戦う意味
人類の英知によって作られた無数の建造物が全て薙ぎ払われ、砕け散った瓦礫と地盤の砕けた大地が広がっている。
文明も自然も等しく破壊し尽くされたその光景は、まさにこの世の終わりを彷彿とさせるものだった。
ここが、空間隔離された世界でなければ、どれほどの被害が出ていたのか分からない程の破壊の爪痕。
そして一角に積もった地盤や建造物の瓦礫を押しのけて姿を見せた紫怨は、さほど大きな損傷を受けたような様子を見せずに身体を起こす。
「……さっきのはやばかったな」
神魔にゼロ距離で顔面に魔力砲を撃ち込まれた事を思い出しながら、紫怨はゆっくりと立ち上がると口端から立ち昇っている赤い血炎を拭う。
(神魔か……)
その身に巡る魔力によって瞬時に傷を癒した紫怨の脳裏に、漆黒の意志を宿した神魔の姿が思い出される。
それは天使の女とその天使が結界で守っている人間の危機を察知して発現した神魔の本質――失った者だけが知る想いだった。
「……俺と似てるな」
自身との共通項を見出したことでわずかばかりの神魔への親近感を抱いた紫怨は、その幻像を金色の髪を持った人物の姿へと変化させる。
柔らかに波打つ金色の髪を持ったその人物は、以前のように紫怨に微笑みかけてはくれない。
「……ちっ」
切ない表情を浮かべているその人物を思い出した紫怨は、それと共に湧き上がるやりきれない感情を吐き捨てるように舌打ちするのだった。
※
魔力を帯びた漆黒の刀と白い光の力――太極の光を宿した刀が激突し、そこに込められた破壊と滅殺の意思が鎬を削る。
空間が削れているのではないかと錯覚するほどの力のせめぎあいによって相殺された力が火花を散らし、刀身の間合いで相対する大貴と紅蓮を照らし出す。
「どうやらお前の思惑通りにはいかなかったみたいだな」
世界を二分するかのごとくぶつかり合う光と闇の力の拮抗を介して紅蓮を見据えた大貴は、そう言って白光を纏う太刀を振るう。
光と闇の力を併せ持つ光魔神の神能――太極から光の力だけを顕現させることで生まれた白光の力に染め上げられた刀が紅蓮の魔力を両断し、天に白い奇跡を刻み付ける。
「……紫怨を退けるとは計算外だったな」
魔力を宿した刀で大貴の斬撃を弾き、そのまま距離を取った紅蓮は、臥角と戦っている神魔に知覚を向けて呟く。
全霊命の知覚が伝えてくる情報は、神魔は軽い傷こそ負っているものの、それほど深手は負っていないことを紅蓮に教えている。
その一方でまた、紫怨の存在も感じる事が出来るため、命に関わるような傷は負っていないことも知覚できていた。
その上で戦闘が継続されないのは、紫怨が敗北したからだと、戦意が消えたその魔力が紅蓮に想像させる。
(負けたか。まあ、死んでなければそれはそれでいい)
神能を介して紫怨に声をかけることも可能だったが、紅蓮はあえてそれをしない。
紫怨は生きてこそいるが、今回の戦闘における敗北を認めている。ならば紅蓮には、戦いに敗れた者に死ぬまで戦えと求めるつもりなどなかった。
「なら、こっちも決着を急がねぇとな!」
紫怨の戦いが終わったことを知覚した紅蓮は、攻撃的な笑みを浮かべて吠えると同時、魔力を注ぎ込んだ剣を携えて大貴に襲いかかる。
「――ッ、もういいだろ?」
光と時間を超越する神速で肉薄し、微塵も衰えることのない戦意を露わにして襲い掛かってくる紅蓮の斬撃を受け止め、大貴は強い語気で応じる。
「何がだ?」
最上段から振り下ろした斬撃を弾かれた紅蓮は、即座にその手を大貴に向けて翳し、収束した暗黒の砲撃を放つ。
「こんな戦いに意味なんて無いだろ!?」
紅蓮の放った魔力砲を半身捻って躱した大貴は、太極の力を解放する。
黒と白の力が絡み合うように渦を巻いて迸る刀身を構えた大貴に、しかし紅蓮は口端を吊り上げる嬉々とした表情で答える。
「意味はある。俺には十分すぎるほどの意味が!」
吠えるように放たれた紅蓮の言葉と共に魔力を帯びた剣が振るわれ、大貴は太極の力を纏う刀身でその斬撃を受け止める。
「く……っ」
純然たる滅意と戦意に染められた魔力の斬撃を受け止めた大貴は、刀身を介して伝わるその衝撃に歯噛みする。
魂の髄にまで響く一点の曇りもない殺意に気圧された大貴は、光と闇の力を併せ持つ太極を解放して刀を振り抜き、紅蓮を吹き飛ばす。
「そのために俺はこの組織に入ったんだ」
「……組織?」
渾身の斬撃によって吹き飛ばされた紅蓮が体勢を立て直して声を荒げると、大貴はその言葉に怪訝そうに眉根を寄せる。
「何だ、あいつらから教えられてないのか?」
そんな大貴の反応を見て取った紅蓮は、一呼吸分の間を置いて口を開く。
「九世界反体制派組織『十世界』。――それが俺の所属する世界だ」
「十、世界……?」
(反体制派組織? ――九世界のテロリストみたいなもんか?)
