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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
138/305

平和な世界






「『理想郷(ユートピア)』……!」


 黒のリボンで三つ編みのように束ねた朱桃色の髪をなびかせる女性の姿を見た蒐集神は、その存在の特性のままに包容力と慈愛に満ちた笑みを浮かべる自身の怨敵と呼んですら過言ではないその名を苦々しげに吐き捨てる


 これまで永くに渡り、その存在理由である「蒐集」を妨げるべく立ち塞がってきた理想郷(ユートピア)は、蒐集神にとって間違いなく天敵と呼ぶにふさわしい人物だった


「どうやら、まだ犠牲者は出ていないようですね、よかった……」

 戦場を見回し、多くの者達がいるのを見て取った理想郷(ユートピア)は、誰も蒐集神にその存在と囚われ、奪われる前に間に合った安堵に胸を撫で下ろす

「ここは私にまかせて、皆さんは急いで撤退を」

 そうして安堵の息をついた理想郷(ユートピア)は、優しいその目に凛々しい光を宿すと、博愛の意志を以って戦場にいる者達に声を届ける

 厳かな声と共に自身の存在を戦う形として具現化させた、結晶のように漉き取った刃を持つ大槍刀を顕現させた理想郷(ユートピア)は、その切っ先を蒐集神へと向ける

「さあ、戻りますよ蒐集神(コレクター)

 優しく諭すように語りかけた理想郷(ユートピア)の言葉を聞いた蒐集神は、それが言い終わるが早いか鼻を鳴らして、声を荒げる

「誰が! まだ何のお宝も手に入れてないっていうのに、またあの日々にもどるなんざ、ごめんだね!」

 その手に何者かから略奪した黄金の槍を携えた蒐集神の言葉に、理想郷(ユートピア)はいつものように通じ合うことのない問答に目を伏せて、水晶のように透き通ったその瞳を鏃のように鋭くして射抜く


「なら、力づくで連れていくまでです」





「ロード様」

「ああ」

 理想郷(ユートピア)が出現したのを見て取った撫子は、一言淑やかな声音で自身が唯一無二の愛を捧げる伴侶――「ロード」へ一言断りを入れると、その場から瞬時にその姿を消す


 刹那ほどの時間さえも存在しないかのように、まるでそこに距離という空間が存在しないかのような世界で最も速い移動を行った撫子は次の瞬間には桜の傍らに佇んでいた

「お姉さん」

「撫子さん」

 突如現れた撫子に神魔と桜が驚きを露にする中、流れるような淑やかな所作で妹の許へと歩み寄った黒髪の大和撫子は、優しくその表情を綻ばせる

「桜さん」

 久しぶりに再会した実妹と躱す言葉を愛おしむように、その名を噛みしめる撫子が桜の左手を自身の両手で包み込むと、そこから金属が擦れる小さな音が響く

「……!」

 姉に手を取られた桜は、それと同時に自身の手のひらに何かがいられたのを感じ取り、重ねられた手に視線を落とす

「三つ目です」

 突然のことに桜が何かを口にするよりも早く、撫子は淑やかな声でその意識を自身に引き寄せ、まっすぐにその目を見つめる

「……? ――!」

 最初こそ、「三つ目」という言葉の意味を掴みあぐねた桜だったが、先程の言葉――「神器を相手にするには三つの手段しかない」という撫子の言葉を思い返して、それの「三つ目」のことを表しているのだと瞬時に理解する


