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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖精界編
127/305

夜陰に輝く月の如き






 世界に響いた界厳令は、ゆりかごの世界の様に九世界と繋がりを持たないすべての世界に届き、そこにいる全霊命(ファースト)達全員の知覚に語りかけている。

 そして、それに例外はない。十世界や英知の樹(ブレインツリー)のように九世界と敵対している組織の者にも届いた界厳令は、必然的に彼らの耳にも届いていた



「蒐集神か。奴に例の神器(・・・・)を取られると厄介だな」

 眼前に広がっている世界――堕天使界の風景を見ながら忌々しげに独白したのは、この世界を総べる者「堕天使王・ロギア」。腰まで届く漆黒の髪を揺らし、その金色の視線に懸念と危惧を宿す


 神から最初に生まれた天使の原在(アンセスター)――十聖天の長にして初代天界王。そして今はその身に闇の神の加護を受け、光を闇へと堕とす力を有す生きた神器と化した堕天使の王「ロギア」。

 そしてもっとも古くからこの世界に生き、光の神に仕えたロギアは、今世界に起きている歪みと異変を察知し、九世界にその事実を隠したまま調査と探索を堕天使たちに命じていた


 この世界の愛には歪みが生じている。本来生まれるはずのない異なる存在に対する愛情、そして生まれてはならない「混濁者(マドラス)」――それを可能にするのは、かつて世界最初にして最大、そして歴史上唯一神が起こし、神が携わった戦争「創界神争」の爪跡と言って過言ではない。

 この世界に存在する者たちに対して、これほどの影響をもたらすことができるものなど神の力を置いて他にないだろう。だからこそロギアは、世界に歪をもたらしている原因――おそらくは、中途半端にその力を使っている神の力を見つけ出そうとしていた


「フィアラ」

「はい」

 ロギアの声に呼ばれ、その背後に姿を現したのは亜麻色の髪を持つ堕天使の女性。ロギアの腹心の一人として仕えているフィアラの声を背で受けたロギアは、一瞥を向けることなく己の懸念を現実のものとしないための命令を下す

「全員に通達。蒐集神には例の神器(・・・・)を渡すな、と」

「はい」

 ロギアの言葉が意味する例の神器が、「世界に歪みをもたらしている元凶たる神器」であることを正しく理解しているフィアラは、恭しく一礼して応じると次いで厳かな声音で一つの報告を口にする

「それと、ザフィールとオルクが妖界にて光魔神と接触したそうです」

「……そうか」

 その報告を聞いたロギアが、一瞬の沈黙を置いてから黒翼を携える背中越しに応えると、それとは別の方向からの言葉が割って入った

「それでどうだったのでしょうか、フィアラ様?」

 その人物(・・・・)が最初からこの場にいたことは、フィアラも知っている。ここは曲がりなりにも堕天使王の御坐。いかにかつて最強の天使だったとはいえ、ロギアに護衛の一人もつけずに放置しているわけがない

 ロギアが支配するこの玉座の間の中にいながら、ずっと沈黙を守っていたその人物は、しかし、フィアラの言葉に――正確には、その中に含まれていた自身と縁が深い(・・・・・・・)存在の名に反応したことも、この場にいる誰もが知っていることだった

「そんなに気を揉まなくともよいですよ、『ロザリア』。……接触したとはいっても、直接戦ったわけでもなければ、言葉を交わしたわけでもありません。文字通りに、その存在を確認したという意味です」

 その声を向けた人物――「ロザリア」は、穏やかな声で応じたフィアラの言葉に静かにその瞳を伏せる

「そうですか」

 フィアラの言葉に応じたロザリアは、自身の心中から湧き上がる懐古の念と母性にも似た温かな感情にわずかにその口元を綻ばせる

(きっと、大きくなっているのでしょうね)

