神の遺産
「シキト……?」
突如心臓を握り潰される様な不安を覚えた夜薙が一瞬意識を傾ける
『夜薙!』
「どこ見てるんだよ!」
その瞬間、左手に持つ三日月鎌が声をあげ、天を舞う黒鎖を太刀の一閃で弾き飛ばした紅蓮が夜薙へと突進してくる
全身から真紅の血炎を立ち昇らせながら、漆黒の魔力を纏い、それを斬閃に乗せて放った紅蓮の一撃を後方へと跳躍して回避した夜薙は、その最中に三日月鎌を投擲する
冥力を纏い、神速で奔る三日月の鎌を紅蓮が弾くと同時に、夜薙は黒鎖を操ってもう一つの鎌で背後から攻撃を仕掛ける
知覚のできない冥力で構築された鎌にかろうじて反応し、咄嗟にそれを回避した紅蓮が忌々しげに舌打ちするのを見ながら、夜薙は不安に脈打つ胸を掴む
(なに、この嫌な予感……)
言い知れぬ不安感をかき消すように、軽く頭を振った夜薙は、紅蓮へと向かって地を蹴る
(お願い、シキトを守って……姉さん)
目の前の紅蓮を見ながら、その心をシキトへと向ける夜薙は亡き姉――「椎稲」へと祈りを捧げるのだった
※
天を裂くのは、白と黒が入り混じった極大の斬撃。天から三日月が落ちてきたかのような黒白の斬撃を放った大貴は、しかし次の瞬間その中心が穿たれたのと同時に、半身倒す
瞬間、先程まで大貴の首があった場所を血管のような赤い紋様が入った漆黒の槍が掠め、仮初の空間の天を満たす雲を消し飛ばす
「っ……厄介な武器だな」
左右非対称色の黒白の翼を羽ばたかせて距離を取った大貴は、その相殺されて消失していく自身の斬撃の中から飛翔してきた緋色髪の死神を見て舌打ちをする
「珍しいだろう? だが、不思議なものでもない」
先程の大貴の独白が聞えていたのか、不敵な笑みをその口端に刻んだ死神――十世界冥界総督「真紅」は、赤い光線が奔る黒色の腕を大貴に叩き付ける
「ぐ……ッ」
大貴が真紅の手刀を太刀で防ぐと、金属音と共に火花が散り、そこに込められた神格の意思が砕かれ、周囲に立つ摩天楼を砕いていく
金属質の光沢を帯びる黒腕を弾いた大貴は、黒く染まった真紅の横蹴りを回避して、黒白の神力砲を放つ
光魔神の持つ太極の特性、全ての力をその力へと取り込む「調和」の力が込められた黒白の波動が炸裂し、仮初の世界へと溶けていく
神器によって作られた神格の世界は、未だ大貴の力では取り込むことができない。世界と太極のせめぎ合った力の残滓が斬り裂かれ、全身を漆黒に染め上げた真紅が姿を見せる
(自分の身体を武器にする武器……!)