 神の力の欠片たる神器に対抗する手段は、三つ。一つは「逃げる」。二つ目は「神器の特性を把握し、その隙をついて戦う」こと、そして三つめが――


「こちらも同じ、神の力を以って対抗すること、です」

 真っ直ぐに桜を見つめて厳かな声でそう語りかけた撫子は、薄い紅に彩られた花弁のようなその唇を優しく綻ばせて慈愛に満ちた笑みを浮かべる

「まさか、これは……」

 その言葉に、撫子に包み込まれるように握られた自身の手――そして、先ほど手の中に感じた感触に思い至った桜が姉に視線を返す

これ(・・)は、あなたの願いを叶えてくれるものです。ですから、大切に持っていてください」

 驚愕に満ちた桜の視線を受けた撫子は、その傾城傾国の美貌を穏やかに綻ばせ、花の様な笑みを浮かべると諭すように優しく言葉を紡ぐ

「ですが……」

 言葉を濁した桜が、その瞳に困惑と戸惑いを映すと、その原因を理解している撫子はその言葉の続きを待つことなく、その答えを口にする

「大丈夫です。これは特別(・・・・・)ですから――それに、これはあなたに持っていていただきたいのです」

 桜の疑問は、もしも撫子から渡さられたものが、自身の考えている通りのものであったなら、それは使用者を選び、そして極めて珍しいもの。たとえ自分で使えなくとも、計り知れないほどの価値を有しているそれ(・・)を、いくら姉だからと言って貰い受けることに抵抗を隠せなかった

 しかし、そんな桜の疑問と戸惑いをすべて見透かしている撫子は、その二つの疑問に淑やかな微笑を以って応えると、実妹の手を包み込んでいた両の手をそっと開く

「――……」

 まるで蕾が花開くように、自身の手を包んでいた撫子の手が開いたのを見た桜は、姉から渡されたそれに視線を落とす


 そこにあったのは、花とも鳥とも取れる紋様の形状をしたペンダントのような装飾具。宝珠が列なった連環の数珠に繋げられているそれは、アクセサリーというよりはお守りのような印象を持っていた

 桜に花鳥の紋を託した撫子は、隣から興味深げに見ていた神魔へと向き直ると穏やかな声音で微笑みかける


「神魔さん」

「は、はい」

 その声にわずかに慌てた様子で視線を上げた神魔は、自身に向き合うように凛淑とした佇まいで優しく視線を向けている撫子と視線を交錯させる

 まるで心の奥底まで見透かそうとしているかのように透き通った瞳で見つめられる神魔が、小さく息を呑むのを見た撫子は、一拍の間を置いてその傾城傾国の美貌を優しく綻ばせる

「これからも、桜さんをよろしくお願いいたしますね」

「はい」

 神魔への信頼に裏打ちされ、微塵の憂いも感じていないといった様子で微笑みかけた撫子は、そのまま視線を桜へと移す

「桜さんも、神魔さんの伴侶として恥じないようにお仕えするのですよ」

「はい」

 撫子の言葉に頷いた桜だったが、その瞬間自分を見る姉の美貌に一瞬影が差したのを見逃さなかった

(お姉さん……?)

 ほんの一瞬姉が見せた翳りに、違和感を覚えた桜だったが、それを訪ねるよりも早くそれを消し去った撫子は、花のようにその表情を綻ばせる

「わたくしは、あなたと一緒に行くことはできませんが、あなたたちの幸福を祈っております」

「お姉さん!」

 その身を翻らせ、背を向けた撫子に声をかけた桜が呼びかけると、撫子は艶やかな漆黒の髪に覆われた背を向けたまま足を止める

「……またお会いできますよね?」

 桜のその言葉にしばしの沈黙を置いて肩越しに顔を向けた撫子は、薄い紅に彩られた花弁のような唇を綻ばせて淑やかに微笑む

 桜の言葉には答えず、ただ肯定とも否定とも取れる曖昧な笑みを返した撫子は、桜と神魔に見送られながら、その姿を一瞬で消失させる

「……っ」

 姉が消えた空間に視線を送る桜は、「また会えるのか?」という自分の問いに答えなかった撫子の微笑と一瞬垣間見せた憂いにも似た影を思い返し、漠然とした言い知れぬ不安に胸を締め付けられる

 重ねた自身の手に込める力をわずかに強め、隣に視線を向けた桜は、自分が感じた撫子の違和感には気づいていない様子の神魔をその瞳に映すと、まるでその存在を自身の魂の奥底に刻み付けようとしているかのように瞼を伏せるのだった




