ゆりかごの真実
「反逆神・アークエネミー」――最強の異端神「円卓の神座」の№2。そして光魔神と共に他の円卓を凌ぐ最強の円卓の一柱でもある
その存在は、この世における絶対の敵対者たる「神敵」。それは、異なる信念や正義の違いから生まれる「敵」ではなく、この世界にあるすべてを否定するものを意味しており、この世に存在しながらこの世に存在しえない概念を司る異端神。
すなわち「反逆神・アークエネミー」とは、善悪光闇生死森羅万象の全てにしてこの世界の全てである光魔神とは対極に位置する神なのだ
「反逆神、こいつが……っ」
自身の名を名乗った反逆神の漆黒の視線を射抜く大貴は、自身の内側から湧き上がる衝動にその身を震わせる
(俺を殺した神……!)
反逆神は、かつて光魔神・エンドレスを殺し、その力を封じていた存在――大貴にとっては、自分自身の仇ともいえる存在。
大貴にとって、前の光魔神のことなど知る由もない。仇を討とうとも思っていないし、まして憎しみがあるわけでもない。かといって、反逆神がそんなことをしなければ、自分が今こんな運命に巻き込まれたなどというつもりもない
それでもなお、反逆神を前にした自分は、何かに駆り立てられるようにその存在を自身の全てを以って否定したいという衝動に駆られてしまう――しかし、それこそが反逆神が神敵と言われる存在であることの証明なのかもしれなかった
「――……ッ」
知覚から伝わってくるその神能――「反逆」は、当然のことながら以前相対した弱さを振り翳すものとは桁外れに強大にして凶悪。
圧倒的な力から来る恐怖以上に、表現のしようがないほどの悍ましさと嫌悪感を掻き立てられるその力は、まるで自身の存在そのものが反逆神の存在を魂源から拒絶しているようにしか思え無い
声を発することさえままならないほどに敵視し、嫌悪しながらも己を否定してくる大貴の視線を受けた反逆神は、その口端をわずかに吊り上げて小さく嗤う
「クク、その目ができるなら十分だ。安心したよ光魔神。ゆりかごの世界にいたというから、悪意に毒されていないか気がかりだったが、一端の存在ではあるようだな」
周囲のそれはもちろんのこと、視線を交錯させている大貴から向けられる敵意の視線を意に介さず――否、むしろ歓迎しているような口調で神の敵対者たる唯一の存在は不敵な笑みを浮かべる
「……!?」
大貴にとっては初対面だが、反逆神は以前の光魔神とは知己の関係にある。そのかつての光魔神の姿と今の大貴を意識の中で重ね合わせて比較し、懐かしい初対面に心躍らせる反逆神はまるで嘲るような笑みを浮かべて親しげに言葉を重ねていく
そうして他愛ない世間話のように言葉を続ける反逆神を前に、その周囲にいる者達は誰一人として動くことができずにいた
神魔やクロスをはじめとする大貴の同行者たちはもちろん、アイリスをはじめとする妖精界の四種族の精霊達も、咄嗟に神器を発動させて神に等しい力を得た妖精界王も、夢の神の神片となったアリアも、果ては仲間であるはずの十世界の者達でさえ、反逆神・アークエネミーという存在の前には、指一本動かすことさえ躊躇うほどにその身を竦ませてしまっていた
「――そんな驚いた顔をするなよ。周りの奴らは教えてくれなかったか? ゆりかごの意味を」
この場にいる自分以外が抱く自分という悪意への根源的な拒絶の意志には目もくれず、反逆神は、自分の言葉に困惑の色を浮かべている大貴に舐めるような視線と憐れみにも似た嘲笑の言葉を向ける
(ゆりかごの、意味……?)
