答えなき答えに誓う
「真紅の神器・『界棋盤』は、簡潔に言っちまえば、限定空間を想像する力を持つ神器だ」
光と共に七人が消えた空間を見据えながら、冥は残された桜と詩織、そしてその力を知らない死神達に向けて自分が知る真紅の神器の能力を説明していた
「その力は、その名の通りその内側に作り出した異空間に対象を引き摺り込むこと――ま、自分達だけの戦闘フィールドを作り出すようなもんだと思っておけばいい」
剣呑に目を細めた冥は、舌打ち混じりに言うと、忌々しげにその黒髪を無造作にかき上げる
「で、内在の空間の風景は、使用者である真紅の思いのまま。そう言っちまえば、空間隔離と同じようなもんに思えるが、それとは決定的に違う面もある」
真紅の持つ神器は、自分だけの空間を作り出すことができる能力。自分だけの限定空間であるという一点では、全霊命が行う空間隔離にも酷似している
何も知らない桜や死神達が、そういう結論に至る前にあえてそう言って釘を刺した冥は、何もない空間を睨み付けて言葉を続けた
「あの神器が作り出す空間は、一言で言やぁ『決闘空間』だ。敵と味方の比率が同じじゃないと発動できねぇから、基本的には一対一で使う物なんだが、あらかじめ真紅と契約を交わすことで今回みたいに敵味方同数を取り込ませることができる」
さらに厳密にいうならば、真紅が扱う神器『界棋盤』が作り出す空間は、そのない空間に世界の理とは別の「理」を設定し、遵守させる
そうして作られた空間は、例えるならば、同じだけの駒を用いて行われる「遊戯」に近い。自軍と敵軍の数は等数でなければならず、自軍と設定された者は特別な理由がない限り裏切りのような行動を取ることもできない
つまり神器「界棋盤」によって作られる世界は、この世界とは別の理が運用される特異世界ということになる
「ってことは、つまり奴は最初から神器を使う可能性も考慮に入れてたってことだな」
(なるほど、それでわたくしが外れた代わりに瑞希さんを……)
冥の説明を聞いていた桜は、声に出さずともその能力を正しく理解して空間に消えた愛する伴侶達の姿を幻視する
(わたくしに糸が絡んでいたのは、わたくしが詩織さんを守る結界を展開していたからでしょうね)
真紅の光が放たれる直前、その傍らにいた死神の女性の糸が絡めとっていたのは、今取り込まれている者達だった
当初は自分――恐らくは自分が守っている詩織と、その中にある神眼を取り込むつもりだったのだろうが、自分に絡んだ糸が神魔によって両断されたために、急遽緊急避難的に近くにいた瑞希を捉えることで数を合わせたのだろうことが推測される
(ということは……)
「一つ、お伺いさせていただきたいのですが」
一瞬にも満たない時間を使って思案を巡らせていた桜は、淑麗な所作で軽く手を上げる
「なんだ?」
「もしも彼らの狙いが詩織さんだったのならば、なぜわたくしを……それに、数が合わないのではありませんか?」
今回取り込まれたのは、七人。真紅の話を信じるならば、彼らは神眼を欲しがっていた。詩織を狙っていたのならば、直接糸を詩織に絡めて取り込めばよかったはずだ
にも関わらず、あえて自分を介することで取り込もうとした。さらに、敵と味方が等しい数でなければ取り込めないのなら、桜と詩織を含めれば八人になってしまうはず。
その後瑞希を加えることで能力が成立したということは、相手は七人。だというのに、八人を取り込もうとしたのは合点がいかない
質問をしてはいても、桜の目にはそれに対するある程度の見解と推測があることが見て取れる。
それを見て取った冥は、おそらく桜が抱いているであろう仮説を確信に変える答えを述べるべく口を開く
「あの空間は、例えるならボードゲームと同じだ。同じ数が必要とはいえ、正確には駒の数を揃えなければならない。つまり、駒として成立しうる力が不足していれば、余分に取り込むこともできる