 その記憶に甦るのは、まだ幼かった少年の姿。自身の所為でその命を危ぶませ、そして己の弱さゆえにその人生を狂わせてしまった幼い子供。

 自身の記憶の中に鮮明に残っているその記憶を辿って、一時の感傷に浸っていたロザリアはその表情をわずかに曇らせ、自罰的な感情をその瞳に宿して天を仰ぐ



「もしも……もしも私があなたの前に現れたなら、あなたは何と言うのでしょうか――?」



                ※



 日輪の妖精王城――妖精界王城が建つ鏡の大地から神速で飛行すること半日近く。眼下に果てしなく広がる妖精界の大地は、湿林へとその景色を変え、やがて水晶を思わせる結晶に満たされた大地へと変わっていた

「わぁ……」

(宝石の海みたい)

 神魔が張る魔力の結界によって、光をも超える神速で飛翔していながら天地を埋め尽くす風景をはっきりと認識することができている詩織は、岩石に結晶が混じり始め、やがて結晶の大地へと変わったその光景にその表情を輝かせる


 まるで神の手に抉り取られたようは巨大な窪地のようになったその大地は、その深さと気流の関係で天に輝く神臓(クオソメリス)の光を阻む濃霧と隠された暗天になっている。

 しかし、その濃い雲霧を割いて差し込む木漏れ日の様な陽光を受けた結晶は、その光をその内側で屈折させて色鮮やかな光を生み出し、薄暗い天の下にある大地ををまるで虹の中にいるかのように飾り立てていた


「見えました」

 雄大でおとぎ話を思わせる幻想的な妖精界の大地を見て感動さえも覚えている詩織の耳に、前方を乳白色の蝶翅を羽ばたかせて飛翔するアイリスの声が届く

「!」

 その声に視線を向けた先には、大地を満たす虹霞の中にそびえ立つ天を衝かんばかりの塔と、それを中心にしてそびえたつ城がひっそりと佇んでいる

「あれが……」

「はい。月天の精霊王様が住まう月の精霊王城です」

 遥か彼方に佇んでいながら、その大きさゆえに今にも辿り着きそうに思えるその城を見て息を呑んだ大貴の声にアイリスが応え、同時にそこへ向かって神速で移動する一行の知覚に強大な神能(ゴットクロア)が捉えられる

「――っ!」

 この世界を総べる光の全霊命(ファースト)――精霊の有す神能(ゴットクロア)、「精霊力」を知覚した大貴たちが身構えた瞬間、天空の厚い雲を切り裂いて現れた二つの光が、一同を囲むように縦横無尽に飛び回る

「……お出迎えです」

 それを見たアイリスが静かに応じると同時に、周囲を飛翔していた光星の輝きが消え、その中にいた褐色の肌に、色鮮やかな紋様が浮かぶ蝶翅を持った人物がその姿を現す


「……月の精霊」


 事前に聞いていた通り、月天の精霊の特徴である褐色の肌と鮮やかな紋様が浮かぶ蝶翅を認識した大貴が静かな声で独白する


 この妖精界を総べる全霊命(ファースト)である精霊は、「日」、「月」、「湖」、「森」の四種族に分かれており、その翅の形状によって種族を判別することができる。

 しかし、いかに種族が違っていても、その存在が持つ神能(ゴットクロア)――「精霊力」には何の違いもなく、知覚でそれを判別し、区別することはできない。

 つまるところそれは、いかに種族が違っていても、精霊は精霊という存在であるということを表しているようだった


「お話しはアスティナ様から伺っております。王がお待ちですので、我らについてきてください」

「はい」

 大貴たちを出迎えた二人の月の精霊は、事前に連絡を受けていたために警戒心を見せることなく来客をもてなす明るい笑みを浮かべて、一行を城へと先導する

(この人たちが、月の精霊……分かってたけど、別に普通だな)

