尾を引く想いに囚われし
「オオオオオオッ!!」
純然たる戦意の込められた声と共に、大貴の持つ太刀に絡みついていた黒と白――この世界で唯一たる光と闇の力を等しく持つ神能「太極」の力が解き放たれる
全てを滅ぼす神格のままに、世界を消し去るに足る力を以って渦を巻く力の波動が迸り、その標的――冥界を総べる死神の王「冥」へと向かっていく
「へぇ、これが噂に名高い光魔神の神能――『太極』か……」
自分へと向かってくる聖なる光と魔なる闇が同居する力の波動を、三つの眼と知覚で見届けた冥は、口端を吊り上げて軽くその手をかざす
その手からは、知覚の及ばない死神の神能――紫色の「冥力」が、大貴にも見える形で溢れ出してくる
「――面白れぇな」
※
(これが、冥界王の武器か……!)
太刀を構え、肩で息をする大貴は左右非対称色の瞳で、漆黒の髪と霊衣をたなびかせながら佇んでいる冥の姿を見る
剣呑な光を宿す左右非対称の双眸の光と共に、光と闇の力を持つ力を纏う太刀の切っ先を向けられていた冥は、ふと笑みを零すと肩の力を抜いて悪戯気に笑っていた
「サンキュー、光魔神。変なこと頼んで悪かったな。楽しかったぜ」
その言葉と同時に武器の剣先を下げた大貴は、腰に手を当てて満足気な笑みを浮かべている冥に答える
ここは冥界城の中にある訓練場とでも言うべき場所。円形のドーム状になっている室内は、全霊命同士が戦うために、会場部分が人間界の技術によって隔離された時空になっている
その特殊空間の中では大貴と冥が戦っており、その様子は会場の周囲に設けられた客席からモニターによって見ることができるようになっている
そして、その戦いの様子を大貴の付き添いで来た瑞希と、冥の監視役として同行した時雨の二人だけが観戦していた
「いや、勉強になっ、なりました」
「なった」と言いかけたのを言い直した大貴がややぎこちない敬語で答えると、歩み寄ってきた冥が軽く手を差し出す
「固ぇなぁ。まあ、いいけどよ」
その手を取った大貴とと握手を交わした冥は、軽く肩を竦めて笑う
食事を終えた後、大貴は光魔神の力に興味を持っていた冥のたっての頼みで、ここで模擬戦として軽く刃を交えていた
最初に合った時にそのようなことを言っていたため、特に驚きはしなかった大貴は、冥界の王と手合せできる機会を存分に活用して冥の実力の片鱗を間近で見ることにしたのだ
命がけの戦いとは違い、どこか余裕のある模擬戦は大貴にとってもいい気分転換になったようで、その表情は心なしか晴れやかになっているように見えた
「ところで、光魔神。ちょっと頼みがあるんだよ」
「頼み?」
握手をしていた手を離すと同時に、その表情を変えた冥の神妙な面差しと低く抑制された声音に、大貴は首を傾げながらも心身をわずかに緊張させる
大貴よりも背が高いため、頭一つ分ほど高い位置にある冥の表情は、先ほどまでとは打って変わって真剣なものになっており、王の威厳ともいうべき風格を感じさせるものになっていた
「あぁ。シキトの事だ」
(シキトって、確か案内役の男の方だったな)
シキトといえば、自分達の案内役をしてくれている死神。大貴がこの世界に来て最初に刃を交えた死神でもある
「あいつと夜薙をお前の案内役にしたのには、意味があるんだ」
冥の口から出たシキトのことを思い返す大貴は、左右非対称色の双眸で自分を見据えている三つの眼と視線を交錯させて次の言葉を待つ
「率直に言うが、あいつらの仲を取り持ってやってくれないか?」
「……は?」
そして、真剣な眼差しと共に告げられた冥の頼みを聞いた大貴の口からは、たっぷりと数秒間の間沈黙の後にやや上ずった声が漏れていた
