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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖界編
117/305

風花の残香5






「夢想神――!」

 突如このなにもない白の空間に顕現し、風花の傍らに立つあどけない少女が名乗った「夢想神・レヴェリー」という名に神魔は目を瞠る


 「夢想神・レヴェリー」――最強の異端神と呼ばれる十三柱によって作られる「円卓の神座」の№8。夢と理想、この世ならざる空想の世界を総べる異端の神。

 世界にある理ではなく、誰かの心が思い描くこの世界とは違う世界。想いのまま、願いのままに心の内に作られる虚構の世界を総べるその神の姿は、まるで無限の夢幻を体現しているかのように未来に希望を抱く幼さと、現実の中で希望を手にしようとする大人の狭間の姿を体現しているようにさえ思えるものだった


「じゃあ、まさかこの世界は――」

 足元まで届く艶やかな長い黒髪を白の空間に揺らすあどけない少女の姿をした異端の神は、神魔の言わんとしていることを見透かしているかのようにそれを肯定する笑みを浮かべる

「そう、この世界も、ここにいる彼女も私の力で創り出したもの」

 純真無垢な笑みを浮かべ、何も存在しない白の空間と風花へと交互に視線を向けたレヴェリーは、やはりといった表情と共に、不信と憤りに満ちた瞳で自分を見据えている神魔を見て軽く肩を竦める

「そんな顔しないで。確かに彼女は偽物――けど、本当の意味で(・・・・・・)偽物というわけではないの」

 かつて死んだ大切な人――風花をこの世界に呼び出され、弄ばれたことに対して怒りを禁じえない神魔にそう語りかけたレヴェリーがその手を軽く天に翳すと、そこに巨大な円形の門が顕現する


 全体は白く、そこに光を帯びた朱色の紋様が描かれた円門は、レヴェリーの神能(ゴットクロア)がその特性に合わせて形を取った武器。そして、通常のそれとは異なる形状を持つ特異型の武器だ。

 しかし戦うための力であること感じさせないその外観は、新たなる太陽のようにもこの世界に時を刻む時計のようにも見え、その扉からは新たなる世界へと繋がっているような神秘性と期待感が感じられる


 自身の上空に顕現した円門を背に、神魔に視線を向けるレヴェリーは、そのあどけなさを残した儚げな表情に微笑を浮かべて言葉を続ける

「私の特異型の武器『夢幻神(むげんしん)』。これには、夢を現実にする(・・・・・・・)力があるの」

「――!」

 レヴェリーの口から発せられた言葉が意味するところを瞬時に理解した神魔は、驚愕の色を隠せない様子で目を見開く


 夢想神。それは夢と理想と空想と司り、幻想を現実に、夢を真実に変える力を持つ現実世界に存在する夢幻の化神。確かにその力を以ってすれば、夢を現実に、理想を事実に変えることすらも可能になるかもしれない


(じゃあ、あの風花はまさか――)

 天に浮かぶ朱紋白門を背にして不敵な笑みを浮かべるレヴェリーの口から紡がれた言葉に、神魔はその隣にいる風花の正体(・・)に気付く

 その様子から。神魔が自身の隣にいる風花の正体に気付いたであろうことを察したレヴェリーは、それを肯定するように、おそらくは今その心中に抱いているであろう仮説を事実として言葉に変えていく

「『白昼夢(デイドリーム)』――彼女はその力によってこの世界に顕現した、あなたの記憶の中に(・・・・・・・・・)ある彼女自身(・・・・・・)。つまり、彼女は確かに偽物だけど、全くの紛いものではないということ」

 「私の言葉の意味はわかるでしょう?」と言わんばかりの表情を浮かべるレヴェリーの視線を受けた神魔は、小さく唇を噛みしめて苦々しげに吐き捨てる

「だからこんなにも――」

 夢を現実へ顕現させる力「白昼夢(デイドリーム)」。それは、その対象――神魔の記憶の中に夢のように残る風花の姿が現実に顕現したもの

 故に、この力で顕現した夢現の存在は、その記憶に準じる。容姿や行動、反応はもちろん、些細な癖やその神能(ゴットクロア)さえも全く同一のものとなる。何も知らなければ、それを見分けることは至難の技だろう

「確かに彼女は、私の力が作り出した仮初の存在――」

 目の前にいる風花の正体を知って苦々しげに眉をひそめる神魔の様子を、まるで飼育箱の中にいる小動物を観察する子供のような無邪気な好奇心で満ちた視線を見つめたレヴェリーは、不敵に笑みを浮かべて語りかける


「でも、もしも本当の彼女に会える(・・・・・・・・・)としたら?」


「――!?」

 からかっているような声で、しかしそれが決して気まぐれや戯れで発せられたのではないとはっきりわかる真剣な眼差しを浮かべているレヴェリーに、神魔はその瞳を動揺に揺らす

 そんな神魔の動揺を見て取ったレヴェリーは、不敵な笑みを刻んだ唇をゆっくりと動かし、抑制の利いた穏やかな声音で語りかける

「光の神、神位第四位『命霊神・ライフ』、同じく闇の神『冥府神・デス』。光と闇の神には、生命を司る神が存在している――なら、世界に飛び散った神の遺産『神器』に、そういう能力を持った物がないはずはないでしょう?」