「ありがとうございました」

 漆黒の髪を揺らし、自身の傍らに姿を現した撫子を見たロードは、穢れを知らない純白の花びらを思わせる清楚な表情を見てその目を細める

「もういいのか?」

 ロードの、淡泊だが核心をついた言葉を投げかけられた撫子は、それに反応して一瞬その肩を小さく震わせるが普段と変わらない淑然とした佇まいで応じる

「……はい」

「そうか」

 撫子の言葉を受けたロードは、それ以上追及することはせずにただ一言そう答えると、金色の瞳を抱くその目をわずかに細めるのだった





「なら、力づくで連れていくまでです」

 天空に出現した理想郷(ユートピア)が凛と澄んだ声で言葉を紡ぐのを聞いた瞬間、その場にいた全霊命(ファースト)達が一斉にその武器を解除する

「マズイ、大貴戦意を解け!」

「え?」

 そしてそれに続くようにクロス言葉をかけられた大貴は、その言葉の真意を理解することができずに困惑を浮かべた


 全霊命(ファースト)の武器は、全霊命(ファースト)自身の戦う形。そしてその力は、「自身の霊格と力の及ぶ限り、望んだままに事象を顕現させる」という神能(ゴットクロア)の特性に基づき、使用者の戦意に比例する。

 その身体をもまた神能(ゴットクロア)で構築されている全霊命(ファースト)にとって、本能と理性は等しいもの。

 戦闘に於いては、その純然たる殺意によって発言した力を振るって戦う――それは、大貴が光魔神として覚醒した際、クロス達が教えてくれた基本。

 意志が弱かったり迷いがあればその力は曇って十全たる力を発揮できず、また自分に戦意がないからと言って相手がそれに応じてくれるとは限らないということもまた、クロス達が教えてくれたことであり大貴自身も身を以って体験した事実だ。


「早くしろ!」

 にも関わらず、それを教えてくれたクロスがそれを否定するようなことを述べたことに困惑した大貴が一瞬戸惑った瞬間、世界を聖浄な空気が瞬時に塗り替える。


「――ッ!?」


 自身の智識と経験を否定する言葉に大貴が戸惑った一瞬、理想郷(ユートピア)から発せられた神能(ゴットクロア)――「守護(セイヴ)」の力の波動が世界を呑み込み、そしてその力に伴う(・・・・)事象を発現させる

 まるでこの世界を浄化し、漂白するような透き通った穢れのない力の波動が駆け抜けた瞬間、大貴の手に握られた太刀が、まるで風化したようにその強度を失って崩れ落ち、神能(ゴットクロア)の力の残滓となって空に溶けていく

「なっ!?」

(武器が……!?)

 なにもしていないにも関わらず、自身の武器が崩壊したことに驚愕しながら大貴は「戦意」そのものであるそれが破壊されたことで生じる魂へのダメージに、口から血炎を零す

「これが、理想郷(ユートピア)の能力。そして、あいつが蒐集神の相手に選ばれた理由だ」

「?」

 苦悶の表情を浮かべ、わずかに体を崩した大貴を案じるように見たクロスは、その視線を天空に佇む理想郷(ユートピア)へと向けてその目を細める

「『戦い無き楽園(パラディスフリーデン)』――理想郷(ユートピア)が存在する一定空間領域内では、戦闘を強制的に(・・・・・・・)禁止される――つまり、あいつがいる限り、戦いはできないってことだな」

「――!」

 そういって現在の状況を説明したクロスの言葉を聞いた大貴は、理解と驚愕にその表情を染め、天空で朱桃色の髪をなびかせている理想郷(ユートピア)をその左右非対称色の瞳に映す


 円卓の新座№10「護法神・セイヴ」に列なる七人の神片(フラグメント)ユニットの一人である「理想郷(ユートピア)」は、その名の通りこの世に実現されることのない誰もが幸福に満たされた争いのない理想の世界を体現する存在

 そして、その力の領域内では戦闘が強制的に無力化され、武器を持つ者はそれを失い、戦意を持つ者はそれを封殺される

 武器を無力化し、攻撃を不能にするその能力は、取り込んだ者の武器を全て行使できる蒐集神にとってまさに天敵。同格の神であるがゆえに、矛盾の定理によって完全な無力化はできないが、武器の顕現数などに著しい制限を設けるその力を見込まれ、蒐集神の相手を任されてきたのだ


(なるほど、それで……)

 神の力を与えられたウェンディが形を失った理由を含め、事態を把握した大貴が視線を巡らせると、神魔達をはじめ、その力を知っている全霊命(ファースト)達は武器を消し去り、状況を静観している