初めて聞く名称に首を傾げつつ、心中で想像を巡らせる大貴に、紅蓮は得意気な面持ちでさらに語りかける。
「正式な名称は『十方唯一世界』。光と闇、全霊命と半霊命、存在や種族の差別を失くし、一つの世界として協力し合い争いのない世界を作ることを目的とする組織だ」
「なっ……!?」
自身の所属する組織――「十世界」について紅蓮が説明すると、その予想外の内容に大貴は目を見開く。
光と闇の存在の間にある敵対意識や確執、あるいは全霊命と半霊命の絶対的な力の差がもたらす格差。
全ての存在が持つ差別を無くし、九世界というたった一つの世界で共存して生きていくことを模索するというその目的を掲げる組織が敵であるなど、まるで自分達が悪人になったかのように感じられる。
そんな理想を紅蓮達が持っているのなら、自分達が戦う理由などないのではないかと大貴は考えざるを得ない。
「九世界は、世界が創世された当初から光と闇の存在が敵対し、争い続けてきた。『相手が光だから、闇だから』って理由で戦うことが当然になっている今の世界からそういうのを無くしたいってのがうちのボスの言い分だ」
「じゃあ、何でお前は……」
流れるような口調で自分の組織の目的、組織のボスの言葉を代弁する紅蓮に、大貴は声をわずかに強める。
紅蓮が所属する「十世界」という組織が九世界の争いを失くそうとする組織ならば、なぜ自分達に戦いを仕掛けてくるのか分からない。
もし紅蓮の言っていることが本当なのだとすれば、それは組織の理念に反する明確な敵対行動であるはずだ。
にもかかわらず、紅蓮は戦いを仕掛け、戦いに歓喜している。その行動の食い違いが大貴には理解できなかった。
「さっきも言っただろ? 『九世界反体制組織』だって」
「!」
しかし、そんな大貴の質問に、紅蓮は事もなげに答える。
「どんなにそれらしい言葉を並べても十世界が掲げる思想は九世界から拒絶されたモノでしかない。
上の奴らや志の高い奴は本気でそれを成し遂げようとしているらしいが、俺にとってはそんなものはどうでもいい。ここにいれば戦いの方からやってきてくれるからな」
九世界反体制組織である「十世界」は、言うなれば九世界全てから敵視されている組織。故にこの組織にいれば九世界正規の強者たちと戦う事ができる。戦う相手のほうからやってくる。
戦いに生きる喜びを見出す紅蓮にとって、戦う相手を探す必要もなく、九世界の強者達と戦える十世界という組織は、その願望を満たすのに好都合だった。
「お前は、戦うために組織を利用しているって言うのか?」
得意気に十世界に所属している理由を語った紅蓮に、大貴は確かな憤りを覚えて刀を握る手に力を込める。
戦いを求めるという目的のために、世界に共存を求める十世界という組織の理念を利用するのは不誠実であるのは間違いない。
「珍しい事じゃないさ。俺も、あっちにいる紫怨も、死んだレドも自分の目的のためにこの組織を利用しているに過ぎない……まあボスの事は気に入ってるがな」
しかし、そんな大貴の怒りの滲む声に対して紅蓮は、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「俺はボスが気に入ってる。だから十世界の仕事も手伝う。その代わりお前みたいな面白い奴を見つけたときには容赦なく戦う。それが俺の十世界でのやり方だ」
確かに紅蓮にとって十世界は戦うための都合のよい組織でしかない。
その思想も、否定まではしなくとも興味が無い。
しかし決してただ利用しているだけではない。
そうでなければ、戦闘狂の紅蓮が戦う相手のいないこのゆりかごの世界に来るはずなどなかったのだから。
「そんな理屈が通じるか……!」
だが、そんな紅蓮の言い分は、大貴からしてみれば身勝手なものでしかない。
誰かの想いを利用することを認めることなどできず、語気に宿る憤りを強める大貴に、紅蓮は小さく息を吐いて言う。
