影の帳
「縁。過去から現在へ、そして未来へと続いていく人と人との繋がり」
白亜の城の中に響くのは、慈愛に満ちた優しい透明な声。その透き通った清らかな響きが染み渡り、まるでその声が届く場所を浄化しているかのようだった
その言葉と共に軽く天を仰いでいる人物――白金色の燐光を帯びた腰まで届く金髪を持ち、純白のドレスに身を包む女性は、雪のように白く滑らかな肌に映える薄い紅で彩られた花唇から、ゆっくりと淑やかに紡がれた言葉が奏でられる
「知っているもの、知らぬもの。本人が望むと望まざるとに関わらずその糸は絡み合い、そして見知らぬもの同士を結び付ける――」
そっと自身の眼前に差し出した己の右手のひらに視線を落としていた光金髪の女性は、その手をゆっくりと握りしめる
「あなたは気づいていないでしょう。あなたとわたくしの縁は、あなたが生まれる前から結ばれていたことを」
まるでその人の心を包み込むように優しく握りしめた手を、自分の心に重ねるように己の胸に当てた燐光を帯びる金色の髪の女性は、ただその時が来る時を待ち続けていた
※
夜薙に案内されて一歩足を踏み入れれば、冥界王城はまさにその外観にふさわしいテーマパークだった
美しく舗装された場内には、明るい音楽と人々の笑い声。敷地内を奔るレールを時折奔るジェットコースターからは、歓喜の悲鳴が聞こえてくる
城内には、老若男女問わず大勢の人間――この冥界に住まう人属半霊命である冥界人たちが家族や恋人と連れ立って歩くその光景からは、世界の中枢としての厳粛さなど微塵も感じられない
しかし冥の享楽として作られたに過ぎないこの空間は、人々が喜びの中に暮らす施政の理想を体現しているかのようだった
「ようこそ。冥界王城テーマランド『ヘルズキャッスル』へ!」
とても城の中の光景とは到底思えない冥界王城の敷地内を夜薙の案内で歩いていると、不意に横から巨大な影が底抜けに明るい声を向けてくる
死神を模しているのか、三つの目を持つ髑髏のような顔に、黒いスーツのような服を着ているといった印象のそれは、紛れもなく巨大な着ぐるみであり、マスコットのようなものだった
二メートル近い身長に、デフォルメされた大きな頭の二頭身の髑髏は、大貴達に元気いっぱいに両手を振っている
(なんでここまでやってるんだ……?)
(マスコットもいるんて、本物の遊園地みたい)
三つの目を持つ髑髏のような顔をしたマスコットに手を振られる大貴と詩織は、半ばそれにつられるように苦笑いを浮かべながら軽く手を振り返す
(城の中でここまでやるんだ)
(やりたい放題だな)
(――お気の毒に)
神魔、桜、クロス、マリア、瑞希もその様子を見ながら、城の敷地内でここまでのことをしていることに感心しつつ、これまでの死神達の心労を慮って心中で同情と憐れみの言葉を述べていた
「分かっていただけますか?」
半ば呆然とした様子で、目の前のマスコットが愛想を振りまいている様子を見ていた大貴達の心の声が聞こえたのか、夜薙はどこか感極まったように目頭を押さえる
「この子達は冥様が人間界から購入した自立思考を持つ機械仕掛けの人形です。この子以外にも数体、それにアトラクションを作るのに一時期世界の予算をほとんど使い潰して……」
大貴達の同情に、これまでの心労が思い返されたのか、項垂れた夜薙の口からは愚痴が滔々と溢れだしていた
この冥界王城内の遊園地としての機能は、その九割以上を人間界から買い付けた「自動人形」、「魔法知能」といった自立的思考と行動を行うことができる科学の力によって運営、維持されている
人間界から直接買い付けた世界最高峰の造能――霊の力を用いない科学などの力によって動くそれにより、冥界王城の死神達が何か必要もなく、冥が自身の遊興で改造したこの遊園地が長い間、正常に稼働し続けているのだ
余談ではあるが、冥界の全霊命である冥界人や他の半霊命世界ではなく人間界からその技術を購入したのは、単純に世界最高の技術を持っているからというだけではなく、亡獣や全霊命の神格と存在の中で、その性能を確実に果たすことができるものを作ることができるのが人間界だけだったからだ。
