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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
176/305

散桜






 どこまでも果てしなく広がっている荒野――世界を作り出す(・・・・)空間隔離によって作り出された仮初の世界。

 世界を映し取るのではなく、作り出す空間隔離は、全霊命(ファースト)が記憶している心象風景や、必要な物を創造し具現化することで作り出され、一般的には伴侶が愛を語らったり、気分転換のために用いられるものだ


 だが、その空間隔離によって作り出された世界で行われているのは、そんな心安らぎ、愛を深める行為とは正反対の命を奪う殺伐としたものだった


「はあっ!」

 凛とした裂帛の気合の声と共に、自身の身の丈にも及ぶ大剣を薙ぐように振るったのは、アンダーリムの眼鏡をかけた三眼の全霊命(ファースト)――死神の女。

 後頭部で結った肩にかかるほどの長さの髪を、自身の剣速と剣圧でなびかせる女死神――「(ひつぎ)」の斬撃は、夜桜の魔力によって形作られた防御によって阻まれる


 その夜桜の魔力の主――「桜」は、桜色の髪をなびかせ、その武器である薙刀の切っ先から生み出した魔力によって柩の斬撃を防ぐと、そのままそれを攻撃へと転じ、破壊の波動として解放する

 澱みなく、優美な動きで円を描くように振り上げられた薙刀の切っ先から、その斬閃に合わせて魔力の波動が放出され、後方へ跳躍した柩を呑み込む

 夜桜色の巨大な破壊の波濤が柩を呑み込んだ瞬間、それは真横一文字に両断され、身の丈にも及ぶ刀身をもった剣を手にした柩は、そのまま後方へ流れるように移動して着地する


「中々やるじゃない。けど……」

 身の丈にも及ぶ幅広で巨大な剣を、まるで羽毛のように軽々と振り回しながら微笑を浮かべる柩の三つの目には余裕さえ宿っているように見受けられる

 その理由が分かっている桜は、相対する女死神がその三つの目で見ているもの――自分の背後にいる人物へと意識を傾け、薙刀を構える

《くぷぷ。苦戦してるねぇ。まあ、それも当然のことだけど……柩と彼女の実力はほぼ互角。なら、君を守る結界を展開している分、彼女の方が不利だ》

 武器を構えた背後、桜が展開している結界に守れた詩織の脳裏に、自身の内側から笑いを噛み殺す「ルートラ」の声が響いてくる

「――桜さん……」

 円卓の神座№8「夢想神・レヴェリー」の力に列なる存在「幻想の住人(ファンタズマ)」であるルートラは、桜の知覚でも捉えることのできない存在

 心の中に直接響いてくる夢と幻想の化身たる存在の声にその弱い心と意識をかき乱されながら、詩織は自分のために降りな戦いを強いられている桜の後ろ姿を見つめる


 全霊命(ファースト)の力である神能(ゴットクロア)は、最強の力ではあるが、その効果を意思によって定めている。

 この空間隔離はルートラが発生させているため、柩は自身の持つ力の全てを戦闘に用いることができるが、桜は戦闘と詩織を守る結界の両方に意識と力を割かねばならないという点で不利な戦いを強いられることになっていた

 加えて、桜の魔力と柩の冥力の強さはほぼ互角。事象を拒絶し、現象を顕現させる神能(ゴットクロア)同士の戦いでは、その差はあまりも致命的だ


「なら、次はこういうのはどう……かしら!?」

 薙刀を構え、不利な戦闘の中でも微塵も戦意を翳らせることのない桜を見て三つの目を細めた柩は、自身の冥力を纏わせた大剣を大きく振り薙ぐ


 その斬閃に合わせて、凝縮された冥力の波動が放たれる。全霊命(ファースト)にさえ知覚できない冥力の斬波を、詩織を庇う桜は魔力を纏わせた薙刀の斬撃で相殺する

 相殺された魔力と冥力に込められていた純然たる殺意が、神格のままに現実世界に事象としての破壊をもたらし、大地を薙いで灰塵へと変えていく


「――っ!」

 瞬間、その衝撃波によって巻き上げられた粉塵を貫き、大剣の切っ先が桜の眼前へと迫る

 知覚することができない死神の特性を用いた単純な目くらまし。しかし、通常知覚によってよほどのことがない限り敵を見失うことのない全霊命(ファースト)にとって、それは意表を衝いた攻撃へと変わってしまう

(これは……)

 その神速の反射で、紙一重で大剣による刺突を回避した桜だったが、次の瞬間、背後の結界に突き刺さり、金属音を立てて弾かれた大剣の柄が空になっているのを見て目を瞠る

(しま……っ!)