「ならお前は、国の誰かの言いなりに生きているのか?」
「!?」
不意に向けられた紅蓮の言葉に、大貴はその意味を掴みあぐねて眉根を寄せる。
そんな大貴の反応を見て取った紅蓮は、空間隔離によって切り取られた世界――大貴がこれまで生きてきた地球という場所の景色を一瞥して言う。
「国の政策や、親や友人の言う事が必ず正しいと思っているのか? と聞いている」
「……!」
自身の問いかけの本質を告げた紅蓮は、わずかに目を瞠った大貴を睥睨して言葉を続ける。
「本当は自分では納得いっていないのに、法律だと割り切って仕方なく従った事は無いのか? お前はこの世界の誰もが、世界に不満を持っていないといえるか?」
「……それがどうした」
淡々とした声音で紡がれる紅蓮の言葉を否定してはみたが、大貴は内心では分かっていた。――否、分かってしまっていた。
これから紅蓮が何を言わんとしていたのか、そして何を告げるのかを察した大貴は、自身を見据える悪魔の鋭利な双眸にせめて気後れするまいと自身を鼓舞するように闘志を奮い立たせる。
「なら、何故お前は国や誰かに従う? 国や社会の仕組みがお前に生活しやすい環境を与えてくれるからだろう?
お前は、国を、社会を利用していないといえるか? たとえその思想が間違っていると感じても、多少の不満があっても、それ故に得られるもののために国という入れ物を利用しているんだろう?」
「……っ」
まるで見てきたように嘲る紅蓮に、大貴は唇を噛みしめる。
「俺も同じさ。十世界の思想は理解している。ただ賛同はしていない。しかし利用価値があるから利用しているし、最低限の協力はする。
だが、俺の――俺自身の意思まで捧げたりはしねぇ。国に権利を守ってもらいながら、守ってくれる国に、それが気に入らないと喚くお前達の生き方と、俺の生き方の何が違う?」
「お前の言ってることはただの屁理屈だ。俺とお前は違う」
この世界に滞在し、その目で見てきた現実を引き合いに出して冷めきった面持ちで言う紅蓮の言葉に、大貴は精一杯の反論を行う。
しかし、紅蓮のそれは間違っていると感じながらも、その言い分に一定の理を認めてしまっていた大貴の動揺を表すように、強く柄を握られた刀の刀身がかすかに震える。
「それで良いだろ?」
「!?」
そんな大貴の態度を見て取った紅蓮は、こともなげな様子で言い放つ。
議論を交わすことを放棄し、大貴の言い分を認めた様な言葉を言い放った紅蓮は、しかし揺るぎない意志を感じさせる瞳を向けてその理由を言葉にしていく。
「意志や考えは生きている者の数だけある。同じ意志を持っている奴なんて誰一人いやしない。同じようにお前を守っている神魔もクロスもあの天使の女もその理由まで同じじゃないだろ?」
「……っ」
自分の意見を主張しながらも、それを否定する言葉すら肯定する紅蓮に、大貴は思わず声を詰まらせる。
本来敵対しあう悪魔と天使という関係であるはずの神魔と、クロス、マリアは、ただ光魔神である大貴を守るという利害関係によって共闘している。
確かに、神魔もクロスが戦う理由や思いは同じではないだろう。しかし、大貴を守ろうとしている最終的な意志は同じであり、そこに偽りが無いことは、大貴自身が強く感じている事だった。
「そうやって一人一人異なる意志や想いを内包して尚、在り続けられるモノが世界であり、国家であり、集団だ。
それを知っているからこそボスたちは俺達の意志のあり方を認め組織に必要以上の不利益を与えない限り俺達の自由な思想を許してくれている」
紅蓮のその言葉には、偽りではない十世界のボスへの畏敬の念が感じられる。
十世界は最終的に「世界」を作り出すことを目的としている。
そこに住まう全ての命ある存在、全ての人の意志を自分達の意思として束縛し、支配すればそれはもはや世界ではない。
