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魔界闘神伝  作者: 和和和和
冥界編
158/305

遊戯の王





「いやぁ、悪い悪い。手荒な歓迎すまなかった」

 豪快に笑って言うと、形式的に頭を下げた黒髪の男――この冥界を総べる死神の王「(くら)」は、大貴達を見回して白い歯を見せて笑って見せる


 冥界を訪れるなり、突如この世界の全霊命(ファースト)である死神の急襲を受け、知覚できないその神能(ゴットクロア)に苦戦させられた大貴達一同は、自分達と同じ目線に立っている冥界の王を、やや不審感の滲んだ目で見つめていた

 そんな(くら)の周囲にいるのは、先ほど大貴達と刃を交えた強襲の死神達。大貴と戦った黒髪の青年、クロスと戦った忍装束の女性、神魔と戦った金髪の青年、マリアと戦った長身痩躯の男、桜と戦った顔の上半分を髪で隠した少女――それぞれがその会話のようすを各々の表情と態度で見守っている


「俺達死神は、他の全霊命(ファースト)とは違うからな。口で説明するよりも、実際にそれを身体で体験してもらおうと思ったんだよ」

 腕を組みながら快活な声で言った(くら)は、周囲にいる死神たちをその三つの目で見渡しながら大貴達に言う

(確かに、あの知覚できない力は厄介だったな)

 そんな(くら)の言葉を聞いた大貴は、先ほどの黒髪の死神との戦いを思い返しながら、その力を再度自身に戒める


 九世界を総べる八種の全霊命(ファースト)の中で唯一、知覚することができない神能(ゴットクロア)――「冥力(めいりょく)」を持つ死神との戦いは、これまでとは全く性質の異なるものだった

 知覚が全くできないにもかかわらず、神能(ゴットクロア)としての性質を損なわない戦い。それは全霊命(ファースト)として目覚め、五感ではなく知覚を主体に戦うようにと言われていた当時のやりにくさを思い起こさせる


「俺達死神は、〝九世界の暗殺者〟なんて呼ばれることもある。まぁ応大丈夫だとは思うが、一度実際に体験しておけば、反応も対応もしやすいだろ?

 何しろ十世界にも、それなりに死神がいるんだ――『気付いた時には死んでました』じゃ、洒落にならないだろ?」

 軽い口調で物騒なことを言う(くら)に、大貴と詩織はもちろん、今回反応が遅れたクロスとマリアも唇を引き結ぶ


 闇の全霊命(ファースト)として、死神のことをよく知っていたということもあるだろうが、今回クロスとマリアは特に死神の強襲に対して後手に回ってしまった

 光魔神(大貴)の護衛を兼ねて光の世界からの代表として同行している以上、今回のことは二人にとって少なからず苦い経験だっただろう

 (くら)の言うように、死神は「九世界の暗殺者」とも呼ばれる。そして十世界には当然その死神達が所属している。仮に十世界と敵対するならば、それに対する経験値はあった方がいいだろう


(確かに、話に聞いただけじゃ、あの危険さは分からなかったかもな……)

 すでに完治はしているが、戦いの最中黒髪の死神の青年の斬撃の刃を受けたことを思い返した大貴は、その傷を受けた場所に触れる


 自分だけが一方的に知覚できないにも関わらず、相手は自分を知覚する戦い。しかも、たまたま戦った相手がそうだったのか、知覚の精度が自分よりも高いように思えた

 その存在を構築する神能(ゴットクロア)を知覚し、そこに流れる意識を複合的に捉えることで、先見にも似た感覚で神速の動きを捉える。

 今にして思えば、相手が死神の力を教えようとしてくれていたからこそあの程度で済んだのだろう。もし相手が本気だったなら、気付かないうちに背後に刃を突きつけられていたように自分でも気づかないうちに命を落としてしまっていたかもしれない


「――……」

 以前の世界で見た神のように絶対的な存在と力によるものではない。本当に身近な死の気配に、大貴は自身の心臓を握りつぶされるような冷たい恐怖を噛みしめていた

「それで(くら)様、本音はなんですか?」

 そのやり取りを見ていた忍び装束に身を包む黒髪の女死神がおもむろに問いかけると、(くら)は口端を吊り上げて不敵に笑う

「決まってるだろ? その方が面白いからだ」

「…………」

 胸を張り、得意気にさえ見える表情を見せて堂々と悪びれることなく言い放った(くら)の言葉に、女死神が大貴達に向かって深々と頭を下げる

「申し訳ありません。我らの王はこういう方なのです」

(ああ、こういう(・・・・)ね)

