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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
161/305

禁忌たる身なれど






「おーい。光魔神、メシにしようぜ」


 雨が降っている中、窓に張り付くようにしているその人物の悪戯じみた笑顔を室内から見た大貴は、目を丸くする

「なにやってるん、ですか……(くら)、様」

 その言葉に、窓を開いて室内へと入ってきた(くら)は、自身の冥力によって降りしきる雨を避けていたため、全く濡れていない身体で室内へと入ってくる

「固ぇなぁ。(くら)でいいんだぜ?」

 まさか、この冥界(世界)を総べる王が窓から入ってくるとは思っていなかった大貴が、半ば呆然としている中、その当人である(くら)はどこまでも気さくに話しかけてくれる

「いや、さすがにそれは……」

 これまで、お堅い口調で話しかけられてきた大貴としては願ってもないことなのだが、逆に(くら)ほどフランクに話されると恐縮してしまう

「ま。そっちがそう言うなら、適当に呼びやすい呼び方で呼んでくれや」

 ないものねだりというわけではないが、これまでとは別種の戸惑いを覚えている大貴の不安を笑い飛ばすように、(くら)は事も無げに言う

 そう言って豪快な笑みと共に大貴の肩に手を置いた(くら)は、そのまま部屋の内扉――広間へと続く正規の入り口に手をかける

「とにかく、メシだメシ」

 そう言って扉を開いた(くら)に連れられた大貴が広間に出ると、そこで待機していた夜薙とシキト、そしてもう一人の黒髪の美女が二人を出迎える

(くら)様。こんなところから城の中に入らないでください! しかも、お客様のお部屋に!」

「いやぁ、ちょっとばかり光魔神を驚かそうと思ってな」

 大貴と連れ立って出てきたことで、(くら)が何をしたのかをおおよそ把握した黒髪の美女――(くら)の伴侶である「時雨」が、能天気に笑う夫を窘める

「申し訳ありません。夫がご迷惑をおかけいたしました」

「いや、全然」

 申し訳なさそうに頭を下げた時雨の言葉に、大貴はその心労に同情しながら苦笑混じりに応じる

「ほら、光魔神もこう言ってくれてるじゃねぇか」

(くら)様!」

 本音であれ社交辞令であれ、大貴のその言葉を額面通りに受け取って笑みを浮かべる(くら)に、時雨がやや強い語気で再度諫言する

「わーったよ。今度から気を付ける。そんなことよりメシにしようぜ。夜薙、他のメンバーも集めてくれ」

「はい」

 煩わしそうに言う(くら)の言葉に疑惑の視線を向ける時雨の傍らで、その命を受けた夜薙は苦笑交じりに応じる

「悪いけど、食事の用意をお願いね」

 愛想のないシキトに、客人を呼びに行く役目は向いていないと判断した夜薙が声をかける

「ああ」

 その言葉に頷いたシキトが背後に視線を送ると、そこには食事を乗せたサービスワゴンを押してきたユニの姿があった

「ひ……ご、ごめんなさい」

 シキトの視線に、一つに束ねられた前髪で貌の上半分を隠した死神の女性――ユニの口から、怯えたような声が零れる

「なんで謝るんだよ?」

 取り立てて怒ったり、睨み付けたつもりなどないにも関わらずユニが謝罪の言葉を述べることに、シキトはやや不満気に言う

「ごめんなさい」

 その言葉に、ユニが再度謝罪の言葉を返すと、シキトはこれ以上問答を繰り返しても面倒だとばかりに、三つの視線を背けた


 元々ユニは臆病――というより、人との関係に対して消極的だ。特に人の感情の機微には敏感で、少し相手が強気に出ると委縮して下がってしまうところがある

 その対応が自分に対するものだけではなく、誰に対しても――特に、男に対しては如実に示されるものであることを知っているシキトは、それを理解しながらも、ややその反応に苛立ちに似た感情を一瞬だけその表情に浮かべていた


