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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
128/305

歪められしもの






「蒐集神か。ここにきて面倒な奴が動き出したものだな」


 意識の中に直接響いた界厳令の中身を反芻し堕天使――ザフィールは、忌々しげにその鋭い目に剣呑な光を宿して軽く天を仰ぐ


 ザフィールをはじめ、堕天使界に所属する堕天使は、その王であるロギアから世界の歪みの根源――おそらくは神器と推測されているそれの破壊と回収を命じられている

 それがどこにあるのかは未だ分からないが、全霊命(ファースト)を含めてこの世界に存在するすべての異なるの間に愛を生み出し、子をなさせるという世界の摂理を根底から揺るがすその力が、世界を創造した神の力に類するものであることは推測に難くない


(――だが、本当にそうなのか?)

 だが、そう考えながらもザフィールの脳裏には、こうして世界を歪める神器を求めて活動してきた日々の中で、ある時から浮かんでいる一抹の疑念があった


(神とは"世界そのもの"――無論例外もあるが、そんな神の力が、世界の理を歪めるものなのか?)


 神とは、世界を成す理そのもの。そしてそれは、死であれ、滅びであれ例外なく世界の循環を成す理そのものでもある。そんな神の力の破片である神器が世界に異常をもたらしているということに、小さな違和感を覚えないわけではない

 無論、ロギアの言葉を疑っているわけではない。むしろ、神の力が世界に歪みをもたらしているというロギアの言葉には十分な説得力と確信があると思っているほどだ

 そして、その一抹の疑念も神の中には神敵――「反逆神(アークエネミー)」のように、世界の理に敵対し、叛逆するものも確かにあることを考えれば、憂慮すべきことではあってもそれ自体を否定するほどの根拠はない

 結局のところ、その原因たる神器を見つけ出さなければ疑念は疑念のまま、何一つ分からず、変わらないまま世界が破滅に向かっていくということだけが事実として残るだけだ


(だが、事実世界には確かな歪みがある――それは、神の力がいわば予期せぬ形で世界に干渉しているがゆえなのか、あるいは――)

 この世に生まれ出でるはずがない混濁者(マドラス)全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)という存在の根源を異にする者達の間に芽生える愛――そして、その果てに生まれた世界最大の異端――「在ってはならないもの」

 世界に根付いている世界の歪みが、なぜ生まれたのか、それは偶然なのか必然なのかを推察するザフィールは、その瞳をわずかに細めて剣呑な光を灯す


(何者かが意図的にこの状況を作り出している……?)

 ザフィールが黙示ながら思案を巡らせていると、ふとその背後に漆黒の四枚翼を広げた堕天使――共にロギアの命を遂行する同胞の存在を知覚する

「ザフィールさん」

「なんだ?」

 背後から声をかけた堕天使――「オルク」の声を受けたザフィールが肩越しに視線を向けると、少年のようにあどけない童顔を持つその人物は怯えたような表情を浮かべる

 怒っているわけではないとはいえ、ザフィールの鋭い眼光を受けたオルクは半ば反射的に一瞬委縮してしまうが、即座に唇を引き締めると意を決して口を開く

「僕、ちょっと行きたいところがあるんですが」

 オルクの言葉を受けたザフィールは、強い意志の宿ったその瞳の奥にあるものを見定めようとするかのように自身の視線と共にその真意を問いかける

「我々には、世界を蝕む神器を手に入れるという使命がある。だとしてもか?」

「はい。蒐集神が動き出したって知ったら……きっと『アリア』が黙ってないから」

 オルクの口から発せられたその名を聞いたザフィールは、その記憶の中にある同じ名を持つ者達を呼び起しながら、そのいずれもがおそらく違うと考えて確認の言葉を向ける

「昔の知り合いか?」


 堕天使には堕天使の王・ロギアによって堕天使となった者と、両親、あるいは片親が堕天使であるために生まれてくるものがあり、オルクは前者――つまり、元々白い翼を持った天使が、堕天使王の力を得て漆黒の翼を持った堕天使であることはザフィールも知っている

 しかし、なぜオルクが堕天使になったのかといった詳細は知らないため、その口から出た「アリア」という人物が、少なくとも自分の知らない人物であることを推察するのに、たっぷり一瞬の間を必要としてしまっていた