 粉塵を貫いてきた柩の剣。しかし、それは桜に一瞬の隙を作る陽動だったと気付いた時には、すでに手遅れ

 大剣を投擲すると同時に粉塵に紛れて神速で移動していた柩が桜の真横からその姿を現し、冥力を乗せた蹴撃でその桜色の頭部を蹴りぬく

「く、あ……ッ」

 武器を囮にしての肉弾戦。その単純な陽動によって一撃を受けた桜は、その衝撃に身体をよろめかせながらも、夜桜の魔力を纏わせた薙刀で迎撃を図る

 しかし側頭部からわずかな血炎を立ち昇らせながら放たれた桜の一撃は、後方へと身を倒した柩の残像を斬ったたけで終わってしまう

「ふふ……」

 空を切った斬撃を嘲笑うように微笑を浮かべた柩は、再び手の中に顕現させた大剣から冥力の波動を放って桜へと叩き付ける

「く……っ」

 それを魔力を乗せた斬撃によって桜が相殺するのを待って、柩は天を蹴って桜の後方――結界に守られた詩織の背後まで移動する

《後ろだよ》

「――え?」

 冥力を相殺した桜の方へと意識を向けていた詩織は、それが砕かれることで生じた夜桜色と宵色の力の幕によって見失った柩が背後へと移動していることにルートラの声によって気付かされて息を詰まらせる


 元々柩の目的は詩織の中にある神器「神眼(ファブリア)」。ならば、あえて面倒な障害である桜を退けずとも、結界を破壊して詩織を確保しようとするのは半ば必然的な考えだった

 他の全霊命(ファースト)ならば難しいことだったかもしれないが、知覚に捉えられることのない――「九世界の暗殺者」の異名を取る死神ならば、不可能ではないことだ


「させません!」

 しかし、そんな柩の考えも桜の中には、一つの可能性として浮かんでいた。冥力の斬撃を相殺した勢いのまま、舞うように体を移動させた桜は、薙刀の切っ先で柩の斬撃を受け止める

 重厚な大剣による斬撃と桜の薙刀の刃の背がぶつかり、冥力と魔力が火花と衝撃を散らす中、柩と桜は視線を交わし、それを合図に砲撃の応酬を開始する


 互いの周囲に収束した力の星から、直線、あるいは変幻自在に軌道を描く神速の砲撃が放出され、桜と柩それぞれに降り注ぐ

 それを交わし、武器や力で相殺し、さらに展開した結界によって阻みながら、柩はこの責めを一旦諦めて後方へと大きく飛び退く


「惜しかったわ。けれど――」

 最初から、簡単に詩織(神器)を手に入れられると考えていない柩は、自分の攻撃を阻んだ桜に三つの目から視線を向け、口端を不敵に吊り上げる

 余裕に満ちた柩の視線が捉えているのは、桜の左腕――先ほどの砲撃の応酬で捌ききれなかった攻撃がつけた傷だった

「このままいけば、その内押し切れそうね。そんなお荷物を抱えていては戦えないでしょう? 捨ててはどうかしら?」

 自分がつけた傷から血炎を立ち昇らせている桜を見て笑みを深めた柩は、自身の身の丈にも及ぶ分厚い両刃の大剣を軽々と振り回しながら言う

(――なんて、こんな安い挑発で彼女を守るのを止めてくれればいいのだけれど、期待はできないでしょうね)

 元々拮抗した力。その上で詩織を守るというハンデを負っている桜が不利になるのは必然。当然の結果に柩があえて笑みを深めて煽ったのは、それで桜が足かせである詩織を解き放つかもしれないというマンに一つもないであろう希望的観測に基づくものだ

「……ッ」

 その言葉に息を呑んだのは、結界に守られている詩織のほう。しかし、それを背中越しに感じ取った桜は、薙刀を構えて淑やかな声音で穏やかに声をかける

「大丈夫です。あなたはわたくしがお守りいたしますから」

「……ありがとう、ございます」

 桜の言葉に、詩織が沈痛な面持ちを浮かべながら答えるのを見た柩は、先ほどの挑発では、やはり意味がなかったことを理解して話を続ける

「随分とお優しいのね……お友達なの?」

 暗に「ゆりかごの人間なのに、親しい関係なのか?」という疑問を孕んだ問いかけを受けた桜は、その絶世の美貌を淑やかに綻ばせて、花のような慎ましやかで可憐な微笑みを浮かべる

