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魔界闘神伝  作者: 和和和和
ゆりかごの世界編
12/305

新学期





 マリアが地球を訪れたその夜。界道家の食卓には、いつもの面々に加えて、純白の四枚の翼を折りたたんだマリアが座っていた。


「……と、いうわけで、天界より光魔神とゆりかごの世界の監視を仰せつかった『マリア』です。どうぞよろしくお願いします」


 まるで女神の彫像を思わせる美しい佇まいで食卓を囲む面々を見まわしたマリアは、この家の家主である一義と薫に深々と頭を下げる。


「監視?」

「クロスが天界に告げ口したって事ですよ」

 首を傾げる一義に、神魔が静かに言う。

 クロスを見るその眼に不満と不快の入り混じった感情が宿っているのは、決して気のせいではないだろう。


「告げ口じゃない、報告だ。そもそも干渉が禁じられているゆりかごの世界にお前やあの紅蓮って悪魔がいる上、光魔神なんてもんが出てきて知らん振りは出来ないだろ」


 神魔の言葉に、クロスが反論を述べる。


 確かに「九世界非干渉世界」――九世界が関与してはならない世界であるゆりかごの世界に悪魔や、異端神の一柱である「光魔神」がいたとなれば、無視することができるはずもないのは必定。

 神魔もそれを分かっているため、その視線に混じっている非難には、理解と妥協の色も見てとる事が出来る。


 そうして視線で牽制し合うクロス(天使)神魔(悪魔)を横目に、もう一人の天使であるマリアは、慈愛と思慮に満ちた優しい笑みと共に言葉を続ける。


「本来、光魔神は人間の神。しかしその存在意義は現在の九世界において極めて重要な意味を持ちます。

 人間界の方には天界王様の方から話がいくと思いますので、私はその処遇が決まるまで、事態の監視を仰せつかっているにすぎません」

「処遇? それってどういう意味なの?」

 詩織と大貴の母である薫の問いかけに、マリアは静かに淡々と応じる。

「先ほども申し上げましたが、光魔神とは人間界の神。それが生きていると分かれば、人間界が放っておくはずがありません。

 そして九世界も……何しろ光魔神は、今現在九世界最強の存在ですから。

 どういった処遇が取られるかは分かりませんが、私が言えるのは光魔神――大貴さんには、少なくとも十分な待遇があるということくらいでしょうか」


「じゃあ、特に危険があるということではないのね?」

 緊張が解けたのか、安堵の色を浮かべて胸を撫で下ろした薫の言葉を、マリアは静かに否定する。


「それは保障しかねます。私がここに来た理由の一つでもありますが、光魔神の力を狙う者は決して少なくありませんから」


「そんな……」

 マリアの言葉に表情を硬くする薫に、クロスがそれを補完する言葉を続ける。


「九世界は決して平穏で平和な世界じゃない。天使(俺達)と悪魔、光と闇の世界を筆頭に、同じ全霊命ファースト同士でも命を懸けた戦いが繰り広げられている。

 だから光魔神を引き込みたいって奴は、少なからずいるだろ――特に人間界・・・はな」


 クロスの淡々とした言葉に、一瞬の静寂が場を包む。


「これが、あの人の言っていた事か……」

 その沈黙を破って重苦しい口調で言葉を発した一義の脳裏には、ロザリアの言葉が甦っていた。


《いつか『その時』が来れば、この子はその身に宿した、逃れる事は出来ないこの『運命』に命を懸けて立ち向かわなければならないでしょう》


 光魔神という存在となった大貴は、その力ゆえに世界から放って置かれることは無い。光魔神の力を狙う者から身を守るために、闘い続けなければならない運命なのだ。


「大丈夫。そのために俺達がいるんだ」


「!」

 クロスのその言葉に一義は目を見開く。

「大貴さんは、私たちが全力でお守りいたします」

「大貴君も詩織さんも、僕にとっては大切な友人ですから」

 クロス、神魔、マリアが三者三様の笑みを浮かべ、大貴と詩織も何一つ不安な表情を浮かべる事無く、一義と薫に視線を送っている。

