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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
141/305

精霊達の空





「んっ……」


 小さなうめき声と共に、暗闇に閉ざされていた意識を回復した詩織は、霞む目に映る景色にやや呆けたように虚ろな視線を送る。


「気が付かれましたか?」


 蒐集神、剣王(ジェネラル)理想郷(ユートピア)――瑞希の結界をもってしても防ぎきれない超然たる神の力の威圧を受けて意識を失ってしまっていた詩織に、優しい声が囁きかける。


「……マリアさん?」


 その声に視線を向けた詩織は、そこに揺れる金糸の髪と、そこから四枚の純白の翼が伸びている後ろ姿を見てやや呆けたように言う。


 気を失う前までは、結界で自分を守ってくれていたのは瑞希だった。

 いつの間にかそれがマリアに変わっていたことに首を傾げる。


「そのままでいてくださいね。これから始まりますから」

「始まる? いったい何が……?」

 詩織に微笑みかけたマリアは、その視線をゆっくりと動かし、自分たちの眼前にいる大軍、そしてその先にただ一人佇む純白の少女を見て、厳かな声音で答える。



「――神との戦いが」






「まずは、私が先手を取ります」

 精霊力に声を乗せ、戦場にいる全員に声を届けた妖精界王(アスティナ)は、自身の力をその腕の中に収束させ、自分の魂の戦うための姿を顕現させる。


「――『フェアリーシード』!」


 その手に携えられているのは、アスティナの身の丈を超える長杖。

 その先端に宝珠があるだけの簡素な黄橙色の杖は、次の瞬間まるで蛹が蝶に羽化するように精霊力で形作られた桃光の蝶翅を広げると同時に極大の極光を放つ。

 王の精霊力を以って放たれた精霊力の橙光は、その場にいる者達の肌を知覚を焼きながら白の三日月を手に佇むアリアへと一直線に迸る。


 日輪の妖精王アスティナ。

 妖精界を総べる最強の精霊たるその力は九世界にその威を轟かせ、かつての大戦では、敵対する軍勢をただの一人で殲滅せしめたことさえもある。

 ほぼすべての全霊命(ファースト)を瞬滅させるほどの破壊力を持つ極大の殲滅光は、アリアを呑み込んで天空に満ちる白雲に巨大な穴を穿つ。


「……避けるなり、防ぐなりした方が良かったかしら?」

 しかし、その中から現れたアリアは、傷一つはおろか、防御さえした様子も見せずに事も無げに独白する。


 天使である以上、当然アリアもアスティナについては知っている。

 それ以上に、原在(アンセスター)と呼ばれる神に最も近い全霊命(ファースト)の力も恐ろしさも身に十分承知している。


 しかし、その力でさえも今の自分は直撃しても傷一つ受けることはない――あらためて自身の身に宿った神の力を感じるアリアは、これまで見上げているだけだった星を見下ろしているような虚無感にも似た戸惑いを覚えていた。

 一件厭味にも聞こえるアリアのその言葉も、かつては遥か高みにいた「王」と呼ばれる存在さえ及ばぬ領域に至った自身の存在と力に対する困惑しているという面が大部分を占めている。


「……やはり、効きませんか」

 それを見たアスティナは当然のようにその事実を受け入れ、何ごともなかったかのように佇んでいるアリアの姿を見て静かに目を伏せる。


 どれほどの数を揃えようと、どのような策を弄しようと「神」でないものは「神」には勝てない。


 それは事象であり、理であり、変わることのない世界の摂理そのものだ。

 かつて世界創世の折、神の下で戦い、異神大戦をも見てきたアスティナには、神と呼ばれる存在の力と、その反則的で絶対的な強さを身に染みて知っている。


 創界神争(世界最初の戦争)終結後に姿を消し、不可神条約によって九世界への関与をしなくなった創世の神々について、現在生きている全霊命(ファースト)達は、継承される知識でしか知らない者も多い。