白かった肌が全て金属質の光沢を持つ黒となり、光る赤い紋様を浮かべた真紅を見て、大貴は心の中で吐き捨て得るようにその力を称する
その表情を見て口端を吊り上げた真紅は、一拍の呼吸と共に本来の姿へと戻ると、その思考を見通しているかのように、漆黒へと染め上げた自身の腕を見せつける
「全霊命の身体は神能でできている。そして、武器も霊衣も、その神能の一面に過ぎないのなら――」
太刀を正眼に構えて警戒心を露にする大貴へと話しかけた真紅は、その掌から血管のような赤線が入った漆黒の刃を出現させる
「こうして、身体そのものが武器になる全霊命がいても、なんら不思議ではない」
「かもな」
(理屈はどうでもいいけど、あの力は面倒くさすぎるだろ)
真紅の掌から生えた漆黒の光沢を持つ太刀の切っ先を向けられた大貴は、内心でその武器に対して毒づく
真紅の武器は自分自身。自らの意のままに己の身体を刃のように変えたり、自身の神能によって形取った武器を、身体から生やすことができる上、神能のように放出することもできる
たった一つの武器でありながら、その形状や応用は無限大。すなわち、全身凶器にして全身が暗器――それこそが、冥界王直下の最強の死神「無言」の中でもさらに群を抜いた実力を持つ真紅の力だった
「それよりも、先程から防戦一方のようだが、大丈夫か? いかに神とはいえ、この程度なら、あの妄言は信じてやれないぞ」
どのような変化が起きるのかも想像しがたい武器の前に攻めあぐねている大貴を見て、真紅は余裕すら感じられる笑みを向ける
真紅と大貴が戦っているのは、その志を確かめるため。九世界にも十世界にも属さず、己が神となって二つの世界の思想を繋ぐと宣言した大貴の言葉に、真紅が希望を見出すためのものだ
この世に神があり、世界の理がある限り、戦いを失くすことができないという摂理そのものを変えられない。
だが、異端とはいえ神であり、光と闇、善と悪、相反する二つのものを繋ぎ、強調させる光魔神ならば十世界の願う争いのない世界を実現させることもできるかもしれない
神能はその意思と想いに強く反映される。つまり、二人の戦いは、二人の信念の対話であり、戦いに等しいのだ
「焦るなよ」
真紅の言葉に抑制の利いた声で応じた大貴は、その身体から黒と白、光と闇――この世にあまねく全てを内包する太極の力を解き放つ
「なら、続けさせてもらおうか」
その言葉に小さく口端を吊り上げた真紅は、掌から太刀の刃を生やしたまま、全身を武器化させて大貴へと向かっていく
時間と空間を超越する神速によって大貴へと肉薄した真紅は、全霊の冥力を込めた太刀を横薙ぎに振り抜く
「――ッ!」
ただでさえ神能の神格で不利にある中、知覚をできない冥力の特性によって、真紅の動きは大貴にはほとんど見えない
かろうじて反応した大貴が太刀でその一撃を受け止めると、二人の武器を構築する神能とそこに込められた信念と意思がせめぎ合って、大気を軋ませる
「どうした、お前の神力はこの程度か?」
太極の力を纏い、自身の冥力をその力へと統合されていきながらも、真紅はその調和を凌ぐ冥力を注ぎ込んで大貴を吹き飛ばす
「神力」とは、神の神能のもう一つの呼び名。
悪魔ならば「魔力」、天使ならば「光力」というように、全霊命は種族ごとに神能の性質が決まっている
しかし神は、光魔神ならば「太極」、反逆神ならば、「反逆」といったように、一柱一柱違う神能を持っている
それら、「光」、「闇」、「無」――神位第六位以上の力を持つ存在が持つ神能を総称して「神力」と呼ぶのだ
(――違う)
真紅の一撃で吹き飛ばされた、大貴は左右非対称色の黒白の翼を広げて態勢を整えながら、その脳裏にかつて自分の目と知覚で見た円卓の神々の戦いを思い返す
(あいつらの力はこんなものじゃなかった)
夢想神の目を介して見た、反逆神と自然神の力は戦い、事象を従え、自らの思うままに世界にその存在を揮う、まさに神の力と呼ぶにふさわしいものだった
そしてその力に触れて以来大貴の中にあるのは、神の力への畏怖と憧憬。そして不思議な懐古の念と回帰の念。まるで自分の存在があるべき形と力へ還ることを望んでいるかのような感覚だった