――ま、全霊命は、駒じゃないから一つとして同じ力じゃない。だから、あれは神能単位で取り込んでるってことになるな」
(やはり、そういうことですか……)
冥から返されたおおよそ想像通りの答えに、桜はその顔に剣呑な色を浮かべる
真紅の神器は、例えるならば神の力で作られたゲーム盤。同じ数というのは、存在の数でもあるが、およそ同格の存在が等数存在していることが最優先される
その観点で見れば、全霊命と半霊命の格が同列として数えられることはない。
つまるところ、真紅の神器は、ほぼ同格の力の数――すなわち神能の数によって取り込む数を決定しているということ。桜を絡めとったのも、詩織を包み込む結界を展開していたからに過ぎない
「神器とはいえ、奴のあれは神格を持っているってだけで、便利なようで不便な代物だ。だが、あれがあったからこそ、奴は無言屈指の暗殺者だった」
桜の答え合わせを終えた冥は、話を仕切り直すように一拍の間を空けてから、厳かな声音で話を続ける
真紅の神器「界棋盤」は、これまで桜達が見てきた神器のような、理不尽で圧倒的な力を持っているわけではない。
ただ、一対一で戦う空間を作り出し、ルールを強制するというその力は、おそらく神器の中でも取るに足らないものだろう――だが、それを真紅という冥界屈指の死神が持てば、それはあまりにも凶悪な力を持つに至った
「奴は元々、死神としても最高位の力を持っていた。その上であの神器だ――分かるだろう? どんな混戦乱戦になろうが、あいつだけは、一対一で戦うことができるんだからな」
「――!」
普段の気さくなそれではない、王としての威厳を孕んで紡がれた鋭い冥の言葉に、それを聞いた者達はつられるように息を呑む
この神器の恐ろしい所は、必ず同じ数でしか空間に入ることができないこと。その力を使えば、どんな大軍の中であっても、一対一で戦うことができる。
元々が最高位の暗殺者。それが一対一での戦闘空間でその力を存分に発揮することができる。――そうなれば、その恐ろしさは言うまでもない
その結果真紅は、多くの大戦で数多の敵を屠り、最強の死神である冥と並び称されるほどの戦果を上げた
「そんなことは、今どうでもいいことです!」
その時、桜が展開する結界の中から、詩織が声を上げる
「中に入った人は、どうやったら出られるんですか?」
神魔達が得体の知れない空間に囚われたというのに、こんな所で呑気にその説明を聞かせていることに耐え兼ねたように口を開いた詩織の視線には、咎めるような強い非難の色が込められている
詩織の脳裏に甦るのは、冥が最初に語った「決闘空間」という言葉。そして、この神器の力を使って真紅という死神が多くの敵を屠ってきたという事実
それを聞いた詩織の胸中は、想いを寄せる神魔がそんな空間に囚われてしまったことへの焦燥と混乱に彩られていた
「早く助けに行かないと……し、みんなにどんな危険があるか、分からないんですよ?」
そしてその言葉に込められた詩織の意志は、神魔が連れ去られたというのにこんな話に呑気に耳を傾けている桜へも向けられていた
「なんでそんなに平然としているのか?」、「神魔のことが心配ではないのか」――目でそう訴えてくる詩織に、桜は沈黙を以って答える
「真紅が神器を解除するか、真紅を殺す……あるいは、真紅が勝利条件を設定していれば、それを満たすことで出られるかもな」
それを動揺と混乱と受け取ったのか、やや語気を強めた詩織に落ち着いた冷静な声で冥が答える
「なら――」
その言葉に顔を強張らせ、矢継ぎ早に言葉を並べようとした詩織に、冥は小さく首を横に振ってみせる
「嬢ちゃん。分かるだろ? あれは曲がりなりにも神器――神の力だ。俺達の空間隔離とは次元が違う」
