風花の残香3
神魔から聞いて知っていた。神魔には、自分たちと出会う前に一時共に暮らしていた人たちがいることを。
「ロード」と「撫子」。――伴侶の悪魔である彼らは、神魔の師であり、神魔にとっては家族のような存在でもあったのだと
(この人が、撫子さん……神魔が言ってた通り、すごい美人)
眼前で淑やかに佇む絶世の美女――撫子を前にした風花が警戒を緩めて構えていた銀杭を下ろすと、それを見止めると、白を基調とした着物を纏う黒髪の美女は恭しく目礼する
「いつも神魔さんがお世話になっております」
「……いえ、こちらこそ」
まるでその心のように穢れない白の霊衣が夜の闇よりも暗く、しかし輝いているかのような艶やかさを持った一つの芸術のごとき黒髪の美しさを引き立て、洗練された淑やかで慎ましやかな立ち振る舞いはそれ目を瞠るほどに美しい
誇張でも、比喩でもなくその一挙手一投足に目を奪われてしまうような感覚を覚えている風花は、それでも美の化身のような撫子に呑まれまいと、内心でその影を振り払い平静を装って応じる
「その様子では、わたくしのことは神魔さんから聞いておられるのですね」
容姿は言わずもがなだが、その立ち振る舞いはその人格――撫子という人物を構成する内面そのものが絶世の美しさを誇っていることを感じさせる
「――はい。それで、あなたが私に何かご用でしょうか?」
淑やか、かつ奥ゆかしいその大和撫子然とした立ち振る舞いと同じく、決して強く自らを主張していないにも関わらず、目を離すことができないほどの存在感を放つ撫子に風花は静かな声音で応じる
全く威圧などしてされていないというのに、自身の女性の部分が撫子を女性として格上と認識し、敗北を認めてしまっているという事実を自覚してしまっている風花は、無意識に気圧されてしまっている自分を内心で叱咤しつつ、眼前の美女に視線を返す
「実は、あなたに折り入ってお願いしたいことがございまして」
そんな風花の内心での葛藤を見透かしているとも、意に介していないとも取れる美笑をたたえる撫子は、優しく慈愛に満ちた声音で語りかける
「お願いしたいこと?」
怪訝そうに眉をひそめた風花の問いかけに、「はい」と淑やかな声で応じた撫子は、薄い紅で彩られた花弁のような唇から言葉を紡ぎ出す
「はい。実は――――」
「風花?」
その声に意識を現実に回帰させた風花は、吐息がかかるのではないかと思えるほど間近に迫った神魔の顔を認識すると同時に、その思考を白く染める
「ひゃあっ!?」
一瞬の空白の後、自分を覗き込むようにしている神魔の姿を見つめていた風花は、今にも触れてしまいそうなほど近い想い人の姿に思わず声をあげる
間近に迫った神魔の視線を受けた風花は、驚きと恥じらいのあまり、可愛らしい声をあげると同時に真っ赤に染まった顔で後方へと飛びずさる
(あ、しまっ……チャンスだったのに)
「え、何?」
反射的に飛びずさってしまったことで絶好の機会を逃してしまったことを内心で悔い、渋い表情を浮かべる風花に、呆けた様子の神魔は目を丸くして視線を送り、呉葉と紗茅は怪訝そうな表情を浮かべる
内心はどうであれ、神魔は心ここにあらずといった様子の風花を案じて焦点の合っていない視線を覗き込んでいたに過ぎない。仮にあのまま立ち尽くしていたとしても神魔と風花の間に何かがあったわけではないだろう。
しかしそこは風花も恋する一人の乙女。自分だけが一方通行の想いを寄せている現状を打破するきっかけになればいいと心中で一抹の期待を抱いてしまうのは無理からぬことだった
「どうしたの、姉さん?」
普段から神魔の言動に初心な反応を見せることが多かった恋する乙女の風花だが、今日のそれが普段と違うことを訝しんだ呉葉は、千載一遇の機会を逃してしまい、内心で臍を噛んでいる姉に疑問の声を向ける
「――ううん、何でもないよ」
呉葉が自分の身を案じてくれていることをその視線から察した風花は、その憂いを取り去ろうとしているかのように小さく首を横に振ると優しい声で微笑みかける
「そう……ならいいけれど」
風花の言葉を受けた呉葉は、その声音から普段とは違う何かを感じ取るが、それ以上の追及を拒んでいるような姉の声音にその話題を終える
「変なお姉ちゃんですね、お兄さん」
「そうだね」
二人の会話を聞いていた紗茅は、風花の答えを聞くと小さな笑みを浮かべて近くにいた神魔に腕を絡める
呉葉同様、紗茅も風花の様子がいつもと違うことには気づいていたが、その理由については分からなかった
しかし、風花の悩みの原因といえば、十中八九神魔だ。これまでも神魔に自分の気持ちが通じない時に似たような状態になっていたことがあったことから、呉葉と紗茅は恐らく神魔関係の悩みが原因なのだろうと予想はしていた――当の本人は全く気付いていなかったが
「あ、ちょっ……紗茅。っていうか、神魔もさらっと肯定しないで!」
自分の想い人とさらりと腕を組んだ妹に嫉妬し、自分に対して失礼な認識を抱いている神魔に風花は抗議の声を向ける
「ごめんごめん」
冗談交じりに怒る風花は、腕を組んだまま小走りで逃げる神魔と紗茅の背を見つめながら、ふとその足を止める
その視線の先にいるのは、いつも通りの優しい笑みを浮かべている想い人――神魔の姿。その姿に昨日の夜、撫子の言葉が重なる
《実は、あなたには今後何があろうとも神魔さんの命を守っていただきたいのです。――たとえあなたの命をかけてでも》
脳裏によみがえる撫子の言葉を思い返しながら、風花は何も知らずに妹たちと戯れている神魔に視線を向ける
その疑問を向けられたとき、風花は思わず耳を疑ったまさか、そんなことを言うために撫子が自分を空間隔離してまで会いに来たことが腑に落ちなかった
その時の撫子とのやり取りを思い出しながら神魔に視線を向ける風花は、しかしそれ以上に気になることに胸を締め付けられるような漠然とした不安を覚える
(あの人は一体……?)