「親しくさせていただいております」

 背後の詩織を気にかけた様子のない、心からの言葉に、今となっては柩の問いかけが持つ意味を理解できてしまうために表情を曇らせていた詩織が、目を瞠る


 この世界において、唯一にして絶対なる神の敵対者である異端神。円卓の神座№2「反逆神・アークエネミー」に列なる悪意の眷属。それが、ゆりかごの人間だ

 九世界において、最も弱く、最も愚かで、最も忌み嫌われる悪意なる存在は、本来九世界の存在にとって生理的な嫌悪感をも抱く存在。

 通常なら、全霊命(ファースト)が意に介さないどころか、存在を嫌悪するべきものである詩織に対し、桜が友好的な意志を示すことを柩は疑念視しているのだ


「そう。……そうは見えないけれど?」

 淑やかなその花顔を崩すことなく微笑んだ桜と、その背後で複雑な感情を見せる詩織を見比べた柩は、そこに垣間見える二人の感情の相違を見抜いて訝しげに眉を顰める

「そうですか? ならば、あなたの目が曇っておられるのですよ」

 魔力を纏わせた薙刀を構えた桜に、柩は冥力を乗せた大剣を片手で軽々と水平に構えて酷薄な微笑を浮かべる

「そうかしら? 私にはとてもそうは思えないけどね」

 桜の背後にいる詩織の表情を見て嗤った柩は、桜へと肉薄して大剣を振り下ろす


 停止状態から加速することなく瞬時に全速力を出した柩は、この世の理を超越する神速で肉薄し、その勢いに任せて大剣を叩き付ける

 冥力を纏った刃からは、天を衝く強大な力が噴き出して光の刃を構築し、その一刀によって桜もろとも背後の結界を両断しようとしている目論見が透けて見えるようだった


「残念です」

 静かな声で言った桜は、夜桜の魔力を纏わせた薙刀を振るって柩の斬撃を受け止めた

《目が曇ってるのはどっちなのかね~? 肝心の君は友人なんて思ってないっていうのに》

 結界を隔てた目の前で自分を守って戦ってくれる桜の背を見つめる詩織の思考に、ルートラの嘲笑する声が響いてくる

「そんなことない。私は……私、は……」

 桜を友人とは思っていないというルートラの言葉を否定しようとした詩織だったが、その言葉は途中から弱々しくなり、自分の気持ちへの猜疑に揺らいでいく


 詩織にとって桜とは、自分が思いを寄せる人と愛し合う人。自分とは比べ物にならないほどに、美しく、淑やかで魅力的な女性だ

 そんな桜に対して詩織が抱いている感情は、羨望と嫉妬そして一人の女性としての敗北感と、決してこの人を越えられないという絶望だ

 無論、桜という一人の人物の人格を嫌っているわけではない。だが、自分と比べてしまうたび、劣等感に塗れた卑屈な感情が桜に対する好感度の分だけ比例してマイナスに傾いていることを詩織は自覚していた


《君の言いたいことは分かるよ。君は彼女を嫌っているわけじゃない。けど、同時に敵意とも劣等感とも取れる感情を抱いているんだよね

 君は彼女を友人だと思っていないわけじゃない。けど、友人だと思っているわけでもない。君にとって彼女は――》

 そんな詩織の感情を見透かしているルートラが、心の中で囁きかけてくる

《君がなれない、そして君がなりたいもの。憧れで、邪魔者なんだよね》

 ルートラの言葉が、自分の心の中にある醜くどす黒いものを抉りだしていくような感覚と共に、錯覚のような魂の痛みを覚えた詩織は、自分の胸の中心を握りしめる

(私、は……っ)

 唇を引き結び、顔を歪めた詩織の眼前では、柩の斬撃を弾いた桜が、その艶やかな桜色の髪を揺らめかせて美しく淑やかに佇んでいた

 身長はほとんど同じだというのに、武器を手に立つ桜の後ろ姿は、詩織にとってはるか遠く届かない壁のようであり、そして届かぬ点に手を伸ばすような憧憬を抱かせる

「そのようなお顔をなさらないでください」

「!」

 その時、柩の斬撃を阻んだ桜が、魔力を凝縮させた波濤で大剣を持つ死神を追撃しながら、落ち着いた声で言う

「あなたがわたくしの事をどう思っておられるのか、多少は分かっているつもりです」

 背後を見ることなく、淡々と告げる言葉を詩織は当然のこととして受け取っていた

 これまでも桜は、ことあるごとに詩織に、九世界の損じ後して、全霊命(ファースト)として、神魔の伴侶として、何より一人の女性として語りかけてくれていた。それだけ詩織に接していた桜が、その内側にある感情に気付かないはずはない