 その姿を神魔の結界の中から見ていた詩織は、拍子抜けするほど普通、かつ礼儀正しく出迎えてくれたその姿に内心で独白する


 月の精霊達が、かつて同じ種族である精霊達と敵対して闇の存在に味方したことを知識として聞いている詩織は、アイリスと何ごともなかったかのように話す姿と、何の敵意も感じられない姿に、過去にそんなことが本当にあり、その時の禍根が今でも根深い溝となって残っているなどとは信じられない気持ちになっていた

 自分達を出迎えてくれた月の精霊達は、アイリスを見ても顔色一つ変えず、アイリスもまた月の精霊達に対して嫌悪や敵意のような感情――あるいは、過去の確執を感じさせる反応を何一つとっていない

 無論いきなり一触即発になることなどないのだろうが、そのやり取りを見ている限りは、月の精霊の確執を感じさせなかった


(あの人たちは、本当はどうなりたいのかな? 昔みたいに仲良くなりたいのか、それとも……)

 当たり前のように言葉を交わすアイリスと月の精霊達の姿を遠目で見た詩織は、永遠の時を生きることができる故に、色あせることなく心の中に残り続けている傷を抱えている全霊命(ファースト)達の姿を見ながら、内心で静かに思案を巡らせる

「……」

 神魔の結界の中で思慮を巡らせている詩織の姿を横目で見た桜とマリアは、半霊命(ネクスト)――ましてや、ゆりかごの人間である身でありながら、全霊命(ファースト)に禁断の想いを抱いているその姿を瞳に映す

 同じ人を愛する桜と、全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の混血――混濁者(マドラス)として、その想いの果てに何があるのかを知っているマリアは、しかしその心を隠すように瞳を伏せると出迎えに現れた月の精霊達の後に続き、月の精霊王城へと向かうのだった



                 ※



 月の精霊達に招き入れられた月天の精霊王の居城は、城外から引き入れられている清水がせせらぎの音を残して流れ、その天然の恵みと非天然の産物である城そのものが協調して強調されており、まさに自然と文明が一体になっているように思える

 この辺りを満たす鉱石の欠片が混じっているのか、城内の明かりに照らされるその水はまるで輝いているように燐光を帯びており、それに満たされた城内は幻想的な灯に包まれていた

「こちらです」

 白亜で作られた荘厳な佇まいの城は神殿を彷彿とさせ、道案内をしてくれていた月天の精霊達に誘われた大貴たちは、やがて白の中心部にある巨大な扉――謁見室の入り口の前へと案内されていた

「精霊王様はこの先です」

 ここまで案内してくれた月天の精霊の言葉を合図としているかのように意匠の施された扉が無音で開くと、大貴たちの前にその先に広がる空間――謁見室がその姿を見せる


 そこはまさに夢と見紛うばかりの空間だった。


 ドーム状に作られた室内は、暗天から差し込む光を拡散するステンドグラスのような窓を介した光で照らされており、城外から引き入れた清水が泉のように溜まっている

 この土地特有の結晶石の粉末を介して天窓から取り込む自然の陽光と、室内につるされたシャンデリアの人工の灯が拡散され、ところどころ彩色に煌めく優しい光が室内を満たしていた

 燐光を帯びて輝く清水を間近に、入り口から円周を回るように作られた回廊と、中心にある玉座が置かれた円床の区画へと続く一本道が扉の前から伸びている


「ようこそお越しくださいました」

 そして、扉から続く直線の回廊の先にある円床に置かれた玉座にいた女性は、扉が開かれて大貴たちが入ってくると、室内を満たす清流を彷彿とさせる澄んだ声で一同を迎え入れる


 そこにいたのは、透き通るような透明感を纏う美しき女性。月天の精霊の特徴である褐色の肌は、遠目でもわかるほどに艶やかで滑らかであり、桜やマリアのような白雪の肌とは違う魅力と色香を醸し出している。

 強く気高い清廉な意志を感じさせながら、慈母のような包容力を感じさせる橙に近い金色の瞳。腰まで届く髪は夜の闇に輝く月光を彷彿とさせる白銀色で、それ自体が温もりを感じさせる陽光とは真逆に思える輝きを宿している

