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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
172/305

正義の咎罪3







 クロスとシャリオはいわゆる幼馴染だった。すでに当時天界の実力者として天界王に仕えていた兄「アース」と共に、天界王城内で暮らしていたクロスが同年代の友人として幼い頃から行動を共にしていたのがクロスだった

 天界王城はそれそのものが天を移動する浮遊城。その中枢にまでは入ることはなかったが、その外縁部で暮らしていたクロスにとって、シャリオは良き友人であると同時にライバルだった

 互いに力を研鑽し、共に高め合ってきたシャリオは、クロスの親友であり、仕事でほとんど会うことのない兄よりも長く一緒にいる――大仰に言えば血の繋がらない兄弟のようなものだと言っても過言ではなかった



「シャリオ」

 そんなシャリオが天界王城の一角にある庭園に座っているのを見つけたクロスは、当然のように声をかける

「クロスか」

 別に驚かせようという意識もなかったため、普通に歩いて近寄ったクロスを知覚で捉えたシャリオは、木陰に身を置きながら視線だけを向けてくる

「どうしたんだ?」

 近寄ったシャリオの身体に、すでに直りかけてはいるが無数の無数の傷痕があるのを見て取ったクロスが目を丸くする

「ちょっと、張り切って特訓しててな」

「なんだよ、俺も誘えよ」

 自分の傷を見て面食らった様子を見せた自分の反応を楽しむかのように笑ったシャリオに、クロスが不満気に声を返す

 幼い頃からよく行動を共にしていた二人は、共に力を切磋琢磨し合ってきた仲だ。特に自分に任務がなかったにも関わらず、声をかけてもらえなかったということにクロスが少しばかりの不満を口にする



 九世界の八種の全霊命(ファースト)中、七種族は「軍界王政」という王を頂点に据えた体制を敷いている。そして、産業を持たない全霊命(ファースト)達は全ての者が応に仕える軍人という扱いになる

 無論、常時全てのものが駆り出されるわけではなく、必要に迫られれば招集がかけられるという形をとっており、普段は王城に仕える限られた全霊命(ファースト)達がその役目をこなしている

 とはいえ、城に仕えるのは、魔界ならば「皇魔」、天界ならば「四聖」というように、それぞれの世界で最強に近い者であるためそれこそ中規模から大規模な他世界との戦闘にでもならない限りは、一般の者が集められることはないのだが。


 その中にあって、九世界の全霊命(ファースト)達の監視者にして管理者的な立場にある天使が総べる天界では、特にそれがより組織化された形を取っている

 「アース」、「ファグエム」、「ノエル」、「オルセウス」の「四聖天使」――その世界で最強の者達――を頂点にしているのは他の世界でも同じだが、その下にいる者達の数は他の世界に比べて桁外れに多いのが特徴だ

 天界以外の世界では二桁から多くても精々三桁前半――百人から二百人程度――であるのに比べ、天界は一万を超えていることを考えれば、その多さが分かるだろう

 だからといってそしてその全員に常に仕事があるわけではない。むしろ、稼働人数そのものは他世界とほとんど変わらない。あくまでも、非常事態や戦闘時に即座に派遣できる天界王城に仕える人数が多いという程度だ

 そのため、天界王城に仕える天使達はよほどの実力者でない限り、城に仕えていない者のように暮らしている。そしてそれは、クロスとシャリオもそうだった



「はは、悪い悪い。マリアとの時間を邪魔したら悪いと思ってな」

「な……っ!?」

 マリアの名を出すだけで、目に見えて顔を赤くして狼狽するクロスの分かりやすい反応に苦笑したシャリオは、いつものように照れ隠しを兼ねた反論の言葉が出る前に言葉を続ける

「ま、いつかお前も誘うかもな」

「……?」

 どこか遠くを見ているような目で語るシャリオの表情が、何かを愛おしむようなものに聞こえたクロスは、それを訝しんで眉根を寄せた

「なんだよ」

「いや、ま。詮索する気はないさ」

 腑に落ちないような表情を浮かべていたクロスは、シャリオの視線を受けて適当に話を切り上げる

 共に歩んできた友が見せたその姿に小さな違和感を覚えながらも、クロスはそれについて深く言及することはしなかった





 天界王城の中に設けられた特別区画――一部の物しか入ることを許されないそこは、天界王ノヴァが自身の妃にして、現在天界で唯一の天使の十聖天「アフィリア」の名の下に保護しているマリアが軟禁状態で暮らしている区画だ


