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魔界闘神伝  作者: 和和和和
ゆりかごの世界編
16/305

戦う決意





 その瞬間まで考えたことも無かった。――否、考える暇もなかった。



 ある日「紅蓮」と名乗る「悪魔」という存在に内側に隠された「力」を見つけられ命を狙われた。

 そして「光魔神」として覚醒した今でも紅蓮は戦いたいからという理由で武器と殺意のこもった確かな戦意を向けてくる。

 守りたいモノがあって失いたくないモノがあったから戦う道を選び、守るために、生きるために強くなろうと決意した。


 戦いは、必要に強いられたからこそ力を磨いてきた。

 戦いたくは無くても相手が向かってくるから仕方なく戦う。――それが当然であり、「何のために戦うのか」などという考えは大貴の意識の奥に追いやられていた。


(……そういえば、俺自分で目的もないのに何で戦ってたんだ……?)


 視界に映る二つの漆黒の魔力の激突と魔力と、二つの白い光力の激突を瞳に映しながら大貴は呆けたように空を見上げる。


「大貴!? 大貴!」


 マリアの張り巡らせた結界を叩きながら声を上げる詩織の声も、まるでそよ風のように耳に留まる事も意識の端にかかることも無く消えていく。


(あいつらには……目的がある)

 紅蓮は強者と戦うという理由が、紫怨や臥角にも十世界の「思想」も彼らの「戦う理由」。神魔やクロス、マリアにも、形や立場は違えど何かしらの戦う理由はあるのだろう。

 そう考えた時、あまりにも空虚な自分の戦う理由に気が付いてしまった。


(俺には……戦う理由が無いんだな……)


 何かをなしたいわけではない。

 何か求めるものがあるわけでもない。

 死にたくない。家族や友人を守りたいというのも十分な戦う理由だろう。


 しかしそれは大貴の自発的な意志に基づく「戦意」ではない。


 命を狙われるから死なないように戦う。自分にとって失いたくない人に危害が及ぶから守るために戦う。

 しかしそれは常に受動的な戦意。「攻撃されるから応戦する」といった程度のものでしかないそれは、戦う理由ではなく、生きる理由なのだ。


(俺は、何をしたくて戦うんだ……?)


 初めて生じた疑問の答えを見つけようとする大貴は、静かに自分の心に問いかける。


 戦いに理由が必要というわけでは無いだろう。死にたくないから、失いたくないから戦うというのも理由としては十分に成立するものだ。

 しかしそれは誰でも同じ。自らの意志で戦うためにはそれ以上の理由が要るのだと、今の大貴の心は求めていた。


(俺は……戦って何をしたい? どういう風になりたくて戦う……?)


 周囲の戦いを知覚しながらも、まるでそれを感じていないかのようにその場に立ち尽くす大貴は、無言のままで自分自身に問いかける。


 戦いを辞めるという考えはなぜか浮かんでこなかった。

 なぜなら、戦う理由を探し、求めている時点で、大貴は心の中で戦うことを――自らの意思を貫くために他人のそれと相対することを選んでいたのだ。


《他人を理解するって事は、他人の事は理解できないって事を理解する事だよ》


《戦いは自分の信念(想い)を貫くために他人の信念(想い)を否定することだよ》


《相手も自分の信念に命を懸けて戦うんだ。僕達はそれを肯定して、でも自分の大切なもののためにそれを否定する》


 そんな大貴の脳裏に甦ってくるのは、先ほど神魔から送られた言葉の数々だった。

 自分よりも長い時を生き、長い時間を戦いに割いてきた人物が語る戦う理由は、光魔神としてこれから全霊命(ファースト)と戦い、生きていくために重要なことなのだと、大貴は漠然とだが確信していた。

 それは、大貴自身の意思でもあり、その身に宿った光魔神という存在が無意識に求め、導こうとしているようにすら感じられる。


(……そうだよな……神魔の言う通りだ……)


 その言葉を思い返し、その意味を咀嚼して自分の中に染み込ませていく大貴は、言葉の欠片、想いの欠片を自身の中で一つの形へとより合わせて心中で呟く。


 戦いとは、自分の信念を相手のそれとぶつけ合い、己のそれを貫くこと。

 正義のために戦うのではない。それは、戦う理由を正義という言葉で飾り立てているに過ぎない。


 だが、その大義があるからこそ、人は自らを信じて戦うことができるのだ。

 ならば自分自身にも必要になる。飾り立てるだけの信念が。自分のそれのために他者のそれを踏みにじる覚悟が。


《俺の意志をお前が勝手に決めて否定するな》


 その時、激昂した紅蓮の言葉が脳裏をよぎり、大貴はそこに込められた想いを読み取って静かに深く息を吐く。


(……あいつにはあいつの戦う理由があった。それは俺達の価値観とは違ってて、でもそれがあいつらにとっては正しいもの。それを俺が認められないからなんて理由で否定されたらいい気分はしないな)