 その背から生える白い蝶翅には、赤や青といった華やかな色の鱗粉が、まるで万華鏡を思わせる鮮やかで華やかな美しい紋様を作り上げていた

 夜陰を切り裂き静寂の夜を照らし出す白光を思わせる、儚げで優しい光を存在として体現したようなその姿は、まさに「月の精霊」と呼ぶにふさわしい


(わ! すごい綺麗な人)

 全霊命(ファースト)の例に漏れない彫刻の様に整った現実離れしたその女性の美しさに、詩織はほとんど恒例のように見惚れて息を呑む

「お初にお目にかかります。わたくしは、月の精霊王『イデア』と申します。皆様におかれましては、遠いところをわざわざ起こしくださりまして、感謝に堪えません」

 そんな詩織を横目に、来城した大貴達に月光を思わせる冷幻な微笑を向けたその女性――月天の精霊の祖にして、四人の精霊王の一人である「イデア」は、清流の様に澄んだ声で話しかける

「こちらこそ、突然の来訪にも関わらず快く受け入れていただきまして、ありがとうございます」

 たおやかな物腰で大貴たちを出迎えた月天の精霊王「イデア」の微笑にアイリスが慣れた様子で頭を下げると、その視線を背後にいる異世界からの客人達へと移す

「お聞き及びのことと存じますが、こちらが光魔神様とそのお連れの方々です」

「ええ、アスティナ様から伺っております。――光魔神・大貴様と悪魔の神魔様、桜様、瑞希様、天使のクロス様とマリア様――そしてゆりかごの人間の詩織様ですね」

「はい」

 事前にアスティナから情報を得ているイデアが確認するように視線で語りかけると、それを受けた一同は首肯を以って応じ、最後に詩織が緊張した面持ちで声を発する

「ふふ……」

 それをもって全員の確認としたイデアは、その表情を精霊王の称号にふさわしい慈愛と荘厳な凛々しさの同居するそれへと変えて厳かに言葉を紡ぐ

「では早速本題に移らせていただきますが、用件はなんでしょうか?」

 九世界と縁を深め、十世界と敵対することを真の目的としている光魔神とその仲間が、この世界の中枢たる妖精界王アスティナの許を離れてここに来たということはそれなりの理由があることは容易に理解できる

 そして問いかける言葉を向けてはいても、月天の精霊(自分達)の許へとやってくるということは、その理由(・・)もイデアにはおおよそ見当がついていた

「……」

(勢いごんで来たのはいいけど、どうやって切り出せばいいんだ? 姉貴みたいに軽々しく聞けたらいいんだろうけど……)

 イデアに視線を向けられた大貴はそれに応えようとするが、どうやって話を切り出すべきかを迷ってその言葉を濁らせる中、自分の苦手としていることをそつなくこなす事ができる双子の姉――詩織を思い返してその対話技能を欲していた


 元々大貴はそれほど人付き合いが得意ではなく、見知らぬ相手に話しかけることを不得手としている。決して他人とのかかわりを拒んでいるわけではないが、なまじ相手に気を遣うために、どの程度踏み込むべきかなどと考えてしまう分、必要以上の会話を避けてしまうのがその要因となっている

 そんな性格もあって、月の精霊達の気持ちに傷をつけず、うまく聞く術を見つけられずにいる大貴は、これまで呆れ半分にさえ見ていた詩織の忌憚がないとも取れる対話技能を羨ましくさえ感じていた