「仲を取り持つ」。――普通に考えれば、その言葉が意味するところは関係を親密にすること。男女の間柄に関して言えば、恋仲にしてほしいという意味だ
まさか、そんなことを頼まれると思っていなかった大貴が、何か別の意味があるのではないかと必要以上にそれに含まれる様々な意味を考えてしまったのも無理からぬことだろう
あまりにも真剣な表情で告げられたあまりにも予想外の提案に、一瞬思考が空白になってしまった大貴の前で冥は神妙な面差しを崩さぬままに腕を組んで話を続ける
「あいつらは、いわゆる幼馴染ってやつでな。俺から見ても、中々お似合いだと思うんだよ。だが、近すぎると逆にダメなのかねぇ? この何億年も全然進展してないんだ」
その眉間に皺を寄せ、焦れったさが滲む声で呆れたように言う冥の言葉に、大貴は困惑を隠せずに言う
「いや。だから、なんでそれを俺に……?」
シキトと夜薙のことは知らないが、「男女のことに口をはさむのは野暮と言うものではないのか」とばかりに気乗りのしない様子で答える
何よりも、恋愛の機微に疎い自分にそのようなことができるとは、大貴には到底思えなかった
「馬鹿野郎。全ての死神、部下の幸福を守るのが王たる俺の務めだ!」
しかし、そんな大貴の興味の薄そうな反応を見た冥はその肩に手を置くと、抑制された強い語気で言い放つ
死神の証でもある三つの目を持つ貌に浮かぶ表情は真剣そのもので、その言葉に込められた思いに嘘偽りがないことを雄弁に物語っていた
(良い事言ってるように聞こえるけど、これ楽しもうとしてるよな……)
だが、同時に大貴はその姿に懐疑的なものを覚えずにはいられない
この世界に来てさほど時間は経っていないが、その短時間で目の前にいるこの人物――この「冥界」とこの世界に住まう全霊命である「死神」を総べる王冥の楽しいことを優先するという性格を散々体験している
大貴には、自身に注がれる真剣な三つの眼差しに、シキトと夜薙の仲を取り持つ大貴の構図を観察して楽しみたいという、野暮にもほどがある感情が透けているように思えた
「俺、そっち系はからっきしなんだけど……です」
「大丈夫。お前ならできるさ! なんたって光魔神なんだからな!」
だが、大貴の拒否したい気持ちを乗せた言葉も、親指を立てて自信に満ちた満面の笑みを浮かべる冥によって一蹴される
(なんだその理屈は……)
光魔神とは、この世界で唯一光と闇の力を持つ異端神。その力は全にして一、一にして全――すなわちこの世の全てということだ
光と闇、相反する力を一つに束ねるその権能は、まるで全ての境界を取り去っているかの如く。ならば男と女という相反するものの境界も取り去ることができる
冥の言葉からは、そんな暴論ともいえる根拠のないその考えを感じ取った大貴は、内心で辟易しながら肩を落とす
(仕方ないな。ここははっきりと断っておくか……)
遠まわしな拒否では冥から逃れられないことを察した大貴は、内心ではっきりと拒絶の言葉を言う決意を固める
「いや、俺は……」
「ま。あの二人はお前の案内役だ。ってことは、嫌が応にもずっと一緒にいるわけだから、折を見て二人をイイ感じにしてやってくれ」
しかし、そんな大貴の考えを察したのか、それ以上言葉が出るよりも先にそう言って一方的に話を終わらせた冥は軽くウインクをしてその身を翻す
「あ、ちょ……っ」
やや強引に話を終え、歩き去ろうとしていた冥は背後から自分を呼び止めようとしている大貴の声に足を止め、肩越しに振り返って不敵な笑みを向ける
「期待してるぜ。たのし……じゃなくて、二人のことを頼んだ」
(今、本音が聞こえたぞ!?)