「しかも、時間が経つとアトラクションに飽きるという理由で、定期的に更新までなさるので溜まったものではありません
まったく。冥界の運営や支配はほとんどなさってくださらないというのに、こういうことにばかり力と時間を注いで……」
冥の耳がないためか、夜薙の口からは日頃の鬱憤がとめどなくあふれ出していた
(色々溜まってるんだな……)
そんな夜薙の姿に、大貴はどことなく同情と不憫さを覚えてしまい、心の中でその苦労を憐れんで呟く
夜薙の言葉に対して思うことは、他の面々も多少似ているのか、神魔達やクロス達は同情、憐憫など各々の思いをその表情にわずかに浮かべて苦笑している
「――ああ、ちなみにこの話は冥様には内緒でお願いしますね」
そんな大貴達の心情を背中で察したのか、夜薙は肩越しに視線を向けると、その唇に人差し指を当てて念を押すように微笑む
「ちょ、ちょっと楽しそう……ねぇ、大貴」
その傍ら、冥界王城内に広がっている遊園地を見ていた詩織は、わずかにその瞳にあどけない好奇心の光を宿して、隣を歩いている大貴に小声でささやく
「俺は行かないぞ」
その言葉に、姉の言わんとしていることを察した大貴は、先回りをして否定する
当然のことではあるが、この冥界王城は全霊命の能力に合わせた広さになっている。つまり、他の王城にもれず、その敷地は広大――詩織の感覚で言えば、もはや敷地というよりは島、あるいは大陸と言った方が適切に思えるその領土を人間の足で回ることは不可能だろう
そのためにも、全ての理を超越し、時間と距離という概念さえも無視する神速で移動できる大貴に城内を移動する強力を頼んだのだが、それに返された答えは、あまりにも素っ気ないものだった
「ケチ。その姿になっても絶叫系が怖いの!?」
あまりにも冷たく自分をあしらう大貴に、詩織は不満を露にして拗ねたように唇を尖らせる
この世に生を受けた瞬間から、今日まで双子の姉弟として共に育ってきた詩織は、当然のことながら大貴の趣味趣向も知り尽くしている
元々人混みが好きではない上に、子供の割には大人びていたというかすれていた大貴は、確かに元々遊園地という場所が好きでなかった印象がある
現に幼い頃から遊園地に行ってもあまり乗り物には乗らず、中でも絶叫系のマシンには頑なに乗ろうとしなかった
「好きじゃないだけだ」
一方的な思い込みで発せられる詩織の言葉で、神魔やクロス達が自分に対する間違った印象を覚えないよう、大貴は不満気に眉をひそめて苦々しい口調で抗議する
「別に『一緒に遊んで』、なぁんて言ってないでしょ? ボディーガード兼エスコート役よ」
移動のことはもちろん、夜薙達の話によればこの城内にはこの世界の危険な半霊命が放し飼いになっているとのこと
そんな危険な場所に一人で行く気などできない詩織は、このような私的なお願いができる唯一の存在である大貴を頼みの綱としていた
「じゃあ、僕と回ります?」
「え!?」
渋る大貴を説得しようと試みていた詩織は、不意に横から聞こえたその言葉に視線を向け、その声の主である神魔の姿を見て目を丸くする
「まあ、僕なんかでよければ、ですけど」
声を潜めていたとはいえ、回りにるノハ元々身体能力の次元が違う全霊命。その程度の声など当たり前のように聞こえていたのか、神魔は普段通りの穏やかな笑みを浮かべていた
「い、いいんですか……?」
神魔に想いを寄せる詩織にすれば、その言葉はまさに青天の霹靂。突如降ってわいた幸運に頬を赤らめた詩織は、夢見心地で再度確認する
「もちろん。僕も、ちょっと面白そうだから見て回りたいと思ってたんだ。ね、桜?」
「……ぁ」
満面の笑みを浮かべ、何一つ悪気もなく桜へ視線を向けて言う神魔の言葉に、浮かれて舞い上がっていた詩織の感情は一瞬にして氷点下まで冷えてしまう
神魔が自分を誘ってくれたのは、あくまでもついで。その本当の目的が桜との逢引にあることは、その視線を見れば一目瞭然だった
「……あ、いえ……じゃあ、私お邪魔じゃないかなぁって」
