そして運命は新たなる世界へと針を進める
「兆し」
神々しき白亜の神殿の中、舞い散る金白色の燐光を帯びる金色の髪を揺らす女性は、朱に彩られた花弁のごとき唇から福音のごとく澄んだ声で言葉を紡ぐ
その身を翻らせるとともに、その身を纏う純白の衣がその動きに合わせて揺れ、流れる金糸の髪が天空に光の蛍を舞い踊らせる
「世界が変わる兆し。あなたが変わる兆し――」
燐光を帯びた自身の髪から立ち上る金白光の蛍の遊舞に包まれる金髪の女性が一点の曇りもない清らかな声で紡いだ言葉は、旋律を思わせる聖響を残して白亜の神殿に溶けていく
「あなたの心が、あなたの願いが、世界を動かし、変えていく」
わずかに天を仰ぎ、紅で彩られた可憐な唇から紡がれる聖言は、ここにいないその人物のために向けられる福音そのもの
「あなたが積み重ねた日々と戦いのすべてが導となり、この兆しを生み出しました。そして、やがてこのかすかな兆しはあなたを真の目覚めへと誘うでしょう」
燐光を帯びる金色の髪がその動きに合わせてかすかに揺れ、金白光の蛍を天空に舞い踊らせるその様はまるで星の海に抱かれているように幻想的で神々しい
「あなたは気付いているでしょうか? あの時からこの世界は、あなたを中心にして回っていることに。あなたは気付いているでしょうか? あなたが今生きていることに、どれだけ多くの想いが積み重なっているのかということを」
白亜の神殿の中に立ち、声が届かないその人物に語りかけるように、届くことのない言葉を紡ぐ光髪の女性は、その身に纏う純白の衣を翻らせて、これから来る未来を見据えて厳かな声で言葉を紡ぐ
「その兆しが実を結んだ時こそ――」
純白の衣に覆われた豊かな胸元に、まるで心に触れるように愛おしげに手を触れた光髪の女性は、その胸から湧き上がる永久の想いを噛みしめながら淡い紅で彩られた花弁のような唇から深い慈愛に満ちた声音で言の葉を奏でる
「わたくしとあなたは再び出会うことができるのです」
※
三十六真祖の一角にして、当代三巨頭の一人――クラムハイドによって引き起こされた妖界と十世界との戦乱は、十世界の撤退と弱体化によって妖界側が勝利を収めた。
十世界の大半はその戦力を失い、当分は再起不能。玉章達によって倒された墜天の装雷こと恋依とその配下である籠目と凍女は、他の真祖たちによって捕獲され、現在は牢の中で判決の時を待っている
先ほどまでの戦闘が嘘だったかのように日常を取り戻しつつある妖界の風景の中、城内にある謁見の間では、大貴たちが妖界王・虚空との謁見を行っていた
「今回は、わが世界のために尽力してくれたこと、深く感謝する」
「いえ」
三巨頭である乱世と法魚、萼が佇む中、玉座に腰かけた虚空の感謝と労いの声が、下段に跪いている大貴たちにかけられる
しかしその厳かで荘厳な声を受ける大貴、神魔、クロス、詩織、桜、マリア、瑞希だが、その表情はこの状況に緊張しているというよりは、困惑していると言った状態であり、虚空の声に応じた瑞希の声にも若干その色が滲み出ていた
「あの、虚空様……」
本来ならば厳かで厳粛な空気の中行われるべき謁見の間において、来界した客人たちがどうしてそんな様子なのかを正しく把握している萼は、やや言葉を濁しながら自身の背後にいる世界の王へと声を向ける
「なんだ?」
「いえ、これはその……よろしくないのではないかと」
その声を受けた虚空が訝しげに返すと、萼は自分を壁にして大貴たちと話している虚空に恐る恐る進言する
今、玉座に座っている虚空は、萼を自分の前に立たせ、その身体をさながら御簾のようにして大貴たちと対面している。それが、本来厳かであるべき謁見の雰囲気に微妙に滑稽な色を持たせていた
「おいおい、知らない人と面と向かって話すなんて、俺にできるわけないだろ。普通に挙動不審になるぞ? 王の威厳なんて出せないからな」
