異端神と神片
「蒐集神!? あいつが……」
誰かが零した声に大貴が息を呑む中、漆黒の影の中から鬣を彷彿とさせる逆立った白髪に、限りなく白に近い灰色を基調とした霊衣に身を纏った男が姿を現す。
逆立った白髪と、その身に纏う淡い色合いの霊衣は、その男にどこか儚げで幻想的な存在感を与え、一方でその背に翼のごとく生えている金属質の二対目の腕だけが生々しく鈍い光を放っている。
白髪の髪や白灰色の霊衣に見える金色の金属の装飾を揺らしながら、しかしその全霊命特有の整った顔立ちに捕食者の笑みを浮かべた蒐集神は、幻想と現実が入り混じったようなアンバランスな存在感も相まって不気味な恐怖を見る者に刻み付けていた。
「――っ!」
自身の手を蒐集神の背から生える金属質の腕に掴まれた鼎は、弾かれるようにその手に魔力を収束させて、至近距離で炸裂させる。
蒐集神の背から生える金属質の腕は、腕の二倍ほどの長さしかない。
つまり、その腕に掴まれているということは、蒐集神と鼎の距離はさほど離れていないということ。
自身でさえ気付かぬ内に捕食者の牙に捉えられたことを理解した鼎は、まるで恐怖に突き動かされるように、渾身の魔力を放出していた。
「アイリス、もう大丈夫よ」
「シャロット、でも……」
鼎が解放した魔力が天を衝く漆黒の柱となって立ち昇るのを見たシャロットは、その波動によって揺れる大気の中から、自身に治癒を施しているアイリスに声をかけて身体を起こす
「どちらにしろ、このままじっとしているわけにはいかないでしょう?」
「――っ」
「分かっているでしょう?」と言わんばかりの声音でシャロットに語りかけられたアイリスは、他に選択の余地がないことを理解し、その上で許容できない感情に揺れながら小さく頷くことで応える。
鼎によって受けた傷は未だ完治には至っていない。
それが分かっているアイリスはシャロットを止めようとするが、しかし蒐集神が現れたということは、もはや悠長にしている場合ではないということもまた嫌が応にも理解せざるを得なかった。
だからこそアイリスは、シャロットに返す言葉を見つけることができず、ただの沈黙と自身の無力を噛みしめるしかなかったのだ。
「いい子ね」
それを見たシャロットが左腕の弓鎧を起動させて天空に舞い上がると、それを見ていたアイリスは、自身の武器である白磁の弓を顕現させて、それに続く。
それを合図とするかのように、大貴達を含めアイリス、シャロットまでが臨戦態勢を取った瞬間、噴き荒れる魔力の中から左腕を根元から失い、おびただしい量の血炎を立ち昇らせている鼎がその姿を現す。
「ぐ……ッ!」
地面を足で削りながら身の魔力によって生み出された漆黒の波動を振り払って後退した鼎は、それと同時にその力の残滓の中を睨み付ける。
「――っ!」
噛みしめられた唇は、片腕を失った痛みから来るものであると同時に突然の忌々しき闖入者――「蒐集神・コレクター」に対する憤りを表すもの。
そして、それに答えるように鼎の魔力の波動の残滓の渦の中から、一対二本の鋼の腕を揺らしながら蒐集神がその姿を現す。
「……おっと。加減を間違えたか。神器を傷付けないように加減したのが仇になったな」
鼎が放った渾身の魔力の波動を至近距離で受けたにも関わらず、攻撃のダメージなど一切感じさせない様子で平然と佇む蒐集神は、鼎を掴んでいた右の鋼腕の中で魔力となって崩れる置き土産の残滓を一瞥して苦笑を浮かべる。
それは、先ほどまで鼎の左腕だったもの。
身体から分離されたことでその形を維持できずに魔力へ還元された身体は、魔力の残滓となって鋼の鉤爪のような五本の指の隙間から世界に溶けていく。
「この、野郎……」
先程の一撃でもぎ取られた自身の左腕と、そこから立ち昇っているおびただしい血炎を一瞥した鼎は、苦悶と戦慄に表情を歪めながら、無傷で平然と佇んでいる蒐集神を見る。
そんな鼎の表情は、笑っているようにも見えるが、しかし実際には余裕など一切ない。
ただ限りなく死に肉薄し、かろうじて生の一線を守ることができた紙一重の感情に引き攣ったその表情が本人さえ意識しない内にそんな表情を作り出しているのだった。
(神測証が発動してたのに、俺を掴みやがって……腕一本で済んだのは奇跡ってことか)
