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魔界闘神伝  作者: 和和和和
ゆりかごの世界編
14/305

戦う理由




 それはマリアがやって来た翌日の界道家の食卓での事――。


「そういえば、紅蓮さん達は、何で大貴と戦おうとしてるの?」


 一夜明け、光魔神となってしまった双子の実弟をわずかばかりに冷静な目で見ることができるようになっていた詩織は、ふと脳裏によぎった疑問を口にする。


 不意に双子の姉から向けられた疑問に箸を止めた大貴は、しばらく考え込んでから答える。


「言われてみれば……何でだ?」


 大貴にとって、紅蓮は最初に会った時に命を狙われた相手。

 レドと現れた時も自分を狙っていたため、いつしか大貴の中で紅蓮は敵という図式が無意識に出来上がってしまっていた。


「神魔さん」

 答えを求めるように視線を向けてきた詩織に湯呑みに入ったお茶を飲み干して神魔は優しく微笑む。


「さあ?」


「さあ、ってそんな事でいいんですか?」


 そんなことになど興味がないと言わんばかりの神魔の反応に、詩織は咎めるような、非難するような、驚いたような、複雑な感情の混じった声を向ける。

 その言葉からは、何とかして紅蓮との戦いを回避することはできないかと、可能性を模索する詩織の願いが感じられた。


「武器を持って向かって襲ってくる奴と戦わないわけにはいかないだろ? こっちだってただ殺されてやるわけにはいかないんだからな」


 しかし、そんな詩織に対して神魔を擁護するように声を発したのは、意外にも天使であるクロスだった。


「それは、そうかもしれませんけど……」


 クロスからのもっともな言葉に言葉を濁す詩織に、そのやり取りを横目で見ていたマリアが優しく微笑みかける。


「確かにやむをえない事情で戦っている場合もあるでしょうが、あなた方から見て紅蓮という悪魔はそういう事情を抱えているように見えましたか?」


 マリアから向けられた言葉によって、これまでの紅蓮の姿や言葉を思した詩織と大貴は、ほぼ同時に顔をしかめる。


 ゆりかごの世界――少なくともこの地球という星、日本という国で生まれ育った詩織と大貴にとって、戦闘とは忌避するべきものであるという認識がある。

 先の詩織の言葉が、そうして培われた感性から来ているものだと理解してのマリアの問いかけは、二人に種族、存在、あるいは個人としての価値観の違いを確認させるためのものだった。


「…………」


 詩織と大貴の脳裏に読みがっているのは、戦いに歓喜し、より強い強者と戦う事を欲する眼、獣の笑みを浮かべる紅蓮の姿。

 その反応は、詩織と大貴から見ても心の底から戦いを楽しんでいるようにしか思えないものだった。


「でも……」


「そんなに気になるなら、今度会った時にでも直接訊いてみたら? どうせまたすぐ来るだろうし」


 紅蓮が戦いを望んでいることを理解した上でそれでも納得しがたいと言わんばかりの表情を浮かべている詩織と大貴の様子を横目で見て取った神魔は、どこか他人事のような口調で告げた。





「なんで戦うか? ――そんな事聞いてどうする?」


 突如大貴から向けられた質問に、紅蓮は興味のなさそうな淡泊な面持ちを浮かべ、小さくため息を吐く。

 自身の魔力を具現化した剣を手中で弄びながら視線で大貴を射抜く紅蓮の態度からは、その問いかけに意味や異議を見出していないことがありありと伝わってくる。


「お前が何で俺に戦いを挑んでくるのかが知りたい」


「お前が光魔神だからだ」


 それでも続けられた大貴の言葉に、紅蓮は端的に返す。

 その真摯で真剣な表情と眼差しからは、紅蓮が大貴との戦いに注ぐ純粋なまでの戦意が窺えた。


「どういう意味だ?」


「強い奴と戦う! 弱い奴とも戦う! 戦い続ける! 俺はそのために組織に入ったんだからな」


「――っ」


(ただの戦闘狂か……!)