「確かに、あなたとわたくしの関係はお世辞にも友好的なものだとは言えないでしょう。わたくし達の絆は神魔様によってかろうじて繋がっていると言っても過言ではないかもしれません」

 詩織と桜を繋いでいるのは、同じ人に想いを寄せているという一点だと言っても過言ではない

 そして、その思いを片方は叶えているにも関わらず、もう片方はどれほど手を伸ばしても届かない――そんな思いが二人の軋轢の正体でもある

 二人の関係は、一言では言い表す事ができない。互いに敬意を払ってこそいるが、仲がいいというわけでもなく、恋の好敵手というほどでもない

 詩織の思いを否定するつもりはないが、同時にいかに九世界が多夫多妻制を敷いているからと言って、神魔(悪魔)詩織(ゆりかごの人間)――世界で禁忌とされている全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)が結ばれることを認めようとも思っていない

 邪魔をするつもりはないが、詩織の想いが実ることがないように立ち振る舞う桜。それが二人の関係だった


「――ですが、わたくしはあなたのことを決して憎からず思っているのですよ。あなたからすれば、嫌味に聞こえるかもしれませんが」

 だが、それでも一つ確かに言えることは、桜と詩織は同じ人に想いを寄せる同志であるということ。

 そして、勝者の余裕と取られるかもしれないが、桜は決して詩織のことを嫌っているわけではないということだ

「桜さん……」

 背後を振り返ることは無くとも、その桜色の髪の向こうに在る絶世の美貌が優しい苦笑を浮かべたのを感じ取った詩織は、視線を伏せて唇を引き結ぶ

 事あることに、桜はそうやって語りかけてくれていた。だが、それを素直に受け取ることができない自分に、詩織は恨めしささえ覚えてしまう



「神魔?」

 その話に耳を傾け、桜と詩織を観察していた柩は、その会話に出た二人の共通項となる人物の名を聞いて訝しげに眉を顰める

「わたくしがお慕いする殿方です」

 柩の怪訝な呟きに、桜は神魔のことを思い浮かべ、美貌をほんのりと赤く色づかせた幸惚とした面差しで淑やかに答える

 柩のそれは、あえて答える義理もないものではあったが、桜は自分の存在の中に確かに感じることのできる最愛の人の温もりを確かめるように、その一言一言を噛み締めながら言う


 同じように神魔に想いを寄せている詩織がいるにも関わらず、「わたくし達が(・・)」ではなく、「わたくし()」と桜が言ったのは、それが「伴侶」を意味する者であるからだ

 永遠に近い命、数えきれないほどの人口を持つ全霊命(ファースト)の世界では、その大半で多夫多妻制を敷いている。だが、同時に全霊命(ファースト)の世界では、個人の情報を国が管理するような仕組みもない

 そのため、暗黙の了解ではあるが、子供がいれば夫婦、そうでなければ恋人という程度の認識になる。そのため、桜は神魔のことを主人などとは言わず、「想い慕う人」という表現にとどめた野田


「ふぅん、じゃああなたは、あなたの男のためにその子を守っているの?」

 その言葉を聞いて眉を顰めた柩は、「お慕いする殿方」という桜の言葉を、額面通りに「想いを寄せている人」という意味では受け取らず、命を交換し、心を交わし、身体を重ねた「伴侶」という正しい意味合いで受け取って問い返す

「それが全てというわけではございませんが」

 そして、それに対する桜の答えは、どこか苦笑にも似た笑みと共に返された小さな呟きだった


 肯定でもあり、否定でもある桜の言葉に偽りはない。神魔が桜を守りたいと願っているのは事実。そんな神魔から任されているからこそ、桜は詩織を守っている

 だが、だからといって、詩織のことを守りたくないと思っているわけでもない。確かに口実や理由は神魔かもしれないが、それをする桜の心もまた、必ずしも否定はしていないのだ


「そう……つまりあなた達は、恋敵ってわけね」

 桜の返答と、結界の中にいる詩織の表情を見比べていた柩は、その様子から二人のおおよその関係を推察して言う

 確認の意味を込めて発せられたその言葉に、桜から沈黙が返され、詩織はまるで追及を逃れようとするかのように視線を逸らす

「――なら、なおの事彼女を私に引き渡すべきではないかしら?」

 二人それぞれの返答を受けた柩は、口端を吊り上げて微笑を浮かべると、毒気の抜けた明るい口調で桜と詩織に提案する

全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の交雑は禁忌。ましてそれがゆりかごの存在となればなおの事でしょう?」

