結実の意思、落葉の想い
神器「界棋盤」によって作り出された世界。擬似的世界創造の力によって内包する世界の風景はおろか、理や法則さえも創造主の意に沿って具現化した世界の空に、巨大な力の花が開く
それは、大小さまざまに天に咲き、空の蒼を埋め尽くしていく。その光景は、天という大地が花畑になっているようにさえ思えるものだった
神速で植えられ、刹那に消えゆく花は、ぶつかり合う神能のが世界に刻み付ける力の残響。一つ一つに純然たる殺意が宿り、一点の混じり気もない意志が生と死という生命の根幹であり根源を彩るその花は、それであるがゆえに恐ろしさと美しさを兼ね備えていた
その力の残花を貫いて後方へと飛翔するのは、真紅の血脈の奔った漆黒の肌となった両の腕を持つ朱髪の死神。
漆黒の霊衣をなびかせ、自身の身体そのものが武器という特異型の武器を持つ十世界死神総督――「真紅」は、その三つの目を細めて、黒鉄色をした掌から肌の色と同じ色を持つ刀身を出現させる
「フフフ……」
その口元には意図せずエミが浮かび、その三つの視線は全く異なる神能を共鳴させている二人――光魔神と悪魔へ向けられていた
白と黒、左右非対称色の翼を広げ、左右で異なる瞳で真紅を見据える大貴は、この世界で唯一光と闇を等しく併せ持つ光魔神の神能「太極」の力によって瑞希の魔力と共鳴し、互いの力を高めている
「随分と余裕だな!」
真紅が浮かべている薄い笑みを見て取った大貴は、黒白の力を纏わせた太刀を叩き付けて言う
自身の身体を武器そのものとし、手のひらから生み出した刃で大貴の斬閃を受け止めた真紅は、自身の冥力と相殺しながら火花を散らし、自身の力を存在ごと合一しようとする太極の力の猛威に耐えながらその三つの目を細める
「さすがの俺も、余裕はないさ。だが――」
「っ!」
そう答えると同時に自身の腹部から刃を生やした真紅は、それを大貴が紙一重で回避するのと同時に、その場から後方へ飛びのく
瞬間、先ほどまで真紅がいた場所に交差するように二つの漆黒の刃が重なる。自身の身体が今まさにあった場所を貫いた黒い双刃――その発生源である人物を見据えながら、真紅は浮かんだ微笑を消すことなく口を開く
「つい、緩んでしまっただけだ」
その手に持つ双刀に漆黒の魔力を纏わせる、長い黒髪を後頭部で結った悪魔の女性――「瑞希」を見ながら、真紅は自身の身の丈の三倍はあろうかという巨大な大鎌を生み出す
「瑞希!」
まるで天さえも刈り取らんばかりの大鎌を見て取った大貴は、瑞希に声をかけると同時に、太極の力を解き放つ
黒と白、光と闇――一つの力でありながら、決して混じり合うことなく、それでいて同時に存在する表裏一体にして相反する対極の力が、翼のように広がる
「はい」
それを見て取った瑞希は、自身の身体から漆黒の魔力を解き放つと、黒白の翼を広げている大貴に向けてその力を注ぎ込む
瑞希の力を太極の力の双翼で受け止めた大貴は、その力と自身の力を合一し、共鳴させ、その神格をさらに高める
「――!」
(まだ、高まるのか……!)