「――っ!」

 その一言一句を神魔の心の奥底に浸透させようとしているかのようにゆっくりと語りかけるレヴェリーは、その言葉が意識と魂の奥底で堆積している反応を確認しながら言葉を紡いでいく



 たとえ神能(ゴットクロア)を用いても死者はを生き返らせることはできない。それは、いかにあまねく事象を意のままに顕現させる神能(ゴットクロア)の力であっても、全く同義の力によって「死」という事象を与えられた存在の事象を逆行させることができないからだ

 光の力よりも、闇の力の方が総量で勝る傾向があるように、生と死では死の方が存在に占める比重が大きい。――この世にある限り死や滅びからは逃れられないが、誰かが死んだからと言ってそれを補填するために生が生まれることがないように。

 事象を無視する全霊命(ファースト)神能(ゴットクロア)であっても、同じ全霊命(ファースト)の力によって作り出された死という事象や、その存在そのものを現実に還すことができないのはこの世界における常識だ


 しかしそれにも例外となるであろう可能性は介在している。世界を作りだした原初の神――絶対神に連なる光と闇の神には、生と死を司る存在があり、それらには確かに死者を蘇らせる能力がある。

 しかし現在のこの世界には光と闇の髪は存在しておらず、また仮に存在していたとしても、世界の理を崩すことになる死者組成という権能を神々が容易に振るってくれるとは限らない

 しかし、世界最初の大戦――「創界神争」において戦った光と闇の絶対神――「創造神・コスモス」と「破壊神・カオス」。その二柱の神の戦いによって世界に飛び散った力の破片である神器の中には、死者蘇生(その権能)を宿したものが存在する可能性は少なからずある



「ここにいる彼女は私の力で作り出した空想の存在に過ぎない。けれど、それを手に入れることができれば、この世の理を超越して死者をこの世界に呼び戻すことができる。――幸いにも、この世界には誰の手にも届くところに、その力を使える人(・・・・・・・・)もいるしね」

 意味ありげな笑みを浮かべたレヴェリーの声に、それが誰を割いているのかを瞬時に察した神魔は、先日対峙したばかりのその人物(・・・・)を思い返して声を漏らす


「奏姫……!」


 神の力の破片たる神器は、使い手を選び、一つ使えたからといってたの神器が使えるわけではない。しかしこの世で唯一すべての神器を使う力を持つ者がいる。

 それが「奏姫・愛梨」――現在神魔たちが敵対する組織「十世界」の盟主を担う異端の存在、四人の神の巫女の末子たる人物だ。

「正解」

 思わず口をついて出た名に、感心したようにレヴェリーが応じるのを聞いた神魔は、この一連のやり取りに訝しげに眉をひそめる

「――いいの? そんなことをベラベラと話して。何が目的かは知らないけど、それを僕が知っちゃったら協力を取り付けることなんてできないでしょ?」

 レヴェリーの目的は分からない。しかしこうして対話している以上、その目的に自分を利用しようとしていることは想像に難くない。

 にも関わらず、そのための切り札であろう「死者を甦らせる術」の存在を自分に対してこともなげに話していることに疑問を覚えた神魔が問いかけると、それを受けたレヴェリーは静かな笑みを浮かべる

「問題ないよ、だってあなたは私に協力せざるを得ないんだから。だって、私たちの目的は同じ(・・・・・・・・)だもの」

「――?」

 意味不な含みを以って紡がれた言葉に神魔が訝しげに眉をひそめると、レヴェリーは空さえもない純白の天へと視線を動かすと、遠くを見るような目でその人物を幻視する

 その視線が誰を見ているのか測り兼ねる神魔の視線に気づいたのか、レヴェリーはそのあどけなさの残る容姿には似つかわしくない不敵で大人びた笑みを浮かべる

「ところで、私たち円卓の神座って何か知ってる?」

「――?」

 レヴェリーの口から紡がれた疑問に神魔は怪訝そうに眉を顰め、意味のない質問とは思えない声音と事の真偽を見透かそうとしているような底の見えない夢想の神の瞳に応じる


 円卓の神座。――№0を中心に、№1から12までの十三の神を円卓に配置した図形で表される異端神の中でも最強の力を持つとされる神々の系譜。

 かつて創界神争の折、光の絶対神(創造神・コスモス)闇の絶対神(破壊神・カオス)の戦いの中、その力残滓から生まれた光と闇のいずれにも属さぬ無の力を持つ異端の存在において、神と同等以上の力を有す存在。

 あるものは九世界と好意的に付き合い、あるものは敵対し、あるものは自由気ままに振る舞い、あるものは封じられている。――一般的に知られているのはその程度の知識だ


 自身の中にある異端神の知識を掘り返しながら、その言葉を意図を探ろうとしている神魔の様子を見たレヴェリーはそれだけで答えを得たと言わんばかりに静かに目を伏せて言葉を続ける