だからこそ、十世界は組織を利用しようとする紅蓮たちの行いも認めている。
もちろん十世界という組織が著しく不利益を被らない範囲で。
それこそが紅蓮たちの意志への理解と尊重。それこそが「世界」という多種多様な人々が生きる場所なのだ。
自分の意思を貫き、他者の意見を尊重し、共感しながらも否定する。
ただ戦いを望みながら、全ての意思を尊重して肯定する紅蓮の言葉には、悠久の時を生き、地球人とは異なる価値観が表れていた。
「多少の反乱因子を内包しても立ってられない組織、まして世界なら尚更すぐに潰れるに決まってるだろ?」
拳を差し伸べ、不敵に笑う紅蓮に大貴は鋭い視線を向ける。
「そんなのお前のだだの自分勝手な理屈だ!」
「ああ、そうだな。自分勝手な理屈だ。それの何が悪い?」
「……何だと?」
自分を正当化しているようにしか聞こえない紅蓮の言い分を糾弾するように語気を強めたが、それに返されたのは悪びれもしない淡泊な声だった。
「そんなものは十世界でも同じだ。十世界の思想も結局は突き詰めればボスやそれに賛同した連中の自分勝手な理屈だろ?」
「……っ」
ただ開き直ったのではなく、己の確固たる信念に裏打ちされた紅蓮の言葉に、大貴は反論する言葉を即座に発することができずに唇を噛みしめる。
紅蓮の言葉は、紅蓮なりに筋の通ったものだった。
自らも勝手にするのだから、他者が勝手にしていても構わない。その意志の全てを受け止め、その上で自らの意思を貫く強い意志が感じられる。
生きてきた年月の差なのか、全霊命特有の知識を継承する能力の所為なのかは分からないが、このまま口撃を続けても水掛け論にしかならないのは薄々理解できた。
「……けどお前たちみたいな奴がいるから、十世界って組織は反体制組織って言われるんじゃないのか?」
自分を否定することすら認める紅蓮の言い分を言葉では否定できないことを感じ取った大貴は、しかしままならない想いのやり場を探して強く刀の柄を握りしめる。
大貴にとって光と闇の争いを失くすという十世界の掲げる理想や思想は、十分に共感する事が出来るものだった。
そうあればいいと願うことも出来る。
しかし紅蓮のように、自分勝手な理屈で十世界を利用する者によってそれが妨げられているとすれば、それは許しがたく思えてならなかった。
「――否定はできないな」
絞り出すように紡がれた大貴の言葉に、視線を明後日の方向に向けて思案気な表情を浮かべた紅蓮は、おもむろに静かな声音で答える。
「不満そうだな。こんな話しても無意味だろ? さっさと戦り合おうぜ。戦う理由なんて戦いたいからでいいだろ?」
その言葉に大貴が憤りを滲ませると、紅蓮は話をするのに飽きてきたのか、呆れ混じりに溜息をつく。
「お前にとって戦う以上に大切な物は無いのかよ」
「無いな」
大貴の感情を懸命に押し殺した言葉に、紅蓮はさもそれが当然のように返答する。
「ふざけるな……! こんな戦いに何の意味があるって言うんだ!?」
そんな紅蓮の言葉に、大貴は無意識に語気を強めて言い放つ。
「意味があるから戦うんじゃない。戦う事に意味があるんだ」
しかし、そんな言葉すら意にも介さずに発せられた紅蓮の言葉に、大貴は震えるほどに強く手を握りしめ、苛立ちを露わにする。
「……そんなの……間違ってるだろ」
この平和な国で生まれ育った大貴にとって戦いや争いというのは知ってはいても対岸の火事でしかなかった。
しかし神魔やクロスと出会い、自らも戦いに巻き込まれ、否応無く命がけの戦いを思い知らされた。
目を閉じれば脳裏に浮かぶのは、自分達を守るために腕を失って尚立ち続けた神魔の後ろ姿。
生まれて初めて自分の無力さを呪い、力を求めた。
初めて死の恐怖、戦いの恐怖、家族や親しい者が手の届かないところに逝ってしまう喪失感と恐怖。それだけが大貴が戦いで得たモノだった。