「ロシュカディアル戦役について、でしょうか?」


 そんな歯に物が挟まったような様子を見せる大貴を見たイデアは、それが自分たちへの気遣いから出ているものだと察して、自らその言葉を口にする

「――!」

 その言葉に大貴が目を瞠ったのを見たイデアは、その表情から自身の指摘が正確だったことを確信して優しく微笑みかける

「貴方の様子やもろもろの事情を鑑みれば、おおよその予想はつきますから――どうぞ、遠慮せずにお聞きください」

 その言葉を受けた大貴は、しばし逡巡するように視線を彷徨わせるが、すぐさま意を決したようにその左右非対称色の瞳で月光を思わせる冷光を纏う女王を見据える

「――なら、遠慮なく。なんで、あんたたちは闇の側についたんだ?」

 どこか気を遣いながらも、できる限りその事実に関わろうとする大貴の優しさと決意をその瞳から見て取ったイデアは、優しい声でそれに応える

「そうですね……光は必ずしも正義ではなく、正義は必ずしも正しいものではないということででしょうね」

 ロシュカディアル戦役において自分たち月の精霊が光の世界に敵対した理由は、当然その後にアスティナ達に説明している

 その気になればアスティナから聞くこともできたことをあえて訊ねず、またアスティナ達が教えなかったのはイデア自身に話をさせることで、この世界に根付く過去の禍根を伝え、大貴自身にそれに対する答えを出してもらうためだ

「?」

 その言葉に訝しげに眉をひそめた大貴と、その周囲にいる他世界の客人達を見たイデアは静かな笑みを浮かべて言葉を続ける

「率直に申し上げれば、闇の世界側(あちら)にわたくし達の守りたいものがあったからです」

「守りたいもの……?」

 遠い過去を懐かしむように言葉を紡いだイデアは、しかしその美貌を曇らせて自罰的な色を宿した言葉で自嘲する

「今はもうありません……結局、守れませんでしたから」

 雲に隠れた月を彷彿とさせるイデアの哀笑からは、同胞に敵対してまで成そうとしたことが結局実を結ばず、自分と共に戦場へ向かってくれた仲間たちを「裏切り者」と罵らせてしまっている自身への憤りと嘆きが伝わってくる

 その表情を見ていた大貴はこれ以上その傷ついた心の内に踏み込むことを躊躇うが、それではこれまでの自分と何も変わらないことを思い返し、意を決した言葉を続ける

「あんたが……いや、あんたたちが守りたかったものって何なんだ……?」

 この悲劇を招いた根底にあるものを聞きだすべく言葉を発した大貴に、イデアはその幻想的な光を宿す瞳に静かな意志を灯して応じる

「"世界"です」

「?」

 己の成した結果そのものを悔いていても、自身がしたことそのものに対して一切の後悔を感じさせない瞳で応じたイデアの言葉に、その場にいた全員が怪訝そうな表情を浮かべる


 イデアは「世界を守るため」に光の同胞たちを裏切ったと言った。そして、「それを守れなかった」とも。

 しかし、イデアが守りたかったはずの世界は今ここに正しく存在し、「今はもうない」と言っていながら、今も在り続けている。イデアが守れず、失われたとされている世界が今ここに在る事実――その整合性の取れない矛盾に大貴たちが首を傾げたのは必然だった


(――いや、ある(・・)

 誰もがイデアの矛盾をはらんだ言葉に思案を巡らせる中、その可能性に思い当たった神魔がその時にいた桜に確認を取るように視線を向けると、桜色の髪を持つ大和撫子は視線で同意を示す


《なんのため? ……決まっている。世界を護るためだ》

《今、この世界は滅びの危機に瀕している。世界は歪み、軋んで悲鳴を上げているのだ》

《このまま世界の歪みが進行すれば、九世界の摂理そのものにどれほどの負担を与えるか分からん。ならば、その根源を正す事こそが世界を救う事になる!!》


 視線を交わした神魔と桜の脳裏に甦ってくるのは、妖界で刃を交えた堕天使界に仕える堕天使――「ザフィール」の言葉。

(まさか、この人は気付いてた(・・・・・)?)