 クロスがここに入ることを許されているのは、ほとんど外界と接触を持たずに暮らしていたマリアを案じた天界の姫「リリーナ」が兄であり天界最強の天使でもある「アース」に相談した結果、推薦された人物だったからだ

 天界王が保護している最大の禁忌――人と天使の混濁者(マドラス)であるマリアは、その存在を知っている者こそ城内にはそれなりにいるが、接触を許されている者は限られている――そして、その中でマリアにとって特別なのが「クロス」という人物だ



「最近、シャリオの様子が変なの」

 緑に覆われた天界王城内にある特別区画の一室で、小さく息をついたティファの言葉にクロスとマリアが視線を向ける

 兄によってマリアと知己の関係になり、さらにその絆を深めたクロスを介してシャリオとティファもまたこの特別区域に出入りすることを認められるようになったのだ

「……変?」

 そんなティファの口からおもむろに告げられた言葉に、クロスとマリアはまるで長年連れ添った夫婦のように息の合った一糸乱れぬ動きと声音でそれを反芻する

 クロスに想いを寄せている身としては決して好ましく見えないそんな二人の姿に、一瞬だけ眉を顰めたティファだったが、そんな自分の感情をいつものように押しとどめて本題へと戻る

「そう。いつの間にかどこかに行ってたりしてて……今日も捕まらなかったのよ。さすがにこのところ毎日だと気になっちゃって……何か聞いてない?」


 ティファの話によれば、シャリオはいつの間にかその姿を消しているということだった

 意図的に光力を抑えていたとしても、知覚する側が意識すれば普段無意識に切り捨てられている弱い力を知覚することは困難なことではない

 霊の力――神能(ゴットクロア)全霊命(ファースト)の存在から生まれるもの。そのため、どれほど抑えてもそこに生きている限りその力を知覚することができなくなるということは無い

 つまり、ティファが知覚を使って捜索してその居場所を特定できないとなれば、シャリオは知覚が捉えられない場所――少なくとも天界王城の外、場合によっては別の世界へと行っているということになる


「いや?」

 ティファの問いかけに心当たりを思い浮かべてみたクロスだったが、即座に思いつく事柄もなく首を傾げる

「クロスが聞いてないとなると……もしかして彼女でもできたのかしら?」

 その答えを聞いたティファは、考え込むようなそぶりを見せながらどこか冗談めいた口調で言う

「え、心当たりでもあるんですか?」

 そのとぼけて言ったと言っても過言ではないティファの言葉を真に受けたマリアが、少しだけ頬を紅潮させながら言う

「知らないわよ。あの子、そういうこと言わないんだから」

(この子のこういうところが苦手なのよね……嫌いになりきれないっていうか)

 自分のことはからきしであるにもかかわらず、シャリオの色恋沙汰には興味を見せるマリアの問いかけに、毒気を抜かれたような表情を浮かべたティファは、どこか遠くにいる実の弟へと意識を向ける

「でも、もしそうだったら……シャリオ君が好きになった人なら、きっと素敵な人だと思います」

「――だと、いいけどね」

 胸の前で両手を合わせ、心からシャリオの幸福を祈って慈愛に満ちた笑みを浮かべるマリアの姿を見たティファは、肩を竦めた

(女……か)

 その様子を見ていたクロスは、ティファが冗談半分で言った言葉によって、先日の一件を思い出す




(まさか、な……)





 天界の空を移動する巨大な浮遊大陸そのものである天界王城も、夜の帳に包まれれば光の存在である天使の輝きも静かになり、それそのものが一つの銀河のような壮大で荘厳な雰囲気に包まれる


 全霊命(ファースト)にとって睡眠は娯楽でしかない。そのため、その気になれば昼夜問わず活動することは可能だが、全霊命(ファースト)の大半は必要に迫られない限り、夜はその静寂の中で静かに過ごしている

 ただその静寂に一人身を委ねる者もあれば、眠る者もいる。伴侶がいる者ならば二人だけの濃密な時間を過ごし、家族がいる者は、親兄弟、あるいは子供との時間を過ごす


 そんな天界の闇夜にまぎれ、神器によって生み出される結界に包まれた天界王城の外へと出たシャリオは、そのまま迷うことなく時空の門を開きてその中へと姿を消す

 空を移動する大陸そのものである天界王城を包み込む結界は、全霊命(ファースト)の空間転移さえ阻む力を持っている。結界内から結界内ならまだしも、結界内から結界の外――あるいは、その逆は不可能

