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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
173/305

正義の咎罪4





 天界の空を移動する大陸――「天界王城」は、その中心に天界王「ノヴァ」の居城を戴き、その周囲に永久に色褪せることのない純白にして白亜なる街並みが自然と調和する形で広がっている

 それらの街は、都市としての機能を有しているわけではなく、この天界王城に仕える天使たちの住居兼遊興の場として解放されている


 だが、飲食睡眠を必要とせず、自らの意志で空間さえも作り出すことができる全霊命(ファースト)にとって、居住区などあってないようなものでしかない。

 そのため、中にはこの白亜の街に住んでいながら部屋を持たない者も多くいる。そして仮にその部屋を使っていても、精々ベッド程度の寝具やソファなどしか置かれていないことが大半だった

 そしてその部屋は、個人単位に割り当てられており、使用しているかどうかは別として、親兄弟、伴侶や子供であろうとも個別に有している


「――なんだ、珍しいな」

 そして、当然天界最強の天使――四聖天使の一人であるアースのような地位のある人物は天界王城の中に居住部屋を与えられる。

 滅多に訪れることのない人物を、扉を開けて出迎えたアースは、城内の廊下で立ち話をするのも野暮だろうと、その人物を室内に招き入れる

「で、なんのようだクロス?」

 その人物――自身の実弟であるクロスを室内へと招き入れたアースは、軽く顎をしゃくって「適当に座れ」という意思を示しながら問いかける

「聞きたいことがある」

 しかし、そんなアースの意図に気付いているはずのクロスはそれに従うことはなく、一刻の猶予もままならないと言わんばかりの真剣な眼差しと共に口を開く

「何だ?」


 先程まで日課であるマリアへの顔出しのためにクロスが天界王城を訪れていたことはアースも知覚で知っていた

 しかし、これまで城内に居を置いている自分の許へ、クロス()が訪ねてきたことなど指を折って数えられる程度しかない。何か要件があろうとも、思念通話を用いれば事足りるのだ

 逆説的に言えば、今クロスが自分を訊ねてきたのは、思念通話を用いて話せるようなことを言いに来たのではないということがアースには分かっていた


 思念通話は、神能(ゴットクロア)を介した意識同士の対話。故に、それを盗聴したり傍聴することは不可能だ。しかも相対している相手ですら気付かないため、戦闘中に極秘の作戦を立てることができるなど極めて有効な能力だといえる

 しかし、かといって全霊命(ファースト)が思念通話を頻繁に使うかと言えばそういうわけではない。特に不都合があるわけではないのだが、それでも可能な限り対面での会話を優先する傾向にある


 そして、クロスがアースの前に直接やってきたのは、会話を切られないためだ。思念通話は、受信者が拒否すれば繋がることは無い

 アースの性格からすれば無下に拒絶することは無いだろうが、都合が悪くなれば切られる可能性も捨てきれない。そのようなことがないようクロスは直接アースの許を訪れたのだった