現在でさえ大貴と瑞希の神能は共鳴し、単身の時よりもその力を増している。にも関わらず、さらにその同調と共鳴を強めることで、さらに神格が高まっていく
それを知覚で捉え、神格の強まった力に対する畏怖と隠しきれない愉悦を滲ませた真紅は、自身の冥力を纏わせた大鎌を力任せに振り下ろす
「オオオオオオッ!」
瑞希の魔力を受け、神格を共鳴上昇させた太極の力を太刀の刃に凝縮して固定し、自身の身の丈の三倍はあろうかという黒白の力刀身を作り上げた大貴は、真紅の全霊を込めた鎌の斬閃を真正面から受け止める
赤い血管の通った黒い鎌の刃と、光と闇が凝縮された力の刃が真正面からぶつかり合い、力を削り合ってその残滓が巨大な渦を巻く
その中心にいる大貴と真紅は、互いの力に身を晒し、そこに込められた純然たる殺意は、破壊という形で現実世界に顕現する
「ッ!」
眼下の世界が崩壊し、砂塵に帰していくことを威にも介さず、刃を重ねていた真紅は、自身の戦う意思と力そのものである武器の刃に浸透してくる大貴の太極の力に、目を瞠って引きつらせるように口端を吊り上げる
太刀の刃の形に凝縮され、押し込められた白と黒の相反する力が互いに相殺し合うことも混じり合うこともなく、その力を引き出し、心の刃へと食い込んでくる
(武器を構築している俺の冥力すら、取り込もうというのか……!)
自分の戦う意思そのものである武器が侵食されることにより、魂に喰いつかれたような痛みを覚えた真紅の口端から、赤い血炎が立ち昇る
力はもちろん、意思や魂、その存在ごと合一しようとする光魔神の神力の特性に、戦慄しながらも口端を吊り上げた真紅の表情には喜悦に似た狂悦が浮かんでいた
自身の神格の及ぶ限りあらゆる事象を否定し、望むままに世界に思うままの結果を顕現させる神能の力は、同格以上の神格をもつものには効果を発揮しにくい
それは、全てを貫く矛と全てを防ぐ盾が同時に存在することが難しいという矛盾の原理によるもの。そしてそれは神力――神の神能であっても例外ではない
つまり、大貴が作り出した黒白の極力の刃が、真紅の冥力を侵食しているのは、その力が真紅の神格に並び、凌駕しつつあるということの証明
瑞希と共鳴し、力を増大させているとはいえ、それは大貴の――最強の異端神たる円卓の神座の中で、最強の三柱の一角を成す光魔神という神の力の片鱗を垣間見ることができるものだった
「随分と悪食だな」
魂に喰いつかれる痛みに目を細めながら、平静を装って笑った真紅は、大貴の斬撃の威力に身を預けるように距離を取る
冥力を吸い取られ、輪郭が崩れそうに揺らいでいた刃に冥力を注ぎ込んでその形状と力を復元した真紅は、その刃を自身へ追撃しようとしていた大貴へ向けて射出する
「!」
それを見た大貴が咄嗟に太刀の刃で払いのけると同時に、真紅はこの世の理を全て無視した動きと、時間の介在を許さぬ神速で移動する
大貴の攻撃の射線に重ならないよう、全速力を維持したままほぼ直角に飛び上がった真紅は、その三つの目に漆黒の双刀から翼のように魔力を噴き出している瑞希の姿を見止めた
(瑞希……!)
「はッ」
鋭い声と共に、瑞希が魔力を噴き出す双刀を振るうと、その漆黒の力が無数の槍のような形状へと変化して真紅に向かって降り注ぐ
「――ちィッ」
空間を貫く神速の漆黒の魔槍雨を見て、忌々しげに眼を細めた真紅は、その身体全身を一瞬で武器化することでその直撃を阻む
およそ生身の身体に撃ち込まれたとは思えない硬質な音を響かせ、瑞希の魔力槍が砕け散り、何の比喩でもなく文字通り自分自身を武器そのものに変えた真紅はその攻撃を耐え凌ぐ
瑞希が放った魔力槍雨は、真紅に傷らしい傷を与えることはできなかった。しかし、いかに死神の持つ知覚能力を以ってしても、回避できない攻撃は真紅の動きを一瞬封じ込めるには十分すぎるほどの威力を有している
その隙を逃すことなく、白光と黒闇の力が螺旋状に絡みつく太刀の刀身を手にした大貴が、左右非対称のの黒白の翼を羽ばたかせて真紅へと肉薄する
「――ッ!」
「はああっ!」
逆袈裟に斬りあげられた大貴の斬閃が、天を衝く巨大な黒白の軌跡を描く
「く……ッ」
光魔神の力は、一を全に全を一をする太極。神能はもちろん、それで構築された全霊命の身体や武器でさえ同化し、取り込んでしまうその力の前では防御は無意味に等しい
それを理解しているからこそ咄嗟にそれを回避した真紅は、瑞希の魔力槍撃では追わなかった傷を肩口に刻み付けられ、苦悶の表情を噛み殺す
(面倒な力だ。これで未覚醒だというのだから、始末が悪い。だが、真の太極はこの比ではないということか……!)
