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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
149/305

悪意が心に変わるまで






「姫!」

 十世界の拠点に帰還するなりこの場所を訪れたニルベスは、報告と共に焦燥を隠せない様子で四阿(あずまや)に似た簡素な建屋の中に置かれた白いテーブルに座っている十世界盟主――「奏姫・愛梨」へと視線を向ける

「落ち着いてください、ニルベスさん」

 十世界本拠地の中にある愛梨の私室――室内であるにも関わらず、一面が花畑になった庭園を思わせる広大なその場所でニルベスの話を聞いている愛梨は、ニルベスに慈愛に満ちた穏やかな声音で微笑みかける

 まるで愛梨の――十世界の理念と理想を体現したような大小さまざま、色とりどりの花が調和して咲き乱れる室内の優しい香りに包まれながら、しかしニルベスはそれに浸る間もないほど切羽詰まった様子で自身の主に進言する

「ですが、このままでは神敵(あいつ)が光魔神に何をするかわかりません」

 すでに愛梨には事の次第を報告してある。妖精界に突如として反逆神が現れたこと、そして光魔神と復活した自然神、夢想神と共に姿を消したことも。


 このままでは神敵たる反逆神が光魔神に何をするかわからない。もし万が一のことがあれば、九世界との今後の関係に大きな支障をきたすことは明白

 現在ただでさえあまりよく思われていない十世界がこれ以上九世界に好ましくない結果と行動を起こせば、「全ての者達が手を取り合う恒久的平和の実現」という十世界(組織)の悲願が遠のくことは必至

 そのためには、反逆神が再び(・・)光魔神を殺す前に十世界の中で唯一神敵たる悪意の神が言うことを聞くであろう愛梨にそれを止めてもらわなければならない。そのためにニルベスは妖精界からこの十世界本拠地までやってきたのだ


「心配には及びませんよ」

 しかし、そんなニルベスの言わんとしていることを正しく理解していながら優しく微笑んだ愛梨は自身が座っている場所から、室内を満たす花畑を見て目を細める

 優しく慈しむように目を細めた愛梨の瞳には、神敵として世界から忌み嫌われている反逆神に対する無償の信頼と懐古の念が映っていた

「だって――」



               ※



 それは、はるか昔。十世界という組織ができて間もない頃の事。

 一面が花畑に覆われた時空の狭間の世界で、愛梨は反逆神と最初の出会を果たしていた

「――反逆神(アークエネミー)!」

 天を裂き、そこから血色の衣をなびかせて現れた反逆神を前に、護衛のために愛梨に同行していた天を衝く巨大な四角を持ち、鬣を彷彿とさせる逆立った黒髪に瞳のない白い目を持つ巨大な体躯の男が、その身の丈にも及ぶ巨大な大槍刀を顕現させて臨戦態勢を取る

「待ってください、覇国神(ウォー)さん」

 その巨躯の男――円卓の神座№9「覇国神・ウォー」が戦闘態勢に入ったのと同時に、その行動を制するように軽く手を出した愛梨は地面に降り立つ血衣をなびかせた神敵の姿に静かに視線を向ける

「お前が最近何かと話題の十世界盟主か」

「はい」

 神に列なるものならば、忌避感と嫌悪感を抱かずにはいられない悪意の神能(ゴットクロア)の化身たる最強の異端の神を前にした愛梨は、その問いかけに穏やかな声で応じる


 たとえ神の巫女と呼ばれる存在である「奏姫」であっても、神敵に対する嫌悪感がなくなるわけではない。

 にも関わらず自身を前にしながら平然と微笑んでいる愛梨の姿に一瞬訝しんだ反逆神(アークエネミー)だったが、しばしその姿を目を細めて観察し知覚を巡らせてから小さく独白する


「……なるほど」

 自身の中で自身の疑問を完結させた反逆神(アークエネミー)は、同じ円卓の異端神の同胞である覇国神(ウォー)の鋭い視線を心地よい春風のように身に受けながら、十世界の盟主たる愛梨へと視線を注ぐ