「ま、そういう事だ」

「……うん」

 大貴と詩織の言葉に、同じようにロザリアが言った言葉が一義と薫の脳裏をよぎる。


《彼は注がれた愛情の分だけ誰かを愛し、それがきっと彼を助ける力になってくれるはずです》


「……そうだな」

「ええ」

 一義と薫は、胸の奥から湧き上がる熱く温かいものを呑み込むと、顔を見合わせて小さく頷く。

 九世界の事情などは分からない。しかし大貴はとてもいい人たちに巡り合う事ができたと、心の底から思える。

 しかし不思議とこの三人が信用できると思えるのは、きっと彼らの心が真正面から真実を述べているからなのだろう。


「あらためて息子の事をよろしくお願いします」

 一義の言葉に神魔、クロス、マリアの三人は静かに微笑んで頷き、大貴と詩織はその様子をほほえましそうに眺めていた。


「それに、俺だって何もしないわけじゃない。ちゃんと戦えるようになるために、今色々教わってるんだからな」

 その言葉に、大貴は強い決意のこもった目で両親を見据える。


「大貴……」


「大丈夫ですよ。今はまだ不完全な覚醒ですが、光魔神は今の九世界で最強の存在の一人です。大貴君が完全に光魔神の力に覚醒すれば、僕たちはもちろん、九世界が束になってかかっても傷一つつけられないくらいの強さになるんですから」


「……っ、それほどの存在なのか、光魔神というのは」

 神魔の言葉に、一義が息を呑む。


「それでも、大貴は私達の元から去ってしまうの?」

 その言葉に薫が目を伏せ、その様子にその場にいる全員の脳裏にロザリアの言葉が甦る。


《そしてそれはあなた達とこの子の別れをも意味します……》


「そうだな。光魔神――大貴がどれほど強くてもそれはどうしようもない」

 クロスは静かに、しかしはっきりと言い放つ。

 九世界の誰もが傷つけられないほどの強さを持つはずの光魔神であっても、その言葉を覆す事は出来ない。

「そんな……」

 子供はいつか親の元を離れるもの。それは仕方の無い事だと頭では分かっている。

 しかしその言葉の持つ不吉な印象が、薫と一義の不安をより一層強くする。最悪の状況を想像せずにはいられなくなる。

「その言葉はそういうことじゃないと思いますよ?」

「え?」

 マリアの言葉に、一義と薫は目を見開く。

「そうだな。その言葉を素直に受け取れば『それほど遠くない内にこのゆりかごの世界にいられなくなる』って意味だけど、それは危険だからって意味じゃないな」

「どういうことだい?」

 クロスの言葉に一義が首を傾げる。

「私達全霊命ファーストは不老不死なので、完全に全霊命ファーストとして覚醒した大貴さんがこの世界で生きていくのは不可能という意味でしょう」」

「……え?」

 マリアの言葉に、界道家全員が言葉を失う。

「私達全霊命ファーストの力神能ゴットクロアには二つの大きな特性があるのですが、その内の一つが『最高の状態を半永久的に保つ』事なんです。

 その効果によって、私達全霊命ファーストは心身の最盛期を維持し、歳をとっても衰える事なく、どれほど怠けてもなまる事なく生き続ける事が出来ます」

「えっと……?」

「つまり僕達全霊命ファーストは『最盛期を維持したまま、殺されるまで死なない』って事ですね」

 言葉の意味を掴みあぐねている界道家の面々に、神魔が言う。


「俺達全霊命ファーストには毒も洗脳も効かないし、酒に酔うことも無い。それは俺達の身体を構成する神能ゴットクロアが、心身を最も健康な状態に常に保っているからだ。

 神魔の腕もそうだが、全霊命ファーストが負った傷は、どんな傷だろうと完全に治癒するのは、この特性で最強の状態に身体を維持するのが理由だ」


 「肉体的、精神的にあらゆる不利な状態を発生させない」という神能ゴットクロアの持つその特性によって全霊命ファーストは限りなく完全な存在としてこの世に在る。

 いかなる傷も完治させ、生きている限り傷跡すら残さない全霊命ファーストの治癒力も、この「治癒」というよりも「回帰」と表現したほうが正しい特性があるからこそのものだ。