 自分のその言葉に二人の視線を受けた柩は、桜と詩織に交互に視線を配りながら言う

「確かに、愛しい男に義理立てしたいあなたの気持ちは分かるわ」

 柩の言うように、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の交雑は禁忌。そしてそれが、神敵である反逆神の眷属であるゆりかごの人間となればなおの事だ

 柩は、それを誰よりも分かっているであろう桜に、淡々とした口調で一言一言その事実を再確認するように手向けていく

「女は男の後ろを三歩下がってついていくものだと言われているけれど、なぜそうするのか分かるかしら?」

 詩織を背に庇い、薙刀を構えてその戦意を微動だにしない桜を見据えた柩は、口端を吊り上げて微笑を浮かべる

「――それは男と女は違うものだからよ。そんな者達が同じように歩けば、その道は歪み、やがて足元から壊れてしまう。だから、男と女は互いに支え合っていきるものでしょう?」

 桜と詩織から沈黙が返されると、柩は人差し指を立てて諭すような柔らかな口調で言う

「ただ並んで一緒に歩いているだけでは、その道が誤っていた時、道連れになってしまう。かといって、後ろをついていくだけでは、その背で前が見えず、例え危険な道に進んでも止めてることがでできない。

 けれど、三歩下がれば大局が見える。――広く視野を持ち、男の人が進む先を広く見渡すことができれば、その進む先が誤っていることを見つけ、後ろから止めてあげることができる」

 柩が語るのは、男と女の差異。そして、互いを尊重し合い、支え合う男の女の在り方に対する一つの見解だ


 男と女に優劣はないが、その二つは決して同じものではない。同じ生き種族でありながら、まるで別の生き物のように心も体も全く異なった存在。そして、それであるからこそ、互いが互いを必要とし合うことができる存在だ

 男は幸福を与えることに喜びを覚える。愛しい者達を守り、その日常と生活を守ることに満足感を得る。

 対して女は、幸福であることに喜びを覚える。愛しい人達と共に過ごす、何気ない日常。愛しい者達の幸福な姿を見て、その中に自分がいることを幸福とする

 その異なるものであるからこそ、共にいればその相違が軋轢を生む。そして、だからこそ男と女は、互いを必要とし、求め合うことができる


 同じ形ではなく、欠けた部分を補うようにしてこそ、始めて男と女は――一つの番が生まれる


「時に影となって男を支え、時に日向となって男を守ることこそが、女の在るべき姿。――そうでしょう?」

 愛しい人に尽くすことで幸福を得ているであろう桜の考えを見透かし、同調するように刻まれる柩の言葉が、一音一音雪のように桜と詩織の心に積もっていく


 闇の全霊命(ファースト)は、愛するもののために全てを捨てることができるほど、情が強く深い。故に闇の全霊命(ファースト)の女性達は、愛しい人に心から尽くすことを喜びをする者が多い

 月のように優しく照らし、太陽のように明るく輝く女の在り方を説く柩の言葉は、少なくとも桜には十分共感に値する内容だった


(この人、まるで桜さんみたいな……)

 淑やかで奥ゆかしい、自分達の世界では、歴史の中に消え去った女の美を体現し、焦がれるほどに憧れる幸福を得ている桜を思わせる柩の言葉に、詩織は衝撃を受ける

 柩自身の心はどうであれ、その言葉は十分に桜の心に響いている――結界の中から、静かに揺れる桜の桜色のの髪に覆われた背を見ながら、息を呑む詩織の耳に、さらに続いた言葉が届いてくる


「男のためを思うなら、例え自分が汚れてでも、冷酷に振る舞うべき時があるんじゃない?」


「――っ」

 禁忌となる想いがあり、それが叶ってしまえば愛しい人の命が危険に晒される。ならば、そのようなことが起きる前に対処をするべきだという柩の、あまりにも残酷な正論が詩織の心に突き刺さる

 悔しいが、詩織には柩の言葉を否定することができない。なぜなら、それは正論であり、覆しようもない事実だからだ

「今なら、守れなかったと言い訳がつくわ」

 そして、冷たく無慈悲な言葉の後には、甘美な響きを持つ言葉が続く


 柩のその言葉には強い説得力がある。桜と柩の力はほぼ互角。そして、結界を張っている分桜が不利となれば、その命が危険に晒されているということ

 桜が神魔に何よりも大切に想われているならば、神魔が最も強く望むのは桜の生。もし、どちらかを天秤にかけなければならないとすれば、詩織の命が切り捨てられても問題はない

