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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
155/305

いつでも光はそこにある






 夜が明け、天の中央に座している神臓(クオソメリス)が月から太陽へとその役目を変え、世界を照らし出す

 朝を告げる光は優しく夜の闇を白ませ、徐々に強くなって世界とそこに生きるすべての命を平等に照らし出していた



「どういうつもりだ!?」

 胸倉を掴まれ、岩壁に叩き付けられたクーウェンは、怒気に満ちた表情を浮かべて自分を射抜く十世界妖精界総督「ニルベス」の姿を冷ややかに睥睨する

「裏切り者を処分したことに、〝どういうつもりだ〟はないと思いますが?」

 一夜明け、クーウェンがシャロットを殺したことを知ったニルベスは、周囲の目のないところで怒りを露に糾弾する


 総督を任されているだけのことはあり、ニルベスは十世界に所属している精霊の中では最も強い。その身体の精霊力はその強靭な意志によって制御されてこそいるが、怒気に染め上げられいつ戦闘に入ってもおかしくないと思えるほどになっていた

 そんな荒れ狂う精霊力を間近で知覚しながら、しかし微塵も怯むことなくクーウェンはニルベスの目をまっすぐに見ていた


「それは、姫の意志に反すると言ったはずだ!」

 シャロットが十世界に潜り込んだスパイであるということは、ニルベス、ドルク、クーウェンはもちろん、愛梨を含めた一部の者達は気づいていたことだ

 しかし、「自分達に調べられて困ることはない」という意思、そして「九世界と敵対するつもりはない」という十世界としての在り様と、その思念の下でそれを黙認するように通達がされていた――それは、(愛梨)も了承していることだった


「……なら、そう言えばよかったではないですか」

「!」

 しかし、ニルベスの荒げられた声に耳を傾けていたクーウェンは、それとは真逆の冷え切った声で静かに言う

「彼女がスパイだと知らない精霊達に、あるいは十世界に所属するすべての者達に、『シャロットは十世界に潜入し、その情報を流していたばかりか、あわよくば姫を殺そうとしたスパイだったが、それでも彼女は私たちの仲間だ、これまでと変わらず仲良くしてくれ』と」

 冷ややかに向けられたクーウェンの言葉に、ニルベスはその眉をひそめて渋面を作ると、苦々しげに歯噛みする

「言えるわけないですよね? そんな支離滅裂で荒唐無稽な理屈が通じると思っている方がおかしい」

 自分の言葉にニルベスが押し黙ったのを見て取ったクーウェンは、小さく鼻を鳴らして冷ややかな声音で言い放つ

 決して声を荒げていないその淡々とした氷声の矢は、しかしニルベスの激昂する心の中心に深々と突き刺さり、姫への忠誠と仲間を弔うその感情を濁していく

「十世界に所属するすべての者が、姫の理念に共感してくれている者だったならばそうしたかもしれない。だが、残念だがそうではないのが実情だ。そんな状況で、そんなことを話せばどうなるかは分かることだろう……?」

 クーウェンの胸倉を掴んだ手を離さないまま、しかし、その表情を苦悩に彩ったニルベスは苦々しい声で絞り出すように言う

 その表情は、自身のその言葉がいかに滑稽で無意味なものであるのかを分かっていながら、しかし十世界に所属し、その理念を信奉する者としての矜持から発せられたことがありありと伝わってくるものだった


 ニルベス達がシャロットがスパイであることを話さなかったのは、十世界の理念よりも姫個人を気に入っている者達が、それを害する存在を排除しようとすることを防ぐため

 それは愛梨自身の願いでもあったし、反逆神(神敵)という九世界にとって最も忌み嫌われる存在を擁する自分達が決して世界に害を成そうとしているのではないということ、そして恒久的平和世界という自分達の理念が偽りではないことを諜報暗殺活動を黙認することで、あえて九世界側に伝えるためでもあった