鼎がそんな表情を浮かべているその最たる理由は、自身の有する神器――自分自身を異なる位相の存在へと変え、あらゆる事象や神能からさえも界離させる「神測証」の能力が一切通じなかったことに起因している。
その力を発現させ、相手からの攻撃などが一切届かない状態になっていたにも関わらず、蒐集神はこともあろうに鼎を当然のように捕まえた。
それは異端とはいえ、神と呼ばれる存在の力を魂の髄まで刻み込むには十分であり、腕一本で済んだことが奇跡と思えるほどだった。
「なァ、お前の持ってる神器、俺にくれよ」
片腕を失い、笑っているとも引き攣っているとも取れる表情を浮かべる鼎を見た蒐集神は、その口端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。
「――ッ!」
瞬間、蒐集神の身体から強大な神能――大貴をはじめ、この場にいるすべての全霊命を超越する次元の力がその姿を見せ、全員の知覚を一瞬で塗りつぶす。
(……っ、確かにとんでもない力だ。これが、神の力か)
かつて人間界であった神片――「セウ・イーク」のそれを思い起こさせる、まさに文字通りの「神の力」。
そしてそれは、その力を知覚した者達に蒐集神と自分達の間にある存在としての格の違いを、畏怖と戦慄と共に刻み付けていた。
「――ぁ、っ」
そのあまりに強大な神の力の波動に当てられた詩織は、結界越しでも感じられる強大な力の圧力に立っていることすらままならずその場で膝から崩れ落ちる。
「…………」
(無理もないわ)
背後の結界の中で崩れ落ちた詩織を肩ごしに一瞥した瑞希は、自身の力では防ぎきることができない存在の圧力によって恐怖に身を震わせるその姿に視線を向ける。
蒐集神が放つ神に等しい神能は、自分達全霊命でさえ、圧倒するもの。
それを前に世界最弱の存在であるゆりかごの人間の詩織が平静でいられるはずがない。
自身の力が及ばないことを内心で悔い、心中で謝罪しながらも瑞希は、成す術もない力の差を痛感させられる異端の神に視線を戻す。
「もちろん、そっちの奴らのもな」
その場にいる全員の知覚を塗りつぶし、その存在を世界に知らしめる蒐集神は、そう言って不敵に笑うと視線を巡らせて、その視界に光魔神をはじめとした面々を見る。
「っ!?」
それは正に蛇に睨まれた蛙。蒐集神の視線が向けられただけで、大貴はまるで心臓が止まってしまうのではないかと思うほどの圧に、息を呑む。
蒐集神の視線と言葉に、存在の格の違いを見せつけられた大貴達が震える意思でその意味を解釈して真っ先に思い当たったのは、詩織の中にある「神眼」であり、そしてそれが間違いでないことも同時に確信する。
そしてその大貴の考えは、詩織が神眼を持っていることを知っているこの場の面々がいたる共通の帰結だ。
しかし、その中でたった一人だけ、それが神眼だけを意味している言葉ではないことを理解している人物がいた。
(まさか、気付かれてる……!?)
世界にその存在を許されない、天使と人――即ち全霊命と半霊命の混濁者である自身が生かされている理由が、自身の身に宿る神器であることを知っているマリアは、蒐集神の言葉に可能な限り平静を保って息を呑む。
蒐集神は、「そっちの奴らのもな」と言った。つまり、この場に複数の神の力が存在していることを知っているということ。
収集の神である蒐集神に、目の前にいる人物が神器を持っていることを見分けることができる能力があること自体は不思議なことではない。
そして、その感覚がこの場にある複数の神器を捉えているのだとすれば、それが自身の中にあるそれであることを気付かれている可能性をマリアが考えないはずはなかった。
もしかしたら、撫子が持っているであろうそれを指しているのかもしれないが、神器を宿している事実を自身にとって最も親しい存在であるクロスにさえ明かしていないマリアが、その言葉に反応してしまうことは無理からぬことともいえた。
※
「――フレイザード様。鼎からの連絡です。妖精界に蒐集神が現れたと」
その頃、世界の狭間に存在する大樹に埋もれた巨大な浮遊城――「英知の樹」の本拠地では、妖精界にいる鼎からの緊急連絡を受けた女性が静かな声でそれに応じる。