「大規模な出撃をするんだって?」

 開口一番、率直に本題を切り出してきた(クロス)の言葉に、アースの目がわずかに剣呑さを増す

 そこに浮かんでいるのは、クロスの兄であるアースとしての顔だけではなく、天界最強の四聖天使としての表情だ

「耳が早いな……マリアか」

 その話をクロスが知っている理由を推測したアースは、その最も可能性の高い出どころを推察して言う


 半監禁状態にあるとはいえ、マリアは天界王城の中で暮らしておりその中でやり取りされる情報を獲得しやすい立場にある

 そう言った情報がマリアの許へ流れることは無く、基本的にクロスを除けば、マリアに最も多く接触するのは、マリアが姉のように慕う天界の歌姫「リリーナ」くらいのものだ

 リリーナがそのような情報を――例えそれが重要なものではないとしても――雑談や他愛もない世間話の一環として話すとは思えない

 とはいえ、天界王城の中である程度大きな規模の部隊を動かすとなれば、どうしても光力の動きなどで異変を察知されやすくなるのは否めない


「どこへ、なんのために、何しに行くんだよ」

 おそらく間違っていないであろう情報源となった禁忌の混濁者(マドラス)のことを意識の端に追いやったアースに、急かすようにクロスの次の言葉が投げかけられる

「そういうの、いくらお前相手でも軽々と言うわけにはいかないんだがな」

 クロスの質問に、アースは表情を変えることなく淡々とした口調で応じる


 今回出兵は隠さねばならないほど重要な案件だとは言えないが、だからといって軽々と話していいと言う者でもない

 何しろアースは、天界で大戦力を束ねる立場にある最上位の天使。いかに、望むままに事象を拒絶し、力の及ぶ限りあらゆる現象を実現する力を持つ全霊命(ファースト)であろうと、情報は戦いを有利に進めために軽んじていいものではない

 一応天界の正規軍に所属する形になっているとはいえ、クロスに軽々と話していいことではないのは紛れもない事実だ


「だから、頼みに来たんだ」

 そして、そのアースの反応を予期していたからこそ、クロスは久しぶりに劣等感と敬意を抱いてやまない実兄の許へとやってきたのだ

「――今から言うのは独り言だ」

 自身に注がれる真っ直ぐなクロスの瞳を見たアースは、ため息にも似た息と共にその口を開く

「近頃、世界の狭間辺りで闇の過激派の活動が活発になってきているらしくてな」

「……!」

 あえて自分の方を見ずに、窓の外に広がっている天界王城の白い城下町を瞳に映すアースの横顔を見るクロスは、その言葉にわずかに表情を強張らせる

 「独り言だ」と前置きをしたように、その口調はクロスに説明をするためのものというより、仕事――というより、その原因となった者達に対する不満を独り言ちる様なものだった


 光の存在の中に、闇の存在を「ただ闇の存在だから」という理由で憎み、排斥しようとする者がいるように、闇の存在の中にも光の存在を目の仇にしている者達がいる


 それが闇の過激派――「光狩り」などとよばれる者達だ。


 そんな光を憎む闇の存在達の行動の根底にあるのは、強い憎悪と信念だ。

 そしてそれは、多くの場合、光の存在に家族や恋人など大切な者を奪われた者達。

 そうでなければ、創界神争において光の神位第一(絶対神)が闇の絶対神に勝利したことで世界の覇権が定まったこの世界の現状を良しとせず、闇の勢力の復権を目論んでいる者達のどちらかである場合がほとんどだ。


「ま、それで一旦その勢力を弱体化させるために掃討を行うことがファグエムとノエルから提案されてな。――天界王様もそれを承認されたんだ」

(そういうことか……)

 アースの言葉を聞きながら、クロスは内心で苦虫を噛み潰す


 闇に対して敵対する天使の勢力の筆頭たる四聖の一人「ファグエム」と、天界の安寧と発展を最優先にする「ノエル」ならば、光狩りの脅威を排除するためにそういった提案をすることは合点がいく

 「光狩り」などと称される光の存在を目の敵する者達の中で、最も警戒するべきは現在の世界を破壊するべく、神器などに封じられたままになっている闇の神々を解き放とうとする者達だ


 真の神器へと封じられた闇の神、そして創界神争の折に創造神によって封じられた破壊神が復活すれば、今の世界がどうなるかは想像もつかない。

 九世界の全霊命(ファースト)達のまとめ役的な役割を担い、世界の安寧を司る天界としては、そう言った懸念を確実に早く取り除いておきたいというのは至極当然の事だろう



「さて、もういいか?」

 クロスが神妙な面持ちで目を伏せたのを横目で見たアースは、その様子に何かを感じているようなそぶりを見せながらもそれを尋ねることはせず、そう言って問いかける

「待ってくれ。……それって、どの辺を調査するんだ?」

 アースの言葉を受けたクロスは、慌てて顔を上げて最後の質問をする


 狭間の世界は、それこそ無限にある。世界と世界の狭間に存在し、その世界の景色が重なり合って映し出される虚構の世界。そしてそれは、世界差もあるが、一定の時間の経過によって世界に溶けてしまうほどおぼろげなものだ。