「ま。肩を落とすなよ。俺にも似たようなもんだからな。この反応がユニの面白い所なんだぜ」

 その様子に同情じみた表情でシキトの肩に手を置いた(くら)が言うと、シキトは一瞬だけそれに視線を向けて、軽く一礼をして背を向ける

 仮にも自分が仕える王に対するものとは思えない態度で離れていったシキトの姿を、特に意にも介さずに見送っていた(くら)は、小さくため息をついて辟易した様子で呟く

「……やれやれ。人の気遣いの分からない奴だ」

《あなたのやり方は、少々無神経が過ぎますがね》

 その言葉の意味を理解している時雨が瞼を伏せながら、思念通話を用いて応じると、的を射た指摘に(くら)は己の黒髪を掻きながら、三つの視線を明後日の方向へ向ける

「……ユニ、さっさと準備するぞ」

 (くら)はシキトに聞こえないように声を潜め、時雨も思念通話を使っていたためにそのやり取りの内容は分からない。

 しかし、周りに聞こえないようにされたその会話の内容をシキトはほぼ正確に理解し、半分は好奇心だろうが、少々ばかりにお節介な王の気遣いに見て見ぬふりをしてユニに声をかける

「は、はい」

 そうして食事の準備をしている間に夜薙に呼ばれた神魔、クロス、桜、マリア、瑞希、詩織の六人が扉が開いて、広間へと出てくる


「――っ!」


 そうして、部屋の外へと出た詩織は、いつものように(・・・・・・・)無意識に神魔を探して視線を向け、必然的に共に同じ部屋を使っている桜の姿を視界に収めてしまう


《彼女さえいなければいいのに、って》


()ッちゃいなよ》


 瞬間、詩織の脳裏によぎったのは、先ほど意識の中で言葉を交わした幻想の住人(ファンタズマ)――「ルートラ」の言葉。

 存在、そして何よりも自分という人間が抱いた劣等感が生み出し、考えないように心の奥底に閉じ込めていた思いを他者によって突きつけられた詩織は、自分自身の情けなさや自責の念などから、桜を直視することができなかった

(そんなことできない……でも、桜さんさえいなければ)

 いつものように、当然のように神魔の傍らに寄り添い、淑やかな立ち振る舞いを見せる桜を横目に、詩織の心の中では、自分でも抑えることのできない様々な思いが渦巻いていた

「――……」

 どうしても脳裏から振り払うことができないその考えを、それでも振り払うように小さく頭を横に振って意識して桜から意識を外した詩織は、自身の動揺を表に出さないように懸命に振る舞いながら広間へと足を進めていった


 広間に用意された食卓へと移動した大貴達は、夜薙とユニに進められた席に着く。(くら)を上座に、大貴、シキト、詩織、夜薙、神魔、桜、瑞希、ユニ、クロス、マリア、時雨と時計回りに並んだ席次からは、冥界側の一定の配慮と関係にそって作られる配慮を覗うことができた


「改めて、冥界にようこそ諸君。今日は、歓迎の意味を込めて冥界の名物を用意させてもらった。存分に味わって、鋭気を養ってくれ」

 全員が席についたのを確認した(くら)が悪戯じみた笑みを浮かべて言った瞬間、おそらくはその冥力によって食卓に並んでいた料理皿の蓋が一斉に開き、その中に入れられていた料理の数々が姿を現す

「……!!」

 そこから現れたのは、贅を尽くした色取り取りの料理の数々。だが、その中には明らかに原形をとどめたまま丸焼きにされた、一メートルはあろうかという山椒魚に似た生物なども乗っていた

(……これ、食えるのか)

 テーブルの上に乗せられた多種多様な料理の中に混ざり込んだ特殊な料理をまじまじと見つめていると、(くら)はしてやったりといった表情で言う

「ちなみに、今日のメニューは、『ようこそ光魔神ご一向。冥界の素材で作った豪華&伝統料理スペシャル』だ。ちなみに、ゆりかごの嬢ちゃんのためにしっかり毒抜きしてあるから大丈夫だぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 名指しで呼ばれた詩織は、若干引き攣った表情で感謝の言葉を述べながら、テーブルの上にいる山椒魚やイモリ、蛙の丸焼きへと視線を落とす

