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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
160/305

心に刃ありて







 冥界の洋上。紺碧の海の上を、全長は百メートルを超えているであろう竜に似た二頭の巨大な生物に牽引されて移動する建造物があった。

 まるで大地から直接切り取ってきたかのようなその建造物は、何の変哲もない城にみえる。だがその城こそが、この冥界で活動する十世界の死神達の拠点だった


 空間に隔てられた異なる世界を繋ぐ時空の門を開き、この冥界へと降り立った四人の全霊命(ファースト)――悪魔「紅蓮」、堕天使「ラグナ」、戦兵(レギオン)「ジュダ」、そして妖界で組織を離脱した茉莉に代わり、彼らの新たなリーダーとなった天使「シャリオ」。

 四つの異なる全霊命(ファースト)が一つのチームとして行動する――十世界でなければ、極めて珍しいその四人は世界を超えて冥界にやってくると、その城の前に降り立つ


「よく来たな」

 上空に出現し、ゆっくりと高度を下げたシャリオ達四人が地に足をつけるのとほぼ同時、そこに抑制された低い男の声で歓迎の言葉が投げかけられる

 その声に意識を向けると、シャリオ達四人の眼前には、いつの間にか男性と女性二人の死神が静かに佇んでいた


 鮮やかな朱色の髪から紫紺色の三つの瞳をのぞかせるのは、スーツに似た服の上に裏地が血のように赤くなっている漆黒のロングコート状の霊衣を纏った男の死神

 そして、その傍らに秘書のように控えるのは腰まで届く黒髪を揺らす、ローブに似た霊衣に身を包んだ女性の死神。


(やっぱ、知覚できないっていうのはやりにくいな)

(死神――斥候(スカウト)と同種の存在を知覚できない全霊命(ファースト)か)

 自分達を出迎えるために姿を見せたその二人の死神の姿を見た紅蓮はその目に剣呑な光を宿し、自分達の同胞と同じ力を持つ種族を前に戦兵(レギオン)のジュダは、戦の髪の眷属の証である瞳のない目でその姿を静かに見据える

 気付かぬ内に音もなく現れていた二人――あるいは死神という存在は、その身を包む漆黒の霊衣も相まってまるで這いよる死の気配を思わせるものだった

「死神の総督御自身に、直々にお出迎えしていただけるとは光栄です――真紅様」

 心中で不気味ささえも感じている紅蓮たちを横目に、一行の代表として前へ出たシャリオが鮮やかな朱色の髪を持つ男の死神に恭しく一礼する

「こんなところで立ち話もなんだ。とりあえず中へ入るといい」

 取りようによっては皮肉にも聞こえかねないシャリオの言葉に小さく鼻を鳴らした朱髪の死神――十世界死神総督「真紅」は、軽く顎で背後にある居城を示す

「ありがとうございます」

 身を翻し、背を向けて城へと歩き出した真紅の後ろ姿に感謝の言葉を告げたシャリオ達四人は、その後に続くのだった





 大きく弧型にえぐれた大地の内海に建つ、遊園地を乗せた巨大な島――冥界王城の本殿、その一つの塔内。入り口から入った広間では、来界した客人である光魔神一行(大貴達)を送り届けた夜薙とシキトが静かに二人の時間を過ごしていた