何よりも風花が気にかかったのは、神魔たちが撫子の来訪に気付かなかったことだ。撫子との話を終えた風花が神魔たちの許へ戻った時も、神魔はもちろん、呉葉と紗茅でさえそれについて何一つ訪ねてこなかった。
空間隔離は神能によって世界を映し取り、作り出した仮初の世界。擬似的な世界創造と言っても過言ではない力。この世界を作り出した神に最も霊的に近い存在である全霊命にならば誰にでも使える権能だ
しかし、仮初とはいえ、別の世界へ入るということは、全霊命の知覚からも一時的にその存在が分離されることを示している。現に、相手の神能を捉え、認識、識別する全霊命の知覚であっても、世界の外へ出た相手を捉えることは不可能とは言わないが、極めて難しい。
つまり、あの瞬間撫子の作り出した隔離空間に引き込まれた瞬間、確かに風花の存在は、この世界から乖離し、神魔たちの知覚から消失したはずなのだ。
にも関わらず、そのことに対して神魔、呉葉、紗茅が一切言及してこないということは考えられず、そのことから導き出される結論は、信じがたいことだが誰一人として風花が空間隔離されたことに気付いていないということになる。
(何か、嫌な予感がする……まるで、私たちの関係が終わってしまうような……)
方法は不明だが、全霊命の知覚さえもすり抜ける空間隔離を行うことができるほどの力を持つ撫子がわざわざ自分と接触を図って、伝えたその言葉がただ額面通りの言葉だとは思えない
漠然とした言い知れぬ不安に胸を締め付けられるような感覚を覚える風花は、その不安を振り払うように軽く頭を横に振ると、妹たちとともにいる想い人に視線を向ける
(……大丈夫だよね。私たちはずっと、ずっと一緒にいるんだから――!)
祈りにも似た想いで、これからも変わらずに続いていく自分たちの未来を想像した風花は、胸中に渦巻いていた不安を振り払うように、神魔たちの許へと歩を進める
その動きに合わせて揺らいだ薄紫の髪から零れた甘く儚い残香は、優しい風に運ばれて果てしなく広がる空へと溶けて行った
――しかし、そんな風花のささやかな願いは、それから数年後のある日、何の前触れもなく唐突に終わりを迎えることになる
神臓の太陽が輝く抜けるように青い魔界の空を斬り裂きながら舞うのは、純白の翼を有す光の全霊命の軍勢。
各々がその手に武器を携えた天使たちが神速で翔けることで織りなされた光力による天球儀が出現し、その内側でせめぎ合う漆黒の闇と光が舞い無数の光の波動が荒れ狂っていた
光力を纏った巨大な剣の一閃を、魔力を纏わせた大槍刀の一撃で弾いた神魔は、自分たちを取り囲む無数の天使を知覚で捉えながら苦々しげに吐き捨てる
「く……ッ、なんで天使が魔界に?」
光力の斬撃を阻んだ腕に伝わる聖なる力の波動に渋い表情を浮かべた神魔は、純白の翼をはためかせる天使を一瞥し、次いで別の方向から襲い掛かった槍の斬撃を大槍刀の刃で受け止める
刃を介してぶつかり合った魔力と光力に込められた純然たる殺意と戦意が、世界で最も神に近い全霊命の神格によって世界に顕現し、この世界そのものに破壊を引き起こす
九世界では、闇の全霊命は光の世界に、光の全霊命は闇の世界に立ち入らないという暗黙の了解がある。九世界創生の折、神によって生み出された世界開闢からの天敵ともいえる彼らだが、好んで相手を滅ぼそうというつもりはない。
結果的に彼らの間で無用な戦いを避けるためのそのルールは遵守され、光と闇の全霊命が戦うのは、戦争中を除けば圧倒的に世界と世界の境界に存在する仮初の世界――時空の狭間に限られていた。
つまり、戦争中でさえない現在、この魔界に天使が侵入し、戦闘を仕掛けてくることなどほとんど皆無と言っていいものなのだ
しかし、現実に悪魔が支配する世界である魔界に出現した天使たちに取り囲まれた神魔達に、純然たる聖なる殺意を向けてくる天使が抑制の聞いた声で語りかける
「決まっているだろう? そいつを殺すためだ」
「……なに、それ?」
刃を併せた天使が風花を一瞥して発した言葉に、疑問と不快感が同居する視線を返した神魔は、大槍刀から片手を離して魔力の砲撃を放出する
静かな殺意と土器と共に暗黒色の魔力を収束して放たれた神魔の魔力砲を回避した天使は、純白の翼から光力を収束させた光雨を放ち、それを真正面から相殺する
「あいつらが死んで、そいつが生きている。それだけで、我らが戦う理由には十分だ」
「何より、この世界から闇を払うこと。――それこそが、創造神様に列なる光の全霊命の使命でもある」
神魔と刃を交えた天使に続くように、天を舞い武器を携えた別の天使の一人が、聖なる憎悪に満ちた声で言い放つ