膝裏まで届く緩やかなウェーブのかかった金色の髪に司祭服に似た霊衣を纏うその女性の背から生える四対八枚の漆黒の翼は、堕天使であることの証。
新緑色の瞳を抱く全霊命特有の整った顔立ちに、包み込むような穏やかさを感じさせる微笑を浮かべたその女性の側頭部には、水晶質の花型の飾りがつけられており、それが小さな光を灯している。
――神器「通神界路」。
それが、その金色の髪につけられた花飾りの名。通常伴侶としか行えない、世界を超える思念通話を誰とでも行うことができる上、一度に複数人の相手とも通信を可能にする力を持った神器。
その力を以って、英知の樹における通信と伝達を一括して統括する女性が、妖精界にいる鼎からの思念通話の内容を伝えると、それを聞いたフレイザードは、小さく不敵な笑みを浮かべる。
「随分都合よく現れるものだな」
「は……?」
フレイザードが微笑と共に発したその言葉に、通神の神器の所有者たる堕天使の女性が胡乱げな声を返す。
「いや、なんでもない。『カトレア』、ただちに英知の樹全員に連絡。妖精界にいる者は退却。それ以外の者は近づかないようにと」
「はい」
その命を受けた堕天使の女性――「カトレア」が、神器の力を使って英知の樹に所属する全員にそれを伝えているのを静かに見つめるフレイザードの脳裏に、不意に思念通話が入り込んでくる。
《野放しにしておいていいのですか?》
脳裏に響いた声は、温和で優しげな響きを伴う男の声。低すぎず高すぎないその声の主の正体を知っているフレイザードは、思念通話を悟られないように表情を変えることなく、意識の中で静かにそれに応える。
《――王路か。まあ、あいつはそもそも我らを利用している口だ。蒐集神を差し向けてまで邪魔をしてくるということは、それほど都合が悪いのだろうな。
いずれにしても、奴らを利用しているのは我々も同じ。今回は知らぬふりをして奴らの茶番に乗ってやるさ。
未だ世界の事柄の全てはこちらの思惑通りに進んでいるのだからな》
このまるで図ったかのような蒐集神の襲来の陰に王路の存在があることに気付いていながら、しかしフレイザードはまるで事の成り行きを楽しんでいるかのように思念を返す。
王路が英知の樹を利用していることなど百も承知。それでもなおフレイザードはそれを咎めることも憤りを露にすることはない。
なぜなら、今この瞬間にも世界が自身の思惑の通りに動いていることを確信しているのだから。
《分かりました。あなたがそう言うならば、もう少し泳がせておきましょう》
思念での会話を終了し、全メンバーへの通信を終えたカトレアの後ろ姿を見たフレイザードは、誰にも気づかれないように小さく口端を吊り上げる。
(いくら足掻いても無駄だ、王路、夢想神。お前たちがことを成すよりも早く、この私がこの世界の全てを手に入れるのだからな)
※
「俺は運がいい! 奴を振り切って早々、これだけの宝の山に出会えるとは! ここにある宝も全部、一つ残らず俺のものだ!」
「――っ!」
歓喜に彩られた蒐集神の言葉を聞いた撫子が、弾かれるように自身の胸元に向けて掌をかざした瞬間、それを一瞥したロードが静かに制止の声をかける。
「待て撫子」
「ロード様……」
まるで何かを呼び起そうとするかのように胸に手を翳した撫子は、ロードの声に動きを止めて視線を向ける。
不信感など一切宿っていない全幅の信頼を感じさせながらも、その理由を求めるように向けられた撫子の視線に静かに目を伏せたロードは、淡々とした口調でその根拠を言葉に変える。
「その必要はない」
そのロードの視線が、一瞬天空へと向けられたのを見て取った撫子は、それだけでおおよそその言わんとしていることを察し、胸元に翳していた手をゆっくりと下ろす。
「承知いたしました」
「――『回収神』」
そんなやり取りを行っているロードと撫子を尻目に、獰猛な捕食者の笑みを浮かべた蒐集神の声に応えて蒐集の神の力そのものである神能が戦うための形を取る。
蒐集神の声とほぼ同時にその手の中に顕現していたのは、事典のような厚く頑丈な表紙に覆われた一冊の本。
それには、文字や紋様さえなく、白と淡色の霊衣を纏った蒐集神の腕の中で異様な存在感を纏っていた。
(あれが、武器を奪う武器……!)