しかし、萼の進言も、当の本人である虚空には全く効果がなく、むしろ開き直った様子で、その背後から威厳の欠片もない子で反論する
「今でも十分威厳はないと思いますが……」
「なら、問題ないな」
そう言いながらも、律儀に虚空の前に佇んでいる萼が苦言を呈するが、虚空はどこ吹く風とばかりに反論し、それを聞いていた乱世と法魚は、九世界の大使の前で自界の王の恥を晒す事態に、表情で辟易としていた
(そういえば、この人そういう人だって言ってたな……)
萼と乱世、法魚の申し訳なさと情けなさが混在した様子を見て、思わず同情してしまっている詩織は、この世界に来たばかりの頃のことを思い出してその様子を見つめていた
妖界を総べる妖怪の王――妖界王・虚空は、最強の妖怪ではあるが、人見知りが激しく、他人との関係を良好に築くことを苦手としているため、自他ともに認めるほど為政者には向いていない。
故に、虚空は自信が信頼する人格と実力を兼ね備えた三十六人を真祖として選び、その内三人に一定期間世界を任せる形で政治を行っているのだ
ただ、虚空の人見知りは通常に接する時のみのものであり、戦闘中に関しては「どうせ殺す相手だから」と後の関係まで考慮に入れなければ意に介さないことも、萼達は知っている。そしていかに普段が無能であろうとも、誰もがその力を認めるがゆえに虚空はこの世界の王として在り続けている
「はぁ……」
半ば諦めている萼は、視線で「非礼をお詫びます」とばかりに訴えかけながら、虚空に背を向けて大貴達を見据える
「もはや、十世界の妖怪共は風前の灯火。しばらくはまともに活動もできないだろう。まさか君たちがここまでやってくれるとは思わなかった。改めて感謝の言葉を述べさせてもらう」
「光栄です」
あらかじめ言われていた通りに、厳粛な口調で語りかける虚空の声が萼を挟んで届くと、瑞希は恭しく首を垂れて静かな声で応じる
「それで、これからどうする? 聞いた話では他の世界へと赴くということだが」
「はい。我々としても、当初予定していた以上の成果をこの世界であげることができました。故に次の世界へと移動しようかと考えております」
虚空の問いかけを受けた瑞希は、恭しい声でそれに応じ、妖界を出立する意思を告げる
この九世界巡界の目的は、反逆神を擁する十世界に対抗できる唯一の戦力である光魔神――つまり大貴を九世界側に引き込むことにある
九つの世界で縁を作って大貴の心を縛り、十世界と敵対させることでその心を引き離すことを目的としているとはいえ、まさか最初の妖界で思わぬ成果を上げることになるとは誰一人として思っていなかった
いくつかの偶然が重なったこととはいえ、精々九世界に滞在して関係を強くし、十世界と少しでも敵対させることができれば御の字というのが、この計画を魔界王から聞かされた時の九世界の王たちが抱いた印象だった
しかし、運よくクラムハイドが起こした一大規模の戦闘により、妖界に巣食っていた十世界に多大な被害を与えることに成功したのはまさに嬉しい誤算だったと言えるだろう
「そうか……次は妖精界だったか?」
「はい」
世界を巡る順番をあらかじめ聞いている虚空が確認すると、瑞希はそれに厳かな声で応じる
光魔神に九世界を巡らせるという策を提案したのが、魔界王であったことから闇の世界からは早々に了承を得ることができたが、闇の世界と敵対する光の世界はそう容易にはいかず、天使を総べる天界王・ノヴァに働きかけてもらうことでその許可を得ることを求めている
しかし、闇の世界ばかりを回っていては、不公平になるため闇と光の世界を交互に回ることになっている。今は闇の世界である妖界にいるため、次は光の世界である妖精界へと赴くことになっている
「それで、いつ発つつもりだ?」