 そのため、城の外に出てから空間転移するのだが、それには、もう一つ――身近に(ティファ)やクロス達知人の知覚があるからという理由もあった



 自身で作り出した時空の門へと飛び込んだシャリオの目に次の瞬間飛び込んでくるのは、先ほどまでいた天界とは違う異世界の空


 世界の中心に座主神器「神臓(クオソメリス)」によって照らし出される九世界は、昼と夜が同じ時間に訪れる。そしてそれは、この時空の狭間の一世界においても例外ではなかった

 夜の闇に抱かれた空。そして一面を覆う分厚い雲の中に見えるのは、淡く発行するライムグリーンの光の星々

 それは、この時空の狭間に存在する無数の浮遊大陸の大地から湧きがる光の雫。無数の幻想的な光の中を宿す大陸が移動する様を見渡したシャリオは、知覚を巡らせて即座に目的の場所を見つけ出す



「――また来たの?」

 シャリオが近づいていくと、浮遊大陸の一つに腰を下ろしていたその人物は、瞼を閉じたまま口を開く

 夜風に紫紺色の髪を遊ばせ、大地から生まれる緑光の光に抱かれながら発せられたその言葉は、呆れたようにも歓迎しているようにも聞こえるものだった

「ああ」

 その人物――「菖蒲」が自分を一瞥さえせずに言い放った言葉に、いつものように(・・・・・・・)皮肉めいた微笑混じりに答えたシャリオは、自身の存在を具現化した大剣を手にして言い放つ

「――今日も手合せしてもらうぜ」

 一定の距離を取り、大剣の切っ先を突きつけて言うシャリオのことばには、まるで何度もこのやり取りを繰り返してきたかのようなこなれた感じが漂っている――否、事実その通りなのだ。

 まるで、挨拶のような社交辞令にも似たこのやり取りは、シャリオと菖蒲――二人の間で繰り返されてきた日常(・・)だった

「懲りないわね。わざわざ私のところに来なくても、天界にならいくらでも相手をしてくれる人がいるでしょう?」

 辟易としたため息をつきながら、小さく肩を竦めた菖蒲は、そう言いながらもゆっくりと腰を上げてシャリオの方へと向き直る

 どこか困ったよな、それでいて満更でもないような表情を浮かべた菖蒲の言葉に、シャリオは口端を吊り上げて笑う

「何度も言わせるなよ」

 この対話さえも楽しみ、菖蒲に向き合うシャリオは好戦的で好意的な殺意の籠った光力を吹き上げて、宣言する


「――俺は、あんたに勝ちたいんだ」


 随分前――初めてこのシャリオと会った翌日から繰り返されてきたやり取りを思い返しながら、菖蒲は自身の存在が武器として具現化した槍を手にする


《俺は、あんたに勝ちたいんだ》


 初めて会った翌日、再び自分の前に現れたシャリオが言い放った言葉が菖蒲の中で繰り返される

 結局、軽く相手をしてあしらう日々を送ってきた菖蒲だったが、この狭間の空間で一人暮らしている中ではそれが少しばかり刺激的で、心のどこかで楽しんでいる面も少なからずあることを自覚していた

「――じゃあ、いくぜ」

「今日はお友達も一緒?」

 これまで何度もこなしてきた挨拶代りの言葉を交わしたシャリオが、笑みと共に戦意と刃を向けると

菖蒲はその視線を明後日の方向へと動かして問いかける

「……!」

 その言葉に導かれるように菖蒲の視線を辿ったシャリオは、一体を埋め尽くす厚い雲の中から姿を露明日人物を見て息を呑む

「クロス……」

 空間転移した相手を追うことは、通常の全霊命(ファースト)の知覚では不可能。つまり、クロスがこの空間に来ているということは、シャリオがここにいることを予測してやって来たからに他ならない