「なにか、ご用でしょうか?」

「なに。この世界で面白い冗談を実現させようとしている物好きがいるという話を聞いてな。すぐさま世界に滅ぼされるか諦めるかすると思ったんだが、案外しぶとい

 それどころか覇国神まで身内に引き入れたと言われては、見に来ないわけにはいかないだろう?」

 挑発的とも思える笑みを浮かべる反逆神は、警戒心を露にする覇国神の隣で無防備に佇んでいる愛梨の許へと歩み寄っていく

 それを見た覇国神(ウォー)は、反射的に愛梨を守ろうとその剛腕をさながら境界線のように反逆神(アークエネミー)との間に割り入れて背後に庇うような体勢を取った

「!」


 反逆神はこの世界における唯一絶対の敵であり敵対の神。つまり、反逆神が起こす行動は基本的に敵対行動であり、相手を害する意思の下に行われるもの

 それを身に染みて知っている覇国神が、自身の主である愛梨を害させないために守ろうとするのはある種の必然だった


「お前が主を乗り換えるとは思わなかったが……今度の主は随分と可愛らしいな」

 まるで「視線でさえも毒だ」と言わんばかりに自分から愛梨を庇った覇国神を一瞥した反逆神(アークエネミー)は、小さく鼻を鳴らして足を止める

 忠義に厚い覇国神がこの世に新しく主を選んだことにも、それを愛梨に定めたことにも驚きを滲ませる反逆神の言葉に、戦の神たる大男は瞳のないその目に強い敵意を灯す

「黙れ!」

「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですので」

 口端からはみ出すほどの牙を剥く覇国神の怒声を聞いた愛梨は、自身の腰回りはあるであろう巨腕にそっと手を添えて下ろさせると、一歩前に出て反逆神(アークエネミー)に目礼を返す

「随分平静だな。俺が怖いだろう?」

「正直に申し上げれば、少しは」

 平静を装ってはいても、存在の根源から生じる悪意への拒絶感と神格、力の差を前にして全く何も感じないということなどできるはずもない

 そんな愛梨の心の中にある小さな意識を見逃すことなく捉えながらも、しかし反逆神(アークエネミー)はそれを覆い隠すように存在する深い慈愛の意思にその口元に愉悦を刻む

「馬鹿正直な奴だな。嘘も方便と言うだろう?」

 愛梨が盟主を務める十世界という組織が全ての存在が手に手を取り合った恒久的な平和世界を実現させようとしていることを反逆神は知っている

 しかし、にも関わらず悪意である自分に対する姿勢を取り繕うこともせず、社交辞令的な受け答えもしなかった愛梨に、反逆神はその意図を問う


 愛梨が反逆神に対する嫌悪感や恐怖心などは抱いていることは隠しようがない事実。それを見た反逆神ははじめ、さすがの十世界も神敵(自分)とは手に手を取り合うつもりなどないのだろうと考えた

 しかし、愛梨の目を見た反逆神はその考えを即座に改めた。――なぜなら、その目には自分に対する恐怖以上に、友好を望む願いが込められていたのだから


「あなたは、それを求めておられないように思いましたので」

 神敵である反逆神は、自分がこの世界に存在するすべての存在から忌み嫌われるべきものであることを自覚していたし、それが自然なことだと分かっていた

 しかしだからこそ、敵意を押し殺しながら自身と友好を求めるような視線を向けてくる愛梨に小さくない困惑を与え、大きな興味をそそられる

「……なるほど」

 そして、愛梨から返された答えを聞いた反逆神(アークエネミー)は、自身に向けられる透明で澄み切った瞳に宿るその意思に合点がいったように呟く


 ただ仲良くしたいだけならば、ある程度下手に出て謙虚に相手と接すればいい。だが愛梨はただ相手の顔色を窺うのではなく、逆に自分の心を曝け出してきた

 それは、愛梨自身の性格であると同時に、十世界という組織が目指す恒久的平和の理想の形なのだろうと推察することができる


「知らない人と出会えば少しは怖いものです。自分と違う人と出会えば多少は嫌悪感や拒絶感を抱くものです。

 未知とは恐怖であり、主観の違いは互いの心に軋轢とわだかまりを生み、それが大きくなれば敵意を生みます」

 覇国神が庇うように差し出していた腕をそっと下げ、反逆神の許へと一歩歩み寄った愛梨は、自身の胸にそっと手を添え、優しく慈愛に満ちた声音で語りかける

「ですが……いえ、だからこそ私は思うのです。その未知の先にこそ本当の共存があり、噛み合わない心の先にこそ真の理解があるのではないかと

 理解とは相手を理解できないことを理解すること。自分が大切だと思うものと相手が大切など思っているものが違うことを知ること……相手が誰とも違うことを認め、自分と同じではないことを許すことです」