 その心中を嬉々とした情熱を感じさせる声で告げた紅蓮に、光魔神となった大貴から放たれる太極オールの力が緩やかに消えていく。


「……何のつもりだ?」


「俺はそんな理由で戦う気は無い」

 小さな苛立ちを滲ませた紅蓮からの問いかけにすげなくおうじた大貴は、手に持っていた刀も消し去る。


 大貴が戦うのは自分の身を守るため。そして、守るべきものを守るためだ。

 ただ戦うことを目的とする相手の願望に応じるつもりはなかった。



「馬鹿野郎! 戦闘体勢を解くな!」


 クロスが怒号を張り上げた瞬間、大貴の身体が光を遥かに上回る紅蓮の剣によって袈裟懸けに斬り裂かれる。


「……っ!」


 紅蓮の剣によって斬られた大貴は、自身の身体から吹き上がる血炎を左右非対称の双眸に映して声を詰まらせる。

 その表情は驚愕に彩られており、まさか紅蓮が無防備になった自分に問答無用で切りかかってくるとは想像もしていなかった心中を如実に表していた。


「大貴!」

 その様子をマリアが展開した結界の中から見ていた詩織は、身体から真紅の血炎を上げながら体勢を崩す大貴の姿に、悲鳴のような声を上げる。



「くそ……ッ!」

「どこを見ている?」


 それを見ていたクロスが苦々しげな口調で吐き捨て、大貴に駆け寄ろうとするのを、横から振りぬかれた臥角の棍棒が捉える。

 一瞬意識を逸らしてしまったクロスに臥角の一撃が命中し、光力で構築された天使の身体が歪められ、潰れるような嫌な音を立てる。


「ぐあぁっ」


 臥角の魔力が込められた棍を受け、その威力にママに吹き飛ばされたクロスは、そのまま地面に叩きつけられる。

 それによって生じた爆音と衝撃が天地を揺るがし、切り取られた空間の中にある街並みを粉々に粉砕する。


「クロス!」


 その様子に悲痛な声を上げ、思わずクロスの元に駆け寄ろうとしたマリアは唇を噛みしめて踏みとどまる。


(マリアさん、私のために……)