 かろうじて異端神や神器などと関わることでその力を知るものもいるが、それはごく限られているのが現状だ。

 しかし、ただ立ち尽くしていただけにも過ぎず、妖精界王(アスティナ)の攻撃など意にも介していないアリアの姿を見れば、神の力を知識としてしか知らない者達でも否応なくその格の違いを理解させられてしまうことだろう。


「えっと……どうしますか?」

 アスティナの攻撃を受けても無傷でいる自分を見て、眼前を埋め尽くす軍勢がわずかに怯んだのを見たアリアは、少し困ったように妖精界を総べる王に問いかける。


 天使としての自分よりも強いであろう精霊達からすら、畏怖の視線を向けられたアリアは、この力が夢想神(レヴェリー)からもらったものでしかないことにややばつの悪さを感じていた。

 無論、力は所詮力。それが生来のものであろうと、努力によって得たものであろうと、誰かからもらったものであろうとも同じ。

 神器に選ばれるのも才能ならば、優れた才を持って生まれるのも運。努力を積み重ねるのもその志一つ――すべては、等しくその力を手にしたものの心次第なのだ。


 だが、たとえそうだとしても、その神の力で強者を退けることに、アリアは優越感のようなものを抱くことはできなかった。


「一つ、お伺いさせていただきたいのですが」


 自身の勝利に対する確信を抱いているアリアが、ほぼ勝ち目がないと分かっている戦いなどする意味があるのかと言わんばかりに問いかけてきた言葉に、アスティナはただ冷静に問いかける。

「なに?」

「あなたは、城の地下にある神器を求めているようですが、それがどんな意味を持つのかを知っているのですか?」

 アリアに向けたアスティナの問いかけは、光魔神(大貴)に対して宣言したという言葉が、何を意味するのかを理解しているのかを正すもの。


 ここへ向かう前に、アリアが「妖精界王城にある神器を取りに行く」と言ったことや、それが「神片(フラグメント)の力を使い続けるための条件」だと述べたことも、すでにアスティナも報告を受けて承知している。

 この妖精界王城にある神器は「界上解杖(ヘルカーティス)」ただ一つ。そして、それを手に入れるということは、その能力によって世界から隔離しているものを起こす可能性を多分に秘めていることになる。


 アリアがそれを承知したうえでそれを行おうとしているのか、あるいはただ何も知らずに夢想(レヴェリー)の力を手放したくないがために言っているのかをアスティナは見極めようとしていた。


「ええ。夢想神(レヴェリー)から一応は聞いているから。……自然神(ユニバース)を封じているんでしょ?」


『――!』


 そして、その問いかけに答えたアリアの言葉は、それを知っていたものと知らなかったもので二極的な反応を生じさせる。

 外の世界から来た大貴達一行はもちろん、十世界の精霊達、ライルをはじめとした月天の精霊達――果ては、妖精界に所属する精霊達の中にいるそれを知らなかった者は、その言葉に驚愕を露にし、知っていた者達はただ剣呑な視線をアリアへと向ける。