 しかしそれこそが十世界の欺瞞であることもまた、ニルベスには十分に分かっていたことだった。裏切り行為を見過ごすことは善行ではない――そんなことは言われずとも分かってしまうがゆえにクーウェンの言い分が正論であることもまた事実だ


「あなたも分かっていたのでしょう?」

 自身の――十世界が不完全な組織であり、集団であるがゆえに合わせ持つ破綻した理念に苦悩するニルベスの心を見透かしたように、クーウェンの嘲笑じみた声がその耳朶へと届く

「私はあなたほど姫に忠誠を誓っているわけではありませんし、十世界にもさほど思い入れがあるわけでもありません」

 クーウェンにとって、十世界も九世界も同じ。しかし、十世界を選んだ以上、自身が勝者の立場であり続けるために組織を――そして、愛梨のために行動する意思があった

「しかし、仮に十世界の願う世界が実現したとして、そこにも法は要るはずです。誰もが手に手を取り合うというのなら、それに見合った光と闇、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)が暮らしていくためのルールが」


 十世界という組織は、今はただの宗教団体に過ぎない。愛梨という個人、そして現在の世界の仕組みに傷ついてきた者達が掲げた「恒久的世界平和」という大きな形を提唱し、それを実現しようとしている

 だが、「恒久的世界平和」は現状ただの目標――スローガンでしかないのも揺るぎない事実。光も闇も、

全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)も、混濁者(マドラス)悪意(神敵)も、争いもない全てが認められた世界

 それだけを聞けば聞こえはいいが、それは中身のない張りぼてに過ぎない。仮にそれを実現したとして、世界の仕組みをどうするのか、人々が暮らしていくために必要となる秩序、法はどこにも存在していない

 今はまだ愛梨が中心となり、愛梨を慕う者達が集まっているだけだからこそ許されることが、「世界」になった時には許されない――それは、このまま十世界が存続していけば、いつか必ずぶつかる逃れられない問題であることがニルベスには分かっていた


「今回のシャロット(彼女)の行いは十世界の理念に基づく許容を大きく逸脱するものです。許すことは大いに結構ですが、だからと言ってスパイや裏切りを容認し、見て見ぬふりをすればいいというものではない」

 争いをなくすために話合いをするのは構わない。しかし、争わないために自分達に害を及ぼす意思がある者を野放しにするのはただの愚行だ

「十世界の理念を世界にしたとして、遅かれ早かれそれを犯す者は必ず出てくるでしょう。その者には当然罰を与えなければならない。今回のことも同じです。もしも、罪を犯さない世界があるのだとしたら、それは――」

 淡々、粛々と事実を理路整然と並べ立て、ただの想いと信頼だけの十世界理念を懇々と否定していくクーウェンは、自身で認識しているがゆえに反論できないニルベスに蔑みに似た冷たい視線を送る


「平和などではなく、ただ無秩序なだけ(・・・・・・)に過ぎない」


「――ッ」

 正義がある限り悪がある。平和を求める以上戦乱がある――光と闇のように相反しながら互いを補完し合う事柄の片方だけを残すことはできない

「あなた達のすることは、矛盾していますね」

「――ッ!」

 ニルベスの手をその手で軽く払い、拘束を逃れたクーウェンは、佇んでいる十世界の精霊を総べる役目を与えられたその人物の傍らを悠然と通り過ぎていく

「御心配せずとも、彼女のことは他のメンバーには漏らしませんよ。ただ――」

 すれ違いざま、視線を向けることなくニルベスに声をかけたクーウェンは、足を止めることなくその傍らをすり抜ける


「くれぐれも、仲間の意味を間違えないことです」


 「明確に裏切る意思を持った者など仲間ではない」――そんな意志が伝わってくるクーウェンの声を、一瞥さえ向けずに聞き届けたニルベスは、眉間に皺を寄せて空を仰ぐ

「もっともなことだ。だが、お前のその考え方は十世界(我々)とは相容れないものだ」

 クーウェンの言い分は確かにもっともであり、反論の余地もない正論だ。しかし、それでいいのなら十世界は十世界たりえない

 十世界の理念たる「恒久的世界平和」など実現不可能だと言うことは簡単なこと。だが、それで終わらせられるなら、自分達は今ここにはいない。叶わぬ願いを想い、この世界に奇跡を実現することを願うからこそ、ニルベス達は荒唐無稽な夢物語に過ぎない愛梨の下に集ったのだから