 申し訳なさそうに言う女性と(くら)の満面の笑みを見比べたクロスは、「自身が面白いと思ったことが行動理念の中で最優先される」という正しい意味でそれを理解し、やや冷めた視線を向ける


 普通に考えれば、客人として迎え入れるべき光魔神達に、殺すつもりがないとはいえ攻撃を仕掛けようとは思わないだろう。そんなことをすれば、自分達の印象を悪くしかねないばかりか最悪自分達の立場を悪くしてしまうかもしれない

 確かに、死神の力を体感してもらうという一点に於いては相応の成果があったように見えるが、やはりそれは破天荒というか型破りという感が否めない


「えっと、じゃあこのお城も?」

 そのやり取りを聞いていた詩織が、ふと思いついたように(くら)の背後にそびえ立っている冥界城――遊園地やテーマパークを彷彿とさせるそれを指さして尋ねる

「面白いからな」

 詩織の問いかけに、(くら)は悪戯少年のように瞳を輝かせて応える

 そのやり取りを聞きながら困ったような笑みを浮かべた黒髪の女死神の様子を見るに、この世界の住人達もあまりに奇抜な城に対して思うところがあるようだった

「ここのアトラクションは実際に遊んでいただけますが、この世界の半霊命(ネクスト)である『亡獣(もうじゅう)』が屋敷内で放し飼いになっております。

 亡獣は、九世界の半霊命(ネクスト)の中でも、擬態や迷彩、猛毒を持つものが極めて多いので、特にあなたは城内を一人で出歩かないようにしてください」

 そして、その黒髪の女死神の忠告を受けた詩織は、その表情をわずかに青褪めさせた


 遊伊達や酔狂でこそあるが、この城は決して張りぼて等ではなく実際にそのアトラクションで遊ぶことができる。その辺りが(くら)のこだわりであり、死神たちはもちろんこの世界の人属半霊命(ヒューレイス)である「冥界人」にも開放されている

 だがその一方でこの()内には迷彩、擬態に優れ、毒性を持つものが多い冥界の半霊命(ネクスト)「亡獣」が無造作に放し飼いにされている。

 特にゆりかごの人間(最弱の半霊命)である詩織が不用意に城内を出歩けば瞬く間にその餌食になってしまうのは必定だろう


「な、なんでそんなこと……」

 アトラクションを楽しめると同時に、気を抜けば危険な亡獣の餌食になってしまうというまさに命がけのテーマパーク。

 楽しそうな雰囲気からは想像もつかない危険性を教えられた詩織がやや顔を青褪めさせながら声を漏らすと(くら)は何一つ悪びれた表情を見せずに答えて見せる

「面白いからに決まってるだろ?」

「本当に申し訳ありません」

 一見遊園地にしか見えないが、ここは確かに冥界王城。冥界王・(くら)が暮らす居城なのだ。亡獣を解き放つのは、場内の警備としてもある意味で間違いではないかもしれない

 だが、亡獣では全霊命(死神)は止められないし、そもそも(くら)はそんなことは微塵も考えていない。本当に、ただ「その方が面白いから」という理由だけでそういうことをしてしまう自分達の王の情けなさと、それを止められない自分達の不甲斐なさの両方に苛まれながら黒髪の女死神が深々と頭を下げる


「えっと、随分個性的ですね……っ」

 (くら)をはじめとする死神とのやり取りに苦笑を浮かべた詩織は、いつものように視線を神魔へと向けて思わず声を詰まらせる


 神魔へと向けられた詩織の目は、本人の望む望まないにかかわらず、いつものように、当然のようにその傍らで淑やかに控えている桜の姿を捉えていた


 反逆神(アークエネミー)からゆりかごの人間の真実――ゆりかごの中にいる存在の全ては、神敵たる悪意の眷属「悪意を振りまくものマリシウス・スキャッター」であることを教えられた詩織は、自身の存在と、神魔への想いの軋轢に苦しみ、桜にやりきれない自身の感情を向けてしまった

 そのことを悪いとは思っている。しかし自分の神魔への想いを知っていながら、世界から忌み嫌われる悪意の眷属である自分にかなうはずがない夢を見せた桜に対して許しがたい感情を抱いているのは否めない


「――……」

 思わずこれまでのように神魔に話しかけ、桜と視線を合わせてしまった詩織は、自身のやるせない思いに苛まれながら視線を伏せる

 そんな詩織の姿を見た桜は、しかしその淑やかな面差しを微塵も変えることはせず、神魔は二人を交互に見比べていた

(何してるんだろ、私……)