 優しい声音で紡がれる愛梨の言葉に耳を傾ける反逆神は、そこに込められた理想、今日までに経験してきたであろう現実を感じさせるに十分な心響を感じ取っていた

「だが、それが分かっているからといって分かり合うことはできないだろう?」


 異なる価値観を持ち、異なる想いを抱く人と人が分かり合うということは、思うほど簡単なことではなく、思うほど難しいことではない

 相手が何を大切に想っているのかを分かっていながらも。そしてそれが自分が大切なものを想う気持ちと同じであることを分かっていても――それでも人は、自分の大切なものを守るために、相手のその気持ちを否定してしまう

 同じはずなのに、決して同じではないその想いが生み出す軋轢こそが、自身の自我と存在の証明であると同時に愛と憎悪の根源となる


「確かに、それは言うほど簡単ではありません。ですが、だからこそ私達は、相手が自分とは違うなにかを大切に想う気持ちを大切に思うことができるのだと思えるのです」

 胸に添えた手を軽く握りしめた愛梨は、自身の言葉に対する否定的な意見に彩られた反逆神(アークエネミー)の目をまっすぐ見つめ、強く優しい弱さに満ちた視線で言う

「私たちの心は遠くて近く、同じものを大切に思っているのに中々通じ合うことがありません。誰もが大切なものを持っていることを知っているのに、自分の大切なものを守ることに必死で、失う痛みを分かち合うことができないのです」

 その目を伏せ、心痛な面持ちで目を伏せた愛梨は、その痛みを悼みながら、ままならない現実を嘆くように唇を引き結び、胸に添えた手を強く握る

「私達は……いえ、誰もが失う痛みを恐れるあまり、自分よりも弱い相手にそれを押し付けてしまっているのではないでしょうか」

 誰だって自分の大切なものを失いたくなどない。その喪失感を知っていればいるほど、そう願ってしまう気持ちは愛梨にも痛いほど理解できる


 だが、だからといって力がない者が失い、力あるものだけが守りたいものを守り、手に入れたいものを手に入れることは世の理などと看過することは愛梨にはできなかった

 「自分の心が相手の正義を敵と定めた時に敵が生まれる」――それは、愛梨の持論であり信念だ。

 誰もが争うことを望んでいるわけではない。だが、自分の大切なものを守るためにそれを害するものに向ける愛情が敵意を生んでしまうことを止めることはできない


「……だから、みんなで仲良しこよしか?」

 人が生きていく上で必ず生まれてしまう敗者と犠牲者を思い、心を痛める愛梨の姿に反逆神(アークエネミー)は視線を明後日の方向に向けて嘆息混じりに問いかける

 確かに愛梨の言うことは間違っていない。だが、何も失わず、誰もが互いの信念を許し合って共存することなど現実的ではないことは明白だった

「それは少し違います」

 しかしそんな反逆神(アークエネミー)の言葉に、遥か遠く理想の涯にある世界を幻視するように目を細めた愛梨は小さく首を横に振る

「ほう」

「私は、ちゃんと他人と向かい合い、分かり合い、そしてちゃんと傷つきたいのです」

 感嘆の声を漏らす反逆神(アークエネミー)をその澄んだ瞳で真っ直ぐに見据えた愛梨は、凛々しく強い表情から高潔な信念が宿る言葉を発する

「闇の全霊命(ファースト)と光の全霊命(ファースト)全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)そして、神敵(あなた)

 私達は、互いの存在を認め合い、互いが互いを理解できないことを理解しているがゆえに不干渉を貫き、歩み寄ることをせず距離を取っています――私は、そんな当たり前にある心の壁を取り払いたいと考えているのです」

 穏やかな声音で答えた愛梨の言葉に、反逆神(アークエネミー)はその目に剣呑な光を宿す

「確かに、私たちは皆同じではありません。だからこそ、分かり合えないことがあるのも必然です。ですが、私は分かり合えないから仕方がない、で終わりにしたくないのです

 私は、多くの方と――いえ、この世界に生きるすべての人達と仲良くしたいです。そして、この世界に生きるすべての人達が、互いが違うことを許し、自分と違うことを認め合って平和に暮らす世界を実現したいんです」