 そして、現状では桜が桜自身の命のために詩織を見捨てても、なんら問題がない状態にある。神魔と自分――桜には、詩織を守らない理由がいつでも確保できるのだ


「だから、あなたは安心して、無事に愛する人の許へ還るべきよ。そうでしょう?」

 愛する人のために、その命を危険に晒すかもしれない詩織を排除する覚悟。詩織を守ることを諦め、愛する人とのもとに生きて帰るべきだという至極当然で真っ当な意見を述べた柩の言葉が、三人だけしかいない空虚な世界に反響して溶けていく

「……」

 柩の言葉を全て聞き届けた詩織は、いつ自分が桜に見捨てられてもおかしくないという考えとともに

胸の前で組んだ両の手を強く握りしめる

(そう。だよね……私は、見捨てられても――うぅん、守ってもらえなくなっても、全然おかしくないような人間だもの)

 その言葉に唇を引き結んだ詩織は、その細い肩を震わせて今にもこぼれそうになる嗚咽と涙を懸命に噛み殺す


 自分がいつだって、桜や神魔達の重荷でしかなかったことを詩織は誰よりも知っている。戦う力もなく、戦う意思もなく、ただ気持ちに区切りをつけることもできずにただずるずると続いてきてしまっただけ

 挙句、自分が神魔と結ばれることのない運命の前に屈し、桜に失礼な態度をとってしまったことが、詩織の脳裏に次々とよぎっては消えていく


(結局、私は神魔さんも、桜さんも、傷つけることしかできないのに――)

「あなたの仰りたいことは、分かりました」

 心の中で打ちひしがれ、今にも崩れ落ちそうなほど落ち込んでいた詩織は、淑やかに紡がれた桜の言葉に面を上げる

「ですが、わたくしは詩織さんを見捨てることは致しません」

「桜さん……」

 柩を見据え、まっすぐにぶれることない口調で紡がれた桜の言の葉に、詩織は桜色の花髪を揺らすその後ろ姿を凝視する

 柩の言葉を全て肯定したうえで、それでも自分にとっても、神魔にとっても危険な可能性を孕んでいる自分を守る選択を示した桜に、詩織は信じ難いものを見るかのような視線を向けて息を呑む

「あなたに何かあれば、神魔様が悲しまれます」

 そんな詩織の気配を感じ取ったのか、肩越しに視線を向けた桜は、いつもと変わらぬ、慈愛に満ちた淑やかで清楚な美笑を浮かべる

「私なんかより!」

 それを見た詩織は、感情に突き動かされるように無意識に声を張り上げる

「……私なんかよりも、桜さんに何かあった方が神魔さんは傷つきます」

 まるで、自分の心がその言葉を述べることを拒絶しているかのような胸の痛みを覚えながら、詩織は慟哭に似た声を絞り出す


 分かっている。頭でも、心でも、自分が恋した神魔にとって、最も大切な人は桜であり、自分は少しだけ気にかかる存在程度なのだ。と

 だがそれでも、それがかわかりきっていることであっても、詩織は自分が想いを寄せる人が自分を思っていないということを口にしたくはなかった


「わたくしは、神魔様に幸せでいていただきたいのです」

 胸が張り裂ける様な心の痛みと共に言った詩織の心情を汲むように、桜はその目を優しく細めて、慈愛と包容力に満ちた穏やかな声音で語りかける

「そして、詩織さん。あなたにも」

「……!」

 「神魔の幸福を願う」といういつも通りの桜の言葉を聞いた詩織は、次いで聞こえたそれを聞いた瞬間、あまりの驚きに、思わず目を瞠っていた

「確かに、彼女の言う通りかもしれません。ですが、わたくしは何よりも神魔様の幸せを、そしてそのお心を大切にすると決めております

 確かに、神魔様のために、神魔様の御意志に反してでも行わなければならないこともあるでしょう。ですが、それをわたくしが勝手に決め、勝手に行うのは、自己満足に過ぎないと思うのです」