「はい。天界王様に連絡を取り、光側の世界の受け入れが整っているのであれば、すぐにでも出発するつもりでおります」
瑞希の答えを聞いた虚空は、思案を巡らせるようにして独白する
「つまり、早ければ明日か」
「はい。短い間ではありましたが、妖界と妖怪の皆様には大変お世話になりました」
「それはこちらの台詞だ。それにこれで終わりではないだろう? 他の奴らはともかく、お前たちならまた歓迎する。その時には盛大にパーティを開かせてもらおう――同じ世界に住まう他世界の友人達よ」
瑞希の言葉に、御簾代わりにしている萼の背後から声をかけた虚空の声には、確かに小さくない親愛の情が宿っていた
九世界という同じ世界の中に生き、魔界や天界、人間界といった異なる世界からやってきた友人たちに敬意を表した虚空の言葉に、瑞希は恭しく首を垂れる
「ありがとうございます」
※
時空の狭間に浮かぶ巨大な大陸に作られた十世界の拠点。その中は無数の区画に分かれており、その中に十世界のメンバーが別れて暮らしている
その区分けは多様だが、特に異端の神とその力に連なるユニット達には、その神ごとに一区画が与えられている
そしてここは、十世界の拠点の中にある区画の一つ。薄暗い部屋を蝋燭の明かりだけが照らし出す薄闇の室内の中央には、荘厳な机が置かれておりそこには一人の男が鎮座していた
一点の曇りも無い純白の髪を頭の後ろで一つに束ね、額には漆黒の鱗のような硬質で形作られる翼に似た紋様が埋め込まれている。その身に纏う霊衣は司祭服を思わせ、揺らめく蝋燭の明かりをその切れ長の瞳に映したその男――悪意を振りまくものの一人、先導者は静寂が支配する沈黙の中で、そこに集っている 一点の曇りも無い純白の髪を頭の後ろで一つに束ね、額に翼を思わせる漆黒の鱗のような硬質を持った男が高らかに語りかけ切れ長の鋭い眼でその場にいる者達を見回すと、今この室内にいる七人の同胞へと視線を向けた
「今日はこれだけか?」
「そうじゃないの? 私たちの王は未だ眠っているし、もう一人は――あいつでしょ?」
ヘイトの声に応じたのは、部屋の片隅におかれたソファに腰かけているあどけない少女――弱さを振り翳すものが退屈そうな声で応じる
この区画は、円卓の神座№2、反逆神・アークエネミーに与えられた区画。そして、ここに集っている者たちこそ、円卓の神座において光魔神と同等の力を持つ反逆神の力に列なるユニット――悪意を振りまくもの達。
反逆神のユニット能力の種類は「欠片」。反逆神の力の断片であるユニットは全十体。そしてそのすべてが神片――神位第六位以上の力を有す存在だ
「ところが残念。今日は来てるよ」
この場にいる八人を見てセウが言った瞬間、その言葉を遮ってそこに一つの影が姿を現す
ニット帽を思わせる帽子をかぶり、片方の目を髪で隠した青年――傍観者は、穏やかな笑みを浮かべて八人の同胞達が集っている場へと降り立ち、その身に纏う霊衣の裾を翻らせる
「珍しいのが来たな、アノン」
その姿を見止めた先導者が歓迎するように笑みを浮かべると、まさか傍観者が来るとは思っていなかったセウが同意を示す
「ホント、なんか気味が悪いかも」
反逆神・アークエネミーの神片ユニットである十体の悪意を振りまくものは、先導者ならば扇動の悪意、弱さを振り翳すものならば簒奪の悪意といった具合に、それぞれが反逆神が持つ悪意と敵意の化身だ。
そして傍観者は、その名が示すとおりに物事を傍観し、諦観し、それを最高の愉悦として自身は決して干渉しない悪意を司っている。
故に、こういった集まりにもほとんど姿を見せることなく、事の成り行きを楽しむ癖があることはこの場にいる誰もが理解しており、だからこそアノンがこの場に来ないことも半ば暗黙の了解として受け入れていた