「はい」

 その問いかけに力強く頷いたオルクの瞳を見たザフィールは、そこに宿る確固たる意志とその根源に存在するアリアへの特別な感情(・・・・・)を感じ取ってその表情をわずかに緩ませる

 普段はお調子者で、どこか軽薄な振る舞いから頼りなさを感じさせるオルクが浮かべる今の表情は、一人の「漢」のものだった

「いいだろう」

「ありがとうございます!」

 精悍にして猛々しく、しかし威風同等として泰然自若としたザフィールの微笑を言葉に、オルクは歓喜に目を輝かせて深々と頭を下げる

「ただし、俺も一緒にいく。それが条件だ」

「……!」

 次いで聞こえたザフィールの静かな声に、顔を上げたオルクは驚きに目を丸くしてゆっくりと立ち上がるその漆黒の巨躯を映していた





「さっきの、どういう意味だ?」

 虹の燐光に覆われ大地にそびえ立つ巨大な城――月の精霊王城の中、真紅の絨毯が敷き詰められた廊下を月天の精霊、「ライル」に案内されながら歩く大貴は、ふと小さく独白する

 無論それは独り言などではなく、周囲にいる面々に対して意見をもとめるものであり、それを理解している詩織はその問いかけに対する自身の見解を述べる

「まあ、素直に解釈すれば、陰でこそこそ動く奴の方が面倒くさいって意味だと思うけど?」

 大貴が言っているのは、先ほど玉座の間を出る際に月天の精霊王――「イデア」が言い残した「くれぐれもお気を付けください。見えている敵よりも、見えない敵の方が恐ろしいものですから」という言葉。

 その言葉を比喩などが無いと仮定して読み解けば、あからさまに存在している敵よりも、暗躍する敵の方が危険で厄介だという意味になる。そしてそれは、ある意味で事実だ

「ですよね、神魔さん」

 そう大貴に答えた詩織は、自身の見解に対する答えを求めつつも、それを建前としてさりげなく意中の人へと話題を振る


 その胸に宿る想いが、本来は伝えることさえ許されない禁忌であることは分かっている。しかし詩織の心の中には、桜と交わした「神魔に好意を抱かせられたならば、二人の関係に協力する」という言葉が反響し続けている

 それは、一抹の期待を詩織に抱かせるものであると同時に自分の想いが神魔に「異なる種族、存在との愛」という世界最大の禁忌の十字架を背負わせることに対する罪悪感がある

 自分がどうするべきかわからない――心と頭にある全く別の答えの軋轢に苦しみ続けている詩織は、最終的に自分にどんな結論が待っていたとしても、それまではせめて親しい関係を築き、思い出を作りたいと願う乙女心のまま、さりげなく想い人と言葉を交わそうと考えるのは必然ともいえることだった


「……神魔さん?」

 しかし自分の問いかけなど耳にも入らない様子で真剣な面持ちで思案に暮れている神魔を見た詩織は、その様子を訝しみながら、再度その名を呼ぶ

「え? あぁ、ごめん。ちょっと考えごとしててね」

 二回目の詩織の声で意識を回帰させた神魔は、怪訝そうな表情で自分を覗き込んでいる詩織を見て苦笑を返す

「珍しいですね。神魔さんがそんなに考え込むなんて」

 神魔の言葉に詩織が小首を傾げると、その様子を横目で見ていたクロスが視線を意図的に逸らして小さく吐き捨てる

「どうせろくなことじゃないだろ」

「クロス」

 詩織の言葉にどこかつっけんどんに応じたクロスを窘めたマリアが小さく頭を下げると、桜が淑やかに微笑み返す

 「すみません、うちのクロスが……」、「いえいえ、お気になさらず」というやり取りが聞こえてきそうなマリアと桜の姿からは、夫同士の仲を取り持つ妻の内助の功とでもいうべき雰囲気が漂っていた


 大貴と詩織は普段の様子を見ているため、つい忘れがちになるが悪魔と天使、光と闇の全霊命(ファースト)は本来敵対関係にある。現在は共通の目的のために一時的な休戦状態になっているとはいえ、悠久の時の中で培われ、その存在の根底に根付いている光と闇の敵意は簡単に消えるものではない

 無論、天使と悪魔だからと言って意味もなく敵対することはなく、敵対しているからと言って、決して理解し合えない関係ではない光と闇の全霊命(ファースト)は、時にはそんな関係の中で絆を培うこともある