 光の全霊命(ファースト)と闇の全霊命(ファースト)が異なる価値観の下で争うように、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)、そして神から生まれ、神に列なる九世界の存在と神に敵対する反逆神を筆頭とする悪意の眷属

 世界の創世期から続く絶えない争いを経て、この世界に生きる者達は分かり合えないことを分かることを理解し、干渉と接触を最小限に留めるようにしてきた。

 そうすることで、戦いの規模を必要最低限に抑え、異なる種族との諍いを極力なくし、小さな――それこそ、自分の世界の中で個人の単位で戦うようにしてきたのだ


「相容れないからこそ自分とは違う他人を知り、相手の信念を否定することで相手の心を受け止めるというのなら、分かり合い、手に手を取り合うことで共に生きていくことを選ぶこともできるはずです」

 まるで自分を試すように問いかけてくる反逆神(神敵)の視線をまっすぐに受け止めながら、愛梨は祈りにも似た自分のささやかなで傲慢な願いを噛みしめるように静かに言葉を紡いでいく

「これは私の我儘で、理想論で夢物語でしかないのかもしれません。ですが、だからこそ……だからこそ私は、私自身の願いを諦めたくないのです」



 少なくとも集団、あるいは種族として価値観や信念、存在意義の相違から理解し合えないことを理解しているが故に、必要以上に相手に干渉しないことで互いの存在の尊厳を守る

 それは、戦うことを宿命づけられた生命が、異なる生命と共存していくためには必要なこと――しかし、その決して間違ってはいないことを愛梨は変えたいと願っていた


「言いたいことはわからないでもない。だが、お前が言うほど簡単に人の心は纏まらない。不干渉を貫いていれば戦わずに済んだ者が、干渉し合うことで命を落とすこともある――お前には、その覚悟があるか?」

 静かだが、狂おしいほどの優しい心が伝わってくる愛梨の言葉を聞いた反逆神(アークエネミー)は、自分に注がれるその純粋無垢な瞳を見据えると、その奥にかすかにくすぶっている小さな不安を抉るようにその言葉を贈る


 愛梨の理想を実現するためには、これまで最低限の干渉しかしてこなかった世界、あるいは光と闇を最大級に干渉させる必要があるのは言うまでもない

 しかし、確かに個人として友好関係を築けないことはないが、光と闇の存在はその主観と価値観の違いから相容れない存在であるという事実そのものは変わらない

 それを強く結びつけようとすれば、大きな軋轢が生じるのは想像に難くない。そうなれば、不干渉を貫いていれば起きなかったはずの諍いや争いが起き、死ななくてもよかったはずの命が失われてしまうことは避けられない

 何しろ、不干渉を貫くことにも「無用な戦いを避ける」という意味があるのだ。それを否定し、あえて自分から火種を生み出す以上、その理想の結果生み出される犠牲を除外して考えることは不可能だろう


「……はい」

 そんな反逆神(アークエネミー)の言葉の意味を正しく理解している――というよりも、それをずっと考え続けてきたことが分かる痛みに満ちた優しく強い目で、愛梨は静かに応じる


 干渉しなければ死なない命があることは事実。だが、干渉しなければ、いつかどこかで誰かが命を落とすこともまた必然

 だが、「未来のために犠牲が生まれるのは仕方がない」などとは愛梨は考えない。なぜなら、それでは愛梨が変えたいと願っている九世界(今の世界)と何も変わらない


「ずっと考えてきました。私の願いの所為で誰かを傷つけてしまうかもしれないと。私の我儘のために、私に力を貸してくださる方々に、そして私を否定する皆さんにどれほどの痛みを強いることになってしまうのか、と」

 その痛みを思い描く愛梨は、自身の手で自分自身を抱きしめるように身を震わせる愛梨は、唇を引き結んで反逆神を見据える

「正直に言えば、今でも答えは見つけられません。関わり合うことで失ってしまうものがあるからといってで関わらずにいても、いつかどこかで失われしまうものがあります

 何かを変えようと行動した結果何かを失ってしまうとしても、何も行動しなくても何かを失ってしまのです」

 何も変えなければなくなることのない犠牲と、何かを変えようとすることで生まれる犠牲――それを噛みしめる愛梨は、ままならない現実を前に痛みに彩られた面差しで反逆神に語りかける