「……!」
苦々しげに言う冥の言葉を聞いた詩織は、その重い響きに込められた意味を理解して息を詰まらせた
真紅が使ったのは、空間隔離ではなく「神器」。その力には全霊命のそれを凌ぐ神格がある
これが通常の空間隔離ならば、力任せに介入することもできただろう。だが、そんなことができるならばとっくにやっている
「助けに行くことはできない」。
眉間に皺を寄せる冥や、表情を翳らせる死神達。そして沈痛な面持ちで、神魔が消えた空間を見据えている桜の視線が、その事実を詩織に否応なく思い知らせる
「そんな……」
絶望にも似た感情に彩られた声が詩織の口から洩れると同時、その三つの視線を剣呑に細めた冥は口を開く
「俺達にできるのは、あいつらが生きて帰ってくることを信じるだけなんだよ」
そう言った冥の声は、まるでそれを自分自身に言い聞かせているような神妙な響きを帯びていた
※
「――なんのために、こんなことを」
一方その頃、神器「界棋盤」へと取り込まれた大貴は、摩天楼が列なる空間の中で対峙する真紅に警戒心の込められた声を向ける
神器の力を本人から直接聞いた大貴は、一歩間違えば九世界への敵対どころか、十世界での立場も危うくしかねない行動を取った真紅の真意を問わずにはいられなかった
「余計な邪魔が入らない場所で、お前と話をしたかったからだ」
大貴の左右非対称色の視線を、三つの目で真正面から受け止めた真紅は、その問いかけに真摯な声音で応じる
「俺と?」
訝しげな表情を見せる大貴に、「あぁ」と静かな声で答えた真紅は小さく笑みを浮かべてその視線を、摩天楼の先にいるその人物へと向ける
「ああ――まぁ、紅蓮には悪いことをしたが、な」
大貴と戦うことに誰よりも固執していたのは、紅蓮だ。当然、この世界に入った紅蓮は、大貴と戦うために真っ先に向かおうとした
だが、そんな紅蓮を夜死の力によって妨害し、ここへとやってきた真紅はその一連の流れを思い返して肩を竦める
「お前は、九世界に利用されていることに気付いているのか?」
遠くにいる紅蓮へと知覚と意識を向けていた真紅は、その視線を大貴へと戻すと神妙な面差しで問いかける
「――……どういう、意味だ?」
「お前が九世界を回るたび、お前と十世界の溝は大きくなっていく」
その言葉に身を強張らせた大貴の様子を窺いながら、真紅は言葉を言葉を選びながら、丁寧に語りかける
「お前が九世界を回り、各世界で歓迎を受けて親しくなるだろう。そうすれば、お前の気持ちは否応なく九世界の者達に傾いていくことは明白だ」
「――!」
真紅が語りかけてくる言葉の内容に、大貴は思わず目を瞠る
大貴が今九世界を回っているのは、九世界が干渉を禁じているゆりかごの世界に無断で干渉、滞在し、極刑を言い渡された神魔と桜へ、魔界王が示した条件――十世界を滅ぼし、姫を殺せれば無罪放免するという刑罰に同行しているからだ
そうしたのは、神魔達に頼まれたからという理由もあるが、何より大貴自身が九世界、そして十世界をその目で確かめたいと思ったからでもある
「未だ覚醒は不完全とはいえ、光魔神の力は今の九世界では反逆神と並んで世界最強。九世界は、その力を是が非でも自分達の陣営に取り込みたいと考えている」
粛々と語られる真紅の言葉を聞く大貴は、演技をするでも知っていることをにおわせるでもなく、ただそれを真摯に受け止めていた――。
九世界はすでに、十世界に敗北している。
この世界にある全てを創造した神位第一位「創造神」と「破壊神」に列なる光と闇の神々がこの世界を去った今、それら真の神から生まれた異端神こそが、この世界で最強の存在となる
そして、異端神の中でも最も強い力と神格を持つのが、円卓の神座の三柱――№0「無極神・ノウト」、№1「光魔神・エンドレス」、№2「反逆神・アークエネミー」だ。