 知り合ってそれなりに経つが、クロスと神魔が必要以上の会話をすることはない。互いに相手を嫌っているというわけではないが、世界の歴史と情勢から来る距離感と、それによって培われてきた価値観、互いの心の中に全くないとは言えない闇、あるいは光への敵意がそうさせているのは否めない

 しかし、こうしてクロスが軽い口調を発したということが、その関係を少なくともクロスの側から縮める意思を見せたということであり、マリアはそれを長年の付き合いから察してどこか不器用なそのやり方をさりげなく補助しているのだ


「――ふん」

 そんなマリアの気苦労を知ってか知らずか、想いを寄せる相手にたしなめられたクロスはどこなばつが悪そうに視線を明後日の方向に逃がし、拗ねた様な表情を浮かべる

 それを見て小さく息をつき、困ったような笑みを浮かべたマリアが、再度神魔と桜に目礼すると、一通りのやり取りを終えたらしいことを見て取った大貴が辟易した口調で言葉を発する

「そういう意味じゃねぇよ」

「じゃあ、どういう意味なの?」

 その言葉が自分の示した見解に対するものだと理解した詩織が若干不満気に応じると、左右非対称色の瞳を抱く目をわずかに剣呑に細めた大貴が抑制の利いた声で答える

「あの人が言ってた、『見えない敵』ってのが誰のこと(・・・・)かって話だ」

「それは……誰だろう?」

 大貴の言葉を受けた詩織は、その「見えない敵」が誰かを看取すために思案を巡らせるが、しばしの後諦めたように首を傾げる


 詩織の見解は大元手は間違っていない。見えない敵が見える敵よりも恐ろしいという意味であろうことっは大貴も十分に理解している

 しかし大貴が問題にしているのはその先――「見えない敵」の正体の方だ。「十世界」、「英知の樹(ブレインツリー)」、「反逆神(アークエネミー)」――九世界にとっての「敵」という概念で捉えればこれらが真っ先に思い浮かぶ

 しかし、「見えない」と評されるからにはこれらでない別の勢力、あるいは存在が世界にいることを示唆しているはずだ


「誰でしょう?」

 そもそも九世界の事情に明るくない大貴や自分がそれに思い至ることができるはずはないと判断した詩織は、早々に考えを切り上げて神魔に答えを求める

 詩織に意見を求められた神魔は、しばし何かを思い噴けるように目を伏せていたが、やがて意を決したように口を開く

「えっと、ライルさんでしたよね?」

「はい」

 自分たちを先導してくれている月天の精霊――「ライル」に声をかけた神魔は、月天の精霊王(イデア)の話を聞いてからその脳裏に浮かび続けている疑問を解消するために詩織の問いかけを利用する

「一つ、お聞きしたいんですが、さっきイデア様が言っていた『守りたかったもの』がなんなのかあなたたちは知ってるんですか?」

 終始要点を明言しないまま話を進めていたイデアの言葉を思い返しながら、神魔は前を歩くライルの一挙手一投足を見逃さないように意識を集中させる


 もしも自分の予想どおりならば、月天の精霊達はザフィールが言っていた「世界の歪み」について知っている可能性がある。そして、その根源となる神器についても何らかの情報を持っている可能性は高い

 あわよくばその情報を以って自分たちに課せられた刑罰を軽減できないかと考えている神魔にとってはその情報はある意味で喉から手が出るほど欲しいものだとも言えた


「いえ。私の様に若い精霊には、その仔細は伏せられておりますし、当時イデア様と共に戦場に赴いた月の精霊達は、イデア様以外この世におりませんので。ただ――」

 しかし、ライルの答えは期待を満たしてくれるようなものではなく、その様子から嘘をついている様子もない。しかし、その最後につけられた言葉に神魔の意識は強く引き付けられる

「ただ?」

 わずかに興奮から熱を帯び、その先を促すように向けられた神魔の言葉に一瞬怪訝そうな表情を浮かべたライルだったが、すぐさまそれに応えて話を続ける

「当時、戦いに赴かなかった精霊――私の母に聞いた話では、当時のイデア様に見知らぬ者が接触していたと聞いております」

「見知らぬ者?」

 今現存している月天の精霊は、その九割がロシュカディアル戦役以降に生まれた若い世代の者たちばかり。ロシュカディアル戦役に赴かなかった者たちの子孫だ

 それらはライルの母の様にイデアの命によって戦いに参加しなかったり、その意思に反発して戦役に加わることを拒んだ者達であるがゆえに、ロシュカディアル戦役についての詳細は伏せられている


