる余裕はない。でもそこから一歩でも、冥力の欠片でも通したら――」

 背中を向けたまま、一瞥も向けることなく淡々と言葉を発する神魔の一言一言に、柩は魂が削られるのではないかと思えるような重圧に半歩後ずさる


「殺すよ」


「――ッ!」

 魔力も乗っていない、殺気もない。まるで日常の他愛もない会話の中で出る様な、軽い口調で告げられたその言葉に、柩の存在が根底から粟立つ

(なに!? なんなの、この男は……!?)

 恐怖はない。だが、柩の身体はそれ以上前に進むことを躊躇ってしまう。それはまるで、目の前にいる男に対して敵意を向けることを拒んでいるかのようだった

(私は死神で、知覚できないはずなのに……まるで、私の命を握られているかのような)

 何より恐ろしいのは、「冥力の欠片でも通したら」という言葉だった。死神の神能(ゴットクロア)である冥力は全霊命(ファースト)には知覚できない

 言葉のあやだろうが、まるで冥力を知覚しているかのような神魔の言葉は、魂を髄から凍てつかせるかのような恐怖を柩に与えていた

(どうする? ここは一旦退く? いえ、そんなことはできない。ここまでお膳立てしてもらって、失敗しましたなんて言えるはずない!)

 一瞬脳裏によぎった撤退の二文字を振り払った柩は、その心を奮い立たせて無防備に背を向けたままの神魔を睨み付ける

「――……」

 柩がその手に持つ大剣の柄を強く握りしめたのと同時に、神魔は金色の瞳を抱く目を細める

「神魔様」

 柩が忠告に従わなかったことに、煩わしそうな表情を浮かべた神魔は、腕の中に抱きとめていた桜の声にその視線を落とす

「桜?」

「彼女は、わたくしに任せていただけませんか?」

 神魔の視線を受け止めた桜は、先ほどまで斬り落とされた髪をいたわるように優しく撫でてくれていた最愛の人の手に、白魚のような指を持つその手を絡めて微笑む

「彼女は、わたくしが倒します」

「何言ってるの? そんな傷で」

 命にこそ別状はないが、桜が背に受けた傷は決して軽いものではない。今だ血炎が止まらないほどに深くその華奢な身体を斬り裂いた刃の傷を案じる神魔は、当然桜の言葉を拒絶する

「そうです。そんな傷で戦うなんて、自殺行為ですよ!」

 隔離された静寂な世界の中では、小さな桜の声も十分詩織の耳に届く。神魔の魔力結界によって守られている詩織もまた、桜の言葉に反対する

 自分の所為で傷ついた桜がさらに傷つくことを案じる詩織の言葉を背で聞く神魔は、腕の中で自分に身を委ねながらもまっすぐにその視線を向けてくる桜を見て、その重い口を開く

「――なんで、そんなにこだわるの?」

「大切なものを奪われたからです」

 打てば響くように返された桜の言葉に、神魔はいつもならば腕に身体を支えている腕を包み込んでくれている艶やかな桜色の髪の感触を思い返す

 桜の癖のない艶やかな桜色の髪は、神魔も気に入っていた。何より、髪は女の命だ。そこに自分では計り知れない思い入れがあることを察した神魔だが、やはり深く傷ついた桜を戦わせることは望むところではない