「あー……はいはい。分かった、分かった。俺が間違ってるって事でいいから、その間違いを正すためとかって名分で向かってこいよ。戦う理由があればいいんだろ?」
大貴の言葉に視線を明後日の方向に向けて、紅蓮は面倒くさそうに言う。
「そういう事じゃないだろ!? そんな理由で命を懸けて戦うなんて虚しいだけじゃないか! そんなことのために戦うなんて馬鹿げてる!」
紅蓮の投げやりな言葉に、大貴はその考えを正すように語気を荒げる。
「…………はァ」
その大貴の言葉に紅蓮はしばらくの沈黙の後、大きく溜息を吐く。
「――お前、ゆりかごに毒されたな」
「!?」
先程までと同じように流されると思っていた大貴は、予想を裏切る敵意と侮蔑の色に染められた紅蓮の冷たい言葉と視線に、無意識に後退っていた。
その眼に宿っていたのはあからさまな侮蔑と軽蔑。何かおぞましく汚らわしいモノを見るような視線に大貴は身体を強張らせる。
「驕るなよ、糞餓鬼!」
一呼吸分ほどの沈黙を置いて、静かな声で冷たく言い捨てた紅蓮は、魔力を帯びた剣を携えて大貴に向かって一直線に空を走る。
「!」
光を遥かに越える神速で肉迫した紅蓮の斬撃が怒りに任せて最上段から振り下ろされ、大貴を両断せんとする。
その感情によって拍車をかけられたかのような純然たる殺意に染められた魔力が込められた斬撃を刀で受け止めた大貴に、紅蓮の金色の瞳が突き刺さる。
「神と呼ばれて思い上がったか?」
「!?」
冷たい怒りに染まった眼差しに射抜かれ、自分では思いもしない事実を指摘された大貴は、しかし紅蓮の放つ威圧感に圧倒され、即座に反論の言葉を紡ぐことができなかった。
自分が光魔神となったことに優越感や喜びなどを感じたことはなかった。世界最強の神と言われて万能化や全能感に浸ったつもりもない。
だが、紅蓮の語気に込められた強い怒りは、的外れでありながらも、大貴が否定の意思を引き出せない力を有していた。
何より、その言葉が正鵠を射ているかどうかは問題ではない。
「俺の意志をお前が勝手に決めて否定するな!」
大貴に向けるべき本当の想いが込められた剣がその力を示し、斬撃を受け止めていた大貴の刀を力任せに弾く。
「理解の意味を吐き違えるなよ! お前にとっての〝理解〟ってのは、俺がお前の言いなりになることなのか!?」
「――っ!」
敵意を剥き出しにした紅蓮の咆哮に耳朶を叩かれた大貴は、思わず目を瞠る。
「相手の信念と自分のそれがかみ合わないと知った時点ですでに分かり合ってるんだよ! そこから先は、自分の意思を押し通したいっていう自分のエゴだ!」
激情のままに肉薄し、言葉と共に休む間もなく神速の斬撃を叩きつける紅蓮の攻撃に、大貴はかろうじてそれを受け止め、捌くことしかできないほどに圧倒される。
魔力を捉える知覚を介して、互いの力が具現化した武器の刀身を介して紅蓮の意思が待機へと流れ込み、魂の髄まで響かせる。
「お前はお前が言っていることだけが正しくて、それと違った事を言う俺の意志や想いが間違っていると思っているのか!?」
「っ、それは……」
力任せに撃ち込まれる斬撃と同時に発せられる、強い語気に彩られた紅蓮の糾弾に、大貴は言葉を続けることができずに口を噤んでしまう。
他者を理解するということは、相手のことを知り分かり合うこと。
そして、分かり合うということは即ち相手を「理解」する事。
しかしそれは決して同じ理念を持つという意味ではない。
自分と相手が違うことを、分かり合うことができないことが分かった時点で、もう相手を理解している。
その上で相手の意思を自分のそれに沿わせることは、相手を服従させること、相手の意思を曲げさせることなのだという紅蓮の言葉に、大貴は共感してしまっていた。
「分かり合おうとしていないのはどっちだ!? 俺は、ボスもお前も、他の誰の意志も否定はしない! 例えそれが気に食わないものでも間違っているなんて言わねぇ!
