遠く、想えば
四方八方から音もなく迫りくるのは、漆黒で形作られた槍。まるで生きているように迫りくる漆黒の槍の穂先を純白の四枚翼を羽ばたかせて回避するマリアは、白の軌跡を描きながらその槍を光力の砲撃で迎撃する
しかし、その黒槍はマリアの放った光力の直撃を受ける直前にその形状を分散し、更に細分化された無数の槍となって迸った
「――っ」
その黒槍を構築していたのは、漆黒の鋼糸。自身を捉えようと縦横無尽に神速で奔る黒糸の網を抜けていくマリアは、その柳眉をひそめて唇を引き結ぶ
「心ここにあらずといった様子ですね」
「っ!」
その時静かに響いた声に反射的に背後へと視線を向けたマリアは、そこに漆黒の髪と羽織をなびかせて佇んでいる三眼の女性――十世界冥界総督副官「夜死」の姿を見止めて目を瞠る
九世界を総べる八種の全霊命の中で唯一知覚に捉えられることのない死神である夜死は、音もなくマリアの背後を取って、手から伸びる黒糸を振るう
糸が織り合わされて作られた黒い槍が、マリアが反射的に構築した光力の結界に突き刺さり、その威力のままに突き飛ばす
結界が破られることこそなかったものの、その身を包むように展開された球状の結界ごと吹き飛ばされたマリアは、落下地点へと迫る無数の糸束の槍から四枚翼を羽ばたかせて逃れる
「一応念のために伝えておきますが、この空間では真紅様こそが神です。すなわち、この世界の中でのルールを設定しているのは真紅様ということです。
そして、思念通話も空間転移も禁止されていますので、どれほど頑張ってもあなた達程度の繋がりでは意識を繋ぐことはできませんよ
神速で天へと飛翔するマリアへと静かな声で語りかけた夜死は、自身の武器である無数の黒糸を操る
(そういう、ことですか……)
先程から、夜死との戦いなどそっちのけで必死にクロスと思念通話を取ろうとしていたマリアは、自身に迫りくる黒糸を回避し、防御しながら理解する
この世界――神器「界棋盤」が作り出した世界は、世界とは違う世界。例えるならばゲームのように、共通のルールで縛られる位相世界だ
この世界は、平等ではなく公平な世界。そして今、この世界はその支配者である真紅によって、光魔神との対話を邪魔されないように思念通話や空間転移ができないようになっている
「なら……あなたを倒していくまでです」
その言葉に理解を示したマリアは、自身の武器である聖杖を夜死へと向けると、収束した極大の光力砲、翼からの無数の砲撃と共に一斉に解き放つ
天を縦横無尽に走る聖光の流星と、進路にある全てを浄滅させながら走る極大の砲撃が、空中に佇む夜死へと向かっていく
「……侮られたものです」
それを見て、小さく息をついた夜死が低く抑制された絶対零度の声音で言うと同時に、その手から伸びる黒糸がその正面で織り合わされ、結いあわされ、繭のような壁と糸で形どられた槍剣を作りだし、マリアの光撃の全てを相殺、防御する
「――!」
黒糸の槍剣で光星が撃ち落され、極大の砲撃が繭の盾で阻まれたのを見て目を瞠るマリアに、大地を貫いて天に奔った糸が襲い掛かる
「しまっ……!?」
死神同様、全霊命の知覚に捉えられることのない黒糸が地面の中を移動し、マリアの真下から天に舞う天使へと襲い掛かる
反射的に光力を解き放ち、光力の結界を以ってそれを迎撃したマリアだったが、防御と結界より早くその身に届いていた断糸が、その柔肌と霊衣を切り裂いて血炎の蛍を空中に躍らせる
「っ!」
(知覚できない糸。それも、ここまで変幻自在に操られるなんて……)
身体を切り裂かれた苦悶の色をその美貌に浮かべたマリアは、まるで獲物を前に舌なめずりをする捕食者のようにうねる黒糸を睨み付ける
そんな嗜好さえも許さないとばかりに容赦なく襲い掛かってくる黒糸を拡散する光力の砲撃で迎撃しながら、マリアは同時にこれまでの戦いを思い返しながらこの武器の性能を推測していく
(かなり範囲にまで展開できる上、操れる本数も相当多い。それに、冥界王様に使った力を見ると身体から離れてもある程度の制御も可能なはず……)
手から伸びている夜死の武器たる黒糸は、自在に伸縮して操ることができる。その最大範囲と同時に操れる本数は不明だが、それらは相当に広く多いことは想像に難くない
加えてこの空間に入る際のことを考えると、糸は夜死本人から離れてもある程度の操作を可能としている
(なんて強力な武器……)
内心で歯噛みしながら飛翔しているマリアを三つの目で捉えていた夜死は、全霊命特有の整った美貌に微笑を刻む
「残念ですね。そこは蜘蛛の巣です」
「っ!」
その笑みに危機感を覚えた瞬間にはすでに手遅れ。いつの間にかそこに展開されていた糸の群れの中に自分から飛び込んでしまったマリアは、その黒糸に柔肌を傷つけられながら絡めとられる
「あ、う……ッ」
(辺りを覆い尽くしている所為で、こちらの知覚がほとんど阻害されてしまっている。なんて、厄介な武器なんですか……!)