「ちょっと、雲行きが悪きなってきたわね……一雨来るかしら?」

 壁に身を寄せ、陽光が翳り夜へと近づいていく薄暗い冥界の空を窓越し見る夜薙は、厚い黒雲を見ながら小さく呟く

 無論その言葉は独り言などではなく、窓に後ろ姿を映しているソファに座ったもう一人の案内人――シキトへと向けたものだ

「さぁな」

 自分には背を向けながら窓に自身の顔を映して話しかけてくる夜薙に、シキトは感情のこもらない淡々とした声で応じる

「そんな憮然とした顔しないの」

 自分に背を向ける形でソファに深く腰かけているシキトの表情は、夜薙の位置からは見て取ることができない

 しかし夜薙は、まるでその顔が見えているかのように、事実どこか不機嫌そうに眉根を寄せているシキトの表情を見透かしていた

「元々こういう顔だよ」

 つっけんどんに帰された淡々としたシキトの言葉に、夜薙は窓に映る後ろ姿へと向けていた視線を瞼の内側に隠す

「彼らの護衛にされて不満なのは分かるわ。けれど、(くら)様があなたにこの役目を任された理由を考えてみて。お姉様のことだって……」

「『椎稲(しいな)』は関係ないだろ」

 壁に寄りかかり、窓に額を押し付けるようにして紡がれる夜薙の言葉に、シキトの強められた語気が打ち消す

 荒げられてこそいないが、その中に確かな苛立ちを見て取ることができるシキトの言葉を聞いた夜薙は、左腕を掴むように右手を回して唇を引き結ぶ

「……ごめんなさい」

 淡々とした声で謝罪の言葉を述べる夜薙だが、それに返されたシキトの答えはただの沈黙。

「ねぇ、シキト」

 二人きりの無言と静寂に耐えかねたように視線を伏せた夜薙の口からは、思わずその胸の内が零れ落ちていた

「私じゃ、だめなの……?」

「――……」

 沈黙を守るシキトの耳に、夜薙の小さな言葉が届いたのかは分からない。ただ、互いに背を向け合って同じ時間を過ごす二人を重い沈黙が支配する


 そしてその時、窓に一つの雫が当たったかと思うと、それが勢いと激しさを増し、雨となって降り注いでくる

 窓に打ち付けられる雨粒が音を奏でるその様は、まるで夜薙とシキトの間に生じた空気に耐えかねて天が崩れたかのようだった






「粗茶ですが」

「どうも」

 洋上を移動する冥界の十世界拠点――二頭の巨竜に牽引される居城の中に招かれたシャリオ、紅蓮、ラグナ、ジュダの四人は応接室と思しき部屋で十世界死神の総督「真紅」と机を挟んで向き合っていた

「光魔神、か」

 甘い香りを漂わせる紅茶を淹れ、シャリオ達四人に配膳している黒髪の女性死神を横目に、真紅は感慨深げに眼を伏せる

「話には聞いていたが、この世界に来たのか」

 思案気に静かに呟いた真紅の言葉に、紅茶を出した黒髪の女性死神は、その隣りの席に流れるような所作で腰を下ろしてそのやり取りを見守る

「――で?」

 相対する位置に座ったシャリオに視線を向け、真紅が話の続きを促すと、悪魔、堕天使、異端異なる種族を束ねる役目を任された天使はそれに答える

「我々は、光魔神の同行者の中にいるゆりかごの人間の女に融合した、神器『神眼(ファブリア)』を回収する役目を仰せつかっております」

「姫は、そんなことを望んではいないはずだが?」

 それを命じたのは誰か、という点にはあえて触れず、真紅は辟易した様子で言う


 十世界の中には、全ての神器を使うことができる奏姫である愛梨()のために、神器を集めている勢力が存在していることは、真紅も知っている

 しかし、世界の恒久的平和を望む愛梨は、力による問題解決を良しとしない。必然、神器を愛梨自身が欲したことは一度もないのだが、十世界の理念よりも姫個人のことを思う一部勢力がそういう行動を起こしている

 なまじ、自分を思ってのことであるために愛梨も強く出ることができずにいるばかりか、ただ神器を集めるだけならまだしも、九世界や同じく神器を集めている英知の樹(ブレインツリー)と時折戦いになってしまうことには頭を痛めているところだった


「御本人の意志がどうであれ、十世界盟主であらせられる姫の御命を狙う者は後を絶ちません。何人ものスパイも紛れ込んでいるのですから、それに対する対処を行うのは当然のことだ、というのが言い分です」

 真紅の考えを見透かしたかのように、再確認するように神器を集める者達の意見を代弁したシャリオが浮かべる苦笑をは、自分の考えはそういった輩とは違うことを強調しようとしているかのようだった


 事実、時に目に余ることもあるが、彼らの言い分や行動が十世界という組織にとって害しかもたらさないとは言い難い

 愛梨の方針もあって来る者は拒まない十世界の中には、あわよくばその命を奪おうとする九世界や英知の樹(ブレインツリー)のスパイが紛れ込んでいる

 「神の巫女」と呼ばれる四姉妹の中でも、神位第六位以上の神格を持たない末妹である愛梨には、万が一の時のために神器という力があって然るべきだともいえる


「ただ、我々の場合は彼らに対して少々ばかりに因縁がございまして」

 神器の話は、これ以上この場で議論を交わしても詮無いこと。話は終わりとばかりに、一旦言葉を区切ったシャリオが視線を向けると、真紅は訝しげに眉をひそめた

「因縁?」

 その言葉に笑みを浮かべたシャリオが一瞥を向けると、その視線を受けた炎色髪の悪魔――「紅蓮」は、その瞳に強い戦意を宿して言い放つ

「光魔神は俺の獲物だ」

「……なるほど」

 その言葉で、おおよそのことを理解した真紅が、呆れたようにも取れる表情でため息をつく

 十世界は、あくまでも争いのない世界を実現することを理念とする組織。にも関わらず、戦意を剥き出しにしている紅蓮のことを歓迎していないことは、その様子から一目瞭然だった