だが、お前はどうだ!? 自分の思うとおりになっていないものが気に食わない、言う通りにしない奴が気に食わないか!?
お前はお前自身の考えを他人に押し付けてこれが正しい事だと言い張って、自分にそぐわない者を無理矢理言いなりにしようとしているだけだろうが!」
「……っ」
思わぬ言葉に頭を殴られたような衝撃を受けている大貴に、容赦のない紅蓮の言葉の刃が次々に突き立てられる。
攻撃によって攻められ、口撃によって責められる大貴は、その全てをかろうじて凌ぎながらも、それに反抗する意思と力を示すことができない。
そんな大貴を紅蓮は容赦なく攻め立て、魔力を帯びた斬撃が交じり合うことのない黒白の力を打ち砕いていく。
「それらしく耳当たりの良い事を言っているだけで、その実、お前は俺やボスの想いを勝手に決め付けて自分の思い通りにしたいだけだ!」
「っ、違う!」
怒気と共に放たれる純然たる殺意を顕現する魔力に追い詰められる大貴は、黒と白の力を帯びた刀を振りぬいて紅蓮の斬撃を弾く。
「なら、無意識にお前はそうしてるんだ。なお性質が悪いな」
「っ!」
自身を奮い立たせるように力を振り絞った大貴に、紅蓮の冷徹な響きを帯びた言葉が返される。
無自覚な傲慢さを暴き、軽蔑するようなその言葉に、大貴は自らの考えへ疑問を抱き、明らかに動揺していた。
「戦う事に意味が無いだと? それをお前が決めるな! 俺たちは、自分の信念に命を懸けて戦っている! 俺も! 十世界も! 神魔も! クロスも!」
「……っ」
その斬撃のように鋭く重い純粋な紅蓮の言葉に容赦なく攻め立てられ、大貴は己の言葉を顧みながらかろうじて攻撃を捌く。
わずかにでも気を抜けば命を落としてしまう殺意と力に晒されているというのに、大貴の力はその心の迷いを表しているかのように揺らいでしまう。
そして、そんな大貴の隙を逃すはずもなく、紅蓮の魔力が漆黒の咆哮を上げる。
「お前は今、俺達の意志を無慈悲に踏みにじったんだ! 俺の意志を否定し、ボスの意志を否定し、神魔やクロスが抱いたであろう全ての意志をお前は否定した!」
互いの武器の刃がぶつかる衝撃と音、そして砕け散った魔力と太極の力の波動が大貴の身体を叩く。
これまで相殺し合ってきたはずの力の激突は漆黒の魔力に軍配が辺り、その衝撃の全てがほぼすべて大貴に襲いかかった。
「っ、ぐ……」
(今までよりも重い……!?)
太極の力が打ち砕かれたことに瞠目する大貴は、全身に奔る苦痛に顔を歪め、紅蓮の斬撃を寸前で受け止める。
全霊命の力神能は使い手の意志の力によってその強度を増す。
故に紅蓮が強くなったのではなく自身が動揺した事によって太極の制御が甘くなっていた事に大貴が気付ける筈もない。
「他人の気持ちをお前が決めるな! お前の気持ちを他人に強要するな! それをさも当然のように言い放つ貴様には反吐が出る!」
瞬間、力任せに叩きつけられた紅蓮の漆黒の剣の刀身が、澄んだ音と共に大貴の刀を斬り落とす。
全霊命の武器は、自身の神能が戦う形として顕現したもの。
その強さ、強度は使用者の意志に影響されている武器は、今の大貴の戦意を反映し、その性能を低下させてしまっていた。
拮抗する力を持つ相手との戦いにおいて、その差は極めて大きなもの。――その結果が、容易く両断されてしまった刀の刀身だった。
「――っ、ごふっ……」
紅蓮によって刀の刀身が斬り落とされた瞬間、大貴の口から真紅の血炎が吹きだし、心臓に刃物をつきたてられたような痛みが胸の中央に奔る。
《武器の方は俺達の戦意そのものだ。力が互角でも心が弱いと簡単に折られる上、武器の破損は魂にダメージを与える》
この世の物とは思えない激痛の中、大貴はかつて聞いたクロスの言葉を思い出していた。
(こういう事か……!)