同時に斬りつけられた傷から立ち上る血炎が、黒と白の力が同在する太極へと吸い込まれるように吸収されていくのを見て取った真紅は、自身がそうなる姿を幻視する
敵対する相手の全てを取り込み自身の力へと変え得る神の力の片鱗を見た真紅は、未覚醒でありながら脅威そのものでしかない力を振るう大貴に、冥力の砲撃を撃ち込む
「――くっ」
共鳴した神格と同等以上の力を持つ真紅の冥力砲は、今の大貴の太極の力による統合の力で吸収しきることはできず、威力に押されて体勢を崩す
「大丈夫ですか?」
「ああ」
冥力の極撃によって生じた煙を立ち昇らせながら距離を取った真紅の姿を見据えていた大貴は、近づいてきた瑞希の声に応える
「さすがに、神魔と桜ほどってわけにはいかないが、即席のコンビにしては中々だな」
単体では圧倒的に劣勢になるであろう真紅との戦い。行動を共にするようになってしばらく経つが、初めて共に同じ敵と戦うことになって瑞希との連携は、ある程度様になっているように感じられた
太極の共鳴による基礎能力の上昇があるとはいえ、互角以上に戦えていることに大貴が満足気に言うと、瑞希はその氷麗な表情を微塵も綻ばせることなく静かに答える
「恐縮です」
そう大貴に答えた瑞希は、その麗悧な視線を真紅へと向ける
かつて、十世界の前身となる組織に共に所属した者――十世界創始者と呼ばれる関係であり、互いに知己の仲にある真紅は、瑞希の静涼な視線を受けて軽く肩を竦める
「やれやれ。神の力というのは面倒なものだ」
「あら。あなたにしては随分と弱気な発言ですね、真紅」
真紅のその言葉に、瑞希はその口元を小さく綻ばせて応じる
その武器である細刃の双刀の切っ先は伏せられているが、いつでも抜き放ち、深紅を斬り裂く用意があることは、知覚や戦闘経験などなくとも容易く感じ取ることができるものだった
「手厳しいな。敵に回してみれば、お前も分かるさ」
冷ややかに響く淡々とした瑞希の言葉に、死神の証である三つの目を細めた真紅は、その視界に大貴を捉えて口端を吊り上げる
「――真紅。あなたの目的は何?」
それを見ていた瑞希は、自身の記憶の中にある真紅という死神の人柄を思い返しながら、氷麗な美貌を崩すことなく問いかける
「ん?」
「とぼけないで。今回のことは、あなたらしくなさすぎる。何を企んでいるの?」
瑞希の怜悧な視線は、真紅のことを理解しているからこそ、その行動の全てを疑っていることを訴えかけるもの
瑞希が知る真紅という人物は、姫の理念の理解者であり、それ以上に姫自身を大切に想っている理知的な人格者
愛梨に無断で、独断で力に任せたこのような強引な行動に出ることなどありえないというのが、瑞希の認識だった
かつて一時であろうとも、同じ組織に所属していたからこその疑念を抱く瑞希の問いかけに耳を傾けていた真紅は、一瞬何かに反応したようなそぶりを見せると、口端をわずかに吊り上げてほくそ笑むような表情を作る
「あぁ、そろそろか」
「?」
その言葉の意味を掴みあぐねた瑞希と大貴が怪訝そうに眉を顰めると、かつての同僚をその三つの目に映した真紅が口を開く
「なあ瑞希。姫の理念は叶うと思うか?」
その突然の問いかけに、瑞希は沈黙を答えとして返す
姫――十世界盟主「奏姫・愛梨」の目的にして十世界の理念「光、闇、全霊命、半霊命を問わず全ての者が共存する争いのない世界」。
だが、それを実現させるためには、寿命がある半霊命、働かずとも永遠に生きていける全霊命のような存在の違いや、創世以来積み重ねられてきた敵愾心、心、信念、正義――そういった問題を解決しなければならない