 その表情には、本心ではどちらも受け入れたくない愛梨の想いが如実に表れており、答えのない答えの前に愛梨自身が迷っていることを窺わせるに十分なものだった


 もしも、十世界が将来的にその理念である「争いのない恒久的な平和」を獲得できるからと言って、そこに至るまでに出るであろう犠牲を「仕方がない」などという言葉で切り捨てることを愛梨は良しとしない

 誰をも犠牲にせずにその願いを実現することこそが愛梨の願いであり、そして意識してはいなくともそれを通すことになれば、「自分の大切なものを守るために、相手の大切なものを否定する」今の世界と変わらなくなってしまう


「ですが、だからこそ私は、諦めたくないのです」

 分かっているのかいないのか、世界の在り方を変えようと願っていることが見て取れる愛梨の言葉に、反逆神はまるでその心を見定めようとするかのように静かに視線を送り続けていた

「戦うのは仕方がない。そんな言葉で分かり合えないことを分かり合って、分かった気になって戦わないことを諦めたくありません

 私は、百の理屈を並べてできないと諦める理由にするより、その願いを叶えるたった一つの道を探す生き方をしたいんです」

 なにか手だてがあるわけではない。あるのはただの傲慢ともいえる願いだけ。具体的な道筋もなく、ただ頑なに理想を掲げることしかできない自分を分かっていながら、それでも愛梨は己の願いを祈るように口にする

「何の手段もなくただそんな綺麗ごとを言われても、世界の連中は迷惑なだけだな。

 多少歪なところはあるが、それなりにうまくいっている今の世界を変える理由には足りない」

 しかし、そんな愛梨の願いを聞いた反逆神(アークエネミー)は、実体の伴わない理想論と一笑に伏して鼻を鳴らす

「私が変えたいのは、世界という形でも仕組みでもありません。世界の中に生きる、世界そのものである人々の心です」

 反逆神(アークエネミー)の言葉に、自身の胸に手を当てた愛梨は、静かな声で祈るように答える

「それは侵略だ。人の価値観を否定し、人の心を自分の思うままに変えようとする悪意(・・)でしかない」

 だが、その祈るような言葉が反逆神(アークエネミー)の心を揺らすことはない。むしろ、ただ嘲りの言葉が返されるばかりでしかなかった

「たとえ、お前が大切に思っている者が殺されても、その怒りや憎しみを殺し、自分の大切な者を奪った者と仲良く手を握れるのか?

 誰かの大切なものを守るために自分の大切なものを対価として差し出せる奴などそうはいない――いや、むしろそんなことができる奴がいたとすれば、それは唾棄すべき悪意だ」

 愛梨の言葉を、神敵と呼ばれ世界から忌み嫌われる自身と重ね合わせた反逆神(アークエネミー)は、皮肉混じりに言い放つ


「お前は、神敵()と同じだ」


 愛梨の――十世界の願いを実現させるためには、世界にいる全ての者が自分にとって許せない者を許す必要がある

 今日まで紡がれてきた歴史の中、あるいは自身の人生の中で築かれ、個人、国家、世界単位で培われてきた犠牲による憎悪、愛による戦いの全てを許しながら否定し、白紙に戻さなければならない

 だが、愛するものを奪ったものを許すことがいかに難しいかなど、考えるまでもない。想い深ければその痛みは強く、たとえ意味がないとしても、その心を止めることなどできない

 仮に世界をそう変えることができたとしても、そう生きられない者が遠くない未来に犠牲を生み出し、しかしそれさえも許していかねばならなくなる。愛あるがゆえのそんな心の連鎖を止めることは、あるべき心を否定するものでしかない


「それは悪いことですか?」

「……なに?」

 しかし、挑発するように神敵(自分)と同じだと愛梨を嘲った反逆神は、怪訝そうに小首を傾げながら発せられたその言葉には、さすがに目を丸くしてしまう

「あなたは悪意がこの世界に必要ないものだと思っていらっしゃるのですか?」

 まるで自分と同じであることが許されざることであるかのように語る反逆神にそう言って微笑みかけた愛梨は、自分の気持ちを差し伸べるようにそっと手を伸ばす

「そんなことはありません――だって、神敵と呼ばれるあなたもまた神から生まれた存在(・・・・・・・・・)であるはずです」

「――!」

 事実、神敵たる反逆神の悪意は、この世界にとって望まれざるものであることは間違いない。にも関わらず、さも当然のように言う愛梨に虚を衝かれた反逆神(アークエネミー)は、ただ自分に微笑みかけてくるその姿を、呆けたように見つめていた