「同等以上の神能ゴットクロアの力で外傷を与えて殺傷すること。これがこの世で全霊命ファーストを殺す唯一無二の手段です」


(何てデタラメな……)


 強くはなっても弱る事はなく、研鑽される事はあっても鈍る事は無い。

 毒や病といったあらゆる身体異常は発生せず、精神も決して壊れない。

 寿命は無く、同等以上の力で殺されるまでは常に最強の状態を維持し続ける。

 それが「全霊命ファースト」と呼ばれるこの世界の頂点に位置する存在だ。


「まぁ、つまり、いつまでも若々しく生きている光魔神の大貴君が寿命のあるこの世界で生きていくのは難しいので、いずれはこの世界を去らなければならないって事ですね」


「確かにそんなのがいたら大事になるわね……」

 そんな神魔の言葉を聞いた詩織は、笑えない内容に表情を引き攣らせる。


「つまり、あの『あなた達とこの子の別れをも意味します』って、いつまでも若々しい大貴はこの世界では目立ちすぎてここでは生きていけないって事なの?」


「はっきりとは言えませんが、多分そうですよ」

 薫の言葉に神魔が頷く。


「何だ、そんなことだったのね……」

 大きく安堵の息を漏らした薫と一義は複雑な表情を浮かべながらも、肩の荷が下りたのか安堵の表情を浮かべる。


「確かに数十年で死んじゃうこの星の人間と一千年経っても今のままの大貴じゃ、結婚とかも出来ないわね。……あ。でもいつまでも若いから何百人も奥さん持てるかもよ」

「……姉貴」

 両親のその様子を見た詩織のからかうような言葉に、大貴は呆れたようなため息をつく。


「…………」


 その様子を見つめるマリアに一瞬だけ視線を送ったクロスは、再び詩織と大貴に視線を戻す。

 そんなやり取りを微笑ましそうに見ていた薫はふと思いついたように神魔達三人に視線を移動させる。


「じゃあ、もしかして神魔君たちってものすごく長生き?」


 全霊命ファーストに寿命が無く、いつまでも若々しいなら今ここにいる神魔、クロス、マリアの三人も二十歳前後に見える外見とはかけ離れた年齢であってもおかしくない。


「まあそうだな。……とは言っても全霊命おれたちは寿命が無いから、年齢って概念はほとんど無いからな……生まれたのが三度目の大戦の後だから兆か京位か?」


 その言葉に三人が思案するような表情を見せ、最初クロスが口を開く。


「――!?」

(兆!? 京!? それって年齢で使う単位じゃないだろ!?)


 クロスの言葉に、界道家の面々が目を見開く。


「僕も聖魔戦争の後の生まれだから……そのくらいかな」

「なっ……!?」

 それに続いた神魔の言葉に、さらに身体を強張らせる。


「私は異神大戦いしんたいせんの前の生まれなので、おそらく不可思議とか無量大数でも足りないくらいでしょうか?」

「はいィ!?」

(不可思議? 無量大数? 何それ!? 桁!?)

 寿命が無いと言われてわかってはいたことだが、最後のマリアの言葉にはさすがの界道家の面々も驚愕を隠しきれない。

 その一方でクロスはマリアに「そういやお前そのくらいの生まれって言ってたな」と話しかけ、神魔は「そうなんだ」と小さく笑みを浮かべている。


「あなどっていたわ、九世界……せいぜい千歳くらいだと思ってたのに」

 引きつった笑みを浮かべて薫が言う

「まさかそこまでとは……」

 一義もそれに同意を示すように何度か頷く。


「ところで聖魔戦争とか異神大戦とかって何なんだ?」


 九世界の破格の時間感覚に衝撃を受ける中、おそらくはそれを和らげる意図もあったのであろう大貴の問いかけに、神魔が応じる。


「九世界には九世界全体を巻き込んで起きた『三大大戦』って言う戦争があったんだけど、九世界では長い歴史の節目の表現として一般的に使われるんだよ」


 九世界の歴史は、もはや数字で数えるなど愚かしいと感じられるほどの年月に上っている。

 その年数の桁は、先ほどの神魔達の会話から推測しても、現在地球上にある単位ではかる事が出来ることはできない。

 そういった事情もあって、「年号」などで時代を表現する事を放棄した九世界では、九世界における歴史を、この三度の大戦を目安として大まかに分類して表記しているのだ。


「一度目が『創界神争そうかいしんそう』、二度目が『異神大戦』。三度目が『聖魔戦争』。――間隔は一定じゃないけど、この三つの戦争で大まかに九世界の時代を表現するんだ」