「気付いているか、クーウェン? 組織に従っている者が裏切り者でないとは限らない。裏切り者を討ち取って意気揚々としているお前も、お前が罰した裏切り者(シャロット)と同じだということに――」



                       ※



「あ……っ」

 朝、目を覚まして部屋を出た詩織が来賓室の広間へ出ると、そこにはすでに一足早く来てソファに座っている神魔と、その隣に慎ましく腰を下ろしている桜の姿があった

「おはよう、詩織さん」

「おはようございます」

 唯一の愛を捧げる伴侶の傍らに腰を下ろし、淑やかな居住まいで幸せそうに目を細めている桜の姿を視界に映した詩織は、昨夜のやり取りを思い返して視線を逸らす

 神魔はともかく、まるで何もなかったようにいつもと同じ淑やかな声音で微笑みかけてくる桜に、詩織はやり場のない憤りと居たたまれない自身の惨めさを痛感して、無言で頭を下げて逃げるようにその場から離れていく

「……っ」

 何も言うことができず、神魔と桜から逃げ出すようにその場を離れてしまった詩織は、こみあげてくるものを堪えるように唇を引き結ぶ

「ねぇ、桜……詩織さんと何かあった?」

 そうして遠ざかっていく詩織を見送っていた神魔は、先程の視線の動きや意識の傾き方から違和感を覚えて隣にいる桜に軽く頭を傾けて問いかける

 詩織の動作から、桜を見た時に反応が違うことには気づいていた神魔だが、居たたまれなさそうに離れていくその後を追おうとはしない。それは、神魔の中で詩織と桜のどちらに心の天秤が傾いているかの証明ともいえるものだった

「実は少々」

 恋愛の機微には少々疎い神魔だが、さすがにあれだけ露骨な反応を見せられれば、否が応でも気付いてしまう

 神魔の声を受けた桜は、その白魚のように細くしなやかな指先を花弁のような唇に触れさせて口元を隠しながら、困ったように微笑んで応じる

「ですが、今回は女性同士の事ですので、神魔様はお気になさらないでください」

 おしとやかな口調でそう声をかけるものの、二人の確執の原因は神魔にある。しかし、桜はそんなことはおくびにも出さず、普段と変わらない清楚で淑やかな微笑みを向ける

「そう? まあ、桜がいいっていうならいいんだけど……僕で何か力になれることがあったことがあったら、遠慮なく言ってね」

 桜が「女同士の事」という以上、下手に自分が口を出すべきではないだろうと考えた神魔は、快諾というわけではないが、その言葉を了承して頷く

「ありがとうございます」

 自分を気遣ってくれる神魔の言葉に、桜は伴侶として気を遣わせてしまう自身の不甲斐なさと同時に、その何気ない言葉に自然とその花顔を綻ばせる

 そんな神魔と桜、詩織のやり取りを、この広間にいながら見ていたクロスとマリアは互いに目配せをして静観を決め込んでいた

「――……」

 そして、同様に窓際の壁に背を預けるようにして一連のやり取りを見ていた瑞希は、その怜悧な瞳に桜と楽しげに視線と言葉を交わす神魔の姿を映す

 ほとんど感情を映さない氷麗な美貌で神魔と桜の姿を無言で見据えていた瑞希は、一度その瞼を閉じると、小さな吐息と共にその視線を窓の外へ向ける


《――ねぇ、もしも私に危険が迫ったら助けてくれるのかしら?》

《もちろん》


 そんな瑞希の脳裏には、昨日の夜ニルベスと極秘裏に会った帰りに神魔と出会ったこと、そしてその時に交わした約束が、何度も浮かんでは消えていく

(馬鹿ね、私は、一体何を期待しているのかしら)