 同情し、自らの言葉を自嘲するように心中で独白した大貴が空を見上げると、そこはすでに神魔と紅蓮の魔力の激突によって光すら届かないほどの黒で塗り潰されていた。


 しかし、天を染め上げる漆黒の魔力に宿っているのは、相手を滅ぼさんとする純然な殺意と敵意であっても怒りではない。

 それは、二人が憎み合って殺し合っているのではなく、ただ己が信じるもののためにその意思を貫かんとする信念から生じているものであるからだと大貴には理解できた。


(……それでも、俺は……)


 それを理解したと同時、大貴は自身の見える世界が変わっていくような感覚を覚えていた。

 数多渦巻く無数の思考が選別され、答えを導いていくような感覚。それは、光魔神という存在になったが故の知性がもたらした答えであるようにも、最初から大貴の中にあった答えを導かれたようにも感じられるものだった。


 これまで培ってきた価値観が変化し、世界の見え方が変わっていくような感覚。

 それは、他者に感化されたということなのかもしれないが、不快感のようなものはなく、むしろ晴れやかな清々しさすら感じられるものだった。


「大貴の馬鹿! いつまでそうしてるの!?」


 その時、左右非対称色の双眸に漆黒の空を映していた大貴の耳に、詩織の声が届く。


 全霊命(ファースト)が持つ純然たる意志と、それを事象として発現させる神能(ゴットクロア)の権能によって無意識的に外界の情報を遮断していた大貴が世界へ向けたことで、今まで届かなかった詩織の声が不意に大貴の耳朶を叩いたのだ。


「しっかりしなさ……い」


 立ち尽くしている大貴に檄を飛ばしていた詩織は、不意に深く息を吐いた大貴の横顔を見て思わず言葉を詰まらせる。

 自身の中にわだかまっていたものを全て放出し、新たな想いを取り込もうとしているような深い呼吸を行った大貴の横顔は、詩織が息を呑んでしまうほどに澄んだものへと変化していた。


「そうか、そうだな……」


「……?」

 大貴の呟きに、詩織はその言葉の意味を理解することができずに怪訝そうな表情を浮かべる。

 しかし、そんな詩織の反応など気にも留めていない大貴は、ゆっくりと空を見上げ、戦いを繰り広げている神魔と紅蓮の姿を双眸に映す。


(俺は、俺のしたいことをするために戦うんだ……!)


 自身に言い聞かせるように己の決意を心の中で発した大貴は、黒と白の刀身を持つ自らの神能ゴットクロアが戦うために顕現した刀――「太極神」を握り締め、左右非対称色の翼を広げる。

 光と闇を等しく併せ持つ光魔神の特性を表したかのような純粋な黒と白の入り混じった翼を羽ばたかせた大貴は、神速で天へと駆け上がっていく。


「急にどうしたの……?」


 突然視界から消えた大貴に、何が起きたのか分からない詩織は、マリアが生成した結界の中で呆気に取られたように独白する。

 しかし、そんな詩織をよそに、臥角と戦いを繰り広げているクロスとマリアは、その様子を知覚して口元に薄く笑みを浮かべていた。


「見つけたのですね、自分なりの答えを……」


 静かに呟いたマリアの視線の先には、これまでとは違う意志を宿して宙空を翔ける大貴の姿が映し出されていた。


「あいつに絡み付いていたゆりかごの毒・・・・・・が薄くなった……この分なら真の光魔神としての覚醒も近いかもな」


 マリアの言葉に応えるようにクロスが光力を帯びた大剣の切っ先を向けると、十世界に所属する悪魔である「臥角」は、魔力を纏わせた棍を構えて不敵な笑みを浮かべるのだった。