「――まあ、知っていても知らなくてもいいけどね」

 自身でした問いかけを些末なことのように言い放ったレヴェリーは、その話題をここで打ち切って隣に立つ夢幻の風花を一瞥して神魔へと視線を向ける

「それに、いくら奏姫が御人好しであっても、死者を蘇生させるなんて禁忌は犯してくれないと思うよ?」

 死者を世界に呼び戻すという願いに一抹の希望を持たせながら、微笑混じりにそれを否定したレヴェリーは、ゆっくりと言葉を紡いでいく

「死の痛みは命の重み。それを軽んじるようなことを彼女はしないんじゃないかな? だってそのつもりなら、とっくに自分の組織を動かしてその神器を探してるだろうから」


 死者を蘇らせることは九世界では禁忌とされている。それは、それがいかに理不尽で悲惨な終わりであったとしても、懸命にその人が生きてきた人生と命の価値を否定していることに等しいからだ

 取り返しがつかないからこそ、人生は尊い。残された者は消えゆく命に想いを馳せ、かけがえのない生の大切さを噛みしめるために


「……かもね」

 レヴェリーの言葉に、彼女が神の力を以って創り出した夢想の風花を一瞥した神魔は、たとえ偽りであったとしても自らの無力で命を落としてしまった大切な人の姿に自身の心に刻み付けられた深い傷が痛みをぶり返すのを感じながら自嘲混じりに応じる


 死は理屈で割り切れるものではない。死にゆく者たちは結果としての死を考慮に入れているだけであって、それを望んでいるわけではなく、残された者はいなくなったその人に想いを縛られる

 誰もが大切な人を失いたいとは思っていないが、失うものがあるからこそ、人はそれに恐怖し、その大切さを理解することになる

 だからこそ、おそらくはその可能性に気付いているであろう奏姫は、十世界を使って死者蘇生の(その)神器を探さない。そして行使しない。命が失われず、失われたとしても容易に取り戻せる世界に真の意味での調和や平和がないことを知っているから


「――でも、私たちはそれをあなたに提示する。そしてあなたの協力を求めるの」

「?」

 分かっていても尚、当事者となればそんな風に単純に考えられないであろうことも身に染みて感じている神魔は、レヴェリーの声に自身にまっすぐに注がれる明鏡止水の瞳を見つめ返す


取引(ビジネス)の話をしましょう」


 自身の声に神魔が反応を示すのを見たレヴェリーは、一拍の間を置いてからその表情に不敵な笑みを浮かべて白の世界に言霊を響かせる


 夢想神・レヴェリーは夢の神。空想を実現させるように、人に夢を見せることもまたその力の一端としている

 人心を捉える巧みな話術と、人の心に染み入る幻想の声で紡がれるの言葉は、人に一時の夢を見せる。――もしかしたら叶うかもしれない。そんな一抹の思考は、心に残された傷痕が深く、絶望が深いほどに希望を輝かせる糧となる


「もう気付いているとは思うけど、ここは私の世界――つまり、現実と平行に存在しながら、決して交わることのない夢の世界。クラムハイド君に預けている私の分身が創り出したあなたのための夢想世界――」

 軽く手を広げ、この場所――白の空間を指して言ったレヴェリーは神魔に吸い込まれるように透き通った瞳を向け、踊るような声で言葉を紡いでいく


 この空間は現実にはない夢の世界。だからこそ、破壊することも外から感知することもできない外界と完全に遮断されている。

 在るはずなのに無く、無いはずなのに存在する幻想の空間。クラムハイドの力によって誘われた夢想の現実世界


「そして、同時にこの空間は私のユニットそのものでもある」

「――!」

 そして不敵な笑みと共にレヴェリーが伝えてきた事実に、神魔は驚きと疑念の入り混じった表情で目を瞠る

「『幻想の住人(ファンタズマ)』。それが私のユニット能力。――人の心に寄生し、それを依代として現実世界へと現れる夢の化身」


 夢想神は夢の神。しかし夢が現実に存在できないように、レヴェリーとその眷属はこの世界に存在することができない存在でもある。

 だからこそ、レヴェリーとその眷属である幻想の住人(ファンタズマ)は、他者の心に寄生し、それを依代としてこの世に自身を顕在化させる。――そしてその対象は、全霊命(ファースト)であっても例外ではない


「この空間は、夢の種。志向性と趣向性を持たない空白の心。けれど、この空間には神位第六位()に等しい力が宿っている――つまり、私の『神片(フラグメント)』なの

 そしてこの空間が空白なのは、心を映していないから。夢は心に染まるまで形を持てない。だからこの世界は、存在を構築できない夢そのものなんだよ」


 しかしこの空間に宿っているのは、神位第五位(主神)と同等以上の力を持つ存在のみが生み出すことができる、自身の神格の神性の断片――「神片(フラグメント)」の力

 夢想神から生まれたこの空白の夢が一度その形を持てば、そこから生まれた存在は最下級とはいえ、神と同等の力を持つことになる


「だからこの空間に宿る私の眷属の力を彼女に宿し、あなたに授けましょう。そうすればあなたは、神に等しい力を得ることができる。――あなたの目的を果たすのにも役に立つでしょう!?」