身体を切りつけ、食い込んでくる糸に絡めとられたマリアは、全身から光力を放出して聖なる光の力で闇の力である冥力で構築された黒糸を焼き切る
通常の全霊命のように知覚できない死神とその神能「冥力」を知覚するためには、自身の力の波長を全方位に広げ、知覚できなくなる場所を見つけるのが基本だ
しかし、夜死の武器である糸は、全方位を縦横無尽に駆け巡っているため、その知覚方法では気付くのに一瞬の遅れが生じてしまう。そして時間と空間を超越する神速で行われる全霊命の戦いにおいて、その一瞬はあまりにも致命的だった
(糸が切れても、彼女にダメージが入った様子はない……ということは、やはりこの糸は彼女の冥力が顕現したものということですか)
体中に刻み付けられた糸の切り傷から血炎を立ち昇らせるマリアは、自分に向けて穏やかな笑みを向けている夜死を見る
全霊命の武器は、神能が戦うために形を取った戦うための自分自身の姿であり、戦意と殺意の形でもある
そのため、自身を守る形である「霊衣」とは異なり、武器本体が破壊されるとそのダメージが本人へと還元されるという特性がある
だが、冥の時もだが、糸を切られても夜死が苦しんでいる様子はない。つまり、この糸は武器を介して具現化された夜死自身の冥力ということになる
「あらためて説明するまでもないでしょうが、死神の武器はその九割が暗器です」
自身の手から伸びる黒糸を束ねて操りながら、その白と金の身体に痛々しい傷をつけ、血炎で彩っているマリアへと微笑を送る
夜死の言うように、死神が顕現させる武器の大半は、通常武器の中に別の武器が仕込まれているようなもの――を含めて「暗器」だ
夜死のように「糸」を使うなど、他の全霊命が顕現させているような大槍刀や大剣といった武器とは少々性質の異なる武器が死神の特徴でもある
「私達死神は、戦闘力ではなく殺傷力に長けた種族です。油断していると、簡単に命を落としますよ?」
死神を九世界の暗殺者と言わしめる冥力という知覚のできない力は、他の全霊命が行う力による滅殺とは趣の異なる殺傷を可能としている
微笑の中に、静かな殺意を宿した夜死の純然たる殺意が込められた三つの視線を受けたマリアは、自身に治癒の光を奔らせながらその武器である杖を構える
(この人は強い。彼女が本気なら、私はもう殺されていたかもしれない……)
冥界の総督副官を務めているだけはあり、夜死の力、殺傷力は極めて高い。だが、その戦い方から、マリアは夜死の目的が自分を殺すことではなく、時間を稼ぐことなのだと正しく理解していた
「――っ!」
しかし知覚に割り込んできた力に目を瞠ったマリアが視線を向けると、それを見ていた夜死は口元に手を当てて微笑を浮かべる
「随分と気になるのですね? あちらの天使と、シャリオさんにはよほどの因縁があるようです」
「……っ」
その言葉に図星を言い当てられて唇を引き結んだマリアは、強く握りしめた杖の先端を夜死へと向けて自身の存在から生まれる光力を解き放つ
「申し訳ありませんが、これからは本気で行きます。――その前に私を行かせてくれるつもりはありませんか?」
四枚の翼を広げ、それぞれに収束した光力の光珠を構築し、計五個の聖光球を携えて威嚇するマリアを見上げた夜死は、槍のように束ねた無数の糸を操ることで静かに答える
「あなたに私が殺せるのならどうぞ」
「……残念です」
その言葉に柳眉を顰めたマリアは、収束した五つの聖光珠を解き放ち、五本の極大光撃を夜死へと向けて解放するのだった