 いかに神速を誇る全霊命(ファースト)の機動力と調査能力をもってしても、困難を極めるだろう。無論時間をかければ不可能ではないだろうが、天界の最高戦力が長時間天界王城を開けるなど、いかに神器による護りの結界があるとはいえ防衛上望ましいものではない。――つまりこの調査は極めて短期間に、限られた範囲を調査して終わるということだ


「ここ数年、闇の過激派が確認された世界だ。ほら、何年か前に、お前を助けに行ったあの辺りだな」

「――ッ!」

 アースの答えを受けたクロスは、思わず息を呑む。その言葉が意味すること、そしてそれがもたらす結論は想像に難くない

 表情を強張らせ、無意識の内に握りしめた拳を震わせるクロスに、感情の見えない硬質な視線を送っていたアースだったが、それ以上何も口にすることなくその横を通り抜ける

「じゃあ、俺は行くからな」

 (アース)の力が遠ざかっていくのを知覚で捉えながら、しばしその場に立ち尽くしていたクロスは、やがて意を決したように顔を上げた





「――……」

 天の中心に座し、世界にあまねく光を届ける神臓(クオソメリス)が放つ光がカガリ、朱を帯び始めると間もなく全ての世界に夜が訪れる

 その時を今か今かと待ちわびているシャリオを知覚によって見つけ出したクロスは、自身の中にある罪悪感や、迷いを払うように大きく息を吐くと努めて冷静を装いながらゆっくりと歩み寄っていく

「シャリオ」

「クロスか」

 日が暮れていくのを空を見上げながら待ちわびていたシャリオは、その声に視線を向ける

 自分の現状を知られてから、どこか疎遠になっていたような気がするクロスに、久しぶりに声をかけられたシャリオは、懐かしさに似た感傷を覚えていた

「……今日も行くのか?」

 やや押し殺した声音で問いかけてきたクロスの問いかけの意味は、シャリオにとっては考えるまでもないことだ

「あぁ、もちろんだ」

 だからこそ、シャリオはなんのためらいもなく、クロスの問いかけに答える

「――ちょっと付き合え」

 その答えを聞いたクロスは、一言そう告げると純白の翼を広げて空へと舞い上がっていく

 背を向けて飛び去っていくクロスの後ろ姿を訝しんでいたシャリオだったが、振り返ることもしない親友の姿に、小さくため息をついてその後を追う

「……」

 シャリオが自分を追ってついてくるのを知覚で感じながら、クロスは空を移動する天界王城から外へと出て、天界の山地へと向かう

 その最中、クロスが一度も背後を振り返るとがなかったのは、決意で固められた自分の険しい表情をシャリオにみせることを憚ったからだった


「こんなところまで連れ出して……なんの用なんだよ」


 全てを超越する神速で移動することしばらく。天界王城にいる誰もが確実に知覚できないであろう距離を取ったクロスにつられてゆっくりと岩肌を剥き出しにした地面に降り立ったシャリオは、焦れた様子で訊ねる

 天の中心で輝く神臓(クオソメリス)が薄明から月へと変わりゆく最中――夜との境界の下で、シャリオへと向き直ったクロスへと向き直って口を開く

「今日は……いや、もうあいつのところへは行くな」」

 抑制された声で発せられたクロスの言葉に、シャリオはわずかに眉を顰めて表情を強張らせる

 それ以上の動揺や感情の揺らぎを見せなかったシャリオの反応は、驚きというよりも来るべき時が来たというような達観したものに思えるものだった

「そんなこと言われて、俺が『はいそうですか』って言うと思ってるのか?」

 もしかしたら、いつか言われることだと察してたのかもしれないシャリオが、あえて不遜とも思える口調で言うのを感情が凍り付いたような面差しで受け止めたクロスは、そのまま言葉を続ける

「兄貴達が、闇の過激派の討伐のためにあの場所に向かった。あそこにあいつがいれば、多分戦うことになる」

「ッ!」

 その言葉を聞いた途端、顔を青褪めさせてその場をその場から移動しようとしたシャリオの視線の先を、クロスが放たれた大剣が掠めて地面へと突き刺さる

 地面に突き刺さった大剣――クロスの光力が戦うために具現化した武器を一瞥したシャリオは、それが掠めたことでついた頬の傷から血炎を立ち昇らせながら、その持ち主である親友を睨み付ける