そして、かつて異神大戦によって無極神が封じられた今、この世界に存在する最強の異端神は光魔神と反逆神の二柱となっている
その内の一柱「反逆神」を仲間にしている十世界に真正面から戦いを挑んでも九世界は絶対に勝つことができない。
ただ、恒久的世界平和を理念として掲げる十世界が力による勝利を望まないために、かろうじて現状が維持されているに過ぎないのだ
だが、九世界が光魔神を味方につければ、その勢力図は一変する。同じ円卓の神座である覇国神もいるとはいえ、完全に覚醒した光魔神を味方につければ、九世界は十世界と渡り合うだけの力と可能性を得ることになる
「――お前が、どう言われて世界を巡っているのかは知らない。だが、お前が意図していようといまいと、一日奴らと過ごすたび、お前の中では九世界が大きく正しいものに変わっているんだ」
静かに紡がれながら、しかし焦燥感に満ちたその言葉に耳を傾ける大貴は、かつて神魔から聞いた理由を思い出していた
極刑を逃れるために、十世界を滅ぼすことを目的とする神魔達とは違い、大貴の目的はあくまでも世界をこの目で見ること。
だが、神魔達と行動すれば必然的に九世界の存在が大きくなり、十世界と敵対すればするほど敵愾心が育てられる。
例え大貴がそうではなくとも、十世界に所属する者達が。共に過ごせば過ごすほど、本人の思惑を超えたところで様々な想いが絡み合い、選択肢――特に九世界にとって最悪の結末である光魔神が十世界に味方するという可能性を小さくできる
《光魔神様は十世界に行かないでね》
《もう、こんな思いはしたくないから――大切な友達を失うのは、もう嫌なの》
脳裏に思い返されるのは、妖精界で出会った精霊「アイリス」の言葉。そして同時にそれは、真紅の言葉が正しいことを裏打ちする事実でもあった
真実を話した神魔がここまで見通していたかは判然としない。だが、たとえ真実を知っていて、それを踏まえて行動していても、人との因果は結ばれていくのだ
「俺は……」
その様子を見て、大貴に思い当たる節があるらしいことを見て取った真紅は、低く抑制された声音で問いかける
「お前は今日まで過ごしてきて、九世界と十世界、それぞれの良い所も、変えたいと思うことも見てきたはずだ」
大貴に今日までの足跡を思い返させるように、真紅は一言一言を刻みつけるようにゆっくりと紡いでいく
本人が気付いているかは分からないが、現在の世界の中心は大貴だ。
九世界も、十世界も、様々な想いが光魔神を軸として絡み合っている。そして、その軸を回すのは、想いであり、人と人との結びつきだ
「この世にある選択は、必ずしもどちらがが正しくてどちらかが間違っているから選ぶとは限らない。それぞれに良い所も悪いところもあり、それでもどちらを選ぶか――今、お前に求められているのは、間違っていないものを肯定し、正しいものを否定する選択だ」
毅然とした響きを以って紡がれた真紅の言葉に、大貴は思わず唇を引き結ぶ
これまでの出会いや、世界を巡ってみて、大貴が抱いてた感想はたった一つ
「九世界と十世界。それぞれに正義と大義があり、一概にどちらが間違っているとは言えない」というものだけだった
各人、各世界、各集団、それぞれが、己の信念を掲げ、己の信じるもののために戦う。中には共感できるものもあれば、同意しかねるものもあった。
あるいはそう納得せざるを得ないもの、取り返しのつかないもの、そしてもしかしたら選べたかもしれない道――そのすべてが正しく、そしてそれと等しい過ちだった
結局のところ、それに正しさを見出すのは、自分であり、自分が正しいと思ったことが必ずしも相手にとって正しいとは限らない――そんな、当たり前の、そして誰もが行きついてしまう凡庸な結論にしか辿り着けてはいない
「考えることもいいことだ。だが、必ずそれに答えを出さなければならない」