「不思議だと思いませんか? 神から生まれたはずのあなたが、神に背き、神に仇なす存在だなんて――まして、この世界に必要がないものだなんて」


 神敵とよばれ、世界から忌み嫌われるこの世界に在るべきではない悪意たる「反逆神」もまた、他の異端神と同じように創造神と破壊神(絶対神)の戦いによって生まれた存在であることは間違いない

 そして、異端神が司るものもまた神の中にある力の形。「太極」も「夢」も「戦」も全て等しく世界に存在するものであるのだから、悪意だけが例外であるはずがない


「私、思うんです。神様は、きっと自分の言いなりになる存在が欲しかったのではないと」

 反逆神を見つめ、慈しむように優しく目元を綻ばせた愛梨は、優しく手を差し伸べながら静かな声音で言葉を紡いでいく

「この世界に死があり、不幸があり、絶望があるように、この世に在らざるべき悪意もまた、あるべきものなのではないかと思います」


 神は絶対神のユニット。そして全霊命(ファースト)は神のユニット。ならば、そうして生まれた反逆神もまた、神の中にある力であり、そして世界に在るべきものであるはず

 創造神と破壊神(絶対神)は、この世界に生まれた全てのものに、自分達が作り上げた世界の中で時にその理に逆らって生きることさえも望んだのかもしれない


「だって、必要のないことが必要ないとは限りませんし、意味のないものに意味がないとは言えないでしょう? そこに意味や価値を見出すことこそ、私達がするべきことなのではないかと思います」

 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、穢れのない澄んだ瞳で微笑む愛梨を見てわずかにその目を細めた反逆神は、その言葉と共に向けられる心に耳を傾ける


 確かに反逆神が司る悪意は神への叛逆の意志であり、この世に存在する全てを否定するものであることは疑いようがない

 だが、望まれないものが必要ではないのかと言われればそうではないはずだ。死があるからこそ生があり、罪があるからこそ正義がある。ならば、悪意があるからこそ知ることができるものも確かにある


「ですが、私にはどうしたらそれができるのかが分かりません。だから、私に悪意を示してくださいませんか?」

 そうやって語りかけた愛梨は、一拍の間を置いてからその目で真っ直ぐに反逆神を見つめながら語りかける

「間違っているものを排除すれば、正しい道を歩けるのではありません。悪意を受け入れるからこそ、歩ける道もあるはずです

 確かにあなたが言うように、自分の大切な者を奪った人達と仲良くすることなんてできないのかもしれません……でも、私はそんな想いとも戦いたいのです」

 一寸先も見えない闇の中で希望を探すように、進むべき道を見いだせない中、愛梨はそれでも諦めることができない想いを言葉に変えて語りかける


 反逆神(アークエネミー)が言うように、大切なものを失い続けた過去が、大切なものを想う心がこの世界に生きるすべての命に戦うことを強いる

 失った痛みに苦しむ人にそれを許せと言うのがどれほど残酷なことなのかは言うまでもない。

 だが、それをなくすための努力と向き合わない限り、争いのない世界を実現することなどできないのだ


「ですから、私に教えてください。全ての人が自分の大切なものを愛するように、自分ではない誰かの大切なものを慈しみ、愛することができる悪意(・・)を――いえ、〝すべての人が、すべての人を愛することができる(方法)〟を」

 全ての人の心に住む愛ゆえの痛みを殺す罪に胸を痛めながら、悲痛に全ての人の幸福を願う愛梨は、神の理を否定する存在たる反逆神(アークエネミー)に今にも泣き出してしまいそうな笑みを優しい笑みを向ける

「もしもそれが悪意だというのなら、私はそれを本当の愛に変えるために戦います――たとえ、それが絶対神様達であろうとも」

 世界の愛が戦いを強い、犠牲を生みだすことを摂理と強いるのならば、それとさえ戦う決意を宿した愛梨の面差しに、反逆神(アークエネミー)が不敵な笑みを刻む

「……そんなことを安易に言っていいのか? 俺は敵対の神だ。仮にお前の理想が世界を制したとき、お前たちの敵になるかもしれないぞ」

 まるで鏡のようにその澄んだ水面のような瞳に自分を映している愛梨を見る反逆神(アークエネミー)は、神の敵と言われる自分に好んで手を差し伸べ助言さえも求めるその愚直さに、嘲笑を噛み殺す