 そんな詩織の面喰った顔に、淑やかな微笑を浮かべた桜は、その視線を柩へと向けると、先ほどまでの言葉に対する答えを述べる

 詩織を背に、柩を相対する桜は、自身の武器である薙刀を構えたまま、たおやかに、それでいて揺らぐことのない強い芯を持った言葉を紡いでいく

「わたくしは、神魔様の伴侶です。なればこそ、もしその必要があるのならば、わたくしは神魔様と向かい合って、直接そのことを進言いたします」

 桜は、今詩織の恋路の前に立ちはだかっているが、それはあくまでも神魔の心を引き留めるということしか行っていない

 詩織を貶めることも、その存在を邪険にすることもしないのは、それが桜の真意だから。――少なくとも、「愛する人のため」を免罪符に、詩織を神魔から遠ざけたり、抹消するべきではないと考えているからだ

「桜、さん」

 初めて聞く桜の言葉に、詩織は熱に浮かされた様な口調で、その名と同じ艶やかな髪に隠された背を見つめる

「それで、あなたの愛しい人が道を踏み外しても? 取り返しのつかないことになってもいいの?」

「そうならないようにいたします。それが、わたくしのやり方ですから」

 打てば響くように、柩の言葉に答えた桜の後ろ姿は、細く華奢だというのに、詩織にはとても大きなものに見えた

「先ほども申し上げたはずです。わたくしは、詩織さんのことを疎ましく思ったことはございません。むしろ、敬意さえいだいております」

「え?」

 そして、それに続く桜の言葉に、詩織は思わず面食らって素っ頓狂な声を漏らしてしまう

 詩織にとって、桜は遠く届かない憧れの存在。そんな人が自分に対して敬意を抱いている――お世辞や社交辞令ならまだしも、詩織には到底信じ難いものだった


「わたくしがあなただったなら、きっと神魔様のことを諦めてしまっていたでしょうから」


 だが、そんな詩織の危惧を振り払うように、桜は背中を向けたまま、淑やかな声音で語りかける

「でも、それは……」

 芍薬のように佇み、武器を構えて言った桜に、詩織は「なによりも、神魔のためを思っているから」という言葉を寸前で呑み込む

 それを口にしてしまえば、桜は何よりも神魔を第一に考えているというのに、自分は自分が許されざる愛の苦しみから逃れたいだけだと、自分自身に失望してしまうような気がした

「たとえ、愛しい人のためにならなくても、少しくらい我儘になってもよいのではないですか? わたくし達は、女性なのですから」

 だが、自分の事しか考えていない自分に対する自己嫌悪を募らせていた詩織に、桜はその心を見透かしているような優しい声音で語りかける

「自分の心に素直であり続けようとしておられる詩織さんは、わたくしには、とても輝いて見えます」

「――桜さん……」

 背を向けたままの桜が告げたその声には、皮肉や嫌味のようなものは一切感じられない

 柩を見たまま話している桜の後ろ姿は、ただ知覚できない眼前の敵を見逃さないためだけではなく、面と向かって言うのが恥ずかしいからかもしれなかった


 それが禁忌の想いであり、自身が神敵たる存在であることを知り、もし自分の想いが叶うようなことがあれば、想い人を傷つけるだけだと知りながらも、詩織は諦めることなく神魔を想い続けている

 もし、自分が詩織の立場だったならば、神魔のことを諦めていただろう自信がある桜には、そんな詩織の在り方は、決して真似をすることができないものだった


「詩織さん。わたくしのようになろうとせず、あなたらしくあり続ければよいのです。神魔様は、わたくしのようである(・・・・・・・・・・)女性を愛してはくださいません。

 あなたらしい、あなたという一人の女性のありのままの姿と心を忘れないでください」

 背を向けたまま、優しさと深い慈愛に満ちた声音で語りかけられた詩織は、桜のその言葉に衝撃を覚える

「私、らしい……」


 この世のものとは思えないほどに美しく、おしとやかで愛する人を一途に想って尽くす――まさに理想の女性を体現したような、桜というあまりにも絶対的で、魅力的な女性の存在を前にしていた詩織にとって、自分という存在の全ては劣等感でしかなかった

 常に自分と桜を比べ、自分が桜に劣っていること、足りないもの、欠けているものだけを数えて絶望していた。

 だからこそ、桜の言う「自分らしくある」という当たり前のことを失念してしまっていた


(私は、桜さんに比べてなにもかも足りない。だから、ずっと桜さんみたいになろうとしてた……でもそれは、桜さんの(・・・・)真似をしようとしてた(・・・・・・・・・・)だけ)

 自分の想い人(神魔)に愛され、幸せそうに微笑んでいる桜の姿に、羨望の眼差しを送っていることしかできなかった詩織は、自分が見失っていた、最も根本的で最も大切なことを思い出し、自身の本当の気持ちに気付いていた