(もっと……もっと――)
黒白の太極の力を放出し、太刀へと纏わせた大貴は自身へと肉薄してきた真紅の武身と刃をぶつけ合う
黒白の力と不可識の紫力がぶつかり合い、相殺しあって渦を巻く。太極が持つ全てのものを自身の力へと統一して合一する権能が真紅が攻撃に行使している分はもちろん、その身体を構築する冥力にまで干渉し、その存在を魂底から取り込もうと荒れ狂う
(これは……俺の存在までも、取り込もうとしているのか)
しかし、自身の身体さえもが太極の力に干渉されているというのに真紅はその涼しい顔を歪めることなく、その斬撃の圧に身体を晒す
「なるほど。これは恐ろしい力だな」
だが当然真紅は太極の力に取り込まれてもいいと思っているわけではない。黒白の力を持つ太刀を剣化した腕で受け止める真紅がその左の平を大貴へと向けると、そこから伸びた槍鉾の刀身が放たれる
「――ッ、ちぃ……!」
真紅の左手のひらから放たれた黒い槍鉾の刃をかろうじて回避した大貴は、頬についた一筋の傷から血炎が立ち昇らせながら歯噛みする
さらに次の瞬間、真紅の身体から無数の槍剣が剣山のように生え、大貴へと貫き、切り刻まんと襲い掛かった
「ぐっ……っ」
身体の全てを武器とし、体のどこからでも武器を出現させる真紅の変幻自在の攻撃に、翻弄されながらも、大貴はその神速の戦りとりにかろうじて食らいつく
太極の力が取り込んだ真紅の余剰分の冥力は即座に大貴の力へと還元され、戦いながらも小さな傷を次々に修復、復元させていく
「だがこの程度か!?」
しかし、どれほどに力を取り込まれようと無限に力を持っている全霊命にはそのようなものは関係ない。
事象と現象を司る神能による全霊命同士の戦いでは、その神格がものをいう。真紅は今の大貴にならば、多少の接触では自分の存在を取り込まれることがないと確信していた
「言ってろよ」
わざと挑発めいた口調で笑みを向けてくる真紅に口端を吊り上げて見せた大貴は、全身から太極の力を解放して袈裟懸けに斬撃を放つ
その攻撃を武器化した身体を解除しないまま防いだ真紅は、一振りの剣に等しいその身で次々と拳蹴を繰り出していく
神速で放たれる斬撃に等しい拳撃と蹴撃と太極の力を纏わせた黒白の太刀で捌きながら、大貴と真紅は武器と力と意思の火花を散らしていく
(――こんなんじゃない)
神速で放たれる斬閃と斬撃の応酬。吹き荒れる力の嵐の中で大貴は、刃を交える真紅の先にさらに強大な存在の影を重ねる
(異端神の力はもっと……太極の力はもっと)
剣と化した四肢、そして身体から放出される冥力によってその形状を瞬間的にさえ変化させて放たれる変幻自在の攻撃を防ぎ、太極の力で統一して相殺しながら大貴は左右非対称色の瞳で次の攻撃を懸命に追う
知覚ができない上、身体にいたるところから武器を出現させることができる変幻自在の攻撃を繰り出す真紅を相手にするには、一瞬の油断が命取りになる
常にその攻撃に意識の全てを注ぎ、力の全てを傾けながら刃を振るう大貴は、極限の戦闘の中で自分の中にある力との対話を深めていく
(強くなれる……!)
自分の身体に降り注ぐ調和しきれない衝撃に耐えながら、歯を食いしばった大貴は、渾身の力を込めた黒白の斬閃を放つ
「――っ!」
その斬閃に込められた太極の力が自身の放った武器の表面をわずかにざわめかせたのを見て、真紅はそれを紙一重で回避して剣化した蹴撃で大貴を迎撃する
「く……ッ!」
それを紙一重で回避した大貴が太極の波動を目くらましにして距離を取るのを三つの目で知覚しながら、真紅はあえて追うことはせずに思案を巡らせる
(やはり、死線に直面するたびに強くなっている。さて、このまま徐々に神に近づいていくのか……それとも、あるところで一気に覚醒するのか見物だな)
これまでの合撃の中で戦いながら命の危機に直面するたびに、大貴の力が徐々にだが、確かに強く神格が高まっていくのを知覚していた真紅は、その成長と神化に興味を掻き立てられる
(やはり、世界を変えるには――)
「――ッ!」
肩で息をしている大貴を見据えて三つの目を細めていた真紅がその場で半身だけ移動した瞬間、その眼前を漆黒の斬閃が通り抜けていく
