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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
170/305

正義の咎罪1






 十世界冥界総督「真紅」の持つ神器「界棋盤(ドゥアル・スヴァラ)」によって作り出された摩天楼の立ち並ぶ異空間。その世界の理さえをも持主(真紅)に掌握される世界の一角で、二つの光が激しくせめぎ合っていた

 神速の軌跡を描き、接触しては離れることを繰り返す二つの純白の間に無数の白流星が乱舞するそれは、神聖なる光の攻防。しかしそれは、命を奪い合う戦いでありながら――否、あるいは命を奪い合う純然たる戦いだからこそ、一点の曇りもない生命の輝きを宿しているかのように見えた


「――ッ!」

 天に光の天球を描く二つの白光の一つ――大剣を手に、純白の翼を羽ばたかせるクロスは自身に向かって降り注ぐ白い流星を回避しながら、その先にいる人物を見据える

「どうしたクロス? お前ちょっと弱くなったんじゃないか?」

 クロスが大剣から放った光力の斬撃を迎撃した相手――短くした金色の髪に、純白の一対二枚の翼を持つ天使――「シャリオ」は、相殺した鍔のない剥き出しの刃そのものの形状をした両刃大剣から伝わってきた感触のままに言う

(こいつ、前よりも格段に強くなってやがる……!)

 シャリオから向けられた言葉に、歯噛みしながらクロスは内心で毒づいて全霊の光力を解き放つ

「だんまりか? 釣れないな……俺達は、親友だろ?」

 クロスの沈黙に口端を吊り上げて言い放ったシャリオは、その効力を纏わせた大剣を振るい純白の翼を羽ばたかせる

 それを自身の大剣で受け止めたクロスが顔をしかめたのは、その刃に宿った光力から伝わってくるシャリオの意志を知覚で受け止め、伝わってくる力の強さからだけではなかった


 クロスはシャリオのことをよく知っている。否、シャリオとクロスはある事件があるまで親友だった(・・・・・)。先ほどの親友という言葉は、おそらくはすでに道を違え、決別してしまった自分達のことを暗に皮肉で述べたに過ぎない

 クロスにはシャリオが十世界に所属する理由が手に取るように分かる。そして、その目には十世界の理念とは別に、自分に向けられるやり場のない憤りが宿っていることもまた、否応なく感じ取っていた


「どうした!? 力に迷いが見えるぞ?」

 そんなクロスの後ろめたさを感じ取っているように、シャリオは刃越しにその視線を向ける

「俺は、お前と戦いたくない」

「分かるだろ!? もう、俺達は引き返せないんだ!」

 迷いを隠せないクロスの光力とは対照的に、一点の曇りもない純白の意志が込められた光を宿す刃を振るうシャリオの双眸に宿るのは、憎悪ではない

 しかしそれは、世界への――そして、クロスへの怒りであり、十世界に所属する者としてではなく、シャリオという一人の天使としての心が剥き出しにされたものでもあった

「シャリオ。お前は……俺を殺したいのか?」

 しばらく会わない内にシャリオは強くなっていた。おそらく、万全の状態であってもクロスの方がわずかに不利なほどに強さを増している

 ただでさえ不利なその状況下にあって、かつての親友が向けてくる感情に戸惑うクロスの心の揺らぎは、力の発現に如実に影響を与え、せめぎ合わせている刃が軋むように悲鳴を上げていた

「どうだろうな……ただ」

 その言葉に、初めてその眉をわずかにひそめたシャリオは、硬質な金属音と火花、激しい力と相殺された光力の光が接触する音を立てせめぎ合う刃越しにクロスを見据える

 シャリオは、クロスと道を違えた。だが、その根底にあるのは憎悪ではないのかもしれない。明確な殺意を示すことはなく、しかしシャリオの瞳に爛々と宿る敵意は微塵も翳ることはなかった