「やっぱりお前……」

 その表情に、わずかに苦いものを宿したクロスが確信を持って発した言葉に、シャリオは観念したように息を吐いて苦笑する



「見つかっちまったか」





「お前、ずっとここに来てたのか?」

「ああ」

 気を使ってその場を離れた菖蒲に代わり、その場所に降り立ったクロスの問いかけにシャリオは正直に答えると、その場に腰を下ろす

「なんでだよ?」

 胡坐をかいたシャリオに隣に座るように促されたクロスは、渋々それに従って隣に腰を下ろすと、不満と懸念に満ちた視線と声を向ける

 話しをはぐらかすことを許さない意志の宿ったクロスの視線を受けたシャリオは、知覚と視線を菖蒲に向けてから、小さく咳払いをする

「誰にも言うなよ?」

 小さな声で念を押すように言ったシャリオは、怪訝そうに眉を顰めるクロスに思念通話で自分の本心を伝える


《――》


「はぁ!? 惚れたぁ!?」

「ばっ、か……!」

 頭の中に響いてきた言葉を聞いたクロスが思わず声を上げると、シャリオは慌てふためいてその口を塞ぎ、菖蒲の方を窺う

「菖蒲に聞こえたらどうするんだよ」

 シャリオの言葉を受けたクロスは自分達の知覚内でありながら、生い茂った木々で視覚が邪魔され、声が届かない距離を取っている菖蒲に意識を向ける

 幸いにもその声は届いていなかったらしく、シャリオが安堵の息をつくのを確認したクロスは声をひそめながら鋭い声で言う

「待てよシャリオ。性格とかは百歩譲っていいとしても、あいつは、悪魔だぞ!?」

 クロスとしては、親友であるシャリオが誰を好きになろうと構わないと思っていた。だが、それはあくまでも天使が相手であればの話だ


 この世界において、異なる種族の交雑や恋愛は禁忌。まして、それが光の全霊命(ファースト)である天使にとって不倶戴天の敵である闇の全霊命(ファースト)であるならなおのことだ

 こんな話を聞いたならば、例えクロスでなくとも――たとえどれほど理解のある人物であっても反対するだろう


「お前だってマリアの事好きじゃないか」

 クロスがそう答えることが分かっていたのか、シャリオはさも問題ないと言わんばかりに応じる

 自分の想いを指摘され、一瞬顔を赤らめたクロスだったが、今はそんなことをしている場合ではないと、呑み込みかけていた言葉を続ける

「それとこれとは違うだろ!?」

「同じさ」

 しかし、クロスの言葉にシャリオは静かな声で応じる


 確かにシャリオの言うように、クロスは禁忌とされる存在である混濁者(マドラス)であるマリアへ想いを寄せている

 確かにそれは同じだ。だが、それでもクロスとシャリオには確かに違うことがある。――それは、その存在が認められているかということ。

 マリアは、天界王ノヴァとその妻にして十聖天の一人「アフィリア」が連名で保護し、存在することを特別に許されている。しかし対して菖蒲は、そんな保障など一切ない一介の悪魔に過ぎない。


「同じことだよ。俺にとっても、お前にとっても」

「――ッ」

 だが、クロスはマリアと菖蒲では――自分とシャリオでは、想いを寄せた相手が違うと、同じく禁忌を愛したとしても同じではないとは言えなかった

 何故なら、シャリオが見せたその目は、それを分かった上で自身の禁断の想いを受け入れた強く揺るぎない覚悟を秘めたものだったのだから

「どうする? このことを上に報告するのか?」

 シャリオの口から告げられた言葉に、クロスはその目をわずかに険しいものに変える


 この世界の法律では、特に全霊命(ファースト)は多種族との恋愛を禁忌としている。それに違反すれば、間違いなく極刑に処されることになる

 現在、シャリオと菖蒲の間に明確にそれを証明する証拠――例えば肉体関係などは見受けられない。異なる神能(ゴットクロア)同士では、契りによる共鳴はできないためそこから知られることは無いだろうが、それでも現状が望ましいものではないのは間違いなかった


「……俺は、何も聞かなかった」

 それが、しばらくの間思案したクロスが沈痛な面持ちで発した答えだった


 報告すれば、間違いなくシャリオは極刑に処される。かといって、菖蒲を殺すこともクロスの実力的に難しいだろうし、何よりシャリオが許さないだろう

 つまり、シャリオを死なせないために、今のクロスにできるのは、この話を聞かなかったことにして黙殺することだけだった


「悪い。脅すようなことをして」

 苦渋の決断を下したことがありありと分かる渋面を浮かべたクロスに、自身の命を盾にしてまで親友に黙殺を求めたシャリオは小さく笑いながら言う

 クロスがそうだったように、シャリオもまた親友であることを理由に、想いを寄せる菖蒲といるために苦渋の判断を下したのだ

「くそ……ッ」

 こうなることが分かっていたであろうシャリオへと視線を向けたクロスは、菖蒲の許へと戻っていくその姿を見送りながら、強く拳を握りしめる

(なんでこんなことになっちまったんだよ……)