「まぁね。ちょっと今回の話題に興味があって」
自身でさえそう思われていることを自覚しているアノンは、小さく笑みを浮かべると手近にあった椅子に腰を下ろす
「さてこれで全員が揃ったわけだが、聡明な諸君は今回の話題についてはおおよそ見当がついていると思う――光魔神と九世界に関することだ」
場に集まった九人の同胞たちを見回していったヘイトが、隣にいる平等を謳うものを一瞥するとディクロアは、その身を翻して自分たちの背後に広がっている闇に恭しく首を垂れる
それを合図にするかのように、闇の中から硬質な音が規則的に奏でられ、徐々にそれが大きくなっていくのをその場に集った九人の悪意達は、各々の表情を浮かべて聞いている
その規則的な硬質の音――足音が闇の中から徐々に近づいてくると、その闇の中から血のように赤いフードのついた外套を纏った人物が姿を現す。
その鮮血色の外套の下には、白の縁取りがされた漆黒の霊衣を纏い、フードから除く端正な顔には漆黒の眼を持つ右の眼と黒肌の口だけを残して、皮の様な性質の黒ベルトが巻き付けられておりその表情をうかがい知ることはできない
フードから突き抜けた左右一対の黒角に、霊衣から除くすべての肌を包帯で隠したその男は、この場に集った九人の悪意たちの視線を一身に受けながら、不敵な笑みを浮かべる
「良く集まってくれた。我が悪意の欠片たちよ」
この血色のコートを纏った男こそ、悪意を総べる悪意そのもの――九世界において「神の敵」と呼ばれる唯一絶対無二の存在。「円卓の神座№2、反逆神・アークエネミー」だ
この世における絶対的な神敵である反逆神は、この世でただ一つ、決められた姿や魂の形を持たない無貌の神。容姿、性別共に定められていない無形の存在でもある。
そんな中、この血色コートの男の姿は、反逆神が好んで取る形の一つであることをこの場にいる九人の悪意達は十分に承知していた
「お前達も知っているとは思うが、現在光魔神が復活し、九世界と共に十世界に対する敵対行動を行っている――もっとも、ゆりかごに長く居すぎた所為で毒に蝕まれ、完全な覚醒もままならぬ状態だがな」
実際に奏姫と接する時もこの姿を取ることが多い血色の衣をまとった反逆神は、不敵な笑みを崩さずに部屋の中央まで歩いていくと、周囲にいる九人の同胞へと視線を向けて語りかける
「だが、その毒もその内消えるんだろう? 厄介なことだな」
反逆神の言葉に、部屋の一角に置かれたソファに横たわっている男が、自身の創造主に対するものとは思えないほど尊大な態度を保ったまま苦々しげに言い放つ
二メートル近い筋骨隆々とした体躯に毛皮のコートを思わせる霊衣を纏ったその男は、その瞳に抱く横長の瞳孔で自身の神である反逆神へと視線を向けていた
「そうね。やはり、あの時に泥棒天使を殺しておくべきだったのよね――そうは思わない、ルスト?」
その男の言葉に同意を示すように応じたのは、緩やかに波打つライトブラウンの髪を持つ女性。胸元に大輪の花を思わせるコサージュと、白を基調とした膝丈ほどのスカート霊衣を纏い、イヤリングやネックレスといった装飾を用いて、派手ではない程度に華やかに自身の身を彩っている
「――」
そしてその女性の視線を受けたのは、直立不動の状態で壁の端に佇んでいる身の丈三メートルはあろうかという巨大な人物。
黒の縁取りと金の装飾が施された白い外装甲に包まれ、有角の兜で顔をも完全に隠したその巨人は、さながら鎧そのものであるように思える
「相変わらず、無反応ね」
しばし、その鎧巨人の姿を横目で見ていたライトブラウンの髪の女性が、予想通りに反応を返してこないのを見て肩を竦めると、それを見ていた横長の瞳孔を持つ男が鼻を鳴らすようにして応じる
「ルストに聞く方が間違っているだろ、ユニベル」