「クロ――」

「今、お前が行けば、お前も殺される」

 シャリオが言葉を発するよりも早くそれを遮ったクロスは、揺るぎない決意を宿した視線を向けて言い放つ

「そんなことにはならない! 俺達は別に、恋人でも何でもないんだ!」

「もし、菖蒲が殺されかけていたとして、お前はそれを見殺しにできるのか!?」

 シャリオの言葉を、クロスの慟哭にも似た叫びが打ち消す


 九世界の法では、光の存在が闇の存在と友好を築くことそのものを罰することは無い。だが、もし今からシャリオが菖蒲の許へと向かい、その死、あるいはそれに匹敵する状況下の中でそれを庇うような行為を見せれば――あるいは、その中にある本当の感情を見抜かれてしまえば、ほぼ間違いなくその命を奪われるだろう

 だからこそ、今シャリオを菖蒲のところへと行かせることなどできるはずはなかった


「こんなことになる前に、俺がお前を止めるべきだった! 殴ってでも、縛りつけてでも、菖蒲(悪魔)への想いを断ち切らせるべきだったんだ」

 感情を殺したクロスが抑制のきいた声で言葉を紡ぎながら、その手の中に先程投擲していた大剣を再度顕現させる

 背後に突き刺さっていた剣が光力へと還り、再びクロスの手の中で再構築されたのを見たシャリオは、全てを理解して口を開く

「だから、俺をここに――」

 クロスがなぜ自分を天界王城の外――誰の近くも届かないであろう場所へと連れてきたのかを理解したシャリオは、しかしそれを許容できるはずもなく声を荒げる

「ふざけ――」

「これが俺の答えだ」

 シャリオの怒りも反論も想いも、その一言で封じ込めたクロスは、手にした大剣の切っ先を向けて言い放つ

 「ここから行きたかったら自分を倒していけ」――そんな言葉が聞こえてくるようなクロスの鋭い眼光を注がれたシャリオは、自身の武器である大剣を顕現させる

「本気なんだな?」

「冗談でこんなことはしねぇよ」

 確認するようい発せられたシャリオの言葉を冷ややかに受け止めたクロスだったが、決して自分から動くことはしない

 自分に向けられるクロスの大剣の切っ先と瞳が、「このままここでおとなしくしていてくれ」と訴えてきている中、シャリオは大きく深く息を吐き出すと意を決して言い放つ

「死ぬなよ。お前相手に加減はできない」

「それはこっちの台詞だ」

 シャリオが思いとどまってくれなかったことに失意の念を隠せずにいるクロスは、眼前に立つ親友から吹き上がる純然たる戦意を帯びた光力を見据え、純白の翼を広げる


「――いくぞ」


 低く抑制された声でシャリオが言葉を発した瞬間、それを合図にしたかのように共に光輝な純白の力を放つ二人の天使が、その刃をぶつけ合う

 時間も距離も、この世の全てを超越する神速で刃をぶつけ合うクロスとシャリオからは、神々しく神聖な殺が放たれ、神の意志が具現化した大地と生命に聖なる滅びをもたらす

「俺は、菖蒲のところへ行く!」

「行かせないって言ってるだろ!!」

 刃を挟んで向かい合うクロスは、ただ一つの想いに突き動かされて放たれたシャリオの慟哭にも似た咆哮に、怒声を重ねる

 クロスとシャリオの光力が刃を介してぶつかり合い、互いの信念(想い)が力となって、荒れ狂えば、天が裂け、地が震え、世界が白に塗り潰される

「――ッ!」

 刹那さえ介在する余地を許さない神速で放たれる数えきれないほどの斬撃と光力の極光の応酬が、刹那に満たない永遠の中で繰り返される

「あいつなら、うまく逃げてるかもしれないだろ!」

 無限の斬撃と光力の砲撃をさばきながら声を荒げるクロスに、シャリオは突き動かされる様な焦燥のままに声を張り上げる

「そうじゃなかったらどうするんだ!?」


 クロスが言うことも分かる。もし、菖蒲の許へと向かい自分が抱く気持ちを知られれば、間違いなく命を奪われるだろう