「さあ、帰りますよ、蒐集神(コレクター)

 天空からゆっくりと降下し、地面に降り立った理想郷(ユートピア)が聖母を彷彿とさせる微笑みを浮かべて語りかける

 しかし、その慈愛に満ちた澄んだ声音も、それを聞く蒐集神にとっては不快な雑音に等しい。軋む音がするほどに歯を噛みしめた蒐集神(コレクター)は、自身へと変わらない視線を向けてくる理想郷(ユートピア)にその苛立ちをぶつける

「ざけんな! そんな風に言われてのこのこついていくわけないだろうが! それに、俺はお前のことが十世界の盟主と同じくらい気に入らないんだよ!」

 蒐集神が理想郷(ユートピア)を嫌う理由は、単純に能力の相性が悪いからでも、自分の存在意義を否定してくるからでもない

 自分に向けられるその視線――慈愛と博愛に満ちた、敵意とは無縁の瞳を持つ者が、自分の行く手を遮ってくることが気に入らないからだ

「それはそれは――ですが、それは心外というものです」

 しかし、そんな蒐集神の言葉を軽く流した理想郷(ユートピア)は、静かに歩を進めウェンディの金鎧を纏った眼前の宿敵を見る

「知っての通り、私たちの神、『護法神・セイヴ』様は守護と繁栄の神。戦と征服の神である『覇国神・ウォー』とは対称の事柄を司る対の神です

 覇国神が、戦による侵略と征服によって勢力を拡大していく拡大的な繁栄を司るならば、護法神様は、現在ある領土と民を維持し、発展していく神」

 懇々と言葉を並べ、まるで蒐集神の認識を粗目用としているかのように訂正していく理想郷(ユートピア)の姿と言葉は、彼女の本心を表しているかのように思える――すなわち、「十世界盟主(奏姫・愛梨)と同じと思われたくない」と。


 戦とはただ単に命を奪うものではない。それは時に何かを守り、手に入れるための戦い。守るものは自分や愛する人、民の命であり、奪うものは相手のそれ。時には領土や権利を獲得し、その勢力と支配域を拡大していく

 対して護法神が司る守護と繁栄は、外へ広がるのではなく、今あるものを守り維持し発展させるもの。戦が獲得するものならば、繁栄とはそれを維持し、守っていくこと


「そして、その神片(フラグメント)である私が司る『不戦の理想』とは、失わないため(・・・・・・)に掲げられる理念。力とは違う形で求める不可侵の心域なのです――全てを手に入れようと(・・・・・・・・・・)する奏姫とは違うのですよ」

 理想郷の名にふさわしく、この世のあらゆる苦しみから解き放たられた楽園にいるかのような笑みを浮かべる理想郷(ユートピア)の言葉は、自嘲とも嘲りともとれる響きを以って蒐集神に向けられる


 生きるということは戦うということ。この世に存在するあまねく命は存在する限り何かと戦い続けなければならない。しかし、だからといって誰もが戦うことを望んでいるわけでもない

 戦って勝利すれば守れるものがあり、手に入れられるものがある。だが逆に敗れれば守れないものあり失われるものがあることは必定。

 故に守護の神の眷属たる理想郷(ユートピア)が司る争いのない世界とは、犠牲を可能な限り小さく、危険を回避して自分たちの存続を守るために用いられる心の盾。戦わない理由を正当化する正義の壁だ


「ハッ、偉そうに説法を垂れてるようだが、結局はビビってるだけだろうが!」

 理想郷(ユートピア)の言葉を鼻で笑い飛ばし蒐集神は、自身に涼やかな視線を向けてくる朱桃色の髪を持つ平和の化身に心の底から侮蔑のこもった声を向ける


 理想郷(ユートピア)の言う言葉は、簡潔に意味をかみ砕いて言えば「戦ったら傷つくし、もしかしたら負けてしまうかもしれない。もし負けてしまえば全てを失ってしまう。ならば、戦うなどという危険を冒すようなことはせず、対話で妥協点を見出そう」ということ