(いや、たぶんこれは無理です。ごめんなさい。伝統料理だってことは分かってるんですけど、なんていうか精神的に無理です)


 冥界の半霊命(ネクスト)である「亡獣」は、九世界の中で最も毒有率が髙く、その毒素そのものの強さも群を抜いている

 神能(ゴットクロア)以外のあらゆる力、ものに影響を受けない全霊命(ファースト)ならば、その毒のまま食べても何ら問題はないが、ゆりかごの人間に過ぎない詩織がそれを一口でも口にすれば、たちまち命を落としてしまうだろう

 そして、(くら)の言う「伝統料理」とは死神としての、というよりも冥界に住む人型半霊命(ネクスト)――「冥界人」達のという意味合いが強い。


 そう言ってから自分が先頭を切って料理を口に運んだ(くら)に倣うように、全員が食事を始める

「い、いただきます……」

 原形をとどめたまま丸焼きにされた三十センチ近い蛙を躊躇いもなく口に入れた(くら)を見て半ば顔を青褪めさせながら、詩織は形が分からないように切り分けられている料理に端を伸ばす


 これまで訪れた他の九世界でも料理は出てきたが、思い返してみれば人間界で似たようなことがあったくらいで、このように食卓を囲むことはなかった。

 人間界以外の世界で、こういった食事を解したおもてなしがなかった理由は至極簡単。その存在そのものが神格を持つ霊の力――神能(ゴットクロア)で構築されている全霊命(ファースト)にとって、食事とは「娯楽でしかないから」だ

 年をとっても老いることはなく、最盛期を維持したまま殺されるまで永遠に生き続けることができる全霊命(ファースト)は、眠らずとも食事をしなくとも生きることに何ら支障がない

 そのため、他人をもてなすにあたって、食事を出すという認識が希薄なのだ。まったく、そう思わないというわけではないが、要人を食事で出迎えようという考えはあまりないといっていい。――そんな歓迎方法を(くら)がとったのは、単純にその趣味趣向によるところが大きい


「――! おいしい、です」

「そうか、そうか。まだまだたくさんあるから、好きなだけお代わりを頼んでくれ」

 少々見た目で食欲を殺がれるものこそあれど、確かに味は地球で味わったことがないほどに美味なものばかり

 卓上の料理の一部に抵抗こそあれど、その甘美な味を噛みしめながら食事を勧める詩織の姿をみていた神魔は、そこから漂う違和感に内心で首を傾げるのだった

「……?」





 つつがなく夕餐が終わると、詩織はまるで逃げるように割り当てられた部屋へと戻って行ってしまった。それを見ていた神魔は、広間のソファに並んで座っている自身の伴侶――桜へと声を向ける

「ねぇ桜。なんか、詩織さんの様子変じゃなかった?」

「そうですね」

 今にも触れてしまいそうなほどに近く、しかし決して触れていない距離で神魔と肩を並べて座っている桜はその言葉に淑やかな声で応じる


 確かに、ここ数日――妖精界でゆりかごの人間が神敵である悪意の眷属であることを知ってから、特に自分と詩織との関係がぎこちなくなった

 だが、それを踏まえても先ほどの詩織の様子はおかしかった。まるで何かに怯えているような――あるいは罪に責め苛まれているような瞳の揺らぎには桜も気付いていた


 神魔にとって、詩織は桜のように異性として愛している人というわけではない。だが、詩織のことは特別に思っている

 桜と詩織との関係が微妙になったことには、女同士のことだからと進言することで納得してもらったが、先程の様子にはさすがに不安を禁じ得ない神魔の憂いを取り去るため、桜の取るべき行動は決まっていた。


「失礼いたします」

 そう言って神魔に軽く目礼し、流れるような淑やかで優美な所作で立ち上がった桜は、同じく部屋の一角で寛いでいるマリアの許へと歩み寄る

「マリアさん、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 クロスと向かい合って座っていたマリアに、桜は穏やかな声で語りかける