「……馬鹿が」
武器を破壊されてしまうほどに戦意を衰えさせた大貴に吐き捨てるように言い放った紅蓮は、苦痛に顔を歪めている光魔神に蹴りを打ち込む。
体勢を崩した大貴を紅蓮の足が空中で蹴りつけ、そのまま急降下した紅蓮は足で朝得込んだ大貴の身体を地面に叩きつける。
大貴が地面に叩きつけられると同時に凄まじい衝撃波が発生し、爆音と共に砕かれた街の残骸が天高く舞い上がる。
「……っ!」
紅蓮に仰向けに踏みつけられた大貴の首筋に、その手に握られた剣の刀身がそっと当てられる。
「お前がやっているのは、自分の言う事が正しく、他人のそれが間違っているという傲慢を正当化する理解の名を借りた他者の全否定だ」
「……!」
「堕ちたな、光魔神……」
紅蓮の冷ややかな言葉に大貴はただ目を見開く。
「……お前には失望した」
「紅蓮!」
「!」
大貴の首筋に刃を当てていた紅蓮は臥角の言葉に瞬時に反応し、踏みつけていた大貴の上から消える。
その瞬間、今まで紅蓮が立っていた場所、その首の位置を魔力を帯びた漆黒の大槍刀の刀身が通り抜ける。
刃の先から放たれた漆黒の斬撃が世界を真っ二つに斬り分け、天まで届く漆黒の斬撃の残滓を世界に黒い軌跡として刻み付けていた。
「……神魔」
紅蓮に攻撃を仕掛けた人物を見て大貴は思わず声を漏らす。
「やけにムキになってたね? たかがゆりかごの人間の戯言に」
神魔が視線を送った先には逆立った真紅の髪を魔力に揺らす紅蓮が静かに立ちはだかっていた。
「たかがゆりかごの人間の戯言ではすまない話だ。光魔神がゆりかごに毒されているって事はな。――例えいつかは、そうじゃなくなるとしても」
(どういう、意味だ……?)
二人の会話の意味を掴みあぐねている大貴の前で神魔は大貴を一瞥すると再び紅蓮に視線を向ける。
「そんなにムキにならなくても、大貴君を蝕んでいるゆりかごの毒は彼の成長と共にその内消えるよ」
「神魔……」
(ゆりかごの、毒? どういう意味だ……?)
「……大貴君」
紅蓮に軽い口調で言った神魔は、自分を呼ぶ大貴の声を遮って背中越しに穏やかな口調で語りかける。
「他人を理解するって事は、他人の事は理解できないって事を理解する事だよ」
「……!」
大人が子供の過ちを諭すような声音で語りかけた神魔は、その視線を紅蓮に向けたまま言葉を続ける。
「人の気持ちなんて他人が理解できるものじゃない。だから無理しなくてもいいよ。だって、僕達ができるのは、せいぜい相手の事を思いやるくらいなんだから」
「神魔……」
他人と分かり合うということは、自分と他人が同じ想いを共有することばかりとは限らない。時に互いの主張を理解した上で、否定し合わなければならない。
人と自分は違う者であることを確かめることこそが理解なのだと告げた神魔は、肩越しに大貴を見ると、優しく微笑んでその手に携えた大槍刀に魔力を纏わせる。
「戦いは自分の信念を貫くために他人の信念を否定することだよ。戦わないと大切なモノは手に入らないし、守れない。
自分の大切な人が相手にとっても同じでは無いように、相手も自分の信念に命を懸けて戦うんだ。僕達はそれを肯定して、でも自分の大切なもののためにそれを否定するんだ」
「……!」
神魔の優しい声音は、しかしそれでいて冷淡な響きを帯びていた。
自分の行くべき道に迷った大貴を支え、導くような優しい声音でありながら、神魔から告げられたのは、己の信念を貫くために他者の信念を認めて否定しなければならないという残酷な現実だった。
「大貴君は、何のために戦いたい?」
「何の、ために……」
神魔から己の思いを問いかけられた大貴は、自分の中で答えを探すように呟く。
「さて、と。ここからは僕が相手をさせてもらうよ」
その様子を肩越しに見ていた神魔は、視線を紅蓮へと戻し、大貴に話しかけていたときとはかけ離れた殺気と闘気に満ちた視線を向ける。
「いいぜ」
神魔に大槍刀の切っ先を向けられた紅蓮は、その殺気に歓喜して凶暴な笑みを浮かべる。