神魔の言葉に、これまでの昂揚を一瞬で失った詩織は、せめて自身の心情を悟られまいと平静を装った声で答える
とはいえ、詩織の表情からは覇気が消え、わずかに引き攣ったその顔は見る人が見ればその身中を雄弁に語っているものだった
「別に遠慮しなくてもいいのに。ね、桜?」
「はい……ですが、神魔様。折角詩織さんが気を遣ってくださっているのですから」
(神魔様、悪気はないのでしょうけど、その分残酷ですね)
詩織の気持ちになど全く気付いておらず、詩織のことを異性として全く意識していない神魔の悪意のない言葉に淑やかに微笑みながら、桜はその視界の端に顔を逸らして俯いている詩織の姿を映す
桜と詩織は、前の世界でその関係に微妙な亀裂を生じている。神魔のために生じた二人の女の不協和音の中、その原因となった男はいつもと変わらずに立ち振る舞っていた
無論、桜と詩織の関係に不和が生じていることくらいは神魔も気づいている。それに関しては、桜に口を出さないように言われているが、せめて二人には少しでも仲良くなってもらいたいと気を回すことくらいはする――もっとも、その気遣いは完全に空回りしてしまっているのだが
「そっか……」
丁寧で物腰の柔らかな言い回しを使って同行を否定する桜の言葉を受け入れた神魔は、暗い表情でうつむきがちになっている詩織を一瞥して言う
「――……」
(なにやらこちらも、複雑な様子ですね)
そのやり取りに、一番前を歩きながら意識を傾けていた夜薙は、そこから見て取れる三人の関係に心中で独白する
死神は、九世界を総べる八種の全霊命の中で最も知覚能力が高い。その身体を流れる霊の力を動かす感情の動きさえも敏感に感じ取るその知覚は、神魔と桜、詩織の間に流れる不穏な関係を夜薙におおよそ全て正しく把握させていた
(冥様には、光魔神様たちを見ていて面白そうなことがあれば報告するように言われてはいますが、報告はしない方がよさそうですね)
その様子を意識の端で捉える夜薙は、わずかな思案の後に見て見ぬふりを決め込むことを決める
九世界全ての世界を光魔神に訪界させ、味方に引き入れて十世界と敵対させるという魔界王からの提案を受けた時、冥はそれを面白いからという理由で快諾している
無論九世界や十世界のことを考えていないというわけではないが、冥にとってはそちらよりも単純な好奇心の方が勝ったようだった
そんな冥が、ただ光魔神とその同行者達をただ粛々と受け入れるだけで終わりにするわけがない。
その世話を任されている夜薙とシキト、そして冥界王城の死神達には、極秘裏に冥から光魔神たちの動向で面白そうなことがあれば報告するようにとの通達が出されていた
「……」
夜薙が隣へと視線を向けると、共に大貴達の案内役を務めることになっているシキトはそれに一瞥して思念を通話を使うわけでもなくその考えを見透かして小さく頷く
もっとも、シキトの性格を知っている夜薙は、自分が何か言うまでなく、シキトがそのようなことを冥に報告しないことは分かっている
「皆様、あそこに見えるのが、冥界王城の本殿です」
そうして夜薙は、背後にいる大貴達に声をかけて進行方向にある城を指し示す
この遊園地は冥界王城ではあるが、その大半は世界の中枢たる城としての機能を果たしてはいない。この城内で冥をはじめとする死神達が暮らしているのは、園の中心に作られた巨大な城だけ
その城は、全体を取り囲むように壁が儲けられ、遠目にも入り口らしき巨大な門を見て取ることができる。それを見れば、さすがにそこだけは、冥界王城という遊園地の来場者が入ることができないようになっているようだった
「……」
普段ならば、遊園地の中に城というおとぎ話のような状況に何か思うところがあったかもしれないが、今の詩織にはそのようなことに気を回す余裕はなかった
一方で夜薙の言葉に耳を傾けながら周囲を見回していた大貴は、壁に張り付くようにしている身の丈二メートルはあろうかという巨大な蜥蜴に似た生物を見止めて目を細める
(あれが亡獣か。本当にあんなヤバそうなのが放し飼いになってるんだな……躾けられてるのか?)