 この世界を現在進行形で蝕んでいる愛の歪み。――本来在りえないはずの異なる存在との愛情を生み出すほどのそれは、世界の根源でもある神の力による影響だとザフィールは言っていた

 そして、そのザフィールにその事実を伝えた堕天使王・ロギアは、元は神から生まれた最も神に近い天使の原在(アンセスター)――十聖天の一人。そして目の前にいるイデアは、精霊の原在(アンセスター)である「精霊王」の一角。そう考えれば、イデアがその事実にたどりついたとしてもそれは何も不思議なことではない。


(でも、もしもその言葉が真実で、僕の考えが間違っていないなら、つまりこの世界の歪みの原因である神器はもう存在しないってことに――!)

 しかし、それ以上に神魔の意識を支配しているのはイデアが言った「今はもうない」という言葉

 もしも仮にイデアの言葉がそのことを指しているのだとすれば、世界に歪みをもたらした原因である神の力はすでに失われてしまっていることになる


「では、わたくしからも無礼を承知であなたにご忠告をさせていただきましょう」


 その時、思考の暗雲を切り裂くように響いたイデアの声によって神魔の意識は現実に回帰し、たおやかに佇む月光の精霊王と光と闇を等しく持つ異端の神の対話へと向けられる

「なんだ?」

 イデアの「忠告」を促すように大貴が応じると、儚げな微笑を浮かべた月天の精霊を総べる美しい女王はまるで世間話をするように語りかける

「九世界はいかがですか? これまで人間界と妖界、そしてこの妖精界を訪れてみて感じたことをお伺いしたいのですが」

 柔和な笑みを浮かべ、忠告と言いながらも深刻さを感じさせないイデアの言葉に一瞬訝しげに眉をひそめた大貴だが、無言のまま答えを待つその姿にどこか釈然としない声音で応じる

「……悪くない」

「そうですか。それは何よりです」

 大貴の言葉を受けたイデアは、まるで子供を慈しむ母親の様な微笑みを浮かべて優しく語りかけると、その瞳にわずかに鋭い光を宿す

「では、あなたは九世界と戦えますか?」

「?」

 まるで心の底を見透かそうとしているような視線と声音を大貴へと向けたイデアは、その言葉の意味に眉をひそめた光と闇を等しく持つ唯一の異端なる神に語りかける

「これまで世界を巡る中で、あなたは少なからず世界の人々と縁を結び、絆を紡いできたはずです。そしてあなたの前にはもう一つの世界の選択肢がある」

 イデアは――否、神魔と桜を除いた九世界の者たちは、魔界王を筆頭とする九世界の王達が光魔神(大貴)を自分たちの陣営に引き入れるために世界を巡らせていることを大貴が知っていることを知らない


 しかし、それを知っていたところで何の意味もない。


 今行っている九世界巡礼は、九世界との絆を大貴に作らせるというよりは、すでに神魔やクロス達と出会ったことでできていた絆の縛りをさらに重いものに変えるという意味合いの方が強い

 神魔、クロス、桜、マリア、瑞希――ゆりかごの世界(地球)で出会った仲間たちとの絆。そして九世界の一つ、人間界の王となったヒナとの間にある絆。――九世界の意志がどうであれ、大貴はすでに九世界と浅からぬ縁を結んでしまっている。

 それを後悔するつもりも、疎ましく感じることもないが、それでもこれまで巡った世界で出会った者たちと築いた思い出は、すでに大貴の中に確かなものとして刻まれており、十世界ではなく九世界にその心を縛りつける鎖としての役割を果たしている

 そう。大貴は、恐らくは神魔たちと出会ったあの日から積み上げられてきた絆鎖によって今この場に立っているのだ


「――十世界、か」

 自らの心に絡みつく絆の重みを暗に匂わせる言葉を受けた大貴は、それと同時にイデアがそれとは違うことを問いかけていることをその声音からうっすらと感じ取り、その意味するところを察して答える

「そうです。わたくしは――いえ、わたくしたちは世界を守りたかった。ですが、結果的には何も守れず、今のような有様になってしまいました」

 イデア達月の精霊が守ろうとしたのは、この世界とそこに住まう同胞達だった。彼らのことをかけがえのない仲間だと思っていたらこそ、イデア達は彼らに敵対してでも守ろうとしたのだ