それは、獣のように自身が求めるもの――戦いを鋭い嗅覚で嗅ぎ取った修羅が垣間見せた紅蓮の本性のように大貴には見えた。
「僕は大貴君みたいに甘くないよ。武器と殺意を向けてくる以上、容赦しない」
「……上等ォ」
神魔の言葉に紅蓮は歓喜に彩られた獣の笑みを口元に刻む。
次の瞬間、一瞬にして二人の姿が消えたかと思うと、光を遥かに凌ぐ疾さと世界をも容易く滅ぼしてしまう漆黒の魔力が一瞬にして数億、数兆でも数え切れないほどの激突を繰り返し、マリアによって隔離された世界の空を漆黒に塗り潰し、その殺意と破壊の意志が世界を一瞬にして粉砕する。
「……っ、何て戦いだ……」
自身の眼前で始まった神魔と紅蓮の戦いを息を呑んで見守りながら、大貴はどこか遠くにあるものを見つめるような眼差しで漆黒に染まる世界を見つめていた。
(二人と俺の神格はほとんど差がないのに……これが、戦う意思の差だっていうのか)
大貴と神魔、紅蓮の神能の神格はほとんど変わらない。
しかし、神魔と紅蓮二人の戦いは、自分のそれとは数段上の次元で行われていることが知覚から感じられた。
同程度の神格がある以上、決して手が届かないはずなどないのに、遥か高みにあるような戦いに大貴は意識を奪われる。
(これが、本当の全霊命の戦い……)
霊の力の頂点にして究極である神能は、使用者の意志によってその質が定められる。
純粋にして純然な想いで染め上げられ、その本来の力を十全に振るう魔力を知覚した大貴は、自分との差を感じて唇を引き結ぶ。
(俺も、いつかあんな風になるのか……?)
神魔と紅蓮の戦いを見つめながら大貴は内心で小さく呟く。
光魔神という九世界屈指の全霊命となったにも関わらず、大貴は未だ神魔やクロスのように純粋な戦意や殺意を纏えない。
自らの強さの至らなさを感じながら、しかし大貴は自分が神魔たちのように戦う姿を想像して、そうなりたいと思うことができずにいた。
大貴が戦っているのは、大切なものを失わないための力を求めたからだ。その自分の選択に後悔はない。
だからこそ、今自分はこうしてここに存在している。――しかし、それと同時に神魔と紅蓮の戦いを知覚する大貴の心の中には、確かな不安が芽生えていた。
(もしそうなった時、俺は俺のままでいられるのか……?)
光魔神として完成するという事は、それだけ人間から遠ざかっていく事に等しい。
その程度のことは、大貴にも理解できる。
決して寿命では尽きない命、老いる事のない存在。世界のあらゆる理を無視し、自らの望むままにあらゆる現象を引き起こす、まさに〝神〟と呼ぶにふさわしい力。
もし自分が光魔神として完全な覚醒をした時、自分は今の自分のままでいられるのか、今戦っている神魔や紅蓮のようになってしまうのではないか、自分が自分のまま、自分とは違い自分になってしまうのではないか――今の不完全な覚醒状態ですら感じられる全霊命という存在の全能感が、大貴の不安を一掃煽る。
《大貴君は何のために戦いたい?》
自問する大貴の脳裏には、その問いに答えるように記憶に刻まれていた先程の神魔の言葉が甦る。
光魔神として覚醒してからはその力を使いこなす事に必死で、自らの命を守る事に懸命で戦う理由など考える暇も無かった。
しかしいつまでも目をつぶっているわけには行かない。何のために、何と戦うのかを。
「大貴! 何しているの!?」
神魔と紅蓮の戦いを呆然と見つめている大貴の耳朶を詩織の声が叩く。
「……姉貴……」
「ぼさっとしてないであんたも戦いなさい!」
思わず呟いた大貴を詩織の声が叱咤する。
その言葉に視線を送るとマリアの結界の前で臥角とマリア、クロスが、上空では神魔と紅蓮が戦い続けている。
「……俺は……誰と、何で戦ってるんだ……」
その光景を見る大貴は、聞こえているはずの詩織の声さえもどこか遠くに感じられ、答えのない心の迷宮に己の魂を沈める。
「大貴!」
その身に吹き付けてくる全霊命達によって生み出される純然たる殺意を浴びる大貴は、隔離された空間の中に吹き荒れる戦闘の風に答えを求めるかのように、その身を晒していた。