 本来なら何が何でも止めるべきだ。異なる種族同士の愛情など、双方にとって不利益なことしかないことは、これまでの歴史が何よりも雄弁に物語っている

 クロスのこの対応は、単なる問題の先送りでしかない。だが、だからといって強固な手段に出れば、シャリオが天界を離反したり、異なる種族同士の愛情を容認する意思を示している十世界へと行ってしまうのではないかという懸念が、クロスに二の足を踏ませた



 それからも、シャリオは折を見ては菖蒲の許を訪れ続けた。クロスはそれを知っていながら沈黙を守り、ティファやマリアにもその事実を伏せ続けた

 しかし、クロスは嘘があまり得意な性分ではない。そのために、クロスを誰よりもよく見ているマリアとティファは、何か隠しているその様子を不安そうに見守っていた


 そして、シャリオが菖蒲へと会いに行っていることを知ってから三年の月日が流れた



「……よし」

 そして、待ちわびたその日(・・・)が訪れた時、クロスは純白の翼を羽ばたかせて天界王城を後にするのだった



「今日は一人なのね」

 いつもと同じ時空の狭間に立っていた菖蒲は、背後に降り立ったクロスに肩ごしに視線を向けて微笑む

「ああ。あいつは仕事だ」


 クロスやシャリオのように実力的に高くない天使に仕事が回ってくることは少ない。そして、同期で実力が拮抗しているクロスとシャリオは同じ任務をこなすことが多かった

 そしてこの日は、シャリオが他世界へと赴く任務をこなし、クロスがフリーになるという、滅多にない日だった


「場所を変えましょうか」

 待望していた時と共に訪れたクロスのおおよその目的を理解したティファは、静かに微笑みかける



「友達想いなのね」

 無数にある浮遊大陸の一つ――青々とした緑に覆われた大地の中にある鏡のように透明な湖の前に立ち止まった菖蒲は、黙って背後をついてきたクロスに視線を背中越しに語り掛ける

「彼のことでしょう?」

「……ああ」

 菖蒲と共に足を止めたクロスは、その問いかけに話は早いとばかりに頷く

 背中越しであるため菖蒲にはわずかに見えていないだろうが、クロスの剣呑さを帯びた表情はそれだけの意思を宿していることの証明でもある

「あいつは……」

 心情的な余裕のなさがにじみ出ている重い声音で口を開いたクロスに、前にいる菖蒲からの声がかけられる

「その先は言わなくてもいいわ。そこまで鈍くはないつもり――というより、一年くらい前だったかしら、直接告白してもらったから」

 クロスの言葉を遮り、その場で向き合うように体制を変えた菖蒲は、紫紺色の髪を風に遊ばせながら微笑を浮かべる

「あの野郎」

 その話を聞いたクロスは、この場にいないシャリオへと意識を向けて苦々しげに言う

 小さく発せられたそれは、決して褒めているような響きではなく、嫉妬から出ているようなものでもない。むしろ、その行動に対する反感や憤りが強く表れているものだった

「あんたは、どうなんだ?」

 その至極当然の反応を涼しい顔で見つめていた菖蒲は、クロスが問いかけられて目を細める

「もちろん、丁重にお断りさせてもらったわ」

 「告白を受けてどうするのか? あるいはどう答えたんだ?」という意思を孕んだクロスの問いかけを受けた菖蒲は、その時の答えを思い返しながら言う

「それは、あんたが悪魔だからか? それとも一人の女としてか?」

「両方……かしらね」

 その答えを聞いたクロスは、安堵の混じった息をついてから改めて菖蒲に向き直る

「なら、あいつの想いを断ち切ってやってくれないか?」

「どうやって?」


 菖蒲の言を信じれば、シャリオはすでに一年前にすでに告白し、ふられていることになる。だが、クロスが知る限り、シャリオは時間があれば今でも毎日ここへ――菖蒲の許へ来ている

 それは、シャリオが菖蒲を諦めていない証拠。良くも悪くも、その想いが頑ななものであることの証明と言えるだろうが、もちろんそれはクロスとしては歓迎すべきことではない。

 そして、そんなシャリオの想いを断ち切るためには、当人である菖蒲に何とかしてもらうのが最良だというのはクロスにも分かる。――そう。クロスは今日、菖蒲にシャリオを拒絶してもらうための交渉に来たのだ