「楽しませてくれ」と言いかけたように聞こえる言葉と共に、冥は背中越しに軽く手を振って別空間として生成されているこの空間を出ていく
自分の用件だけを述べ、さっさと時雨の許へ帰っていくその姿を見送っていた大貴は、憂鬱なため息をついて自分もこの隔離された空間を出る
「はぁ……」
(ま、やるふりだけしておけばいいか)
あのまま食い下がることもできたが、無理に冥の頼みに従う必要はないだろうと考えながら空間を出た大貴は、自分の同行者である瑞希の許へと歩み寄っていく
「お疲れさまでした。ところで最後、冥界王様となんの話をされていたのですか?」
大貴を出迎えた瑞希は、最後に二人が交わしていた話の内容を尋ねる
隔離された空間内の音声を、外で観戦している者達にモニターで見せるかどうかは匙加減一つ。今回は音声を拾わないようにしていたため、二人の会話は観戦していた瑞希には聞こえていなかった
「……いや、これまでで最高の無理難題を吹っ掛けられた気がする」
二人の会話が聞こえていなかった瑞希に訊ねられた大貴は、乾いた笑みを浮かべて会場の反対側で時雨と肩を並べている冥を見る
「?」
そんな大貴の言葉を聞いた瑞希は、その意味を掴みあぐねて訝しげに柳眉を顰めるのだった
「光魔神様が困っていたようですが、何をお話しされていたのですか?」
一方その頃、冥を出迎えた時雨は画面で見ていたやり取りを思い出しながら、自身の夫にしてこの世界の王たる男を問いただす
冥の性格も悪癖も全て理解している時雨が、画面のやり取りの中で大貴が見せた表情の意味を訊ねるのは当然のことだった
信用していないわけではないが、面白いを行動原理としている冥がその好奇心のままに客人である大貴に失礼なことをしてはいないかという危惧を抱いてしまうのは、時雨が身を以ってその悪癖を体験してきているからだった
「ん? あぁ、大したことじゃねぇよ。シキトと夜薙のことを頼んできたんだ」
「またそのようなことを……」
悪びれた様子もなく答えた冥の言葉に、一瞬その三つの目を驚愕に丸くした時雨は、口元を扇子で隠して疲れた様なため息をつく
だが、呆れた様な声音で言っていても、時雨が冥を窘めたり怒ったりする様子はない。それは、冥の行動に込められた真意を時雨が正しく汲み取っているからだった
「あいつらも、もうそろそろ前に進むべきだろ。そろそろあいつらを椎稲から解放してやらないといけないからな」
その三つの目を細め、ここにはいない二人――シキトと夜薙へと意識を向ける冥の横顔へ視線を向ける時雨は、沈黙を以って答える
「『ヘイルダートの悪夢』の続きから目覚めさせてやるのさ」
低く抑制された冥の言葉は時雨の中で反響を繰り返し、大きな湖の水面に生じた小さな波紋のように広大な室内で広がり、大貴達の耳に届くことなく溶けていった
※
太陽が月へと変わり、夜の帳が下りた空から青白い月光が窓を介して室内に差し込んでくる。その光に照らし出されるのは、一つの影――ではなく、そう錯覚してしまうほどに身体を密着させた一対の男女だった
「……んっ」
月光に照らし出される艶やかな桜色の髪を指で優しく梳かれた桜は、その手の主――神魔へと視線を向けて切なげな吐息を漏らす
自分達に宛がわれた部屋の中で、もはや日常の一部となっているほどに慣れた愛おしい温もりを分け合うように、互いに身を寄せ合う伴侶の悪魔達はその視線を交錯させて二人だけの時間を堪能していた
「申し訳ありません、神魔様」
「何が?」
しなだれかかるように身を預けていた桜が不意に発した言葉に、神魔は怪訝そうに首を傾げる
「詩織さんの事で、あなたの御心を煩わせてしまって……」
その美貌と声音に憂いを落とした桜が言うと、神魔は優しく抱き止めた伴侶に優しく微笑みかける
「桜の所為じゃないよ」
そう言って桜に微笑みかけた神魔は、思案気な表情を浮かべて突然態度が豹変した詩織のことを思い返しながら言う
「でも、やっぱりこの間のことが原因なのかな?」
詩織が自分に向けている想いに全く気付いていない神魔は、自身が最も思い当たる事柄を思い浮かべていた
「それが、きっかけになったことは間違いないと思います」
神魔の言う「この間のこと」が、先日妖精界で反逆神の口から語られた真実――ゆりかごの人間が神敵の眷属であること――であることを正しく解している桜は、最愛の人に身を委ねながら静かな声で応じる