九世界と十世界。その二つの教えに絶対的な善悪はない。ただ、自身の心が何を求めるのか、でしかないのだ
だからこそ、真紅は大貴に問いかける。目の前にある正しくない道を選択し、間違っていない道を切り捨てる覚悟を。
「九世界と十世界が共存することは不可能だ――この世界が二分されない限りは。だが、我らは今、それを定める分岐点にいる」
差し出した手を強く拳に変え、真紅は揺るぎない意志の込められた三つの視線で、世界の境界に立つ光魔神に、世界の選択を迫る
争いを否定しない九世界と、争いの全てを失くそうとする十世界は表裏一体。その二つの在り様は同時に存在できても、共には存在できない
ならば、今世界を選ばなければならない。
この世界を生と死が二分するように。
光が世界を照らし、闇が世界を呑み込むように。
全ての命に平等な自然の理を否定し、自分達だけに平等な法が作られたように。
法が生まれた瞬間に、善と悪が生まれたように。
そして、人を想えばこそ、愛と憎しみが生まれるように。
「我らは、神から与えられた世界を、弱者の権利を以って選択する!」
抑制された声音の中に強い想いを宿して、真紅は光魔神――大貴に宣言し、宣誓する
「だからこそ、お前には、今日。ここで、答えを出してもらう。お前自身が選ぶべき、世界の姿を」
大貴に言い放った真紅の三つの目には、ここで言い逃れることを許さないという強い意思が込められていた
そして、その目を見た大貴は同時に理解していた。真紅が一歩間違えば十世界の信用を貶めかねないようなことをしてまで、この場所を用意した真意はここにあったのだ。
外で問いかけても、別の誰かが横槍を入れるだろう。あるいは、共に旅した者達への遠慮から、本心を言えないかもしれない
だからこそ、必ず敵味方同数でなければ存在することのできないこの空間で二人きりになる必要があったのだ。大貴の――光魔神の答えを聞くために。
「姫は、待つと答えたようだが、時間をかければかけるほど、選択の余地は小さくなっている。約束されていたはずの選択肢は、ただの飾りへと成り下がってしまうんだ」
真紅もまた十世界の幹部の一人。当然、人間界での大貴と愛梨のやり取りを知っている
あの時、十世界へと誘われた大貴は、まだ選べないと愛梨に答え、愛梨もまたそれを了承した。だが真紅は、もう待てないと――これ以上引き延ばせば、大貴が九世界を切り捨てられなくなると考えて、このような強硬な手段に出たのだ
「これは、俺の独断だ。――だが、それでも今選んでほしい。聞かせてほしい――」
あらかじめ、自分の独断であることを断った真紅は、その言葉に一抹の謝罪の念を込めながら、しかしそれ以上に十世界――そして、姫を思えばこその言葉を投げかける
「お前が選択する世界を」
その言葉に澱みはなく、確かな決意を以って紡がれている
「そして――」
その言葉に込められた真紅の思いは、どこか祈るような願いにも似た響きを以って、まっすぐに大貴へと届けられる
「お前が、望む世界の在り様を」
その言葉を向けられた大貴は、そこに込められた真紅の願いを受け取って、それに真摯に向かい合うべく瞼を閉じて今日までの日々を思い返す
「――俺は……」
(そうだ。このまま答えを先送りにし続けることなんてできない)
確かに、真紅の言う通り、九世界の王たちが用意したこの道を、このまま漫然と巡っていても、きっと導き出せる答えは変わらないだろう
(俺は決めたはずだ。「この世界に関わる」って)
それどころか、時間をかければかけるほど、九世界から――神魔やクロスといった恩義ある仲間達、あるいはアイリスのように出会った者達を敵にしたくないという思いだけが強くなっていく一方だ
(なら俺は、俺なりの答えを持っていないといけない……!)