「例えば、素っ気なく突き放すとか、冷たくあしらうとか……」

 シャリオに諦めてもらうために、菖蒲に強く、明確に拒絶することを依頼する


 それができれば、シャリオが身を引く決意をする可能性が高まる。そして、その意思が明確ならば、クロスとしても今以上に強くシャリオを止めることができるようになる

 これは、そのための依頼だった


「悪いけれどそれはできないわ」

 しかし、そんなクロスの言葉を聞いた菖蒲は、小さく首世を横に振って静かな声で否定する

「確かに彼のことを思うなら、そうするのが一番でしょうね」

 その理由を問いかける前に口を開いた菖蒲は、クロスの言葉の意味を理解しながら静かで寂しげな視線を向けて微笑む


「でも残念ながら、私は自分が嫌われてまで彼のために行動してあげられるほど、親しくないもの」


 クロスが言うように、シャリオの事を思うならば菖蒲が強く拒絶すればいい。天使と悪魔が想いを寄せ合っても双方にいいことがないのは明白な事実なのだから

 だが、現状はあくまでもシャリオが一方的に菖蒲に想いを寄せている状態。そして勝手に(・・・)やってくるシャリオのためを思って行動する義理は菖蒲自身にはなかった


「いいのか?」

 「自分には関係ない」という意味に加え、「本当にシャリオのことを思っているならば、あなたが殴ってでも止めればいいでしょう?」という声が聞こえてきそうな菖蒲の言葉にクロスは顔をしかめる

「たまにくる彼をあしらう程度なら、苦でもないわ。むしろ、退屈しのぎにはいいくらいだもの」

 そんなクロスの問いかけを受けた菖蒲は、小さく肩を竦めて微笑と共に答える

「そういえば、聞いてなかったな。なんでずっとこんなところにいるんだ?」

「本当に今更の疑問ね。まあ、それが妥当かもしれないけれど」

 その時、ふと思いついたように尋ねたクロスに、菖蒲は苦笑を浮かべると、その目を細めて慈愛に満ちた寂しげな瞳で世界を見渡す


「――ここは、息子が眠る場所だから」


「……」

 仮初の世界に吹く風に身を任せ、紫紺の髪を揺らす菖蒲がみせる表情を見たクロスは、その言葉が偽りでないことを見て取り、そしてそれ以上の追及はせずに口を開く

「あんたにとって、ここがどれだけ大切で、シャリオ(あいつ)のことがどれほど価値があるものなのかは、俺には分からない」

 菖蒲の事情を了承したクロスは、自身の親友が想いを寄せる悪魔に天使としてでは無き、一人の友として真摯に語りかける

「でも俺にとっては、あんたが大切なものよりもシャリオの方が大切だ」

 クロスの言葉に込められたシャリオを思う友情(気持ち)を正しく受け取った菖蒲は、微笑を浮かべて微笑む

「素敵なお友達なのね」

 それを当然だと思っているのか、あるは照れ隠しなのかは分からないが、菖蒲の言葉を黙殺したクロスは、その場で身を翻す

「もうあいつに嫌われてくれとは言わない。でも、せめて、あいつに希望を持たせるようなことはしないでくれ」

 本来は悪魔(菖蒲)と交渉するようなことをすることさえ不服だったのだろう。要件は済んだとばかりに背を向けたクロスはそう言い残して空へと舞い上がっていく

 一点の陰りもないその純白の双翼から零れた白羽が形を失って世界に溶けていくのを横目で見る菖蒲は、時空の門の中へと消えていくクロスの姿を見届ける


 一度告白に失敗しているはずのシャリオが未だに自分の許を訪れる理由は、まだ諦めきれていないからというのは菖蒲にも分かっている

 告白をしたあの時以来、そのような言葉をシャリオは一度たりとも発していないが、その心の中に光と闇の全霊命(ファースト)が思いを寄せ合うことに菖蒲(自分)が抵抗を抱いているという考えがあるのは間違いないだろう

 事実、クロスにも告げたように菖蒲はシャリのことは異性として愛していないが、好意はある。少なくとも純粋に好意を告げてくれていることへの好感はあった

 そしてクロスが最後に求めたのは、そんな菖蒲の態度がシャリオに「もしかしたら自分の気持ちを受け入れてくれるのではないか」という禁忌の期待を抱かせないようにすることだ