蒐集神の腕の中に顕現した本型の武器を見た大貴は、妖精界王城の中でリリーナから聞いた説明を思い返して息を呑む。
円卓の神座№11「司法神・ルール」の「界厳令」によって蒐集神の存在を知った大貴は、その場にいたリリーナから簡潔にではあるが、その武器――あるいは蒐集神の能力についての説明を受けている。
故に蒐集神の能力――自身の武器である「本」に全霊命を取り込み、その武器を自身のものとして行使することができる――に対しての知識を有している大貴は、その腕の中に顕現した黒い書籍に対して心中で警戒を強めていた。
「とりあえずは、パーティ会場が必要だな」
そう言って蒐集神が静かに獰猛な笑みを浮かべた瞬間、その足元に広がっていた"影"が一気にその面積を広げ、その場にいた全員を包み込む天蓋を構築する。
「っ、これは……!」
その影を見ていた大貴の脳裏に、先程蒐集神が鼎を捉えた際に姿を隠していた「影」が呼び起される。
(あれは、特異型の武器だったのか……!)
「中々便利なものだろう? 俺の自慢のコレクションだからな」
不敵な笑みを浮かべて得意気に蒐集神が言った瞬間、その背後の空間が揺らめいて無数の武器が顕現し、さらに大貴達を取り囲む影の天蓋からおびただしい量の禍々しい武器が生えてその切っ先を向ける。
「っ!」
「空間転移や時空転移で逃げようとは思うなよ? この天蓋はそれをさせないためのものだ」
一つではない――おそらくは二つ以上の武器を同時に発動した蒐集神の力に一同が目を瞠る中、白髪の収集者は、無数の武器を従えて舌なめずりをするように語りかける。
この周囲の影は、「空間」そのものと言っていい能力を有する特異型――すなわち、通常の形状とはかけ離れ、時に特殊な能力を有する武器だ。
そしてこの影には最初に蒐集神がやって見せたように、「空間」として纏うことでその存在を隠したりする以外にこうして内側を外界と隔離された異空間へと変えることができる。
そしてこの空間の中では、空間や時空を超える移動を容易には行えない。
無論、絶対にというわけではないが、通常のそれよりは遥かに時間がかかって隙ができるうえ、今その能力を使っているのがこの中で最も神格が高い蒐集神である以上、通常の全霊命にこれを破ることは不可能と考えるべきだろう。
(閉じ込められた……! くそ、先手を打たれたか)
自分たちを取り囲む影の天蓋を見て心中で苦々しげに吐き捨てたクロスが蒐集神に睨み付けるように視線を向ける。
その視線の先にいる蒐集神の表情には不敵な笑みが浮かんでおり、それはまるで既にここにあるすべての神器を手に入れることを確信し、それを愛でることを思い描いているような恍惚としたものになっていた。
だが、神魔達全霊命と、最強の異端神の一柱でありながら通常の全霊命と同等程度の力しか持たない今の大貴では、異端とはいえ神に等しい力を持つ蒐集神を相手に戦いなど成立するはずもない。
否応なく思い知らされる存在としての格の違いに、凶悪で恍惚とした蒐集神が思い描く未来が、近く現実になることであることを理解せざるを得なかった。
「――っ」
威圧しているわけでもない、ただ嬉々として淡々と紡がれた蒐集神の言葉は、それを聞いている者達の魂を握りつぶすような重厚感を伴っている。
それはまさに神の宣告。
その前では、天使も悪魔も精霊もゆりかごの人間も、全霊命も半霊命さえも等しく神の前にひれ伏す憐れな生贄でしかなかった。
「大丈夫、僕が詩織さんを守るから」
蒐集神の言葉に、膝から崩れ落ち、その身を抱くように畏怖と恐怖と戦慄の入り混じった表情で震える詩織に神魔は一瞥を向けて声をかける。
「しん、まさん……」
強張ったその声は強がりや気休め程度でしかなかったが、神魔のその言葉は何よりも詩織に勇気を与え、奮い立たせるものだった。
蒐集神に対峙する神魔の背に視線を向けた詩織は、その隣に立つ桜を見て無意識に自身と比べてしまう。
手を伸ばせば届くほどに近いのに、決して埋めることのできないその距離こそが、自分と神魔の距離なのだという実感に空虚な無力感と羨望を覚えた詩織は、無意識に唇を引き結ぶ。