 それは、蒐集神(コレクター)から見れば、「最大のリスクを回避し、最小のリスクで物事の解決を見出そうとする」臆病者の戯言。望む全てを手に入れることを存在の意義とする蒐集の神にとっては到底理解できない概念だった


 しかし、そんな蒐集神の言葉に小さな笑みを返して理想郷(ユートピア)は痛みにも似た優しさをその瞳に宿して言葉を続ける

「失うことを恐れることは罪ではありません。守れないことに怯えるのは弱さではありません。そして手に入れることを諦めるのは愚かなことでは無いのです」

「理解に苦しむな」

 まっすぐに向けた自分の瞳と言葉に返された予想通りの蒐集神の言葉に、慈愛に満ちた微笑を以って応じた理想郷(ユートピア)は、どこまでも優しく響く慈しみに彩られた声音で自身の心を言葉として紡ぐ

「自分ではないものを守るためには、心を砕くことが必要なのですよ」



 守護の神である護法神が、その対極にある覇国神や、蒐集神、あるいは他の多くの全霊命(ファースト)達と決定的に違うのは、「自分以外のものを守る」ということ

 そして、ここで理想郷(ユートピア)が言う「自分ではないもの」とは、――有り体な言い方をすれば「人のため」と言い換えることができる。


 その「自分」という言葉は、自分自身の命や誇りを含めた環境的ものを指している。例えば「愛する人」、「親兄弟」、「友人」などは他人ではあっても自分自身において重要な存在になる――そういった人たちが幸福ならば自分も嬉しく感じるであろうし、不幸ならば気の毒に思うだろう。

 そういった直接的、間接的に縁のある人は自分の環境であり、その人たちのために心や身を砕くことはある意味で人のためとは言わない。


 理想郷(ユートピア)が言う「人」とは、「自分にとって利害関係の一切ない赤の他人」を意味している。なぜなら多くの全霊命(ファースト)が戦う理由はそれこそ、自分や愛する人、友人、知人を守るためであり、見ず知らずの誰かのために意味なく命を懸けて戦う者はそう多くないからだ

 個人単位ならば、それもいいだろう。だが、国家や世界単位でものを考えた時にはそうはいかない。その中に生きる者は、程度の差はあれど、自分にとって何の縁もない誰かの命を背負わなければならなくなる

 そして護法神に列なる理想郷ユートピアが司っているのは、まさにこの「関係性の一切ない相手に払う自身の命の危険性」そのもの。そのために必要とされるものこそが、「争いのない世界」という意識の盾だ



「やっぱ、何度聞いてもお前の言ってることは分かんねえな」

 耳に残るその言葉をかき消そうとしているのか、鬱陶しそうに耳をかきながら応じた蒐集神に、理想郷(ユートピア)はその瞳に静かな光を灯す

「あなたがそれを分からないのは、あなたが自分以外のものを守っていないからですよ」

 その言葉に、動きを止めた蒐集神をまっすぐに視線で射抜いた理想郷(ユートピア)は、静かにその心に向けて語りかける

「人に奉仕しろとまでは言いません。ですが、その心の一欠程度でも、あなたが奪った人の親族や知人、あるいはあなたを恐れる人の心に寄り添わせてくれれば、あなたの世界はその形を大きく変えるはずです」


 蒐集神は、自分のためにしか生きていない。無論、究極的に言えばこの世界に生きる者の大半は自分のために生きているのは否めない

 知人や友人、家族、愛する人といった自分にとって大切な人と名も知らぬ赤の他人。どちらかを選ばなければならない状況が来れば、多くの人が大切な人を選ぶだろう――少なくとも、全霊命(ファースト)にはそうするものが多い

 だが、だからと言って自分に縁のない人物に対して何の感情も抱かないわけではない。蒐集神も奪われた者の心にほんの少し心を向けるだけで、その在り方を変えられるはず


 訴えるように発せられた理想郷(ユートピア)の言葉に耳を傾けていた蒐集神は、しかしそんな言葉になど微塵も興味がないといった様子で辟易としたため息をつく

「……要は自分はお前のものを奪わないから、お前も俺のものを取るなって言いたいんだろ? そんな後ろ向きな生き方に興味はねえよ。俺は、宝箱に等しいこの世界で、欲しいものを欲しいように手にするってだけの話だ」