※
思い出されるのは、この神器によって作られた空間へとやってきた時の事。
「今行くぜ、大貴……!」
真紅の力によって等しい数の人員が存在するこの世界ならば、誰にも邪魔されることなく大貴と戦うことができる
炎を思わせる色合いの髪を逆立たせた額と両肩に角を持つ悪魔――「紅蓮」は、待ち焦がれた相手との戦いに胸を躍らせて地を蹴った
「――っ!?」
しかしその瞬間、そんな期待を嘲笑うかのように、その身体に横から伸びてきた知覚できない黒糸が絡みつく
「これは、あいつの……!?」
その武器は、先ほど見た十世界冥界総督補佐「夜死」の武器。それが味方であるはずの自分に絡みついている理由を理解できずに目を瞠った紅蓮の方に、漆黒の影が映る
「悪いな。光魔神とは俺が戦わせてもらう」
「なっ、ふざ――」
その人物――十世界冥界総督「真紅」が告げた言葉に抗議の声を上げようとした紅蓮だったが、身体に巻き付いた糸によって引き寄せられその声を途切れさせられてしまう
そして紅蓮を絡めとった黒糸は、その括り手である夜死の意のままに、力任せにその身体を遥か彼方へと投げ飛ばす
「覚えてろよ……!」
身体を黒糸で拘束されたまま宙を貫いた紅蓮は、まるで狙いすましたかのように自分の対戦相手となる人物がいる摩天楼の前へ叩き付けられていた
「オラァアアアアッ!」
漆黒の魔力を纏わせた太刀を一薙ぎし、自身へと放たれた無数の黒クナイを弾いた紅蓮が炎のような髪を翻らせると、そこに向かって戦塵を貫いて白い刃が迫る
「チィ……ッ」
黒い鎖に繋がれた白い鎌を視認した紅蓮は、忌々しげに歯噛みしてそれを魔力を纏わせた腕を一薙ぎして生み出した破壊の衝撃波で阻む
漆黒の波動によって弾かれた鎌は、そこに繋がる黒鎖によって引き寄せられ、天空でしなって再び紅蓮へと向かって走る
「くそが」
(俺は、大貴と戦いたいだけだっていうのに)
内心で毒づく紅蓮は、自分が本来戦いたかった相手を横取りされた憤りと、それを阻まれている現状の苛立ちを募らせていた
「鎖鎌の武器か……」
周囲を走る黒鎖に、自分へと向かってくる鎌の刃に舌打ちをした紅蓮は、魔力を纏わせた暴虐の斬撃によってそれを迎撃して苛立ちを露にする
(しかも、冥力の所為で軌道もほとんど読めやしねェ……)
「やりにくいッたらありゃしねえな!」
破壊の斬撃によって鎖鎌の刃を撃墜した衝撃によって、相殺された神能に込められた神格の殺意が物理的に大地が砕くと、再び戦塵が周囲一帯を覆い尽くす
加えて、そこに繋がる鎖がしなって地面を叩くことによって意図的に付け加えられた戦塵が、さらに紅蓮を呑み込んでいた
通常の全霊命同士の戦いでならば、戦塵の目くらましなど何の障害にもならない。
しかし、相手が死神となれば話は別だ。知覚のできない冥力、加えて変幻自在に動く鎖からその持ち主の位置を特定するには骨が折れる
「纏めて吹き飛ばしてやる!」
姿さえも見えない多方向からの攻撃に苛立ちを募らせた紅蓮が全身から解放した魔力で、周囲一帯を一斉に薙ぎ払おうとする
しかしそんな戦術は、敵も想定済み。その戦塵の中、背後へと神速で奔った影を見逃すことなく刃を一閃させた紅蓮は、それがぶつかったもの――三日月型をした鎌を見て目を瞠る
「!」
『ヒャハハハハハハハッ、ハズレダァ!』
それと同時、紅蓮の刃に弾かれた三日月型の白鎌が、鋸状の口を開いて甲高い声で嘲笑う
(その上、意思を持った武器……特異型だな)