そのまま三つの視線を向けて、その攻撃を放った人物に冷ややかな視線を向ける
「瑞希……」
「久しいわね、真紅」
その両の手に細剣を携え、後頭部で束ねた漆黒の髪を揺らめかせた瑞希は、その麗貌に冷笑を浮かべて応じる
真紅は十世界創立者の一人。十世界が十世界となる前から、様々な種族の垣根を越えて集った同志の一員だった瑞希には少なからず面識がある人物だ
「どうしてここに? もう相手を斃してきたのか?」
久しぶりの再会にもかかわらず、今この瞬間まで言葉を交わしてこなかった瑞希に、真紅は怪訝そうな面持ちで問いかける
神器「界棋盤」によって作られたこの空間には、必ず一対一になれるように人員が取り込まれている。そして、その配役――誰と誰が戦うのかはこの世界の神である真紅が決めてそのように分散している
つまり、瑞希がここに来ているということは、足止めを任せていた人物を振り切ったということ。そしてその身体には、目立った大きな傷がないことを真紅の疑問に拍車をかける一因となっていた
「対話が決裂したのなら、足止めの意味はないと通してくれたのよ。いい部下を持ったわね」
真紅のその疑問に、瑞希は口端をわずかに吊り上げて片目を閉じ、皮肉の込められた笑みと共に答える
「なるほど」
その言葉に合点がいったように独白した真紅が頷くと、瑞希は魔力に声を乗せて声を荒げることなく、静かに大貴に言葉を届ける
「――ということですので、微力ですが、共に戦わせていただきます」
その言葉に静かに目を伏せた大貴は、太刀を構えて口端を吊り上げる
「あぁ。頼む」
※
「さて、と――あっちはあっちで片つけるだろうから、こっちはこっちでやるとするか」
真紅によって大貴達が神器の世界へと取り込まれた後、冥界では冥界王城の前に鎮座した巨大な移動要塞を睥睨した冥界王・冥がおもむろに口を開く
真紅の神器の空間に囚われた以上、こちら側から力ずくで侵入することはできない。ならば、自分達にできることをするしかない――そう詩織に説明した冥が視線を向けたのは、洋上に浮かぶ島そのものである冥界王城に隣接するように止められた二頭の巨竜に引かれる十世界の居城。
十世界に所属している死神は真紅と夜死ばかりではない。そしてこの城が十世界の冥界での拠点ならば、ここにはまだ留守を任された者がいることは明白だ
「まあ、当然気付いてますよね」
その冥の言葉に、巨竜が引く城の中から無数の影がその姿を現す
そして、その中で数多の死神達を総べるように立つのは、五人の死神。――白髪の青年、獣頭蓋の兜をかぶった男、片眼鏡をかけた燕尾服風の霊衣を纏う男、ゴシック風のドレスを着た金髪の少女、白一色の着物を着た黒髪の女性
「さて、どうする?」
その五人に気さくに話しかける冥だが、その表情とは裏腹にその三つの目からは感情が抜け落ちている
このまま傍観しているのか、それとも戦うのか――簡潔に、九世界の王として問いかけた冥の言葉に、真紅の代理である五人の内の四人、その背後に控える十世界の死神達の死神達は、一斉に一人の人物に視線を向けた
「お前行け」
「え? えぇ~!?」
獣頭蓋の兜をかぶった男の素っ気ない言葉に、白髪の青年は目を丸くして声を上げる
「そうですね。この場合は斬黒が適当でしょうね」
その言葉に、片眼鏡をつけた燕尾服の紳士が同意を示すと、黒いゴシックの霊衣に身を包んだ巻髪の少女が妖艶な笑みを浮かべる
「そうですわ。冥様の領域に入るのは怖いですもの」
「あ、それが本音か!」
少女の言葉に、斬黒と呼ばれた白髪の死神が抗議の声を上げるが、それを見ていた白一色の着物を纏った黒髪の死神が冷ややかな声で言い放つ
「さっさと行ってください」
なじる様な声音と視線に、肩を落とした斬黒は、観念したように項垂れる
「こ、こんな時ばっかり……わかったよ」
半ば投げ槍になったような口調で言い放った斬黒は、その場から飛び上がって、冥から数メートル離れた場所に降り立つ
「下がりな」
それを見て、わずかに緊張を強めた冥界の死神達に軽く手を上げて指示を下した冥は、全員が距離を取ったのを背中で確認してその三つの目を斬黒に向ける
「んで?」
「そうですね。まずはお話からさせてもらえると嬉しいんですけど」