 紅蓮の剣と神魔の大槍刀の刀身が漆黒の魔力を纏って激突し、世界を暗黒に染め上げる。


 世界を容易く滅ぼす力を持つ闇が二人の間でせめぎ合い、魔力に込められた純然たる殺意が世界に破壊と死滅をまき散らし、相殺されて霧散する。

 自身へ向けられた破壊の力の余波と、破壊の衝撃に一旦距離を取った神魔と紅蓮は、しかし休むことなく再びその刃をぶつけ合う。


「クク……やはりいい。この命をせめぎあう感覚は他では味わえないな」


 天を衝く漆黒の魔力に身を晒す紅蓮は、身体の随所から真紅の血炎を立ち昇らせながら口元に笑みを刻む。

 自身と同等の力を持つ存在との命を懸けた戦いへの恍惚を滲ませた声で言い放った紅蓮は、自身へ迫る死滅の闇に恐れることなく、全霊の魔力を込めた剣を力任せに振りぬく。


「僕はそこまでは思わないけど?」


 その斬撃を同様に振るった大槍刀の巨大な刀身で弾いた神魔は、同時に紅蓮を容易く呑み込むほどの魔力の砲撃を放つ。

 手のひらから放出された極大の暗黒の砲撃は、しかし寸前で紅蓮に回避され、空の彼方へと消え去って漆黒の星と化す。


 神魔と紅蓮が戦い始めて数分――両者は身体の随所に刻まれた傷から赤い血をくすぶらせながら向かい合う。

 凄まじい回復力と復元能力を持つ悪魔の身体は、浅い切り傷程度なら瞬く間に完治させてしまうが、二人の激戦は傷の癒えた身体に休む間もなく次の傷が刻み込まれる事を繰り返していた。


「はああっ!」


 神魔が放った魔力の砲撃を合図に一旦距離を取った二人は、一瞬だけにらみ合うと再び天を蹴ってその距離を縮める。


 時間と空間を超越する神速で肉薄し、純然たる殺意に染め上げられた魔力を込めた斬撃がぶつかり合い、神魔の力と刃が紅蓮の闇をわずかに凌駕する。


「――ッ!」


 自身の魔力がより強力な破滅の刃によって斬り裂かれたことに瞠目した紅蓮の双眸が漆黒の一閃を映し、次の瞬間にはその身体を深々と斬り裂かれる。


「ぐ……っ!」


 逆袈裟に身体を切り裂かれその傷口からおびただしい量の血炎を噴き上げる紅蓮は、神魔から距離を取り、傷口を押さえて苦痛に呻きながらも浮かべた笑みを絶やすことは無い。


 神魔と紅蓮の神格はほぼ互角だが、ほんのわずかに神魔の方が勝っている。

 わずかながらも確かなその実力差は、徐々に二人の差を広げていき、いずれ勝敗を決める決定的なものとなることは確実だった。


「……このままじゃあ押し負けちまうな」


 このままでは神魔に負けてしまうことを感じ取った紅蓮は、どこか楽しそうに呟くと、その魔力を手に持った剣――「斬軌」に注ぎ込んでいく。


(この一撃で決めるつもりか……)


 このまま戦ってもやがて実力差で押し負けると判断し、短期決戦に活路を見出そうとする紅蓮の目的を読み取り、神魔も身の丈ほどの巨大な漆黒の両刃の刀身を持った大槍刀――「滅神」に魔力を注ぎ込んでいく。


「この一撃で決める」


 二人の力の差はわずかながらも確実に存在する。しかしそれは決してわずかな運や戦術で覆せないほど大きなものではない。

 おおよそ拮抗した魔力を持つ二人は、それを熟知しているが故に決して油断も慢心も確信も無くただ自らの勝利を得、相手に死を与えるために戦意を研ぎ澄ませていく。


「……そうだね」


 その存在の全てを自らの神能ゴットクロアによって構成されている全霊命ファーストは、人間のような半霊命ネクストとは異なり本能と理性を同一のものとして保有している。

 その意志は本能であり、理性。その完全なる精神は反射に等しい一切の雑念を持たない完全な究極の思考を全霊命ファーストに与え、その意志が神能ゴットクロアの全能を引き出す。


 そうして高められた魔力は、神魔と紅蓮――その神格の力の全てを十全に引き出し、ただ相手を滅ぼさんとしていた。


「いくぞ」


 静かに発せられた紅蓮の言葉を合図に、神魔も最後の一撃とするべくその力を振るわんとする。


「――ッ!」


 しかしその瞬間、今まさにその力を解き放とうとした神魔と紅蓮は、自分達に向かって放たれる強大な力を知覚してその場から離脱する。


 それと同時に、二人が回避したその場所を黒と白の力の入り混じった力の柱が貫き、天を衝いて立ち昇る。


「……これは」

「大貴君の……」


 黒と白――闇と光の力を等しく有するその力の奔流に、紅蓮と神魔はその力が放たれた方向へと視線を向ける。


 そんな二人の視線の先には、黒と白の入り混じった左右非対称色の翼と、同じく左右で色の異なる瞳を持った人物がその武器である刀を携えて佇んでいた。

 世界で唯一光と闇の力を併せ持った全霊命(ファースト)であり、最強の異端神であり、そしてこの地球という星で生きる人間でもある人物――「大貴」は、神魔と紅蓮に確固たる意志を宿した視線を向ける。