「――!」
取り立てて特徴が強いわけでもなく、感情を逆撫でするような語調で発せられたわけでもない。ただ淡々と紡がれる普通の会話であるにも関わらず、なぜか嫌悪感を掻き立てられずにはいられない反逆神の声を呼び水として、大貴の記憶が呼び起されていく
《ゆりかごは、何から生まれた?》
《お前は知っているのか? ゆりかごの世界が、なぜ『ゆりかご』と呼ばれているのか》
自分が最初に殺めた人物である「臥角」、そして天界であった四聖天使の一人「ファグエム」が発した言葉が大貴の中で再度響く
ゆりかごの世界は、人間界の人間達の戦争の中で生まれた仮初の世界。九世界と呼ばれるこの真の世界とは構造の異なる、世界に似た世界――それだけではない。
「どういう、意味だ……?」
かつて、人間界で聞いた話で知ったその事実を思い返しながら、自身の考えがその本質を捉えていなかったことに気付かされた大貴は、恐怖と嫌悪のあまり声を出すことさえも拒んでいる喉を叱咤して剣呑な声で問いかける
「おおよそ予想がついているのだろう? そのままの意味だ」
そんな大貴の反応を見た反逆神は、その声に宿るのが自分に対する恐怖ばかりではなく、真実を知ることに対する躊躇いであることを見抜いて口端を吊り上げる
「弱さを振り翳すものに会ったんだろう? なら、もう理解しているはずだ。お前がゆりかごにいたのなら、奴を――我が眷属たる悪意をその目で見たことがあるはずなのだからな」
悪に満ちた笑みを浮かべながら、声はあくまでも平静に――恐らくすでに真実に到達しつつある大貴に対して反逆神は、わざとらしく遠まわしに問いかける
大貴が人間界で会った悪意の神片「セウ・イーク」――彼女は「弱さを振り翳すもの」。つまり、弱さの悪意を司る存在。弱さを強さへと転換する簒奪者の能力はその悪意を最も端的に顕現させたものといえた
そして弱さの悪意と――否、反逆神の眷属の誰かと会ったことがあるということは、その存在を通してすでに真実へのきっかけを掴んでいるということだ
(セウ・イーク――「弱さを振り翳すもの」……弱さを振り翳す)
《「弱いから無償で助けられて当然だ」なんて、自分達に都合よく解釈するな》
「――……!」
反逆神の言葉に、セウ・イークという名の悪意を振りまくもの神片の存在を思い起こしていた大貴の脳裏に、かつて神魔に向けられた言葉が甦って来る
《弱さを傘にきて誰かの力を――まして命を賭けさせる事を、さも「当然だ」みたいに言わないでよ。強者の命も、心も、力も、弱者のモノじゃないんだから》
《君達がやってるのは、自分たちが貧しいからって、金持ちの財産を当然のように手に入れようとする、ひどく身勝手で浅ましい行為だよ》
それは、神魔と初めて会った時に詩織に向けて放たれた言葉の数々。今の今まで、そんなことがあったという懐かしい記憶程度のそれでしかなかったものが、反逆神の言葉によって大貴の記憶の中から次々に掘り起こされていく
そう当時、まだ光魔神の力に覚醒していない、普通のゆりかごの人間でしかなかった大貴にとって、その言葉は強く心に響くようなものではなかった。しかし、光魔神として覚醒した今ならば、その意味を正しく理解し共感することができた
そうして積み上げられたその言葉と共に「弱さを振り翳すもの」という名が重なり、大貴を一つの結論――ゆりかごの真実へと導く
「まさ、か……!」
信じ難い答えに目を瞠り、困惑と動揺に瞳を震わせる大貴を見た反逆神は、不敵な笑みを浮かべ、その推論を確信へと変える言葉を発する
「そうだ。ゆりかごの世界に生きるすべての存在は、この俺――〝反逆神〟の眷属だ」
「――……ッ!!!」
悪意の祝福を以って、絶望の真実を告げた反逆神の言葉に、大貴と詩織が目を瞠り、その身をおこりのように震わせる
その震えが絶望によるものだったのかは分からない。しかし、自分達が住んでいた地球――「ゆりかごの世界」がこの世で唯一絶対なる神の敵対者「反逆神・アークエネミー」の眷属であることを知らされた大貴と詩織は、ただただあふれ出す感情にその身を震わせていた
「ゆりかごの世界とは、我が力に列なる眷属『悪意を振りまくものの王、『マリシウス・マリシオン』が復活のために眠るゆりかご。
ゆりかごの世界と呼ばれる世界に属するすべての存在が生み出す悪意が悪意の王の糧となり、悪意の王を育んでいく――故に、ゆりかごの世界」
そして、ゆりかごの世界が九世界から忌み嫌われる悪意の世界であることを理解した大貴の絶望を煽るように反逆神はどこか嬉々とした様子で言葉を続けていく
反逆神・アークエネミーに列なるユニット「悪意を振りまくもの」の王「マリシウス・マリシオン」は、遥か古、とある戦いによって滅ぼされてしまった
それを復活させるための苗どころとして目をつけられたのが、その頃生まれたゆりかごの世界の原型となる空間だった。
反逆神は、その空間そのものに悪意の王を融合させ、そこに生まれる命をその眷属と変え、その悪意を悪意の王へと還元させる仕組みを作り出した。そうして生まれたのが今のゆりかごの世界であり、そしてそこに生まれるすべての存在はすべからく悪意の眷属――「神の敵」となる