 すでに菖蒲はあの狭間から対比している可能性も捨てきれはしないし、何より慌てて今更向かったところで菖蒲を逃がすような時間はない。

 だが、頭では分かっていても、シャリオノ、胸えお焦がす想いはクロスの提案を受け入れ、ここで時が過ぎるのを待つことを良しはしてくれなかった


「知るか!!」

 しかし、知覚が及ばず安否の判然としない菖蒲を案じるシャリオの不安な想いを無惨にも打ち据えるのは、クロスの口が発せられた強い声だった

 シャリオがどれほど菖蒲を想っていようが、クロスにとって大切なのは菖蒲ではなくシャリオだけ。悪魔のために親友の命を危険に晒すことなどできようはずはない

「どうしたらいいのかなんて、俺が知るかよ!」

 しかし絞り出されるその慟哭が、クロスの心情の全てを物語っていた


 シャリオは悪魔(菖蒲)を。クロスは人と天使の混濁者(マリア)を。――共に禁忌の存在に想いを寄せる者同士。

 シャリオの気持ちが誰よりも理解できるからこそクロスはその前に立ちはだかり、だからこそ今自分がしている行動が正しいのか分からなかった


「けど、このままお前を行かせることはできないんだ!」

 誰よりもシャリオに共感しながらも、その行く手を阻むべく立ちはだかるクロスは、ただ一つだけのその想いを胸に抱き、純白の光力を纏わせた大剣を一閃させる

「――クロス……ッ!」

 その斬閃と共に放たれた光力の薙撃が天地を浄滅さえながら自分へと迫ってくるのを知覚しながら、シャリオはその刃を迎撃して相殺させる


 クロスが自分の前に立ちはだかる理由をシャリオは正しく理解している。だが、それを受け入れることはシャリオには難しいことだった

 どこか遠く、自分の知らない場所で愛する者の命が危険に晒されているかもしれない。――それを思うだけで、シャリオの胸は張り裂けそうな不安と恐怖に塗り潰される


(このままじゃ、間に合わない……!)

 目の前に立ちはだかるクロスと、自分の力が互角であることをよく知っているシャリオは、このままでは無駄に時間を浪費するばかりだということが分かってしまう


 全霊命(ファースト)の力である神能(ゴットクロア)は、その持ち主の心に大きく影響を受ける。その存在そのものが神格を持つ霊の力である全霊命(ファースト)は、理性と本能が等しいものとして同居しており、その存在だからこそ抱くことができる純然たる意思と想いが神能(ゴットクロア)の力の根幹だ

 その上、この世の法を犯す、想いという共通の事柄によって等しく心に迷いを抱いている今のクロスとシャリオでは、簡単に決着がつくことは無い。


「――ッ」

 そして、それまでの時間がかかればかかるほど、クロスの思惑の通りになってしまう

 それが分かっているシャリオは、手の中に顕現させている大剣を消失させると、武器を構えているクロスをまっすぐに見据える

「なら、俺を止めてみろよ」

「……!」

 揺るぎない覚悟と、菖蒲への想いを秘めた視線と共にゆっくりと歩み寄ってくるシャリオの姿に、クロスは半身後退って眉間に刻まれた皺を深くする

 クロスにはシャリオを殺すつもりはない。武器を持たずとも、自分自身を盾として、武器として迫ってくるシャリオの覚悟と鬼気迫る姿に、クロスは気圧されてしまっていた

「シャリオ!」

 一歩。また一歩と迫ってくるシャリオは、クロスが自分を殺さないことを確信し、自分のために菖蒲を見殺しにすることを確信している

 クロスが守りたいものを、シャリオが見限り、シャリオが守りたいものはクロスが見捨てている。たった今この場所で、三人の大切なものが交錯し、そしてすれ違っていた

「……クロス」

 足を止めるように声を上げるクロスを無視し、ゆっくりと歩み寄ったシャリオは、自分に向けられている大剣の切っ先に手を添えてゆっくりとそれを押しのける

「お前は正しいことをしたよ――天使としても(・・・・・・)友達としても(・・・・・・)