「詩織さんのことですか?」

 その言葉を聞いただけで、マリアは桜の言わんとしていることを察していた。

 多くを語ることなくそれを察することができたのは、マリア自身も先ほどの詩織の様子を訝しんでいたからなのだろう

「はい。お願いできませんか? わたくしが行ってもこじれてしまうだけでしょうから」

 先日の一件以来、自分が詩織に避けられていることを自覚している桜は、自分が何を語ろうとその心に響くことはないとマリアに代理を頼む

「分かりました」

 少しばかり困ったような笑みを浮かべながら言った桜へ視線を向けていたマリアは、静かに目を伏せて了承の意を伝える


 元々、ゆりかごの世界(地球)で詩織に対して禁忌を語ったのはマリアだった。自身もまた、全霊命(ファースト)である天使と、半霊命(ネクスト)である人間の混血であるマリアは、少なからず詩織に対して思うところがある

 同じ人を愛しているのが桜ならば、詩織にとってマリアは、限りなく似た境遇にある存在といえる。無論詩織のことを案じていることに偽りはないが、そんな考えも手伝ってその答えを返すに至ったのだ


「申し訳ありません」

 そう答えるなり、席を立ったマリアの菅を見送っていたクロスは、桜に深々と頭を下げられて視線を逸らす

 クロスがそんな反応を示したのは、桜の表情と声音から、「二人きりの時間を邪魔して申し訳ありません」という意図を正しく理解したからだ

「貸しにしとく」

 照れ隠しをするように、ややぶっきらぼうな声で全くその気もない事を背中越しに言うクロスへと視線を向ける桜は、その花貌を淑やかに綻ばせて微笑みかける

「……はい」





 部屋へと戻った詩織は、何度目かの扉のノックで重い口を開く

「……はい」

 先ほどからこのノックは、数度か耳に届いていたが、詩織はそれに答えることができずにいた


 知覚能力を持たない詩織には、名乗られない限り扉の向こうにいるのが誰なのか知る術がない。そのため、先ほどの食事の時の反応や、これまでのことから誰が扉の向こうにいるのかを考えると、そうなると詩織には、扉の向こうにいるのが桜である可能性ばかりが思い浮かんでいた

 幻想の住人(ファンタズマ)の一人である「ルートラ」に言われたことが頭の中ら消えない詩織には、今桜に会うことは避けたいことだった

 無論、それ以外の可能性もあった。だが、たとえそれが誰であれ――仮に想いを寄せている神魔であっても、今の醜い自分の心が映し出されているかもしれない姿を晒すことは憚られて止まない