「――!」

 風花を一瞥したレヴェリーが不敵な笑みと共に向けてきた言葉を聞いた神魔は、その意図を正しく理解して息を呑んだ


 つまりレヴェリーは、この空間に宿る自身の神片(フラグメント)の力を風花へと移し、自分に与えると言っている。

 なぜレヴェリーが自分の目的――九世界を大貴(光魔神)と共に回って九世界の側に取り込み、十世界に敵対させつつ、真の光魔神として覚醒させる。そして十世界の盟主たる奏姫を殺すことによって自分と桜の罪を放免してもらうこと――を知っているのかは分からない。

 しかしこの取り引きが、自分にとって破格の価値があることであることも、神魔は嫌が応に理解せざるを得なかった


「もちろん、そのあと彼女を生き返らせるのも自由。必要がなくなったら返してもらえればいいよ。そしてあなたはこれまで通りこれからも行動してくれればいい――どう? 悪くない取引でしょ?」

 得意満面といった様子で笑みを浮かべるレヴェリーの言葉が持つ魅惑に、神魔は怪しみつつもその恩恵を計算せずにはいられなかった

(悪くない……どころじゃない。つまりそれは、僕に神威(かむい)級の神器を無償で渡すのと同義だ)


 夢想神の神片(フラグメント)の力を得るということは、世界に飛び散った神器の中で、行使することさえできれば神に匹敵する力を得るといわれる「神威(かむい)」と呼ばれるそれを手に入れたの同義

 この先にも手に入れられるかどうかわからないその力は、手に入れさえすれば九世界王すら凌ぎ、魔界王から科せられた罰科をこなすことが易くなるのは目に見えている


(桜と生き残るために一時でも神の力が手に入るなら……)

 限りなく成し遂げることができる可能性が低い十世界盟主の抹殺という任務を神魔が引き受けたのは、単純に桜と共に生きたかったからだ

 自分のために自分と同じ罪を背負い、共に命を懸けて九世界をめぐることになった桜の姿を思い返す神魔の脳裏にここでレヴェリーの誘いに乗って二人で生き残る術を手にする選択肢が浮かんでは消える

「神魔」

 唇をを引き結び、少しでも桜と生き残ることができる可能性を生み出してくれる力を手に取るべきか迷う神魔の耳に、レヴェリーの隣で沈黙を守っていた風花が優しい声で語りかける

「……風花」

 その声に顔をあげた神魔の声を受けた風花は、小さく頷くとそっとその手を差し述べ優しくその表情を綻ばせる

「大丈夫だよ、今の私は一時の夢。今度こそ、あなたが思い描く未来のために一緒にいさせて?」

 当然のことだが、優しく微笑む風花の表情は、神魔の記憶の中にあるそれと寸分の違いもない。かつて自らを呪い、神魔の幸福を願ってくれた笑みで再び共にあることを願う風花に、かつての自分の弱さが思い起こされる


 風花がそうだったように、自分の所為で桜が死ぬ――ここで神の力を手に入れれば、その危険を減らし、桜を守り、共に生き続けることができる。


 レヴェリーの取引に一抹の不安がないわけではないが、先ほど提示された条件ならば、この力を手に入れないわけがない――そんな考えに誘われるように、神魔はゆっくりと自身の手を差し伸べられている風花の手に近づけていく

「心配しないで。私はいつでも、何度だってあなたを守ってあげる」

「風花」

 記憶にあるものと寸分違わぬ笑みを浮かべて手を差し伸べる風花に、神魔はまるでかつて失ったものを再び手にしようとしているかのようにゆっくりと手を差し伸べる

 そんな神魔の姿を桜色の瞳に映しながら優しく表情を綻ばせた風花もまた、以前は自分の願いのために振り払ってしまった想い人の手を取ることを心から望んでいた


 その瞬間、鈍い衝撃音が白の空間に響いた


「な……ッ!?」

 それと同時に目を開いた風花は、差し伸べられた神魔の手に顕現されたその武器――漆黒の刃を持つ大槍刀の切っ先が自分の身体に食い込んでいるのを見て目を瞠る

「神、魔……?」

 自身の身体を大槍刀が斬り裂いたことを認識した風花は、動揺に揺れる桜色の瞳で対峙している神魔の姿を見据えて声を零す

「……ちょっと意外。そういう行動に出るということは、取引を断るということだろうけど――断られる可能性は考慮に入れていたけど、殺すとは思ってなかった」

 その様子を見ていたレヴェリーは、その幻想的な表情にわずかに驚きの色を浮かべながら、夢幻の存在であるとはいえ、風花の身体に刃を突き立てた神魔に視線を送る

「一応言っておくけど、わざわざ殺してもらわなくても、断ってもらえれば何もせずに帰してあげたよ?」

 たとえ偽りの存在であっても、風花は間違いなく神魔にとって大切な存在。それをわざわざ自分の手で殺めるなどという心の傷を深めるやり方をした神魔に、一抹の驚きを覚えながら、レヴェリーは静かな声で言う