詩織の中では、すでにそのきっかけとなる想いは燻り続けていた。それが、自分が悪意の眷属であると知ったことで、あふれ出してしまったに過ぎない
許されない想いに苦しんでいたさなか、自分が世界から忌み嫌われる存在であることを残酷な形で告げられてしまったことで、詩織はその気持ちの整理をつけることができなくなっているのだということは桜にも分かった
(わたくしが詩織さんの想いを否定していたら、このようなことにはならなかったのかもしれませんね)
詩織のことを案じる神魔の腕の中で、桜は自身の行いを省みて目を伏せる
神魔にしなだれかかり、その胸に顔を埋めるようにする桜の胸中に芽生えるのは、自身の判断への疑念と後悔だった
かつて全霊命と半霊命の愛が世界でも指折りの禁忌であると知り、もし結ばれば命を落とし、愛した人とその子供に永遠の罪を与えることになると苦しむ詩織に、桜は「神魔が求めるならば」と妥協案を提示した。
そうしたのは、同じ人を愛しているからこその同情であり、愛する人を守るため。 決して詩織の想いが神魔に伝わり、二人の想いが成就する可能性などないなどと高を括っていたわけでもない
そしてそれは、愛し合う者同士が結ばれる多夫多妻がの感覚を持つ桜にとって――否、この九世界に住まう全霊命ならば、当然ともいえる判断だった
「禁忌であると分かっていても尚、神魔が望むならば」。「神魔が幸福になれるなら」――桜は、ただその一心で詩織に条件を提示した。
ただその一方で、禁忌は禁忌。神魔のことを想えばこそ、詩織の想いが叶わない方がいいと思っていたのも事実だ
今となっては手遅れだろうが、あの時、あんな条件を提示せずに詩織を冷たく突き放していたのなら、このようなことにならなかったのかもしれないと思うと、桜は自身の判断を責めずにはいられなかった
「やっぱり、言っておくべきだったのかな……ま、もう後の祭りだけどね」
最も早い段階から詩織と関わっていた立場として、その事実を伝えていなかったことに責任を感じている神魔の言葉に、桜はその腕の中で小さく首を横に振る
「神魔様が悪いのではありませんよ。わたくしも、同じことをしていたかもしれません……ですから、あまりご自分を責めないでください」
ゆりかごの人間が悪意の眷属であることを教えるか否かは、判断が分かれるところだろう。間違ってはいなかっただろうが、間違っていなかったとも言い切れない
そんな神魔を案じて優しい声で語りかけた桜は、自分を包み込むように抱きしめてくれている伴侶に見つめられて息を呑む
「桜もね」
「――!」
詩織のことで自分を責めている神魔を桜が慰めたように、神魔は詩織のことで気を揉んでいる桜に優しい声で微笑みかける
そんな神魔の気遣いに軽く目を瞠った桜は、その美貌を花のように綻ばせる
「いけませんね、あなたに御心配をおかけしてしまうなんて」
(相変わらず、お優しいですね)
愛おしげに眼を細め、最愛の人に大切にしてもらえている幸福に彩られた淑やかな微笑を浮かべた桜は、その想いを自分の存在に染み込ませようとするかのようにその薄紫の瞳を瞼の下に隠す
(神魔様は、わたくしも、詩織さんのことも考えてくださっているのに、わたくしはいつも神魔様のことしか見えていません……きっと、それがわたくしのダメなところなのでしょうね)
桜の最大の誤ちは、神魔の幸せを心から願っていても、詩織の幸せのことは一切考えていなかったこと。
もちろん不幸になればいいと思っていたわけではないが、桜の意識、行動の根底に詩織の事は排、除されているといってもいいほどに考慮されていない
(ですが、わたくしらしいです)
何よりも神魔を優先し、大切にする――それが自分の欠点であることを自覚しながらも、他の全てが見えなくなるほどに神魔を想い、愛している自身のことが桜は嫌いではなかった
「はい。――では、できるだけ早く詩織さんと仲直りして、神魔様のお心が安らかになるようにしなければなりませんね」
そんな自分に心の中で苦笑を浮かべながら可憐な花のように微笑んだ桜の言葉に、神魔は優しくその華奢な身体を抱きしめ、真剣な眼差しをみせる
「桜。これだけは覚えておいて」
「?」
いつもの優しい声ではなく、強い決意を語ろうしている男の顔を見せる神魔に、桜の意識は息を呑むように酸い寄せられる