「大貴君」

「光魔神。――なんだ!? 俺達の戦いの邪魔をしに来たのか?」


 大貴の目にこれまでと違った意思が宿っているのを見て取った紅蓮は、その上で嘲るような口調で言う。

 それが紅蓮なりの歓待の言葉であることは明白だが、そんな皮肉めいた言葉に、大貴は不敵な笑みを浮かべて応じる。


 そんな大貴の手に握られている刀は、先程紅蓮に斬り落とされた刀身が完全に復元され、本来の形に戻っていた。

 全霊命(ファースト)の武器は、使用者の戦意の形。

 大貴の命が尽きない限り何度でも再生され、顕現させることができるそれが形を取り戻しているということは、大貴が戦意を取り戻していることの何よりの証明だった。


 しかし、その手に握られている今までと同じ刀には、しかしこれまでとは一線を画す強い信念と戦う決意が宿っており、まるで別の刀のような存在感を放っている。

 それを見て取った紅蓮が思わず笑みを零してしまったのは、大貴の心の成長と変化への期待の表れだった。


「ああ、そうだ。俺はこの戦いを止めるためにここに来た」


「……何だと?」


 半分嘲るように言った言葉を大貴に肯定され、紅蓮は眉間に皺を寄せて不機嫌さを滲ませる。


 自分の言葉を受け入れ、戦う理由を見つけて戻ってきたのかと思ったところに、それを否定するような言葉を投げかけられて不快感を示す紅蓮に、大貴は強い語気で言い返す。


「俺にはお前達の気持ちは分からないし、俺の気持ちはお前たちには分からない。確かに他人を理解する事は他人を理解できない事を知る事だって思う。

 お前達の言っている事は正しい。本当に……感情を一切挟まない客観的で一番理にかなった理屈だとも思う」


 そう言って大貴は、紅蓮と神魔を見据えて自分の想いを口にする。


 神魔や紅蓮の言葉には私情が入っていない。

 人の意志は理解できないと理解し、戦いは自身の意思で自身のために戦うものだと、正義も悪も無く全ての意志を肯定し、否定するその在り方は、感情の入り込む余地の無いという意味で客観的な正論だと言える。