園内で放し飼いにされているという、九世界で最も毒と擬態に長けた半霊命――「亡獣」。城内に作られた庭園や花壇の周りを飛ぶ蝶や小さな虫も厳密にはそうなのだが、そこにいたのはそれらとは比べるべくもない大きさと禍々しさを感じさせるものだった
全霊命としての自分の力から見れば取るに足らない亡獣ではあるが、同じ冥界の亡獣である人属半霊命――「冥界人」から見れば、そうとは限らない
ここに放し飼いになっている亡獣の危険性を危惧せずにはいられない大貴は、しかしそれを口に出すことはせずに夜薙の案内に従って冥界王城本殿へと向かった
※
冥界王城本殿の周囲に近づくにつれてアトラクションはなくなり、やがてあれほどいた人々も見て取ることができなくなる
華やかさで賑やかな世界を通り抜けると、先程までの人の笑顔に満ちた空間がどこか寂しさにも似た哀愁を掻き立て、後ろ髪をひかれるような感覚を抱いてしまう
(やっぱり、ここには、普通の人間は入れないみたいだな)
「どうぞ」
案の定、一般の冥界人達は本殿に入ることができないらしいことを推察しながら城に入った大貴の視界に、豪華で煌びやかなエントランスが飛び込んできた
赤い絨毯が敷かれ、吹き抜けのようになった巨大な入り口はいくつかの階段によって三つの階へと続く作りになっており、まさに王の城にふさわしい厳かで豪勢、それでいて調和のとれた落ち着いた上品な造
りになっている
天井にある巨大なシャンデリアから降り注ぐ光が、城の顔であるエントランスを華やかに照らし、来客である大貴達を出迎えていた
(お城の中は結構普通なんだ……)
「遊園地」に「放し飼いの亡獣」――これまで奇抜で常識外れといった印象を受けた冥界王城の印象が強かったために、詩織は逆にエントランスの普通さにどこか拍子抜けしたような印象を抱いてしまう
確かに、この冥界王城もこれまで行った各世界の城に引けを取らないものであり、地球の感覚でいえば規格外に優れている。だがやはり、城であるのに遊園地という奇妙極まりない違和感の前ではそれも霞んでしまっていた
「城内は、さすがに私達と時雨様が全力で反対したので普通です」
そんな詩織の――あるいは、他の面々も大なり小なり抱いていた思いを読み取ったかのように、半身をひねって大貴達を見た夜薙が苦笑交じりに言う
もちろん冥は、冥界王城内にも、様々な〝面白い〟ことを導入しようとした。だが、さすがにそんなことをしては、他の世界や城を訪れた者に対して威厳が示せないという理由で時雨をはじめとする多くの死神達が反対し、冥も不承不承といった様子ながらもそれを承服したのだ
「さ、こちらです」
城内に大貴達を案内した夜薙は、そう一言声をかけて一つに結った黒い髪を揺らしながら階段を昇り、三階層目へと上がると、その扉の一つを開く
「皆様のお部屋は、こちらの棟にまとめてご用意させていただいております」
冥界王城の本殿は、中央の最も高い塔の周囲に無数の塔が左右対称に並んだ形状をしている。夜薙についていった大貴達は、その周囲の塔へと続く空中の回廊へと案内されていた
城の塔と塔を繋ぐ渡り廊下は、屋根に覆われているために外の風や天気の影響を受けることはない。だが、その側壁のほとんどが窓ガラスのようになっているため、眼下に広がっている冥界王城の遊園地と冥界の景色を見ることができる
(うわぁ、すっごく綺麗……)
それは、人の作り出した人工の建造物と果てしなく広がる大自然が一つとなっているかのような絶景で、それを見た詩織は思わず感嘆の声を漏らしてしまう
その美しさは、「冥界」という死後の世界を連想させる恐ろしさとはかけ離れたもので、神魔、桜
そして自分自身のことで荒んだ心を洗い流してくれるかのようだった
「差し出がましいようですが、この世界の十世界についてもお伺いさせていただいてよろしいでしょうか?」
その時、前を行く夜薙の後ろ姿を見ていた瑞希は、この和やかな雰囲気を変えてしまうことをわずかに躊躇いながら、それでも大貴を案内する自分の職務を全うするべく問いかける