 そんな考えが頭の中をよぎり、心の中に深い影を落としていた詩織だったが、執拗なノックにとうとう根負けして、それに声を返す

「マリアです」

 答えるまでに時間がかかった詩織とは違い、マリアは即答する

「……なんですか?」

「少々お話をさせていただきたいのですが、よろしいですか? もちろん二人きりで」

 覇気のない弱々しい声で用件を尋ねた詩織だが、扉の向こうから向けられるマリアの言葉に導かれるように、おぼつかない足取りで扉の許へと歩いていく

 ゆっくりと扉を開いた詩織は、扉の前に立って優しい笑みを浮かべるマリアを見て、まるでその純真な瞳に、醜い自分を映されることを拒むように視線を背ける

「ごめんなさい」

 そんな詩織の反応にまず謝罪の言葉を述べたマリアは、聖母のような慈しみに満ちた笑みを浮かべて室内に視線を向ける

「入ってもいいですか?」

「……どうぞ」

 マリアの言葉に、一瞬だけ返答に迷った詩織だがそれを受け入れる

 そうしてマリアを室内へ招き入れた詩織の目には、扉を閉じる間際に広間にあるソファに座っている神魔と桜の姿が映っていた

「――……」

 そうして詩織の室内へマリアが入ったことを知覚で見て取った神魔と桜は、あえて背けていた視線をその扉へと向ける

 マリアに詩織のことを託す視線を扉に送っていた神魔と、その隣りに寄り添う桜の姿にクロスと瑞希は静かに視線を送り続けていた




「何かあったのですか?」

「え?」

 室内に招き入れられたマリアに開口一番、尋ねられた詩織は息を詰まらせて金色の髪に覆われた四枚の翼が生える背を見る

「先ほど、様子がおかしかったもので」

「あ……」

 あえて顔を向けず、背を向けたまま話しかけられた詩織は、懸命に隠していたつもりの同様と困惑を悟られていることを察して声を漏らす

(どうしよう? さっきの事、話した方が……でも――)

 当然、詩織は、先程のことをマリアに話すべきかどうかを考え、そしてしばしの逡巡の後に答えを出す

「……いえ、なんでもありません」

 自分の心に語りかけてきた夢の住人のことを心の奥へと押し込めた詩織の様子を見て、何でもないと思える者は少ないだろう

「そうですか」

 しかしマリアは、それについては言及せずに詩織の言い分を受け入れて、背中を向けたまま静かな声で語りかける

「すみませんでした」

「え?」

 突如マリアの口から出た謝罪の言葉に、詩織はその意味を掴みあぐねて目を瞠る

「ゆりかごのことをあなたに黙っていて」

 そんな詩織に、金色の髪と純白の四翼を翻らせて向かい合ったマリアは、真っ直ぐにその目を見つめて厳かな声音で語りかける

「……!」

 まるで心の奥底まで見透かされているのではないかというほどに透き通ったマリアの瞳に見つめられ、詩織は息を呑む

「別に、マリアさんが謝ることじゃ……皆さんの、お気遣いは分かっているつもりです」

 自分を見据える瞳から逃れるように目を伏せた詩織は、わずかに震える声で応じる


 ゆりかごの人間がこの世界における唯一の神敵である反逆神に列なる悪意の眷属であることは、マリアが来た時点では、先にいたクロスと神魔によって伏せられていた。

 当時、このような状況になることなど想定もしていなかった二人にとって、ほんの少しの間滞在する世界の住人に対して、「あなた達は神敵の眷属なんですよ」などと本当のことを教える必要などないという気遣いと、それに倣ったマリアや桜のことも責めるつもりはない


 ただ、それが頭でわかってはいても、心では受け止めきれないだけのことだ。


 傍目にも懸命に平静を取り繕うとしていることを容易に取れる詩織に、マリアは少しだけ後悔と懺悔の色が面差しで語りかけていく

「弁解にはならないでしょうが、あえてそれを教えることもないと思っていました。――でも、もしかしたら、私達はそのことをもっと早くあなたに教えて差し上げるべきだったのかもしれません

 あなたが人間界へ赴くと決めた時、あるいはこうして九世界を巡ると決まった時に。良かれと思ってしたことが、結果的にあなたを傷つけてしまったことは申し訳なく思っています」

 まっすぐに詩織を見つめながら、自分のしたことの是非を自分自身に問いかけるマリアが静かに言葉を重ねる

 今更ではあるが、ゆりかごの世界にいた時はともかく、大貴について人間界に行くと詩織が決断したとき、あるいは九世界訪界に同行が決まった時に詩織にその真実は告げるべきだったのかもしれない

「私は、天使の母と光魔神に列なる人間の父との間に父に生まれました。言うなれば、あなたの想いが成就した先にあるかもしれない存在です」

「――!」」

 淡々と抑制の利いた声音で語りかけられた詩織は、その言葉に意味を呑む


 マリアは、天使と人間界の人間の混濁者(マドラス)。この九世界の禁忌の中でも、特に忌み嫌われる全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の混血児。