「おっと。ついつい、コレクションを自慢したくなるのが収集家の悪い癖でな。とりあえず、邪魔な奴は片して、一つずつお宝を回収させてもらうか」
その身体から生み出される隔絶した神の力を垣間見せた蒐集神は、その顔に笑みを刻み付けてその場にいる全員を見回す。
蒐集神が基本的に好んで集めるのは、神器や神の力に列なるものと特異型をはじめとする珍しい形状や能力を持つ武器や個人。
しかし、時にはその例外も存在はする。その目はその場にいる者達――大貴、神魔、クロス、詩織、桜、マリア、瑞希、アイリス、シャロット、ロード、撫子、鼎と順に視線を巡らせ、その手の中に顕現している武器や存在を入念に確認していた。
「クク、さぁて。まずは何から手に入れようかなァ?」
舌なめずりをするように言う蒐集神を見た撫子は、その視線を隣に佇んでいるロードへと向ける。
「ロード様」
自分を止めたロードの真意を理解している撫子は、しかし一行に訪れない"その時"に、その淑やかな声にわずかな焦燥が宿る。
「――……」
その言葉を受けたロードは、神の力を前にわずかなりにもその表情を強張らせ、引き攣らせている一同の中でただ一人平然とした表情で沈黙を守っていた。
まるで何かを伺っているようにも見える表情を浮かべてその時を待っていたロードは、撫子の言葉に視線だけを向けて応えると、その金色の瞳を上空――影の特異型武器によって構築された漆黒の天蓋の外へと向ける。
「来たか」
「!」
ロードの小さな独白を聞き取ることができたのは、唯一その傍らに控え蒐集神以外に意識を向けていた撫子だけだった。
その言葉を受けた黒髪の大和撫子は、それが何を意味しているのか分からぬままに、ロードへの絶対的な信頼に基づき、絶世の美貌に安堵の表情を浮かべる。
そして次の瞬間、漆黒の天蓋が天上から砕け散った。
「――ッ!?」
「なっ!?」
硬質な破砕音と共に、影型の特異武器によって作られた天蓋の檻が砕け散った瞬間、蒐集神を含めた全員の意識がそちらへと向けられ、そしてその意識さえも断ち切るように大地に一振りの剣が突き立てられる。
それはまるで巨大な十字架を思わせる両刃の剣。
二メートルはあろうかという幅広の刀身に、金色の十字架型の装飾となった柄を有しているその巨大な剣は、簡素でありながらも一切の無駄をそぎ落とし、戦うためにだけに特化したことを思わせる洗練された気配が宿っていた。
地面に突き刺さり、十字架を彷彿とさせる神々しさを以って天を衝くその大剣の平たい柄頭に次の瞬間、純白のマフラーをなびかせた影が静かに降り立つ。
「っ!」
(コイツは……!)
まるで翼のように首に巻いた白いマフラーの端をはためかせて、巨大な十字剣の上に降り立った人物を見た大貴は、その姿とその身を構築している神能からその正体を把握して息を呑む。
墓標のように突き立てられた十字型の大剣の柄頭の上に軽やかに降り立ったのは、全霊命特有の端正な顔立ちに、口元まで隠す純白のマフラーを思わせるそれが特徴的な霊衣を纏った男。
歴戦の戦士を彷彿とさせる泰然自若とした佇まいの中に、磨き上げられた刃の様に研ぎ澄まされた理性と戦意を滲ませている男の側頭部からは、白い骨質の殻が炎を思わせる形に絡みつく一対二本の漆黒の角が天を衝くように生えている。
そして、まるで白目を剥いているように瞳のない目は、戦の神、円卓の神座№9「覇国神・ウォー」の力に列なる存在――戦兵の証。
(――戦兵!? ってことは、あいつと同じ……)
背後からその瞳のない目をかすかに見止め、何よりその身体から感じられる神能に、これまで何度か会ったことがある戦兵――「ジュダ」を思い返した大貴は目を瞠ってその姿を見る。
(でもこの神格の高さは、神片ですね)
突如戦場に乱入してきた男――墓標を思わせる十字の大剣を持つ戦兵の男を知覚したマリアは、その神能の神格の高さに、その人物がただの戦兵ではなく、神位第六位以上の力を有す「神片」であることを確信して息を呑む。
「……剣王」