九世界と十世界のどちらを選ぶのか、その答えをいつまでに出すのか、愛梨は求めなかった。
愛梨が答えを聞きに来るまでこのままの状態を続けているわけにはいかなかったのだ。遅かれ早かれ、大貴は自分の意志で、自分のための答えを出す必要があった
「多分、その答えはもう決まってる」
「……!」
自分に言い聞かせるようにして問いかけ、そしてしばしの沈黙の後に静かな声音で紡がれた大貴の言葉に、真紅は答えを求めるように視線でその先を促す
真紅に尋ねられ、自分自身に問いかけるように意識を潜らせた大貴は、思っていた以上に容易く自分の中にあったその答えに気付くことができた
それは、神魔達と出会い、九世界を巡る今日までの日々の中で培ってきた大貴の心が導き出したもの。自分はもちろん、今まで出会った全ての人とのつながりが生み出した答え
存在の壁に絶望し、禁忌を犯した者がいた。
愛する者のために自らの命を懸けた者がいた。
存在の禁忌であることを受け入れ、懸命に生きる者達がいる。
九世界と十世界。互いに決して違わぬ願いを抱きながら、決して相容れることのない理念と信念を掲げる者達の想いに触れて導き出したもの
《あなたはそのお心のままに、その境界線を見極めてください――光と闇の境界そのものであるあなたの御心で》
(あぁ)
心の中に響くのは、かつてヒナから送られた言葉。
選んだ道が正しかったのか、自分はどうするべきだったのか、迷っている自分にかけてくれたそれは、今思えば背を押すものでもあり、自信を持ってほしいという激励の意味も込められていたように思う
(これが、俺の答えだ)
心の中にある全幅の信頼が込められたヒナからの言葉を胸に、大貴は自分を見据えている真紅へ向けて自分の答えを口にする
「選べるかよ、そんなもん」
「……!」
その言葉に、真紅の眉がわずかに顰められる。表情を表に出さないようにしてるのだろうが、そこに浮かぶ不愉快そうな面色は隠しきることができていなかった
「その二つがどっちも正しいなら、俺はその両方を選ぶ。九世界も十世界、どっちかを切り捨てるなんてしない」
九世界は正しく、そして十世界は理想的だ。それを正邪で断じることは大貴には――否、きっと誰にもできないだろう
ならば、どちらも選べばいい。十世界の理想を切り捨てるのではなく、九世界の現実を否定するのではなく、現実と理想を一つにすればいい。――それが大貴の出した結論だった
「ふざけるな」
だが、そんな子供じみた答えを真紅が許容するはずなどなかった
そんなことができるならば、とっくにやっている。できないことを、やれるという根拠のない自信と理想論で先延ばしにしても何かが変わることはないのだ
いつかはできる。そんな言葉で事態を引き延ばせば、互いの傷が深くなっていくばかり。時間が解決してくれる問題もあるだろうが、これは時間が経てば経つほど取り返しのつかなくなるものだ
「そんなものを――」
「勘違いするなよ」
静かな激情と共に、理路整然とそれが不可能な選択であることをあげつらおうとした真紅の言葉を、刃のように研ぎ澄まされた大貴の声が遮る
「俺は、世界を選ぶ側じゃない。世界を決める側だ」
「――!」
思わず言葉を呑み込んだ真紅は、まるで宣誓するように述べられた大貴の言葉に、その三つの目を剣呑に細めた
それは、自分が与えられた世界の理の中で、法を定め、信念を貫き、正義を貫く全霊命とは違う、自らが理を含めた世界を創る側であることを――自らの存在を以って宣言するもの
大貴が言うならば、それは決してただの戯言ではない。それには、その意味があることを真紅は分かっていた
「俺はずっと見てきた。自分の誇りを持って、世界に向き合ってきた九世界の人達も、皆が仲良くなれるようにしたいって思ってきた十世界のことも」