欠片、神片と呼ばれる神の力の欠片ともいえる存在は、その存在の根幹を主の神としての神格の中に持っているため、仮に滅んでもその神がいる限り何度でもその名と力を以って何度でも甦ることができる
当然、悪意の王も反逆神が存在する限り、すぐにというわけにはいかないが、何度でも復活することが可能だった。しかし反逆神はあえてそれをせず、「ゆりかごの世界」というものを作り出すことで復活を測った
その理由は至極簡単。反逆神が神の敵であり、悪意の神であるから――すなわち、九世界への単なる敵対行為……無粋な言い回しをすれば、嫌がらせのためだ
「――……!」
反逆神の言葉をマリアの結界の中から聞く詩織は、その残酷なまでの真実に打ちのめされ、その身を震わせる
しかし、その真実を知った今思い返してみれば、ゆりかごに属する存在が神の敵に所属するものであるという事実は、詩織の目の前に提示されていた。
人間界に滞在していた際、神眼を奪取しようと試みていた十世界に所属する人間「ガウル・トリステーゼ」と城内で偶然鉢合わせてしまった時のこと
ガウルは本来人間界城内にいるはずがないゆりかごの人間である詩織を見て訝しみながらも、今まさにこれから忍び込もうとしていた宝物庫へ同行させた
普通に考えればそんなことはあり得ない。しかし、それが理由だったのならば合点がいく――そう。ガウルは詩織を、十世界に所属し、その時協力関係にあった悪意「弱さを振り翳すもの」が連れてきた存在だと誤認していたのだ
(ゆりかごの世界が、神の敵の世界!? じゃあ、私たちは……私は……っ)
しかし、そんなことなど今の詩織にとっては脳裏によぎることもない些末なことに過ぎない。自身が悪意の眷属であることを知らされた詩織の絶望の全てを占めるのは、想いを寄せる相手――神魔とのことだけだった
反逆神は、この世における絶対の「神敵」。つまり、悪意とは天使であれ、悪魔であれ、この世界に住むすべての存在に敵対し、嫌悪される存在でしかない
ならば、それは想い人が自分に抱く感情にも直結してくる。ゆりかごの人間が悪意の欠片であるならば、九世界の存在である神魔達にとって、自分は受け入れがたいものなのだということになってしまう
ただでさえ、ゆりかごの人間と悪魔――全霊命と半霊命という存在の違いに苦しんでいるというのに、自分が|世界から望まれない存在《神敵の眷属》だとなれば、この想いが届くことなど絶望的と言わざるを得ないではないか
《優しさもその使い方を間違えれば、人を傷つける暴力になる――残酷なものね》
反逆神から告げられた事実に絶望する詩織の脳裏に甦って来るのは、先日夢の中で会った夢想神の言葉。
ゆりかごの人間が神敵の眷属であることは自分と大貴以外の全員が知っていた。これまで会った全霊命達も、ヒナをはじめとする人間界の人間達も。思い返せば、思い至る発言や態度はいくらでもあった
《ここで私があなたに真実を教えるのは簡単なこと。けれど、あなたは自分の目で見た方がいいわ――あなたが信じた者達の許しがたい裏切りを》
まるで、今この瞬間を見通しいたような夢想神の少々が詩織の脳裏に響く。今まで誰も、ゆりかごが悪意教えてはくれなかった。普通に自分と接し、自分を受け入れてくれていながら誰もそれを口にすることはなかったのだ。神魔も、クロスも、マリアも、瑞希も――そして、桜も。
《わたくしは、神魔様の幸福を心から望んでおります。ですから、神魔様が望まれるのであればあなたを二人目の伴侶として迎え入れる事に抵抗はございません》
(――違う。神魔さんはそんなこと望まないことを知ってたんだ)
思い返されるのは、かつて神魔への思いを断ち切ることができずに苦悩していた自分に、桜が告げた言葉。
神魔達が真実を隠していたのは、自分達を思いやってのことだったのかもしれない。しかし、ならばそんな残酷な言葉をかけてほしくはなかった。もしかしたらこの想いが届くかもしれないなどという夢を見させないでほしかった
真実を知った今の詩織にとって、桜の言葉は神の敵たる悪意の身で、神に列なる全霊命に想いを寄せた自分のことを蔑憐するものにしか聞こえない
「本当……なんですか?」
思わず口をついて出た言葉は、詩織自身でさえ驚くほど冷静で冷たいものだった。自分の内に生じているこの気持ちが怒りなのか恨みなのか、あるいは絶望なのか詩織自身にさえ分からない
しかし、心のどこかで縋るように――その言葉が嘘であることを願うように、詩織は結界を展開しているマリアへと問いかけていた
「……はい」
その声に一瞬の間を置いて返されたマリアの静かな肯定の声は、詩織にとっては自分の想いを支えていた細い糸を断ち切る刃にも似ていた
《あなたから神魔様に気持ちを伝えないでください》
(だから、桜さんは……私が反逆神の眷属だから、神魔さんから遠ざけるために、あんなことを……!)