 どこまで信じていいのか分からないことが分かっている他愛もない会話が気になってしまっている自分を嘲笑うように心の中で独白した瑞希は、窓の外に広がっている鏡面の大地が空を映し出す光景を見て目を細める


 神魔と桜を見ていれば、二人がどれほど深く互いを愛し合っているのかが良く分かる。そんな二人を見ているからこそ、瑞希は自分が交わしたその他愛もない言葉が現実的に在りえないことを知っていた

 神魔は、何があっても桜を選ぶ。それが分かっているからこそ、瑞希は互いを大切に想い合っている二人を見ているだけで、いつの間にかわずかばかり以上の羨望の情を抱いてしまっていた



                        ※



 妖精界王城の外れ、鏡面の大地を遠くに見ることができる新緑の森の中、アイリスは突き出した石の上に腰を下ろしてそこから見える景色を見つめていた

 その表情はかけがえのない友を失った自分と、友のためになにもすることができなかった自責と後悔の念に彩られ、普段の明るい笑顔を消し去ってしまっている

「――……」

 その場所へと十枚翼の天界の姫「リリーナ」に連れられてやってきた大貴は、そんな声をかけることも憚られるアイリスの後ろ姿に足を止める


 今の自分達は力を抑えるようなことをしてはいない。にも関わらずアイリスが全く反応しないのは、自分達の存在など気にも留めていないか、気付かないほどに別のことに意識を取られている証だった

 そんなアイリスの心情を察し、また弱り切った女性を前にどうしていいのか分からない大貴が足を止めていると、隣に立つリリーナがそっとその肩に触れて優しく微笑みかけてくる


「……」

 「行ってあげてください」という言葉が聞こえてきそうなリリーナの微笑みを向けられた大貴は、一瞬目を瞠って驚きを見せるが、もう一度念を押すように微笑みかける天界の姫の無言の圧力に肩を落とす


 リリーナがなぜ自分をここへ連れてきたのかは分からない。確かにアイリスはこの妖精界でお世話になった最も親しい精霊といえる

 そのアイリスを励ますというのはやぶさかではないが、こんな時にどう声をかけらればいいのかなど大貴には分からなかった


「私達のように、世界のいろいろな事情を知っている者より、あなたのように何も知らない人の方が愚痴も言いやすいでしょう? それに、女性が泣くときは殿方の胸を借りるものと相場が決まっておりますので」

 そんな大貴の疑問を見透かしているリリーナは、アイリスの許へと行くことを躊躇っているその背に囁くような小さな声で語りかける

「難しく考えず、あなたの言葉で彼女に語りかけてあげてください。そして、できるならばアイリス(彼女)の友達になって上げてください……さぁ」

 囁かな願いを込めた言葉と共に、リリーナにもう一度その背を押された大貴は、なぜか逆らうこともできずにゆっくりとアイリスの許へと近づいていく

「――……」

(ああ、くそっ……俺なりに世界に関わろうって決めたんだろ。今やらないでいつやるんだよ)

 リリーナから押し付けられた無理難題に、光魔神としての黒白の髪に覆われた頭を掻いた大貴は、一向に反応する様子も見せないアイリスの隣に立つ

「あ……えっと、隣いいか?」

 何とか絞り出した声でアイリスの背に問いかけた大貴は、自分の言葉に全く反応を示さない沈黙に、リリーナに助けを求めるように背後へ視線を向ける

 しかし、その視線が向けられるが早いか、軽く一礼して背を向けたリリーナが十枚の純白翼を広げて飛び去っていくのを見て、目を瞠る

「……聞いたよ、シャロットの事」

 無理矢理に連れてこられたばかりか、丸投げされたことに目を瞠った大貴は、未だに沈黙を守るアイリスを見てため息をつくと、それを肯定と受け取ってその隣に腰を下ろす

「よっ、と」

 石の上に座り、そこから見える妖精界王城を見ているアイリスの隣――青葉の茂る地面に腰を下ろした大貴は、二人きりの静寂に居心地悪そうに視線を彷徨わせる

「その、なんだ……こういう時は、なんて声をかければいいんだろうな」

 以前の世界で、自分にできることをして世界に関わろうと決めたというのに、こういう時に尻込みしてしまっている自分を内心で叱咤しながらも、大貴はただ成す術もなく空回りすることしかできなかった