「なるほど……」

(ま、確かに無量大数? 年とかになったら意味わかんないかも。でも世界単位の戦争が年号の指標っていうのはちょっと皮肉かも)

 詩織がそんな事を考えていると、話が一段落ついたと見たマリアが改めて口を開く。

「あの、それで話を戻しますが、よろしければ私もここに住まわせてもらえませんか?」

 マリアの言葉に、一義と薫が顔を見合わせる。

「まぁ、二人も三人も大差ないか……」

「そうね」

 ほんのわずかの思案の後に導きだれた二人の言葉に、マリアが嬉しさと安堵の入り混じった表情を浮かべる。

「ありがとうございます」

 一義と薫に頭を下げたマリアが、心からの感謝の意を述べる。

「マリアちゃんは空いている部屋が一つあるからそこを使って」

「はい」

 マリアの言葉に微笑んだ薫の言葉に、マリアは再度一礼する。

「さて、それはそうと二人とも。そろそろ学校が始まるんだから、用意はちゃんとしないとダメよ」

「……もう。せっかくいい雰囲気だったのに、お母さんの言葉で何か一気に現実に引き戻された感じ」

 母の言葉で現実に引き戻された詩織は、やや不満の込もった声で唇を尖らせる。

 それを見た薫は、呆れた声で詩織を咎め、大きなため息をこぼす。

「この子は何を言ってるんだか……」

「学校? そういや聞いたことがあるような……?」

 不意にその言葉に首を傾げたクロスを横目に見て、マリアが口を開く。

半霊命ネクストの世界によく見られる、子供が社会で生きていくための知識と経験を得るための教育施設のことよ」

「ああ、そういえば……」

 思い出したように嘆息するクロスを見て、薫は驚いたような表情を見せる。

「え? 皆は学校に行ってないの?」

 その質問に当然のような顔をして神魔は言う。

「僕はありませんね」

「俺も」

「私も」

 それに同調するようにクロス、マリアが続き、その言葉に詩織は目を輝かせる。

全霊命ファーストの世界は勉強しなくてもいいの?」

「……詩織」

 その考えが手に取るように分かる薫は、詩織に落胆と非難を織り交ぜた口調を向ける。

「はぁい」

 呆れた様な、窘めるような母の言葉にバツが悪そうに目を伏せた詩織に、神魔は苦笑をかみ殺して話を続ける。

全霊命ファーストも勉強しないってわけじゃないよ。勉強したい人は、それぞれの世界が運営する施設とかで研究とかしたりするしね」

「まあ、全霊命おれたちは、生まれた時から必要最低限の知識は親から継承されてるからな」

「……へ?」

 神魔の言葉に続いたクロスの言葉に、その場にいた界道家一同が目を丸くする。


「俺達全霊命ファーストは、両親から記憶以外の全ての知識を引き継いで生まれてくるんだ。だから、生まれた時点で一般教養は持ってるんだよ。

 ……で。その上でも知りたい事や、必要な知識がある時だけ調べものをするって訳だ。だからわざわざ教育機関なんて作る必要ないんだ」


「それって全霊命ファーストには、生まれた時から文字の読み書きとか法律とか常識とかが知識としてあるって事ですか?」

「そうですよ。まあ、親の記憶までは継承出来ないんですけどね」

 クロスの言葉に唖然とした口調で尋ねる薫に、神魔は微笑んで頷く。


 知識を継承するという事は、即ち「常識」、「教養」、「法律」を、動物が歩くように、鳥が空を飛ぶことを知っているように――例えるならば、学ばなくても知っている「本能」と同じように「知識」を情報として生まれながらに持っているということ。