「詩織さんは大切だよ。でも、僕が一番大切なのは桜なんだ」
まっすぐに桜を見つめる神魔は、腕の中に抱きしめている世界で最も愛する人の存在を確かめるように、その腕に少しだけ力を込める
「だから――」
その時、神魔の口に桜の白魚のような指が添えられ、その言葉を遮る
「その先は、仰らないでください」
言葉を止められて目を丸くする神魔に、桜は軽く頭を横に振って優しく微笑む
「分かっておりますから」
花弁のような唇から紡がれたその言葉は深い愛情と慈しみに満ちており、微笑を浮かべる桜の表情からは神魔の想いを全て正しく汲み取っていることが伝わってくる
天使と悪魔、光と闇の全霊命は、決して善悪で違うのではない。その違いは、心の在り様にある
可能な限り多くのものを守り、平穏や平和を維持しようとする光の全霊命と違い、闇の全霊命は自分の大切なもののためには、それ以外の全てを排除してしまうことができる
名も知らぬ誰かなどいわずもがな、それが世界であろうと、家族であろうと、友であろうと――たった一つの大切なもののためならば敵対も抹殺もいとわない。あまりにも純粋であるがゆえに、最も恐ろしい――それが闇の全霊命だ
自分にとって最も大切な人のためならば――つまり、神魔は桜のため、桜は神魔のためならば、その必要に迫られれば、詩織を見捨てるということ。
多くを語らずとも、その想いを容易に見通すことができたのは、桜自身もまた神魔と同じ気持ちでいるからだった
それは、桜にとっては何よりも嬉しいことだ。世界で一番愛していると愛している人に言われて、嬉しくない女などいるはずがない
それでも桜がその言葉を遮ったのは、神魔にその言葉を言わせたくなかったからだった。
それは本人がいなくとも、神魔に詩織を見捨てるような言葉を言わせないようにという、桜のずかばかり罪悪感からの配慮であり、なにより、神魔にたとえ一番ではなくとも大切なものを失った時のことを語ってほしくないという桜の我儘だった
「う、うん……」
珍しく神妙な面差しで語る桜に、半ば気圧されるように神魔が頷くと、眼下で優しく微笑んでいたその美貌がいつものように綻ぶ
「ですが……」
そう言って淑やかに微笑んだ桜が、自分の胸に抱きつくように身体の全てを委ねてきたのを見て、神魔は怪訝そうに小首を傾げる
「桜?」
「話を切り出したわたくしが言うのも憚れるのですが、いくら詩織さんのことだとはいえ、こういう時に他の女性の話をするのはどうかと思います」
その神魔の腕の中で、少しだけ拗ねた様な声音で微笑みを浮かべた桜は、埋めていた胸の中から視線の高さを合わせる位置まで顔を上げる
「わたくしだって、やきもちを焼くのですよ」
そう微笑んだ桜は、一目で怒っているのではなく甘えるような声で語りかけ、神魔の頬にそっと指を当てる
「ごめんごめん」
大人の女性としての余裕を失わない可愛らしい嫉妬と、深い信頼と愛情を見て取れる表情で微笑みかける桜の姿に、神魔は優しく微笑んで答える
「じゃあ――」
少しだけ意地の悪そうな笑みを見せた神魔は、そのまま桜の身体を抱き寄せると、その勢いに任せて優しくその身体をベッドの上に横たえる
「あ……っ」
されるがままに身を任せて横たわった桜は、癖のない桜色の長髪をまるで花の布団のように広げて横たわり、自分を上から見下ろす神魔の姿に頬を赤らめる
月光で薄められた夜陰の中、迷いなく伸ばされた神魔の手が桜の手に重ねられ、細い女指が太い男指を受け入れて絡みあい、しっかりと握りしめる
「今日は、桜がやきもちを忘れてくれるように頑張らないとね」
「……はい」
どこか悪戯じみた笑みを見せる神魔の言葉に、桜は包容力と清楚で淑やかな面差しを崩さずに、その可憐な花貌に、女の色香を浮かべて微笑む
互いに想い合い、求め合う神魔と桜は、月の光だけで照らし出される薄暗い室内の中で、いつ失われるかもしれない二人だけのかけがえのない時間へと没入していくのだった
※
天の中心に座す神臓が月から太陽へと姿を変え、黎明の光を以って夜の帳を引き裂き、冥界に朝を告げる
「朝か……」
頬杖をついて窓の外へ視線を向けていた大貴は、差し込んでくる朝日に目を細めて小さく独白する
光魔神の姿を取っている間の大貴は、全霊命と同様に睡眠など必要としない。もちろん眠ろうと思えば眠ることはできるが、今の大貴はそんな気分になれなかった