「……かもね。でも、この子が僕の思い出の中にいる風花ならそれはやっぱり偽物だよ。確かに、合理的に考えるならこの取引は悪くないかもしれない。でも――」

 かつて自分を好きだと言ってくれた大切な人に刃を食い込ませ、その命を奪う感覚を噛みしめながら唇を噛みしめる神魔は、レヴェリーの言葉に自嘲するような声音で言葉を吐き出すと、涙を堪えているような悲しみと寂しさに耐えながら笑みを浮かべる


「今、君の手を取ったら、本物の風花と桜に顔向けできないような気がしたんだ」


 これからも桜と共に生きていくことを考えるなら、多少のリスクは度外視してでもレヴェリーの神の力を手に入れるのが有効だったのは間違いない。


 しかし、偽りとはいえ、決してただの偽物ではない風花と共に旅をする自分を思い描いた時、神魔の脳裏に浮かんだのは自分にとって最も大切な人である桜と、本物の風花の姿だった

 それを思い浮かべたとき、神魔にはどうしても目の前の夢幻の風花の手を取ることができなかった。その明確な理由は神魔自身にも答えることはできない

 だが、現実の夢でしかない彼女の手を取ってしまえば、風花が命を懸けて守ってくれた自分と、自分が命を懸けてでも守りたい桜に対して誠意を欠くように思えたのだ


 その言葉でおおよその心情を察したレヴェリーは、偽りとはいえ風花に刃を突き立ててまで自らの夢想を断ち切ろうとした神魔の姿に呆れたような感心したような声を向ける

「つまり、今あなたが斬ったのは、彼女の幻に縋る自分の甘さというわけ? 随分と――」

「何より」

 自らを強く律し、罰しようとする姿に感嘆の声を漏らそうとしたレヴェリーの声は、それが全て紡がれる前に静かに抑制された神魔の声によって遮られる


「もしも、この風花が僕の思い出の中にいる風花なら、僕は僕を許せない」


「?」

 感情を絞り出しているような慟哭にも似た神魔の言葉に、レヴェリーだけではなく風花までもが目を瞠り、訝しげに眉をひそめる

 自身への怒りに満ちた意志で大槍刀の柄を握る手に力を込めえた神魔は、声にならない声で張り裂けそうな胸の胸中を吐き出す


「風花に許してもらおうと――ううん、風花ならきっと許してくれる(・・・・・・)と思っていたなんて……!」


 決して声を荒げるではなく、叫ぶではなく、ただただ普通に声を発する――しかし風花とレヴェリーには分かっていた。それが、神魔の心からの慟哭であり、叫びなのだと



 今神魔が対峙する風花は、夢の神であるレヴェリーの力によってこの世界に顕現した夢幻の存在。神魔の記憶の中にある風花の姿が現実へと顕現した姿

 だからこそ、寸分違わずにその存在は神魔の意思と記憶を反映している。その魔力、雰囲気、癖のようなものはもちろん、その性格までも。


 あの時、風花は自分のために一人戦場に残り命を懸けてくれた。その時何もできなかった自らの無力と、最期まで自分に向けてくれていた気持ちに気付いてあげることができなかった後ろめたさに苛まれながらも、神魔はきっと風花ならば自分を許してくれると心のどこかで思っていた

 己の弱さを自分で責めながら、心のどこかで「あなたは悪くない」と、風花が思ってくれていると願っていた自分の浅ましさに神魔は自身の勝手な願いへの憤りを隠せなかったのだ



「だから、夢の彼女を殺して自らに罪を科し、自身の意志を現実へと縛りつけようと? ……自分に厳しいのね」

 自らが夢幻の風花を殺めることで自らを罰し、まるで「自分は許されてはならない」と思い込もうとしているかのような神魔に肩を竦めたレヴェリーは、感嘆と呆れの入り混じった苦笑を浮かべる

「別に、許してほしくないなんて思ってないよ。でも……それを決めるのは僕じゃない」

 自らの刃で斬り裂いている夢の風花から目を離すことなく、神魔はレヴェリーの言葉に反論するように言葉を発する


 風花を守れなかった事実を否定する気はない。だが、それで自分を責め続ける気もない。ただ事実を事実として、ありのまま受け入れることが自分にできるただ一つのことであり、許されることを願ってはならない。

 もし仮に自分を許すことができる人物がいるとするならば、それは自分が守れなかった風花を大切に思いながら、残され、今も生き続けている者だけだ


《……そう、約束守ってくれてたのね》

《きっと、お姉ちゃんも喜んでいると思います。ただ……ただ、神魔さんの隣にお姉ちゃんがいないのは、少しだけ……少しだけ悔しいです》

《謝らないでください。私たちは、神魔さんの幸せを喜んでいるんですから》


 痛みに血を流す心を映したような声で言い放った神魔の脳裏に甦るのは、桜と共に囚われた際に魔界で再開した懐かしい二人の言葉。

 呉葉と紗茅(さやか)。風花の妹である二人は、かつてのように自分を兄と呼んではくれなくとも、姉を慕い、姉が愛した人を気遣ってくれていた

 二人はそう言ってくれたが、決して心中穏やかでなかったことは想像に難くない。何しろ風花()の気持ちには最期の瞬間まで気付かなかった男が、風花が望んでやまなかった位置にいる女性と共に姿を現したのだから