 学ぶのでも経験するのでもなく、生まれたその瞬間から、最低限の教養を生物としての反応として保持している事を意味している。

 そんな中、唯一の例外となるのが、個人の人格が蓄積する「記憶」だ。

 知識は記憶の一部でもあるという見方もできるが、魂の真髄――本能に刻まれるのが知識や本能ならば、記憶とは魂の表層に形作られる人格の中に保有される情報。

 全霊命ファーストに限らず、あらゆる生命は魂を持って生まれてくるが、そこにはまだ「人格」は刻まれていない。

 そのため、知識と本能が警鐘されても、「記憶」のような個人的情報が継承されることはないのだ。


(なんて、なんて羨ましい……)

 その時心の底から界道家が一つになったのだが、それを当の本人たちも含めて誰ひとり知る由も無い。

 ただ界道家の一同は、全霊命ファーストという世界の頂点たる存在の反則的な能力を改めて痛感させられる事になったのだった。


「余談ですが、本来半霊命(ネクスト)でも知識の継承は行われているのですが、霊格の問題でそれを顕在化することが出来ないのです」

 神魔の説明に、マリアが補足するように話を続ける。



 本来霊的な力には、情報を蓄積する特性がある。全霊命ファーストの知識の蓄積はこの特性によって行われ、これは半霊命ネクストにおいても行われている。

 しかし半霊命ネクストが知識を継承できないのは、その存在の「格」ともいえるものが原因になっている。

 体構造の半分以上が「物質」である半霊命ネクストの身体に、「物質」とは全く異なる「霊質」で構成された「魂」を注入するということは、例えるならば水と油のように相容れないものを混ぜるようなもの。

 本来一つに交わるはずの無い「霊質」と「物質」を一つの存在の枠に納めるために半霊命ネクストは、「霊」の持つ特性を限界まで弱めている。

 その結果、知識の継承という特性を破棄する事になるのだが、存在そのものが完全な「霊」である全霊命ファーストに、そんな事が起きる筈もなく、知識の継承が必然的に行われていた。