十字の大剣の上に立ち、その瞳のない目で自分を見据えてくる男――神片戦兵の一人、「剣王」に、蒐集神はその目を細めて忌々しげにその名を呼ぶ。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりだな、蒐集神」
嫌悪感を露にする蒐集神に名を呼ばれた剣王は、自身に向けられるその視線に淡々とした声音で応じる。
その一方で蒐集神が剣王に向けるその視線は、今まさに宝を手にしようとしていたのを邪魔されたことに対する忌々しさと同時に、新たな獲物が現れた歓喜を孕んでいた。
つまりそれは、蒐集神は剣王さえも蒐集対象として認識していることの証明といえる。
「……時空を移動してきた気配を感じなかったな。ということは、『界略軍棋』――世界を盤に見立てることで、自陣営の兵を"駒"として動かす『賢聖』の能力だな」
自身の武器によって作られた影の檻を破壊して、天空から降り立った剣王と視線を交錯させる蒐集神は、軽く天を一瞥して確信の声を向ける。
蒐集神は、自身が取り込んだ武器や力を全て把握している。
そしてこの「影」は、外からの知覚を逃れることができるが、中から外を知覚することができることを蒐集神は当然把握している。
そして、先程までこの世界にいなかったであろう剣王がここに現れたということは、世界と世界をつなげて移動してきたということ。
しかし、神能によって作り出した時空門の力によって二つの世界をつなげて移動する際には、それを知覚することができる。
だが、それができなかったということは世界の移動を行わなかった――あるいは、通常の手段とは違う方法で移動してきたと考えるのが自然だ。
「そういうところにばかり気が回るんだな」
「性分なんでな」
何を差し置いても、自身が興味のある宝物――あるいはその関係があるものに対して興味を示す蒐集神は、辟易した様子でため息をついた剣王に薄ら笑いを返す。
「自軍――つまり、戦兵にしか効果を及ぼせない代わりに、同格以上の神格を持つ者に対しては、無力化、弱体化、制限されてしまう神の能力の中でも数少ない、自分よりも格上の相手に使う事ができる能力……だろ?」
「本当に詳しいな」
「神の力についてある程度調べておくのは、蒐集家の嗜みってもんだ」
確認の意味と同時に、収集者としての興味を露にする蒐集神に、剣王は感嘆と呆嘆の入りまじった声を向ける。
蒐集神が言うように、剣王をこの世界に送ったのは、覇国神の力に列なる七人の神片の一人「賢聖」の能力である「界略軍棋」――世界を盤に見立て、自陣の兵を駒として代理的に行使することができる能力だ。
そしてその能力は、神の力の中でも特に異質な力の一つでもある。
神の能力は事象であり概念そのもの。つまり、最強の矛と最強の盾が両立しえないように、神の力は同等の神格の前では相殺、あるいは無力化されてしまう。
しかしこの「界略軍棋」は、自分たちと同じ戦兵しか効果対象にできない代わりに、自分よりも高位の神格を有する存在――即ち「覇国神」さえをもその能力の対象にすることができるという、使用者自身よりも神格の高い相手に効果を発揮することができる数少ない能力の一つだ。
「――で、何の用だ?」
まるでその力の残滓を探すように天を仰ぎ、しかしそれを感じられないことに惜しげな溜息をついた蒐集神は、思い出したかのように剣王に問いかける。
しかし質問する形をとっていながらも、その言わんとしていることにおおよその見当がついているらしい蒐集神の表情は、先ほどまでの生き生きとしたそれではなく、興味と関心がないと宣言しているような退屈そのもののそれだった。
「おとなしく戻れ」
「やっぱ、そういう話か」
予想の範疇を出ず、想像を裏切らない剣王の言葉に、心底つまらなそうにため息をついた蒐集神は、自身に刃の切っ先と、それと同等以上に鋭い視線と意識を向けているその姿を見て小さく鼻を鳴らす。
「破壊神の次は、あのいけ好かない博愛主義者の女だったか? 未だに誰かに尻尾を振って媚びているとは、『神臣』の眷属も大変だな」
「……ヴァザ?」
「『神臣』。光と闇の神に下った異端神のことだよ」
聞き覚えのない言葉に眉をひそめた大貴は、神魔の簡潔な説明でそれを理解し、左右非対称色の瞳で剣王に視線を向ける。