「でも、それを『はい、そうですか』って受け入れられるほど、俺は人間が出来てないんだ」


 大貴はそう言うと、自分を挟んで両側にいる紅蓮と神魔に声を荒げるようにして言い放つ。


「戦わなくて済むならその方がいい。戦わずに話し合って解り合えるならその方がいいに決まってる!」


「確かに大貴君の言う事にも一理はあると思うよ。相手が戦いを望んでいるからってただ戦えばいいわけじゃない。……でも」


「それが出来れば苦労はしないだろう?」

 そんな大貴の言葉に、神魔と紅蓮が先程と同じようにその意見を肯定した上で否定する。


 確かに戦わなくて済むならそれに越したことはない。話し合って矛を収め、争いを回避できるならそれに越したことはないだろう。


 しかしそんな事が出来るならそもそも戦いなど起こらない。

 結局誰もが自分の守りたいもののために、自分と自分にとって大切なもの以外を犠牲にするためにおこなわれるものこそが「戦い」なのだから。


「ああ、ならお前たちは苦労するから、できるはずがないって言われたら諦めるのか?」


「…………」

 しかし、その答えを想定していた大貴の返答に、神魔と紅蓮がわずかに眉をひそめる。


「俺は諦めろって言われて諦めるような人間になるのはまっぴらだ。俺は俺のしたいようにする。そのためにこの力も使う!」


 全身から白と黒の入り混じった太極(オール)の力を放出した大貴は、静かにしかし揺るぎない信念と決意を込めて言う。


「俺は、俺のしたい事をするために戦う!」


 そうして放たれた言葉こそが、大貴の答えであることに神魔と紅蓮も気づいていた。


 ただ誰のためでもなく、自分のために。

 自分が守りたいと思ったものを守るために。

 具体的に何かをしたいわけではない。しかしただ諦めて敵と戦うのではなく、自らの意思で、自らの願いで戦う事。

 ただ何を成すために戦うのかを自らに問う事こそが〝戦う理由〟。――たったそれだけの事でいいのだ。


「……それを望まない人もいるでしょ?」


 それを聞いて大貴の意思を察した神魔は、まるでその意志を確認するかのような穏やかな口調で問いかける。


「かもな。……けど俺には、そいつの事情なんて知ったことじゃない!」


 そんな神魔の言葉に、大貴は小さく笑みを浮かべて静かに強く応じる。


 自分の思うことをするために、自分の思い通りにするために戦うことを望む他人の信念を否定するならば、それは十分に戦う理由足りえる。

 それは、神魔や紅蓮が戦う理由と同じものだった。


「……そう」

「ふん」


 自らの意思で自らのために戦うことを決意した大貴の言葉に、神魔と紅蓮はどこか満足したような面持ちで笑みを零す。

 そんな二人の反応が、神魔と紅蓮が望んでいた答えだったのだと大貴に教えてくれていた。


「自らを正義と鼓舞するのは傲慢。他者の正義を否定し、それを強要するのは暴虐。しかし相手の正義を肯定し、自らのそれと相容れないからと拒否すれば、それが理解(・・・・・)だ。……忘れるなよ大貴」


「ああ」

 その答えを認めたように紡がれた紅蓮の言葉に、大貴は小さく首を縦に動かす。


「――なら、お前のするべき事はわかるな?」


 獣のような凶悪な笑みを浮かべて漆黒の魔力を放出する紅蓮の問いかけに、大貴はその手に召喚した黒と白の刀の刀身を向ける。


「ああ、お前を倒してその戦闘狂を改心させてやる!」


「やれるものならやってみろ!」


 大貴の答えに満足したように笑みを浮かべた紅蓮は、咆哮と共に純然たる戦意に染められた魔力を解放する。

 紅蓮の放つ漆黒の魔力と、大貴の放つ黒と白の入り混じったこの世界唯一無二の力――太極オールがせめぎ合い、空間を軋らせる。


「神魔、悪いけどこいつの相手は俺がする。お前はクロスとマリアの方を頼む」


「……やれやれ」

 紅蓮を見据えたまま発せられた大貴の言葉に、わずかに困ったような笑みを浮かべた神魔は、しかしその申し出を受け入れて二人から離れていく。


「さァ! ここからが俺達の本当の戦いだ!」


「――来い!」

 漆黒の魔力を放出し、戦意に高揚した表情で吠える紅蓮に、大貴も黒白の力を纏う刀の切っ先を向けて応じる。


「そこまでです」


 今まさに大貴と紅蓮がその意思と信念の下に戦いを始めようとした瞬間、マリアによって隔離されたこの空間に高く澄み渡った女性の声が響き渡る。


「!」

「!?」


 その声を聞いた紅蓮が目を見開き、大貴と神魔が怪訝な面持ちを浮かべたその時、マリアの作り出した空間が引き裂かれる。


 空間隔離を外から破壊し、そこにできた穴から侵入してきたのは、膝裏まではあろうかというほどの長さを持つ柔らかくウェーブした金色の髪を持つ美女と、金色の髪を逆立たせ、額に漆黒の角を一本生やした漆黒の翼をもつ青年だった。


「……!」

 崩壊したビルの瓦礫の上に佇み、侵入してきた人物の姿を見て取った紫怨は、その顔を強張らせて驚愕に目を瞠る。


「嘘……だろ!?」


 その姿を見て臥角と戦闘を繰り広げていたクロスとマリアも、その戦いを中断して上空に現れた二人に視線を向ける。


「っ! な……!?」

 突然現れた二人の人物を見て、大貴は大きく目を見開く。


(何だ、あの二人? 男の方は今まで感じた事の無い力だけど、女の方は魔力だから悪魔か……)


 神能(ゴットクロア)を認識する知覚によって、大貴は先程の声の主と思しき美女の方が悪魔であり、黒翼の青年が天使でも悪魔でもない全霊命(ファースト)であることを理解する。

 だが、大貴が何よりも驚いたのは、空間隔離を力ずくでこじ開けて侵入してきたことでも、知覚したことのない神能(ゴットクロア)でもなかった。


(神魔よりも大きな力を持った奴なんて初めて見た……)