桜は神魔をなによりも大切に想っている。だからこそ、世界の中で禁忌とされている全霊命と半霊命の交わりを否定しながら、それでも神魔の気持ちを汲む手段を取った
ただでさえ、禁忌とされ望まれるべくもない想い。それに加えて自分が神敵である悪意の眷属だというのならば、桜が愛する神魔のために自分を遠ざけようとするのも当然だろう
《あなたには、皮肉に聞こえるかもしれません。ですが、可能性は低くないと思っているからこそ、わたくしは、こうしてここに来ております》
(そんなこと、あるはずない。桜さんみたいな素敵な人がいて、神魔さんが私なんかに振り向いてくれるはずないじゃない……!)
分かっていた。知っていた。容姿も性格も、桜がどれほど素晴らしい女性で、そして神魔とどれほど愛し合っているのかを
それでも諦めきれない思いに縋るように神魔を想ってきた詩織の心は、絶望に暗く閉ざされ、その儚くとも尊い想いを手ば誘うとしていた
《――ですが、同じ殿方を愛した者同士だからこそ、この世界であなたの気持ちを一番理解できるのもわたくしなんですよ》
(違う……私の気持ちなんて、あなたに分かるはずない――!)
どれほど想っても届くことのない想いに打ちひしがれる詩織の中で、反逆神に告げられた事実が、心の中で昏く渦を巻いて抑えきれない思いをその目から流れる雫として溢れさせる
「――……」
そんな詩織の嗚咽を背中で聞きながら沈痛な面持ちで柳眉をひそめたマリアの瞳には、その事実を隠してたことへの贖罪と、自身もまた禁忌の存在であるが故に分かる同情の念が等しく混在していた
「――かつて、人間界の人間どもを筆頭に、九世界の半霊命達はゆりかごに満ちる悪意を防ごうとその世界の生命体に接触を図った。だが、結果としてそれが不可能であることを理解したのだ」
「!」
マリアの結界の中でゆりかごの真実を前にその意思を屈する詩織を尻目に、大貴と視線を交わす反逆神は、どこか芝居がかった動きと語り口調でさらに残酷な事実を続けていく
《はるか昔、人間界はゆりかごの世界と交流を持とうとしたらしいですよ? でも何故かそれをやめてゆりかごを九世界非干渉地域にしたんです。
これは余談ですが、ゆりかごの世界に中途半端にある悪魔とかに関する知識はそのときの名残でしょうね》し
反逆神の言葉と共に、以前神魔が言っていた言葉が大貴の脳裏をよぎり、その言葉に隠された事実がゆりかごの真実と一つになることでその意味を明らかにしていく
神魔達は知っていたのだ。なぜ現代に情報を残すほどにゆりかごの世界へと干渉していた人間界が、突如それををやめたのか。
しかし、その理由を説明するためにはゆりかごの存在が神敵――この世界にとって最も忌まわしい存在であることを告げなければならない。そしてだからこそゆりかごの世界は九世界非干渉世界となっているのだ
「悪意の王の復活を阻むために、ゆりかごの生命から悪意を除去しようとした人間どもの試みは、その内側に巣食う悪意によって挫かれた
奴らは気づいたのだ。どれほど自分達が力と心を砕こうと、ゆりかごの存在はその悪意を消すことができないのだと」
大貴がその事実に気付いていることに気づきながらも、反逆神はその事実を饒舌に語りかける。それは、まるで自身の眷属であるゆりかごの存在が世界に拒まれていることを歓迎し、嘲笑っているかのようだった
かつて人間界をはじめとする半霊命達は、悪意の苗床とされてしまったゆりかごの存在を悪意の呪縛から解放するためにその世界に干渉し、世界と向き合う心を伝えようとした
しかし、長い年月を無数にあるゆりかごの世界の多種多様な人間達と過ごし、研究を重ねた彼らは確信してしまった。「ゆりかごの存在の根底に根付く悪意は消し去ることはできない」と。