「そうでもないさ。姫は我らが仕えるに足るお方だ。お前もどうだ?」
大貴が視線を向ける中、剣王は、皮肉混じりに嘲笑を向ける蒐集神の言葉を鼻で笑い飛ばし、むしろ愛梨への敬意を露にした言葉で語りかけていた。
「ハッ、笑わせんな。奏姫は、俺に分かち合えなんて偉そうに説法を垂れてきたいけ好かない奴だぜ? そんなこと、俺がすると思うか?」
自分達が仕えている相手を軽くとはいえ罵られたというのに、全く意に介した様子も見せず、むしろ誇らしげに語る剣王の余裕の表情と声音に、蒐集神はその表情を歪めて吐き捨てるように言い放つ。
挑発するように声を荒げ、かつて愛梨と相対した時に交わした言葉を思い返す蒐集神は、不快感を隠すことなく剣王に睨み付けるような視線を送る。
以前奏姫は、自身の欲望のままに宝を回収していた蒐集神に接触し、そのやり方を窘めて、蒐集の意志と折り合いをつけて、この世界に生きる者たちと調和することを提案してきた。
しかし、全てを自身の手元に揃えてこその「蒐集」。
その神である蒐集神が、蒐集を諦めるに等しいそんな提案を受けるはずがなく、そのまま袂を分かつている。
「――あぁ。だが、いずれにしてもお前を止めるのが俺の役目だ」
自分達の主である愛梨がいかに望み、心を砕こうとも蒐集神がその生き方を改めるとは到底思えない。それでも剣王は、確信に近い不可能よりも一縷ほどもない自身の主の願いに沿うべく、軽やかにその足を十字大剣の柄頭から離して地面へと降り立つ。
地面に降り立った剣王は、その足で大地に墓標のように突き立てられた十字の大剣の刃を蹴り上げ、その場で半回転させてその柄を手に掴む。
「止める? 釣れないことを言うなよ。俺のものになる、が正解だろう?」
十字の大剣の切っ先を向け、その瞳のない目を自分に向けてくる剣王の声を受けた蒐集神は、歓喜の表情と武者震いを以って応じる。
自身の行動を窘める言葉には不満を露にていた蒐集神だが、剣王との戦闘の気配が強くなった途端その表情を輝かせて、舌なめずりをする。
それは、目の前にある神片と神器を前に、それを手に入れることを渇望する捕食者にして収集者の貌だった。
「こいつは、俺が食い止めてやろう。お前たちは下がれ」
蒐集神が臨戦体勢に入ったのを見て取った剣王は、肩越しに振り向くと、その瞳のない目に大貴を映す。
「なっ!?」
その言葉にわずかに目を瞠った大貴を見た神魔は、そこにいる他の面々と顔を見合わせて神能を介した思念での声をかける。
《大貴君》
声を出さずに話しかけたのは、剣王を前にして昂ぶり、自分達への注意を意識が弱くなっている蒐集神を警戒しての事。
それを感じ取った大貴は、あえて声を出さずに意識の中に響いた声に、剣呑さを隠しきれない声で応じる。
《お前たちまで何言って――》
《やめておけ光魔神。今のお前では、あの戦いに巻き込まれたら一瞬で死ぬぞ》
撤退を促すように神魔に声をかけられた大貴は、即座に否定の言葉を発しようとするが、最後まで結ばれる前にロードが即座に否定の声を入れる。
完全に覚醒していればまだしも、通常の全霊命と同等程度の力しか持たない今の大貴では、神に等しい異端神と神片の前では無力でしかない。
それを九世界に所属する者達――否、大貴自身もまた、どれほどその意思で否定しようとしても、知覚がその事実を告げている。故に、今この場で大貴が取りうる手段は、剣王が時間を稼いでくれることを願っての逃亡しかないのは明白だった。
「おっと。お前とやり合ってもいいが、その前にとりあえず他の獲物に逃げられないようにしないとな」
「――!」
その時、歓喜を帯びた声でそう言った蒐集神は、その場にいる全員を見回すと手にした本型の武器――回収神を開く。
その瞬間、開かれた本の中から漆黒の力が吹き出し、無数に枝分かれしたそれが地面に降り注ぐと、その闇は大貴達の前でその形を変えていく。
漆黒の塊だったそれは人型になり、やがて角を持った者、純白の翼を生やしたもの、男女入り混じった無数の存在へとその形を変える。
「なっ……!?」
(なんだ、これは……? 天使と悪魔だと?)