 それは、万が一詩織がその想いを成就させ、神魔と心も体も結ばれた先にある可能性の幻影と呼んでも過言ではないかもしれない


「私は、私のような思いをする子供が生まれないようにと願って、あなたにその想いを捨てるようにお願いしました。

 だってそうでしょう? 生まれてくる子供に罪はなくとも、生まれてきた子供は自らが犯してもいない存在の罪を背負って生まれてくるのですから」

 自身の過去に詩織の未来を重ねたマリアは、物憂げな瞳を向けて問いかけるように言い切る


 本来、異なる存在の間に愛は生まれない。それが生まれるのは、今この世界を蝕んでいる〝歪み〟によるもの。

 そしてそれがどうあれ、異なる種族との愛や交雑をこの世界は認めていない。自分達の愛情のままに生まれた混濁者(マドラス)の児は、自分が望んだわけではないというのに生まれたその瞬間から禁忌の存在という罪を背負っている

 まして、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)が愛し合った場合、半霊命(ネクスト)全霊命(ファースト)の霊の力の神格によって命を落とす――つまり、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)混濁者(マドラス)は、生まれながらに親殺しの罪までもを背負うことになるのだ

 それを身を持って体験し、その苦しみを今も背負って生きているマリアだからこそ、詩織とその未来を考えて、神魔への想いを捨てるように言い聞かせたのだ


「想いを断ち切っても、叶っても傷ついてしまうなら、せめて誰も不幸にならない道を、と――私はそう思っていました」

 その想いは罪ではないかもしれないが、その想いが実現することは罪だ。叶っても叶わなくても傷つくならば、せめて少しでもよい道を選ぶべきだとマリアは考えた

 なにしろ、失恋の痛みは時間と新しい恋が癒してくれるだろうが、それが叶ってしまえば一生消えない痛みを背負わなければならなくなってしまうのだから

「それが間違いだったとは思っていません。ですが、私は間違っていたのかもしれないとも思います」

 そう言って軽く天を仰いだマリアの瞳は、目の前にいる詩織ではなく自身の記憶を見つめていた

反逆神(アークエネミー)は、ゆりかごの存在(あなた達)の愛や正義はそれに似た悪意でしかないと言いました。ですが、悪意が抱く想いは決して偽りではないはずです。――ならば、禁忌の存在である私が抱いているこの想いも、きっと禁忌ではないはずですから」

(マリアさん……)

 自身の胸に手を当てて語るマリアの慈母のような優しい笑みからは、詩織の想いと自分の想い――混濁者(マドラス)たる自分が抱くクロスへの気持ちが垣間見えていた

 悪意であろうと禁忌であろうと、その心が抱く想いは決して偽りではない。クロスへの自分の想いを噛みしめながらそう言ったマリアは、詩織をまっすぐに見据えて慈愛に満ちた声で微笑みかける


「だから私は、例えこの気持ちがたとえ禁忌だとしても、この想いを愛おしく、誇りに思います」


「――!」

 マリアがクロスに好意を抱いていることは詩織も知っている。

 その心の内に秘めた愛慕の情を言葉に変え、その想いを慈しみながら語るマリアの言葉に、詩織は無意識の内に自身の想いを重ねていた


 一見自分のことを話しているようにみえるが、マリアがその言葉で自分の心に向かいあうことの大切さを伝えてくれていることを、詩織はなぜかはっきりと感じ取っていた

 例え禁忌でも、たとえ悪意でも神魔への想いを大切にしていい――そう言わんばかりの言葉に、詩織の胸中では一抹の小さな光が生まれていた


「でも、同時に私達には忘れてはいけないことがあります」

 しかし、そんな詩織の感情を冷やすように、マリアの口から先ほどまでの優しさを感じ取ることができない声が響く


「あなたのその気持ちは、誰のためのものですか?」


 たっぷりと一拍を数えるほどの間を置いて向けられた問いかけに、詩織は思わず息を呑んで手を握りしめていた

「愛というのは、もちろん自分が幸せになることも大切ですが、それ以上に相手の幸福を心から想えることだと思います」

 淡々とした声で愛情の本質を問いかけられた詩織は、その言葉に自身の心の奥を抉られたような錯覚を覚えていた


 愛している人のため(・・・・・・・・・)ではなく、愛している人を想う(・・・・・・・・・)自分の気持ち(・・・・・・)を最優先にしているのではないか。そしてそれは本当に愛と呼べるものなのか――マリアの言葉は、まるでそう問いかけているかのようだった