「お前を、否定したいんだ」

 その言葉と共に、シャリオが全霊の光力を乗せた斬撃を力任せに振りぬくと、その力に耐え兼ねてクロスの身体が後方へと吹き飛ばされる

「――ぐ……ッ」

 元々その心が揺らいでいてこともあったのだろう。シャリオのその一撃によって、クロスの大剣の刃が欠け、存在そのものが傷つけられた痛みが直接魂の根源へと響いてくる

 咄嗟に純白の翼を広げて体勢を立て直し、口端から零れた血炎を手の甲で無造作に拭ったクロスは、自分へと硬質で、頑なな視線を向けいるシャリオを見て、自嘲するように言う

「ちょっとばかり、分が悪いな……」

「――……」

 そんなクロスを睥睨するシャリオは、道を違えたかつての親友の瞳に浮かぶ感情を見定めようと、その視線をまっすぐに受け止める


 シャリオの瞳に映るクロスに重なるのは、決別の日のクロスの姿。罪の意識に苛まれ、言葉にならない声を噛みしめるその姿は、もしかしたら他人の目には最も大切なものを失った自分よりも傷ついているように見えていたかもしれない

 頭ではクロスが悪くないことは分かっている。だが、何が悪かったのかは分からない。ただ一つ言えることは、あれから長い長い時を経ても尚消えることのない自分の怒りが、クロスの――すべてにあるということだけだ


「なぁ、クロス……聞いてくれるか。俺は、お前に嫉妬してるんだよ」

「……!」

 大剣に光力を注ぎ込みながら、ポツリと零れたシャリオの言葉にクロスは息を呑んで目を瞠る

 その瞬間、純白の翼の羽ばたきと共にシャリオの姿が消失し、神速でクロスへと肉薄しながら神聖な光を帯びた斬撃を放つ

 その一撃を受け止め、魂の髄にまで響く衝撃に顔を歪めたクロスに、シャリオはまるで自分を責め立てる様に言う。事実その顔はクロスへの怒りや憎悪よりも、自分自身に向ける嘲笑の方が強いように感じられる

「みっともないと思うか!? みっともないだろう!?」

 答えを求めているとも、すでに自分で自分に答えを下しているとも取れる言葉を述べ、神速の斬撃を乱舞させるシャリオの攻撃をさばくクロスは、その一撃一撃に込められた強い感情に圧倒され、半ば引き摺られるように体勢を崩す

「クロス! どうして、俺とお前はこんなに違うんだ!?」

 純白の光が宿った横薙ぎの一撃が、その威力のままにクロスの魂の髄を響かせ、まるで魂を直接殴られたような鈍痛と共に吹き飛ばされる

「――ッ!」

「『菖蒲(あやめ)』は死んだ! なのに、お前は今もマリアと生きている」

 身の丈にも及ぶ大剣から放たれる白光の斬撃の余波が、クロスの身体を呑み込み、その威力と共に光力に込められたシャリオ自身の意志が伝わってくる

「同じ禁忌を犯していながら(・・・・・・・・・・)、俺とお前で何が違う!? 菖蒲とマリアで何が違うんだ!?」

 それは、シャリオがクロスに抱く想いを簡潔に示す心からの慟哭だった

「――ッ」

 シャリオの言葉の意味が痛いほどに分かるクロスは、刃を交える友の姿に否応なく自分を重ねてしまう


 何か一つ違っていれば、今のシャリオが自分であったかもしれないことをクロスは誰よりも分かっている。

 もしかしたら、シャリオと自分が何も違わないことを――その姿が、未来の、あるいは今の自分であるのかもしれないことをクロスは分かっていた


「どうして俺がお前の位置じゃなかったんだ!? どうして菖蒲とマリアの位置が逆じゃなかったんだ!? ――どうして、俺達は二人とも幸せになれなかったんだ!?」

 その心のままに思いを吐露したシャリオが放つ神速の乱斬を自身の大剣で捌くクロスは、その威力以上に心に響いてくるものに歯噛みする

 シャリオの言葉は、クロスにとっても同じもの。今、シャリオと刃を合わせるクロスは、「友」とある意味における「自分自身」という二つのものと相対していた


 そして、だからこそクロスには誰よりもシャリオの気持ちが分かってしまう。親友であり、自分自身、そして自分とマリアが重なってしまうことで、クロスはその心を揺らがせてしまう

 そして、全霊命(ファースト)が振るう力――神能(ゴットクロア)はその意思によって力を顕現させる。揺らいだその心を表すように、揺るぎない想いを抱くシャリオの一撃を受け止めるクロスの大剣は、その力と心に押し負けて刃毀れしてしまう