「自然神って、確か……」


「ええ。円卓の神座№3。その名の通り、自然を司る神。物質の神であり、人間界の人間を除く半霊命(ネクスト)の神でもあります」

 そのやり取りの傍ら、結界の中でその話を聞いていた詩織に、マリアが背中越しに答える。


 円卓の神座№3「自然神・ユニバース」は、その名の通り「自然」を司る神。


 自然とは、「世界」という概念に内包されたもの。霊の力が堕格反応(ダグディアス)することによって生じる「物質」、あるいは「物理」という概念の象徴。

 それは、大地であり、空であり、生物でもある自然神は、光魔神から生まれた「人間界の人間」を除くすべての半霊命(ネクスト)の神でもある。


 ただし、それらは自然神のユニットいうわけではない。

 半霊命(ネクスト)はあくまでも世界のユニット。しかし同時に自然神はその神でもある。

 即ち自然神とは、いわば世界が抱く世界の理の概念の化身であり、それを象徴する神といえる存在なのだ。


「それが目覚めるとどうなるんですか?」

 背後にある妖精界王城を一瞥し、息を呑んだ詩織が恐る恐る問いかけると、戦場へと視線と意識を向けているマリアは、一瞬の空白を置いて背中越しに答える。

「わかりません」


「え?」


 その予想だにしなかった答えに目を丸くし、思わず拍子抜けしたような声を上げてしまった詩織に、マリアは金色の髪と純白の四翼をたたえる背中越しに言う。


「自然神はその名の通り自然そのもの。一度牙を向けば恐ろしい神ですが、基本は泰然自若とした存在ですから。ただ――」


 そこで一つ言葉を区切ったマリアは、大軍を前に静かな笑みを浮かべているアリアを見据えて、神妙な声音で語りかけた。


「その性質上、自然神は誰の味方でもないのです」



「確かに厄介そうな神よね。自然は誰の味方でもない。時に恵みを与え、時に死を与える全てに等しい弱肉強食と森羅万象そのもの――ま、感傷しない干渉、不感症の不干渉って所かしら」


 純白の三日月大鎌を肩に担ぎ、どこか他人事のように言うアリアだがその表情からは気乗りがしていないという感情をありありと見て取ることができる。


「興味がないとは言わない。関心がないとも言わない。心を痛めないとも言わない。それ自体に意味があるわけじゃない――それでも、私にはそれを成す信念と意味があるの」

 肩に担いでいた白い三日月を下ろし、自身の罪の全てを肯定し、己の欺瞞を理解した上でアリアは、それでもなお揺るぎない戦意を向ける。


「……そうですか。では、私はあなたの目的を全力を以って阻むことにいたしましょう」


 それが、アリアの戦う理由――ウェンディ()を救い出すために、神片(フラグメント)の力を必要としている――であることを知っているアスティナは、それ以上は何も言うことはないとばかりに、純然たる殺意を帯びた精霊力を解き放つ。

 最も神に近い最強の精霊がその力を解き放ち、そこに宿るアスティナの意志が世界を震わせるのを見たアリアは静かに目を細め、精霊達はそれに触発されるように力を高める


「これから行われるのは、大義のある戦いではありません。逃げても構いませんよ」

 神に挑むなど無謀の極み。決して届きえない力の差を理解しているからこそ発せられたアスティナの言葉に応えたのは、その腹心であるアイリスの父――カリオスの力強い声だった。

「御冗談を」

「ここで退けば、我ら妖精界そのものが逃げたことになります――神には勝てずとも、その力に恐れて言いなりになるような無様な真似をすることはできません」

 カリオスの声に答えるように、同じく精霊王の腹心であるメイベルがその澄んだ声で言い放つと、周囲の精霊達からも、同意を示すように高らかな声が上がる。


 アスティナのような原在(アンセスター)はもちろんのこと、すべての全霊命(ファースト)は神のユニットであり、いうなれば神とは、全霊命(ファースト)にとって親の様なもの。

 絶対的な存在である神の力(親の力)に屈し、自分たちの守りたいものを守る意思も貫けないようでは、いつまでたっても大人(一人前)ではない。

 ()が残してくれた世界を引き継いで生きているという自負と誇りがあるからこそ、全霊命(ファースト)達は神の力に臆することなく奮起し、自分達の覚悟を知らしめていた。


「――私、殺したいと思った奴以外は殺さない主義だけど、うっかりってこともあるから気を付けて」


 それを見たアリアは純白の三日月を構えて、静かに語りかけると、まるでそれを開戦の合図としたかのように精霊達が次々と精霊力の閃光を放つ。

 一つ一つに世界を滅ぼすほどの力が込められたその破壊の閃光は、しかしアリアの白い三日月の一閃によって、まるで蝋燭の火を吹き消すように容易くかき消される。

「あくまでも全霊命として(自分たち)の力で戦おうとするあなた達の志を嗤ったりはしない。でも、たとえ神の力に縋ってでも、力が無ければ成し遂げられないことがあるの」


「桜!」


「はい」

 精霊達の砲撃が放たれたのと同時に魔力を共鳴させ、その光の雨がかき消されたのと同時に神速を以って肉薄した神魔と桜は、一つに重なり合う魔力の本流を全霊の力を以って叩き付ける。