不可能だとは言い切れないが、現実的ではない。理想のために現実を反故にできない以上、愛梨の目的そのものを理解することはできても、共感や同庁はできないというのが瑞希の考えであり、世界の大半が抱く答えでもある
「……俺は姫の理念を叶えてやりたい。夢や理想などというものとしてではなく、現実のものとしてやりたいんだ」
そんな瑞希の沈黙が語る答え位の全てを理解したうえで、真紅はその目を細めて穏やかな口調で軽く天を見上げる
次元を超えてそこにいるであろう愛梨に想いを馳せているような遠い視線で空を仰いだ真紅は、瑞希と自分達の会話に耳を傾けてる大貴に向けて口を開く
「だが、どれほど言葉を交わそうとも、どれほど心を砕こうとも、姫の望む世界が実現することはないだろう」
「あなたが姫の理念を諦めているようでは終わりね」
真紅の言葉を聞いた瑞希は、その麗悧な氷貌を崩すことなく応じる。その声は冷ややかに冷めているが、非難や嘲笑のような感情は込められていない
その澄んだ瞳は、愛梨の理念の疑念を肯定し、真紅に対してそれを守る意義があるのかと問いかけているような水鏡を思わせる
「客観的な事実から導いた結論だ」
その瑞希の言葉に、自嘲するように肩を竦めた真紅は、次の瞬間にその表情を真剣なものへと変えて言葉を続ける
「なら、合理的に考えて姫の理念を実現させるにはどうすればいいと思う?」
「――……」
そう問いかける真紅の目は、愛梨の理念を諦め、諦観するもののそれではない。むしろ、本気でその理念のために――否、愛梨のために行動する強固な信念と意識が宿ったものだった
瑞希と大貴から返される沈黙に耳を傾けていた真紅は、怪訝そうな視線を向けてくる二人を見据えて、その口端を吊り上げて不敵に笑う
「簡単な話だ。この世界そのものの理を作り変えればいい」
「なっ!?」
真紅が示したその結論に、瑞希の氷貌がわずかに崩れ、困惑と動揺が浮かぶ
「そんな、ことができるのか……!?」
信じ難い言葉を聞いて瑞希以上に驚愕を露にする大貴に、真紅は一つの確固たる決意と意志だけを宿した三つの目で自身の手のひらを見つめ、その手を強く握りしめる
「神の力を手に入れ、神となって、この世界を構築する摂理を書き換えて姫の望む世界を実現することができるようにしてやればいいんだ――自分達の存在を世界に許されようとした、ヘイルダートの悪夢のように、な」
「そんなことが、許されると思っているの!?」
この世界の理が、争いを生みだし平和を阻むならば、世界を創造せしめる神の力を以って世界の理そのものを作り変えてしまえばいい――その真紅の理論に、瑞希は思わず声を上げる
「どれほど望んでも、姫の理想が叶わないなら、それを実現するためにはこうするしかないだろう?」
「あなたは……っ!」
理想を成しえるために、世界の摂理そのものを作り変えるという、神への叛逆にして、全ての生きとし生けるもの全てへの背信を行おうとする真紅の考えに、瑞希は双刀を握る手に力を込める
確かに、叶わない願いを叶えるならば、神の力によって実現させてしまえばいい。それは実に合理的な方法だろう
姫への忠誠心が強いがゆえに、その願いを誰よりも叶えたいと思っているからこそ辿り着いたそれは、真紅らしいといえば、真紅らしいものかもしれない。――だがそれは、決して辿り着いてはならない結論だった
「自分の思い通りにならないからと言って、世界のルールの方を変えようなんて、浅ましいにもほどがあるわね」
誰もが等しく生きる世界の理の中、自分――あるいは自分達の願いが叶わないからと言ってそれを放棄し、世界そのものに蜂起しようとする真紅の考えに、瑞希は嫌悪感すら宿る声で言う