憤りを滲ませた真紅の三つの視線を真正面から受け止め、大貴は一言一言に想いと思い出を込めながら言葉を紡いでいく
大貴がこれまで見てきたのは、憧れるほどに正しい現実と、夢見るほどに優しい幻想の狭間で自らの信念と誇りを以って生きる者達。
自らの犯した罪から目を背けず、直接自分が犯したのではない禁忌の身であっても、自らのそれを受け止め、それらさえもが自分だと、世界を見据えて歩く者達の姿
そして、今の世界にある悲しみや痛みを失くしたいと、誰もを愛して、誰とも手を取り合えると信じて世界を変えようとする者達
その高潔で誇り高い在り方は、どれもが尊い。ならば、その全てが叶うならばそれが一番いいに決まっている
だが、そんな自分の考えは九世界から見ても十世界から見ても、ひどく幼稚なことだということも大貴には分かっていた
「あんた達から見れば、傲慢に見えるのかもしれない。馬鹿げてるって思うかもしれない。
でも、俺はそれでもそうしたいって思ってる。――それが、俺の信念なんだ!」
例え自身の思いが脆いものであろうと、大貴は神魔やクロス今日までであった九世界の仲間たちと十世界の理想を切り捨てたくないと、毅然とした声で真紅に訴えかける
「正義ってのは、ここにあるもんだろ? なら、どっちも間違ってないと思ってるのにどっちかを正しいことにして選ぶのは、自分の信念を曲げるのと同じだ」
握りしめた拳を己の胸に当てた大貴は、真紅を見据えて力強い声で言い放つ
正しいことをしたいのではなく、正しいと思っていることをすること。――大貴の願いは、愛ゆえに争い、愛ゆえに争いのない世界を作りたいと思っている九世界と十世界の正しくも愛容れない矛盾に等しいものだった
だからこそ、真紅はそれを嗤わない。その想いは違っても、自分達と同じであることを知っているからこそ――そして大貴だからこそ、その言葉に耳を傾ける価値がある
「俺が光魔神に目覚めたばかりの頃、色んな奴が俺を悪意に染まらないように導いてくれた。
俺が正しく光魔神になれるようにしてくれた。なら俺は、それに答えてみせる。俺なりの光魔神として、胸を張れる自分でいてみせる」
思い返せば、光魔神の力に覚醒したばかりの自分は、神魔やクロス達はもちろん、紅蓮達十世界の存在に支えられてきたのだと大貴は感じていた
神敵の巣窟であるゆりかごの中で育ち、悪意に染まった自分が正しく光魔神になれるように、時に刃を、時に心を以って接してくれていたのだ
それは必ずしも好意的な理由ばかりではなかっただろう。ただ単に、光魔神が反逆神に取り込まれないようにするためだったのかもしれない。
だが、いずれにしても誰もが望んでくれていたのだ。光魔神という存在を。ならば、自分はそれに答えなければならない。そして応えたいと思っている――誰もが望み、誰もが信じ、そして誰もが望まない光魔神であることを。
「俺は光魔神だ。光も闇も、何もかもを受け入れ一つにする神。九世界と十世界が相容れないなら、俺の一つに繋いでやる」
その手の平からこの世界で唯一、光と闇の力を等しく持つ神能――「太極」の力を解き放ち、それを真紅に見せつけるようにしながら大貴は、少しでも自分の決意が届くように訴えかける
「信じてくれなんて言わない。信じられなくてもいい。でも俺が、光魔神だっていうなら……神の力があるなら、それはその力で世界を選ぶことはしない」
光魔神とは、光と闇、白と黒、善と悪――互いに相反し、相容れないものを一つに束ね、その境界を以ってその全てを肯定する神。
現実と理想。九世界と十世界――この世界に生きる者達には、その相反するものを選ぶことしかできないかもしれない。だが、全を一に、一を全となす光魔神――自分ならば、両方を選ぶ選択ができると断言した大貴は、真紅へ向けて黒と白の力を纏う拳を真紅へと向けて突き出す