同時に、三日月鎌の刃の部分を口にしているその頭が喋ると大きく口を開いて口から冥力が凝縮された無数のクナイを射出してくる
「チッ!」
刃で弾いたとはいえ、三日月の頭の位置は紅蓮の間近。そこから広範囲に神速で放たれるクナイ群を回避しきるのは困難だ
そのため紅蓮は、ほとんど条件反射に等しい本能的な行動で魔力を放出して、自身へと肉薄していたクナイ群の大半を相殺する
「やかましいったらねぇな、クソ鎌が……!」
しかし、その一瞬こそが罠だった。
「――ッ!」
その攻撃と同時に紅蓮の背後へと肉薄したその武器の持ち主――夜薙は、その手に白い鎌を携えて烏珠の黒髪をなびかせていた
(……の、野郎)
それに気付いた紅蓮が刃を振るい、魔力を放つよりも早く夜薙の鎌が一閃してその背に一閃の傷をつける
「ぐっ」
身体を斬され、血炎を上げる肩口を苦悶の表情で睨み付けた紅蓮が斬閃を放つと、夜薙が操る黒鎖がその太刀の刀身に絡みついて斬撃の速度を鈍らせる
「なっ!?」
それに紅蓮が反応する刹那、空中で身体を回転させながら勢い任せに放たれた夜薙の蹴撃がその頭部を真横から捉えていた
「ガッ……!」
渾身の冥力が乗せられた蹴りを受け、側頭部から血炎を上げながら吹き飛ばされた紅蓮の身体に黒鎖が巻き付き、そのまま地面へと叩き付けて戦塵を巻き上げる
そしてそれでさえも終わりではない。地面に紅蓮の身体を叩き付けた勢いのままに黒鎖の反動を利用して肉薄した瑞希は、白鎌をその喉元へと向けて振り下ろす
「舐めるなよ、女ァ!」
瞬間、咆哮と共に放たれた紅蓮の破壊の力の波動が瑞希へと襲い掛かる
その存在そのものが神格の例の力で構成された理性と本能が同一のものである全霊命だからこその、一点のずれもない純然たる殺意と時怒気によって染められた魔力は、触れるもの全てを滅ぼす波動となって迸った
「!」
それが放たれる寸前、空中で後方へと飛び退いた瑞希は破壊の闇の力を回避して、右手に鎌、左手に意志を持つ三日月鎌を携えて紅蓮へと視線を向ける
『仕留め損ねたなァ、夜薙!』
「黙って、『凶月』」
左手に持った鎌が放つ甲高い嘲笑の声に、夜薙は紅蓮から知覚と意識を逸らさずに冷ややかな声で制する
夜薙の武器「凶月」は、通常の鎌と自我を持つ三日月の鎌「凶月」を漆黒の鎖で繋ぐ特異型武器
夜薙自身の意志で扱う鎌と、凶月自身の意志で動く鎌が一体となった双頭の鎖鎌は、同一の冥力に複数の意志が同居した武器にして暗器だ
「あァ、厄介な奴だな」
黒鎖の拘束を受けたまま、力任せに立ち上がった紅蓮は怒気と殺意で洗練された爛々と輝く双眸で夜薙を睨み付ける
「そういやぁ、知覚できない力の所為で忘れがちだったが、死神は眼もいいんだったな」
紅蓮二つの目から向けられる視線を三つの目で受け止める夜薙は、それを無言のまま受け流して更なる追撃へと映る
死神は知覚のできない神能以外にもう一つ、九世界を総べる八種の全霊命の中で最も優れた知覚能力を有している
全霊命は知覚によって、相手の神能の流れを読み取り、未来視に近い形で動きを先読みすることで、この世のすべての法則を調節する神速の戦闘を行っている
そして死神には、それに加えて「意志の流れ」までが見えている。全霊命の存在を構築する神能に志向性を与え、その力を引き出す意識を読み取ることで死神は相手の行動を通常の知覚よりも精密に先行して読み取ることができるのだ
(右手に意識が流れている。そして、身体の魔力の流れからみて、この攻撃は――)