 すでに一度、この世界に関わろうと焦って空回りしている自分に、大貴は思いを実現することの難しさと自身の無力を改めて痛感せざるを得ない

「……光魔神様」

 その時、これまで閉ざされていたアイリスの唇がわずかに開き、そこから発せられた声が大貴に呼びかける

「ここね、初めてシャロットと会った場所なの」

 その声に大貴の視線が自分に向けられたのを見て取ったアイリスは、その瞳をそこから見える景色――妖精界王城が佇む鏡面の大地へと向けて言う

「そ、そうなのか……」

 おもむろにアイリスの口から語られたシャロットとの馴れ初めに、大貴は周囲の景色を見回しながら応じる

 様付けで呼んだにもかかわらず、まるで親しい人と話すように、アイリス本来の口調で話しかけられた大貴は、その言葉に耳を傾ける

「私、最初に会った時、シャロットが全然話してくれないから人見知りなのかと思ってたの――後で、そうじゃないって気づいたんだけどね」

 大貴に視線を向けることなく、アイリスは過去のその日を懐かしむように、愛おしげに眼を細めてシャロットとの思い出を語る


 初めて会ったその日にシャロットが見せた反応は、当時月天の精霊との因縁を理解していなかったアイリスにとっては理解しがたいものだった

 全霊命(ファースト)は親から子へと知識を継承するため、幼いアイリスもロシュカディアル戦役のことは知識として知っていた。しかし、それが今に至って尚、月天の精霊達の心にそれほど深く根付いていたとはその時は思いもしなかったのだ

 シャロットは、日輪の精霊である自分に怯え、月天の精霊(裏切り者)である自分の存在に負い目を感じていた。――そう気づいたのは、シャロットを傷つけてしまった後だった


「馬鹿みたいだよね、私。勝手にシャロットを傷つけたって自分を傷つけて、勝手に負い目を感じて距離を取って……シャロットが本当にしてほしいことをしてあげられなかった」

 シャロットは自分と同じように――あるいは自分以上に自分達の関係に負い目を感じ、傷ついていた。友達だと言いながら、そんなことにも気付けなかった自分を嘲笑うように、アイリスはその目を伏せる

 目を伏せ、もう謝ることも話すこともできないこの世にいない友へと想いを馳せるアイリスは、今にも泣き崩れてしまうのではないかと思うほどにその表情を歪める


 全霊命(ファースト)の涙は血と同じように体の外にでた時点で、自身の存在を構成する神能(ゴットクロア)へと還り、世界へと溶けていく

 そのため、透明な涙を目で確認することはできないが、アイリスが友への償いと自責の念の間で板挟みになり、心の喪失感に泣いているのであろうことは大貴にも分かった


「……普通じゃないのか?」

 嗚咽を噛み殺すように唇を引き結び、潤んだ瞳を細めるアイリスの姿を見ていた大貴の口からは、意図せずそんな言葉が漏れていた

「……!」

 その言葉に、風景――というよりも遠い日へと向けられていたアイリスの視線が大貴へと向けられる。それを見た大貴は、今度は自分がアイリスから視線を外して話を続けていく

「よく気の置けない間柄とかって言うけどさ、大切な友達だから傷つけたくないって思うことは悪いことじゃないだろ。

 遠慮なく言いたいことを言って、相手の気持ちも考えずに相手の気持ちに土足で踏み込んでいくのは友達じゃない。ただ無神経なだけだ……と思う」

 親しいからこそ踏み込んでいけることがあるように、親しいからこそ簡単に踏み越えることができない一線がある。無遠慮に、不躾に相手の心へと踏み込んでいくことが親しさや友情の深さを測るものではないはずだ