 現存する月天の精霊達の中で当時から生きていたのは王であるイデアのみ。しかし、その口は堅く閉ざされ、同じ月の精霊達にも自らの愚かさを詫びるばかりでその真意を語ったことは一度もない

 だが、当時を生きていた者たちは全てを知らなくとも、イデアの周辺に起きていた明確な異常を悟っていた。――それが、当時イデアに接触を図り、懇意にしていた「見知らぬ者」だ


「ええ。少なくとも、母は知らない神能(ゴットクロア)だったと。まあ、異端の者であることは間違いないのですが」

 「見知らぬ者」というのは、そのまま知らない人であると同時に、その存在の力である神能(ゴットクロア)が九世界を総べる全霊命(ファースト)のいずれのものでもなかったことに起因する呼び名だ


 異端の存在には「円卓の神座」や「神の巫女」のように世界的にその存在と力を知られたものばかりではなく、それ単体しか存在せず、存在をほとんど認知されていないものも存在する。

 当時イデアに接触していた「見知らぬ者」も、そんな異端の存在の一つであり、少なくともその場にはそれが誰なのか知る者は一人もいなかったが故の通り名だ


「異端の……」

 軽い口調でそう締めくくったライルの言葉に、神魔は思案気に目を伏せ、唯一自身と同じ考えを持っているであろう桜に意見を求めるように視線を向ける

 神魔の視線を受けた桜がそれに小さく頷いて応じるのを見ていたアイリスは、その様子に何か違和感を覚えて問いかける

「なぜ、そんなことを知りたがるのですか? それが、イデア様の仰っていた『見えない敵』に関係があるんですか?」

 大貴が問いかけたのは、見えない敵の正体。しかし神魔が気にかけているのはその見えない敵というよりも、ロシュカディアル戦役の核心に迫る何か――イデアが黙して語らない真実にあるように思えた

 確かに月天の精霊が中心となって引き起こした世界三大事変の一つ――ロシュカディアル戦役については、妖精界の中でもほとんどの者がその仔細を知らない。だが、それとはまったく関係のない位置にいる闇の全霊命(悪魔)である神魔がそこまで興味を示していることを疑問に感じたのは当然のことだった

「さあ? ちょっと気になっていたもので」

 神魔がここでその質問をしたのは、そう答えれば、大貴や詩織に質問されずに話をはぐらかすことができると考えていたからだ


 そもそもイデアの言う敵が何者であるかという話題は、無視できないものではあっても神魔からすれば、今最も優先すべきことというわけではない。

 そして、現状神魔が最も興味を持っていることがイデアが戦った理由と、ザフィールの語った世界の歪みの関係性だった

 事情を知っている桜は例外としても、天使であるクロスとマリアは自分の疑問に深く追求してこないだろうし、同じくどこか淡泊なところがある瑞希もそこまで気に留めない


 そう考えていたからこそ、神魔は自身が今最も興味のあることをライルに問いかけ、そしてその目論見はうまくいっていた――そう、そこまでは。

「何が、どう気になるんですか?」

「え?」

 その時、不意に思わぬところ――アイリスから詰問するような言葉を受け、神魔は思わず面喰って半身を引いてしまう

「教えてください! 私、知りたいんです!!」

「?」

 初対面の上、相手は自分たち闇の全霊命(ファースト)に敵対する光の全霊命(ファースト)の一種である精霊。現在は表面上仲良くしているが、おそらく必要以上に自分に干渉してくることはないだろうと考えていた神魔は、自身の予想に反して爪先立ちをして息がかかるほどに顔を近づけてきたアイリスに戸惑いを禁じ得なかった

 その表情は真剣そのもので、切羽詰まっているといってもいいほどのの力強い面差し。何かを思いつめて藁にもすがるといった様子にたじろいだ神魔に、アイリスの更なる質問が畳みかけられる