 刃をどけたシャリオは、何も遮るものがなくなった距離でクロスと向き合うと、自嘲とも取れる寂しげな笑みを浮かべたシャリオの淡々とした声で語りかける

 九世界の法では、異なる種族――天使が悪魔に恋慕の情を抱くことを許していない。目の前に罪を犯そうとしている者がいれば、それを止めるのは友としても当然の事だろう


「けど、俺はこんな正しさならいらない……」


 問いかけるように紡がれたシャリオの言葉は、静かに響いていながら、その中に愛した者と心を通じ合わせることを許さない世界の砲への理不尽に嘆くものだった

「シャリオ!」

「お前はいいよな。俺と同じでも、マリアは世界に許された禁忌だ」

 自棄になったように自嘲するシャリオに、強く呼びかけたクロスだったが、それに返されたのは親友からの羨望と嫉妬に満ちた恨めしげな声だった

「――俺はお前が羨ましいよ、本当に」

 そう言ってしばしクロスと視線を交錯させていたシャリオは、おもむろに目の前の親友の襟首を掴むと、その胸中に渦巻く、張り裂けんばかりの想いを低く抑制した声に乗せて吐き出す


「もし、菖蒲に何かあったら、俺はお前を許さない」


「――っ」

 低く抑制された声で言い放ったシャリオの言葉と表情には、かつて自分が向けられたことのないような激情が宿っていた

「俺を止めたかったら、俺を殺してみろよ」

 刃に当てた指に力を込め、今にも触れられるほどの距離でクロスの目を見て言い放ったシャリオは、わずかに怯んだ親友の瞳から視線を外し、その傍らを通り抜けるように歩き去っていく

「待……っ」

 まるで、手で汲んだ水が指の隙間から流れ出るように自分の傍らをすり抜けて行ったシャリオを追って、クロスはそのまま振り返る

 純然たる戦意を乗せた光力を背中に叩き付け、威喝と威嚇をするクロスだったが、シャリオは反応することもせず、背中でそれを受け止めたまま時空の門を開く

「――ッ、待てって言ってるだろ!」

 それに反応する様子を見せないシャリオに、苦痛に満ちた表情を浮かべたクロスは、光力を注ぎ込み、純白の光を纏わせた大剣の切っ先を構える

 その刃を振り下ろせば、無防備に純白の翼を見せるシャリオを背中から斬ることができる。だが、クロスはその一撃を――仮にシャリオを半殺しにしてでも止めるという覚悟を最後の最後まで貫くことができなかった 

「――……ッ」

 シャリオの姿が時空の門の中へと消えていくのを、成す術もなく見送ったクロスは、最後の最後で刃を振ることができなかった自分自身への苛立ちに任せて、大剣を地面に叩き付ける