 愛し合い、魂を交わらせ、命を交換した全霊命(ファースト)の伴侶にのみ許された神能(ゴットクロア)の共鳴によって、普段のそれよりもはるかに高められた魔力が全てを滅ぼす黒い波動となって二人の刃から解き放たれる。

「っ!?」

 しかし、視界を埋め尽くす黒撃が放たれた瞬間、神魔は背後から首筋を掴まれ、そのままアリアの細腕によって地面へと吹き飛ばされる。

 二人の知覚を持ってさえ、その動きの片鱗さえ捉えることができなかった速さで移動したアリアは、神魔が吹き飛ばされるのと同時に薙刀を構えて防御姿勢を取った桜の腹部に大鎌の刃を当てていた。

「っ」

(疾……っ)

 自分が防御姿勢を取るよりも早く身体に命中した鎌の刃に吹き飛ばされる感覚を覚えた桜は、それに抵抗する間もなく、次の瞬間には大地に叩き付けられて結晶のような地盤を天空へと舞い上げていた。


 今のアリアにとって、他の全霊命(ファースト)の動きなど止まっているようなもの。

 そしてその速さは全霊命(ファースト)達には知覚できないほどの速さ。その前では、どれほどの数も、どれほどの連携も全く意味をなさない。


「でも私には、自分の弱さを認めて勝てない者に下ることはできない。それが、蒐集神なら、なおのこと」

 神魔と桜を一瞬にして退けたアリアは、次いで向かってきた精霊達の攻撃を舞うように躱しながら、その大鎌の一閃と拳だけで次々と地面に叩き付けていく。


 望んで敗者になる者など誰一人としていない。しかしそれでも戦えば勝敗はつく。それを繰り返して世界は形作られ、王が生まれる。

 弱さを認め、敗北を受け入れることも一つの強さ――しかし、頭では分かっていてもそれを心が許容できないことがあるのだ。


 降り注ぐ精霊力の光は、アリアを捉えてもその身体を傷つけることなく消滅し、どのような攻撃もその身体に触れた瞬間に沈黙していく。

 ――それは、断じて能力などではない。自身を無敵と定義した神格の事象が、それを打ち崩そうとする他の神能(ゴットクロア)の神格を遥かに上回っている証拠だ。


「――精霊力共鳴」


 凛とした鈴声と共に自身の伴侶であるグレイシアと精霊力を共鳴させたアスティナが、高らかに蝶光翅を広げる杖を天高らかに掲げる。

 瞬間、天を埋め尽くす星々――アスティナの精霊力によって形作られたおびただしい数の力の結晶が生み出され、その全てが一斉にその力を解き放つ。


 天空に浮かぶ星から放たれた極光が容赦なく降り注ぎ、それを回避するつもりもないアリアは甘んじてその破壊光をその身で受ける。

 しかし、グレイシアと共鳴することで共化し、強化されたアスティナの精霊力を以ってさえアリアにダメージを通すことは叶わない。


「――っ!」

 その時、純白の翼の長杖を構えたリリーナがその光力を解き放つと、穢れない聖光がアリアを包む結界となってその動きを封じる。


 しかし、リリーナの光の結界による封印も、今のアリアにとっては何ら障害となるものではない。

 軽くその身体を動かすことでその光の拘束を解いたアリアは、静かに瞼を下ろすと静かに言葉を発する。


「ねぇ、あなた達が私の立場だったら、どうするの? ――」


 そう言って視線を背後へ向けたアリアの目には、アイリスとシャロット、クロスと共にその力を一つに束ねた大貴が、光と闇を等しく持つ黒白の力の渦をその武器である太刀に纏わせる大貴の姿が映っていた。