地を蹴り、神速で黒鎖で拘束した紅蓮へと肉薄していく夜薙は、その知覚でその流れを読み取りながら手にした二本の鎌を投擲する
事象として結果を顕現させる神能の力により、姿勢や態勢など関係なく常に十全の力を以って行動できる全霊命としての特性により、全く同時に放たれた二つの鎌はその一つ一つが瑞希渾身の斬撃に等しい威力を以って神速で空間を貫く
『ヒャッハァーッ!』
自我を持つ三日月鎌が殺意で昂揚する声をあげながら自身に迫ってくるのを見た紅蓮は、魔力を解放しながら自身へと向かってくる夜薙を見て、苦々しげに言い放つ
「ったく。俺は、真正面から斬り結ぶような戦いの方が好きなんだよ……!」
解放された魔力が、紅蓮の身体に巻き付いた黒鎖を揺らし、その圧力によって吹き飛ばす
(やはり、そう来たわね)
「凶月!」
神格がほぼ等しいならば、武器を破壊するのは容易なことではない。ならば、まずは自分を拘束している鎖を解くのは定石だ
自身の知覚が捉えた通りの行動を取った紅蓮が、初撃として右手に持った剣を振るう軌道を知覚して先見した瑞希は、声を上げて自らの意志で行動することができる己の武器へと語りかける
『任せろよォ!』
瑞希の言葉に応じ、三日月型の鎌が声をあげて紅蓮へと向かって奔る。その速度は、同等の霊格を持つ紅蓮には反応することができる速度。
そして、当然自分に向かってくる武器を無視することなどするはずがない。紅蓮は魔力を帯びた神速の斬撃の軌道をそのまま真横に変化させ、横から向かってきた三日月の刃を迎撃する
「らァッ!」
『ハアッ!』
斬撃によって弾かれた三日月の鎌の口が放たれた冥力のクナイと同時に、夜薙は黒鎖のしなりから手元に戻ってきた鎌の柄を掴んで紅蓮へと肉薄していた
正面には鎌を手にした夜薙。斜め横後方からは三日月鎌から放たれた無数のクナイ群。仮に紅蓮が避けても、同じ冥力である力は夜薙を傷つけることはない――それは、完全な位置取りだった
(これで、終わりにする――!)
迎撃を受けても、多少の傷を負うことを覚悟で、夜薙は純然な殺意を纏わせた鎌を冥力の波動と共に袈裟懸けに薙ぎ払う
そしてその瞬間、血炎が吹き上がった
「なっ!?」
しかし、その攻撃で目を瞠ったのは紅蓮ではなく夜薙の方だった。
それもそのはず。紅蓮は、全く同速の神速で肉薄した夜薙とクナイ群の攻撃を避けなかったのだ
その結果紅蓮の身体には、冥力のクナイが突き刺さり、その左腕は夜薙の斬撃を受け止め、鎌の刃が貫通している
同等の霊格を持つ夜薙の攻撃は、一歩間違えれば致命傷になりかねないもの。それを現在の状態で身体を使って受け止めるとは思っていなかった夜薙は、その身体から血炎を上げる紅蓮の姿に驚愕と動揺を禁じ得なかった
「お前らの知覚は良い。だが、別に心が読めるってわけじゃないだろうが……!」
その一瞬の隙を紅蓮が見逃すはずはない。自分の身体を使って、一瞬とはいえ夜薙の武器を受け止めた紅蓮は、その口端を吊り上げて凶相を浮かべる
「――っ!」
それに本能的な恐怖と危険を感じた夜薙が武器を手放して後方へと飛び退いた瞬間、その脇腹に灼ける様な痛みが走る
「この……ッ!」
紅蓮が右手に持っていた剣の刃が脇を掠めたことによって付けられた傷の痛みに、その柳眉を苦悶の色にひそめた夜薙は、再び手の中に顕現させた鎖鎌の刃を投擲した
「――! チッ」
今まさに夜薙を追撃しようとしていた紅蓮は、後方へと移動しながら放たれた鎌を太刀の一撃で弾き飛ばす