斬黒の苦笑混じりの提案を受けた冥は、口端を吊り上げて不敵に笑うと、その場に腰を下ろして胡坐をかく
「いいぜ。時雨、なんかつまむもん頼むわ」
「まったく。仕方がありませんね」」
戦意がないことを示すために無防備に座り、肩越しに振り返って猪口で酒を煽る仕草をしてみせた冥に、時雨は小さくため息をついてその身を翻す
「時雨様。その程度のこと私が」
それを見ていた死神の女性が横から名乗りを上げるが、時雨は小さく首を横に振って背中を向けている冥に視線を向ける
「いいのですよ。あなたはここで待っていなさい」
「……かしこまりました」
斬黒と向き合っている冥の後ろに優しい視線を送る時雨の目を見た女性死神は、どうやら自分が差し出がましいことをしたらしいことを見て取って素直に下がる
こうして冥のために些細なことをできるという、ささやかでかけがえのない幸福と喜びをその美貌に浮かべた時雨がその場から瞬時に移動して消失する
「まあ、座りな」
「では、失礼して」
冥に促されて腰を下ろした斬黒は、最強の死神に相対する緊張をほぐすように一度大きく息をついてから、意を決して口を開く
「でも、本当にこんなところで俺なんかと話していていいんですか?」
「ん?」
開口一番、そう言って笑ってみせる斬黒に冥は訝しげに眉を顰める
「真紅がここまでやるんですから、下手をすれば光魔神が殺されちゃうかもしれませんよ? そんなことになったらまずいんじゃないですか? そんな呑気にしている場合じゃないと思いますけどねぇ」
その視線は、冥界王城の傍らの宙空――真紅の神器「界棋盤」によって、光魔神達が取り込まれた場所を見ており、それが何を意味しているのかを暗喩していた
真紅という死神の実直な性格を知っている者ならば、十世界の理念に抵触しかねない今回の行動を考えればその退路を断った覚悟を見て取ることは難しいことではない
加えてその言葉には、「光魔神を取り込んで十世界と敵対させようとしている魂胆は分かっている。このまま何もしなければ真紅によって九世界の目論見が邪魔されるばかりか、最悪光魔神が殺されてしまうかもしれないぞ」という意味合いも込められている
「つまり、俺に『死神羽』を使えってことか?」
「――……」
脅迫とも取れる言葉をぶつけて反応を窺っている斬黒の沈黙と笑みを肯定と受け取った冥は、鼻を鳴らして、不敵な笑みを浮かべる
「使わねぇよ。分かってて聞いてるだろ?」
「あはは。分かります?」
さも当然のように発せられた冥のその言葉に、斬黒は明るく危機感の感じられない口調で笑う
「バレバレだ」
冥界王・冥は、闇の神から生まれた最初の二人の死神一人。「原在」と呼ばれる最強の全霊命である冥は、他の王と同じように神位第六位相当の力を得ることができる「神威級神器」を行使することができる
そして、「死神羽」とは、冥が持つ神威級神器の名称だ。
しかし、いかに神に等しい力を持っているからとはいえ、その力を乱用することはない。それを使うのは神――特に異端神と戦うためだけだ
それ以外の状況では、仮に敵に囲まれても、命の危機に瀕しても、大切な人を守れなくとも――決して使うことはなかった。
そしてそれは、冥ばかりではなく、全ての王がそうしている。
それは、神から生まれた全霊命であり、その王でもる存在が、神の力に頼るのではなく全霊命自身として生きていくための誇りであり、矜持であり、意地でもある
「だが、その言い方から見るに、やっぱりお前達は光魔神だけじゃなく、神器にも用があるんだな……冥界中を探りまくって神器を探しているのにも関係してるのか?」
斬黒の脅迫にも似た言葉にも身じろぎ一つせず、不敵な居住まいを崩さずに答えた冥は、胡坐をかいた自身の膝に肘を乗せて頬杖をつきながらにやけた笑みを返す
「ええ。ただ、我々の場合は他の十世界の連中とは違いますが」
「ぁん?」
自身の問いかけを肯定し、同時に否定する斬黒の言葉に眉を顰めた冥は、その先の言葉を促す
「まあ、簡単なことです。十世界が神器を求める理由の一つは、姫のため。全ての神器を使うことができる奏姫たる姫の力とするためです」