 思わず桜から逃げるように視線を逸らしてしまった詩織は、唇を引き結んで自身の行いを悔やむ


 桜が何よりも神魔を大切に想っていることなど分かりきっていたことだ。

 自分へ出した条件も、自分のためなどではなく神魔のために出したもの。ただでさえ全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)という禁断の関係、ましてその半霊命(ネクスト)が神敵の眷属ならその関係が実ることを応援するなどありえるわけがない。


 そう。桜は神魔を想う者として至極当たり前の対応をしただけだ。何一つ責められるいわれなどない


 だが、それが頭でわかっていても――否、分かっているからこそ、詩織は全霊命(ファースト)でもなく、神敵でしかない自分の存在を恨めしく想い、神魔(想い人)と心から愛し合っている桜に嫉妬と羨望を抱かずにはいられなかった


《|諦める理由ばかりを数えておられる方に、神魔様が心を向けてくださるとは思えません》


(本当、こんな私が神魔さんに好きになってもらうなんて――)

 かつて妖精界で聞いた桜の言葉を思い返し、自虐的で自罰的な感情に自嘲した詩織がふと視線を上げると、真っ黒な三つの目が視界に飛び込んでくる


「きゃあああああっ!!!」


 目の前にある青褪めた面長の顔から自分に注がれる三つの黒濁した視線を認識した詩織は、恐怖のあまり声をあげて後方に倒れてしまう


 そこにいたのは、マリアと相対した長身痩躯の死神だった。

 生気が抜けてしまっているのではないかと思われるほど白い肌を持つその顔は、全霊命(ファースト)特有の整った顔立ちであるがゆえに現実感のない不気味さを増大させている


「詩織さん」

 後ろに倒れそうになった詩織の身体は、神速で移動した神魔に背後から優しく受け止められる

「あ、ありがとうございます」

 思わぬ形で神魔に助けられ、頬をわずかに赤らめながら体勢を立て直した詩織に、忍び装束に身を包む黒髪の女死神が慌てて謝罪の言葉を向ける

「すみません。『ヘド』はあなたが暗い表情をしていたから、元気になってもらおうとしただけなのです」

「!」

 その言葉に視線を向けた詩織は、「ヘド」と呼ばれた長身痩躯の死神が長い黒髪を垂らして申し訳なさそうに頭を下げている姿を見る

「あ。いえ、こちらこそ、声をあげてしまってすみませんでした」

 それを見た詩織は、いくら気が付いたときに目の前にあったとはいえ、その顔を見て恐怖のあまり声をあげてしまったことを申し訳なく謝罪する

「いいのですよ。今のはヘドが悪いですから」

 そう言って三つの視線をヘドへと向けた黒髪の女死神は、詩織を怯えさせてしまったことを反省しているのか、肩を落としている長身痩躯の死神を優しい声で窘める

「もう。いくら少し驚かせようと思ったとはいえ、そんなに顔を近づけたら怯えさせてしまうではないですか」

「ごめン」

 ヘドの言葉を、腰に手を当てて聞いていた黒髪の女死神は、そう言ってその視線を詩織へと向ける

「謝るのは私じゃないでしょう?」

「ごめんなさイ」

 その場で頭を下げたヘドに、詩織は慌てて居住まいを正すとそれに合わせて頭を下げる

「いえ、私の方こそ。心配してもらってありがとうございます」

 自分が作り出してしまったぎこちない空気を感じ取り、和ませてくれようとしたヘドの行為に感謝の気持ちを伝える

 その詩織の言葉を聞いたヘドは、嬉しそうに口端を三日月形に吊り上げてて三つの目で白目を剥いて応じる

(顔、怖い……)

 その笑い顔に内心で怯えながらも、ヘドの温かな人柄を感じ取った詩織は、今度は悲鳴を上げまいと懸命に笑った表情を維持する

「個性的な人達ですね」

 その様子を見ていた瑞希がその視線を向けると、それを受けた(くら)はニヤついた笑みを浮かべて誇らしげに言う

「面白ぇだろ? この城には俺が気に入った奴を集めてるんだ」

 その言葉を聞いた大貴は、心の中で冷ややかに独白する

人選(これ)もあんたの趣味か……)