それによって紅蓮の足が止められた一瞬の間で、十分な距離を取って着地した夜薙は、脇腹に受けた刺突によって受けた傷から立ち昇る血炎を抑えるように手を当てる
(なんて、戦い方をするのよ、この悪魔……)
全ての攻撃を避けず、左腕をわざと貫かせて自分の動きを封じて一撃必殺を狙ってきた紅蓮の戦い方に、夜薙は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる
確かに知覚能力が長けているからと言って、死神は相手の心が読めるわけではない。他の全霊命よりも数瞬早く相手の動きを読めるというだけだ
完全に意表を衝かれた形となった夜薙は、自分以上に血炎を立ち昇らせているにも関わらず、全く衰えることのない覇気を纏った紅蓮を睨みつける
「死神との戦いも確かに面白い。だが、俺の今の目的は大貴だけだ」
夜薙の鎌の刃で貫かれた左腕の傷口からおびただしい量の血炎を立ち昇らせた紅蓮は、体中の痛みを戦意へと変えているかのような覇気を以って言い放つ
その言葉に表情から脇腹の傷の痛みを消し去った瑞希は、自身の武器である鎖鎌を構えて冷たい嘲笑を向ける
「十世界も、とんだ狂犬を飼っていたものですね。そんなことでは光魔神様に嫌われてしまいますよ?」
「好都合だ。その方が本気の殺し合いができる!」
世界の恒久的平和を求める十世界に所属していながら、戦うためにそこに所属し、そして今は誰よりも光魔神との戦いに固執している紅蓮の純粋すぎる殺意と戦意が、魔力にのって瑞希の肌に刺すような威圧感となって降り注ぐ
自身を圧倒する純然たる殺意に身を晒し、その長い漆黒の髪をはためかせる夜薙は、三つの目を剣呑に細める
「そこまでして、あなたは戦いの果てに何を求めているのですか?」
冥力に乗せて届けられた静かな問いかけに、紅蓮は魔力を纏わせた漆黒の剣を軽く横に振るう
「俺は、欲しいものがあるから戦うんじゃねぇ。戦うために戦うんだ」
軽く振るった剣の斬撃によって、魔力に込められた純然たる殺意が物理的に世界に干渉し、この仮想世界の大地を砕く
「あなたは、戦いに呪われているのですね」
大地が砕けた音と、天を震わせる衝撃波と共に届く紅蓮の言葉に、夜薙はどこか同情しているような憐れみの声をかける
「悪いか?」
「いいえ。誰しも、何かに固執するものでしょう――たとえば姫が平和に呪われているように」
声を尖らせて答えた紅蓮の言葉に、夜薙は皮肉めいた口調で言う
何かを成そうと執着するあまり他を顧みない執着を「呪い」と例えるならば、紅蓮が戦いに固執するように十世界盟主は平和に執着している
願いや想いもまた、過ぎれば自分や誰かを傷付け、最悪の場合殺すことになる。そう語る夜薙の口調は、紅蓮や愛梨を嘲笑するものではなく、まるで自分自身に言い聞かせているような神妙な響きを帯びていた
「うまいこと言うな」
「いえ。図らずも、心当たりがあるだけですよ」
その戦意を治めることなく笑みを噛み殺す紅蓮に、肩を竦めて応じた夜薙は鎖鎌を握る手に力を籠めて、軽く身を屈める
それを合図とするかのように、紅蓮と夜薙の纏う空気が一変する。互いの戦意が空気を張りつめさせ、その拮抗が大地にヒビを入れる
「ですが、だからこそ、あなたを行かせるわけにはいきません」
そう言って地を蹴った夜薙の姿を見据た紅蓮は、その口端を吊り上げる
「なら、お前を殺して押し通るだけだ」