「く……ッ」

 戦意そのものが形をとった武器は、刃毀れという形であっても破損することでその存在――魂そのものにダメージを与える

 刃が欠けるたび、純然な霊の力そのもので構築された身体と、魂に亀裂が入る様な痛みがクロスを襲い、その口端から血炎が零れる

「どうした、クロス!? 菖蒲を殺したあの時(・・・)みたいに、俺を否定してくれよ」

 砕けたクロスの大剣の刃が形を失って光力の残滓となって世界に溶けていく中、シャリオは純白の光を纏わせた斬撃を最上段から叩き付ける


 シャリオは、クロスを恨んでいるわけではない。だが仮にこれが的外れだと言われようと、八つ当たりだと罵られようと、逆恨みだと軽蔑されよと、シャリオには今クロスに刃を向けるしかない状況があった

 どれほど頭でわかっていても、心が認めることができない。十世界に入っても、大切な人を失った心の穴を埋めることなどできないのだから


「なぁ、もしお前が俺の立場だったら、お前は俺と同じことをしたか?」

 最上段から袈裟懸けに振り下ろした斬撃を、結界と重複させた大剣の刃で受け止めたクロスの耳に、シャリオの言葉が届く

「もし俺がお前の立場なら、俺はお前と同じことをしたと思うか?」

 相殺し合う二つの純白光と、せめぎ合う刃が散らす火花の中、問いかける様なシャリオのその言葉に、クロスは歯噛みする

 結界と刃越しに伝わってくる力の圧力と、心から直接抉りだされる苦痛を噛みしめるクロスは、シャリオの言葉に返す言葉もなかった

(違うんだ、シャリオ。俺は――)

 心の中で声にならない声で訴えるクロスの言葉は、シャリオに伝わることはない――否、あるいは分かっていた上でその刃を振るっているのかもしれない

 最上段から極大の白光を吹き上げるシャリオの斬撃は、今にもクロスを両断トせんとばかりに結界にその刃を食いこませている

「どうした? 答えてくれよ」

 クロスの結界に食い込ませ、大剣の刃に自身の武器の刃を食いこませたシャリオは、低く抑制した言葉で決別した友へとやり場のない感情を吐露する

「俺からは菖蒲を奪っておいて、お前はマリアと幸せになろうと思ってるのか……!」

「――ッ!」

 まるで血を吐くような思いが込められたその言葉と共に、シャリオの刃が揺らいでいたクロスの意志と共にその結界と大剣の刃を両断する

「が……ッ!」

 硬質な金属音と共に大剣の刃が両断され、その勢いのままに袈裟懸けに斬り裂かれたクロスは傷口から真紅の血炎を吹き上げ、翼から飛び散った純白の羽をまき散らす

(俺は、ただお前を……)

 シャリオの刃に斬り裂かれたクロスは、体勢を崩して赤の炎に包まれながら白の光に包まれながら落下していく


 徐々に遠ざかっていく視界に映るシャリオの姿を霞む瞳に映すクロスの脳裏には、その瞬間まるで走馬灯のように過去の記憶が鮮明に甦っていた

 かつてかけがえのない親友として共に戦い、切磋琢磨した日々が次々に駆け抜け、そして次に思い返されるのは決別の日の事

 菖蒲を失い、激昂したシャリオに胸倉を掴みあげられた時に見た今にも泣き崩れそうなその表情。そして、肩にかかるほどの長さの紫紺色の髪を持つ優しげな容貌の女性――シャリオのために、クロスが殺した親友の想い人の笑顔


(守りたかったんだ)


「これが、お前の答えか?」

 落下を始めるクロスの姿を睥睨し独白したシャリオは、友を切った感触を確認するかのようにその視線を大剣の柄を握る手へと向ける

 小さな声で独白したシャリオの声と瞳には、仇を討った達成感や充足感など一切感じることはできず、むしろ自分がその刃に斬られたかったかのような、哀愁に満ちた憐憫の色が浮かんでいた


(俺は、ただ……守りたかっただけなんだ)


 身体から離れたことで神能(ゴットクロア)で構築された白羽は形を失い、純白の光力の粒子となって世界に溶けていく

 その中を声を出すこともできずに落下していくクロスは、まるで炎にやかれているのではないかと思えるほどの血炎に包まれ、漆黒の流星――否、まるで燃え尽きた線香花火の最後の一滴のように地面に向かって落下していくのだった