「なるほど、武闘派……いや、過激派の連中ね」
その言葉に耳を傾けていた全員が、ここにいる天使たちの正体を理解し、その意思を代弁するように呉葉が嫌悪感に似た感情を滲ませた声を発する
九世界開闢以来、神の尖兵として戦い続けてきた光と闇の全霊命の間には、理由さえもない殺意と敵意が深い溝となって横たわっている。
神によって戦うために生み出された全霊命達は、その存在理由そのままに悠久ともいえる時間を戦い、愛する者を殺され、愛する者を殺したことを憎まれる歴史を刻んできた。
その根底には、光側の勝利で幕を閉じた世界最初にして最大の戦争――「創界神争」によって、互いが互いを排除しあうために存在する光と闇の全霊命達の間に生まれた一つの概念がある。
元々創界神争はそのための戦争でもあったのだが、この戦争の決着によって「光こそが勝者であり、闇は敗者である」という概念がこの世界に完全に定着し、それ以降勝者である光の全霊命達は、敗者である闇の全霊命に対して、自分たちこそが世界の担い手であるという優越感を以って接するようになった。
そして、そんな優越感にも似た勝者の矜持が、それ以降行われた二度の大戦、そして数えきれない小さな戦いを繰り返していく中で生じた正義という名の憎悪を育んでいくことになる。
光の存在である自分たちの正しさを信じるがゆえに、それに従わない闇の存在を忌み嫌い、排除する思想を強く持つ者たちは「武闘派」と呼ばれ、どの光の世界にも少なからず存在している。
その戦いの中で闇の全霊命達に愛する者や家族を殺された光の全霊命達は、愛する者を失った喪失感と怒りを、それを行った個人ではなく闇の全霊命達全てに向けるようになっていく。
そうして、闇の存在に対して過剰なほどの聖なる憎悪を見せる者たちを、「過激派」と呼ぶ。彼らに「それはお互い様だ」という考えはない。自分たちこそが正しい光であるのだから、それを否定する闇の者達が自分の愛する者を殺していくことは、彼らにとって耐えがたいことだったのだ。
「つまり、報復が目的ということね」
普段通りの抑制の効いた声に静かな激昂を見え隠れさせる呉葉に応じるように、その手に携えられた真紅の鞭が魔力を纏って中空を奔り、天使たちを打ち払う
「報復……って、風花が戦争に参加してた時か」
大槍刀の刃に纏わせた魔力をその斬閃と共に解放し、天使たちをその闇の波動で打ち払った神魔は、呉葉の言葉に合点がいったように独白する
風花が三番目の世界大戦――「聖魔戦争」の時、魔界軍の一人として最前線で活躍していたことは本人から聞いて知っている。
軍界王政という世界そのものを一つの軍とする制度を取っている以上、世界単位で戦争をしていた聖魔戦争時には必然的にすべての悪魔が魔界軍として戦っていた。風花はその中で戦い、一騎当千の力で多くの戦績を残した実力者なのだということもすでに知っている。
「そんなの、誰だってそうでしょ!? 私たちだって……」
姉へ向けられた理不尽とも取れる感情に、わずかに憤りを見せた紗茅は、その手に携えた薙刀に自身の魔力を纏わせて、中空を舞う天使達へ破壊の波動を放つ
確かに風花は魔界の一員として聖魔戦争に参加し、多くの命を奪った。しかし、それは風花だけに限ったことではない。
戦時中は誰もが誰かを殺し、誰かに殺される状況だった。仕方がないとは言わないが、誰もが同じ状況だったのだ。風花もその戦争の中で呉葉、紗茅以外の家族をすべて失っている
「報復ではない。光の裁きだ」
まるで自分たちだけが犠牲者であるかのような天使たちの言い分に紗茅が憤りを見せた瞬間、その言葉を静かな声が一刀の元に断じる
だが、そんな天使の言葉を聞いた神魔は、その言葉に嘲るような笑みを浮かべると同時に斬閃に合わせて魔力の波動を解放する
「よく言うよ、光の王たちはそんなことを許可してないのにさ」
確かに光は、世界の在りようを定める世界最初の戦争「創界神争」において闇に勝利し、その権限に負置いて世界の正義となり、大局を定める資格を得たことは事実だ
だが、だからといって光の世界を総べる王たちは、闇の全霊命を滅ぼすことを許可していない。光が輝くのは、周囲が闇に満ちているから。正義が尊いのは、悪が世界に跋扈しているから。――光と闇、正義と悪は裏と表。どちらかが欠けても成立しない対極にして唯一の大局なる理であることを承知しているがゆえに、戦争終結以降は私怨による聖魔の戦いを割けるように言明している
「今の王たちは間違っている。光と闇の在り方は不干渉でも共存でもない。この世界を光で満たすことこそが真の世界を作る礎だ」