 感情に任せて地面に叩き付けられた刃が、クロスの立っている場所を中心として大地を蜘蛛の巣状に砕き、岩盤と粉塵を空へと舞い上げる

「くそ……っ」

 砕けんばかりに歯を噛み締めたクロスは、結局シャリオを止めることができなかった自身の無力さと愚かさを悔いて、天を仰ぎ見る

「俺は……」

 唇を噛み締め、拳を握りしめて佇むクロスの心情を表すように天から落ちてきた雫が、荒れ果てた大地に染み込んでいく




 その日、これまで共に歩いてきたかけがえのない友の道は違えられ、シャリオは二度と天界へと戻ってくることは無かった






 シャリオと別れた日から七日。クロスは天界王城内にある緑に囲まれた公園のような場所に置かれた椅子に腰を下ろしていた

 天使のために作られた背もたれのない椅子に座って腕を組むクロスの表情は、雲上を移動している天界王城の上空に見える澄んだ青空とは対照的な陰鬱なものだった


「クロス」


 覇気のない目で眼前に広がっている新緑の世界をただただ漫然と眺めていたクロスに、横から聞き慣れた声がかけられる

「兄貴」

 天界でも屈指の光力を持つ兄を知覚できないほどに意識を散漫にしていたクロスは、いつの間にか目の前にいる兄を見て、目を伏せる

「マリアが心配してたぞ。最近、顔出してないらしいじゃないか」

 そんなクロスの様子を見たアースは、困ったように肩を竦めると諭すような優しい声で話しかけるが、それに返されるのは沈黙だけだった

「シャリオのことか?」

 そのクロスの沈黙の理由について、おおよそ察しがついているアースは、唯一無二の親友を失った弟に、いたわりと励ましが込められた優しく強い声で語りかける


 クロスの妨害を振り切り、菖蒲のいる狭間の世界へと辿り着いた時には、すでにすべてが終わっていたらしい。

 らしい、というのはその日以来、シャリオは天界王城に戻ってこなかったからだ。幸か不幸か、天界の軍とは行き違いになったらしく、シャリオと菖蒲の関係は天界には知られていないが、それ以来帰ってこないことは誰もが知っていた


「お前は自分が間違ったことをしたと思うか?」

「……!」

 不意に投げかけられたアースの言葉に、クロスは目を瞠って視線を向ける

 顔を上げたクロスの目に映ったのは、自分へと向けられるアースの視線。そしてその視線は、アースがおそらくおおよそのことを察していることをクロスに理解させるには十分なものだった

「……分かんねぇよ」

 その言葉だけでは、アース()がシャリオのことに気付いていたのか確信が持てない

 しかし、兄から向けられる視線がまるで自分の胸中を見透かしているような透明さから逃げるように顔を背けてつっけんどんに言う

「……法的に正しくても、相手を傷つけたらそれは正しいことなのか?」

 視界の外から聞こえるアースの苦笑に耳を傾けていたクロスは、しばしの沈黙を置いてから不意にその口を開く

 その口調は、具体的なことは何一つ口にせず、それでもアースがおそらく何もかも分かっている――仮にそうではなくとも、ある程度意を汲んでくれると確信しているかのようだった


 クロスは、自分がしたことが間違っていたとは思わない。しかし同時に、自分がしたことが正しかったとも思えなくなってしまっていた

 異なる種族――ましてや、世界の創世時からの仇敵である悪魔に想いを寄せるなど、天使とてはあるまじきこと。その想いがどうであれ、それは罪だ

 ならば、友がその罪に溺れて道を踏み外す前に――あるいは、すでに遅すぎたのかもしれないし、これまで隠してきた自分も同罪なのかもしれなが――それでも、クロスは取り返しがつかなくなる前に、シャリオを助けたかった

 だが、それをしたクロスに残ったのは、別れ際に見せたシャリオの姿への罪悪感だった。あの日以来、これでよかったのか、という思いが拭えなくなっていた


「クロス……お前は正しい事をした」


「――兄貴……」

 自身の正義への自信を失い、 失意の表情を浮かべながら唇を噛み締めていたクロスに、アースの口から優しい響きを帯びた強い声が返される

「ただな。――正しい事をしたからといって、誰かを救えるとは限らないんだ。時にはその正しさが自分を深く傷つける時もある……分かるな?」

 顔を上げたクロスに、その姿をまっすぐに見据えたアースが穏やかな声で語りかける

 哀愁とも自嘲とも取れる響きを帯びたその声音は、クロスへと言い聞かせるものであると同時に、アースが自分自身に言い聞かせ、戒めようとしているようにさえ感じられた

「っ、けど……」

 正義とは救うことと同義ではないと語るアースに、クロスは呻くように声を漏らす

 正しいことをしたかった自分と、シャリオを救いたかった自分。これまでのクロスの中ではその二つは同義であり、等しいものだった。だが、今クロスはそれが違うものだという事実を身を以って体感していた