「あなたは何を知ろうとしているんですか? 何を知っているんですか?」

「え? ちょっ……」

 神魔ににじり寄り、今にも押し倒してしまいそうなその勢いにさしもの桜でさえ、そのたおやかな美貌に困惑と驚きを露にしていた

「教えてください、お願いします!」

 今にも泣き出してしまいそうなアイリスの表情と余裕のない必死さに困り果てた様子の神魔は、その視線を逸らして想定外の事態に、自身の軽率さと失態を悔やむ

「えっと……」

 まさかアイリスがこの話にここまで食いついてくるとは思っていなかった神魔は、その視線にマリアを映して葛藤する

(マリアさんの前で話すのは、なんか気が重いなぁ)


 世界の歪みのことを話せば、当然「本来多種族との愛情は生まれないものであり、混濁者(マドラス)は世界の摂理として存在してはならないものである」という事実を、天使と人間の混濁者(マドラス)であるマリアに知られることになる

 別段マリアのことを気遣っているというつもりはないが、あえてその話を本人の前でする必要性を考えたとき、わずかに躊躇う要素があるのは否めない


「なんだよ? 隠し事なんかするなよ。それで取り返しのつかないことになったらどうするんだ?」

 そんな神魔の気遣いなど知る由もないクロスは、自分――正確にはその隣にいるマリアに向けられている視線に気づいて、ややつっけんどんながら窘めるように言う

 そして確かにクロスの言うことにも一理はある。世界に何が起きているのか――あるいは、起きていると思って行動している者がいるという事実を知っておくことは今後の自分たちにとっても決して悪いことはない

「よろしければお教え願えませんか? 私も月の精霊の一人として王達の行動の真意を知りたいのです」

 そんな神魔の様子に何かを感じたのか、足を止めて振り返ったライルが真摯な表情で語り、アイリスに今にもくずおれそうな表情で訴えかけられた神魔は、もはやここまでだろうと嘆息する

《よろしいのですか?》

 神魔がこれ以上隠すことを諦めたのをその様子から察した桜が、思念によってその心に直接確認と念押しの言葉を届ける


 桜が気にしているのは天使と人――全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)という混濁者(マドラス)の中でも、最も忌み嫌われる存在であるマリアだけではなく、異なる存在への断ち切れない恋慕の情に身を焦がしている詩織も含まれている

 ただでさえ自身が抱いている感情が世界の理として在ってはならないものだと分かっていて、それでも諦めきれない自分の心との軋轢に苦しんでいるところに、更なる拍車をかけるような事実を伝えることに桜としては、一定の同情を憐れみを抱かざるを得ない――たとえその想いが、自分の愛する人へ向けられるものであったとしても。


《仕方ないよ。それとも、何か不都合がある?》

 しかし、マリアはともかく詩織の気持ちになど全く気付いていない神魔は、それを公表してほしくない理由が桜にあるのか最後の確認をする

《――いいえ。あなたがそう判断されたのでしたら、わたくしはそれを支持いたします》

 桜が詩織とマリアのことを気遣っているのは事実。しかし、それと神魔の意志では秤にかけるまでもない

 神魔が望み、それが決して間違っていないと判断したならば、その意思を最大限尊重し、共に添い遂げることこそが、桜の願いなのだから――たとえ、その結果神魔以外の誰を傷つけるとしても

「実は、前にいた世界でのことなんですけど――……」

 そう言って切り出した神魔は、前の世界――妖界で会った堕天使界に所属する堕天使・ザフィールから聞いた話を簡潔に説明し始めた





 その頃、妖精界にあるとある場所――そこに佇む褐色の肌と色鮮やかな紋様の浮かぶ蝶翅を持つ月天の精霊の女性「シャロット」は、白銀の髪を優しく吹き抜ける風に委ねながら静かに天を仰いでいた

 その怜悧な瞳に思慮の色を浮かべ、静かに天を仰いでいたシャロットはふと自身の背後に出現した力と気配を知覚し、視線だけを背後に向ける

「何をしているんだい?」

 そこに佇んでいたのは、襟足が肩まで届くほどの淡金色の髪に立襟のコート風の霊衣を纏った切れ長の目を持つ眉目秀麗な精霊の男

 その背には四枚の翅が生えており、その上部にある光沢を帯びた金属質のそれは甲虫のそれを彷彿とさせる鞘羽と呼ばれるものだ

「……『クーウェン』」

 森の精霊の証である鞘翅をもつその人物――「クーウェン」を視界に収めたシャロットは、その瞳に一瞬嫌悪感と侮蔑の色を浮かべるが、すぐさまそれを隠すようにその怜悧な目を伏せる