 そう言って理想郷(ユートピア)を鼻で笑った蒐集神は、金色の鎧を纏ったその身体に戦意を漲らせて力強く言い放つ

「てめェの命も懸けずに守るものなんざ、ゴミと同じだ。そんなモン欲しがるんじゃねえよ!」

 咆哮と共に自身の神能(ゴットクロア)を叩きつけた蒐集神が、身の丈を超える刀身の刃を掲げる金色の腕を振り下ろそうとした瞬間、閃光が世界を斬絶する

「――っ!?」

 自身の両の腕と鎧が一瞬で斬り落とされたのを見て取った蒐集神は、その視線を背後に向け、そこで十字の大剣を振り下ろした形で構えている人物を見て目を瞠る

「……剣王(ジェネラル)

 斬り落とされた両腕と口から血炎を吹き出した蒐集神がその名を呼び、その目を怒りに染めて身を反転させたと同時にその腹部に大剣の切っ先が突き立てられる

「ガッ……!」

 容赦なく突き立てられた大剣の刃で地面に磔にされた蒐集神は、自身をその存在の特徴である瞳のない目で見下ろす剣王(ジェネラル)を睨み付ける

「てめぇ……ッ」

 同格の神片(フラグメント)である以上、剣王(ジェネラル)理想郷(ユートピア)の戦闘不能領域の能力が効いていないことには合点がいく

 そのことを失念していたわけではない。そしてまた、剣王(ジェネラル)から意識を逸らしていたわけでもない。しかし、攻撃に気付くことができなかった蒐集神(コレクター)は自身を貫く剣を持つ戦神の眷属を見る

理想郷(ユートピア)に気を取られすぎだ」

 自身の大剣の刃で地面に縫い付けた蒐集神を睥睨した剣王(ジェネラル)は、切断された両腕と剣を突き立てた腹部、そして口から血炎を上げているその姿に目を細める


 期せずして訪れた絶好の機会。今ならば、蒐集神をほぼ確実に仕留めることができるだろう――しかし、それは少なくとも姫が望んでいることではないことも事実

 蒐集神をこのまま生かしておいても事態は好転しないであろうことを頭の片隅で半ば確信していながらも、剣王(ジェネラル)は自分の意志よりも自分達の主の願いを優先することに躊躇いはなかった


理想郷(彼女)は平和への祈りそのもの。それは、弱さや悪意にも似た酷く脆く頼りない――だが一人でも多くの人の幸福を願う優しい想いだ

 誰であろうと、望んで失いたいものなんて何一つない。……ただ奪うだけの貴様には分からないだろうがな」


 剣王(ジェネラル)の神である覇国神と理想郷(ユートピア)の神である護法神は対極に位置する神。それは光と闇のように相反する事柄を司るもの

 互いに相容れず、しかしそれがあるからこそ互いの存在を補完し合うことができている二つの存在は、分かり合うことはできずとも互いのことを理解している


「ハッ、戦の神の眷属が分かったような口を利くなよ……てめぇも、奪う側だろうが」

 瞳のないその目で一瞬理想郷(ユートピア)を一瞥した剣王(ジェネラル)の言葉に、蒐集神は苦悶の表情を浮かべながら鼻で笑う

「いや、同じ(・・)さ」

「?」

 しかし、その言葉を静かに否定した剣王(ジェネラル)は怪訝そうに眉をひそめた蒐集神を見るその目をわずかに細めて、眼前の蒐集者が理解できないその理由を語りかける

「奪うものも、奪われるものも、守りたいものも、失いたくないものも――自分が望むものはすべて、等しく自分の心の中にある」

 どこか哀愁すら感じられる雰囲気を纏わせた声音で静かにそう言った剣王(ジェネラル)の言葉に、蒐集神はわずかに目を丸くする

「……世も末だな」

 戦、そして侵略や征服を司る神の欠片であるものが、まるでそれを嘆いているかのような言葉を発したことに、蒐集神は失笑を禁じえずに鼻で笑う

「言っていろ。お前のように、目先の宝にばかり食いついているばかりでは、本当に大切なものを取り逃すことになるからな」

 蒐集神の言葉を意に介さず、それを逆に一笑に伏した剣王(ジェネラル)は、その腹部に突き立てた刃を引き抜き、瞳のない目で理想郷(ユートピア)に向ける

「あとは任せるぞ」

 その声を受けた理想郷(ユートピア)は、小さく頷くと朱桃色の髪を揺らしながらそこへ歩み寄り、血炎に塗れながら、地面に倒れ伏した蒐集神を見る

「帰りますよ、蒐集神(コレクター)