 最後に、少しだけ自信を喪失したのか、曖昧な言葉で締めくくられた大貴の言葉に耳を傾けていたアイリスは、視線を合わせることなく言い終えたその横顔を見て表情を綻ばせる

「ありがとう、優しいんだね」

 悲しみと喪失感を内包しながらも、優しく輝く笑顔を向けられた大貴は、その純粋でまっすぐな言葉に照れ隠しをするように視線を逸らす

「……ねぇ光魔神様、何がいけなかったのかな?」

 そんな大貴の様子を温かな目で見たアイリスは、これまで蹲るように丸めていた背を伸ばし、一度目を閉じる

 そのまま顔を空へと向けたアイリスは、閉じていた瞼を開いて抜けるように高い空を仰ぎ、その青を瞳に映す

「世界が月の精霊の過去を許しきれなかったこと? 世界が十世界の理念に応えなかったこと? シャロットが十世界に潜入したこと? それとも、十世界なんてものを生みだしてしまった、今の世界の在り方?」

 シャロットが命を落とす原因となった事柄を、アイリスは抑制の利いた声で淡々と紡いでいく

 明確な感情を見て取ることができないアイリスの声からは、親友を奪ったなにかへの恨みを押し込められているようにも、やり場のない己の感情を向けるべきものを探しているようにも聞こえる


 ロシュカディアル戦役での月天の精霊の裏切りを許していれば。

 十世界の理念に九世界が答えて、争いのない世界の実現に一致団結していれば。

 シャロットが十世界に潜入しなければ。

 ――あるいは世界がこんな形でなければ、今回のことは起きなかったのか?


「…………」

 アイリスの問いかけへの答えを見つけることができず、大貴はその言葉にただ沈黙を返し、耳を傾けていることしかできなかった

「……うぅん、きっと違う」

 その身中に溢れてくる思いを大貴に向けていたアイリスは、一拍の静寂の後に少しだけ強めた語気で自身の言葉を否定する

「私達は、過ちを犯さないために生きてるんじゃない。こうして間違えて、傷ついて、手遅れになっちゃったけど、私はシャロットとの絆を強く確認できた」

 自分の手に視線を落とし、一つ一つ自分の言葉を噛みしめるように独白するアイリスは、開いていた手の平を握りしめる

 それはまるで、少し前までその手にあったはずのシャロット(親友)を流水のように零して失ってしまったことを自身で再認識しているかのように思えた

「私は、シャロットを傷つけた私を許さない。シャロットを殺した十世界の人を許さない。それでも私はそのことから逃げたりしない」

 自分、世界――シャロットを奪った全てのものに対して否定の感情を向けながら、それをも肯定して立つアイリスは、座っていた石から軽やかに飛び降りて地面に降り立つ

「十世界の人達は、傷つくのが怖いだけ。人と、本当の意味で向き合えていない」

 二本の足で地面に降り立ったアイリスは、自身に向けられる大貴の視線を背に、ゆっくりと歩きながら話しかける

「誰だって失うのは嫌。傷つけば苦しいに決まってる。でも、犠牲や争いがない世界をつくったとして、本当に悲しいことががなくなるの? その世界は本当にみんなが心から笑って、幸せになれるものなのかな?」

 顔を上げ、遠くに見える妖精界王城を見ながらアイリスは、背後にいる大貴に一つ一つ小さな疑問を問いかけていく

「私も世界も、十世界の人達の言うことを否定するわけじゃない。ただ、それを実現する具体的な方法とか、そういうことを考えると難しいっていうだけ」


 九世界は十世界を否定するが、決してその理念が間違っているとまでは思っていない。争わなくていいなら、それに越したことはないし、戦いが起きなければそれに伴う犠牲が生まれないのも必定――故に、十世界の理念は、確かに九世界が望まないものではない。

 ただ、それを実現するにあたり、その後の世界の形や、これまでの歴史、人々の想いを考えた時、それが夢物語のようなものではないと判断せざるを得ないからこそ、それに同調していないだけだ