「本当に……本当に僕は、風花を傷つけてばかりだね」

 唇を引き結び、心の奥に刻み付けられたまま癒えることのない傷の痛みに耐えながら微笑んだ神魔は、涙を堪えるような表情で自分の思い出の中にいる風花に声をかける

 その言葉を受けた風花は一瞬瞠るが、すぐにその想いをくみ取ったのか、優しく表情を綻ばせていつも自分のために傷ついている神魔に微笑みかける

「神魔らしいね」

 その言葉と同時に、レヴェリーの力によって顕在化している風花の身体の輪郭がぼやけていくのと同時に、白夢の世界にも無数の亀裂が奔る

 風花の命が尽き、神能(ゴットクロア)で構築されたその存在が世界に還元されていくのと同時に、夢の世界もまた崩壊をはじめ、その形を失っていく

 夢現の世界が崩壊を始めたのを見止めたレヴェリーは、静かに周囲を見回しながら嘆息混じりに夢の風花(勧誘)を振り払った神魔に視線を向ける

「残念。やっぱり今のあなたにとって、一番大切なのはその人じゃない、か。――彼はこれで懐柔されてくれたんだけどな」

 風花が今の神魔にとって最も大切な人ではない以上、大切なもののためにすべてを捨てることができる闇の全霊命(ファースト)でも、自分たちの陣営に引き込むことができないかもしれない

 その可能性を最初から考慮に入れていたレヴェリーは、自分達との協定を断れた残念さと予想通りの答えに小さく肩を竦める

「彼?」

「クラムハイド君」

 レヴェリーが指し示す人物がクラムハイド――三十六真祖の一人であり、当代の三巨頭の一角、そして現在は十世界の妖怪達を総べる存在を示していると知った神魔は、目を瞠りながらおおよその事実と背景を理解する

「――っ!」

(なるほど、それで彼は十世界に――)

 具体的なことは何もわからなかったが、この世界での一連の体験とレヴェリーの口調からクラムハイドが九世界を裏切って十世界についた理由を察することはできた

「でもまあ、これで取引が終わったわけじゃないから、気が変わったらいつでも私の所へ来て。私は『英知の樹(ブレインツリー)』にいるから」

 そんな神魔に不敵な自信に満ちた声を向けたレヴェリーは、まるで再会を確信しているかのようにその存在をこの世界から離脱させる

 元々自身の力を使って意識だけをここに顕現させていたレヴェリーがその存在を現実に回帰させて消失する様を見ていた神魔は苦々しげに唇を噛みしめる


英知の樹(ブレインツリー)、夢想神――っ!」


 かつて失った者を利用して残された者の一抹の希望を良いように弄ぼうとするその姿に神魔は、言いようのない憤りを覚える中、自分に向けられている風花の視線に気づく

「神魔」

「風花」

 命が尽きていく中で、その存在の輪郭を失っていく風花と視線を交錯させた神魔は、しばしの間見つめ合い、やがて二人は互いの心中にあった想いを吐き出すように声を発する


「ごめんね」


 二人の口から紡がれた同じ言葉が響く中、白夢の空間はガラスが割れるような音と共に崩壊し、夢幻の風花もまた、その存在を失って世界に溶けていく



 白の夢が現実に回帰するその瞬間、風花の甘く優しい香りが鼻腔をくすぐったような気がした――。





「っ!」

 次の瞬間、現実へと回帰した神魔は、自分が夢の世界へと誘われた時と同じ戦禍渦巻く妖界城の上空から周囲を見回す

「神魔さん」

 今まで見当たらなかった神魔が出現したことに、棕櫚(しゅろ)の結果に守られている詩織は、桜と共にいなかったことで何かあったのではないかと案じていた想い人が何事もなく姿を現したことに理由は分からずとも安堵に胸を撫で下ろす

(なんで詩織さんと玉章(たまずさ)さんが……? まあ、向こうが終わったから来たんだろうけど)

 知覚によっていつの間にか妖牙の谷(ザナフバレー)に残してきたはずの詩織と玉章(たまずさ)がここへ来ていることを知り、視線を向けた神魔は訝しげに眉をひそめる

 詩織の姿に一瞬風花の幻影が重なるが、神魔はそれを意にも介さないかのように視線をその近くにいる自分にとって最も大切な人へと向ける

「桜……!」

 神速で空を蹴った神魔は、刹那すら存在しないほどの時間でその身に小さくない傷を無数に刻んだ桜の許へと移動する

 黒い着物の上に白い羽織を纏い、清楚な美しさを持つ桜色の髪を持つ淑やかな絶世の美女。そして自分にとって最も大切な愛する人である桜の許へと駆け寄った神魔は、その傷ついた姿を目に映して沈痛な面持ちで顔を伏せる

「――ごめん」

 その身に刻まれた傷と、両腕を失い、腹部を貫かれた恋依(こより)からおおよその事情を把握した神魔は、強敵と戦って生きていてくれたことに心から感謝しつつ、その時にその場にいられなかったことにを悔やんで唇を引き結ぶ