《それに似た悪意でしかない》


「――っ」

 その言葉で甦るのは、反逆神の言葉。ゆりかごの眷属が抱く感情は、すべからく神へと敵対するための悪意。

 愛も友情も正義も、そのすべてが全霊命(ファースト)達の言う愛とずれてしまっているのではないかという思いが詩織の胸につまり、茨のようにその心を締め上げる

「あなたは望んでゆりかごに生まれたわけではないでしょうし、好んで半霊命(ネクスト)に生まれたわけでもないでしょう。

 ですが、それは変えられない事実です。そして同時にそれは、あなたという存在そのものであり、あなたがあなたでであることの証なのですよ

 ゆりかごの世界の人間で、全霊命(ファースト)に恋をしてその想いに苦しんでいる優しくて明るい人――それが、詩織さんでしょう?」

 優しい声音で紡がれるマリアの言葉は、まるで機織りのように複雑に絡みあった理や想いを一つの紋様として描き上げていくかのようで、詩織は思わずそれに聞き入ってしまっていた

「思い返してみてください。今日まであなたが触れ合ってきた人達は、あなたをゆりかごの人間と分かった上で言葉を交わしてきました

 彼らは、ゆりかごの存在を――悪意を確かに好ましくは思っていなかったかもしれませんが、あなた自身(・・・・・)を拒絶していたように感じましたか?」

「それは……っ」

 マリアの問いかけに、詩織は言葉を濁らせる


 神魔にはじまり、人間界の人間、そしていくつかの世界の全霊命(ファースト)達と過ごしてきた日々を思い返せば、確かに彼らが自分に対してごく自然に接してくれえていたように詩織には思える

 無論、悪意(ゆりかご)の存在であることに思うところもあっただろう。そういう面で気を遣ってくれていた人もいたかもしれない。

 だがそれでも、今日まで過ごしてきた九世界の日々の中で、蔑むような視線を向けられた記憶は一度もない。それは、マリアの言うようにゆりかごの人間としてではなく、一つの個人として見てくれていたからなのだろう


「秩序とは自由を制限することで成り立ち、全ての自由を認めることは無秩序と同じです。ですが、認めることができない自由は、決して認められていないわけではないのですよ」

 目を伏せ、口をつぐんでいる詩織に優しく微笑むマリアは、そっと自分の胸に手を当てて語りかける


 社会というものが形成されれば、そこには全ての人が平等に生きていくためのルールがある。そして全ての人に平等であるということは、自由を制限する(・・・・・・・)ということだ。

 自分以外の不特定多数の他人との挙動生活、関係を構築し、維持するには自己承認と自己否定の両立が不可欠になる


「異なる存在との交わりや混濁者(マドラス)を禁忌とすることは、この世界に生きる人々のためにある理という名の秩序です。確かに私達はその理から外れているかもしれませんが、それでも私達が私達であることに変わりはありません」

 法や理はこの世界に生きる全てのもののためにある。だが、当然その中から零れてしまうものもいるだろう

 その零れたものは、その禁忌をも自身の存在理由とし、世界に認められない個として世界に認められているのだ

「なんだか、悲しいですね……」

 ただ生まれてきただけ。ただ愛しただけ。だというのに、自分の存在と想いを禁忌とされてしまっていることに、詩織が悲しげに独白するのを聞いたマリアは、その口を開いて神妙な声音で語りかける