漆黒の魔力を帯びた剣を振り上げる紅蓮を見据え、手にした鎖鎌を握りしめる夜薙は、その心の中で自分と共に呪われている人へと思いを馳せる
(――シキト)
※
天から降り注いだ無数の黒雨が地面へと突き刺さり、まるで爆撃のような粉塵を巻き上げる。天を衝くように次々と吹き上がる爆塵の中を、漆黒の衣を翻させながら一つの影が翻る
「――チィッ」
苦々しげに舌打ちをし、漆黒の髪とジャケットのような黒霊衣から伸びる白いマフラーを閃かせる死神――「シキト」は、手にした薙刀状の槍を手に爆撃の雨を潜り抜けていく
「どうした。こんなものじゃないだろう!?」
摩天楼に反響する冥力に乗せられた声がシキトの耳朶を叩く
煽るようなその声に眉間に、シキトがその三つの目に剣呑な光を宿すと同時に手にした槍の刃が倒れ、大鎌へと形状を変化させる
「はあっ!」
冥力を纏わせた大鎌の刃を振るって天空から降り注いでいた攻撃を真正面から迎撃した瞬間、金属質の衝撃音と共に、冥力が火花となって飛び散る
シキトが振るった大鎌の一薙ぎによって弾き飛ばされて地面に突き刺さったのは、上から下まで黒一色の杭を思わせるものだった
「……」
長円錐型の杭の先がくびれ、細く長い柄になっている黒杭が構造を失って空間へと溶けていくのを気にも留めず、シキトは遥か彼方にそびえ立つ高層建築の天頂に立っている人物を見据える
そこに立っているのは、前髪だけが金色になった長い黒髪を首の後ろで束ねた茜色の瞳を持つ死神の男。
その身を包むスーツ似た霊衣の上に羽織ったコートを翻らせたその男の手には、先程シキトに向けて放たれていた漆黒の杭が握られていた
「鎖牙……!」
摩天楼の一角を成す超高層のビルの上に立つその死神――「鎖牙」を見るシキトは、その顔に渋面を浮かべて歯噛みする
まるで葛藤しているような苦しみを帯びているシキトを睥睨した鎖牙は、その内側にある感情の全てを見透かした上で声を張り上げる
「シキト。いつまで冥界側にいる気だ! 俺達の約束を! 椎稲の想いを忘れたのか!?」
「――ッ」
その言葉に歯噛みしたシキトの脳裏に、一人の女性――「椎稲」の顔がよぎり、無意識の内に大鎌を握る手に力が籠められる
「お前は椎稲の想いを継いだんじゃない! 十世界で、椎稲の復讐をしているだけだ」
その言葉に、三つの目をわずかに細め、剣呑な光を宿した鎖牙は、両手に持つ二本の黒杭を薙ぎ払う
「――『黒架逝生』」
その二本の杭から放たれた冥力の紫波が地面を舐めると、そこから次々と黒杭が生えてくる
「なら、お前は何をしている!? 俺達は――こんなことのために戦ったんじゃないだろ!?」
その言葉に怒気――というよりも、やり場のない感情を込めた鎖牙は、無数の黒杭を両手で掴み、シキトへ向けて連続でそれを投擲する
神速で天空を射抜き、尽きることなく降り注いでくる黒杭を見据えたシキトは、地面を蹴って鎖牙へと向かっていく
(――椎稲)
尽きることなく放たれる黒杭を大鎌の刃で弾き、相殺されて砕け散った冥力と、武器と武器がぶつかり合って生じた火花の中でシキトはその視線の先にいる鎖牙を見据えながら、唇を噛みしめる
次々と神速で飛来する鎖牙の黒杭を迎撃し、回避し、一歩ずつ進んでいくシキトはその心の中でもうこの世にはいないその人物に語りかける
「オオオオッ!!」
慟哭の咆哮を上げ、黒杭を大鎌の刃で斬り上げたシキトは、鎖牙の姿を見据えながら互いに違えた過去を思い返さずにはいられなかった
(椎稲……なんで俺達は、こんな風になっちまったんだろうな――)