このまま干渉を続ければ、増大し暴走したゆりかごの人間達の悪意が九世界にまで牙を剥き、世界を汚染してしまう――そう判断したからこそ、世界はゆりかごの世界への干渉を中止し、以降その世界への接触と干渉を固く禁じたのだ
「わかるだろう? ゆりかごの世界は九世界から見限られたんだよ」
こみあげる嗤いを噛み殺し、黒革のベルトから除く口端を吊り上げて呪詛にも似た悪意を曝け出す反逆神は、その事実を理解して衝撃を受けながらも、そして光魔神として覚醒したがゆえにそれを正しく受け入れてしまっている大貴を睥睨する
「その力に目覚めてから、自分の変化に戸惑わなかったか? 例えば、戦うことが自然にできるようになったり、今までの自分が自分ではないようにさえ思ったり」
「――ッ!」
《もう、人間じゃなくなっちまったのか……?》
《この姿に戻るのも久しぶりだな》
その言葉に、大貴の脳裏に光魔神として覚醒してから今日まで何度か抱いてきた恐れが、呼び起されてて残響する
初めて光魔神として覚醒した時、人の形をした相手と殺意を以って切り結ぶことができなかった自分は、いつの間にかそれができるようになり、戦いの果てに命を奪うことを自然に受け入れることができるようになっていた
ごく自然に現れる思考は、徐々にゆりかごの世界に生まれ育った「界道大貴」という人間のものではなく「光魔神・エンドレス」としての考えが主体となってきていた
「心当たりがあるようだな」
気付かないうちに思考を蝕まれているような恐怖と、自分が当然のように変わっていることに気付かなかった戦慄――それらがありありと浮かんでいる大貴の表情を見て、反逆神は口端を吊り上げて嗤う
「安心しろ。それは異常ではない。ゆりかごの世界に満ちる悪意――「ゆりかごの毒」が消え、ただ正常に戻っただけだ」
「っ!!」
悪意のまほろばから解き放たれつつあることに気付かされ、困惑を露にする大貴は反逆神の言葉に、見開いて言葉を失う
ゆりかごの存在が神敵ならば、歪んでいたのはゆりかごの世界の方。地球に暮らしていた時には当たり前だと思っていたそのすべての主観は世界を呪う神への叛意でしかない
光魔神として覚醒することで、大貴は「ゆりかごの毒」――世界を害する神敵の悪意から解放され、正しい感覚を取り戻していただけなのだ
「ゆりかごの女。全霊命と過ごしていて、思ったことはなかったか? 『そんな風には思えない』と。言っていることは理解できるが、そんな風には割り切れないと」
「――……!」
その時、結界の中で絶望に打ちひしがれていた詩織は、おもむろにかけられた反逆神の言葉に、目を見開く
これまで神魔やクロスをはじめとした九世界の者達と過ごしてきた詩織は、時折その強さが受け入れられないことがあった。「そんな風には割り切れない」、「そんな風には思えない」――その想いが反逆神の言葉によって心の中から掘り起こされる
「違う。狂っているのはお前達の方だ」
悍ましいほどに狂い、呑み込まれてしまうほどに恐ろしいというのになぜか目を離すことができない。詩織はゆりかごの――否、自身の神である反逆神の言葉の前にその身を打ち震わせていた
「ゆりかごの存在は、すべて例外なく我が悪意の眷属、神の敵。つまり、お前達が抱く愛情も。友情も。正義も。そしてお前たちの存在も。それらはすべて――」
顔を隠すベルトからのぞく右目――金色の瞳を抱く黒い眼に見据えられた詩織の中に、神魔への恋心、今日まで過ごしてきた人たちとの日々が走馬灯のように甦り――
「それに似た悪意でしかない」
そして無惨に打ち砕かれる。
ゆりかごの存在が神敵であるのならば、その存在が抱く全てはことごとく世界のそれとは相反している。愛を持ちながらそれは歪つで、その心は都合よく世界を愛し、自分以外の全てを否定する
神を、人を世界を愛していると言いながら、それを平然と踏みにじる。世界を呪う神の敵たる悪意の眷属は、その存在の全てが世界に叛するものだ