「で、でも知識や常識を学ぶだけが学校じゃないのよ。同年代のお友達や恋人を作れるのも学校のいいところよ。そうして出来た友達が一生の宝物になる事だってあるんだから」

「確かに全霊命おれたちみたいに知識や常識があるってだけじゃ友達とかは出来ないな」

 気を取り直して明るく言う薫に、クロスは同意を示して頷く。

 知識が継承される事で、読み書きや計算、一般常識、法律を学ぶ必要がないとはいっても、それだけで人間関係を築く事は出来ないのも事実だろう。


「……それで大貴さんと詩織さんは、その学校へ行かれるのですね?」

 マリアの質問に詩織は頷く。

「え? うん、そうだけど……」

「……そうですか」

「……?」

 静かに呟いたマリアの様子に、詩織と大貴は顔を見合わせて首を傾げた。



 その後、界道家で開いている最後の一部屋を借りたマリアは、部屋の外に気配を感じ取る。

 相手の存在を知覚する能力で、扉の向こうにいる人物の正体を把握しているマリアは、まるで恋する乙女のように顔を赤らめて身だしなみを確認してから扉を開く。


「……クロス」


「ああ」

 扉を開けたマリアの言葉に、そこに立っていたクロスが静かに応じる。

 しばしの間視線を交錯させた二人を短い静寂が支配し、やがてそれを打ち破るように、マリアが意を決して声をかける

「どうぞ、中に入って」

「そうか? 悪いな」

 マリアに誘われたクロスは、わずかに照れくさそうな表情を浮かべて、誘われるままに部屋へと足を踏み入れる。


 室内は借りたばかりという事もあってほとんど何もない。

 もっとも、全霊命(ファースト)であり天使でもあるマリアがそれで何か困るというわけではないのだが。


「あぁ、えっと……」

「クロス」

 かける言葉が見つからないのか、手で逆立った金色の髪に覆われた頭をかく仕草をするクロスよりも早く、マリアが声をかける。

「な、なんだよ……」


「元気そうでよかった……連絡が無かったから心配してたんだよ」


「……っ、わ、悪かったな……」

 わずかに瞳を潤ませながら微笑むマリアに、クロスは思わず頬を赤らめる。

 自分の感情をはっきりと表現するマリアの表情は、ごく親しい者にしか見せないものだ。誰もが目を奪われるであろう可愛らしいその仕草の前に、クロスは頭が上がらないのだ。


「でも、しばらく見ない間に色々あったんだね……」

「ああ、まあ、成り行きみたいなところもあったんだけどな。まあ、お前も大変だろうけど……なんて言うか……よろしくな」

「っ……うん、ありがとうクロス」

 クロスの言葉に顔を赤らめたマリアは、うっとりと細めた目を潤ませながら両手の指を絡ませる。

「私、嬉しいの」

「?」

こんな私・・・・がみんなの……クロスの役に立てるっていうのが」

 自虐的でありながら、決して強がりではないマリアの言葉に、その意味を正しく理解しているクロスは、返す言葉を見つめる事も、安い慰めをすることもできずに、ただ沈痛な面持ちでその姿を見つめていた。





 そしてそれから三日が経ち、詩織と大貴の通う中学校の始業式の日を迎えた。

 校章のついた青いブレザーに、チェックのズボンとスカートをいう男女それぞれの制服を身に纏った二人は、今年で三年目になる通い慣れた校門をくぐる。


 詩織と大貴の通う「櫛比くしび中学校」は、界道家から徒歩で二十分程の場所にあるごく普通の公立中学校だ。


 この学校では毎年クラスが変わるため、新学期の始まりには、生徒達は玄関の前に張り出される新しいクラスが書かれた掲示板の元へ殺到することになる。

 当然大貴と詩織もそれに倣い、「今年も同じクラスだ」と喜んでいる者や「あの子と違うクラスになった」と肩を落としている性との脇を抜けて、未だに生徒であふれかえっている掲示板の方へと歩いていく。


「今年から中三の受験生かぁ…受験か、受験……」

「はぁ……」

「あ、溜息ついたでしょ!? あんたはそう見えて意外に勉強できるもんね。私の苦労なんて分からないのよ」

 やや暗い雰囲気を纏う詩織は、大貴のついた溜息にやや八つ当たり気味の愚痴をこぼす。

「お、界道姉弟じゃないか」

「あ、ポピーちゃん」

 背後からの聞き慣れたハスキーボイスに詩織は満面の笑みを浮かべて振り向く。

 そこに立っていたのは髪を短くした背の高いボーイッシュな少女。すらっと背の高いその少女はどこかモデルのようにも見える。

「二人とも同じクラスだよ。ちなみに私も」

「本当!?」

 その少女の言葉に顔を綻ばせた詩織はその少女の元へ近寄ってやや興奮気味の様子で嬉しそうに声をあげる。

「これでポピーちゃんとは三年ずっと一緒のクラスだね」

「本当に。幼稚園の頃からの腐れ縁だもんね」

(本当に今年は姉貴と同じクラスか……中学になってからは初めてだな)

 はしゃぐ二人を横目に大貴は掲示板でクラスを確認する。


 詩織と嬉しそうに言葉をかわしている少女は「愛崎芥子あいざきしょうこ」。詩織とは幼稚園から中学の二年まで同じクラスという詩織の親友だ。

 姉の親友である芥子(しょうこ)だが、詩織と双子であり、同級生でもある以上、必然的に交流を持っており、大貴にとって同年代の女子では姉に次いで仲がいいと言っても過言ではない。


 余談ではあるが、「ポピーちゃん」というややボーイッシュな印象を受ける彼女の雰囲気に似つかわしくないあだ名は、彼女の名前に由来している。

 彼女の名前の由来は、彼女の父が、かの文豪「芥川龍之介」の熱烈なファンであるため、そこから一文字とったことによるもの。

 元々「しょう」と読まない「芥」の字を、「ちいさいもの」と意味する事から「小」とひっかけて無理矢理読ませているのは御愛嬌と言ったところか。

 ただこの「芥子」という名前。意図したのかは分からないが、「芥子けし」とも読める。芥子を英語で「ポピー」。それが幼いころに定着し、彼女の知人は彼女の事を「ポピーちゃん」と呼んでいるのだ。