 その身体から血炎を上げ、芍薬の華の様に淑やかに佇んでいた桜は、そんな神魔の心情を正確に汲み取って小さく首を横に振る

「いえ、神魔様こそ、ご無事で何よりです」

 知覚からも外れ、その身に何が起きているのかが分からなかった神魔が無事に帰ってきてくれたことに安堵した桜は、今にも涙を流してしまいそうな表情に清楚な花を思わせる笑みを向ける

 その姿はまさに夫を帰りを待ちわび、出迎えた妻というにふさわしく、神魔もまた桜の美笑に応じるように目を細める

「うん、ありがとう」

 桜の言葉に、自分の変えるべき場所へと戻ってきたと思わせる不思議な安らぎを覚える神魔は、これまでの不安を微塵も感じさせないその姿に優しく微笑んでそっと手を伸ばす

「――ぁ」

 言葉だけではなく、肌でも帰ってきたことを感じようとしているかのように神魔がその癖のない艶やかで美しい桜色の髪をそっとすくと、桜は最愛の人の寵愛にわずかに頬を朱に染め、慎ましやかに目を細める

「神魔様……」

 自分が知っている温もり、いつも通りの愛撫。自分の身体に刻み付けられた最も愛する人からの寵愛を思い返す桜は、淑やかに微笑んでしばしそれに身を委ねる

「もう少しだけ。いいでしょ?」

「……はい」




「別にいいのだけれど、私も軽くない傷を負っているのよね」

 そんな二人のやり取りを見ていた瑞希は、互いに伴侶が帰ってきたことを確認し合うように寄り添いあう神魔と桜の姿を見て小さな声でため息をつく


 自分は神魔の伴侶ではないし、心配してもらいたいというわけでもないが、まるで桜以外が目に入っていないかのようなそのやり取りには一抹の不満と心から愛し合う二人へのわずかばかりの嫉妬を覚えざるを得ない

 そんな瑞希の傍らでは、詩織が羨望に満ちた目で、見ているだけでも恥ずかしくなるような神魔と桜の逢瀬を見つめていた



「――神魔様、行ってください」

「え?」

 しばし愛する人の寵愛に自身を委ねていた桜は、愛おしさを噛みしめるように閉じていた瞼を開いてその瞳で神魔を見つめる

 突然の言葉に虚を衝かれて目を丸くする神魔に、桜は淑やかな花を思わせる笑みを浮かべると、その薄紫色の瞳でまっすぐにその姿を映したまま優しい声で言葉を続ける

「まだ戦いは終わっておりません。わたくしにかかずらってばかりではいられないでしょう?」

「でも……」

 まだ十世界との戦いが継続中であることを示唆した桜を見た神魔は、小さくない傷を負っている最も愛する一輪の花に心苦しそうな視線を向ける

 そんな神魔の懸念を正確に把握している桜は、そんな不安をかき消すようにいつも通りの穏やかで淑やかな笑みを浮かべると、諭すようにゆっくりとした口調で語りかける

「わたくしのことは御心配には及びません。瑞希さんや玉章(たまずさ)さん達に守っていただきますから。本当はわたくしもご一緒させていただきたいのですが、この傷では神魔様の足手纏いにしかなりませんから」

 瑞希と玉章(たまずさ)に視線を向けてから神魔に優しく語りかけた桜は、恋依(こより)との戦いで傷ついている自分の姿を見て寂しげに言う


 本来ならば神魔を一人で行かせるのは桜としては心苦しい。しかし、今の自分では魔力共鳴を考えても激しい戦闘には支障をきたしてしまうだろう

 一瞬の判断で命を落とす戦場に、その原因となりかねない憂いを多大に孕んだ今の自分が赴くことは結果的に二人ともの命を危険に晒すことになってしまうと判断したからこそ、桜は神魔一人を戦場に送り出すことを決意したのだ


「ですから、どうかご存分に戦っていらしてください。わたくしは、この場であなたのご無事を祈っておりますので」

 そっとしなだれかかるように神魔の身体に寄りかかった桜の言葉は、優しく、しかしまっすぐな瞳で最愛の人と射抜き、まるで心の奥底に語りかけるように言葉を紡ぐ

 そんな桜の言葉を受けた神魔は、意味ありげに小さく肩を竦めて苦笑すると自分に身を寄り添わせてくれている伴侶の肩にそっと両手を置いて頷いてみせる

「ありがとう」

「ご武運を」

 互いに心が通じ合っているように微笑みを交わした神魔は、その身を翻して桜に見送られながら妖界城の戦場へと向かっていく

「よかったの?」

 神速で戦場へと飛び去る神魔の後ろ姿を見送っていた桜に、その隣に移動した瑞希が静かな声で問いかける

 別に無理に神魔を戦場に送り出すことはなかったのではないか、そんな疑問のこもった声を受けた桜は、静かに目を伏せて戦場へと消えていった最愛を人を幻視しながら寂しげな笑みを浮かべる