「…………」

 その様子を見つめるシャリオは、〝因縁〟が紅蓮だけのものではないことが分かっていながら、あえて自分自身のそれを口に出すことはせず静かに耳を傾ける

 その時、紅蓮の言い分にやるせなさを感じていながらも、苦言を呈することもなくしばし三つの目を伏せていた真紅がおもむろに口を開く

「――なら、早くした方がいいな」

「?」

 その言葉に訝しげに眉をひそめた紅蓮を含めたシャリオ達四人を剣呑に細めた三つの目で見回した真紅は、重々しい声音で言う

神眼(ファブリア)を狙って、英知の樹(ブレインツリー)が使いを出したらしい」

「なっ!?」

 その言葉に驚愕を露にするシャリオ達四人を前に、真紅はその全員の目が訴えている疑問に薄く笑みを浮かべて答える

「なにも、十世界(俺達)がスパイを使ってはいけないってことはないだろう?」

「まさか……」

 「英知の樹(ブレインツリー)にスパイを送り込んでいるのか?」という言葉が隠れた声に、真紅は小さく鼻を鳴らして無言の肯定をみせる

「――難儀な話でな」

 シャリオ達から、スパイ(このこと)に関する具体的な質問が出る前に三つの目を細めた真紅は、抑制の利いた声で淡々と語りかける

「たとえ、こちらが戦意を持っていなくても、相手が戦意を振るわないとは限らない」


 十世界は争いを否定する組織。だが、自分が刃を持たず、戦意を持たないからと言って相手がそれに答えてくれるとは限らない

 無論、未だ十世界が姫の理念の下、一つに統一されず、勝手な行動を取る者がいることもその事由の一つではあるだろう

 だがそればかりではないことも分かっていた。――だからこそ、真紅は紅蓮の言葉を否定することをしなかったのだ


「自分に……そして自分の大切なものに危害が及んだ時、それに刃を向けないことができる者がどれほどいるのだろうな」

 小さく独白した真紅の目には、寂しさと自嘲の入り混じった色が浮かんでおり、十世界の理念を実現させる難しさを噛みしめているかのようだった


 不戦の意志は尊く、争いのない世界は貴い。だが、望むと望まざるとに関わらず、この世に生きる者達が心に信念を抱き、正義を信じ、愛を持つ限り、それが争いの種となって心に戦意を芽吹かせる

 自身にそのつもりが無かろうと、自分や大切なものの命が危険に晒されれば、自衛のために戦ってしまうだろうし、それを奪った者と手を取ることは極めて難しい

 今日まで続いてきた争いの連鎖を断ち切り、大切なものを奪われた恨みを忘れて心の底から全ての存在と分かり合うことなどできるのだろうか――たとえ、姫にそれができたとしても、誰にもそれができるのかと問われれば、答えに窮するのは明白だった


「願わなければ叶わない。だが、願ってしまえば、同じ願いを違う形で求める者と信念を取り合って争ってしまう

 自分達の望みを叶えるために、誰かの願いを切り捨てなければ願いは叶わない。誰かのために自分の願いを捨てることのなんと難しいことか」

 そう語りかける真紅は、口を開くことなく、ただ自分の言葉に耳を傾けているシャリオたち四人をその三つの瞳で見渡す

 その表情はそれぞれで、しかし四人全員が自分の言葉に何かしら思うところがあって静寂を守っていることが分かった


 それらしい理論を並べて諭すことはできる。だが、それが必ずしもその人の心を満足させるものであるとは限らない。

 誰だって死にたくはない。このんで争いに身を投じる者もそう多くはないだろう。そういう意味で世界平和は誰もが望むものだともいえる

 だが、誰もが望んでいるからと言って――否、あるいは誰もが望んでいるからこそ、その思い描く形が違い、平和な世界を押し付け合って争いが生まれてしまう


「この世界に生きる我々に、我らを生みだした神は何を与えたのだろうな。――戦う宿命か? それとも叶わぬ願いを信じ、足掻き続ける心か? それとも――……」

 席を立った真紅の独白は、シャリオ達に尋ねているとも、自身に問いかけているようでもあり、ここにはいない(誰か)に答えを求めているようでもあった


 この世に存在する全ての生きとし生けるものは、自身の正義と愛の下に戦うことを求められる。それはその人物がこの世に無二の自分であることの証明であると同時に、この世界に生きる全ての生命が平等である証