しかし、そんな光の王たちの意向を鼻で笑い飛ばした過激派の天使は、闇の存在に対する聖なる憎悪を隠さない声で静かに言い放つ
光と闇の全霊命達は、その存在そのものが、そこに込められた概念を強く反映した存在でもある。すべての色を排除したとき「白」になるように、光とは排斥の属性であり、その本質に良くも悪くも潔癖さが潜んでいる。
正義を掲げ、神を信奉する者だけが虐殺を行う。そして勝者はその立場故に自らの支配を絶対だと信じて疑わない。揺らぐことを許さない。
正しさを信じすぎるがゆえに、それに準じないものを許容できない。――それは、一部の者だけではなく、すべての光の全霊命が持つものであり、それを強く言動に表すのが「武闘派」と呼ばれる者たち。そして、その感情のままに光の王や世界の意向を無視し、自らの正義のままにその力と意思を振るうのが「過激派」と呼ばれる者たちだ
「光の世界から見限られているくせに、偉そうに言うんだね」
嫌悪感にも似た感情を宿す声と共に、漆黒の魔力を纏わせた大槍刀を一閃した神魔が聖光を帯びた天使の大剣を弾き飛ばすと、相殺された光と闇の神能の残滓が黒白の星群となって世界に瞬く
今ここにいる天使たち――「過激派」と呼ばれる、あまりにも聖常で正しくあろうとしすぎる光の全霊命達は、その思想を各々の世界から認められていないものが大多数を占めている。
つまり、いかに光を掲げようと、どれほどの正義を振りかざそうと、今目の前にいる過激派の天使たちの思想と理想は彼らの世界――天界や天界王の意思ではない。
しかし、過激派と呼ばれる者たちは、その正義と信念を頑なに貫き通すが故にそれぞれの世界から
離反した者たちでもある
「認められているから正しいことなのではない。これが正しいと認めさせることこそが何よりも尊いことなのだ」
「その通り。散っていった者たちの無念を晴らさず、愛しい者を奪われた心の空虚をそのままにして作り上げる正義や大義になど何の意味がある!? もしも貴様が我らの立場だったなら、この絶望を戦争だったから、誰もが同じだからなどという安い理屈で済ませられるというのか!?」
しかし、神魔の言葉を受けた天使は激情を露にすると、聖なる殺意に彩られた怒号を放ち、光力を纏わせた斬撃を放つ
過激派と呼ばれる光の全霊命達の理念は、正しくはなくとも間違ってはいない。誰もが誰かを殺すのは、存在として限りなく完全に近い全霊命達が支配する世界では必然であり、それが戦時中であったならなおのことだ。
しかし、その戦いで愛する者を失った者たちにとって、それは「仕方のないこと」や「お互いさま」ということで割り切ることができるほど単純なものであるはずがない。
愛する者のために、それ以外の全てを切り捨てることができる闇の全霊命達ほどではないにしろ、光の全霊命達も人を愛する気持ちは決して弱くはない。
永遠に近い時間を衰えることなく過ごすことができる全霊命達にとって、伴侶や子供といった愛情を捧げ、傾けるべきものの存在意義は果てしなく大きい。
あまりにも純粋な愛情はそれを失った時、それと同等以上の絶望が残され、その喪失感は正しい憎悪となり、その矛先は愛しいものを奪ったものへと向けられる
「――たられば論で語らないでよ、見苦しい」
激昂と共に放たれた天使の斬撃が、神速で風花に向かって迸るのを見た神魔は、その間に割って入ると静かな怒りをたたえた声と共に大槍刀の刃を振るう。
純然たる破壊と滅殺の意思が込められた漆黒の魔力と純白の光力が刃を介してぶつかり合い、世界すら滅ぼすほどの最も神に近い力がせめぎ合う
「神魔!」
「貴様……ッ!」
風花への攻撃を阻まれた天使は、自身の光撃を受け止めている神魔を刃越しに睨み付け、忌々しげに歯噛みする
愛する者を奪われた者が、その相手へと向ける憎善の意思を宿した瞳を受けた神魔は、それに微塵も怯んだ様子を見せることなく、冷ややかに言葉を続ける
「お前たちの言い分を借りるなら、その理屈で風花を殺されて、僕たちが仕方がないなんて納得すると思う?」
そう言い放った神魔は、大槍刀を一閃させて天使の斬撃を打ち払うと、追撃のために収束した魔力を極大の砲撃として放つ
全てを滅ぼす意思と力を以って放たれた極大の漆黒砲は神速で世界を貫き、神魔によって刃を弾かれた天使を捉えて暗黒の爆発を引き起こす
仕方がないや誰もが同じで愛する者を殺された怒りの矛先を向けることが許されるならば、愛する者を奪われたから仇討ちされても仕方がないと許容することもできるはずがない。
神魔にとって、どこの誰かも知らない天使の命や意思、過去の遺恨など取るに足らないものでしかない。そんなものは、風花の命と比べるべくもないほどの価値しかないのだから