 大貴がそんな言葉を内心で呟いているなどとは知るはずもなく、(くら)はその三つの視線で全員を見回す

「っていうか、お前らも自己紹介したらどうだ?」

 結局、現状でちゃんと自己紹介しているのは(くら)一人。先ほどの話の流れから、ヘドは名前が知られているだろうが、礼儀として名乗っておくのが筋というものだ

 それを聞いた忍び装束に似た霊衣を纏い、腰まで届く長い黒髪を頭の後ろで結った死神の女性は、大貴達へと視線を向けて頭を下げる

「失礼しました。私は冥界王城にお仕えさせていただいております『夜薙(やなぎ)』と申します」

 黒髪の女死神――「夜薙」に次いで、神魔と刃を交えた金髪の死神の青年が口を開く

「『空木(うつぎ)』だよ」

「『ヘド』」

 「空木」と名乗った金髪の青年に続いて長身痩躯のヘドが名乗ると、前髪を髑髏に似た装飾具で一つに束ね、顔を隠した小柄少女が怯えた様子で答える

「あの……えっと、『ユニ』です」

 おどおどと消えそうな声で話したユニという少女は、そう言って俯きただでさえ見えない顔をその長い髪で完全に隠してしまう

 ただその様子は、怯えているというよりは照れている、あるいは恥ずかしがっているという印象が強く、極度の恥ずかしがり屋か人見知りなのだろうと推察できる

「……『シキト』だ」

 そして最後に、大貴と刃を交えた黒髪の死神がややぶっきらぼうにも聞こえる淡々とした声で名乗ると、大貴達も順番に簡潔な自己紹介をする

「うし。これで全員終わったな。――じゃあ、夜薙とシキト。客人達の世話を頼むぜ」

 冥界側と大貴達の自己紹介が終わったところで、夜薙とシキトの二人に三眼の視線を向けた(くら)が言う

「はい」

「――……」

 (くら)の言葉を受けた夜薙は、恭しい所作と口調で即座にそれを拝命するが、シキトは無言のままでわずかに眉をひそめる

 口や表情にこそ出さないが、不本意だと言わんばかりの態度を取るシキトと見る(くら)は、しかしそれが分かっていても撤回するつもりはないようだった

「では、お部屋にご案内させていただきます」

「まあ、とりあえず、ここを自分の家だと思ってゆっくりしてってくれ」

 シキトの態度を視線で咎めながらも、大貴達(客人)の前ということもあってあえて口には出さずにいる夜薙の背後から(くら)が言う

「どうも」

 気遣いはありがたいが、こんな遊園地さながらの城を自分の家だと思えという(くら)の言葉に、大貴は軽く苦笑いを浮かべて応える

 これまでの城も大きかったり豪華だったりと、庶民的な感覚の大貴にとっては、少々落ち着かない面もあったが、この冥界王城は、これまでの世界の王城(それら)とは別格。どれだけいても、慣れる気がしないというのが本音だった

「あ、それと光魔神。今度俺とも、軽く戦り合ってくれよ。さっきのあの力、面白かったからな」

 そんな大貴の心境を知ってか知らずか、(くら)は普段通りに自分の好奇心の赴くまま、光魔神の神能(ゴットクロア)である「太極(オール)」の特性に興味を見せる

(くら)様。光魔神様に対してその呼び方は失礼ですよ」

「いや、俺は別に……むしろそのくらいの方がいい、です」

 その言葉遣いを咎めた夜薙に、大貴は慣れない敬語で応える


 特に人間界はそうだったが、これまで訪ねた世界では光魔神として、特別扱いされることが多く、様付けで呼ばれることも多かった

 しかし、敬称をつけられることを好まない大貴は、様付けで呼ばれるたびにどこかむず痒いような想いを抱いていたのだ。(くら)のような接され方は、願ったりかなったりであり、むしろ歓迎すべきものだった


「ほら見ろ。やっぱ光魔神は器が違うね」

 軽く胸を張って鼻高々といった様子を見せる(くら)の様子にため息をついた夜薙は、その視線を大貴へと向ける

「お心遣いはありがたいのですが、あまりこの人を調子に乗らせないでください。色々と面倒なので」

「酷い言われようだな」

 一応はこの世界の王である自分を表した夜薙の辛辣で容赦のない評価に、(くら)は吊り上げた口端から愉快そうな笑みを零す

「そうですか? 御心当たりがないのでしたら、ご自身の胸に訊いてみてはいかがです?」

 自分の言いたいことが分かっていて言っているであろうにも関わらず、とぼけている(くら)に夜薙はため息にも似た口調で応じる

 このような問答が無益であることを夜薙は身に染みて知っている。この程度で(くら)が反省し、自重してくれていたならば、城がこのような有様になることなどなかったのだから