 争いとは、それが血を流す者であろうとなかろうと、他者と自分を比較し、自分達が同じでないことを確認する術。そして平等とは、正しく差別され、勝敗や優劣が決まること。

 それは、神に最も近い全霊命(ファースト)達ですら――あるいは、神に最も近いからこそ逃れることのできないこの世界の摂理


「この争いの連鎖を断ち切ることなのか」

 自分達の在り方を探し求めて発せられた真紅の言葉が室内に静かに響き、この場にいる全員の心にそれぞれの響きを生じさせる

 世界の理は神によって作られたもの。光も闇も全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)も、全ての生命が等しいからこその理に秘められた神の真意を問う真紅は、一つの決意をその三つの瞳に宿して口を開く

「いくぞ、『夜死(イエス)』」

「御意」

 その漆黒の衣を翻らせた真紅の言葉に、その傍らに控える副官の女性死神が静かに目礼を返す

(――光魔神。お前なら、俺にその答えを教えてくれるのか?)

 三つの目を伏せ、目が冴えるような鮮やかな朱色の髪を揺らして立つ真紅は、心の中でこの世で最も中庸な存在である光魔神――この世界で唯一、光と闇を等しく持つ全霊命(ファースト)。全にして一、一にして全。光闇善悪全ての相反する境界たる異端の神へと語りかける

(十五年前、悪意の手元からロザリアが盗んだ()……それが、今どうなっているのか、この目で確かめさせてもらおう)

 自身の中にある疑念と答えのない事柄の間で葛藤し光魔神へと問いかけた真紅は、同時に一つの決意を抱く


 現在、大貴に宿っている光魔神の力は、遥か古の昔に反逆神・アークエネミーによって殺され、封じられていたもの。

 それからずっと反逆神(アークエネミー)が保管していたものを、十世界を滅ぼすためにスパイとして潜り込んで着ていた天使「ロザリア」が盗み出したことが、全ての始まり――もっとも、真紅達の間では神敵たる反逆神(アークエネミー)がロザリアに盗ませた(・・・・)と思っているのだが。


「――光魔神に会いに」

 厳かな声で指示した真紅は、九世界、十世界、神敵――そのたった一つの存在に、この世界の多くの者の思惑を背負っている光魔神へとその想いを馳せるのだった





「雨……そういえば、はじめてかも」

 空が哭くように降り出した雨が、窓に当たって流れ落ちていくのを見て詩織は小さな声で独白し、窓に映る自身の俯いた暗い表情を見る

 その表情に宿るのは、九世界で初めての雨に感慨を覚えているものとは到底思えない陰鬱なもの。そして、その原因となっている感情は、詩織自身が誰よりも一番理解していた


 神魔への想い。桜への想い。そして、神敵(悪意)であることを知った自分自身への思い。――愛情と憤り、迷い、願うが混在するこの心は混迷を極めていた

 いくつもの想いが絡み合い、まるで鎖のようにその心を締め上げ、どうすることもできず、どうすればいいのかも分からず、ただその感情を持て余しているばかり


「グ~テンモ~ルゲーンッ」


「――っ!」」

 瞬間、そんな陰鬱な気分とは真逆の底抜けに明るい声に、詩織は弾かれたようにその声がした方向――自身の背後へと振り向く


 そこにいたのは、少年にも少女にもみえる中性的な容姿の人物。丸い獣耳のついた丸帽子をかぶり、大きな目の下に赤い星のペイントをしたその人物は、さも当たり前のようにそこに立って、わざとらしい笑みとピースで詩織に自身の存在をアピールしていた


(……誰? いつの間に!?)