「疑問に思わなかったか? なぜゆりかごの存在がこれほどまでに弱いのか。――簡単な話だ。弱さこそが悪意を増長させる原動力だからだ」
悪意の愛を否定し、その存在を肯定する言葉に詩織が打ちひしがれる中、追い打ちをかけるように反逆神の言葉が響く
ゆりかごの人間は世界最弱の存在。他の世界に住む半霊命と比べても圧倒的なまでに弱い――力だけではなく、心も身体も。
その理由は至極簡単。力が弱く、心が弱いということは悪意を育てるのに適しているから。ゆりかごの世界はあくまで悪意の王の苗床。その復活のために悪意を注ぎ込んでもらう必要がある。故に、ゆりかごの存在はその神である反逆神によって最初から弱く作られているのだ
「理解したか、光魔神? ゆりかごの真実を。そして、今まで自分がどれほど、悪意に呪われていたのか」
(そういう、ことか……)
ゆりかごという悪意をしらしめ、嘲笑を噛み殺す反逆神の声を聞きながらも、それをどこか遠くに感じていた大貴は、静かに目を伏せる
光魔神に覚醒してしばらくの間、刃を交えた相手――紅蓮や臥角は自分を導くように戦っていた。その時はその理由がわからなかったが、今ならば、それが一刻も早く光魔神をゆりかごの毒「悪意」から解き放つためだったのだと分かる
神魔やクロス、最初から自分を守ってくれていた者達や十世界の者にさえ助けられ、今ここにこうしていられるのだと理解した大貴は、自然とその口元に笑みを浮かべていた
「――言いたいことはそれだけか?」
「……!」
そう言ってゆっくりと立ち上がった大貴の左右非対称色の目に宿る強い意志を見て取った反逆神は、それにその目をわずかに細める
「ゆりかごがお前の眷属だろうと関係ない。たとえそこが悪意に満ちた世界でも、あそこは俺の故郷だ!!
たとえ世界中の誰もが偽物だと言っても、俺にとっては全部が本物だ! 両親は親で、姉貴は姉貴なんだよ」
光魔神になったからといって、これまで地球の中で培ってきたものすべてが悪意になり、否定するものになるはずがない
両親に注がれた愛情、詩織との絆、友人や出会ってきた人たちとの思い出。それが仮に悪意であろうと、本当の意味でのそれではなかろうと、大貴にとっては一つ一つが偽りのない本物だ。
「自分が作ったものだからって、なんでも自分の思い通りになると思うなよ!!」
これまでの自分を形作っているゆりかごの世界での記憶を胸に噛みしめ、大貴は自分を睥睨する反逆神を真正面から睨み付けて力強く言い放つ
「……大貴」
自分達が住んでいた世界が世界から見捨てられ、そこにいる全ての者達が世界にとって忌み嫌われる存在であると知って尚、迷いなく言い放つ大貴の言葉に、詩織は唇を引き結ぶ
その瞳に映るのは、弱いことや望まれていないことを受け入れて求められることを望むことができる大貴への羨望の念。
光魔神になったからだけではきっとなく、立ち止まっている自分とは違って前に進もうとしているからこそ辿り着けたのであろうその言葉を聞いた詩織は、いつの間にか大きく感じられるようになっていた同い年の弟の姿から、その様子を沈黙と共に見守っている神魔へと視線を移す
「クク……」
その時、噛み殺したような笑い声が反逆神の口からこぼれる
「何がおかしい?」
その嗤い声を聞いた大貴がその語気に怒気を孕んで睨みつけると、顔を上げた反逆神はフードの中から除く顔に狂喜の笑みを浮かべる
「やっぱりお前は光魔神だ。世界の全てを肯定する我が怨敵――」
大貴自身、自分で言ったことがどれほど重要なことかは気付いていないだろう。しかし、直感的にであっても自身の存在理由を理解している光魔神の心を反逆神は狂おしいほどに歓迎していた
反逆神は、確かに「神の敵」であり、世界から忌み嫌われ否定されるべき存在。しかし、だからといって存在してはならないというものではない