「心当たりはないな。ま、そこまで言うならお前の胸に聞いてみてもいいけどな」

 当然のように自分の言葉を冗談めかした言葉と共に聞き流した(くら)に、夜薙は疲れた様子でため息をつく

「随分と楽しそうですねぇ、(くら)様?」

「――っ!」

 その時、突然届いた女性の言葉に、名指しされた(くら)はもちろん、その場にいた全員がその声がした方向へ視線を向ける


 その声に導かれて視線を送った一同は、遊園地の如き冥界王城の城門の裏から、ゆっくりと歩み出てきた女性の姿を見止める

 その額には死神の証である第三の目。全霊命(ファースト)に共通する現実味のない幻想的な美貌は造形の整った全霊命(ファースト)の中でも稀に見るほどに整っており、理知的でありながら母性的で慈愛に満ちた笑みを湛えている

 金色の装飾具によって後頭部で纏められた腰まで伸びる黒髪は、まるで漆黒のヴェールのよう。胸元が開いた黒いドレスを思わせる霊衣を纏ってそこから雪のように白い肌をのぞかせたその女性は、その緩やかな歩に合わせて黒い霊衣の裾を翻らせながら、城内からゆっくりと歩み寄ってくる


「し、時雨(しぐれ)……!」

 その三つの目に朱色の瞳を抱く美女の姿を見て取った(くら)の顔からは、先ほどまで浮かべていた笑みが消え、恐怖と戦慄に引き攣っていた

「あれは?」

 穏やかな笑みをたたえている黒髪の女性とは対照的に、青褪めた顔でその姿を見ている(くら)を見比べた大貴は、夜薙に小声で尋ねる

「時雨様……(くら)様の奥方様です。お二人の関係は……まあ、見ていただければ分かるかと」

 あえて自分が説明するまでもないと考えたのか、夜薙の言葉を聞いた大貴が視線を向けると、丁度時雨が(くら)の前で足を止めることだった

「よ……よう」

 やや強張った顔で言う(くら)に微笑んだ時雨は、その雪のように白い健康的な肌に映える紅彩りの唇を綻ばせる

「あなた」

 優しく紡がれた(くら)を呼ぶその声は、思わず聞き入ってしまうであろう程に美しい響きを以って、その場にいる全員の耳に届く

 普通ならば、息を呑むような美声と目を奪う美貌と微笑を向けられているにも関わらず、それを間近で見る(くら)からは先程までの尊大で飄々とした振る舞いが消え、三つの瞳が慌ただしく泳いでいた


「いい加減になさい!!!」


 瞬間、時雨の美貌から微笑が消え、瞬時にその手の中に顕現した漆黒の鉄扇の腹が、(くら)の脳天を打ち抜く

「へぶっ!」

 無論本気ではないだろうが、相当痛そうな音を響かせる一撃に、(くら)の口からは威厳もなにもない声が飛び出していた

「……はぁ」

 そのやり取りを見ていた夜薙の口からは、辟易としたため息が漏れる。その様子から察するに、こういった光景が日常茶飯事なのであろうと推察できる

「面白そうの一言で行動しないで下さいと、何度も何度も言っていますよね!? 聞きましたよ? 異世界からのお客様に奇襲を仕掛けるとは何事ですか!?」

 脳天への一撃を受け、その場に蹲るようにして悶絶している(くら)に、時雨が三つの緋眼から冷ややかな視線と共に怒気を帯びた言葉を向ける

 声を荒げてこそいないが、時雨の口から強められた語気で紡がれる言葉の数々が、その穏やかならざる心情を表していた

「ま、待て待て待て! これには俺の(ふか~)い思慮が隠されているのだ!」

 慌てて弁明を図る(くら)だが、その言葉に返れるのは燃えるように赤い三つの瞳から注がれる絶対零度の冷たい視線だけだった

「へぇ、面白そうのどこに深い思慮があるのですか?」

 夫婦として永い年月を共にしてきた時雨には、(くら)の行動理念が「面白そう」以外にないことが分かっている。

 そして、そもそも自分が面白いと思ったことことにしか興味を示さない(くら)は、その反面興味がないことに対してはとことん無関心であることも承知の上だ


 確かに先ほど(くら)自身が言っていたように、他の全霊命(ファースト)とは違い神能(ゴットクロア)を知覚できない死神の力を実戦さながらの状況で体験し、経験としてもらうというのは筋が通っている