「光魔神」


 瞬間、光と闇――世界の全にして一たる太極(オール)の力が、一つに折り重ねた力と共にアリアを捉えて炸裂する。


 自身の斬撃だけではなく、アイリスとシャロットの矢撃、クロスの斬撃さえも強化した大貴の一撃は大地を砕く意思の力を巻き上げながら荒れ狂い、妖精界の大地を薙ぎ払っていく。


 しかし、神に等しい力を得たアリアをこの程度で止められると思っている者など、この場には誰一人としていない。

 大貴が引き起こした黒と白の力の炸裂を見た精霊達は、一斉にその力を爆発の中心へと向けて解き放つ。


 しかし、その力が解き放たれるよりも早く、大貴の力の残滓を一瞬で吹き飛ばした今のアリアの力――「幻想(レヴェリー)」の力の衝撃がその場にいる全員に襲い掛かる。


「――こ、これは……っ!?」


 攻撃ではなく、ただ放出されたに過ぎないアリアの力によって叩き付けられるような衝撃を受けて全員がたじろぐ中、それを凌いでいた大貴の腹部に純白の三日月大鎌の刃が突き立てられる。


「ぐッ!」

 反応させできず、その身体に白い刃を突き立てられた大貴が苦悶の声を漏らすと、それに気づいたアイリスとシャロット、クロスの声が重なる。

「しまっ……」


「大貴!」


 その気ならば、この一撃で大貴を両断することなど造作もない。しかし、意図的に刃の先を大貴の身体に突き立てたアリアは、その存在を形作る力を解き放つ。


「――『解放』!」


 蒐集神に捕られた姉を解き放つことを望んだアリアが、夢想神の神能(ゴットクロア)――幻想(レヴェリー)によって得た願いの力は「解放」。


 それは束縛であり、封印の破壊にとどまらず、眠っているものを起こすことさえ可能になる。

 その力を用い、アリアは完全な覚醒に至っていない光魔神(大貴)の力を解き放ち、完全な光魔神への目覚めを誘う。


「ぐっ……っ!?」

「おとなしくして。私の力で、あなたの力を解き放ってあげる」

 全身に奔る力を受けて、大貴が苦悶の表情を浮かべるのを見たアリアは、その表情をまっすぐに見据え静かに優しく声をかける。

 その言葉に、大貴が訝しむように苦悶の中、左右非対称色の瞳でアリアを見た瞬間、突き立てられた刃が火花を散らす。


「ッ!?」


「っ……!」

 黒と白の力に弾かれ、その反動で吹き飛ばされた大貴が体勢を整えたのを見たアリアは、刃先から煙が立ち上っている三日月大鎌を一瞥する。

(私の力が弾かれた? やっぱりあの力を封じているのは……)

 神片(フラグメント)となった今のアリアの力ならば、大抵の封印を破壊することが出来る。にも関わらずにそれができなかったということは、大貴(光魔神)の力を封じているのが、今のアリア――神位第六位以上の神格を持った者だという証拠だ。





 その頃、砕けた鏡面の大地に叩き付けられた桜は、自身の武器である薙刀の柄を支えに立ち上がり、砕けた大地の中から、空中で行われている戦いに視線を向けていた。


「――っ」


 身体に奔る痛みにその美貌に苦悶の色を浮かべた桜は、アリアの刃を受けた場所を抑えて口端から立ち上る血炎をそっと拭う。

(手加減されてこれですか……あと一回受けてしまったら、しばらく立ち上がれなくなってしまいますね)