 叛逆と敵対の神である反逆神(アークエネミー)は、この世の全てと敵対し、そしてその最上位である神の敵として存在している

 もしも仮に世界が十世界の理念によって統一されれば、反逆神(アークエネミー)が新たな世界の摂理となった恒久的平和に対する敵対を行うことは十分に考えられることだった


「大丈夫です」


 しかし、そんな反逆神(アークエネミー)の言葉に即座に答えた愛梨は、自身の胸にそっと手を添えて噛みしめるように言葉を紡ぐ


「だって、それまでに、あなたと私はかけがえのない友人になっているのですから」


「……!」

 大輪の花のような可憐で純真な笑みを返された愛梨の言葉に反逆神(アークエネミー)は、小さく目を瞠る

 何の疑念も不安も打算もない本心から発せられた愛梨の言葉に応じるように一陣の風が吹き、一面を埋め尽くす花の花弁を空へを舞い上げる

「ですから、私と一緒に来てください。あなたの悪意を私は信じています」



                ※



「――なんでお前は、十世界に協力してるんだ? 十世界の理念が神に仇なすことになるからか?」

 悪意の威圧の中、自身を叱咤して立つ大貴のたった一つの質問の言葉に、反逆神(アークエネミー)はかつて愛梨と出会い十世界に入ったその日を思い返していた


「エ、光魔神(エンドレス)……」

 反逆神(アークエネミー)光魔神(大貴)が向かい合い、視線と言葉を交わすのを見て、全身から血炎を立ち昇らせた夢想神(レヴェリー)は地面に横たえた身体を起こす

 その知覚の端には、悪意が形を変えた無数の剣によって金色の鎧ごと本体である宝玉を貫かれ、沈黙している自然神(ユニバース)が捉えられていた



「――面白いからだ」


 神敵たる自身を前にした光魔神(大貴)からの最後の質問に、予想せず昔のことを思い出した反逆神(アークエネミー)は、その時のことを脳裏に抱きながら口端を吊り上げる

「……!」

 そう言って、大貴の正面に掲げていた手を下げた反逆神(アークエネミー)がその身を翻らせると、その動きに合わせて血色の衣が踊る

「お前は姫のようにはなるなよ」

 未だ未覚醒とはいえ、自身と同格の力を持つ光魔神たる大貴に背を向けた反逆神(アークエネミー)は、背中越しにそう声をかけるとゆっくりと上空へと舞い上がっていく

「そんな顔をするな。俺の敵になりえる奴をみすみす減らそうとも思わないだけだ」

 「なぜ自分を生かしておくのか?」――そんな疑問がありありと浮かんでいることを容易に感じさせる大貴の左右非対称色の瞳の視線を背中で感じる反逆神(アークエネミー)は、わずかに肩を竦めてそれに答える


 反逆神は敵対の神。その存在のためには敵対する相手が必要不可欠であるからこそ、敵を作ることはあっても不用意にそれを減らすことはない。神の敵であるために勝者になることはできず、常に悪意を以って弱く在り続ける

 勝利はなく、ただ敵意だけをまき散らす反逆神(アークエネミー)は、いずれ自身を脅かすかもしれないと分かっていても尚、光魔神(大貴)を手にかけることはしない


「……ふう」

 最後にそう言い残し、時空の門を開いてその中へと反逆神が姿を消すのを見送った大貴は、この空間を満たしていた悪意が弱まると、大きく息を吐き出す

「生きた心地がしなかったわ」

「ご無事で何よりです」

 同様に安堵の息をつくアリアと、自分の気遣ってくれる妖精界王(アスティナ)の言葉を聞く大貴は、反逆神(アークエネミー)が姿を消した空間の空へと視線を向けながら、その言葉を思い返していた


 ――お前は姫のようにはなるなよ


 ただ単に、敵として自分を据え続けていたいだけなのか、あるいは別の意図があるのかは分からないその言葉が、大貴の脳裏で反響を続けていた



                ※



「だって、反逆神(アークエネミー)さんは、私達の大切な仲間なのですから」


 自身に進言するニルベスに穏やかに応じた愛梨の声には、神敵と呼ばれている反逆神(アークエネミー)に対して、他の誰とも違わない信頼の響きが宿っていた





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