「――チッ」

 自身を見下ろす理想郷(ユートピア)の笑みに、もはや逃げられないと悟った蒐集神は、忌々しげに舌打ちをすることで応じる

「待――ッ」

 しかし、その様子を見ていたアリアがそれに思わず声をあげた瞬間、その魂を押しつぶさんばかりの圧力に見舞われ、そのまま地面へと落下する

「アリア!」

「アリアさん!」

 それを見ていたクロスとマリアが声をあげ、ジェノバはその側へと降り立つ

「ぁ、う……っ」

 地面に両手をつき、身を震わせるアリアを見たジェノバは、その原因がこの争いを禁じる空間内で明確な殺意を抱いたことによる存在への負荷であることを正しく見透かし、諭すように語りかける

「もう、やめておけ」

 この不戦闘空間では、神位第六位以上の力を持つ者しか戦意を持てない。ただの一介の天使に過ぎないアリアがそれに抗うことなどできるはずはなく、仮にそれができたとしても今の弱り切った蒐集神を斃すことなどできはしない

 その悔しさや怒りが分からないわけではないが、何もできないことに変わりがないことを分かっているジェノバは、それを聞きわけることを静かに求めていた

「今のお前じゃ何もできない。次の機会までに、それを手に入れればいいだけだろ」

「――……っ」

 ジェノバの言葉を受けたアリアは、魂を押しつぶされる負荷の中で歯を食いしばって、それを否定する意志を瞳に宿す

「そん、なの……待って、なんて……」

 小さくため息をつくジェノバを横目に、アリアは軋む自身の存在を懸命に奮い立たせながら、しかしその戦意と殺意の介在を許さない空間にその表情を苦悶の色に染める

「……いつでも、悔い改める気になったら言ってください」

 その様子を肩ごしに一瞥していた理想郷(ユートピア)は、それだけでアリアと蒐集神のおおよその関係を見通し、静かな声で言う


 これまで自分や奏姫をはじめ、誰の言葉にも心にも、微塵もその借り方を変えてこなかった蒐集神がその程度で変わるとは理想郷(ユートピア)自身も思っていないし、変わる可能性は限りなく小さいこととも思っている

 それでも、ここで蒐集神を殺すことは、愛梨の――ひいては、巫女姫と自身の神である護法神が交わした契約に背くことになる。

 だからこそ、理想郷(ユートピア)はもはや数字として存在するかも怪しい可能性にかけて、蒐集神を連れ戻すことを選択する


(ふざけないで)

 その様子を地に伏せながら見ていたアリアは、怒りにその心を染め上げて力を出せない自身の存在を震わせる

「……ふざけないで。取り戻すの、お姉ちゃんを」

 苦悶の表情から絞り出される声はアリアの心そのもの。決して届くはずがない願いであると知りながらも、今目の前にある確かな願いに、手を伸ばさずにはいられない

(今、理想郷(ユートピア)に連れて行かれたら、お姉ちゃんを助け出す機会が遠くなる。今、今助けなきゃいけないのに……)

 魂を押しつぶすような負荷に耐えながら、懸命に手を伸ばすアリアだが、蒐集神との距離は今にも手に掴めそうでありながら、伸ばした手が届かないほどに遠い

(なんで、あんなやつを、ここまでして庇わなきゃいけないの!? あんなやつ、生かしておく必要なんてない)

 馬利用のない絶対的な力の差を前に成す術もなく、ただ大切な者を奪われる様子を見送らなければならない今の景色は、かつて味わったそれと同じもの――姉が蒐集神に捕えられたときと同じアリアの記憶に鮮明に焼き付けられた絶望そのものだった


(力が欲しい……お姉ちゃんを助ける力が)