「黙れ!! 覚えているか? 貴様が殺した俺の妻を!! 子供たちを!! 愛する者たちを奪われた怒りを、仕方がないことなどと許して終われると思うか!?」
神魔の放った暗黒の爆発を純白の光が斬り裂き、その中から現れた天使は、その身に負った小さな傷など意に化した様子も見せず、風花に向けて声を放つ
「――っ!」
愛する者を奪われた者が、奪った者へ向ける正当な殺意を真正面から受けた風花は、正く発せられているその感情に表情を変えることなくまっすぐ応じる
戦うということがこういうことであることは十分理解している。いずれはこういうことになることも覚悟してきた。生きることは戦うこと。そして戦うこととは他人の信念を力を以って否定すること。
完全に近いがゆえに、力がその存在価値の大半を占める全霊命において、生きることは己の力を用いた殺し合いであり、必然的に殺めた命に対する責任が永遠について回る
「言い訳はしません。しかし、反論はさせていただきましょう――私は、あなたに殺されてあげるつもりはありません」
純粋な憎悪に満ち、純然たる殺意に染まった光力を纏う天使を真正面から見据えた風花は、魔力を纏わせた銀杭の切っ先を向けて揺るぎない声を向ける
それが全霊命の存在意義だ。戦争中だった――言い訳をしようと思えばいくらでもその理由はある。しかし、その理由は戦ったことの理由ではない。
自らの意思で刃を振るい、自身の力で命を奪うからこそ、風花は――否、あらゆる全霊命達は自身に向けられる殺意を余すことなく受け止め、そしてそれを否定する。
だが必然、そんな言葉で一度生まれた憎悪が止まるはずもない。殺したい相手へ向ける殺意を、自らを生かすために生じる殺意が互いの神能と共に世界に顕在化し、白と黒の暴風が吹き荒れる
「貴様にも私と同じ――いや、それ以上の苦痛を味あわせてやる!!」
携えた大剣に光力を纏わせた天使は、純白の翼を羽ばたかせて神速で風花へと肉薄する
「風花!」
その姿を認め、迎撃のために大槍刀を振るおうとした神魔は、自身に向かってくる別の光力を知覚し、肉薄してきていた別の天使の攻撃に援護を遮られる
「く……ッ!」
呉葉、紗茅もまた、それぞれ別の天使達と戦っており、数の上で圧倒的に不利な神魔たちは風花の許へと向かう天使を成す術もなく見送るしかできない
神魔の声を振り切った天使は、そのまま全ての理を超越する速さを以って風花へと肉薄し、光力を纏わせた斬撃を放つ
「――はあっ!」
時空間をも斬り裂いて迫る天使の聖光の斬撃に合わせて放たれた風花の銀杭の一撃がその刃を迎え撃ち、刃の重なり合った場所で白と黒の神格が炸裂する
全てを滅ぼす意思が込められた光力と魔力は、そのすべてを無に帰す力を以ってせめぎ合い、そして一瞬の拮抗の後に霊格に勝る側が勝利する
「ぐ……っ!」
一瞬だけ拮抗したのち、漆黒の闇の力に呑み込まれた光の力と共に、大剣を携えた天使の身体が成す術もなく後方へと吹き飛ばされる
かつて光と闇の戦争において多くの敵を屠った風花の力は、この場にいる四人の中では最も強い。神魔とほぼ同等程度の力しか持たない大剣の天使では、光の力が持つ優位性を考慮に入れても、風花に及ぶべくもなかった
風花の魔力に押し負け、吹き飛ばされた天使は純白の翼を広げて空中で体勢を整えると、その力の差を身を以って痛感し、唇を噛みしめる
「おの、れ……!」
明確な力の差が自身と風花の間に隔たっていることを否応なく痛感した天使は、苦々しげに歯噛みするとその翼に収束した光力を無数の流星へと変えて放つ
純白の翼から放たれた聖なる輝きを纏う流星群は、天使の意思を受けて不規則な軌道を描きながら標的に向かって自在に天を翔ける
「そんなもの――っ!」
天使が放った聖星群を視認した風花は、それを迎撃しようと意識を集中させ、そして次の瞬間思わず息を呑む
天使が放った光星の群は空中でさらに分裂し、その数を幾千、幾億の者へと変え、さらにその軌道を四つに分断していた
「これは……!」
「私たちも纏めて!?」
知覚によって、流星群を作り出す光力の軌道を予知した風花が目を瞠ると同時、同様に標的にされたことを感じ取った神魔、呉葉、紗茅は、各々相対する天使たちから意識を逸らすことなく迫りくる光星へと視線を向ける
「――必然ね。過激派にとっては、姉さんへの報復なんて戦う理由の一つに過ぎない。そもそも彼らの目的は私たちの殲滅なのだから」
流星群を放った天使には、風花を殺すに足りる私怨がある。しかしそれ以上に、彼はここにいる天使たち――過激派と呼ばれる勢力に属する者だ。