 大貴が驚愕したのは、侵入者である美女から感じられる圧倒的な規模の魔力だった。

 その強さ――すなわち神格の高さは、大貴が知る中で最も強い力を持つ神魔よりも強大なものであることが明らかだったのだ。


 相手の神能ゴットクロアの力の大きさを知覚する事が出来る全霊命ファーストは、それによって相手の力を図り、その強さをおおよそ知る事が出来る。

 存在そのものが神能ゴットクロアである全霊命ファーストにとって、その力の大きさこそが強さに等しい。

 即ち神格の高さこそが神能(ゴットクロア)の強さそのものであり、それが全霊命(ファースト)自身の存在そのものなのだ。


「……!」


 その頃、隔離された空間を破壊して現れた男女二人組を地上から見上げていた詩織は、恐怖に身体を震わせる。


 マリアの結界によって半霊命ネクストなど殺意だけで容易に滅ぼす事ができる全霊命ファーストの意志の力から守られていながら、詩織はその二人の存在に畏怖を感じていた。

 マリアの結界を通して尚、心臓を締め付けるような圧倒的な存在を放つ二人に、詩織は自分で自分を抱きしめるように身体に手を回す。


「詩織さん」


「だ、大丈夫です……」

 それに気づいたマリアに声をかけられた詩織は、心臓が止まってしまうような存在の圧力に耐えながら侵入者の二人――特に、金色の髪を揺らめかせている女性を見る。


(この感じ……あの人から?)


 そこにいる美しい金髪の女性は、穏やかな笑みを浮かべており、戦いに関して無知である詩織の目から見ても戦意などは感じられない。

 だが、敵意でも戦意でもなく、ただそこにいるだけで詩織のちっぽけな存在など容易く押し潰すほどの圧倒的な存在感を持ってそこに佇んでいた。


(あいつら、強い……!)


「なんて強大な魔力と光魔力だ……特にあの悪魔の女、ここにいる誰よりもはるかに強いぞ」


「そんな……っ」

 その時、苦々しげな口調で吐き捨てるように発せられたクロスの言葉に、詩織は動揺を隠せずに目を見開く。


「うん。あれほどの力を持つ悪魔なんて、滅多に会うことはないのに……!」

 そんなクロスの言葉に、マリアが神妙な面持ちで頷くのを見た詩織は、たまらずに結界の中から声をかける。


「そ、そんなに強いんですか……?」


「ああ、少なくとも俺とマリア、神魔と大貴が一斉にかかっても勝てないくらいには強い」


「――っ!」

 自分の問いかけに返されたクロスの信じ難い答えに、詩織は愕然とした面持ちで膝を震わせる。


「俺や神魔は、天使として、悪魔としては上の下って所の実力だ……だがあの女は間違いなく悪魔の上位に位置付けられる実力者だ」


 そんな詩織に追い打ちをかけるように、クロスの口から絶望的な言葉が告げられる。


 全霊命ファーストは九世界における最強の存在。

 全ての事象を否定し、望むままに現象を顕現させる最も神に近しい力を持ち、同じ全霊命(ファースト)以外には決して脅かすことのできない絶対的な存在として九世界に君臨している。


 だが、同じ全霊命(ファースト)同士となれば話は別。全霊命(ファースト)の中にも強さの優劣というものが存在している。

 明確な順位があるわけではないが、その神格に応じて強さが異なっていることは事実だ。


 神魔やクロスで上の下、あるいは中の上。九世界の頂点はそれよりもはるかに高い所に存在する。

 同じ全霊命(ファースト)である以上、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)のように原理的に絶対に勝てないということはないが、その間に明確な力の差が生じることは確実だった。


「あ、姐さん……ラグナ」


「紅蓮さん。勝手な行動は慎んでもらえるようにお願いしたと思うのですが」


 驚愕に目を見開く紅蓮に一瞥を向けた金髪の女性は、息をついて穏やかな口調で大貴、神魔、クロス、マリアの順に視線を動かしてから穏やかな口調で話しかける。


「……ちっ」


 金髪の女性に優しい声音で窘められた紅蓮は、隠れて小さく舌打ちをする。


「失礼いたしました、皆さん。私は紅蓮さんの上司。十世界分隊長の一人『茉莉まつり』と申します。こちらは堕天使の『ラグナ』」


 そんな紅蓮の反応を無視した金髪の美女は、大貴や神魔を見渡して深々と一礼し、自分と同伴してきた黒翼の青年を紹介する。


(でも、なんて綺麗な人……そういえば悪魔の女の人って初めて見た)