「――かもしれないな。だが、そんな真っ当な理由で大切なものを諦めるくらいならば、俺はたとえ神でも戦うさ」
その瑞希の言葉に肩を竦め、自嘲するように言った真紅は、己の手段の過ちを認めながら正しくその決断を誇って言い放つ
「あなたが神の頂点に立つことと比べれば、姫が世界を平和にする方が確率が高いわよ?」
それを聞いた瑞希は、まるで革命のようなことを成そうとしている真紅に、皮肉を交えた挑発と嘲りの言葉を贈る
確かにこの仮初の世界を作り出している神器「界棋盤」のように、神の力があれば、世界の理を意のままに書き換えることは不可能ではないだろう
だが、世界の理を決定づける神の力は、最終的には神位第一位の絶対神の権限の顕現だ。
例えば、神位第六位の神の力で世界の理を改変しても、さらに上位の神の力がその改変を無効化する――そうして突き詰めていけば、世界の理そのものを書き換えるには、光と闇二柱の絶対神の力が必要になるのだから
だが、神に抗うことなどできはしない。神器は所詮神の力の断片。下位の神ならともかく、上位の神の前では無力でしかない
すなわち、真紅の求めた道は、一見最も実現性が高そうでいて、最も実現することが不可能な道なのだ
「――かつて、ヘイルダートの悪夢において用いられようとしていた、複数の存在を融合させる神器『融神器』は、とある死神の女の中に封じられた」
しかし、そんな瑞希の言わんとしていることなど百も承知の真紅は、それを無言で切り捨てて、抑制のきいた声で淡々と自身の計画を言葉にして並べていく
「ある死神の女……?」
「まさか……ッ!」
怪訝そうに眉を顰めた大貴の傍らで、瑞希は真紅が示す人物が誰なのかに思い至って息を詰まらせる
真紅の持つ神器によって作り出された世界。そこへ大貴達を連れ込んだのは、十世界に所属する死神である「夜死」。ならば、導かれた者は必然的に選ばれて連れてこられたということになる
そして、その中でたった一人。十世界が我が連れてきた女死神――彼女こそが、光魔神以外の真紅達のもう一つの目的だとしたら
「仮に戦いがどうなろうと、必ずこちらに来ると思っていた」
そんな瑞希の考えを見透かして、真紅は不敵な笑みを浮かべる
この世界に連れ込んだもの達を各々因縁がある相手と戦わせた真紅だが、最初から勝敗などは計算に入れていなかった。
なぜなら、その勝敗がどうであれ、必ず勝った者はここへ――十世界冥界総督の自分と、九世界にとっての最後の希望である光魔神の許へ来ることが分かりきっていたからだ
真紅が大貴と相対したのは、単にその志を問うためだけではなく、自分と大貴を囮として、もう一つの標的を確実に手に入れるためだった
「くそ……っ」
半瞬遅れて、自身の思惑を理解した大貴が苦虫を噛み潰すのを見て、真紅はその三つの目に強い意志を宿して厳かな声音で言う
「お前の志は理解した。そして、確信した。姫の理想を叶え、俺の目的を実現するためには、神の力が必要不可欠なのだと」
真紅がそう言葉を紡いだのと同時、大貴と瑞希が反射的に攻撃に入るよりも早く、神器によって作られた仮初の世界に亀裂が奔った
「っ!?」
「しまった……!」
世界に奔った亀裂を見て、息を呑む大貴と柳眉をひそめる瑞希を見据えた真紅は、その口端を吊り上げて不敵に笑う
「さらばだ光魔神、瑞希」
※
神器「界棋盤によって作られた仮初の世界が崩壊する少し前、摩天楼の残骸の上に胡坐をかいて不満を露にする緋髪の悪魔――紅蓮は、少し離れた場所で思念通話を飛ばしているジュダを見て唇を尖らせる