目の前で闇から生まれた男女入り混じった者達に目を瞠る大貴は、その人物達を知覚してその存在を構築する神能からその人物達の正体を看破する。
「なに、この人達? なにか変だよ?」
「油断しては駄目よアイリス。蒐集神が出したのだから、何かあるはずだわ」
蒐集神の武器の中から解き放たれたのは、男女入り混じった天使と悪魔の軍勢。
百人はいるだろうその人物たちのその身体から発せられている神能は、紛れもなく全霊命のそれ。
しかし、そうして本の中から解き放たれた天使と悪魔達からは自我を感じることができず、生気のない人形と見紛うばかりの姿だった。
「そいつらは殺しても死なないから遠慮なく戦ってくれてていいぜ? 何しろそいつらの核はこの中にあるからな」
本の中から現れた天使と悪魔達を前に驚愕を露にする大貴達を一瞥した蒐集神は、それを嘲笑うように軽くその手に持った本を振ってみせる。
「そうか。彼らは蒐集神が本の中に取り込んだ人達! こんなこともできたなんて……」
その言葉を聞いた神魔は、おおよその理由を把握して苦虫を噛み潰したような表情で本の中から現れた軍勢を見る。
蒐集神が呼び出したのは、特異型の武器を持っているなどの理由でかつて蒐集神自身がその武器である本――「回収神」の中へと取り込んだ全霊命達。
そして、その存在である魂だけを本の中に残したまま、その身体だけを現実世界に顕現させたのが、今目の前にいる天使と悪魔の軍勢だ。
無論、かつて蒐集神が回収したのは天使と悪魔だけではない。
恐らくその気になればもっと大勢を顕現させることもできるのだろうが、今回の目的が大貴達の足止めであるために、その中から天使と悪魔を選んでいるということも推察できる。
「ちょっとばかりずるいかもしれないが許せよ? 何しろ、いつ理想郷の奴が追い付いてくるかもわからないんでな。確実に、早々にお宝を手に入れたいんだ」
まるで悪戯を成功させた子供のような表情を浮かべた蒐集神のその言葉を合図に、本の中から現れた天使と悪魔の軍勢が一斉に大貴達に襲い掛かる。
「桜!」
「はい」
魂が本の中に閉じ込められているとはいえ、蒐集神が召喚した天使と悪魔の軍勢は、例えるならば本体を本の中に置いたまま身体を遠隔操作しているような状態。
故に、全霊命としての力を微塵も失っていないその軍勢を見据えた神魔と桜は魔力を共鳴させて自分達に向かってきた軍勢と相対する。
「蒐集神!」
大貴達が本の中に封じられている者達と刃を交えるのと同時、十字の大剣を手にした剣王が悠然と佇んでいる蒐集神にその刃を振り下ろす。
神に等しい神片としての神能を乗せたその刃は、神速を以って万象を滅却せしめる神撃となって蒐集神に叩き付けられる。
全霊命などとは比較にならない絶対的な神の一撃として放たれた剣王の斬撃は、しかし瞬時に顕現された巨大な黄金の盾に阻まれる。
刃と盾――蒐集神と剣王がその神に等しい力を纏わせた武器がぶつかり合い、打ち砕かれた力の残滓が、まるで天に昇る龍のごとく程走り、世界をかき乱す。
そこに込められた滅殺の意思が神格によって物理現象として世界に顕在し、まるで時空を引き裂かんばかりの嵐となって駆け巡った。
「オイオイ、いきなり斬りかかるなんて危ないだろ?」
拮抗する力に込められた意思が生み出す時空嵐が吹き荒れる中、十字剣の滅刃を阻んだ黄金の盾から顔をのぞかせた蒐集神は、わずかに口端を吊り上げて剣王を見る。
「――!」
次の瞬間、本能的に危険を感じて後方に飛びずさった剣王がいた空間を、蒐集神の影が形を変えた黒槍が貫く。
「ホォ。さすがだな。知覚を阻むこの槍を躱すとは」
影として従えていた武器による一撃を回避して見せた剣王に感嘆と余裕の入り混じった笑みを向ける蒐集神は、その表情に刻む笑みをさらに深くする。
「楽しくなってきたな、剣王! 理想郷相手じゃ、碌に力を使えねぇからな。久しぶりに俺の本領を発揮させてくれよ!」
狂気とも取れる歓喜の声をあげた蒐集神が、その手に何の飾り気もない――まさに剥き出しの刃といった印象を与えてくる漆黒の刀身を持つ片刃の大剣を顕現させると、剣王は身の丈にも及ぶ十字剣を構えた。
※
「――いい感じね。私の神片を使って釣った甲斐があるわ」
その光景を、夢と化して見下ろしている夢想神は、自身の手の中で光る一片の花弁――自身の神片ユニットを一瞥して、そのあどけない顔を微笑で彩る。
自身の持つ神片の力を使い、この場所へと蒐集神を引き寄せたレヴェリーの目的は、自分達の二つの目的を果たすため。
一つは、同じ英知の樹に所属していながらも、自分達とは志を同じくしていない鼎――英知の樹首領が差し向けた刺客に神眼を渡さないこと。
そしてもう一つは、レヴェリーとその宿主でもある王路が共有する本懐。即ち、蒐集神を利用した二人の真の目的――
「さぁ、蒐集神。頑張って光魔神を完全に覚醒させて頂戴」
何人にも知覚できない夢の身体で戦場を見下ろすレヴェリーは、己が存在意義に任せてその力を振るう蒐集神を、まるで玩具を尊ぶ子供の様な視線で見つめていた。