ライトブラウンの髪の女性――「普遍を望むもの」に嘲笑じみた声を向けた横長の瞳孔を持つ男は、壁際に佇んでいる鎧巨人、「自らを委ねるもの」へと視線を向ける
壁際に佇んでいる悪意を振りまくもの・神片ユニットの一角「自らを委ねるもの」は、その名が示すように無自我にして無思考の悪意。
自身の意志で判断することを放棄し、他者の意見に自身を委ねる悪意の化身であるルストは、自身の感情をほとんど有しておらず、他の悪意、あるいは命令を聞くように言われた者の言葉にのみ反応してその任務をこなすという、生きていながらも機械のように忠実な存在だ
「ウォールノ言ウ通リダ。ソイツハ、無思考ノ悪意。自身ノ思考ナド持チ合ワセテイナイ」
ライトブラウンの髪の女性――「普遍を望むもの」に嘲るような言葉を向けた横長の瞳孔を持つ男に、部屋の端の椅子に座っていた漆黒の存在が、まるで機械で変えているような性別の判然としない声で同調する
「そんなこと言われなくても分かっているわよ、ロウン」
ユニベルに応じた「ロウン」と呼ばれたその人物は、光沢を放つ漆黒で構築された無機物的な身体を有す存在。
人型をしてはいるが、およそ全霊命とは思えない非生物的な漆黒の肉体を持ち、その頭部や胸部に骨を思わせる白の鎧を纏ったその姿は、生命でありながらも死者であるような、存在の矛盾を内包しているように思える
機械音の様な声はもちろん、その姿から性別さえも判断できない「ロウン」と呼ばれた悪意を振りまくものは、バイザーのようになっている白骨鎧によって、その顔や表情すらも見ることが叶わない
「ただ、この世界が変わっていないことを確かめただけ」
横長の瞳孔を持つ男、「狂楽に享じるもの」と、性別さえ判然としない漆黒の存在、「自らを殺すもの」の言葉にどこか満足したような笑みを浮かべて応じたユニベルは、自身が司る悪意のままに世界を確かめ、その唇をわずかに微笑の形に変えて満足気に息をつく
「相変わらず協調性の欠片もない人達だなぁ――まぁ、人のことは言えないけどね」
各々が自分の樹の赴くままに振る舞う悪意達のやり取りを無言のまま遠巻きに観察するアノンは、自嘲混じりに独白すると、先ほどからこのやり取りに耳を傾けている神の姿を一瞥し、その考えを推し量るかのように観察する
「けれど、光魔神が覚醒すればこの世界は変わってしまうのでしょうね――やはり、早々にもう一度封じるべきではない? 私たちの目的を邪魔されるのは面倒だもの」
そうしてアノンが反逆神を観察していたその時、沈黙を破るように発せられたユニベルの言葉に、その場にいる悪意達全員の意識が向けられる
光魔神は元々はるか昔に反逆神がその命を奪い、封じていた。それを十世界に潜入していた天使ロザリアが持ち出したことが今日の事態に繋がっているのは明白だ
未だ完全な神として覚醒していない光魔神ならば、この場にいる誰にでも倒すことは造作もない。必要ならば自分が出向くことすら考えながら、ユニベルは自分たちにとっての厄介ごとの種である光魔神を排除することを暗に提案する
「そういうわけにはいかないでしょう? 貴女と違って我々は敵対するもの。敵対する相手がいなければ、敵である我らは存在できないのですから」
しかし、その名の通り普遍――変化を嫌う悪意であるユニベルの提案は他の悪意によって、あっさりと退けられる
「そういう意味で光魔神は我らにとって最高の敵。故にあの日、我らの神は天使ロザリアにわざと光魔神の封印を盗ませたのですからネ」
ユニベルの意見を否定した三日月型の笑みを浮かべた仮面で顔を隠した道化師風の悪意は、そう言って演技がかった大仰な仕草でこの場にいる全員に自分の――否、自分たちの存在意義を説く。
反逆神とその眷属は、悪意そのものであると同時に世界で唯一無二の絶対的な神敵。その存在は敵対にのみ特化しており、敵対するもの――世界において優勢を占める思想や概念によってその存在意義を確立されているといってもいい。