 しかし結果的にそれは実を結ばず、残ったのは裏切り者というレッテルと守りたかった仲間たちとの間に生じた不和だった

「そして、それはあなたにも言えることです」

「!」

 どこか自嘲しているような声音から、不意に射抜くような鋭さを孕んだ静かな語気で語りかけたイデアに、大貴は小さく目を瞠る

「あなたがこの九世界とそこに住む人たちと縁を結び、彼と彼らの住む世界を守りたいと考えた結果、十世界に協力することになったとすれば、これまで出会ってきた九世界の仲間たちは皆あなたの敵として立ちはだかるでしょう

 その先にある幸福を信じ、心を痛めて戦ったとしてもその先には思い描いたほどの未来は待っていないかもしれない――」

 天に浮かぶ月が水面にその姿を映すように、どこか冷たさすら感じる月の光に似た穏やかで厳かなイデアの言葉が、その心を大貴の心に移していく

 イデアが大貴に問いかけたのは、絆に敵対する覚悟。そしてかつて自分がした決断の結果を理解させること


 これから大貴が心変わりをし、十世界の理想に協力しようと思っても、そうして絆を築いた九世界の者たち――神魔たちは誰一人として共に同じ未来を志してはくれないだろう

 そうなった時、大貴はこれまで紡いできた絆と戦うことになる。――それは、大貴が望もうと望むまいと回避できないことであり、そしてどれほど心を痛めても叶わない未来や願いもある


「分かりますか?」

 穏やかな声で語りかけたイデアは、しかしその静かな声音からは想像できないほどの威圧感を纏って大貴を見据え、静かにその言葉を紡ぎあげる


「もしかしたら、わたくし達の姿は貴方の前にある選択肢の結果の一つなのかもしれませんね」


「……!」

 イデアの明鏡止水の瞳と大貴の左右非対称色の瞳が交錯し、交わされた言葉が無数の未来と可能性となってその刹那の間に混在する


 これから大貴がどのような道を選ぶのは分からない。しかしそこには必ず大貴自身が望んだ未来と世界があるはずだ

 だが、いかに望もうとそれが手に入るとは限らない。月天の精霊(イデア達)のように守りたかったはずのものを失い、傷つけるだけで終わってしまうこともその可能性の一つとして確かに存在するのも事実なのだから


「さ、とりあえずこの話はここまでにしましょう。折角このような場所までお越しいただいたのです。大したことはできないかもしれませんが、是非一晩だけでも泊っていってください」

 しばしの間二人の間を沈黙と重苦しい雰囲気が支配するが、ふとその表情を花のように綻ばせたイデアは場を仕切り直すように軽く手を叩いて微笑みかける

「……お世話になります」

 そんなイデアに毒気を抜かれたのか、全員の緊張が一気にほどける中で一同を代表してアイリスが軽く目礼を返す

「では『ライル』さん、お客様たちをお部屋に案内して差し上げてください」

「畏まりました」

 その声にイデアが視線を向けると、部屋の傍らに控えていた護衛と思しき月天の精霊――「ライル」と呼ばれた男がゆっくりと大貴たちに歩み寄ってくる


 月天の精霊の特徴である褐色の肌に白銀の髪、そして色鮮やかな紋様が浮かぶ蝶翅。全霊命(ファースト)の例に漏れない端正な顔立ちを持つその男は、髪にビーズの様な装飾が施されたバンダナとマフラーが特徴的な霊衣を纏っている


「では、ご案内させていただきます。こちらへ」

 そう言ってこの謁見の間の扉へと歩き出した月天の精霊――ライルに続くように、身を翻した大貴を見つめていたイデアは、その背に向けて麗澄な声を送る

「くれぐれもお気を付けください。見えている敵よりも、見えない敵の方が恐ろしいものですから」

「……?」

 その言葉に怪訝そうに目を細めた大貴にそれ以上の言葉を続けることなく、イデアはその月光を思わせる冷光色の輝きをたたえる白銀の髪と共にその身を翻し、その姿を虹霧の中へと眩ませるのだった