 その様子を見た詩織は、マリアがクロスの元へ駆け寄らなかった理由にすぐに気付いて、沈痛な面持ちを浮かべる。

 自分を守るためにこの場を離れることができないマリアの心中を慮る詩織は、金色の髪で彩られた純白の四翼がかすかに震えていることに気づいていた。


「クロス!」


 時を同じくしてそれを見ていた大貴は、身体から吹き上がる血炎を手で押さえながらクロスが吹き飛ばされた方向に視線を送る。


 手加減したらしく、紅蓮に切られた傷は血こそ出ていても大貴の命を奪うほどのものではない。

 それは大貴との戦いを求めて止まない紅蓮の意志の表れだろう。


「俺がその気ならお前は死んでいた。――解るか? お前に戦う気があろうとなかろうと、目の前に戦意を持った奴がいる以上その刃はお前を殺しに来る。

 戦意を持った敵をお前が倒さない以上、その敵の刃はお前だけじゃなくその周りにも及ぶ……こんな風にな」


「っ!? まさか……」

 そう言った紅蓮が一瞥を向けると、戦う相手のいなくなった臥角が、詩織を守って結界を展開しているマリアに向かっていく。


「待……っ!」


 それを見て目を見開いた大貴が翼を広げると同時、その行く手を阻むように紅蓮が立ちはだかる。


「おいおい、俺と戦うのが先だろう?」


「……てめぇ」


 自身の浅はかさを悔いるように歯軋りをする大貴から怒気を纏った黒白の力が噴き上り、その手中に黒白の刀身を持つ刀が顕現する。


「そうだ。それでいい」


 大貴から放たれる太極(オール)を知覚し、そこに宿る戦意を感じ取った紅蓮は、ようやく戦いを始められる悦びに口端を吊り上げた。





「……っ!」


 その頃、自分の元へと向かってくる臥角を見止めたマリアは、自分の周囲に無数の光の星を出現させてその星から極大の光力の砲撃を放つ。

 まるで意思を持っているかのように空中を翔け、不規則な軌道を描いて迫る光力の砲雨に紅蓮は口端に笑みを刻む。


「ほう。出来るじゃねぇか」


 事象を超越する神速で自分へと向かってくる無数の光力の砲撃を見止めた臥角は、漆黒の魔力を棍の先端へと収束させる。

 臥角の魔力を注ぎ込まれた棍の先端が全てを粉砕する意志を宿した魔力の暴風を纏って乱回転し、それによって光力の砲撃を粉砕しながら光力の砲撃の中をマリアに向かって一直線に突き進む。


「っ!」


 光力の砲撃を砕きながら、自分に向かって突き進んで来る臥角を見たマリアは、瞬時に自分の前に光力で構成された半透明のレンズ状の防壁を展開する。

 マリアが光力の防壁を展開させると同時に、乱回転する臥角の棍の先端がそれに激突し、相殺された魔力と光力を撒き散らしながら飛び散った。


「く……っ」

(重い……!)


 いかに光力や魔力といった神能ゴットクロアが使用者によって破壊対象が限定されていると言っても、そこに込められた意志はむき出しのままだ。


 マリアの展開した光力の防壁に阻まれる臥角の攻撃は破壊対象を完全に限定しており、周囲に破壊の余波を撒き散らす事はない。マリアの防壁もまた周囲への被害を完全に遮断している。


 しかしこの世界の最高位の存在である全霊命(ファースト)――悪魔の力である魔力と、天使の力である光力に込められたあまりにも強力な「破壊の意志」は物理的な破壊力を持ち、それだけで周囲の町並みを粉々に粉砕していく。


(は、話では聞いてたけど、意志が世界に物理的に現象として作用するなんて……)