「私達は、今日まで生きてきた。だから、今日までの歴史をなかったことにはできないし、積み重ねてきた想いをなかったことにしちゃいけないと思うの

 戦うことで失って、戦わないことを選択する意思も、月天の精霊達が裏切ったことも、それで犠牲が出たことも、でも、そんな過去を変えて新しく歩みだしたいと思ったことも――全部が今日まで繋がって、明日に続いていくと思うから」

 太陽に向かい、自分に背を向けながら力強い澄んだ声で語るアイリスの言葉を、大貴は静かに聞きながらそこに込められた思いを噛みしめる

 その声音は、普段と同じ澄んだ輝きを帯びていながら、しかしその中に自分の愚かさを悔いているような哀愁を帯びた響きを宿していた

「だから、私は十世界とは仲良くできないかな。シャロットを手にかけたことは許せないし、きっとその犯人が目の前にいたら、けちょんけちょんにしてやるもの」

 苦笑するように、背中を向けて語るアイリスは、努めて明るい声で言う、と大貴に背を向けたままで軽く数度拳を振るってみせる

「けちょん、けちょんね」

 大貴の声を背で聞いたアイリスは、空元気で振りまわていた拳をそっと下ろし、それに視線を落としてから口を開く

「私達は、一人でも生きていることはできる。でも、独りではいられない……っていうか、いたくない。誰だって自分じゃない誰かの温もりが欲しくて……自分の弱さや、足りないところを求めて、自分じゃない誰かと出会って、絆を結んでいくんだと思う」

「……そうだな」

 アイリスの口から淡々と紡がれる言葉に、大貴は視線を伏せてどこか寂しげな響きを持つ声音で同意を示す


 ゆりかごの人間(地球人)であった時も、そして光魔神となり、全霊命(ファースト)となった今だからこそ、大貴はアイリスの言葉が強く理解できた

 神能(ゴットクロア)の力によって、食事もお金も必要とせず、衰えも老いもなく生きていられる全霊命(ファースト)にとって、誰とも関わらず、何もせず生きていくなど簡単なことだ

 しかし、そうなったからこそ、神魔やクロス、桜にマリア、人間界で待ってくれているヒナ――自分を認めてくれる人がどれほど温かなものかがわかる


「だから」

 自分がどれだけ多くの人に囲まれ、多くの人に想われ、この世界に認められていることを感じていた大貴に声をかけたアイリスは、その場で軽やかに舞うようにその身を翻す

 風に舞う花弁のように軽やかに、空を羽ばたく蝶のように可憐に大貴に向き合ったアイリスは、その目をまっすぐに向けて、太陽を背に満面の笑みを浮かべる


「光魔神様は十世界に行かないでね」


「……!」

 小さく目を瞠った大貴を見たアイリスは、わずかな憂いを宿した笑みを向ける


「もう、こんな思いはしたくないから――大切な友達(・・・・・)を失うのは、もう嫌なの」

 自分に向けられるアイリスの言葉に目を丸くした大貴は、声を出すこともできないままでしばし視線を交錯させていた



                       ※



 その頃、妖精界王城ではメイベルを伴った妖精界王アスティナと、ルーファスを連れた月天の精霊王イデアが小さな円卓に座って向かい合っていた

「残念です」

 白いティーカップに、メイベルが注いでくれた紅茶を一口含んだアスティナは、その香りを身体に染み割らせようとしているかのようにしばしの間を置いてから口を開く

 その美貌に影を落としたアスティナは、対面する位置に座っていたイデアの視線を受けると、それを部屋から一望できる世界の風景へと誘導する

「彼女は――シャロットは、アイリスと共にこの妖精界に新しい道を示してくれると思っていたのですが……」

 シャロットが十世界に赴く決意を伝えに来た遠い日を思い返しながら、すでにこの世界へと還ってしまったその命に追悼と哀悼の意を表しながら独白したアスティナは、ふと目を伏せて自嘲混じりに小さく首を横に振る