「だから……九世界も十世界もまとめて面倒見てやるよ」
光魔神である自神を信じ、思い出とこれまでの絆、そして自分の決意を胸に、その心を言葉に乗せて言い放った大貴は、真紅を真正面から見据えて言い放つ
「俺は、全部を叶えられる神になってやる」
まるでその手にあるものが、この世界の未来――自分が望む世界であると訴えるようにしている大貴の左右非対称色の目には、自分自身――光魔神としての矜持が込められていた
「神になる……か」
大貴の答えを受け止めた真紅は、その三つの視線を伏せて先程までのやり取りに思案を巡らせる
(確かに、全霊命にできないからといって、光魔神にできないとは限らない……か)
その言葉に込められた確かな可能性を肯定しながら、しかし真紅は険しさを消せない三つの瞳に大貴を映す
確かに光魔神はこの世に存在する相反するものを全て内包した一つのものとして顕在化させる神。未来永劫続いていく、終わりなき世界の理。
ならば、現実の世界と理想の世界という相容れないものを一つに束ねられる可能性がないとは言い切れない
「未覚醒の神の癖に、偉そうなことを言うものだ」
そして、しばしの間――時間にして数秒ほど。だが、その神能を用いて世界のあらゆる理を否定する全霊命にとっては十分すぎるほどに長い時間――の思案を経て、真紅は口端を吊り上げて言う
「全てを選ぶ」。受け取る側にとっては、逃げているとも、諦めないとも取れる答えと光魔神という根拠を以って宣言する大貴の言葉は、真紅にも一概には否定しきることのできないものだった
確かに一抹の可能性に賭けてもいいかもしれないという思いはある。だが、それは大貴が完全に光魔神として覚醒していればの話だ
「だがいいだろう。それがお前の出した答えなら、俺にそれを信じさせてみせろ」
ただの一介の全霊命が述べていたならば、歯牙にもかけなかったその答えに、真紅は口端を吊り上げてその身体から、戦意に彩られた冥力を解き放つ
「――!」
「確かにお前は俺ただの全霊命とは違う。なら、お前の光魔神の可能性に耳を傾けてやってもいい」
知覚はできないため、その力が解き放たれたことは大貴には分からない。だが、少なくとも真紅の纏う気配が対話をするものから、刃を交えるそれにかわったことだけは感じ取ることができた
「だが、〝そうしたい〟だけで終わらないと、なぜ言い切れる? まだ覚醒も叶わないお前を信じていいのか?」
「……!」
反射的に臨戦態勢をとった大貴に、その腕が漆黒色に染めた真紅が問いかける。
だが、それは大貴にではなく自分自身へと向けられたものだった
「武器を取れ、光魔神」
血管を思わせる緋色の蛍光線が奔った金属質の黒色へと変わった腕を軽く振るった真紅は、光魔神へと視線を向けて口を開く
大貴の答えに対する問答に成否はなく、意味もない。結局それは結果論でしか語ることができないものだからだ
だからこそ真紅は、問いかけねばならなかった。――大貴にではなく、自分自身に。
「お前にそれができるかどうか、俺がお前の器を測ってやる」
それを確かめるために戦意を放った真紅は、大貴に武器を持つように求める。もしも自分の力に及ばないならば、大貴の言葉も心も信じるに値しないと断じるため。
そして、もしも大貴の力がその言葉を叶えるに値するならば、期待を持ってもいいのではないかと。そしてそれは、ある意味で愛梨の荒唐無稽な根拠のない信頼に似た大貴の自信を少しだけ信じてみたいという気持ちがあったのかもしれない
「上等だ」
真紅に問いかけられるように、戦意の込められた向けられた大貴は、それに応えるべく黒白の力を纏う太刀を構えてそれに応じるのだった