「人の戦いに横槍を入れやがって」
「その女は殺すなと言われていただろう? 今にも殺しそうな形相で襲い掛かっていたから、そうならないようにしただけだ」
その視線を横――自身の武器である太刀で、地面に縫い付けている女死神――夜薙へと向けた紅蓮は、途中から乱入してきたジュダに言いながら不満を募らせていく
地面にうつ伏せに倒れ、まるで炎に身を焼かれているかのように全身から血炎を立ち昇らせた夜薙は、その腹部を紅蓮の武器である太刀で貫かれて地面に縫い付けられている
生命力の強い全霊命ならば、この程度では命を落とすことは無い。無傷で捕獲とは行かなかったが、倒れた夜薙はジュダの神能の結界で閉じ込められていた
「ケッ。大体大貴は俺の獲物だって言ったのによ……! 夜死とか、他にもっと適任の奴がいただろうに
こんな気乗りのしないやつと戦わせた上に、ちょこまかちょこまかされたんじゃ、そんな気分にもなるだろうが」
元々大貴との戦いを望んでいた紅蓮にとって、真紅に夜薙を宛がわれたことは不満でしかなかったのだろう
十世界に所属こそしていても、その理由が「戦うため」でしかない紅蓮は、真紅の思惑に乗る気はなかった
だが結局、紅蓮が最大の獲物と定めている光魔神と戦うためには、光魔神を守ろうとする夜薙を倒さなければならないのだから同じことだったが
(やれやれ、困った奴だ。――だが、確かにそうだ。夜死でもよかったはずなのに、なぜ紅蓮を夜薙と戦わせたんだ?)
その愚痴を背中で聞いていたジュダは、戦の神の眷属の証である瞳のない目をふと剣呑に細めて、思案に意識を鎮める
紅蓮は、「世界と戦えるから」というあまりにも単純で身勝手な理由で十世界に所属している男。無論、姫個人にも一定の好意と敬意を抱いているため、明確に組織の理念に反抗するような行動は取らないが、こういう仕事には向いていない
(真紅が紅蓮の性格を知らなかった? 可能性は否定できないが――)
真紅が紅蓮の性格を把握していなかった可能性もある。十世界のメンバー全員を知っている者など、組織の中でもほんの一握りであるのは間違いないのだから
(もし、意図して紅蓮と瑞希を戦わせたとしたら、そうさせた理由はなんだ? 紅蓮に何かある? あるいは――夜死を夜薙と戦わせることを避けたのか)
真紅があえて紅蓮を夜薙と戦わせたのだとすれば、その理由は紅蓮自身にあるか、紅蓮以外の誰か――この戦いに選ばれてしかるべきだった夜死を戦わせたくなかったと考えるのが妥当だ
「そういやぁ、この女は結局なんだ? お前何か聞いてるか?」
その時、ふと思いついて尋ねてきた紅蓮に、ジュダは瞳のない目を逸らす
「知らん」
元々紅蓮は大貴以外と戦うつもりはなかったために聞き流していたが、事前に夜薙を生かして捕らえるようにと命じた真紅はその理由を語らなかった
「かぁ、何も知らされないままいいように利用されてるなんてな。下っ端はつらいぜ」
素っ気ないジュダの言葉に、軽く天を仰いだ紅蓮はその場に佇んだまま一瞥さえ向けてこない戦神の眷属に半目を向ける
「何か突っ込めよ」
「フン」
話題を振ったというのに、何一つ反応を示さないジュダの態度に虚しさを覚えてため息をついた紅蓮は、夜薙の身体に突き刺さっていた太刀を手元へと呼び戻す
「じゃあ、俺は大貴のところへ行くからな。あとは任せるぜ」
再度顕現させた太刀の刃を担ぐように肩にかけ、遠くにいる自分が定めた好敵手に想いを馳せる紅蓮は、傷の癒え始めた身体を軽く動かして戦いを好む獣の笑みを浮かべる
大貴との戦いを万全に楽しむために、夜薙との戦いで負った傷がある程度まで治るのを待っていた紅蓮が再度闘志を燃やすのを見ていたジュダは、抑揚のない声音で口を開く