つまり、彼にとって、私怨があろうとなかろうと、今刃を交えている神魔達を含めたすべての悪魔、闇の存在は、その力を向けるに足る敵でもある
「――けど」
自分たちに向かって走る光力の流星群を知覚しながら、独白した呉葉の声が聞こえていたかのように、眼前の天使と刃を併せる神魔は動じた様子も見せずにその身体から漆黒の魔力を放出する
「それは」
「私たちも同じよ!」
神魔が魔力を解放したのを合図にするかのように、紗茅、呉葉もまたその力を解き放ち、四つの魔力が極大の破壊を引き起こす
過激派の天使たちがその信念と正義を以って自分たちを滅ぼそうとするように、神魔たちもまた、生きるために自らを害する存在を排除する権利がある
「はあああっ!!」
大槍刀の一閃と共に破滅の闇が世界を飲み込み、銀杭の一振りが暗黒の渦嵐を生じさせる。漆黒を纏う紅鞭が神速で宙空を駆け巡ったかと思えば、薙刀の斬閃が織り紡ぐ闇流が竜のごとく天に舞い踊る
神魔、風花、呉葉、紗茅――長い年月を共に過ごし、その力を十分に把握している四人は、互いの力を信じ、自分に迫る聖なる脅威の排除にすべての力を向けることができる
「――ぐッ!」
融合や共鳴することはなくとも、四人から放たれた魔力はまるで一つの家族のように暗黒の破滅を世界に顕現させ、周囲を飛び交う天使達ごと無数の流星をその闇に呑み込む
強大な四つの魔力の力に、知覚を焼くような感覚を覚えた天使たちはその暗黒の発生源である四人の悪魔を睨み付ける
「なめるなよ……!」
神能で構築された身体をも相殺してしまうのではないかと思われるほどの力をもって渦巻く魔力の暗黒に晒される天使たちは、それを振り払うようにその身体から光力を放出する
この世で最も神に近い聖なる光を放出した天使たちは、その輝きで猛威を振るう破壊の闇の脅威を振り払うと、各々がその力を収束していく
「我らの光で、貴様らの闇を残さず浄化してくれる!」
武器に纏わせる者、その翼や腕に収束させる者、極大の光球として具現化させる者――誇りと信念の下、全霊の光力を解放した天使たちは、そうして顕在化させた光力を神魔たちがしたのと同様に滅びを振りまく破壊の闇に向けて一気に解放する
天使たちが放った光力は、極大の斬撃波、極光の砲撃となって深淵よりもなお暗い魔力の闇へと一直線に降り注ぐ
天使たちが放った闇を払い、魔を滅ぼす聖なる光の極撃は、神魔たちが生み出した滅びの闇へと突き刺さり、その神性と浄化の特性を以って魔力の波動を相殺していく
全方位から撃ち込まれた光が、漆黒の闇を浄滅させ、臨界を超えた二つの力は、対消滅しながら世界そのものを震わせんばかりの極大の爆発を生じさせる
それが神能によるものでなければ、確実に世界が消し飛んでいたであろう聖魔の破壊の力は、そこに込められた純然たる意志のみを世界に顕現させ、魔界の大地を粉砕し、土ぼこりを天上へと舞い上げていく
「――っ!」
視界と知覚を焼き尽くす破壊の波動を見据えていた天使たちは、次の瞬間、聖魔の爆発の中から出現した影に目を瞠り、咄嗟に武器を構える
「はああっ!」
その瞬間、聖魔の対消滅の爆縮を振り払った神魔、風花、呉葉、紗茅の三人は、空中に佇んでいた天使に渾身の一撃を撃ち込む
反射的にそれを武器で防いだ天使たちだったが、その力に押し負け、純白の羽を空中に舞い散らせながらはるか彼方へと吹き飛ばされる
「おのれ……!」
神魔たちの斬撃によって吹き飛ばされた天使たちは、純白の翼を広げて体勢を整えると歯を食いしばりながら、軽度の損傷を受けている程度の神魔たちを見据える
「――釈迦に説法かもしれませんが、正当な理由があろうとなかろうと、人に殺意を向けるということはそれを理由に殺される覚悟があるということです」
銀杭の切っ先を向けた風花は、自分の仇という天使に「わかりますね?」と問いかけるように、静かなその瞳に純然たる殺意を宿して語りかける
彼ら天使には、個人的な理由にしろ、大義にしろ自分たちを殺す理由がある。しかし、だからと言って自分が殺されるのも、妹や大切な人が殺されることも許容することはできない。
誰かを殺すことは、自分に向けられる正義の報復も力を以って否定する覚悟を持つということ。――故に風花は、一切の動揺も見せることなく静かにその殺意を研ぎ澄ます
「貴様――」
風花の言葉に苛立ちを隠しきれない天使達が再度攻撃を仕掛けようとした瞬間、はるか天空に世界を繋ぐ門が開く
「――っ!」
(この光力は……)
それと同時、天空に出現した時空の門の先から発せられる光力を知覚した神魔、風花、呉葉、紗茅は、その力に思わず目を瞠る
(こいつ、ヤバい――!)