故に反逆神とその眷属は、神のいなくなったこの世界で最強の存在でありながら世界に害をなさず、常に世界の陰で悪意に満ちた暗躍をするのみにとどまっている
「アンクノ言ウ通リダ。相変ワラズ臆病ナ意見ダナ、ユニベル。神ノ力ニサエ未ダ届カヌ不完全ナ神ニ、何ヲ怯エル必要ガアル?」
アンクと呼んだ仮面道化師の言葉に同意を示したロウンが機械音のような声で嘲ると、それを聞いたユニベルはその眉をわずかに不快気にひそめて反論の言葉を発する
「あら。そうは言うけれど、あなたとセウが手を貸した人間は見事に光魔神に邪魔されたのではなかったかしら、アンク?」
仮面道化師こと、「理想に縋るもの」がかつてその力を貸した人物――「ジェイド・グランヴィア」は、光魔神と人間界の人間たちの前にその野望を阻まれて命を落としている
最も全霊命に近いとはいえ、その相手が半霊命だったことを考えれば、さほど警戒するようなことではないかもしれないが、それでも悪意が張り巡らせた一つの謀略を阻まれたことには変わりがない
「おや。これは手厳しいですね」
ユニベルの言葉に仮面道化師――アンクが大袈裟に肩を竦めるようにすると、それを横目で見ていたセウがその「たかが人間がしくじったくらいで」と言わんばかりの意志を内包する言葉に、小さく反論を述べる
「そうでもないかもよ? あれで今の光魔神って姫に気に入られてるし、下手に手を出さないほうが賢明かも。間違って殺しちゃったら、万が一の時に困るしね」
実際に人間界で愛梨にたしなめられているセウが忠告すると、それに同意を示すように姫の側近を務めているヘイトが思案気に応じる
「確かに。神庭騎士があいつらと何度も接触しているしな。用心するに越したことはないのかもしれん」
愛梨は光魔神を十世界に迎え入れることを望んでいる。その意思に反して勝手なことをすれば、ただでさえ神敵として警戒されている反逆神とその眷属たちは十世界の中でさらに悪い立場に追いやられることは明白だ
何より、反逆神達に警戒心を抱かせているのは、大貴たちに積極的に接触を図る戦乙女――「神庭騎士・シルヴィア」の存在だ。
反逆神と同じ円卓の神座に数えられる異端神「護法神・セイヴ」の力に列なる存在である神庭騎士がいかなる存在であり、それが何を意味するのかを知っている以上、警戒心を強めるのは必然のことだ
「確かにきな臭ェな。つーか、なら、そろそろ王を起こした方がいいんじゃねぇか? もう十分に育っただろ?」
その言葉に耳を傾けていた横長の瞳孔を持つ男――ウォールはしばし眉根を寄せていたが、ふと何かを思いついたようにその視線を自身の創造主である反逆神へと向けて提案する
「悪意の王か」
この場にいない最後の悪意を振りまくもの――「悪意の王」の復活を進言したウォールの言葉に黒皮で隠された顔から除く瞳をわずかに細めた反逆神は、ふとその口元を歪める
「折角の機会だ。それを見極めるためにも我が怨敵にお目にかかりに行くことにするか」
無数に存在する世界と世界の狭間。世界の情報を写し取り、泡沫のように存在する仮初の世界である時空の狭間の一つの中で、一組の男女が静かに天を仰いでいた
「兆しがあったようだな」
青天を仰ぎ、わずかにその目に剣呑な光を宿した腰まで届く長い黒髪に、額と側頭部から天を衝く黒角を生やした男が独白すると、白い着物の霊衣に身を包んだ黒髪の美女が淑やかな所作でそれに応じる
「いよいよ、時が迫っているのですね、ロード様」
「ああ」
その絶世の美貌をわずかに翳らせて目を伏せた黒髪の美女の様子を横目で見ていたロードは、軽く天を仰ぐようにして独白する
「――次は妖精界だったな」
「?」