「クロス……!」

 はるか遠く、知覚していたクロスの光力が一瞬で小さくなったことを知覚したマリアは、その目を限界まで見開いてその首ごと意識の全てを遥か遠くにいるその人達へと向ける

(クロス! シャリオ君――……)

 クロスが戦っている相手がシャリオであることは、知覚で分かっていた。かつて親しい友人だった二人が敵対し戦っていることに――何より、シャリオと戦わなければならないクロスの心情を慮れば、マリアの心は刃で切り刻まれる様な痛みを覚えてしまう

 そして、今知覚に伝わってくるクロスの力は、弱々しく揺らいでいた先ほどとは決定的に違う形で弱くなっている。それが、クロスの存在に大きな損傷が与えられたこと――すなわち、死が近づいている状態であることが分かるマリアは、想い人の命がこの世界から消えてしまいそうになっていることに、一瞬我を忘れてしまう


 そしてそれは、当然現状のマリアにとっては、決定的に致命的なことだった


「――ッ!」

 一瞬――しかし、時間と空間を超越する神速を体現する全霊命(ファースト)にとっては、あまりにも長すぎる時間失念してしまったマリアの頬を漆黒の鋼糸が掠めていく

 紙一重で黒糸を回避し、頬に一条の傷痕をつけたマリアが我に返った瞬間には、すでに複雑に絡み合って檻のような形を成した黒鋼糸で逃げ場を塞がれてしまっていた

「しまっ……」

 さながら虫取り網に囚われた蝶――というよりは、投網に絡めとられた鳥のような状況になっていることに気づいて息を呑むマリアに、黒鋼糸の檻は容赦なく絡みつく

「っ、あああッ!」

 それそのものが刃のように鋭利な黒糸に絡めとられたマリアは、その柔肌を切り刻まれる痛みに、苦悶の声を上げる

 陶器のように滑らかな白い玉肌に食い込み、二対四枚の純白の翼を無惨に切り裂く黒糸によって傷つけられ、マリアの身体は真紅の血炎に包まれる

「最後はあっけない幕切れでしたね」

 自身が操る黒糸によってマリアを絡めとった人物――十世界冥界総督補佐「夜死(イエス)」は、死神の証である三つの目を切なげに細めて淡々とした口調で言う

 敵を倒した喜びも、命を奪う哀切もなく、まるで作業のように命を奪う者の硬質な冷瞳で捉えた天使(マリア)を見据える夜死(イエス)は、自身の武器である暗器の黒糸を生み出すドレスグローブに似た常時顕現型の霊衣に覆われた手を軽く握る


 その動きに合わせて、凶器たる黒糸がさらに密度を高め、まるで繭のようにマリアの姿を呑み込む

 さながら、黒い太陽のように黒糸の檻が凝縮された瞬間、さらに血炎が吹き上がり刃に等しい切断力を持つ鋼糸によって切断されたマリアの純白の翼の一つが、その形状を失いながら地面に向かって落下していく


「――!」

 斬り落とされたマリアの翼が消滅しながら落下していく様を無機質な視線で見ている夜死(イエス)には、歓喜の色はなく、むしろその三つの目をわずかに細め、剣呑な色を浮かべていた

「ふぅ、紙一重だったね。空間転移ができなくて移動するしかないから、大貴君の所へ行くためにたまたま通りがかっただけだったんだけど、通り道に近くてよかったよ」

 鋭く細められた夜死(イエス)の視線の先に映るのは、マリアを捕らえ呑み込んでいた黒糸の繭が反対側から巨大な黒い刀身によって貫かれている様だった

「まぁ、結果オーライってことで」

 その刀身に帯びる魔の闇――「魔力」に、夜死(イエス)がわずかにその表情を強張らせた次の瞬間、黒い刀身が奔り、黒糸の繭を切り刻む

「……!」

 その向こうから現れたのは、槍の柄に、身の丈にも及ぶ両刃大剣の黒刀身を持つ大槍刀を手にした黒髪近眼の悪魔「神魔」と、四枚の翼の内一枚を欠損し、全身から血炎を立ち昇らせる傷だらけの天使マリア