 殺意を込めないことで、斬れないようにされていたため、アリアの白い三日月大鎌の刃の直撃を受けながらも、桜の身体に大きな傷はない。

 しかし、ただの殴打――それも、殺さないように加減された攻撃でさえ戦闘不能になりかねないほどの衝撃は、しっかりとその存在の髄に刻み付けられていた。

 周囲を見回せば、同じようにアリアに吹き飛ばされた精霊達が自身に癒しの光を施している。


《桜、大丈夫?》


 光の全霊命(ファースト)と違い、治癒の力を持たず、癒しが逆効果になってしまう闇の全霊命(ファースト)であるため、自身の魔力を巡らせて回復を高めていた桜の脳裏に、神魔の声が届く。


《はい。さすがに、二度目は厳しいでしょうが》

 自分の身を案じてくれている神魔の声に淑やかに応じた桜は、それだけで元気が出てくるように思える最愛の人の声に心地よさそうに耳を傾ける。


《参ったな、神器使いとは次元が違いすぎる……これが神の力か》

 先程相対した(あがた)――神器を使う者など比較にならない神の力に困った様子で言う神魔の声に、桜はその花弁のような唇をわずかに綻ばせる。


《いかがなさいますか?》


 その意志を問うように語りかける桜ではあったが、心の中に響く神魔の声音には諦めや絶望といった感情が込められていないことなど百も承知。

 絶対的な力の差を目の当たりしても尚折れない戦意に彩られている神魔の声が、その意志を如実に表していることを知っている桜は、問いかけるように尋ねながらその言葉を待つ。


《このまま戦線離脱しても文句は言われないと思うけど……なんかそれは癪だなぁ》


 普段温厚で優しい神魔だが、その実負けず嫌いな面があることを桜は知っている。

 心に直接響いてくるその声は、一見無関心を装っているが負けたままでいたくないという神魔の強い意志が込められていた。


(……まったく、本当にお優しいのですから)

 神魔がこんなことを訪ねてきた理由は、アリアに斬撃を受けた自分を気遣ってくれているからだと、桜は分かっていた。


 ただ力任せに地面に叩き付けられた神魔とは違い、桜は加減されていたとはいえアリアの斬撃を受けている。

 アリアと戦うには魔力共鳴は必須。しかし自分の我儘のために無理をさせたくないという神魔の気遣いと想いに、桜の胸は切なくも愛おしい温もりに満たされていく。


《――ねぇ、桜。勝ち目も何もない戦いだけど、もうちょっとだけ僕の無理に付き合ってくれる?》


 その言葉には答えず、無言を以って続く言葉を待つ桜の意図を察したのか、しばしの沈黙の後、気遣いと躊躇いを半々に含んだ神魔の声が心の中に響く。


《無論です》

 そして、その神魔の声に桜は何の躊躇いもなく答える。


 これが普通の戦いだったならば、桜は神魔の意志がどうであれ、その命を守るためにその提案に反対し戦うことを止めていただろう。

 しかし、今対峙しているアリアは殺す気がないと明言し、事実自分達ともそのように戦っている。このままさらに向かっていっても、普通の戦いよりは生存率が高いことが想定される。

 無論、多少の危険は承知の上だが、戦うことを諦めたくないという神魔の意志を尊重する桜にとって、この危険性はある程度看過することができるものだった。


《――ありがとう。桜》


 心に直接届く神魔の声に静かに目を伏せた桜は、離れていても尚伝わってくる最愛の人の魂の力を受け入れ、そして自身の命を共鳴させる。


《参りましょう。神魔様》


 この世で最も愛する人との魂の繋がりを感じながら静かに応じた桜の姿は、まさに「夫唱婦随」と呼ぶにふさわしいもの。

 そして、義務でも使命でもなく、自身の意志でそうありたいと願える人と結ばれた幸福を噛みしめながら、桜はその桜色の髪をなびかせて天へと舞い上がっていった。





「ハアアアアッ!」


 身の丈にも及ぶ長剣を手にしたカリオスが渾身の力を込めて放った斬撃を、その首で受け止めたアリアは自身の身体に傷一つつけることが叶わないその刃を一瞥して、三日月大鎌の石突でその身体を軽く突き上げる。