十世界が神の力の欠片である「神器」を集めている理由は至極単純。それを集めれば集めただけ、自分達の盟主たる姫――「奏姫・愛梨」の力になるからだ。
神から生まれた四姉妹の巫女の末妹である「奏姫」は、使い手を選び、一つ使えても二つ目を使えるとは限らない神器の全てを使うことができる
ならば、その力があればあるほど愛梨は力を増し、九世界に狙われているその命を守ることができる――それが、十世界が神器を集めている理由であることは周知の事実と言える
「でも、我々死神は――いや、真紅はもう一つ別の理由でも神器を集めているのです」
しかし、そんな九世界の者達の認識を肯定しつつ、斬黒はそれとは違う自分達の理由を得意気に語り始める
それは、九世界全ての存在との共存と争いのない平和を実現することを理念とする十世界の一員として、自分達の考えを見せることで対話を図る意味合いがあることは一目瞭然だ
(別の理由……ね)
その言葉に、冥が胡乱気に応えると斬黒は口端を吊り上げて冥界王――ひいてはここにいる死神達全員、真紅の神器に取り込まれていない桜と詩織に向けて語りかける
「我々が求めているのは、もっと具体的な力です。ヘイルダートの悪夢と同じように」
その言葉を聞いた冥は、どこか不快そうに表情を歪めて合点がいったようにその黒髪を軽く書きながら辟易した様子で口を開く
「なるほど……忠臣が過ぎるだろ」
「光栄です」
嫌味を多分に含んだ冥の言葉にも動じず、むしろ誇らしげに斬黒が答えた時、まるでその間合いを見計らっていたかのように、時雨がその姿を現す
「お待たせしました」
トレイに乗せた大きな皿を下ろし、何もない空間から大瓶の酒と二つのグラスを取り出した時雨は、それを冥と斬黒に渡してそれぞれに注いでいく
「いやぁ、時雨様にお酌していただけるなんて恐悦です」
「ありがたく思えよ」
冥界の王妃である時雨の酌を受けて満悦した表情をみせる斬黒に、先に酌を受けた冥が自慢気に言う
「あの、あれってどういう――」
時雨が戻ってきたことで中断されてしまったが、それ幸いと冥と斬黒の会話の要領を得ない部分を、いつものように「どういう意味ですか?」と問いかけようとした詩織は、寸前でその言葉を呑み込む
詩織の言葉を止めたのは、今質問すれば、それに答えるのは、十中八九自分を守る結界を展開している「桜」であるという事実だった
妖精界での一件以来――主に自分だけが一方的にではあるが――桜との関係にぎこちないものがある詩織としては、自分から桜に対して今までのように自然に話しかけることにわずかな後ろめたさと戸惑いがあった
しかし、そんな詩織の思いなど桜にとっては微塵も関係ないこと。自身は屋上、詩織は室内と離れているが、自身の結界で包んでいるためにその声が聞こえていた桜はその疑問に淑やかな居住まいを崩すことなく答える
「ヘイルダートの悪夢は、九世界の有史以来最大の光と闇の共戦です。そして、その事変の主犯は、マリアさんと同じでした」
「……!」
結界を介して届く、桜の魔力に乗せられた言葉を聞いた詩織は、その意味を理解して息を呑む
マリアは、半霊命と全霊命の間に生まれた混血児。九世界の法の上ではただ存在していることさえも許されない人物だ
そんな存在に生まれた人物が、何を思い、何を成そうとするのか――それは、同じように九世界の禁忌に阻まれている詩織には十分推察することができるものだった
「この世界の理によってその存在を否定される彼らは、自らを神にしようとしたのです」
「神にしようとした……?」
神になろうとしたのではなく、しようとしたという言い回しに違和感を覚えた詩織の独白し、桜は自身の言葉を魔力に乗せて結界を結界を介して語りかける
「そうです。世界がそのようにできていないのならば、自分が神になって世界を創り直せばいい――彼らはそう考えたのです」
「……!」
世界には理がある。生あるものには死が訪れ、愛があるがゆえに争い、その命と心を巡らせていく理――望むままに事象を顕現させることができる全霊命でさえ、覆すことのできない絶対の摂理が。
その存在を禁断として生まれたヘイルダートの悪夢の主犯は、自らの存在に架せられたものを嘆き、それを変えようとした
だがそれは、覆ることのないもの。