「本当に残念です……いえ、彼女に、あんなことをさせてしまった私の不甲斐なさの所為ですね」

 自分さえ月天の精霊との関係を良好に築くことができていたなら、この世界を預かっている王としてしっかりした立ち振る舞いをすることができていたのなら、こんな悲劇は起きなかったのではないか――そんな自責の念を抱きながらも、それが意味のないものであるとアスティナは知っていた

 自分がどれほど自分を責めようと失われた命が返ってくるわけではない。どれだけ懺悔しようとも、それは所詮自分自身の自己満足でしかない

「私は、いつも誰かに助けられて、でもその人を傷つけてしまいます……あなたのように」

 己を責め、己を責めることを苛んで寂しげな笑みを浮かべたアスティナは、イデアへとその視線を送る

「あなたが気に病むことではありませんよ。わたくしがしたことで大きな犠牲を生んだことは揺るぎない事実です――それに、わたくしが、わたくしの意志で選んだ道なのですから」

 しかし、そんなアスティナに小さく首を横に振ったイデアは、穏やかな声で答える


 たとえどんな理由があろうとも、月天の精霊がロシュカディアル戦役でしたことは事実であり、それを率いていた自分の責任をイデアは十分に理解している

 誰かの所為にするつもりはない。言い訳もしない。――だからこそ、イデアはアスティナが裏切り者と罵られている月天の精霊(自分達)のために、その心を砕いてくれていたことが嬉しかった


「ですが、不思議な気持ちです」

 同じように差し出された紅茶を一口含んだイデアは、その目元を優しく綻ばせ、外から差し込んでくる陽光に銀髪を淡く輝かせながらアスティナに微笑みかける

「こうして、あなたとまた向かい合って、いつかの日のように言葉を交わしているというのは」

 ロシュカディアル戦役以来、世界の中で微妙な立ち位置になってしまった月天の精霊が、こうして自分達が傷つけてしまった人と微笑み合いながらに日々を過ごしているこの一時をアスティナとイデアは感慨深げに噛みしめる

「そうですね。いつかは、と思っていたのですが、実際にその時が来てみると、なんだか不思議な気持ちです」

 イデアの言葉に、アスティナはその陽光のような穏やかな美貌に少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべる

「アイリスとシャロットのことなど、心残りもありますし、本当の意味で月の精霊達との関係が変わったわけではないでしょう。

 ですが、きっといつか、私達だけではなく、全ての精霊達がこのような日々を過ごせる日が戻ってきてくれると、信じることができるようになりそうです」

「……えぇ」

 優しく目を細めたアスティナは、昔に戻ることはできなくとも、新しく絆を築いていける明日を思い描いて微笑む

 良いものも悪いものの、以前にはなかったものを以って新しくも懐かしい日々を送っていけることに、アスティナとイデアは思わず微笑みを交わす

「私達は、忘れることはありません。ですが、時間が変えてくれることがあります。そして、人が変えてくれることも――」


 永遠の時を老いることなく生きる全霊命(ファースト)は、記憶を意識しないことはあっても忘却することはない。

 良いことも悪いことも、限りある命の中で生きている半霊命(ネクスト)とは違い、流れていく時間の中にあって、いつまでも色褪せることなく覚えている。

 永遠に色褪せることなく、罪も痛みも恨みも、全てを背負って生きていかなければならない。、それでも時間が――そして、そこに込められた人々の想いが変えてくれることもある


「そうですね」

 アスティナの言葉に微笑んだイデアは、その視線をそこから見える世界の風景に向ける


「彼らも、きっとそうやって少しずつ変わって、そして変えていくのでしょうね」


 その瞳に、ここにはいない光魔神(大貴)達、そしてアイリスの姿を映しながら微笑むイデアの言葉に、アスティナも陽光のように優しい笑みを浮かべた




 温かい陽光、涼やかな月光、あまねく光に照らし出され、世界は今日もいつもと変わらぬ、二度とは来ない日々を繰り返していく――



 見上げれば、いつでも光はそこにある




妖精編―了―

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