「っ!」


 あらゆる攻撃が当たらず、たまに意図的に攻撃を受けることがあっても、その身体を全く傷つけることができず、そしてその攻撃は回避が限りなく不可能に近く、その一撃はあまりにも重い。

 屈辱も悔しさもなく、絶望さえも通り越したその力に吹き飛ばされたカリオスは、妖精界王城に叩き付けられ、その白亜の外壁に呑み込まれる。


「この……ッ」

 それを見た精霊達が多様な武器を以ってアリアに向かっていくが、その刃も精霊力の矢もことごとく回避されてしまう。


「もうそろそろいい?」


 たった一人でありながら、その圧倒的な力によって数百を超える軍勢を軽々とあしらうアリアが静かに問いかける。


「――……」


(やはり、界上解杖(ヘルカーティス)を使うしかありませんか……)


 その軍勢の中、身の丈を超える長杖を手に乳白色の蝶翅を広げてアリアを見るアスティナは、神の力を前に城の地下に眠っている自身の神威級神器を使う覚悟を固めようとしていた。


 しかしその瞬間、青く澄んだ空に無数の黒星が生まれる。


 まるで夜天に輝く星のように、蒼天に出現した黒い星は、見つめていると吸いこまれてしまいそうなほどにどこまでも深い渦。

 しかしそれはただの漆黒ではない。その内側に無数の光を内用したその姿は、まるで星が瞬く夜空を凝縮したかのような神秘的なものだった。


『――っ!』


 天を覆う無数の黒い円渦――その内側に光を内包するそれは、時空を繋ぐ門であることを、この場にいる全員が知っている。


「この力は――……っ」


 その空間から知覚された力に誰もが目を瞠る中、次の瞬間にはその時空の門の中からそれを通って移動してきた者たちがその姿を現す。


「少し、遅くなりましたね」


 空を埋め尽くし妖精界王城を中心とする戦場を静かに睥睨した軍勢の中から、それを代表して口を開いたのは、白銀色の髪を戦場の風に揺らす女性。


 消えてしまいそうなほどの透明感と清廉さを纏った幻想的な美貌。

 褐色の肌を際立たせる輝くような月光色の長髪を、背に生える色鮮やかな蝶翅で彩ったその女性は橙金色の瞳で戦場を見つめて、静かに微笑む。

 その周囲にいる者達もまた、女性と同様に褐色の肌と色鮮やかな蝶翅を持っており、彼らがこの妖精界を総べる精霊の四種族の一角――「月天の精霊」であることを如実に物語っていた。


「これは……」

 突如現れた月天の精霊達を見て目を丸くするアリアを横目に、戦場に立つ精霊達を束ねて立つこの世界の王――「妖精界王・アスティナ」は驚き以上の感激に胸を打たれて、その軍勢を従える最も強く、最も美しい女性を見る。


「――イデアさん」


 アスティナの視線を受ける白銀の髪の女精霊――『月天の妖精王・イデア』は、その笑みに微笑を以って応じると恭しく精霊四種族の王に首を垂れる。


「遅ればせながら、助勢に馳せ参じました。よろしければ、我らもあなた方の戦線に加わることをお許しください」

 胸に手を当てて敬意を表し、清楚で清らかな所作で腰を追ったイデアの言葉に、アスティナはその目を優しく細めて朝陽のような穏やかな温もりに満ちた笑みを浮かべる。


「――えぇ、お願いします」


 表情を綻ばせたアスティナの言葉を聞いたイデアは、静かに目を伏せて自身の神能(ゴットクロア)をその腕の中に武器として顕現させる。


「『フェアリーリーフ』!」


 厳かな声音と共にイデアの手の中に顕現したのは、白銀色の柄に金色の装飾を備える大槍刀と錫杖を合わせた様な武器。

 銀の柄の先に備えられた芭蕉の葉に形状が酷似した刃は、その内側が空洞になった錫杖の頭部を思わせる輪形でその刃の空洞と外刃をまるで葉脈のように金色の装飾が繋いでいる。