 マリアの結界の中から破壊の意思によって消し飛ばされていく町並みを見る詩織は、息を呑むしかなかった。


 存在として最高位に属する全霊命ファーストは、神能ゴットクロアを使わなくてもその意志が世界に現象として顕現する。

 破壊の意志を持てば、世界にあるあらゆる物質を「破壊」し、「殺意」を持てば殺気や殺意ではない、その「意志」が生命を殺す。

 もしこの空間がマリアによって隔離された空間でなければこの意志だけで世界にあるどんな大量殺戮兵器よりも世界を破壊していただろう。


「おおおおおおおっ!」


 景色が瞬く間に書き換えられていく中、雄たけびと共に臥角の放った魔力を纏って乱回転する破壊の棍の一撃が放たれる。

 純然たる壊滅の意志と十全の魔力が込められた臥角の棍はマリアの防壁を凌駕し、光力の障壁に亀裂を奔らせる。


「っ!」

 臥角の棍から奔った魔力がマリアの光力を喰らい尽くし、漆黒の嵐を巻き起こす。


「マリア」

「詩織さん!」


 臥角が巻き起こした漆黒の爆発に歪にひしゃげた腕と翼から血炎を立ち昇らせたクロスが声を詰まらせ、紫怨と戦う神魔が目を見開く。


 その視界を覆いつくす程の魔力の奔流の中から白金の光力に包まれたマリアが、結界で包み込んだ詩織と共に後方へ飛翔する。

 臥角の棍の先端を杖で防いだマリアは、自身の結界で包んだ詩織を抱えてさらに後方へ移動して臥角から距離をとったのだ。


「……やるな」


 魔力の黒い嵐の中からその様子を見据えていた臥角は、棍棒を地面に突き立てて好戦的な笑みを浮かべる。


「大丈夫ですか? 詩織さん」

 臥角から距離を取って地面に下り立ったマリアは、結界で包み込んだ詩織に静かな声音で安否を尋ねる。


「マリアさん……」


 結界の中からマリアの背を見つめる詩織は、美しい天使の細くしなやかな右腕から赤い血炎が上がっているのを見て息を呑む。


「さすがに片腕であの一撃の威力は殺しきれませんでしたね……」


 呟いたマリアの腕に光力が収束し、淡く発光を始めたかと思うとマリアの腕の傷が詩織に目でも視認できるほどの速度で復元されていく。

 光力によってもたらされる治癒の顕現――存在から負傷を概念的に除外する効力がマリアを完全な状態へと復元していく。


「させるか!」


「!」

 マリアが傷の修復を始めたのを見て、臥角は魔力を込めた棍を振るう。


「っ!」

 まるで鞭のようにしなって襲い掛かってくる臥角の棍の乱撃を光力をまとわせて強化した杖で受け止める。

 しかし元々の力が違うのか、その攻撃をかろうじて防ぐ事ができてもマリアの身体がその威力によってわずかに宙を舞う。


(威力はさっきの方が上だけど早くて不規則、このままじゃ……)


 言うが早いか、叩きつけられた強い意志を込められた凄まじい威力を持つ臥角の棍がもたらした破壊の力がマリアの華奢な身体を震わせる。

 その威力は光の結界にいくつもの小さな亀裂を生じさせ、今にも破壊してしまわんとするほど。


「っ!」

 マリアの結界が砕かれる音に声を詰まらせた詩織は、目の前で繰り広げられている戦いに身体を強張らせる。


 結界が砕けてしまえば、詩織は命を落としてしまう。


 臥角はもちろん、マリアの力、そこに込められた意思、そしてそこにあるだけの存在ですらゆりかごの人間でしかない詩織から命を奪うのに十分すぎる。

 破壊と復元を繰り返す光力の結界は、詩織にとって自身の命運そのもの。

 詩織にできることは、マリアの勝利と無事を祈って、ただ自分を守ってくれる光の天使に己の命を委ねることだけだった。


「……!」


 次々に止む事もなく降り注ぐ棍棒の連続攻撃を捌くマリアは、その威力に輝かんばかりの美貌に苦悶と焦燥を浮かべる。


 ただでさえ強大な力持つ臥角の攻撃に加え、詩織を守る結界と空間隔離に光力を割いているマリアの光力を徐々に削っていく。

 結界は絶え間なく破損と復元を繰り返し、破壊と殺傷の意志を伴った魔力の暴風はマリアの細く華奢な身体を傷つけ、真紅の血炎を空中に舞い踊らせる。


 今はかろうじて防ぎきれているが、いつこの均衡が崩れてもおかしくないほどに、マリアは追い詰められていた。


「マリアさん!」


「大、丈夫です……そのままでいてください」

 言いながらマリアは臥角の攻撃を阻んで立ちはだかる。


「その心意気は買おう。だが、これで終わらせる」


 そう言って臥角は乱回転させた魔力を棍棒に宿らせて収束し、触れるモノ全てを破壊し尽くす破壊の渦を巻き起こす。


「……っ」


「今の光力で俺の最大の一撃を防げるか?」


 破壊の渦を待とう臥角にマリアは小さく唇を噛みしめると詩織を守る結界と隔離した空間を維持できるだけの光力を残して自身の全霊の光力を吹き上がらせる。

 金色を帯びた白色の光嵐がマリアの身体を包み、臥角が巻き起こす漆黒の暴嵐と激突して相殺する。


(ダメ、敵の魔力のほうが大きい……止められない)