 だが、(くら)の場合は順序が逆なのだ。――つまり、「死神の力を教えるために光魔神を急襲する」のではなく、「光魔神を強襲したら面白そう」という好奇心を満たすため(・・・・・・・・・)に、その理由を後付している。


「そ、それは、だな……」

 下手をすれば、自分のことを自分以上に理解している妻からの追及と詰問の視線に、何とかこの場を取り繕うろおうとしていた(くら)の言葉は徐々に消え入り、最後には言葉を濁してしまう

 それを見て取った時雨は、反論の言葉を呑み込んだ(くら)を怜悧な視線で射抜き、

「私はあなたのやり方を否定はしませんが、常日頃から、時と場合を選んでくださいとお願いしていますよね?

 下手をすれば世界的な大問題です。冥界の威信にかかわるのですよ? 分かっていらっしゃいますよね?」

 腕をまるでその女性の象徴を支えるように組み、三つの視線を冷ややかに向ける時雨の言葉に、(くら)はいじけたように地面を指でなぞり始める

「だ、だからって、客の前でどつくなよ」

「では、こんなことをさせないように、王としてふさわしい立ち振る舞いをなさってください」

 拗ねているとも甘えているとも取れる声で不満気に唇を尖らせる(くら)を、時雨は毅然と冷ややかな声でたしなめる

 その姿は、どちらが優位にあるのか夫婦の関係を如実に表すものであるのと同時に、(くら)と時雨、どちらが王なのか分からなくなるようなものだった

「……ちぇ、昔はもっと可愛らしい反応をしてくれたのになぁ」

「こうさせたのはあなたですよ? 女は殿方次第でいかようにも変わるものなのです」

 微笑を浮かべて答える時雨の視線を受けた(くら)は、それにつられるように表情を緩めて息をつく


 時雨も、意味もなく常日頃から()に物理的折檻を加えているわけではない。昔は、口頭での注意だったのだが、一向に自重する気配のない(くら)に、ついに堪忍袋の緒が切れた時雨が、いつの頃からか物理的な対応を取るようになったのだ

 だが、(くら)は時雨が愛を持って怒ってくれていることを分かっていることを理解し、時雨はそんな自由奔放な(くら)のことを愛しているのだ


「仕方ないな。それじゃあ、いつもみたいに可愛らしくしてもらうか」

 辟易したようなため息をつく時雨の言葉にその口端を吊り上げた(くら)は、その瞬間目にも止まらぬ速さで移動し、その腰に腕を回して自身の腕の中へ妻の身体を抱き寄せる

 夫婦としての力関係で言えば時雨の方が上だが、単純な能力では(くら)の方がはるかに優れている。そのため、時雨はほとんどそれに反応することもできずに夫の胸に抱き寄せられてしまった

「あっ」

 (くら)に抱きしめられた時雨の口からは、先ほどまでの鋭い声音ではなく、愛する人に身を捧げる一人の女の艶びた声が零れていた

「……もう、お客様の前ですよ」

 大貴達を気にするように視線を向けた時雨は口では(くら)を窘めてこそいるが、その頬は赤く上気し、その腕を振りほどくようなことはせずに、むしろ積極的にその身を任せている

「妻のご機嫌を取らないといけないからな」

 慣れた手つきで時雨の黒髪を梳きながら悪戯っぽく微笑む(くら)は、しかしその腕に少しだけ力を込めて妻の身体を強く抱きしめてその耳元に口を寄せて囁く

「もう……」

 そんなじゃれ合うようなやり取りと共に、互いに三つの視線を交わす(くら)と時雨からは、二人の間にある夫婦としての確かな愛情と絆が感じられた

「お二人ともご自重ください」

 三つの目を愛おしげに細め、一人の女としての愛慕の情で彩っていた時雨は、横からかけられた夜薙の言葉に、その顔を真っ赤にして抗議する

「こ、これはすべて(くら)様の所為なのですよ、夜薙」

「分かっております。他の者の目がありますので、せめて場所はお選びください」

 恥じらいと悦びで真っ赤に茹っている時雨の、言い訳ともいえない言い分を聞き流した夜薙は、慣れた様子でそれを受け流す

「――と、まあご覧の通り、なんだかんだと言いながら時雨様は(くら)様に甘いのですよ」

 真っ赤になった顔を見られるのが恥ずかしいのか、(くら)の胸に顔を埋めてしまった時雨から大貴達に視線を戻した夜薙は、苦笑混じりに微笑むのだった




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