ならば、それを変える方法はたった一つしかない。
自身を理の中で生きる存在から、理を定める存在である神へと昇華させ、この世にある理そのものを創り変えること。
「そんなことができるんですか……?」
「――『融神器』」
詩織の問いかけには答えず、桜は淑やかな声で一つの単語を紡ぎ出す
「?」
「二つ以上の存在を融合させる力を持った神器だと聞いております。その神器を用いてこの世界に降臨した神に自身を融合させようとした者、そしてその人物と同じような境遇を持った者達との間で起こった戦いが今日『ヘイルダートの悪夢』と呼ばれているものだそうです」
あくまでも、知識の中にあるという意味を込めて言葉を選択する桜は、目と向かって酒を酌み交わしている冥と斬黒の姿を視界に映しながら結界に塔の室内にいる詩織に語りかける
「彼らは、無数の神器を集めていたそうです。光と闇、本来敵対関係にある二つの存在が協力して戦ったのはその神器の力に対抗するためです
ですが、いかに神器の力を用いても、簡単に神と融合することはできません。そこでそのために必要だったのが『真の神器』と呼ばれるものです」
「真の、神器……」
粛々と紡がれる桜の言葉から意識を離すことができず、詩織はその一言一句に喰いつくようにして耳を傾ける
神器は神の力の断片。その力の強大さは、詩織も何度か目撃しているため、ある程度は分かるつもりでいる。確かにそれをいくつも持っている者達がいれば、九世界が協力することもあるかもしれない
話が脱線するため、桜はあえて話していないが、ヘイルダートの悪夢を起こした者達の一部は、現在『英知の樹』へと取り込まれている
ヘイルダートの悪夢で「オルセウス」達が倒したのは、あくまでもそのリーダー格にあった者達が大半を占めている。その時逃れた者達が、英知の樹に加わっているのだ
「『神器』は、今でこそ神の力を持つもの全てを総称する呼称ですが、本来の『神器』はそういうものではありません」
「……!」
神妙な面差しで冥と斬黒の姿を見据え、淑やかな声で詩織に話しかける桜は、そこで一旦言葉を切り、一拍の間を置いて再び口を開く
「わたくし達全霊命の起源であり、『完全存在』と呼ばれる〝神〟という存在は不滅の存在――すなわち、殺すことができないのです」
「!」
桜から告げられた信じ難い事実に、詩織は思わず目を瞠る
「神々が戦った創界神争において、その特性は極めて厄介なものでした。そこで光と闇の神々は、己が倒した神を復活する前に様々なものに封じ込めたのです」
神位第六位以上の神は、完全存在の名に恥じない力を持つ不滅の存在。故に、完全に殺しきれないその存在は、神々が起こした世界最初の大戦――「創界神争」において、その性質は極めて厄介なものだった
なにしろ、倒しても倒しても死ぬことなく復活してこられるのだ。そこで神々は殺した神を様々なものに封じ込めて復活を阻止した――それこそが、本当の神器の正体だ
「つまり、神を封じ込めた〝神の器〟――それこそが、真の神器と呼ばれるものなのです」
「さて、話を続けますが、そういうわけであなたの神器を頂けませんか?」
時雨に注がれた酒を呷った斬黒は、腹を割って冥へと率直に要求する
「世界から争いを失くせないのならば、神となり世界を争いのないものに変える。そうすることで十世界の理念を実現することこそが、我らの本懐なので」
真紅をはじめとする冥界の死神達は、十世界の理念を実現するために神の力を使うことを考えた。
生きることが戦いならば、愛が信念と正義を生み争いを呼ぶのならば、そうではない摂理を持つ世界を、神の力によって創造するために神器を求めているのだ
「やなこった」
しかしその真意を知っても、冥は明確に拒絶の言葉を発する
「そんなのは、奏姫の望むやり方じゃないだろう? そもそも仮にお前達やり方でお前達が望むものを作っても、そういうのは平和って言わないんだよ
終わりよければ全て良しっていうけどな、お前達のそれは、終わりもよくねぇんだぜ? 結果ばかり先走って本質を見落としてるんじゃねぇよ」
抑制されえた低い声で言う冥の言葉には、王として――否、一つの命としての威厳と誇りが満ちており、その三つの目には「それをするなら、ここで殺す」という明確な意思と殺意が宿っていた