(私は……最初から、神魔さんに、見てもらおうとしてなかった。私が見てたのは――)


 自分が想いを伝えたいと願い、自分を一人の女性として愛してもらいたいと思っていた人ではなく、その傍らにいる人を見ていただけ――それに気付いた詩織は、目の前に佇むその女性の後ろ姿を双眸に映す

(神魔さんに、相手にしてもらえないはずだ……私は、自分を見てもらおうとしてなかった。

 神魔さんの視界に入るために、桜さんみたいになろうとして、自分に足りないものを数えて卑屈になってただけ。

 神魔さんに好きになってもらうために、神魔さんが好きな人に成り替わろうとしてただけだった……!)

 その事実に気付いたのと同時に、詩織の頬を無意識に零れた涙が伝っていく

(私は、私が神魔さんに好きになってもらいたいなら、私が本当にしなきゃいけないことはこんなことじゃない。私は――)

 自分に足りていなかったのは、美貌でも、女性としての魅力ではない。全霊命(ファースト)ではないということでも、神敵の眷属(ゆりかごの人間)であるということでもない。

 ただ、自分という、偽らざる一人の女性としての在り方だった。――そんなことにさえ気づくことができずにいたことに、詩織は己の弱さと矮小さを痛感していた



《そっか。じゃあ、ここで死んでもらおう》



 詩織がそのことに気付き、その心のわだかまりを溶かしていく中――その心を共有していた声が、魂の髄まで凍るような冷たさを以って響く

「っ、待っ……」

 自分の弱い心に住んでいた、夢の住人――「ルートラ」のその声が聞えた瞬間、詩織は後悔と共に声を張り上げようとする


《――現夢泡沫(エフェメリアル)


 だが、そんな詩織の言葉と想いが届くまでもなく、ルートラはこれまで隠していたその爪を見せつける

「な――ッ!?」

 詩織の心の中でルートラの声が響いた瞬間、桜が展開していた魔力の結界が揺らぎ、その力を失って消失していく

(わたくしの結界が……!?)

《――現実を夢のように無力に、ただ思うだけの夢が現実で形を成さないように、存在するものの力を現から消し去る夢の眷属の力。

 ボクの力では、彼女の存在そのものを消すことはできないけれど、こうして一瞬だけ結界を破壊するのは難しいことじゃない》

 自身の結界が理由もなく消滅することに、驚愕を露にして背後を振り向いた桜に、詩織の心の名でルートラの声が冷たく響く

 おどけた計画のルートラが発しているとは到底思えない冷酷な声を聞きながらも、守りを失った詩織は全霊命(ファースト)が放つ存在の前に心身を締め付けられ、思考と行動の全てを奪われる

「――ぁ」

「詩織さん」

 あまりもの予想外の事態に、先程まで片時も緩めることのなかった注意を逸らして振り向いた桜の背後に、その存在を知覚されることのない柩が迫っていた

《そして、この一瞬の隙は君にとって、致命的だ》

 一瞬でもその意識から外せば、知覚されることのない死神はその背後に忍び寄る

「残念ね」

「――ッ」

 背後に肉薄していた柩に気付き、目を瞠った桜は、高く掲げられた死神の大剣が紫色の力を纏って今にも振り下ろされようとしているのを見て、咄嗟に詩織を庇う


 詩織を抱きしめるように桜が詩織を守った次の瞬間、一筋の斬閃が閃く


「――……」

 桜の魔力に包まれ、全霊命(ファースト)の存在の圧力に心身を押しつぶされそうになっていた詩織の意識が戻ってきた瞬間、その瞳に映ったのは、まるで春の終わりに散る桜の花吹雪を思わせる様な光景だった


 詩織を庇うように抱きしめた桜は、その背を柩の剣によって袈裟懸けに大きく斬られ、血炎を巻き上げていた

 詩織の目に映ったのは、深々とその身体を斬り裂いた柩の斬撃によって斬り落とされた桜の腰までもある艶やかな桜色の髪がその形を失って魔力の残滓として世界へと溶けていくことで生まれたもの

 桜色の髪の欠片が形を失って溶けていく様は、まるで桜の花が散るように、あまりにも幻想的で儚く――まるで、桜の命が散っていくような切なさを感じさせるものだった


「さく……らさん」



 自分を抱きしめるようにして庇ってくれた桜の甘く優しい香りに鼻腔をくすぐられながら、詩織は花が散るような幻想的な光景に、言葉を凍りつかせていた




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