「正義や法を掲げ、司る者は、その行いと心の有り様を以ってそれらを証明しなければならない。自分に都合が悪くなったから、それを否定するなんて許されないんだ」

「っ……」

クロスの兄は、唇をかみしめてうつむくクロスに視線を向け、淡々と言葉を紡いでいく

「――もう一度言う。お前がした事は正しい。ただ、その結末がお前が望んだものとは違ったっていうだけだ」

 アースの言っていることの意味は十分理解できる。だが、今のクロスにとって、その正しさはあまりにも残酷なものだった

「俺は、そんな風に割り切れない……俺の所為で、あいつは……」

 握りしめた拳をわななかせるクロスが震えた声で絞り出す言葉に耳を傾けるアースは、傷ついた弟に静かな声で優しく、それでいて揺るぎない信念を込めた声音で語りかける

「確かに……お前は救えなかった。それは事実だ」

「っ!」

「なら、もう何もしないでおくか? お前が正しくあろうとしなければ、今回の事は起きなかった。救おうとしなければこんな結末は迎えなかっただろうな」

 事実を突きつけられ、息を詰まらせるクロスに向けアースは淡々と冷酷な言葉を積み上げていく

「そんな事っ! ……そんな事分かってるよ……」

唇を引き結び、強く拳を握りしめたクロスは、絞り出すような声で言う

慟哭を堪えるようなその様子を見た兄は、クロスの複雑な思いを慮りながら、それでも冷徹に優しく言葉を続る

「なら、目を背けていればよかったか?」

「っ!」

「こんな結末を迎えるくらいなら、正しくある必要はなかったか? 救おうと――守ろうとする必要はなかったか? それは間違いか?」

 粛々と投げかけられるアースの言葉は、クロス自身の心へおの問いかけ。まるで鏡のようにその心を浮き彫りにし、クロスに自分自身の心と向かい合うことを促すようなものだった

「っ、それは……」

兄の言葉に、クロスは返す言葉を見つけられずに息を呑む

「強くなれ。……お前が救いたいと願うものを、正しく救えるように」

「……兄貴……」

 どこか寂しげな笑みを浮かて言うアースの表情からは、ただその言葉を弟を思う兄としての優しさだけではなく、自身とも重ね合わせているような印象を受ける


 アースは、天界最強の天使としてこれまで多くのものと戦ってきた。世界創世以来の仇敵である悪魔や闇の全霊命(ファースト)をはじめ、時には同胞である光の存在や天使をも手にかけてきたはずだ

 知己の仲に会った者、親しい者、あるいは親しい者が愛した者を世界の砲を守るために手にかけてきたこともあっただろう


 アースが見せるその表情は、これまでの経験の全てを凝縮したようなものだったのかもしれない



「よく覚えておけ、クロス。思うだけじゃ何も変わらない。願うだけじゃ何も手に入らない。祈るだけじゃ――何も救えないんだ」





(――俺は、ただお前を守りたかったんだ……!)


 寂しげに紡がれた(アース)の言葉に自分を重ねたクロスは、自身の身体から立ち上る血炎越しに霞んで見える友へ向けて声にならない慟哭を心の中で上げる

「クロス……それが、お前の答えなのか?」

 純白の羽を散らしながら落下していくクロスの姿を見るシャリオは、それに一縷の歓喜も覚えていないような表情で寂しげに独白すると、自身の光力を槍のような形に押し固める

 純白の光で形作られた巨大な槍を掲げたシャリオは、光力の減衰よりも戦意の喪失の方が致命的なクロスへ向けてそれを解き放つ


 腕を軽く振るうことによって放たれた純白光の投擲槍は、神速を以って世界を貫き、クロスへと向けて一直線に迸る


 さながら天上から落とされた神の裁きとも思える光の槍がクロスの許へと迫り、その身体を貫こうとした次の瞬間、横から飛来した漆黒の閃撃によってそれが破壊される


「――!」

 暗黒の闇を凝縮して放たれたそれが光の巨大投擲槍を砕き、その力を消失させる中、クロスとシャリオの間に割って入った影が漆黒の衣を翻らせる

「やれやれ、世話が焼けるね」

「お前……」

 聞き慣れたその声に目を瞠ったクロスに背を向けたまま、その人物――神魔は、自身の身の丈をも超える巨大な大槍刀を顕現させる

「悪魔……ッ!」

 自分達の戦いに割って入り、クロスを守った神魔の存在を見て取ったシャリオは、その表情にこれまでは見せることがなかった明確な激情を宿すのだった




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