「神魔様。神魔様のお心づかいもご心配も重々承知しております――ですが、わたくしにも、許せないことはあるのです」

 そんな神魔の危惧を見透かしたかのように、桜は淑やかでたおやかでありながら、決してぶれることのない信念の宿った声で語りかける

「僕がお願いしても?」

「無論、神魔様がそれでもだめだと仰るのでしたら、わたくしはそれを受け入れます」

 神魔の真剣な眼差しを受けた桜は、その美しい美貌を花のように綻ばせて優しく微笑む

 桜のその表情には一片の偽りもなく、神魔が本当に望むならばその言う通りにする自身の意志を示していた


 それが、神魔が自分のことを想ってくれているからこその言葉であることを分かっているからこそ、桜はその申し出を、感謝と共に受け入れる

 神魔の言葉はもっともなこと。だからこそ、どうしてもその必要があると判断しない限り、桜は反対を押し切ってまで己の意志を通そうとは思っていなかった


 それは、普段我を見せることがない桜が見せた些細な――本当に些細な我儘であり、そしてそこには桜が神魔のためではなく、自身のために見せる意思があった


「仕方ないな」

 そんな桜の視線に、大きくため息をついた神魔の言葉に、それを背後から見ていた詩織が思わず声を上げる

「神魔さん!?」

 そんな詩織の声など耳に入らないかのように、桜は自分を大切に想いながら、気持ちを汲んでくれる最愛の人に、愛おしさを噛み締めながら淑やかに微笑みかける

「ありがとうございます」

「でも、少しでも危ないと思ったら、割って入るからね」

 桜の心からの感謝の言葉と笑顔にほだされている自分に苦笑を浮かべた神魔は、それでも最大の譲歩を示す

「はい」

 答えた桜は、神魔の腕の抱擁から名残惜しそうに離れて身体を起こすと、自分に意志を尊重してくれた神魔に視線を向けて感謝と謝意の籠った一礼をする

「申し訳ありません。わたくしの我儘でお心を煩わせてしまって」

 全霊命(ファースト)の再生力を以ってしても未だ完治していない背中の傷から立ち上る血炎を見て神魔が浮かべた不安げな表情に、桜は一瞬自身の判断に対する迷いを抱く

 だが、即座にその考えを否定した桜は、そのっ頃を押し殺して自分を見守ってくれようとしている神魔を見据えて淑やかに微笑む


「あとで、たっぷりと叱ってくださいませ」


「うん。覚悟しておいてね」

 どこまでも優しい声音でいつものように自分の髪を梳くように撫でてくれた神魔の手の感触と温もりに愛おしげに目を細めた桜は、最愛の人の視線を背に感じながら身を翻す

 その手に顕現させた薙刀を一閃させ、その刃で無造作に斬り落とされていた自身の桜色の髪を切り揃えた桜は、少し離れた場所で佇んでいる柩に再度相対する

「驚いたわ。そんな傷で私と戦おうなんて、いい度胸ね」

 その背に負った大きな傷が癒えないまま、自分の前に立った桜に、柩は皮肉めいた挑発の言葉を告げる

 これまで桜の足枷となっていた詩織は、途中から現れた乱入者――「神魔」の結界に守られているため、その本当の力を使って戦うことができるだろうことは想像に難くない

 だが、元々桜と神能(ゴットクロア)の神格と大きさに差がなかった以上、その差は縮まるどころが広がているかもしれないというのが柩の考えだった

「この髪の借りを返さねばなりませんので」

 そんな柩の思惑など十分に分かっているはずの桜は、その皮肉を込めた言葉に、あくまでも楚々とした静かな声音で答える


 自身で切り揃えたことにより、肩にかかる程度の長さになってしまった艶やかな桜色の髪を揺らめかせるサクヤは、その瞳の奥にたおやかな外見とは異なる強い感情を宿いていた

 髪は女の命というが、神魔に心配をさせてまで武器を手に傷ついた体で立つ桜からは、決して命を投げ出しているような感覚は得られない。むしろ、勝算があるかのように振る舞うその姿は、柩には不気味にさえ映っていた


「――とはいえ、あまり戦いを長引かせては神魔様にご心配をおかけしてしまいます。ですから、早々に決着を付けさせていただきましょう」

「本当にいい度胸だわ」

 圧倒的に不利な状態のはずなのに、微笑に彩られた声音で挑戦的にも聞こえる言葉を告げた桜に、柩はその目を鋭くして声を研ぎ澄ませる

「それに、あなたも急がなくてはならないのではないですか? 神魔様がここにいらしているということは、あちらの戦いは終わったとみるべきでしょう?」

 その声にその美貌に小さく笑みを浮かべた桜は、まるでその腹を探ろうとするかのように、柩へと語りかける


 十世界盟主――「真紅」が神器によって作り出した空間に囚われていた神魔がここにいるということは、その空間が解かれたということ。

 そこでの戦いの顛末はここにいる桜達には知るべくもないことではあるが、外の戦況や状況は大きく変化しているとみるのが自然だ


「――そうね。少し急がせてもらおうかしら」

 桜の言葉は、当然柩自身も考えていたこと。

 自身の懸念を言い当てられた柩は、身の丈にも及ぶ大剣を構えると、桜の挑戦に答えるように純然たる殺意が込められた知覚のできない力に込めて露にする


 向かい合った悪魔と死神――二人の女の視線が交錯し、神格を帯びた意志が現実に作用して大地を砕き、大貴を軋ませる

 夜桜色の魔力を帯びた薙刀、知覚ができずともその力を視認することができる冥力を纏った大剣の刃がそれを構築する神能(ゴットクロア)によって共鳴する


「――」

 何かの合図があったわけではない。一点の混じり気もない純然たる意思によって極限まで張りつめていた世界の糸が切れるように、桜と柩の戦いの火ぶたが唐突に切って落とされる