 茉莉と名乗った悪魔の美女が紡ぐ心が安らぐような澄み渡った清やかな声が染み入り、詩織はただその美しさに息を呑む。


 膝裏まで伸びた金色の髪は緩やかにウェーブを描き、触れてもいないのにその柔らかな感触を否応なく想像させる。

 その顔や身を包む白を基調とした霊衣から覗く肌は雪のように白くきめ細やかで、金色の髪との対比が美しく、翡翠のような碧眼が花びらのような薄桃色の唇と共にその存在感を主張している。


 神能(ゴットクロア)によって形作られる全霊命(ファースト)の容姿はこの世のものとは思えないほどに美しく整っており、茉莉の心のありようを表しているかのように穏やかで優しい包容力を感じさせる。

 悪魔という単語が不釣り合いなほどに清楚でありながら、あまりにも完成されたその美は魔性を感じさせ、触れることすら憚らせる神秘性と幻想が顕現したかのようだった。


 比肩しようとすら思えず、嫉妬する余裕もないほどにまるで次元の違う美しさに詩織は圧倒され、ただただその神性を崇めるかのような純粋な畏敬の念だけが心を満たす。

 圧倒的な存在感を有しながらも目を奪われる人間の理解を超えた存在としての壮麗な美しさ。それは恐怖と共に詩織の心を掴んで離さない。


(マリアさんもそうだったけど、本当に綺麗な人って嫉妬する気にもならないんだ……もしかして、全霊命ファーストの女の人って、みんなこんなに美人なの?)


 茉莉の超然的な美しさにただ見とれている詩織は、自身の存在の脆弱さに恐怖する中で感動すら覚えていた。


「ラグナ! てめぇ、チクったな!?」


「報告しろと言ったのはお前だろ?」

 そんな中、紅蓮が発した言葉が「ラグナ」と呼ばれた漆黒の翼を持つ堕天使を非難するが、それは即座に冷ややかな響きを帯びた声で拒絶される。


「ぐっ……確かに言ったが、そこは黙認するところだろ!?」


「そんなことは俺の知ったことじゃない」

「この堕天使が……!」

 憤りを露わに歯噛みする紅蓮の様子を睥睨し、ラグナは素知らぬ顔でそっぽを向く。

 当然紅蓮の言い分の方に無理があるのだが、興味がないのか、あるいは人との関わりを持ちたがらないのか、ラグナの返答は常に無関心で淡白なものだった。


「堕天使……?」


 そのやり取りを見ていた詩織は、結界の中から茉莉の横にいるラグナを見て呟く。


 腰まで届く逆立った金髪を首の後ろで一つに束ね、天を衝く黒い一本の角を額に有した一対二枚の漆黒の翼を持つ存在。

 天使のようでもあり、悪魔のようでもあるその姿は、確かに「堕天使」と称するにふさわしいものであるように思われた。


「堕天使というのは天使が『堕天使王・ロギア』に呪われて闇の存在へと堕ちたもので、悪魔をはじめとする闇の全霊命ファーストとは根本から異なる存在です」


 そんな詩織の呟きに、マリアは茉莉とラグナを見据えたまま答える。


「呪われる……?」


「光の全霊命ファーストの中でも、天使だけが堕天使王の力によって光の存在でありながら、闇の存在へと堕ちる。

 堕天使になる理由は様々だが、自分からなる者と、堕天使の間に生まれた生粋の堕天使の二通りが存在する。奴がどっちかはわからないがな」

 それを聞いた詩織から思わず零れた怪訝な呟きに、マリアの言葉を引き継ぐようにクロスが答える。


 堕天使とは、天使であったものが堕天使王「ロギア」の呪いによって闇の存在へと堕落した存在。


 本来「霊」的な力が持つ光と闇の属性の境界は越えられない。

 神能ゴットクロアをはじめとした神格は、光から闇へ、闇から光へ変化などしない。


 しかし天使だけはその例外。


 「堕天使王」と呼ばれる存在は、光の全霊命ファーストであるはずの天使を、闇の全霊命ファーストへと変化させる能力を持つ。

 そうして生み出されるのが「堕天使」。――光の存在でありながら、闇の存在となったものだ。


「当然、光の存在でありながら闇の存在へと堕ちた堕天使は、天使に忌み嫌われ、天界を追われ、別の世界で堕天使たちの世界――十番目の世界と呼ばれる『堕天使界』を作って暮らしています」


 悪魔など闇の全霊命ファーストとは異なる九世界においても異質な存在である堕天使は、天使の「光力」が最も純正の高い光の神能ゴットクロアであるため、純粋すぎる光が持つ影の面とも言われている。

 だが、光の存在である天使が、闇へと堕ちた天使である堕天使に敵愾心を抱くのは必然のこと。

 むしろ、かつては光の存在であったが故にその忌避感は強く、敵対こそしていないものの、天使と堕天使は、完全に決別している。


(「十番目」の世界? ……「十世界」?)