 ここは冥界王城の一室であり、目の前の人物は外見から死神のようには見えない。

 自分が気付かなかったことには何の疑問も持たないが、同じ城内にいる神魔をはじめとする他の全霊命(ファースト)達の知覚に触れずに、九世界の王の城の中に当たり前に入り込んでいるその人物には驚きを禁じ得なかった

「誰、とはご挨拶だねぇ、詩織ちゃん」

 今目の前にいるのが誰で、何のためにいるのか――声を出すこともできずにいる詩織の心を読んだように、中性的な顔立ちのその人物は口端を三日月型に吊り上げて不敵な笑みを浮かべる

「っ!」

(なんで、私の言いたいことが……)

 自分の心を見透かしたばかりか、自分の名前までも当たり前のように呼ぶ目の前の中性的な人物に、詩織は背筋が凍るような感覚と共に、心臓を掴まれたような恐怖を感じていた

「当たり前だよぉ、だってボクは君の心の声(・・・)なんだから」

 そんな詩織の恐怖を見透かしたかのように、その人物は小さく笑いながらその疑問に答える

「え?」

 その言葉に目を丸くする詩織に、少年とも少女にもみえるその人物は、円を描くように大きく腕を回して自身の胸に手を当てる

「円卓の神座№8。夢想神・レヴェリーがユニット幻想の住人(ファンタズマ)・『ルートラ』で~す」

 あえてわざとらしく仰々しい所作で胸に手を当てて、名乗った中性的なその人物――「ルートラ」の言葉に詩織は息を呑む

「――ッ!」


《私に協力してくれる気になったら、心の底で強く祈りなさい。あなたの心に印をつけたから、心から強く祈ってもらえれば、私はいつでもあなたの心に降り立つことができる》


 ルートラが名乗ると同時に、詩織の中に妖精界の中で自分の夢に語りかけてきた夢想神(レヴェリー)の姿とやり取りが鮮明に思い出される

《私の目的は『光魔神を完全に覚醒させる』こと》

《私たちの眷属――円卓の神座№3『自然神・ユニバース』を解き放ってもらいたいの》

 失念していたわけではないが、誰にも話すことができずに心の奥底に押し込めていた夢想神(レヴェリー)の言葉が次々と脳裏によみがえり、詩織はその表情を強張らせる

「思い出した? あっちの世界では蒐集神(コレクター)とか、都合のいい子とかが現れたから、お願いがそっちのけになっちゃったからね~」

 詩織が正確に全てを思い出していることを見透かして、ルートラは笑みを浮かべながら言う


 妖精界で詩織に話かけ、大貴を完全な光魔神として覚醒させるために利用しようとした夢想神(レヴェリー)だったが、蒐集神(コレクター)蒐集神(コレクター)に恨みを持つ天使「アリア」の出現などで、大幅に予定を変更していた

 そのため、その接触を持って以降、夢想神(レヴェリー)は詩織に二度目以降の接触を図ることをしなかったのだ


「――で。肝心の夢想神(レヴェリー)様は、ちょっと所用で来れないから、こうしてボクが代わりに君に話しかけてるってわけ。ま、独断だけどね」

 あどけない笑みを浮かたルートラは、ようやく自分の身に何が起きているのかを理解し始めた詩織に軽くウインクをしてみせる


 現在夢想神(レヴェリー)は、妖精界で戦った反逆神(アークエネミー)との戦いで負った傷をいやすために深い眠りについて締まっている

 そのため、詩織の願いに応えることができない自分達の神――「夢想神(レヴェリー)」に代わって、ルートラ自身が詩織に接触を図ってきたのだった


「わ、私に何をさせようとしてるんですか……?」

 夢そのものである夢想神の眷属達は、全霊命(ファースト)の知覚であっても捉えることができない。ルートラがその気になれば、自分など一瞬で消滅させられてしまうことが分かっている詩織は、恐怖に振るえる声で、懸命に気丈に振る舞って見せる

「違う、違う。逆だよ、逆」

「逆……?」

 能天気な笑みを浮かべ、軽く手を振ってみせたルートラの言葉に、詩織はその真意を掴みあぐねて訝しげに眉をひそめる

「そう。ボクは君の力になりに来たんだ」

 詩織が何か口にするまでもなく、その心を見通しているルートラは、頼まれたわけでもなくその疑念に答える

「私の……?」

 その言葉に混乱し、疑念を強める詩織を見て目を細めたルートラは、無邪気な子供のそれを思わせる笑みを浮かべて口を開く

「ひとえに夢っていっても、色んな夢があるんだよ。無意識下で見る『夢』。意識によって作られる『空想』、目指すべき憧れともいうべき『理想』、そして『叶わない夢』」

「……っ!」

 見せつけるように、指を一つずつ折り曲げながら語りかけてくるルートラが、凍てつくような声音で告げた最後の言葉に、詩織は心の臓を引き絞られるような感覚に見舞われる

 ルートラが意図して冷たく発した言葉は、詩織に何のことを示しているのかを理解させるには十分すぎる力を持っていた


 全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)。そして神敵の眷属として、九世界から忌み嫌われるゆりかごの人間(自分達地球人)――。神魔に想いを寄せる詩織にとってそれは、甘さよりも苦さや苦しさの方が多い恋の痛みだった