「そうね」

 クロスが姿を消した時空の門が閉じるのを見送った菖蒲は、いつもと変わらぬ狭間の世界の空を瞳に映してその目を細める

 一人独白した菖蒲の声は、狭間の世界に吹き抜ける風にさらわれて、一面に広がる青い空の中へと吸い込まれていった





「クロス」

 菖蒲と言葉を交わしてから数週間後。いつものように、天界王城の中にある特別区画――マリアの居住区にいたクロスは、自分を呼ぶ声につられて意識を覚醒させる

「なんだ?」

「もう」

 うわの空で話を聞いていなかったクロスの反応に、その声の主であるマリアは呆れたように言う

 しかしそれは今に始まったことではない。いつの頃からか、クロスは時折心ここにあらずといった様子で物思いにふけることが多くなっていた


 どちらかと言えば直情的で行動派のクロスがそのようなことをしていることを内心で案じていたマリアだったが、それを訊ねてもクロスから返ってくる答えは「なんでもない」という一言だけ

 どう見ても何でもないはずはなかったが、マリアはそれを追求することができず、同じくクロスの様子を訝しんでいたティファと共にその様子を見守っていた


「近々、アース様達四聖様が筆頭となって、大規模な出撃があるそうですね、という話です」

「そうなのか? 兄貴とそういう話はしないからな」

 乙女二人とするような話とは思えない色気に欠けた話題ではあるが、クロス達にとってこれはいわば、天気を語り合うような社交辞令的なものだ

 また同時に、マリアが天界王城に軟禁されているということもあって、必然的に話題は城内でのことが多くなってしまうのはある意味で仕方がないことでもあった

「相変わらず、お兄さんに劣等感を抱きまくってるのね。アース様を尊敬しているのに、一緒に戦えない自分が嫌でひねくれてるなんて」

「んなんじゃねぇよ」

 やや素っ気ない口調で答えたクロスに、ティファは意地の悪い視線と共にからかうような口調で言う

 本人は否定しているが、ティファの言葉に答えたやや不機嫌そうなその声音からは、その指摘が満更間違ってもいないことが見て取れた

「はいはい」

 それを指摘しても、より頑なな反応が返ってくるだけで、下手をすればクロスの気分を害してしまうかもしれない。

 クロスに想いを寄せる身としてはそんなことをするつもりのないティファは、あくまでも冗談でその不服そうな声を軽く流す反応を軽く流すことで、話を終える

「で、それって確かなの?」

 その話の真偽を確認する意図の言葉をティファに振られたマリアは、その話をした根拠を述べる

「そういう話を偶然聞いてしまっただけですから」

「ふぅん……それにしても、そんな大規模な出撃なんて珍しいわね」

 マリアの言葉を聞いたティファは、どこか腑に落ちない様子で思案気に言う


 基本的に四聖天使は、この天界王城に控え、天界王を守るのが役目だ。必要とあらば部隊を率いて出撃することはあるが、四人全員が動くことなど滅多にない

 それこそ、一定規模以上の戦争や、それに発展しそうな事案を強制的に鎮圧するような目的でしか行われない、大聖伐とでもいうべき戦力投入だ


「それ、どこに行くとか聞いてたか?」

 マリアとティファのやり取りを聞いていたクロスは、不意に嫌な予感に見舞われて訝しげに問かける


 当然その脳裏によぎるのは現在も禁断の想いに焦がれている親友――シャリオの事。混濁者(マドラス)をはじめ、そういった禁断の存在を滅ぼす際には、時に過剰ともいえる戦力を投入することがある

 それは、神に列なり、神に最も近い存在としての矜持によるもの。特に九世界の八種の全霊命(ファースト)のリーダー格にある天使にはその傾向が強くあることがクロスの不安を後押ししていた


「ごめんなさい」

 しかし、その答えに対するマリアの答えは簡潔なものだった、監禁状態に近いとはいえ、天界王城でくれしているマリアならばそういった情報を得ることができる

 だが、あくまでも小耳にはさんだ程度。そういった情報の正確なところを知る由はなく、求めたとしても教えてもらえる道理はない

「そうか」

 マリアのそれがおよそ予想していた通りの答えでありながら、肩を落とさずにはいられなかったクロスの口から無意識に零れた声は、目に見えてわかるほどの脱力感に彩られていた



「ったく、どうすんだよ……」

 日課となっていると言ってもいいマリアへの顔出しを終えたクロスは、その金色の髪をかきながら天界王城の本殿を後にする


 その胸中に渦巻くのは、マリアの言葉によって煽られた不安。未だに悪魔(菖蒲)の許へと足しげく通っているシャリオの事だった

 一度告白して振られているにも関わらず、諦めることなく通っているのはそれだけシャリオが本気だということだ。


《――ここは、息子が眠る場所だから》


(悪魔の上に、死んでるかもしれないとはいえ、子持ちで男持ちって……あいつ、どういう趣味してやがんだよ)