                ※



「『ロシュカディアル戦役』――『ヘイルダートの悪夢』、『天の落日』と並び、九世界の歴史の中で大きな事件を示すものですが、わたくしたちが引き起こしてしまったこのロシュカディアル戦役だけは他の二つの事変と大きく異なるものだった」

 大貴たちを見送り、一人になったイデアは大小様々な結晶に満たされ、厚い雲を割いて差し込んでくる光を受けて虹色の燐光を帯びる結晶石に抱かれた大地に佇んで静かに言葉を紡ぐ

 気流や地形などの要因が複雑に絡み合い、常に雲に覆われた天から木漏れ日のような光が差し込む空を見上げたイデアは、その目に過去の戦いを幻視して誰かに語りかけるように独白する

「もし、このロシュカディアル戦役でわたくしたちが『彼』を守りきることができていたのなら、世界は変わっていた――いえ、戻っていた(・・・・・)というべきなのでしょうね」

 イデアの口から淡々と紡がれるその言葉は、愚かだった自分自身を責め苛む色を帯びており、決して許されない――許されてはならないという感情によって形作られていた


 「ヘイルダートの悪夢」、「天の落日」と共に「世界三大事変」と呼ばれる「ロシュカディアル戦役」だが、その実態は他の二つとわずかにその形を違えている

 「事変」の名が示す通り、それらは九世界の歴史において極めて稀で重大な事件と、それと共に起きた戦いを指し示すもの。

 ヘイルダートの悪夢は光と闇の全霊命(ファースト)が共に戦った歴史上最大の戦い。天の落日は九世界の歴史上唯一の異常事件。そしてロシュカディアル戦役は――紛れもなく"歴史の節目(・・・・・)"だった


「すべては、わたくしの愚かさが招いた結果――」

 ロシュカディアル戦役において自分たち月の精霊が光の世界に敵対した理由は、アスティナ達に説明している――無論、重要なところは適当にはぐらかしてそれらしい理由を作り上げているが、その真実は今でもイデアの胸に自罰の棘となって刺さり続けている



《貴女に話したいことがあるんだ――この世界を蝕む歪み(・・)について》


 イデアの脳裏に甦るのは、初めてその人物と会った時の事。そしてその時、イデアは世界を蝕む神の呪いを知った


「――ッ」

 あの時、もっと自分がしっかりしていれば今のような事態にはならなかったはず――沈痛な面持ちで目を伏せてイデアは自分の愚かさと軽薄さを責め苛み唇を引き結ぶ


《大丈夫、わたくしたちがあなたを守ります》


 世界を守りたかった。同胞を敵に回してまでも成そうとしたその願いは、しかしイデアにとって最も望まない――そして、最悪の形で幕を引くことになる


《――ッ》

 今でもありありと思い出せる苦悶の表情と、苦痛の声。そしてその身体を貫いた確かな手応え――そう、アスティナ達を敵に回してまでも守りたかったその人物を殺めたのは、他ならぬイデア自身だった


(だからこそわたくしは、今度こそ果たさねばならないのです――あの方(・・・)の後継となる人物に今度こそ、正しく最期を迎えさせる(・・・・・・・・)ために)

 忘れることのない過去の記憶を離れない光景を呼び起し、罪と血にまみれた自身の手を見据えていたイデアは、その手を強く握りしめると、その冷光のような光を宿す瞳に苛烈な意志を宿す


「あなたの思う通りにはさせませんよ、『無限神・インフィニティ』……!」



 かつて辛酸を舐めさせられた怨敵の名を敵意と決意に彩られた声で苦々しげに呼び捨てたイデアの言葉は、この地を満た結晶の仄光に眩まされ、その輝きの中に溶けていくのだった





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