「でもボクは、その夢を叶えに来たんだよ」

「……!」

 突然の思わぬ言葉に詩織が息を詰まらせるのを見たルートラは、腰の後ろで手を組んで、下から覗き込むようにして笑みを浮かべる

 性別が分からない中性的な顔に冷笑を浮かべ、詩織を覗き込むようにするルートラの表情からは、その言葉を素直に受け取ることが憚られる意思が込められているように感じられた

「ボクが何も言わなくても、分かってるはずだよ? 彼が君に振り向いてくれるかもしれない方法」

 悪意に似た笑みを浮かべ、口端を吊り上げて嗤うルートラの言葉に、詩織は心臓が止まってしまうのではないかというような感覚を覚える

「そ、そんなこと……」

「とぼけない。君は、心の奥で思ってたはず(・・・・・・)だよ?」

 自分の理性の下――懸命に隠してきた自分の本心を見透かしているルートラに、笑いながら言葉を並べられていく度、詩織は自身の心臓が締め付けられるような感覚に見舞われていた

 そして、自身の内側に潜む醜い悪意を掘り起こされて表情を青褪めさせる詩織の反応を見て、ルートラはその笑みを深く刻む


「――彼女さえ、いなければいいのにって」


「――ッ」

 絶対零度の冷たさを以って告げられた言葉に、詩織は心臓を貫かれるような感覚に表情を強張らせる


 神魔の伴侶である桜と接し、女としての差を思い知らされ、敗北感に打ちひしがれてきた詩織は、ある時ふと思ってしまった


 「桜さえいなくなれば、神魔の気持ちが自分に向くかもしれない」――と。


 自分では桜に勝てない。そう確信し、それでも神魔を想う気持ちを止められなかった詩織の心によぎった小さな思い

 それが些細な願望。自身の愚かしさと弱さの証であることを詩織は知っていた。無論桜に死んで欲しいと思ったわけではない。だが、もし桜がいなくなればという考えを捨てきることはできなかった


「今のままじゃ、君の恋は成就しない。だったら、彼女を殺しちゃえばいいんだよ。そうすれば、彼の気持ちは君に向くかもしれない」

 その心を毒すようなルートラの言葉の一つ一つが、詩織の心の奥――わずかでもそんな気持ちを抱いてしまっていた罪悪感に突き刺さってくる

「願いを叶えるためには、犠牲もやむなしってね」

 悪気もなく放たれるルートラの明るい声には、後ろめたさなどは一切ない。だが、その一言一言が詩織の心を抉り、その言葉に自身の醜さを改めて痛感させられてしまう

「そ、そんなことできるわけ……」

 甘い誘惑の言葉を淡々と向けてくるルートラに、詩織は懸命に心を奮い立たせて反論の声を発する

 やや強い語気でそう言い放ったのは、そうして自分の意志を強く持っていなければ、その甘言に耳を傾けてしまいそうになる自分を諌めるためでもあった


「どうして? 彼女は君を騙してたんだよ」


「っ!」

 しかし、懸命に絞り出した反論の言葉に帰されたルートラの言い分に、詩織はそれ以上否定の言葉を発することができなかった


 確かに自分のこの想いは横恋慕で、桜はずっと神魔と愛し合ってきたのだ。そんなところに、愛し合えば愛する人に不幸しかもたらさない女が割り込んでくれば、いい思いをしないのは分かる

 なにより、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)が愛し合うことは九世界でも屈指の禁忌とされている。ましてその半霊命(ネクスト)が世界で唯一絶対の神敵たる悪意の眷属ならなおのことだろう

 当然、伴侶としては最愛の人が禁忌を犯すことを応援するはずはない。だが、ゆりかごの人間が悪意(神敵)であることを隠し、神魔に余計なことを伝えないように手を回していたことを割り切って許すことは詩織にはできなかった