 相手の「力」を感知する事が出来る全霊命ファーストは戦わずともその力の大きさを比べるだけで相手との力量差を把握できる。

 今のマリアの光力で臥角の魔力に立ち向かうという事は竜巻に蟻が突っ込むようなものだ。荒れ狂う魔力の渦に呑み込まれて跡形もなく破壊されるのは目に見えていた。


「いくぞ」

 漆黒の暴嵐を纏う臥角が純粋な殺気をマリアに向けた。





(駄目だ……マリアさんの光力じゃあいつを止められない)


 魔力と光力の激突を知覚した神魔は、自身の魔力が具現化した武器である大槍刀を振るう。


 身の丈ほどの巨大な黒い両刃刀を持った大槍刀の刃が相対する紫怨の持つ槍と剣と斧の融合した長柄武器とぶつかり合い、純然たる破壊の意思が込められた魔力がせめぎ合う。


「あれじゃあ、戦いにならないな」


 一度視線を下に向けた紫怨の言葉に、神魔はわずかに表情を険しいものに変える。


 神魔にとって、天使であるマリアの命は特段気に留めるものではない。だが、だからといってマリアが死んでもいいと思っているわけでもない。

 加えて、詩織の身に危険が迫っているという事が、神魔の焦燥を駆り立て、動揺させていた。


(このままじゃマリアさんと詩織さんは死ぬ――よくて瀕死のマリアさんが残る程度。詩織さんは確実に死ぬ)


 紫怨と戦いながら、神魔は臥角とマリアに知覚と意識を傾けて歯噛みする。


 空間隔離と結界に力を割かざるを得ないマリアと十全な状態で戦える臥角の力の差は誰が見ても勝敗が明らかなほどに開いている。

 それを補うにしても、すでに追い詰められているマリアの様子を見れば、もはや限界を迎えているのは明らかだ。


 このままでは、二人の死かマリアの生存という結末しかない。


(詩織さんが……死ぬ)


 自分の力では二人を守れないという事実を再確認した神魔は、まるで心臓を握りつぶされるような感覚に見舞われる。


「……させるか」


「?」


 小さく呟いた神魔の言葉に紫怨はかすかに眉根を寄せる。

 瞬間、目の前で空に留まっている神魔の身体から漆黒よりも尚黒い魔力が吹き上がった。


(何だ!? 魔力の質が変わった……!?)


 神魔から放たれた魔力を知覚した紫怨は、まるで別人のそれのように感じられる漆黒の力に驚愕し、思わず目を瞠る。


 今までも神魔は決して手を抜いて戦ってなどいなかったはずだ。

 しかし今目の前で吹き上がる魔力は決して強大になったりすることこそないものの、今までとは異質なものへと塗り変えられていた。


(……闇)