当然のことながら、この世界に観光に来ているわけではない。光魔神と九世界の仲を親密に、そして大貴と十世界の関係を隔てることこそがその目的
だからこそ、これまでの世界でもそうだったように、この世界でも九世界のために十世界との関係を持つことが求められる
「……そうですね」
瑞希の言葉に一拍の間を置いて口を開いた夜薙は、どこか重い声音で言う。それは、まるでわかってはいたが、口にすることを躊躇っているようにも聞こえる
「十世界の死神達は、『真紅』という死神によって統率されています。彼は、『無言』という屈指の実力を持つ選りすぐりの死神の一人なのです」
(真紅、か……)
この世界の死神達を束ねる総督の名を自身の心中で反芻している大貴の視線の先で、黒髪を揺らす夜薙が視線だけを向けて補足する
「ちなみにですが、先ほどいらした『空木』様も無言のお一人です」
「ああ」
夜薙の言葉に、先ほど城の外で急襲してきた死神の一人――神魔と刃を交えた金髪の死神「空木」の顔を思い出して、大貴達が声を漏らす
「『無言』は、冥様がその実力を認めた者に与える称号。実質、最強の死神であらせられる冥様に次ぐ実力を持つ死神ということになります」
神から最初に生まれた最も神に近い全霊命――「原在」は、死神の場合は二人。冥と、かつての大戦で命を落としたもう一人だけだ。
そして、最強の死神である冥界王冥に、その実力を認められた者に与えられる称号こそが「無言」。静寂の内に音もなく標的を狩る至高の暗殺者――死神の中でも、特に優れた力の持ち主達だ
「聞いたことがあるな。大戦の時、光の陣営に相当の被害を出したって」
夜薙の言葉に、クロスはこの世に生を受けた瞬間からその身に宿る世界の記憶と知識、そして以前聞いた話を思い出して独白する
死神はその存在を知覚することができない全霊命。九世界の暗殺者とも異名を取る死神達は、大きなものから小さなものまで――これまで光と闇の間で行われてきた大戦の中で多くの天使を暗殺し、破滅をもたらしてきた
悪魔をはじめとする他の闇の全霊命とは違い、知覚ができないその力によって、光の全霊命達は奇襲を受け、時には数人の死神によって大きな犠牲がもたらされたこともある
「はい。中でも真紅は、冥様に次いで多くの光の者達を葬った実力者であり、冥様も厚い信頼を置いていた方だと聞いております。そして同時に、真紅は十世界創始者とも呼ぶべき初期メンバーの一人でもあるのです」
その真紅という死神とは知己の間柄ではないことが窺える口調で、この世界にいる十世界の総督の説明をした夜薙は、次いでこの冥界との関係を説明するための言葉を紡ぐ
「――!」
その言葉に、大貴は思わず自分の前を歩いている瑞希へと視線を向ける
大貴達を先導し、九世界を回っている瑞希もまた「十世界創始者」の一人。前に訪れた妖精界でその事実を知った大貴達が、「十世界創始者」という言葉に一瞬瑞希に視線を向けてしまったのは仕方のないことだろう
「ということは、あまり直接的な戦闘は行われていないということでしょうか?」
だが当の本人である瑞希は、大貴達から注がれるその視線になんら反応を示すことなく、思案をしながら問いかける
その凛然とした視線からは、自身にとって因縁浅からぬ相手と再会することに対する気負いなどのような感情は一切感じられない
かつて、光の闇の大戦や以降の小競り合いなどによって、孤児となった子供達とその子たちを種族問わずに守っていた者達、世界を離れた者達が奏姫・愛梨の下に集い、生まれた組織こそが「十世界」。
その創立メンバーとなれば、特に愛梨への思い入れが強くその理念に同調している者が多い。そうなれば、妖精界のニルベスのように直接的な行動に出ることは少ない
「いえ。神器を手に入れようとする者もおります。定期的に各地で小さな小競り合いがありますので」
背を向けたまま答えた夜薙の言葉に、瑞希は口元に手を当てて思案気に目を伏せる
「そうですか……」
十世界創始者として面識があり、その人となりを知っているはずなのに、瑞希がこの世界での真紅の振る舞いを尋ねた理由は簡単。