世界を繋ぐ門の先に知覚できる光力が、ここにいる天使たちとは一線を画す圧倒的なものであることを否応なく感じ取っている神魔たちは、本能が鳴らす生命の危機を感じる警告に身を強張らせる
「何を手間取っている」
その場にいる全員が見上げる中、天空に出現した時空の門から出現した天使が、抑制の効いた言葉と共に冷ややかな視線を向ける
そこに出現したのは、腰まで届く金白色の髪を持つ八枚翼の天使。輝くような髪に純白の翼を携えた天使は、まるで輝いているかの如く神々しい存在感を放っている
天から戦場を見下ろすその視線は一転の曇りもなく澄み切っており、神聖な殺意をもって神魔たちを睥睨していた
「レイラム様」
突如出現し、その神々しい存在感で悪魔はおろか、天使たちさえも威圧する天使に、過激派の天使たちが崇拝と畏怖の入り混じった声を送る
「――っ!」
突如天空から出現した天使――レイラムの名が呼ばれると、それを聞いた神魔たちは驚愕に目を瞠る
(レイラム!? 彼が、過激派の天使筆頭として名高い、あの――)
天使レイラムは、魔界や闇の世界ではよく知られた名だ。光に満たされた世界を体現するため、自分たちの王にすら背を向けた過激派のリーダー的存在の一人であり、その実力は天界最強の天使「四聖」にすら匹敵すると言われている人物だ
その強すぎるほどの聖理感とその身に備えた圧倒的な実力から、光、闇どちらの世界において最も警戒されている天使の一人として知られている
(そんな大物がなんで――)
「お前たちが自分たちでできるというから任せたのだ。あまり私を待たせるな」
「も、申し訳ありません」
天使の中でも限りなく最強に近い天使を前に、動揺と恐怖を隠しきれない神魔たちの眼前で、過激派の天使たちはレイラムに恭しく首を垂れる
いつまでも標的を殺しきれない同胞の天使たちに、わずかな苛立ちを向けたレイラムは、その視線を逸らすとその手の中に自身の武器――純白の大槍刀を顕在化させる
「もうよい。後は私がやる――それで、どいつだ?」
元々期待をしていたわけでもない。だからと言って失望したわけでもない。ただ淡々とその事実だけを理解し、自身が直接手を下すことを宣言したレイラムの言葉に、天使たちは自身の力不足を悔いるように唇を引き結んで首を垂れる
「はっ、あの女が風花です」
恭しく首を垂れた天使の言葉に、その視線を銀杭を手にして佇む風花へと向けたレイラムは、その姿に視線を向け、不快げに眉をひそめる
「そうか――あいつが、妹の仇か」
「っ!?」
そうレイラムが瞬間、その姿が消失し、一瞬さえも存在しないほどの時間でその純白の聖身が風花に肉薄する
「風花!」
風花さえも完全に反応できないほどの速さで間合いに入り込んだレイラムをかろうじて知覚した神魔は、驚愕と戦慄に突き動かされるように声を発する
全霊命の力は、そのままその存在を構築する神能の力。神魔たちが誰一人その動きを完全に知覚できなかったということは、レイラムとの間にそれだけの力――神格の差が
存在するということを証明していた
しかし、そんな神魔をあざ笑うかのように、レイラムの手に携えられた大槍刀が閃き、全ての闇を払うかのごとく神聖で神々しい光力を纏った白の斬軌を世界に描き出す
同時に舞い上がるのは真紅の炎。形を失い、世界に溶けていく神能が見せる血炎が白の斬閃と絡み合って時が止まっているのではないかと思われるほどの静寂を作り出す
「くっ……」
その声に苦悶の表情を浮かべたのは、自身が天使の聖刃の餌食になったと覚悟した風花――ではなく、その危機に弾かれたように反応し、咄嗟にその身体を割り込ませた神魔だった
「神魔!」
「お兄さんっ!」
庇われた風花と呉葉、紗茅が、聖刃に肩口から袈裟懸けに斬り裂かれた神魔に声を上げ、レイラムは自身の視界に舞う真紅の血炎を表情一つ変えずに見据え、次の攻撃へと移行する
風花を半ば突き飛ばすようにして割り込んだ神魔は、自身の体勢をコントロールし、必要最低限のダメージに抑えている。無論、決して浅くはない傷だが、この一撃では命を確実に刈り取るには至らないと判断したレイラムは、その刃を以って神魔と風花をもろともに斬り裂かんと刃を閃かせる
「――っ!」
しかしその瞬間、横から伸びてきた真紅の鞭がレイラムの大槍刀の刀身を絡めとり、その斬撃を一瞬止める
「小癪な」
自身の武器を絡めとられたレイラムは、その真紅の鞭を持つ女――呉葉を一瞥して不快げに眉をひそめると、神魔と風花に向けて収束した光力を放とうとする
「姉さん!」
「よくも……」