「なんでもありません」

 抑揚のない声でそう応じたシャロットが自身の傍らを通り過ぎようとするのを見たクーウェンは、姿勢はおろか、視線を向けることさえなく声だけで問いかける

「どちらへ?」

「……少し、向かいたいところがあります」

 まるで言葉を交わすのさえも億劫だと言わんばかりに、冷ややかで対話を拒絶する意志を込めた声でそれだけを答えたシャロットは、そのまま神速を以ってその場から姿を消す

 全ての事象を思うが儘に顕現させる神能(ゴットクロア)が生み出す時間と空間さえも超越した速さを以って移動したシャロットの姿を背中越しに知覚していたクーウェンは、その口元に手を添えて思案気に目を細める

「ふむ――少々面白そうですね」

 そう言ってその口を三日月形に歪めたクーウェンの目は、誰もいなくなった虚空に向けられながら冷たく狡猾な光を宿していた


《ニルベス様》


「……シャロット?」

 不意に思念を介して頭の中に直接届けられたシャロットの声に、十世界に所属する精霊を総べる役目を与えられたニルベスは訝しげに眉をひそめる


《少々出てまいります》


「まさかお前――っ」

 思念によって伝わってくるシャロットの声が孕む高潔で潔癖な感情を受け取ったニルベスが、その原因に思い至り小さく目を瞠る


 その声を意識の中で聞いたシャロットは、その蝶翅を羽ばたかせてると色鮮やかな鱗粉を天空に舞い踊らせて、ニルベスの予想が間違っていないことの肯定として「はい」と抑制の利いた声で答える


「十世界創始者の元へ――その志の在処を確かめて参ります」





「世界の歪み……」

 世界に刻まれた愛の歪み。異なる存在同士を結び付け、その間に本来生まれるはずのない混濁者(マドラス)を生み出す神の力の存在――それを神魔に説明された大貴達は、誰からともなくその言葉を呟く

混濁者(マドラス)、異なる存在同士の愛……確かに、言われなければ疑問には思えないことかもしれませんね。そういうものだと思っていればいるほど、盲点になります」

 その言葉に口元に手を当てて思案するライルは、しかしその説明に合点がいったように答えつつ、その視線をわずかに彷徨わせる


 混濁者(マドラス)は、それこそ九世界創世に近い頃から存在する。最初の混濁者(マドラス)を産んだ者達、世界で最初に愛し合った光の存在と闇の存在、世界で最初に半霊命(ネクスト)との間に子をもうけた全霊命(ファースト)、この世の理に反した「あってはならないもの」――

 それこそ創世の歴史に限りなく近い頃から存在しながら、原則として稀有なものだったが故に、悠久とも言える時を生き続ける全霊命(ファースト)達でさえ、その異常性に気付くことができなかったのだろうことを想像できる


(ってことは、天界の王妃様あたりも気づいてもよかったような気がするけどな。単純に気付かなかったのか、もしくは何かの理由で隠してるとかか……?)

 だとしたらそれに何のメリットがあるんだ? 混濁者(マドラス)はただでさえ世界から忌み嫌われている存在。別に今更そんな事実が表に出たところで問題があるようには思えないけどな)

 その言葉を聞きながら、訝しげに眉をひそめる大貴は九世界を訪れる前に訪れた天界の王妃にして、リリーナの母でもある十聖天の一人――「アフィリア」の姿を思い返していた


 堕天使界の王である「ロギア」は、かつて十聖天の長を務めた初代天界王。そのロギアが世界の歪みに気付けたのならば、同じく十聖天の一人としてその近くにいたアフィリアもそれに気づいてもよさそうに思える

 単純に気が付かなかったのか、あるいは気が付いていて沈黙を守っているのか――その利点を可能性を考察し、意識を馳せながら思案を巡らせる大貴の目にこの場にいる混濁者(マリア)の姿が映る


(まさか、マリアのため……?)