「ただ詩織。喜んでばかりもいられないよ」

「何で?」

「今年も懲りずにあのバカ・・・・と同じクラスだから」

「!」

「俺の事呼んだか?」

 芥子の言葉に詩織が目を丸くした瞬間、その声に応えた一人の少年が大貴と肩を組むように腕を回す。


 やや茶髪がかった黒髪を持つ少年は中々顔立ちもよく、一見するとホストを思わせる風貌をしている。

 この学校でも屈指のイケメンだが、「ある理由」から全くモテない残念なイケメンとしてこの学校では有名人だ。


「……刀護か、離せ」

 やや鬱陶しそうに表情をしかめた大貴は、自分の肩に手を回している少年――「火之見櫓刀護ひのみやぐらとうご」の腕を振りほどく。


 突き放すような言動を取っても、決して拒絶はしない。

 気心の知れた相手だからこその対応を見せる大貴に、刀護と呼ばれた少年は満面の……どこかわざとらしい笑みを浮かべて話を続ける。


「お前はポピーみたいに酷い事言わないよな。だってお前は俺の作った『大和撫子愛好会』の会員一号だもんなぁ?」

「お前にそのあだ名を呼ばせるほど親しくなった覚えはないけど?」

「いつ俺がお前のその変な組合に入った?」

 冷ややかな視線を向ける芥子と、不快そうに眉をひそめる大貴に、刀護は顔を赤らめて身体をくねらせる。

「つれない事言うなよ~。クラスは違うことあったけど、お前は俺の唯一無二の親友じゃないか」

「唯一無二じゃねぇよ」

「このいけず!」

 大貴の冷ややかな対応に、刀護は唇を尖らせて不満を露にする。

 だが、中学生の男がそんな事をやった所で何一つこの場の誰の心も動かす事はない。

「一度カツンと言ってやった方がいいよ。じゃないとバカはどこまでも付け上がる」

「非道いよ! そんな暴言を吐かれたら俺のガラスのハートが割れちゃうよ?」

「砕け散ってしまえ、そんなもの」

 そんなやり取りをほほえましそうに見守る詩織と、呆れて溜息をつく大貴。これが忘れかけていた日常だと思い出させてくれる穏やかな光景に、二人は一時でもこれまでの非日常を頭の隅に追いやることができていた。


 そんな中で始業式も無事に終わり、詩織と大貴はホームルームのために教室の席についていた。

 今日が初日なので席の並びは五十音順。そうなれば必然的に詩織の後ろに大貴が座る事になる。


「皆は今年中学三年生。大切な高校受験を控えた時期だ。進路を考え、一分一秒を大切にして欲しい」

 眼鏡をかけた中年の担任の先生が教壇の上からそんな話をする。


(そんな事言われても特に進路なんて考えてないし。……そういえば大貴はどうするんだろ?)


 ふとそんな事を考えた詩織は、背後の席に座っている双子の弟に背中で意識を向ける。


 光魔神という人外の存在に覚醒した大貴は、いつかこの世界で居場所を失う。

 それまでの事、それからの事をどうするのかという漠然とした不安を伴った考えがふと詩織の脳裏をよぎる。


「で、急なことだが、今日からこのクラスに転校生が来る事になった」

(転校生!? まさか……)

「じゃ、入って」

 ふと大貴の頭を嫌な考えがよぎると同時に教室の扉が開き、その転校生が入ってくる。


『……っ!』


 その人物が入ってきた瞬間、まるで時間が止まったかのようにその場にいた全員が息を呑む。


 腰まで届く金糸を束ねたような金色の髪。雪のように白い肌に整った顔立ち。

 細くすらりとしながらも女性特有の柔らかさを兼ね備えた完璧と思えるスタイルを持った美少女に、男子ばかりではなく女子までもが思わず見惚れてしまう。


「あ、あ……」


 唖然とした表情で詩織と大貴が見つめる中、担任の先生に促されて教壇に立った金髪の美少女は、満開の花のような笑みを浮かべて一礼する。


「『マリア・ヘヴンズワールド』です。よろしくお願いします」






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