 世界を暗黒に染め上げるような神魔の力を知覚した紫怨は、無意識にそんな感想を抱いていた。


 神魔の魔力はまさに「闇」と表現するに相応しく、他に形容する言葉のない純粋なる闇の神能ゴットクロア

 目の前に立つ敵を殺傷する一片の曇りのない純粋な殺意も、破壊の意志も、その魔力に込められているはずの「意志」が全く読み取れない。

 それは、まるで底の見えない無限の無明を覗き込んでいるようだった。


また・・死なせてたまるか」


 無意識に半歩にもならないほど後ずさっていた紫怨の耳に神魔の言葉が響く。


「!」

 そして次の瞬間、神魔の姿は漆黒の流星となり、光を遥かに凌ぐ速度でマリアと詩織の元へと移動しようとする。


「そうはいくか!」

 その神魔の動きに一瞬で反応した紫怨は神魔とマリアの間に立ちはだかり、魔力を込めた剣と斧の刃をもつ槍を構える。


 一瞬気圧されこそしたが、魔力の質が変わっても決して「格」が上がったわけではなく、変貌を遂げたわけでもない。

 実力そのものは今までの神魔と何ら変わらないことは、紫怨の知覚が明確に認識している。



「退け」


 しかし、その瞬間紫怨の耳に届いたのは、静かで抑制の効いた声音だった。


 その声と共に神魔の纏う魔力が深淵、闇よりも暗い闇となって紫怨を威圧し、漆黒の魔力を纏った大槍刀が容赦なく振り下ろされる。


「っ!」


 事象を超越する神速で放たれたその漆黒の一撃を、紫怨は自身の魔力を纏わせた武器で真正面から迎え撃つ。

 神魔と紫怨、二つの漆黒の魔力が真正面から激突し、全てを滅ぼす漆黒の闇の渦を巻き起こす。


「おおおおおっ」


 神魔と紫怨の武器がせめぎあい、漆黒の波動を放って荒れ狂う。

 世界を滅ぼす二つの暗黒の力は一瞬拮抗し、やがて神魔の魔力が紫怨の魔力を呑み込むように押し込んでいく。


「っ……押される!?」


 全ての意志を塗り潰す漆黒に染まった神魔の魔力が紫怨を圧倒し、せめぎあっていた刀身が徐々に押されていく。


 全霊命(ファースト)の全ての能力は、神能(ゴットクロア)の神格とそれを行使する意思の純度によって決定される。

 その一撃に込められた神魔の意志は、ほぼ同格の神格を有する紫怨を圧倒するほどにまで研ぎ澄まされていることを意味していた。


 その一瞬で力勝負は不利と判断した紫怨は、自らの周囲に無数の魔力の星を作り出す。

 それは極大の魔力の砲撃を放つ星。いかに神魔とはいえ、ほとんど密着状態に近いこの距離で受ければただではすまない。


 自らの存在の力そのものであり、自身の意志で指向性を持たせている神能ゴットクロアは自分自身を決して傷つけることは無い。

 そのため、その爆発に巻き込まれても紫怨には傷一つつかないが、魔力の滅却対象になっている神魔はそうはいかない。


 常ならば、一旦距離を取って再び攻撃を行うのが定石。

 しかし、紫怨の予想に反し、神魔はそれを前にして距離を取ることはおろか、迎撃する様子すら見せなかった。


「なっ!?」


 ただ魔力を放出し、力任せに押し通ろうとする神魔に目を見開く紫怨はそのまま周囲に生み出していた漆黒の星の力を解放する。

 同時に漆黒の星から放たれた魔力の砲撃が長柄武器の刀身を合わせるほどのほぼ密着状態に近い間合いで放たれ、そのまま躱す事すらしようとしない神魔に直撃して漆黒の爆発を引き起こす。


(避けない、だと?)


 自身の魔力で放った砲撃の爆発に呑み込まれた神魔に、紫怨は驚愕と戦慄に目を見開く。


「……!」


 神魔の魔力は紫怨と同等。その攻撃を防御せずにこの距離で直撃させられれば命は無い。

 仮に命を繋いだとしてもしばらくは動けないほどの傷を負う事になる――筈だった。いや、そのはずなのだ。


(まさか……)


 自身の魔力に満たされた暗黒の中で、目を見開いた紫怨が知覚したのは、闇すらも塗り潰す純然の闇だった。


 爆発に呑み込まれても神魔の魔力を知覚することはできる。――むしろ、全てが自分の魔力に満たされているからこそ、相手の魔力をより鮮明に知覚することができるといってもいい。

 そして全霊命ファーストは、相手の力を知覚する事によってそれによって万全なのか、大きな傷を負っているのか、瀕死なのかといったある程度相手の状態を把握できる。


「――!」


 自身が生み出した破壊の闇の中から感じられた無明の魔力に、紫怨は魂が凍てつくような感覚を覚え、反射的に武器をかまえる。


 しかしそれでも半瞬だけ遅かった。

 神魔の魔力の気配を察知し、身構えたときにはすでにその身体が大槍刀の漆黒の刀身で逆袈裟に切り裂かれていた。


「っ!」

 身体から血炎を吹き出す紫怨の顔を漆黒の爆発の中から伸びてきた神魔の手が鷲づかみにする。


(なるほど、それ・・がお前の本性か……!)