 以前聞いた「マリアは天界の王たちによって保護されていた」という話を記憶から思い出した大貴は、もしも天界の王たちが混濁者(マドラス)という存在の歪みに気付いていて沈黙しているのだとすれば、その影響を最も受けるマリアが関係している可能性はある

(でも、そんなことをして一体何のメリットが……? いや、そもそも考えすぎか)

 漠然と浮かんだ考えには、根拠も情報も足りない――そう考えて大貴が思考を打ち切ったのと、しばし沈黙していたライルが口を開いたのはほぼ同時だった

「つまり、それがイデア様の『守りたかったもの』だと?」

 ライルの問いかけが、「あの場に世界を歪める原因たる"何か"が存在し、それを守るためにイデアは同胞たる精霊達、そして光の全霊命(ファースト)達を裏切った」という理解と解釈を以って発せられたのを聞いた神魔は、静かに目を伏せる

「確信はありません。個人的に思いついた理由がそれだけだったというだけですから」

 あくまでも自分が思いついた可能性の一つであることを強調した神魔は、その視線に深い思慮の色を宿してそう締めくくる


 あくまでもこの説は、イデアの話を聞いた神魔が最も関係性のある事柄を想像し、想定したものに過ぎない。

 世界にその神の力による歪みを説明しない理由を、ザフィールは自身の推測として「世界を創造し、今も世界の外から世界を見ている神が関係している」と答え、その可能性の一つを示唆していた。

 さらに、もしもイデアが仮にその事実を知っていたとして、「生きた神器」と言われ、おそらく全ての全霊命(ファースト)の中で最も神に近しい関係にあるロギアが知らないその神器の正体をなぜ知っていたのかという疑問が残るのも事実。

 現に堕天使王の命令で世界の歪みを探していたザフィールは、それが何なのかを知らなかった。ロギアが意図的していなければそれを知っていなければならなかったはずだし、それを隠す理由も今のところは思いつかない

 ならば、イデアの守りたかったものが、必ずしも神魔の想定したものであるとは限らないと考えるのは必然のことだ


「そうですね、それが聞けただけでも十分です。さ、お部屋に案内いたしましょう」

 神魔の言葉を正しく理解しているライルは静かに目を伏せて意識を切り替えると、何か思いつめたようにその表情に影を落としているアイリスの肩に手を置く

「……はい」

「?」

 その声に唇を引き結んだアイリスが答えるのを見た大貴は、怪訝そうにその姿を見ながら、「行きましょう」と背を向けたライルの背を見送りながら、その後に続く

「姉貴?」

 しかし、そうして歩を進めようとした大貴はゆっくりと動き出す一行の中でまるで心を抜き取られたかのように立ち尽くしている詩織の姿を見止めて声をかける

「なんでもない」

 その言葉に応じた詩織は、その胸中に浮かんでいた感情を振り払うように作り笑意を浮かべると、大貴の傍らを抜けて前を行くライルとアイリスの背後に並ぶ

「――……」

 その姿に視線を送っていた桜は、その胸中を慮りながらも決して同情や憐れみの感情を乗せずに、普段と変わらない淑やかな表情で神魔の傍らに立つ

 そんな桜の視線に気づくことなく、神魔に背を向けた詩織はこみあげてくる感情と涙を押し殺すかのように唇を引き結び、痛みを訴える胸にそっと手を添える

(そっか、やっぱり私のこの気持ちは……)

 それとは別に、神魔の言葉を受けたマリアは、自身を案じて向けられたクロスの視線に苦笑を返すと、その表情をわずかに翳らせる

(やはり、混濁者(私達)は……)

 自身に流れる全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の血。自身でも分かっていたはずだが、法や倫理的な禁忌だけではなく、摂理としての禁忌である事実が、存在の罪にまみれたマリアの心に小さな棘を刺さないはずがなかった


(許されないものだったんだ)

(許されないものなんですね)


 異なる存在を愛する少女と、異なる存在の間に生まれた天使。二人の心を苛む神の歪みによる痛みは、その心に決して小さくない傷を確かに刻んでいた





 世界と世界の狭間に存在する大樹に取り込まれた巨大な館――それは、九世界において十世界と並んで危険視される組織「英知の樹(ブレインツリー)」の本拠地「博界館(ミュージアム)」。

 その中には、亜麻色の髪を持つ美女を抱くように取り込み、淡く輝く結晶の柱が佇んでいる。そしてそれを見ながら玉座に腰かける人物こそ、英知の樹(ブレインツリー)の首領――「フレイザード」だ