 互いにほぼ同じ神速。時間と空間を超越して肉薄した桜と柩は、渾身の力を込めた全霊の一撃を放つ。桜の薙刀の斬閃、そして柩の大剣による斬撃がそれぞれ弧を描く


 桜と柩の初撃は相殺。薙刀と大剣、二つの刃がぶつかりあ、砕け散った魔力と冥力、そしてそこに込められた神格を帯びた意思の残滓が大地を砕き、空を震わせる


「――ッ」

 刃がぶつかり合う金属音を神魔の結界の中で見ていた桜は、胸の前で祈るように手を組んでその戦いの行く末を祈るように見守る

 そうしながら詩織が一瞥を向けた神魔は、まっすぐに前を向いているために表情はうかがえないが、その立ち姿は微動だにもしておず、それが桜への深い愛情と信頼を表しているかのようだった


「はあアッ!」


 そして初撃を相殺された柩は、間髪入れずに次の攻撃へと移る。神能(ゴットクロア)によって、全ての法則と理を無視する大剣は、その相殺による衝撃を超越して二撃目を最上段からの袈裟懸けとして放つ

「――ッ!」

 揺るぎのない純然たる意思に染まった冥力はその力を十全に発揮し、万象を滅ぼす力を帯びた斬撃を最上段から振り下ろす

 そうして放たれた柩の最上段からの渾身の一撃を、桜は薙刀の柄で受け止める。


 全霊命(ファースト)が使う武器は、自身の存在そのものである神能(ゴットクロア)が戦う形をとったもの。

 故にその強度は、自身の神能(ゴットクロア)の強さに準じ、そしてそれは、心の在り様一つでその強さを変容させてしまう


 すなわち、同等の力をもつ者同士において、その意思が乱れていれば、それは即座に己の〝死〟へと直結することになる



「――ッ」

 神速を以って最上段から振り下ろされた柩の大剣は、それを受け止めた桜の薙刀の柄で一瞬その刃を止めるが、そのまま力任せにそれを両断する

 柩の大剣の刃が薙刀の柄を両断した瞬間、後方へと移動してその斬撃を紙一重で回避した桜は、花弁のようなその口端から血炎を零す


 守りの意志である霊衣とは違い、攻撃の意志である武器は、破壊された時に|全霊命ファースト》にダメージを還元する

 柩の刃によって薙刀を両断された桜は、その損傷による魂――存在への負荷を受け、その絶世の花貌に苦悶の表情を浮かべる


「桜さん……!」

 神魔の結界に守られた状態では、その表情を羽化嗅ぐことはできないが、桜が薙刀を両断されたことは詩織の目にはもはっきりと映る

 神魔の知覚の加護を得て、全ての事象を超える神速で行われる全霊命(ファースト)の戦いを認識することができるようになっている詩織は、眼前で行われた戦いで、桜の危機を感じて声を引き攣らせる

「――」

 だが、同様にその戦いを見ていた神魔は、背後から聞こえた白いに悲鳴にも似た上ずった声にも微動だにせず、桜の戦いをまっすぐに見据えていた


(うまく、躱したわね)


 薙刀を両断された、口端から血炎を零しながらも肩口を掠めた程度の傷で収めた桜を死神の証である三つの目で追う柩は、内心で舌打ちをしつつ、その刃を切り返す

(けど――)

「これで、終わりよ!」

 振り下ろされた刃を直角に切り返し、横薙ぎの斬撃へと変えた柩は、その一刀で桜を両断する覚悟を以って大剣を振るう


「ッ!」


 瞬間響き渡った金属音に目を瞠ったのは、桜でも神魔でもなく、勝利の斬撃を放ったはずの張本人――柩だった

 まるで時が止まったかのような意識の静寂の中、柩の三つの目が捉えたのは、桜の華奢な女体を両案するべく放った斬撃を脇腹で受けとめていたもの

(まさか、この女――)

 限界まで見開かれた三つの目で柩が見たのは、自身の刃を受け止める神能(ゴットクロア)で形作られた棒――先ほど切り落とした薙刀の下半分だった


(私にわざと、武器を斬らせた(・・・・・・・)!?)