 顔を掴まれた指の間から神魔を見た紫怨は一瞬で理解する。


 漆黒の眼の中に爛々と光る金色の瞳。

 無明の魔力の闇に包まれ、その姿も判然としない神魔の姿の中でその金色の瞳だけが爛々と光り、否が応でも目を惹く。

 次の瞬間、紫怨の顔を掴む神魔の手の中で漆黒の闇が光り、紫怨の頭部が漆黒の爆発に呑み込まれる。


「がっ……」


 神魔が先の攻撃を防いだように、紫怨は魔力を放出して魔力砲の威力を限界まで削ぎ落とす。

 しかし完全に防ぎきる事は叶わず、頭部に神魔の魔力の残滓を絡ませた紫怨はそのまま地面にまで吹き飛ばされると、炸裂した魔力による漆黒の爆発に巻き込まれ、その中に姿を消した。



「!」


 次の瞬間、自身へと迫る純然たる闇を知覚した臥角は、己魔力の暴嵐を纏わせた棍をマリアとは逆の方向へ向ける。


 それと同時にその棍の柄に漆黒の刀身が激突し、轟音と魔力の波動を撒き散らして天に昇っていく。


「……惜しかったな」


 神魔の放った大槍刀を受け止めた臥角は、魂が軋むに等しい音を立てる武器のせめぎ合いに口端を吊り上げる。

 神魔と相対する臥角の声音からは余裕すら感じられるが、その表情に余裕は感じられなかった。


「神魔さん」


 神魔の姿を見て止めた詩織は思わず声を上げる。


 その言葉に反応して神魔は一瞬にして臥角の後ろへ移動し、詩織を守る結界を張り巡らせているマリアを背にする。


「……悪魔のお前がゆりかごの人間と天使を守るのか?」


 光の結界に守られた詩織と天使であるマリアを庇うように移動した神魔に、臥角は低く抑制した声で尋ねる。

 その声音からは軽蔑や嘲笑などではなく、本来敵対する存在である天使と取るに足らないゆりかごの人間を守ろうと必死になる神魔に対する純粋な疑問――あるいは意思を問い質す意図が見て取れた。


「そんなはずないでしょ? 僕は詩織さんとマリアさんを守ってるんだよ」


「ほう……」


 天使とゆりかごの人間を守っているのではなく、天使のマリアとゆりかごの人間である詩織という個人を守っているのだという意思が込められた神魔の言葉に、臥角は興味深げに小さく声を零す。


「……っ」

 そして、神魔の返答を聞いた詩織は、自分を守ってくれるように立つその背中に、無意識に熱を帯びた眼差しを送っていた。


「詩織さん。怪我は無い?」


「あ、はい。大丈夫です」

 熱に浮かされたように呆けていたその時、神魔に問いかけられた詩織は、我に返って答える。


「私には聞いてくれないんですか?」


 この命をかけた戦場でなにやら甘い雰囲気を纏っている詩織の様子を見て取ったマリアは、神魔に向けて不満めいた言葉を向ける。


「だって見るからに怪我してますから」


 本気で不満を感じていないマリアの声音に一瞥を向けた神魔は、その身体から立ち昇る血炎を金色の双眸に映して答える。

 その怪我は全霊命(ファースト)にとって取るに足らない程度のものでしかないが、それでも「怪我はないか」と尋ねるには傷が深すぎた。


「それはそうかもしれませんけど……」


「それにそれを聞くのは僕の役目じゃないでしょ?」


「え?」

 神魔の言葉にその意味を知覚したマリアが視線を送ると、そこには左腕と左翼をひしゃげさせたままで空を飛翔してくるクロスの姿があった。


「マリア!」


 腕と翼の治癒もろくにせず、必死の形相でマリアの元へ降り立ったクロスは、身体中からわずかに血炎を立ち昇らせるマリアを見て切なそうな表情を浮かべる。


「悪い、遅くなった。傷は大丈夫か?」


「……クロス」

 なりふり構わず自分を案じてくれていることがありありと伝わってくるクロスの態度と言葉に、マリアの頬が自然と赤く染まる。


「大丈夫。そんな大怪我してる人に心配されるほどの怪我じゃないんだから」


 その口から出た言葉とは裏腹に、嬉しそうに微笑んでマリアは近寄ってきたクロスに手を掲げて治癒の光を放つ。


(そっか、この二人って……)