その言葉に黒髪の美女がわずかに首を傾げると、ロードはその視線を向けて優しい笑みを浮かべた表情で問いかける
「一度、見に行ってみるか? 撫子」
「よろしいのですか?」
その言葉に黒髪の美女――撫子がその美貌に花のような笑みを浮かべると、それを見たロードは小さく首肯して応じる
「ああ、久しぶりに生き別れた妹にも会いたいだろう?」
「はい」
ロードの言葉に淑やかに微笑んで応じた撫子は、その艶やかな黒髪を異界の風になびかせて、これから会いに行く懐かしい人物たちを幻視してその目を細める
「ようやく……ようやく会えますね、神魔さん、桜さん」
十世界を総べる盟主、奏姫・愛梨は妖界から死紅魔やアーウィン達が持ち帰ってきた女神像の神器に手を翳し、その力を呼び起すべく呼びかける
十世界の本拠地にある愛梨の私室内。妖界から回収した神器の正体を探るべく愛梨にそれを献上したゼノンは、同様に室内にいる姫の護衛――死紅魔と、戦兵の神片ユニット・戦王と妖界へ赴いた悪魔「火雨」らと共に、愛梨の力に女神像が応えるのを固唾を呑んで見守っていた
「……やはり、起動しませんね」
しかし、しばらくそうしていても女神像は愛梨に応えることなく、沈黙と静寂だけが返されるのを見て取ったゼノンは、その目を剣呑に細める
「では……」
「ええ、真の神器でしょう」
ゼノンの言葉を受けた愛梨が、厳かな声音でそう応じると、その様子を見ていた火雨が大きなため息と共に肩を落とす
「はぁ、残念」
全ての神器を使うことができる奏姫の力を以ってしても起動できない神器――真の神器の使い道がないことを知っている火雨が目に見えて肩を落とす中、それを見ていた死紅魔と戦王は無言でその様子を見据える
「これでよいのですよ。多くの力で武装しては、話し合って心を通わせるという言葉を信じてもらえなくなってしまいます。十世界の理念が本当に詭弁になってしまいかねないのですから」
「姫姉さま……」
残念そうに肩を落とす火雨に優しく諭すように微笑み返す愛梨の様子を見ていたゼノンは、その傍らに置かれた女神像を一瞥して恭しい口調で進言する
「では姫。いつものように、これの処遇は私にお任せいただけますか?」
「はい」
愛梨が答えるのを待って、自身の許へ魔力を以って引き寄せた女神像を神能を用いて作り出した異空間の中へと収納したゼノンは、深く一礼して十世界の盟主へ背を向ける
「ゼノンさん」
愛梨に背を向けて歩き去ろうとするゼノンは、自分を呼び止めた奏姫の澄み切った声に歩を止め、肩越しに視線を向ける
「なんでしょうか、姫?」
ゼノンの視線を受けた愛梨は、その目元を優しく綻ばせると深い慈愛に満ちた声音に、全幅の信頼と期待を込めて微笑みかける
「信じていますからね」
「――!」
愛梨の言葉に込められた意思を正しく理解しているゼノンは、わずかに目を細めて自分に向けられる無条件の信頼に満ちた視線を受け止める
愛梨は無条件に人を信じる悪癖があるが、十世界に渦巻く様々な思惑に気付かないほど、鈍感でも愚かでもない。
むしろ、十世界に所属しているすべての者たちを家族のように想い、気にかけているため、よほどうまく隠さない限り怪しい行動をとれば目敏くそれに気付くことができる
必然、愛梨はゼノンが十世界を隠れ蓑にして自身の目的を果たそうとしていることを理解している。それをどこまで把握しているかは分からないが、それを分かった上で穢れない無垢な信頼に満ちた心を視線に乗せて訴えかけている
ゼノンの想いを肯定しつつ、それが自分達にとって不利益にならないものであることを信じているということを、愛梨は自身が全幅の信頼を向けることによって伝えようとしているのだ
「はい。姫の信頼を裏切るような真似は致しません」