「気を発散する場が必要なのではないかと思ったものですから。――神魔様、かなり怒っておられましたから」

「――?」

「怒って……?」

 先ほど神魔の様子を思い返した瑞希と、それを聞いていた詩織が怪訝そうな表情を浮かべると、それを横目で見ていた桜は寂しげに微笑んで言葉を続ける

「わたくしたちと離れている間に何かがあったのでしょう。わたくしがそのお心を鎮めて差し上げられれば良いのですが、神魔様は傷つかれているというよりも、どこかへ行こうとなさっているように思えました。

 ですが、わたくしがこの有様では、神魔様はわたくしを気遣ってずっと傍にいてくださろうとなさったでしょう――ですから、これでよいのですよ」


 詩織や瑞希は気づかなかったが、神魔は怒りと苦痛に心を焼かれていた。しかし、ずっと神魔と共に過ごし、その姿を見続けている桜は、神魔のことを神魔本人以上に分かっている

 先ほど神魔が小さく肩を竦めたのも、「桜にはなんでもお見通しか」という、自分の心を見透かされていることに対する自嘲によるものだ


 もしも神魔が何かに悩んでいるならば、桜は可能な限り寄り添い、少しでもその心の負担を軽くしてもらいたいと願っただろう。しかし、神魔は自分を気遣いながらどこかを気にしているような素振りを見せていた

 それは神魔の憂いが心ではなく、場所あるいは人に在ることを意味している。しかし神魔の性格を考えれば自分を置いていくはずがない――そう考えたからこそ、桜はその心の憂いを晴らしてもらうべく神魔を送り出す決意をしたのだ



「……そう。大変ね」

 神魔を想い、本当は一時でも長く一緒にいたいはずの心を押し殺して送り出した桜の横顔に視線を向けた瑞希は、苦笑を浮かべて肩を竦める

「ふふ」

 そんな瑞希の言葉を受けた桜は、口元を手で隠すと、肯定と否定の意味が込められた淑やかな笑みを返す

 小さく微笑む桜の表情は、愛する人のために苦労することができる女として伴侶としての喜びに満ちており、それを横目で見た瑞希は微笑を浮かべて天を仰ぐのだった

「――……」

 桜の言葉に耳を傾けていた詩織は、神魔が飛び去った方向へと視線を向けたまま、自嘲混じりの笑みを浮かべてわずかに肩を落とす

(やっぱりすごいな、桜さんは。神魔さんがいつもと違うなんて、私には全然分からなかったのに……)

 年季の差もあるのだろうが、互いが互いを心の底から想い合い、理解している神魔と桜の姿を思い返す詩織の脳裏に、自分が入り込む余地などがあるのだろうかという弱気な考えが浮かぶ

 しかしそんな考えを振り払うように唇を引き結んだ詩織は、すでにその目には映らない想い人へと想いを馳せながら、胸に置いた手を決意と共に強く握り締めた

(でも、でも私は――)





 その頃、桜に見送られ、戦場へと移動していた神魔は妖界の妖怪たちと、十世界の妖怪達の戦場を光さえも彼方に追い越す神速の闇となって横切っていた

(クラムハイド……!)

 夢の世界で夢想神(レヴェリー)に言われたことを思い返し、夢の力を得た十世界の妖怪達の長――クラムハイドの妖力を妖界城の中に捉える神魔がそこへ向かっていると、それを阻むように十世界に所属する妖怪たちが立ち塞がる

「行かせるか!」

 知覚によって神魔の目的地が妖界城だと察したらしい十世界の妖怪達は、自分たちのリーダーであるクラムハイドがことを成すまでの時間を稼ぐべく、九世界の回し者である悪魔へと向かっていく

 各々の武器を手にし、妖怪特有の多様性に富んだ妖力を放出する妖怪たちが、それぞれ違う妖紋の刻まれた表情に純然たる敵意を宿しているのを見て取った神魔はその手に大槍刀を顕現させると、速度を緩めることなくその包囲網へと向かっていく

「――ッ」

 自身の武器である大槍刀を顕現させた神魔は、夢の存在とはいえ、風花を殺めた刃をそれを握る自分の手を一瞥し、苦々しげに舌打ちをするとその視線を自分の前に立ちはだかる妖怪たちに向ける


「邪魔」


 刹那漆黒の闇が世界を両断し、一刀の元に斬り捨てられた妖怪たちが血炎を吹きあげながらその身体を中空に舞い踊らせた

「ガ……ッ!」

 一刀の元に斬り伏せられた妖怪たちの苦痛の声をはるか後方に聞きながら、微塵も速度を緩めることなく道を切り開いた神魔は、目的地に向かって一直線に宙を奔っていく





「――驚いたわね。彼、少し見ない間にかなり力をあげているんじゃない?」

 戦闘の際に一瞬高まった神魔の魔力が、今日までのそれとは隔絶したレベルにまで高まっているのを知覚した瑞希は、独白と共に驚嘆を隠せない表情でその力が放出された方へと視線を向ける

「当然です。なぜならあのお方は――」

 そんな瑞希の言葉を受けた桜は、静かに目を伏せるとその美貌に誇らしげな表情を浮かべ、遠ざかっていく神魔の魔力を感じながらさも当然のことのように微笑んで応じる




「神魔様なのですから」






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