「神魔さん……」

「大丈夫ですか?」

 その身に決して小さくない傷を負いながらも、微塵も翳ることのない覇気を纏い、純然たる殺意を暗黒色の魔力に乗せる神魔は、傷ついたマリアへと一瞥も向けることなく夜死(イエス)へと自身の武器である大槍刀の切っ先を向ける

「どうやら、あっちも面倒なことになってるみたいですね」

 神魔のその言葉が何を意味しているのかが分かっているマリアの美貌には、想い人を案じる隠しきれない不安の色が浮かんでいた

(予想以上に早かったですね)

 マリアと戦いながらも、近くを通る神魔を知覚していた夜死(イエス)は、その三つの目を剣呑に細めて心中で呟く

 乱入してきた神魔の身体には、激戦をしてきたことを物語る傷が刻まれているが、血炎を立ち昇らせるその姿からは、全く弱った様子を感じない

「……あなたのお相手の方は倒してこられたのですか?」

 自分がここにいることが答えそのもの――分かりきったことをあえて訊ねてきた夜死(イエス)の言葉に、神魔はわざとらしく肩をすくめてみせる

「殺してはいないけどね」

 そう言って目を細める神魔は、一瞬だけその意識を遠く――少し前まで自分が戦っていた相手である「ラグナ」がいる場所へと傾け、即座に半殺しの状態で捨ててきた堕天使から目の前の女死神へと意識を集中させる

「そうですか」

(多少手負いでしょうが、なるほどかなりの実力者ですね……)

 神魔から放たれる魔力を知覚する夜死(イエス)は、その神能(ゴットクロア)の量と質から、眼前の悪魔がマリア以上に危険で油断のならない人物であることを見透かして警戒心を強める

(さて、どうしようかな?)

 しかしその一方で、新間もまた難しい判断を迫られていた


 知覚から伝わってくる光力の波長から見て、クロスがはるか遠方で死に瀕するような大きな損傷を負ったことは間違いない。

 しかし、マリアも四枚の翼の内一つを欠損するほどの大きな傷を負っている。このままではいつクロスの命が失われるかは分からないのだが、この場を離れれば、マリアが夜死(イエス)に殺されてしまうかもしれない


(全く。僕が天使の生死でこんなに悩まされるなんて……長生きはしてみるものだね)

 悪魔である自分が、本来敵対する相手である天使の命を案じていることに、神魔は自嘲を浮かべる

(さて、どうするかな)

 瀕死のクロスと、重傷を負ったマリアを天秤にかけ(・・・・・)、神魔は両方を助けるための障害となる眼前の敵――夜死(イエス)を見据えて思案を巡らせる


「神魔さん、クロスの方へ行ってください。ここは、私一人で大丈夫です」

 そんな逡巡を見透かしたかのように、神魔と夜死(イエス)に交互に視線を配ったマリアは、神妙な面持ちで口を開く

「……!」

 その言葉に、小さく目を瞠った神魔は黒糸を操る夜死(イエス)から意識を逸らさないようにしながら、視線だけをマリアに向ける

 その視線をまっすぐに受け止めたマリアの瞳には、自身の言葉に対する強い決意をはっきりと見て取ることができた


 確かに、クロスとマリアを比べれば重症なのはクロスだ。しかし、翼の一つを斬り落とされたマリアも決して軽い傷ではないし、再び一対一になれば夜死(イエス)に殺されてしまう可能性を拭いきることはできない

 それが分かっている神魔は、しかし時間がないことも相まってその視線をあえて夜死(イエス)に戻してから、マリアに問いかける


「僕が彼女と戦っている間に、マリアさんがクロスを助けに行くのがいいと思うんですけど? 天使同士だし、治癒の力も使えるんですから」

 それは、至極当然の理屈だった。今は、光魔神(大貴)の護衛の名目で行動を共にしているが、本来天使と悪魔は相容れることのない不俱戴天の仇

 天使だから、悪魔だからという理由だけでクロスを嫌うつもりはないが、そういう前提の感情があることは否めず、神魔自身クロスと決して仲がいいわけではないという自覚と自負がある


 加えて、光の全霊命(ファースト)である天使は、その力を他者の治癒のために使うことができる。だが、闇の全霊命(ファースト)である神魔の神能()にはその力がない。クロスが重傷を負っていることが明らかな以上、治癒の力をもつ者が行くのがいいはずだ