 菖蒲の言葉を思い出したクロスは、内心で親友(シャリオ)に毒づきながら歩を進める


 あの場には菖蒲しかいなかった。その言葉から息子の方が確実に他界しているだろうし、夫の方もあの場所にいなかったことを考えると死んでいる可能性は高い

 多夫多妻制を敷き、永遠に老いることなく最盛期の身体のまま生きることができる全霊命(ファースト)にとってそのようなことが恋愛の障害になることはないが、悪魔との禁断の愛に身を焦がしているシャリオのことを思えば、クロスとしてはそんな意味のない八つ当たりもしたくなるというものだった


「クロス」

 その時、背後から自分を呼ぶ声に足を止めたクロスは、そこにいた人物――ティファの方へと向き直る

「なんだよ」

 シャリオの姉であるティファは、今のクロスからすれば、話しかけにくい人物でもあった。

 今シャリオのことを聞かれたら何と答えるべきかという懸念がよぎる中、ティファは何かを口に出そうとするそぶりを数度見せるが、結局それを呑み込んでしまう

「なんでもない」

「――……」

 小さく頭を振ったティファが自分の隣に並んだのを見たクロスは、それが「歩きながら途中まで行こう」という意思であることを察して無言で歩を進める


 そして、シャリオのことを隠しているという後ろ暗い事情がある現状ではもちろんの事、クロスにはティファと接する際の躊躇いがあった

 クロスはどちらかと言えば鈍い方だが、決して愚鈍というわけでもない。つまるところ、ティファが自分に向けている感情の正体を知っていた。

 最初は「もしかしたら」程度の予感に過ぎなかったのだが、シャリオからこっそりと聞かされたことでそれは今では確信に変わっている


 マリアに行為を抱いているからと言って、世界の法律的にティファの好意を受け入れられないというわけではない。

 だが、それでもクロスにとってティファは親友の姉であり、気の置けない友人という立場に変わりはなかった。そしてもう一つ――


(……そう言えば)

 ティファが横に並んだことで、若干の気まずさを抱くクロスは、不意にその原因となっている過去の出来事を思い出していた


《あんまり、あの子と仲良くなりすぎるのは良くないんじゃない?》


 一からティファが自分に好意を寄せてくれていたのかをクロスは知らない。

 しかし、マリアを紹介したときに躊躇いながらも告げてきたその言葉は、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)混濁者(マドラス)を忌避する天使としては当然の物であり、マリアに好意を寄せるクロスには許容できないものだった

 それに対して、少しばかり新楽な態度を返してしまったことに対する罪悪感とばつの悪さが、クロスがティファに気後れする要因だ


(そうか。あの時、ティファはこういう気持ちだったんだな)


 当時は分からなかった感情が、自分の身になったことで身に染みて実感できるようになったクロスは、隣を歩いているティファに問いかけてみたい気持ちに見舞われる


 お前は、どうやって禁忌(マリア)と自分に対する気持ちに折り合いをつけたんだ――?


(なんて、聞けるわけないか)

「……なに?」

 喉まで出かかった言葉を呑み込んだクロスの視線に気づいたティファが、軽く首を回して微笑みと共に問いかける

 その頬には決して気のせいではない朱が差しており、クロスは女の色香に濡れたティファの瞳から逃げるように視線を逸らす

「いや、なんでもない」

「ふぅん、そうなんだ……」

 クロスの素っ気ない答えを聞いたティファは、その横顔を見つめながらふと思いついたように悪戯じみた笑みを浮かべると二人の間の距離を一層に縮める

 ほとんど触れる様な――まるで肩を寄せ合っているような距離まで近づいてきたティファに、クロスは怪訝そうに眉を寄せる

「なんだよ?」

「なんでもない」

 じゃれるような弾んだ声で答えるティファは、決して距離を取るようなことをしないクロスの気配を知覚と、なりより近くの肌で感じてその表情に艶びた色香を浮かべる

 この距離が自分を受け入れてくれている――少なくとも拒絶したりしている者ではないことを確かに実感しているティファは恋する乙女の心持で、想い人と二人きりの時間を堪能する

「なら、もう少し離れて……」

「いつも通りでしょ?」

 照れているのか、小声で囁くクロスの意見を却下したティファは満足気に微笑む

(いつも通り、か)

 ティファが他意なく行った言葉を、クロスは内心で噛みしめるように反芻する

 その言葉の通り、これまで積み重ねてきた自分とマリア、シャリオとティファの四人の時間がずっといつまでもいつも通りに続くことをクロスは祈らずにはいられなかった





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