《あいつの仲を取り持ってやってくれ》
その脳裏によぎるのは、夕食後に冥から頼まれたこと。自分達の案内役を任されたシキトと夜薙のキューピッド役についての事だった
「くそ……っ」
悶々としている感情を振り払うように頭を掻いて苦々しげに吐き捨てた大貴は、座っていた椅子に身体を預けて天井を仰ぎ見る
「さすがに、こんなことヒナには相談できないしな」
疲れ切ったため息と共に、愚痴を零した大貴は、遠く世界を隔てた人間界の王女――「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」の顔を思い浮かべる
そういうことに他人が口をはさむのはどうかとも思う。だが、他人に背を押されることで変わることもあるような気がしなくもない
何よりこれは、冥界王冥から直々に頼まれたこと。気乗りがしないからと言って、適当にやるフリだけをして終わらせることも問題があるのではないかという考えが後になって湧き上がっていた
(適当にやればいいって言ってたけど……)
ただ楽しんでいるだけなのか、あるいはもしかしたらその軽薄な振る舞いの裏に自分の知らない思惑があるのか――いずれにしても、大貴はどうすればいいのか分からず、盛大なため息をつく
こと恋愛に関しては全く分からないという自負がある大貴は、ある意味では、戦っている方がマシだと思えるような依頼に困り果てていた
「どうすりゃいいんだよ……」
できる範囲でするべきか、馬に蹴られないように不干渉を貫くべきか――思案を巡らせる大貴は、自身の腕で目を遮る
瞬間、その知覚に懐かしい力の波動が滑り込んでくる
『――!』
突如知覚が捉えた力に、跳ねるように飛び起きた大貴は窓を開けて外へと飛び出すと、左右非対称色の黒白の翼を広げて天空へと舞い上がる
それとほぼ同時に、神魔、クロス、桜、マリア、瑞希と大貴達の引率を任されているシキトと夜薙がその周りに集まる
「この魔力は……!」
その知覚が捉えた魔力に軽く目を瞠った大貴は、その力を持つ者がいる進行方向へと視線を向けて軽く口端を吊り上げる
「――ったく、しつこい奴だ」
まるで旧知の仲の人物と再会したような嬉々とした戦意を滲ませる大貴を横目に、神魔はその目に剣呑な光を灯す
「一人、知らない天使が増えてるね」
大貴にはもちろん、自分にとっても旧知の仲である彼らの力を知覚する神魔は、こちらに向かってくる力の中に見知らぬ天使――「光力」を見止めて言うと、桜が凛と研ぎ澄まされた清楚で淑やかな声音で応じる
「はい。おそらく、彼女の代わりというところでしょうか」
「だね」
桜の言う「彼女」とは、妖界まで彼らを率いていた悪魔の女性「茉莉」のこと。ある程度妖界でのその戦いの顛末を聞いている神魔達は、知覚できる者達の中に茉莉がいないことを確認していた
「――クロス……」
その一方で、マリアはその表情を驚愕に彩っていた
恐れとは違う、例えるならば悲しみと苦しみをない交ぜにした痛みに苛まれているようなマリアは、その視線を険しい表情を浮かべているクロスへを向ける
「あぁ……」
マリアに視線を向けることなく、こちらへと着実に、確実に近づいてきている光力へと意識を向けたクロスは、砕けんばかりに歯を食いしばり、拳を強く握りしめる
「やっぱり、十世界にいたのか『シャリオ』……!」
「――……」
血を吐くような感情に彩られた声を噛みしめるクロスに視線を向けるマリアは、その心中を慮って唇を引き結ぶ
クロスとシャリオ。二人の因縁を知るマリアは、二人が邂逅することで起きるかもしれない最悪の結果に胸を痛めながら、それでも何も言葉にすることができなかった
「く、く、く、く、く、冥様、大変です!」
その頃、同じようにこちらへ向かってくる力を知覚したユニが、扉を開けるが早いか声をあげる
「あぁ、分かっている」
慌てふためくユニとは対照的に、冥界王城の最も高い場所――玉座の間に腰かけて、陽光にきらめく海原の先へと三つの視線を奥っていた冥は、抑制された落ち着いた声で応じる
「十世界か」
やがて、大貴達の視線の先に、巨大な二頭の竜に引かれる城が姿を現す
その城の最も高い屋根の上に立ち、朱色の髪を潮風になびかせた死神――十世界冥界総督「真紅」は、進行方向に見える冥界王城へと視線を向けて、その口端を不敵に吊り上げるのだった