 目の前で見せつけられたクロスとマリアのやり取りを見て、詩織は結界の中で小さく微笑む。


 柔らかく甘い空気を纏って頬を染め、互いに視線を送っている二人は誰が見ても相思相愛の恋人のようにしか見えない。

 そしてそれは、恋愛経験のない詩織から見ても間違いがないと思えるほどに分かりやすく、純粋な想いに満ちていると感じられた


「天使と悪魔が協力か……光魔神はともかく、何の力も無いそのゆりかごの人間に守るほどの価値があるのか?」


 クロスとマリアのやり取りに淡泊な眼差しを送っていた臥角は、神魔に視線を移して改めて問いかける。


 光魔神には守る価値はもちろん、戦う力もある。やがてこの世界で最強の存在になるのならば尚の事だろう。

 しかしマリアや神魔が守っているゆりかご人間には戦う力も特殊な能力も無い。言うなればただの足手まといでしかない。

 そんな相手を命を懸けて守る意義を尋ねる臥角に、神魔は小さく笑みを浮かべる。


「分かってないな。戦う力があることや特殊な力がある事が誰かを守る理由じゃないでしょ?」


「なら、お前にとってその女はそれだけの価値があるという事か?」


 価値や意味があるから守っているのではなく、守りたいと思っているという神魔の言葉に、臥角は抑制の効いた声で問い返す。

 ゆりかごの人間と天使を守る意味と意義を再度確認するその言葉に、神魔は背中越しに一度詩織を見てから、再び臥角に視線を戻して答える。


「そうだよ。僕は詩織さんを守るって自分で決めてるんだ」


「……っ!?」


 言葉では揺らぐことのない確固たる意志が感じられる声音で紡がれたその言葉に、詩織の顔がこれ以上無いと言うほど赤くなる。


(え? 神魔さん? それって…それって……)


 早鐘のように打つ鼓動が世界の全ての音をかき消し、詩織の目はいつの間にか神魔だけを映しており、その姿に視線と心が釘付けになる。


 そしてその神魔の言葉と自分の鼓動に詩織は否が応でも自分の気持ちを認識し気づかされてしまう。


(そっか。やっぱり……やっぱり私……)


 その言葉に、詩織は自分の中の気持ちが確かなものであることを認識していた。


 これまで何度も予感はあった。神魔の仕草や言動に今まで感じた事のない気持ちを抱き、「もしかしたら」と思ったが、「気のせいだ」と目をそらしてきた。


 しかし神魔に今「特別だ」と言われて自分の心と身体が幸福と歓喜に打ち震えるのが分かる。


 詩織も今年で十五歳。今までそれを告げることこそ無かったものの、子供ながらに淡い恋心を抱いた事もある。

 しかし今感じる気持ちは、かつて抱いたその感情が霞んでしまうほど確かにはっきりと詩織の心を占領していた。


(神魔さんのこと好きなんだ)


 生まれて初めて理解する確かな「愛情を宿した恋」に、詩織は熱に浮かされたようにその相手である神魔を眼で追ってしまう。



「…………」

 クロスを治療しながらその様子を背中で感じていたマリアは、神魔と詩織の二人に静かに視線を送り、その目にわずかに鋭い光を宿していた。



「さて。悪いけど早く終わらせてもらうよ」


「やってみろ」

 大槍刀の先端を向けてきた神魔の言葉に、臥角は口元に獣の笑みを浮かべた。





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