 先程は両断できたはずの柄が自分の攻撃を阻んでいる――先ほどまでと寸分違わぬ意思と力で攻撃を放った確信がある柩は、それを目の当たりにして、たった一つの可能性に思い至る


 ほぼ拮抗した神格を持つ桜の武器を自身の武器が斬り裂いたのだとすれば、その差は意志の差。

 そして先ほどできたことが、次の瞬間にできなくなっているということは、そうすること自体が桜の戦術だったと考えるしかない


「申し上げたはずですよ」

「――ッ」

 そしてそれを理解した瞬間、自身の胸の中心に生じた熱いものに、柩はその三つの視線を落とす

 そこにあったのは、己の胸を貫くもう半分の(・・・・・)薙刀――すなわち、斬り落とされ、両断された刃の部分だった

(なる、ほど……)

 自分の胸の中心に深々と突き刺さった薙刀の刃を見た柩は、その三つの視線を桜へと向けて、血炎を零した口端を吊り上げる

(私に武器を斬らせたのは、勝利を確信させることで油断させ、踏み込ませるため。そして、一つしかない自分の武器を二つに分けて、その隙を使って確実に私を殺すためだったのね)

 自分の攻撃を利用し、武器を二つに分けて攻撃してきた桜を見て笑みを浮かべた柩は、胸に突き刺さる刃から注がれる魔力が自身の魂を貫いて砕くのを感じて、三つの目を細める

(ほとんど捨て身の攻撃じゃない。――おとなしそうな顔してやることじゃないでしょ?)

 自身の敗北と死を理解した柩は、こんな戦法をとるように見えない楚々とした桜を、霞む三つの瞳に映す

 ここまでのやり取りは、ほんの一瞬。だが、刹那さえ介在する余地のない時間の中、時間を超越する神速の世界に身を置く柩が思考を巡らせているところに、先の桜の言葉の残り半分が続く


「――早々に決着を付けさせていただく、と」


 薙刀の刃に貫かれた柩の身体が、冥力となって崩れ始めるのを静かな視線で見つめながら、桜はその花唇を開く

「これで、おあいこです」

 自分の命を奪った女の言葉を今わの際に聞いた柩は、その意味を理解して笑う


「――割が、合わないじゃない」


 女の命である髪を奪われたことを引き合いに出し、「互いに一度ずつ殺した」と言う桜の言葉に、柩は形を留めることができずに身体が崩壊するのを感じながら皮肉気に言う


 その身体もまた、存在――神能(ゴットクロア)によって形作られているために、死によって意思が失われることで力となって溶けてしまう全霊命(ファースト)の死。

 己が命を失い、死を与えられた柩は、自身の身体が冥力の残滓となって崩れていくのを見て、寂しげに見つめていた

 身体が完全に消える前に全力で足掻けば、桜に一矢報いることができるかもしれない。だが柩がそれをしないのは、自分を殺して勝利を得た者に対する敬意だった


「――……」

 そして、命を失った柩の存在の全てが冥力へと変わり、完全ん位目の前のから消失するのを見届けた桜は、静かにその目を伏せる

「お疲れ」

「ありがとうございました、神魔様」

 そっと肩に回された手の温もりに、閉じていた目を開いた桜は、自分を優しく労わってくれる最愛の人――神魔へと心からの言葉を囁く

 自分の我儘を聞き届け、最後まで見守ってくれた神魔にそっと身を委ねた桜は、愛しい人の温もりに包まれて、至上の幸福を噛みしめる

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 頬を朱に染め、神魔に身体しなだれかけて寄り添う桜は、その美貌に愛情に満ちた微笑を浮かべていた

 言葉でこそ謝っているが、神魔と触れ合っていられる温かな心情に浸っていること桜の声は、幸福に緩んでいる


「……ですが、たまには、こんな怪我をするのも悪くないかもしれません」


「?」

 神魔の人の温もりに身を預けたまま熱を帯びた声で呟いた桜は、腕を絡めたままそっと身体を離し、小首を傾げている最愛の人にたおやかに微笑む

「こうして、なんの気兼ねもなくあなたに甘えさせていただけます」

 未だ空間隔離の中にいるとはいえ、今の様子は詩織に見られている。

 普段は人前でこのように神魔と触れ合うことはしない桜だが、傷ついた今の状態ならば、こうして身体を支えてもらえるように身を委ねるのも不自然ではない

「なんだ。そんなこと? 別に好きなだけすればいいのに」

 詩織の――否、人が見ている前でも、普段二人きりの時にしているように甘えられると、少しだけ恥じらいながら微笑んだ桜に、神魔は苦笑しながら言う

「それは、わたくしの矜持が許しません」

 淑やかに微笑んだ桜が言うと、神魔は短くなっても、その美しさは微塵も損なわれていない桜色の髪を優しく梳くように撫でる

「まったく」

 愛おしげに目を細める桜に優しく触れる神魔は、その温もりと肌触り、甘く優しい香りに包まれながら、何よりも自分の隣に最も大切な人がいてくれる幸せと喜びを感じていた





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