定められた摂理に迎合することが正しいことではない。神叛とは愛あるがゆえに生まれる望まざる世界への些細な抵抗の意志
愛しい者が命を落とせば、生死の摂理を破ってでも生き返らせたいと願い、禁じられていると知っていても、許されない愛に身を焦がす――それはゆりかごの存在だから持つものではなく、全霊命といえども確かにその心に抱く弱さ
運命を呪い、現実を拒絶し、そして自身の願う世界を夢見る――そしてその中で正しくあろうと願う。弱さを強さとし、それに向かい合って自身の導へと変えることこそが神の敵の存在意義だ
誰に言われずとも、敵こそが自分の最も大切な思いと向き合うために必要な存在なのだと分かっている大貴の姿にかつての光魔神の姿を重ねた反逆神の身体から漆黒の力が溢れだす
「そして、世界に愛されている」
「!」
まるで触手のようにうねるそれは、闇よりも昏い黒。嫌悪感を掻き立てられる悍ましいそれは、反逆神の神能――反逆の力によって構築されたものだ
そして、その力を前にその場にいる全員が意識を最大まで研ぎ澄ませた瞬間、そこにいる誰一人として知覚も反応もできない神速で奔った悪意の触手は何もない空間を掴んで、そこに隠れていたものを引きずり出す
「――っ!!!」
悪意の触手に絡め取られ、引きずり出された黒髪の少女を金色の双眸に映した反逆神は、自身に向けられる敵意を歓迎するようにその口端を吊り上げる
「覗き視とは感心しないな夢想神」
「――!」
(あれが、夢想神……)
反逆神の言葉に、その悪意の触手に絡めとられた黒髪の少女――円卓の神座№8「夢想神・レヴェリー」を見た大貴は、新たな円卓の異端神に目を瞠る
(あの子……)
「やっぱり、見てたのか……!」
反逆神によって引きずり出された夢想神の姿に、面識がある二人――詩織と神魔はその姿にそれぞれ別の意志を宿して目を細める
「随分と乱暴ね……あなたこそ、光魔神をどうするつもり?」
自身を拘束する悪意の触手を一瞥した夢想神は、不敵な笑みを浮かべる反逆神へと視線を向けて冷ややかにその意図を問いかける
反逆神は、遥か古に先代の光魔神を殺している。大貴を真の光魔神として覚醒させることを目的としている夢想神にとって、今ここに現れた神敵たるその存在の動向は無視できないものだ
「さぁな? それを見極めるためにここに来た」
自身に注がれる夢想神の敵意と嫌悪に満ちた視線を歓迎するように口端を吊り上げた反逆神は、あえて曖昧な答えを返す
この世の全てを否定する敵対者であるがゆえにあえて敵対行動を取るその存在意義を知っていながら夢想神は看過できないその存在に冷たい視線を送る
「なるほど。なら、このまま退きなさい」
「――……断ったら?」
あどけない顔立ちとは裏腹に、円卓の神座に名を列ねる異端神としてふさわしい覇気を放つ夢想神に、反逆神はあえてその敵意を煽るように言う
「決まっているでしょう?」
挑発に乗った――否、分かったうえで怒りを露にする自身の姿を嘲るような薄ら笑いを浮かべて見ている反逆神に、夢想神は冷ややかな声と共に自身の存在を消失させる
自分自身を夢へと変えて悪意の触手の拘束から逃れた夢想神は、円卓に数えら得るにふさわしい神威をたたえて厳かな声音で言い放つ
「力づくで、退いてもらう」
その身体から夢想の力を吹きあげる夢想神を見た反逆神が口端を吊り上げた瞬間、鏡の大地に建つ白亜の城が崩落する
「――ッ!」
(これは――……ッ)
突如崩壊した白亜の城――妖精界王城を一瞥した妖精界王は、轟音と共に地上へと昇ってくる強大な力を知覚して息を呑む
「……そういえば、ここにはお前がいたんだったな」
粉塵を貫き、天空へと舞い上がってきたそれを知覚した反逆神は、肩越しに視線を向け、眠りから覚めて妖精界王城の地下から現れた存在をその金色の瞳に映す
「……『自然神』」