 だからこそ、アリアは心から願う。――ジェノバが言うように今の自分では何もできない。今の弱り切った蒐集神を殺すことさえも

 無力は百も承知。しかし、囚われた大好きな姉を取り戻したいという願いをそれで諦めることはできない


(お願い、私に、あいつを、蒐集神(コレクター)を斃して、お姉ちゃんを助ける力を――)


 まるで伸ばした手で掴みとったように見える蒐集神と理想郷(ユートピア)の姿を見ながら、しかし実際には遥か遠く届かない距離にあることを嘆くアリアは、己の無力を呪い、そして心から力を求める




《力を授けてあげましょうか?》




「チッ……今回は諦めるしかねぇな」

 自身に視線を向けたまま、封印の光をその掌の中に生み出した理想郷(ユートピア)を見上げて吐き捨てるように言った蒐集神は、自分を覆っていく光を横目に言葉を続ける

「だが、これで終わりだと思うな。俺は俺が欲しいものを全て手に入れるまで、いつまでも、何度でもこの世界に帰ってくる」

 これは終わりではなく、しばしの別れ。もうすぐいくつもの宝を手に入れられるはずだった宝を諦めざるを得なかったことを口惜しく思いながらも、蒐集神は再来を予言する


 その言葉を聞きながら目を細めた理想郷(ユートピア)が、その手から生み出した光によって蒐集神を封印しようとした次の瞬間、その身体に鈍い衝撃が奔る


「な……っ!?」

 自身の身体に生じた鈍い衝撃に目を瞠った理想郷(ユートピア)がその視線を下にずらすと、そこに見えるのは自身の胸を貫く純白の刃。

 自身の神能(ゴットクロア)が消失して生まれる血炎と、その中から生える刃を見た理想郷(ユートピア)は、それが放たれた方向――自身の背後へと視線を向ける

(この力、まさか――)

 不意に自身の知覚が捉えた力に弾かれるように背後を見た理想郷(ユートピア)と、それに驚愕を禁じえずに、剣王(ジェネラル)、蒐集神、そしてその場にいる全員の視線が向けられる


「アリ、ア……」


 思わずその名を呼んだジェノバは、先ほどまで争いを禁じる領域の負荷によって倒れ伏していたアリアが立ち上がっているのを見る


 ゆらりと立ち上がったアリアの手に握られているのは純白の鎌。その身を纏う霊衣の上に、新たな力が折り重なって生まれた巨大な三日月形の大鎌の刃によって理想郷(ユートピア)を貫いたアリアは、その力が新たな霊衣となった自身に定着していく中、静かに言葉を紡ぐ


 自身の神能(ゴットクロア)の守る姿そのものである霊衣は通常変化することはない。それが、変化しているということは、即ち自分自身――アリアの神能(ゴットクロア)そのものが変化していることを意味していた


「させない……そいつは、蒐集神(コレクター)はここで殺すの」

 その声に応えるように、アリアの回りを舞う純白の力がその身体に定着し、その存在を――その根源たる神能(ゴットクロア)から塗り替えていく


 金色のショートヘアを彩る純白の髪飾りは、その先端に翠緑の宝珠を持つ兎の耳を思わせる純白のそれへと変わって胸元まで伸び、その身を包む霊衣も白を基調としたものとなる

 当初の軽装に近い霊衣から聖楚な美しさをたたえるそれへと変わった力の衣を纏うアリアの背に生える天使の証たる純白の翼には黄金の装飾が絡みつき、その神々しい白さに輝きを添えて、新たに生まれ変わった姿を後光のように照らしていた


「そして、お姉ちゃんを取り戻す」

 凛々しく、力強い決意に満ちた瞳と声で言い放ったアリアは、一層の神々しさを増し、理想郷(ユートピア)の不戦空間の中でも活動を可能にする力を――神位第六位に等しい力をその存在に纏っていた


《あなたの願いに応えて、私の欠片(・・・・)は力と形を得た。さぁ、呼んであげて。あなたの願いを受けて、形と力を得た私の欠片の名を》



「『奪神之望夢レプス・エル・フェラルーン』!」

 心の中に響く声に導かれるままに、自身に宿った新たなる力の名を呼んだアリアは、純白の三日月大鎌を構えるのだった





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