「『混濁者(マドラス)』。それは、異なる存在の間に生まれた禁忌の存在を示す名」


 先端にいくほど白くなる黒い髪を揺らすフレイザードは、その目で結晶の中に閉じ込められた亜麻色の髪の女性を見つめ、届くはずのない言葉を送り続ける

 まるで永遠を閉じ込めているかのような美しさを称える亜麻色の髪の女性が答えるはずもないことを知っていながら構うことなく語りかけるフレイザードの表情は、決して届かぬ声に嘆いているわけではなく、どこか淡々としていて、まるで現状を報告しているような事務的な響きを帯びている


「だが、真の混濁者(マドラス)はそんなものではない」


 それまでの感情の乏しい無機質な声から不意に感情を宿し、歓喜ともとれる強い感情で断言したフレイザードは、結晶の中で眠る女性をその手に掌握するように手をかざして手を握る

「異なる種族は元より、光の存在は闇の者を存在を愛さず、闇の存在は光の存在を愛さない――だがそれは、あくまでも全霊命(ファースト)以下の存在に限ったこと。

 全霊命(ファースト)は神のユニット。そして全ての神は神位第一位――絶対神のユニット。そして光の絶対神、創造神・コスモスと闇の絶対神、破壊神・カオスは、世界における最初の番神でもある」


 この世界を創造し、全霊命(ファースト)を生み出した神には神位第一位から第六位までの階級があり、そしてその第一である創造神と破壊神はその名の通り創造と破壊を司り、光、闇、この世の全てを体現するまさに絶対なる神でもある

 光と闇、善と悪、男と女――それらは対極でありながら、互いが互いの存在を補完し合う関係に在り、故にこの二柱の絶対神は対極の神にして世界最初の番の神でもある


「そう、つまり神は光と闇を問わず神を愛する存在であり、そしてそのユニットである全霊命(ファースト)をも愛することができる。いや、むしろ全霊命(ファースト)とはそのために(・・・・・)生み出されたと言っても過言ではない」


 神とは絶対神のユニット。絶対神に宿る様々な力を象徴し、体現する存在でもある。それは、ユニットにおいては「欠片(クオリア)ユニット」と呼ばれるものであり、神片(フラグメント)ユニットと称されるものに該当する

 「欠片(クオリア)」と呼ばれるユニットは強力な力を持つ代わりに、同じユニットである「繁栄(チャイルド)」のように繁殖する能力がない。


「事象や概念そのものともいえる神は、神との間に子を成すことができない――結果的には失敗に終わったが、神々は創界神争が激化し、膠着状態に陥っていく中で現在世界に()かれた不可神協定を見越して、自分達の子孫を世界に残すことを考えた。

 それこそが、世界最高位の霊格を持つ神の尖兵であると同時に、神の繁栄型(チャイルド)ユニットである『全霊命(ファースト)』だ」



 創界神争――九世界最初にして最大、唯一神によって引き起こされた大戦の最中、それに関わっていた者たちは、現在の状況になることを見越していながら見越していなかった。

 つまり、闇の神々は自分たちの神である破壊神が創造神に敗れ、封印されてしまうなどということは考えておらず、しかしこのまま戦争が長引いていけば、神同士が関与しない代理戦争へと突入する可能性を考えていた。


 しかし、神は神を愛することはできても子を残すことはできない。仮に代理的な戦争にもつれ込めば、神の力を持つ者を陣営に有する方が有利であろうことは想像に難くない

 だからこそ、神は自分たちの力を持つ代理戦争執行者にして自分たちの力を継承しうる存在――全霊命(ファースト)を生み出した。結果としてはその計画は失敗に終わってしまったが。



「そう。真の混濁者(マドラス)とは、現在この世にたった一人だけ存在する……」

 懇々と言葉を紡ぎ、結晶の中の女性に独白するように語りかけるフレイザードは、その姿をその目に映しながらその口端をわずかに吊り上げる


 本来混濁者(マドラス)とは、生まれる(・・・・)はずのなかった(・・・・・・・)異なる存在同士の混血児のための言葉ではなく、後天的に混血という意味で同義的な意味を有する禁断の存在の呼称として定着してしまったもの

 つまり、混濁者(マドラス)という言葉が示す本当の存在とは、神が想定し、神が成そうとした計画を体現したもの――




「神と全霊命(ファースト)の混血児」





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