 マリアの言葉を全霊命ファーストの持つ知覚能力によって捉えていた大貴は、その話に出てきた単語の一つにわずかな違和感を覚える。


 紅蓮達が所属している「十世界」という組織。そして九世界における十番目の世界の異名を持つ堕天使界。

 九世界を一つにせんとする十世界と、九世界から追放された堕天使界(十番目の世界)。――その共通項と違いが偶然なのか、大貴には判断できなかった。


「紅蓮さん」

「ハイ」

 静かだが、有無を言わさぬ圧が込められた茉莉の声に、紅蓮が反射的に身体を強張らせる。

 それは茉莉との間にある力の差故なのか、あるいはただ単に為人によるものなのかは不明だが、紅蓮と茉莉の間には確かな上下関係が見て取れた。


「私は、あなたにこのゆりかごの世界でこんな事をしてほしいとお願いはしていないと思うのですが?」


「すまない姐さん。けど光魔神なんて面白い奴に出会ったら、戦いたくなっちまうだろ?」

「やはりあなた一人に任せたのは私の間違いでした……とはいえ、まさかゆりかごの世界に光魔神がいたとは思いませんでしたね」

 紅蓮の言葉にため息を吐いた茉莉は、その碧い瞳に光魔神の姿を取る大貴を映すと、思案気に独白する。

 その脳裏では、光魔神をどうするべきかが思案されていることが容易にうかがえた。


「紅蓮さん、臥角さん、紫怨、さん……」


 ほんのわずかな時間黙考した茉莉は、穏やかだがよく通る透き通った声でこの場にいる同じ組織に所属する仲間達に声をかける。


「とりあえずこの場は引きます。彼の処遇については、我々で決めることはできません」


「……ちっ。大貴、この勝負は預けるぞ」


 戦いを中断されたことに不満を抱きながらも、一応上司の命令には従う気があるらしい紅蓮は、武器を収めて茉莉の元へ移動する。


「致し方ないか……」

「……ああ」

 戦闘を辞めた紅蓮に臥角が続き、紫怨は一度も茉莉と顔を合わせずに抑揚のない口調で応じると同時にその場で姿を消す。


「…………」

 そんな紫怨の反応を見つめていた茉莉は一瞬だけその美貌に憂いを浮かべるが、すぐに今までと同じ穏やかな笑みをたたえるとラグナ、紅蓮、臥角を従えて大貴達の方を向く。


「では、我々はこれで失礼いたします。いずれまたお会いすることになるかもしれませんが……」


 恭しく一礼した茉莉たちの周囲にあった空間が切り裂かれ、穴か渦のようにしか見えない世界をつなぐ門へと変わる。


「大貴、この次に会った時を楽しみにしておくぜ。人の形をしたものを攻撃できない弱点は克服してきたようだからな」


「!」

 意気揚々と発せられた紅蓮の言葉に、大貴は思わず目を見開く。


 そんな大貴の様子をよそに茉莉によって開かれた空間の門が再び閉じられた時には茉莉、紅蓮、ラグナ、臥角の姿は、まるで幻のようにその場から消え去っていた。


「命拾いしたな……今回は」


 茉莉たちの存在が完全に知覚外へ消えたのを確認したクロスは、戦いが終わったことに安堵の息を吐きながらも、険しい面持ちで独白する。


 今回は茉莉が引いてくれたからよかったものの、あのまま戦っていれば自分達が確実に負けていた。

 しかし、次に戦う時が来たとき、茉莉が来ればその結果が現実のものとなることは確実。その事実がクロスとマリアの表情に影を落とす。


「十世界か……これは本当に呼ばないと・・・・・いけないかな……」


 そんな天使たちの様子を横目に、茉莉たちが消えた空間を金色の双眸に映す神魔は、神妙な面持ちで独白する。

 その言葉は誰の耳にも届くことはなく、神魔の心の中にだけ静かに染み入っていくのだった。




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