愛梨の信頼に満ちた言葉に笑みを返したゼノンが一礼し、その身を翻したのを見た戦王は、戦兵の特徴である瞳のない目で自身の主である姫の横顔を映してわずかに鋭い声を向ける
「よろしいのですか姫? あいつは……」
「大丈夫ですよ。ゼノンさんは、私たちを裏切るようなことは致しません」
戦王の言わんとしていることを正しく理解している愛梨は、小さく首を横に振ってその言葉を遮ると、慈信に満ちた瞳でゼノンが消えた扉を見つめる
「あなたのその甘さは、いつかあなたを殺すかもしれませんよ」
「ありがとうございます、戦王さん」
怪しい行動をとっていることが分かっているゼノンを、問いただすこともしないことに対して警告と忠告をしてくれている戦王に感謝の言葉を述べた愛梨は、その目を細めて忠義に厚い戦の眷属に微笑みかける
「ですが、人を疑わなければ生きていけない世界よりも、人を信じて生きていける世界を私は実現したいのです。疑うことは易く、信じることは難しい
ならば、私は疑念よりも信頼で答えなければならないのです。この程度のことができずに、この世界に争いのない恒久的平和を実現することなど叶わないでしょう?」
自身の心に触れるように胸に手を当て、慈愛に満ちた優しい声音で言葉を紡いだ愛梨の言葉に耳を傾けていた戦王は、愚かなほどまっすぐに疑われても仕方がない人物を信頼しようとする自身の主の姿を己の魂焼き付けるように、瞳のない目を瞼の下に隠す
「ならば、我々はあなたが信じるすべてを疑い、あなたをお守りいたしましょう」
疑心を信頼として返すことを望む自分に対して、疑心を懸念として主を守ることを誓う戦王の意志を受け取った愛梨は、その心を理解し、感謝をしつつも、他人を心から無条件に信頼することの難しさに一抹の寂しさをその笑みに宿して微笑み返す
「ありがとうございます。ですが、あなたたちも人を信じてあげてください――他人を心の底から信じることは、身内や親しい人であっても難しい事です。――なぜなら、その先にしか、私たちが求める世界は実現しえないのですから」
※
朱焼けに彩られた天空に敷き詰められた金色の雲海が広がっている。そこは時空の狭間にある小さな世界の一つ
その世界を見渡せる小高い丘の上には、二つの人影が佇んでいた。一つは頭の後ろで束ねた長い黒髪に白のバンダナを巻いたを男。そしてもう一つはウェーブがかかった金色の髪を揺らす女性
世界に差し込む光によって生じた二人の長い影法師は、その行動を寸分の狂いもなく再現する映し鏡。表情がなくとも、その動きが心を表しているようにさえ思えるその影は、やがて互いを見つめ合うようにして向かい合う
相対するのではなく、愛対してしばし見つめ合っていた二人だったが、やがてその片方の影がそっとその手を向かい合う女性に差し伸べる
「行こうか、茉莉」
その差し出された手を見つめていた波打つ金髪の女性――茉莉は、待ち焦がれていたこの時に、こみあげてくる感情にその瞳を潤ませる
その胸中に渦巻くのは、自分の所為で傷つけてしまった愛しい人の姿。何もできず、愛しい人を待ち続けてきた気が遠くなるほどの長い日々。
一度はすれ違ってしまった心を繋ぎ止めて、再び前の様な――否、前よりも強い絆で結んでくれたその優しい手のひらを見つめていた茉莉は、求めてやまなかったその温もりに触れるようにそっと自身の手を重ねる
「はい――紫怨」
重なり合った手と手は朱焼けの世界に、さながら心を繋ぐ架け橋のごとく繋がり、その影法師の主である男女――紫怨と茉莉は、長い時を経て再び共に愛する者と生きることができる喜びにその表情を綻ばせる
『一緒に』
手と手を重ねた影のように声を重ねた二人は、二度と互いに愛する人と離れないことを願いながら、希望のように輝く朱焼けの空へと吸いこまれるように飛翔していく
固く結ばれた二人の手は、もう離れることはない――。
妖界編―了―