 何より、クロスに想いを寄せているマリアからすれば、本来なら真っ先に駆け付けたいと思っているはずの状況。そこに自分がしゃしゃり出ていくなど、神魔としても気乗りする話ではない


「――今、クロスと戦っているのは、シャリオという天使で……クロスの親友だった人です」

 その神魔の疑問に、一瞬口をつぐんだマリアだったが、クロスを助けるためには必要なことだと判断してその意図を口にする

「時間がないので、今は二人の関係や事情は省かせてください。必要ならば、然る後に私がお答えします」

 クロスとシャリオの事情を、今長々と話していてはクロスが命を落としてしまうかもしれない。その焦燥に駆られながら、マリアは沈痛な面持ちで話を続ける

「二人は、友人の関係で私も当然面識があります。でも、クロスを助けるためにシャリオ君を殺さなければならかった時、私にはその覚悟を貫く自信がありません」

「……なるほど」

 簡潔に告げられたマリアの言葉でその心情を読み取った神魔は、感情のこもっていない無機質な声で理解を示す


 クロスとシャリオは親友。そして、当然クロスと長く行動を共にしてきたマリアもまた、シャリオと浅からぬ面識を持っている

 確かに、クロスを助けに行くならばマリアが最適なのかもしれない。だが、シャリオとクロスがマリアの想像している通りの理由で戦っていたとするならば、その前提は意味をなさない可能性がある

 当然、クロスを助けに行くならば、最悪の場合シャリオを殺すことも想定に入れなければならない。しかし、シャリオと親しく、小さくない情を移している自分がシャリオを殺せるのかという疑問が拭えない

 さらに、もしクロスに止められても、クロスのためにシャリオを迷いなく殺せるという確信と自信がマリアにはなかった


 自分の大切なもののために全てを滅ぼすことができる闇の全霊命(ファースト)と違い、クロスが一番大事であっても、必要とあればクロス(一番大切なもの)のために、それ以外を破棄できる自分自身をマリアは想像することができなかった

 だが、悪魔である神魔ならば――少なくともシャリオと何の縁もない神魔ならば、クロスを守るためにシャリオを殺してくれるとマリアは考えたのだ


(自分じゃ親しい知人を殺せないかもしれないから、無関係の僕を使って、友人を殺させるつもりってことか。得策だね)

 マリアの心情を理解した神魔は、それに心の中で一定の理解を示しつつ笑みを浮かべる


 確かに、時に知人を殺さなければならないこともあるだろう。だがその時に、友人だからと言って自分が心を痛めて手を下す必要は必ずしもない

 迷ってしまうかもしれない自分よりは、より大切に想う人を守るために、全く関係のない相手にその人物を殺してもらうというのは一つの考え方として否定されるべきものではないだろう――特に、恒常的に誰かと戦い命を奪っている全霊命(自分達)のような存在にとっては。


「私はたとえシャリオ君を殺してでも――いえ、死なせて(・・・・)でもクロスを助けたいんです」

 夜死(イエス)に注視し、そちらに視線を向けている神魔に、マリアはまるで心の中にある想いを絞り出そうとしているかのように胸の前で手を握りしめながら、凛と通る声で宣言する


 因縁浅からぬ人物を、全く縁のない人物に殺してもらおうとする後ろめたさと己の浅ましさを噛みしめながら、しかしそれでもマリアは重い口を開いて躊躇うことなく言葉を続ける

「卑怯だと罵っていただいて構いません。軽蔑してもらっても構いません。だからお願いです。どうか、どうかクロスを――」

 神魔へと紡ぐ懇願の言葉は、何よりもクロスを想い、その生を願うマリアの願いそのものだった


 マリアは自分がしようとしていることは、本来ならば、クロスと自分が殺さなけれなならない人を、全く関係のない人の手で殺めてもらおうとする卑劣な行いであることを十二分に理解している

 それをクロスが望まないことも知っている。自分がどれほど卑怯なことをしているのか自覚している。――それでもマリアは全ての汚名を甘んじて受け入れ、たとえどれほど自らを穢しても、大切な人を失いたくないという純粋な想いだけで突き動かされていた