「……ちょっと意外。月天の精霊が協力するなんて」

 金銀に輝く葉杖を手にしたイデアが極彩色の蝶翅から煌めく鱗粉を思わせる精霊力を舞い上がらせる野を見たアリアは、この場に現れた月天の精霊達を見て、心からの素直な感想を述べる。


「なにか勘違いなさっているようですから、訂正しておきますね」


 アリアの言葉を聞いたイデアは、金葉刃の杖槍の切っ先を向けたまま、その透き通るような美貌に怜悧な戦意を宿して静かに語りかける。


「わたくしたちは、いがみ合っているわけではありませんし、ましてや憎みあってなどいません。ただ、簡単には埋めることのできないわだかまりがあるに過ぎないのですよ」


 アスティナ達日輪の精霊をはじめとする、湖、森の三精霊種と月天の精霊の間にあるのは、敵意でも憎悪でもなく、かつての過去がもたらす心の距離。


 月天の精霊達が光を裏切り、闇についた事実、そしてその結果同胞であるはずの精霊達によって甚大な被害がもたらされたのも事実。

 だが、それは遥か遠い昔の事。

 無論、中にはそうではない者もいるが、現在月天の精霊と、他の三精霊を隔てているのは古に生じた過去の亀裂の距離でしかない

 なかったことにはできない。決して誤っていたわけではない。それでも叶わず、すれ違ってしまった想いがまるで壁のように隔たっているだけ。


「ですが、私たちはそれをいつでも超えることができます。たった一歩、歩み出すだけで私たちはいつでもこうして手に手を取り合うことができるのです」

 イデアの言葉を引き継いだアスティナが厳かな、しかし強く気高い声で言うのを聞いた大貴は、どこか自嘲するような笑みを浮かべる。


「本当に……俺もまだまだだな」


 誰の耳にも届かない小さな独白と共に、その左右非対称色の瞳を抱く目を細めた大貴は、戦場を埋め尽くす四種の精霊達の壮観な姿を見回す。


(この人達は何とかする必要もなかったんだな……俺なんかが何もしなくても、この人達は変わらずに変わって(・・・・・・・・・)いける)


 望んだ願いと違ってしまった結果に嘆いたところで過去を変えることはできない。そしてそんな中で生まれてしまった心の亀裂を無かったことにはできないし、してはならない。

 彼らは、かつての様な関係に戻りたい(・・・・)のではなく、過去を乗り越え今のまま(・・・・)新しく始めようとしている(・・・・・・・・・)のだ。

 少しずつ、一歩ずつ、過去の痛みを背負って変わっていく――アイリスやシャロット、そしてアスティナとイデアのように。


「では、仕切り直しと行きましょうか。神に堕ちた天使」


 厳かな声音でアリアを見据えたアスティナの言葉に答えるように、戦場に先程までに嫌というほど見せつけられた神の力に対する畏怖や恐れを感じさせない精霊達の覇気が広がっていく。


「我ら妖精界がお相手いたしましょう」


 戦意を失わず、むしろ意気を増したようにさえ思える精霊達の心を感じ取ったイデアは、その口元を優しく綻ばせて言う。



 はるか昔に太陽に背を背けた月と、月と決別した太陽が向かい合い、互いを照らしあって再び一つの明かりとなる。湖は光を反射して煌めき、森はその光を受けて光り輝く。

 天を覆い尽くす四つの翅は空を満たす二つのその光に照らし出されて輝きながら、神との戦場に美しく華やかに乱舞するのだった。




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