真紅個人の意志がどうであれ、その下についている他の死神達までがその意思に必ずしも従っていない可能性もあるからだ
十世界という組織の目的は、あくまでも全ての世界と全ての生命の恒久的平和。
だが、十世界に所属している者達は、十世界を自身の目的のために利用している者以外は、姫の理念に同調したものと、姫個人に好意的な感情を抱く者の二通りしかいない
先の一つは言わずもがな、十世界の理念よりも姫個人に対して強い思い入れを持つ者は、時にそのために姫本人が望まないことをしてしまうこともある
「着きました」
そんな話をしていると、夜薙の進路に三メートル近い扉が現れる
冥界王城本殿から空中の回廊で繋がる離塔――大貴達の宿泊場所として使われるその入り口の前に立った瑞希が軽く扉に手を触れると、重厚な金属製の扉がまるで自分の意志があるかのようにゆっくりと開いていく
開かれた塔の中は、吹き抜けのように天井から床までが一つの空間として繋がった場所。扉から入ったその場所はエントランスの広間になっており、そこから塔の上から下まで自由に行き来することができるようになっている
壁の内側に沿って上から下までおびただしい数の部屋が列なったその空間へ入った大貴と詩織が、その光景に圧倒されている中、夜薙は半身翻して一同と向かい合う体勢で口を開く
「お好きなお部屋をお使いください。私とシキトはこの広間におりますので、何かご用やご要望がありましたら、何なりとお申し付け頂ければと思います」
大貴達に向かい合い、視線を交わした夜薙はその場で改めて軽く一礼をする
(っていうか、あいつ結局一言も喋らかなかったな)
夜薙に歓迎の言葉を向けられ、軽く頭を下げていた大貴は、その視線をもう一人の案内人――シキトへと向ける
最初に会ってからここに至るまで、「シキト」という名の死神は自己紹介の時以外言葉らしい言葉を発していない
確かに、案内役を任された二人が一度に話す必要はないだろうが、大貴はその寡黙さが自分達を拒んでいるような冷たいものに思えてならなかった
(あいつには、何かあるのか……?)
憮然としているわけではない。だが、その意識が自分達に向いているように思えなかった大貴は、そんなシキトの姿をその左右非対称色の瞳に焼き付けるように映すのだった
※
黄昏に染まり行く洋上に浮かんだ巨大な遊園地――「冥界王城」を遠巻きに見据える森の木の先端に音もなく二つの影が降り立つ。
日中の白から、赤みを帯びてきた神臓の陽光に照らし出される二人の姿は、日中よりも深く暗い影を落としており、迫りくる夜の死者を思わせる
「――……懐かしいわ」
この世界の吹き抜ける風が肌を撫で、肩にかかるほどの長さのココア色の髪の毛先を優しく揺らす感覚に目を細めた女性が、感慨深げに呟く
パンツスーツを思わせる漆黒の霊衣に、怜悧な印象を与える切れ長の目。アンダーリムの眼鏡をかけたその女性のココア色の髪の間からその額に見える縦長の第三の目は、この世界を総べる全霊命――「死神」の証。
その凛然とした佇まいは高嶺の花を思わせ、しかし触れがたいほどの気品を纏いながらも人の目を引きつける華やかさを蜜香を感じさせた
「お前でも、故郷の感慨にふけることがあるんだな」
左手で、冥界の風に揺れる髪を軽くかき上げている死神の女性を一瞥したもう一つの影――黒い羽織を翻らせ、白黄色の短髪に黒い顎鬚を持つ三眼の男が言う
「そうね」
「ッ……そんな睨まなくてもいいだろ」
その視線を受けたココア色の髪の死神の女性は、冷ややかな目で研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる凛々しい声を返す
「さあ、行くわよ」
その視線を洋上に浮かぶ遊園地を乗せた島――冥界王城へと向けた女の言葉に、白黄色の短髪の男は、ため息混じりに肩を竦める
「私達の目的はただ一つ――」
冥界の空に溶ける幻ようにその場から消えた二人の死神は、一陣の風に言葉を残す
「『神眼』を手に入れる」