普段は気さくで人当たりがよい冥だが、その正体は神から最初に生まれた二人の死神の原在の片割れにして、最強の死神でもある
その力を知っている死神達はもちろん、桜も知覚のできない冥力から放たれる魂の髄まで凍てつくような絶対的な死の気配を感じ取っていた
「――ですよね。けれどそんな正論を言われて引き下がるくらいなら、俺達はこんなことしてないですよ」
その答えが分かりきっていた斬黒は、冥の殺意に耐えながら努めてぎこちない笑みを浮かべ、その三つの目に揺るぎない決意を宿して答える
「こうしている間にも、争いによって望まぬままに死んでいく命があります。そういう人達に、世界はそんなものだから諦めて死ね、なんて言えませんから」
自分が放つ殺気に怯みながらも、臆することなく言う斬黒の言葉に冥は鼻を鳴らして嘲るように言う
「なんだそりゃ? 望んで死ぬ奴なんているわけねぇだろ!? 光だろうが闇だろうが、全霊命だろうが半霊命だろうが等しく死ぬ
理不尽でも、残酷でも、誰にも等しく死は訪れるんだよ――それが、生きてる者の特権ってやつだ。
もちろん、不幸になればいいなんて思ってねぇし、戦わずに済むならそれでいい。俺も死にたくはないからな
けどな。死も、不幸も、戦いも、この世界に不必要なものなんて何一つないんだよ。死も敗北も恐怖も、自分が気に入らないもの全部切り捨てて、何が平和だ! 笑わせんじゃねぇよ」
誰だって望んで戦いたいわけではなく、好んで死ぬわけではない。どんな強者にも、どんな弱者にも、どれほど平和であっても等しく死は訪れる。
終わりはいつでも理不尽で、残酷なほど平等だ。そして、戦わない世界になったとしてもそれが平和で幸福だとは限らない。物理的に死ななくても、心が死んでしまうかもしれない――命と心が生きて、初めて生きていると言えるのだから
「それは、あなたが勝者で強者だから言えるだけですよ」
どこか寂しげに言う斬黒の言葉には、力ある者への羨望とも取れるものが宿っていた
「かもな。けど、俺だって無敵じゃねえ。いつか死ぬかもしれない。次に戦ったら死ぬかもしれないなんていつだって考えてるよ。ビビりまくってるぜ?」
新たに時雨に注いでもらった酒の入った杯を手の中で弄びながら、冥は斬黒に自嘲混じりに笑って答える
確かに斬黒の言うように、冥は強い部類だ。だが、決して無敵というわけではないし、死を覚悟したことも一度や二度ではない
強いということは、あくまでも危険が少ない程度の事でしかない。無論それがあるだけで違うのは否定しないが、それだけでお前は違うんだと言われるのも心外だ
「確かに、お前たちのやり方はある意味一番現実的で、姫の理念を実現するのに合理的な手段かもしれねぇ。忠義のために主の意志に背くことはあっても、主の不利益にあることはしねぇ真紅らしいやり方だが……
争いを失くすってことは――平和ってのは、戦わない世界を作ることじゃねぇ。戦う手段を択ばないってことだろ? そのやり方で作った平和には何の意味もねぇよ」
かつて自分が向けられていた真紅の忠誠心が、愛梨のものとなっていることを惜しみながら、冥はそれが間違っていることを告げる
世界の理を変えれば、争いはなくなるかもしれない。しかしそれは、争いがなくなっただけで争いを失くしたわけではない
それは、戦わないのではなく戦えないだけで、平和になったのではなく世界がそうあることしかできなくなっただけだ
「それは、価値観の相違ですね」
冥の言葉に目を伏せて答えた斬黒は、その言わんとしていることを分かっていながら、それでも自身の矜持を貫く決意をその目に宿して言う
「やはり、交渉はできませんか」
「――オイ。桜、だったか?」
ため息をつくように発せられた斬黒の言葉に、冥はその視線を桜へ向ける
「はい」
「部屋の女を守れ」
冥がそう言ったのと同時、これまで待機していた十世界の死神達が一斉に武器を取って冥界王上へと攻撃を仕掛ける
「神眼を頂きます」
冥界王城に向けて放たれた十世界の死神の冥力の波動を結界で防いだ冥に、斬黒は不敵な笑みを浮かべながら宣戦布告した