「――いや、もう終わりだ」
「あん?」
その言葉に眉を寄せた紅蓮は、ジュダが瞳のないその目に映している世界の空を見上げて、軽く舌打ちをする
二人が見上げる空には、世界が崩れ去ろうとしていることを如実に語る巨大な時空の亀裂が奔っていた
※
「――ここでの戦いも終わりか」
空に奔った亀裂を見上げていた鎖牙は、この世界の終わり――事が終わったことを理解してその身を翻す
「待て!」
その声に足を止めた鎖牙は、その声の主がいる背後を振り返ることなく口を開く
「言っただろ? シキト」
感情の籠らない無機質な声で淡々と語りかけるのは、そこで蹲っているかつての親友――「シキト」。
互いの信念を賭けて戦い、自身の一撃で大きな傷を与えたシキトは、その身体からおびただしい量の血炎を立ち昇らせている
しかしいかに全霊命といえど、まともに動くことができないほどの傷を受けながらも、シキトの目には明らかに先程までとは違う覇気が宿っていることが鎖牙の目には一目瞭然だった
「夜薙に、何をする気だ……!?」
自分達の目的が夜薙であること、そして夜薙を捕らえたことを離した途端、シキトの表情は憤怒に彩られていた
抑制された表情の下に、先ほどまでとは違う明確な感情を見て取った鎖牙は、そんなシキトを冷ややかに睥睨して言葉を続ける
「お前は、椎稲の遺志を頑なに守ってきた。だが、結局それは、過去にしがみついていただけだったに過ぎない。いつも隣にいた大切なものの、大切なことを見落としてしまうほどに」
まるで強迫観念のように椎稲の想いを守り続けてきたシキトに淡々とした口調で告げた鎖牙は、かつてそうしたように立ち止まり、蹲っている友に背を向ける
シキトが気付いていなかっただけで、鎖牙は――否、二人を少し見ていたものならば、誰にでも気づくことができたはずだ
椎稲を心から愛し、思い続けているシキトの傍らに在り続けた夜薙が向けていた視線に込められていた感情に。
「待て!」
背後から呼び止めるシキトの声に足を止めた鎖牙は、その武器である鎌を杖の代わりにして立ち上がろうとしているのを背で感じて口端を吊り上げる
「――まあ結局、俺もお前も不器用なだけなんだがな」
その声に一旦足を止めた鎖牙は、自嘲混じりの小さな声で独白すると、背後を振り返ることなく再びを足を踏み出す
「待てって、言ってるだろ」
それを見たシキトは、渾身の力で自身の周囲に冥力を凝縮させた小星を生みだし、そこから収束された力の砲撃を放つ
しかし鎖牙は、シキトが放ってきた冥力の波動を黒杭の一撃で背後も見ずに相殺すると同時に、自身の冥力の波動で突風を巻き起こすと、それと同時にその姿を消失させる
「くそ……ッ」
最後、一瞥も向けることなくその姿を消し去った鎖牙の存在を見失ったシキトは、血炎と敗北に塗れたその身体で吐き捨てるように言い放つ
その声をかき消す仮初の世界が崩落は、まるで今日までが信じ、積み重ねてきたものが壊れていくシキトの内面を表しているかのように見えた
※
その頃、界棋盤によって作られた世界がひび割れ、崩れていくのを見ていた神魔は、ふと自身の胸の中心に奔った痛みに目を瞠る
「――ッ!?」
その表情を強張らせ、天を仰いだ神魔は魂とでもいうべき、最も深い場所に生じたその違和に、自身の胸を握りしめる
「桜……」
伴侶としての契りを交わし、互いの命を交換し合っているからこそ分かるもの――本来は届かない世界の壁も、知覚さえ届かない場所でも知ることができる最愛の人の存在――に起きた異兆が神魔の魂を走り抜けていた