全ての闇を払い、魔なる物を滅ぼす神聖にして強大な光力が収束し、一瞬さえも必要としないほどの速さで放たれようとしたその瞬間、傷ついた神魔を抱き留めた風花が愛する人を傷つけられた怒りに任せ、手にしていた銀杭を渾身の魔力と共にレイラムに向けて投擲する
「よくも神魔を!」
距離を取るために神魔を抱えたまま後方に移動する風花が放った魔の闇を帯びた銀杭は、巨大な黒矢となって神速で世界を貫き、元々斬撃のために間合いに接近していたレイラムへと肉迫する
風花が放った銀杭は、至近距離でレイラムの光力砲と激突し、そこに込められた一転の曇りもない滅殺の意思のままにその力を炸裂させる
その瞬間生じた破壊の力は、空間そのものを飲み込まんばかりに拡大し、そこに込められた互いに向けあう破壊の意思だけが世界に事象として顕現し、大地を砕き、天を捻じ曲げていく
魔力や光力といった神能そのものではなく、そこに込められた意思が生み出す破壊の力を宿した衝撃波と閃光がその場にいた全員を飲み込む
風花とレイラムの力によって生じた破壊の波動に、誰しもが目をわずかに表情をしかめるが、それはその身へと叩き付けられる衝撃波や世界を焼く光によるものではなく、そこに込められた二つの神能の強大さによるものだ
しかし、いかに風花といえど、現在存在する天使の中でも指折りの実力を持つレイラムが相手では分の悪さを否めない。事実、炸裂した力の本流からその拮抗を打ち破ったレイラムの純白の波動だけが天へと突き抜けていく
自分たちよりも格上の存在が放つ神能の強大な力に、敵味方問わずにその表情を強張らせる中、当時者たちだけはすでに次の行動を開始していた
(……手応えはなし。自分の魔力の残滓を目晦ましにして逃げる気だな)
自身の光力波動が風花を仕留めていないことを知覚で感じ取っているレイラムは、微塵の油断も隙もなく白の大槍刀からさらに追撃の流星を放つ
相手の存在の力を識る知覚能力がある以上、全霊命から逃れるのは容易なことではない。実力に差があれば尚のことだ。
だが、現状の力の差、戦力差を鑑みれば風花たちには撤退が最も有効な手段であることに疑う余地はない。これだけ派手に力を使った以上、時間さえ稼ぐことができれば、この場に魔界の実力者たちがやってくるだろう
(魔界からの救援を待つだろうが、そうはさせん)
いかにレイラムといえど、世界に名を轟かせるような悪魔たちが来れば相当に分が悪い。そのようなことになる前に風花を屠るべく容赦ない追撃を放つ
自分たちが逃げおおせるために、自身の魔力を残滓として世界に刻み付けた風花の策を見抜き、それごと風花達を浄滅すべく放たれた幾億幾千の白流星群は、縦横無尽に空間を駆け巡り、まるで天に瞬く星々に包み込まれたかのような神秘的かつ幻想的な光景を作り出す
自身の放った流星によって空間を白へと塗り潰したレイラムは、妹たちと共に爆発の余波に紛れてこの場を離れていく風花を確実に知覚する
「捉えた。逃がすものか――ッ!?」
周囲の天使たちから逃れるため、限界まで魔力を抑えて離れていく風花達を捉えたレイラムは、そこへ向かって攻撃を放とうとして、同時に目を瞠る
魔力を抑えた状態で逃走を図る風花たちの方へと身体を向けたレイラムの視界に、自身の首を斬り落とさんと刃を向けて空中に固定されていた漆黒の大槍刀が映ったのだ
「――っ!」
(そうか、あの爆発に紛れて残しておいたのか……!)
自身と風花の攻撃によって生じた爆発の最中、神魔が残していった大槍刀を見止めたレイラムは反射的にその刃を振りぬいてそれを弾き飛ばす
「小癪な真似を……!」
弾き飛ばされた黒の大槍刀がその形を失い、魔力の残滓となって世界に溶けていくのを横目で見送りながら、レイラムは風花たちが去った方を睨み付けて苦々しげに吐き捨てる
「レイラム様」
「奴らは逃げた。――そう遠くへは行っていないはずだ」
忌々しげに発せられてレイラムの言葉でその言わんとしていることを理解した天使たちは、視線を見合わせて誰からともなく声をあげる
「追え!」
全霊命の知覚から逃れるということは、通常時無意識に除外している一定以下に力を抑制することを意味している
しかしそのような状態では満足に神能の力を振るうことは叶わない。かといって下手に力を出せばレイラムに気付かれ、そうなれば力の差を考慮に入れても追いつかれ、命を奪われてしまう可能性が高まる
光や時間を超越する神速と強力な知覚能力、加えてその気になれば超広範囲への攻撃が可能な全霊命にとって逃走など時間稼ぎでしかない。
魔界の援軍が来るまで時間を稼ぐ風花達の思惑を理解した天使たちは、その標的を逃すまいと純白の翼を広げ、雄大な自然に抱かれた魔界の空にその白い羽を舞い躍らせて翔けだして行くのだった