「彼に好意を抱かせるという条件で希望をちらつかせて君の行動を封じ、君が叶わない想いを遠くから見て自分だけは愛した人と楽しんでたんだ」

「違……」

 桜がルートラの言うような人物ではないことは、詩織もよく知っている。だが、詩織は自分自身の弱さが――捨てられない想い人への未練が、自分の欲しいもの全てを持っている桜への想いを嫉妬と羨望で焦がし、膨れ上がっていることも自覚していた

「それに、君なら彼女を一番確実に殺せる」

 懸命に己の弱さが生み出した桜への幻想の敵意を振り払おうとする詩織に、ルートラは笑みを帯びた声音で語りかけていく

「戦闘になったとき、君を結界で守るのは誰? 仮に彼女が殺されたとして、最も疑われないのは誰?」

 詩織の知識と記憶を垣間見たルートラは知っていた。戦いの中で詩織を結界で守る頻度が最も高いのは桜と瑞希であり、今後機会は何度でも訪れるだろう

 そして更に、最も弱く全霊命(ファースト)を害する力など持たない最弱の半霊命(ゆりかごの人間)である詩織は、誰よりも疑われない存在でもある

「彼には、彼女が死んだことは分かっても、誰が殺したかまでは分からない。思念通話させる余裕さえ与えなければいいんだ」

 伴侶である神魔は、桜の命を共有している。そのため、桜が死ねば例え世界を隔てていてもそれを知ることができるが、誰が殺したかまでは思念通話さえ通さなければ露見することはない

夢想神(レヴェリー)様が休眠状態でも、ボクなら神の力を一瞬だけ借りられる。その力を使って誰も見てないところで()ッてもいいし、場合によってはちょっと隙を作ってやるだけでも――……必要なら、ボクがお膳立てをしてあげるよ? ウシシ……」

 両手を口に当て、笑いを噛み殺すルートラの言葉に、詩織は恐怖を覚えつつも、なぜか耳を傾けずにはいられなかった


 桜に対して思うところはあるが、だからと言って桜に死んでほしいとまで詩織は思っていない。だが同時に、桜がいなくなった世界で、神魔と想いを通わせる自分の姿を思い浮かべずにはいられなかった


(本当、私って最低……でも、しょうがないよね。だって私は、神敵(悪意)の眷属なんだから)

 桜がいなくなった未来を想像してしまう自分に、嫌気がさしたように自嘲した詩織は、心中で自棄とも取れる言葉を零していた


 自分は悪意の眷属なのだから、九世界の人達のように割り切ることなどできない。

 開き直っているといっても過言ではない詩織の脳裏には、妖精界で会った反逆神の「狂っているのは、ゆりかごの人間(お前たち)の方だ」という言葉が繰り返されていた


「君は、一体何に遠慮しているんだい? 九世界のルールでは殺しちゃいけないなんてことはないんだよ」

「――っ!」

 さらにダメ押しのように発せられたルートラの言葉に、詩織は小さく目を瞠る

 世界が変われば法も変わる。地球では禁じられていた重婚が九世界では、多夫多妻制として当然のように施行されていることを考えれば、ルートラの言葉は間違っていないのかもしれない

「遠慮なんていらない。――だから、()ッちゃいなよ」

 人の命を奪おうとしているとは到底思えないほどの軽い口調で言うルートラの言葉に、詩織は自分の心が揺らいでいることを再認識させられてしまった

「わ、私は……」

 今日までの桜との日々、神魔への思いを思い返しながら、葛藤する詩織の姿を見ていたルートラは、不敵な笑みを浮かべる


「決心がついたらボクを呼んで。ボクは、いつでも君の中にいる、君の味方なんだから」


 詩織の中に渦巻く感情を見通しているかのようなルートラは、唇に指を当てて軽くウインクをしながらそう語りかける








「――……」

 詩織が気が付いたときにはすでにルートラはおらず、詩織は一人だけの室内で佇んでいるだけだった

 自身の手に視線を落とした詩織は、その手が小さく震えているのを見て息を呑む


 桜暗殺の誘惑――震える詩織の手は、ルートラの言葉によって覚えた恐怖によるものかもしれないし、恐ろしいことを考えていた自分自身への恐怖かもしれない。そうでなければ、もしかしたら武者震いに近いものなのかもしれない


 いずれにしろ、自分の心に向き合うように震える手に視線を落としていた詩織の思考を打ち消すように、窓に降り注ぐ雨音がただ淡々と静かな部屋の中に響いていた





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