「クロスを、助けてください」



 想いを寄せるたった一人のために、たった一つの自分の願いを叶えてほしいと、全てを捨て去り絞り出すように発せられたマリアの声は、涙に濡れているかのように震えていた





 抜ける様な青い空が広がっている。どこまでも果てしなく続いている穏やかなその蒼の下には、激しい戦火が上がっていた

 しかしその大地を焼くのは、炎ではない。暗黒と純白二つの力によってもたらされた滅びの意志の顕現。この世で最も神に近い者達の力に込められた意志が、世界の大地に滅びを振りまいているのだ


 それは世界の始まりから繰り返され、終わることなく続いてきた光景――光と闇に属する者達の、存在意義にも等しい戦い。


 時間や距離の存在すらも否定するこの世の理の全てを超越する神速で移動の軌跡さえ残すことなく天を翔け、世界をも滅ぼしうる力が込められた一撃をぶつけ合う天使と悪魔――全霊命(ファースト)同士の戦いは、熾烈を極め、その力がぶつかり合って生まれる黒と白の太陽が無数に空に瞬くその様は、白昼の星空と見紛うばかりの幻想的な美しさを創り出していた


()……ッ」

 天使と悪魔が純然たる殺意を以って命を輝かせる戦場の下――雲上に浮かぶ天空大陸の一つに、傷を負った天使がいた

「大丈夫か、クロス?」

「あぁ、悪いなシャリオ」

 肩から胸にかけて刃で切り裂かれた大きな傷から血炎を立ち昇らせる天使――クロスに、シャリオとよばれたもう一人の天使が、治癒の光を注ぎ込む

「こんな空間の狭間に、あんなたくさん悪魔がいるなんて、情報以上(・・・・)だろ……!」

 自身も小さくない傷を負っているにも関わらず、クロスを介抱するシャリオが天空を飛び交う悪魔達をもいて歯噛みする


 クロスとシャリオがいるのは、世界を隔てる空間の中に生じる、小さな水泡のような世界の一つ。様々な世界の情景を写し取り、さながらつぎはぎのように生まれるこの空間の狭間は、文明さえないのに高度な都市が存在するなど、歪な世界でもある


 そんな場所にクロス達がいるのは至極単純な理由だった。


 世界の形を定める世界最初の戦争――「創界神争」における神々の争いの果て、光の神位第一位(絶対神)である「創造神」が闇の神位第一位(絶対神)である「破壊神」を下した

 その結果、神々がいなくなった現在の九世界では、光の神に列なる光の全霊命(ファースト)が世界を主導し、その中心的な位置にある天使は、九世界と九世界の全霊命(ファースト)達の管理者のような役割を担っている


 そんな折、天使たちの世界である天界に一つの情報がもたらされた。それは、「とある狭間の世界に、悪魔が住み着いている」というもの。

 原則として全ての全霊命(ファースト)は、各々が支配する世界から他世界へと移動、移住することを禁じているため、その真偽を確認するために天界が派遣した調査隊の中に、クロスとシャリオがいたのだ



 そして、その情報源となった狭間の世界に降り立ったクロス達調査隊を待ち受けていたのは、想定以上の数と戦闘力を持つ悪魔達。

 その悪魔達との戦いによって負傷し、戦線を離脱したクロスとシャリオは治癒の光によって傷を癒しながら、仲間たちの戦闘を見守ることしかできなかった

「もう、この情報は天界に行ってるはずだ。あと少し、時間を稼げれば……」

 仲間の手師たちが悪魔と繰り広げている絶戦を固唾をのんで見守っていたクロスとシャリオの視線の先で、一際大きな爆発が起きる


 全てを滅ぼす闇の黒と、全てを浄める光の白が互いを食い合うように荒れ狂う極大の滅球に込められた純然たる殲意が仮初の空間に存在するあまねくものを滅ぼしていく

 一点の混じりけのない白と黒の対消滅から生まれたそれは、空を灼き、風を殺し、雲をかき消し、大地を薙ぐ殺意の波動が、クロスとシャリオの髪を揺らして世界の狭間の世界を吹き抜けていく


「――ッ」

 少なくとも一つの戦局に何かかが起きたであろうことを容易に推察しうるそれを、細めた目に剣呑な光を宿していたクロスとシャリオの前に、なにかが墜落する

 天を塗り潰した白と黒の力に意識を集中させていたクロスとシャリオのわずか数百メートル先に落ちたそれは、その衝撃によって砕いた天を衝く巻き上げ、砂塵をまき散らす

(この力……ッ)