「もしも――」

 厳かな声音で呼びかけ、視線を逸らしていた詩織の意識を自分へと向けさせたマリアは、その言葉の続きを紡いでいく

「もしも、世界に認められないことを理由に自らの在り方を世界に認めさせるとするのなら――」

 そう言って優しい声音に、厳しい視線と心を乗せたマリアは抑制された静かな言葉を詩織へと届ける


「きっとそれを、〝悪意〟と呼ぶのでしょうね」


「――!」

 マリアの言葉に、詩織は目を瞠って息を呑む


 確かに、詩織もマリアも世界に認められない禁忌を身に秘めている。ただ、二人が違うのは自らの身にある禁忌を受け入れているかいないか。

 自身が望んでもいない――そして、ただ望んでいるだけの禁忌は悪ではないが、世界に認められないことを許せずに、世界に己の禁忌を正しいことだと認めさせようとすることは「悪意」だ


「――私は、そんな風には割り切れません……っ」

 その言葉に、自身が神敵の眷属(悪意)であると言外に教えられたように感じた詩織が自嘲じみた表情で答えると、マリアは慈愛に満ちた瞳を抱く目を細めて微笑みかける

「お互いに難儀なものですね」

 自分もまた禁忌。恐らく今のメンバーの中で最も詩織の気持ちに近いであろう自分の存在を匂わせて微笑んだマリアは、一拍の間を置いてから表情を緩めて語りかける

「偉そうに語ってしまいましたが、間違っていませんでしたか? もしそうなら、少しだけ恥ずかしいですね」

 先ほどまでのマリアの言葉は、詩織の心の憂いが自身の禁忌にあるという推測に基づいたもの。

 このやり取りでおおよそそれが間違っていなかったことをマリアは確信しているが、あえてそう問いかかけることで張りつめた空気を解きほぐす

「……いえ、ありがとうございます」

 恐らくそんな考えをある程度察しているのだろう。詩織の答えを聞いたマリアは、先ほどまでの貴然とした立ち振る舞いを崩して慈母のような微笑を浮かべる

「あ。この話は皆さんには秘密ですよ?」

「はい」

 唇に人差し指を当てて小さく肩を竦めてみせたマリアは、詩織の答えを聞くが早いか、その傍らを通り過ぎて扉へと向かっていく

 それは、今言うべきことはすべて伝えたという意図を含んでいると同時に、詩織を一人にして考えを纏め、自分自身に向き合う時間作るためでもあった

「あの!」

 自分の横を通り抜けたマリアは、扉に手をかけた瞬間響いた詩織の言葉に、今まさに扉を開こうとしていたその手を止める

 一瞬、呼び止めてしまったことを後悔するように口をつぐみ、視線を彷徨わせた詩織は、意を決して金色の髪と四枚の白翼を向けて立ち止まっているマリアに声を向ける

「マリアさんは、その……どう、思ってるんですか?」

 先程の言葉を踏まえ、天使と人間の混濁者(マドラス)である自分自身と、その世界での立場、あるいは現状の全てに対して問いかけられた詩織の問いかけに、マリアは肩越しに振り返って微笑む


「私は、私ですから」


「……!」

 そう言って扉を開いて出て行ったマリアの姿を追って、詩織は複雑な面差しで視線を送り続けていた





(――クロス)

 詩織の部屋を出て、後ろ手に扉を閉めたマリアは、先程までの会話を思い返してその柳眉をひそめ、愛愁の色を瞳に宿す

 心の中で呼びかけるのは、禁忌の存在たる自分が浅ましくも想いを寄せるひと。幼い頃からずっと思い続けてきたその人の姿だった


 詩織の部屋から出た自分に気付いて、視線を向けてきたその人物――クロスに微笑んで答えたマリアは、その心の中で想いを語りかける


(私がこの世から消えてしまうまで――)


 マリアは、母である天使「アリシア」によって神器を埋め込まれている。それによって天使の王の庇護を受け、本来ならば即滅ぼされてしまう混濁者(マドラス)の身でありながら今日まで生き永らえてきた

 だが、この旅に同行している以上、その結末によってはその力を必要とされる時が来るかもしれないことは分かっている


 詩織の部屋を離れ、クロスの許へと戻っていくマリアは、ずっと抱いてきた想いと禁忌の存在である自分との間で葛藤しながら、それでもただ一つだけ確かな心を語りかける






(あなたのことを想っていてもいいですよね)





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