 一部の隙もなく張り巡らせていた知覚は、その姿を見るまでもなく、そのばk珠発を生みだしたのが()なのかをクロスとシャリオに伝えてくる

 そう考えるが早いか、クロスとシャリオは、回復を中断して弾かれたように、それぞれの武器を顕現させる


 警戒心を露に、張りつめた緊張を感じさせる面持ちでその粉塵へと視線を向けるクロスとシャリオの視界に、その人物が姿を現す


 肩にかかるほどの長さの紫紺の髪に、花を思わせる髪飾りをつけ、腰から足元まで届くコートの裾を風に揺らめかせた全霊命(ファースト)特有の浮世離れした神々しい美貌を持つ女性

 まるで可憐な花のような優しげな風貌を持ち、霊衣から白い肩、くびれた腰、女性と母性の象徴である胸の谷間を見せるその美女は、身の丈にも及ぶ大槍を手に静かに佇んでいた


「――!」

 その女性を見て取ったクロスは、自身の傷が疼いたようにそこに手を当てる

 それもそのはず。目の前に射る紫紺色の髪の女性こそ、この戦いにおいてクロスに傷をつけた人物だったのだ

「――……」

 先程の極大の爆発で吹き飛ばされてきたことは明白だが、傷一つついていないその美しい身体は、戦場の最中にあって、荒野に咲く大輪の花のような存在感を放っていた

 自身に傷をつけた相手を前に警戒を強めるクロスとシャリオに一瞥を向けた視線を向けた紫紺色の髪の女だったが、その視線は二人にまるで興味がないかのように軽く天へと向ける

(俺達なんて、眼中にもないってことか……!)

 その様子を見て内心で歯噛みするクロスだったが、目の前の女性から放たれる魔力が自分よりも強いことを知覚して、その感情を甘んじて受け入れて噛み殺す

「そこでおとなしくしていなさい。向かってこなければ手を出す気はないわ。怪我人を相手にするのは性分ではないの」

 手にした剣の柄を握る手に力を強めたクロスとシャリオに、紫紺色の髪の女悪魔は一瞥さえ向けることなく静かな声で威圧する

 その言葉が嘘や虚勢ではないことは、その声音に含まれる硬質な響きの中に含まれる感情が物語っていた。殺意も何もない平坦で静かな声音に、息を呑んだシャリオは意を決して口を開く

「――お前達の目的は何だ?」

 自分達が支配する世界から理由なく出ることが禁じられていることを知っていながら、こんな狭間の世界に住み着いていた無数の悪魔達の目的を問いただす

 その声に空へと向けていた視線をシャリオへと向けた紫紺色の髪の女悪魔は、その真剣な眼差しを見て辟易したように息をつく

「彼らと一緒にしないでくれる?」

「?」

 紫紺色の髪の女性が言う「彼ら」が、今天使と戦っている悪魔達を指していることを察したクロスとシャリオは、その言に訝しげに眉を顰める

「私は、彼らとは無関係よ。折角穏やかに暮らしていたというのに……まったく、いい迷惑だわ」

 肩にかかる程度に髪をかき上げながら、鬱陶しげな声音で不満をあらわにした紫紺色の髪の女悪魔は、ふと視界に映るクロスとシャリオを見て、何かに気付いたような表情を浮かべてその口端に微笑を刻む

「そうだ。あなた達、私に協力してくれない?」

「なに?」

 まるで知人に話しかける様な、気楽な声で話しかけてきた紫紺色の髪の女悪魔の言葉に、クロスとシャリオの口からは疑念と警戒が半々に宿った声が零れる

 本来存在として敵対者に当たる天使(自分達)に向けるものとは思えないその声音は、ただ実力が上だからという理由で発せられるものではなく、紫紺色の髪の女性の本来の気質によるものなのであろうことを窺うことができた


「まずは自己紹介をしておくわね。私は『菖蒲(あやめ)』、どこにでもいる普通の悪魔よ」


 クロスとシャリオの表情に警戒の色が宿っているのを見て取った紫紺色の髪の女悪魔――「菖蒲」は、自身の胸に手を当てて微笑を浮かべた






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