世界に満ちる不協和音《ディスコード》
妖界城の乱戦をすり抜けた十世界の妖怪を束ねる男――クラムハイドは、歓喜と高揚に胸を高鳴らせ、神速で飛翔しながら、妖界城へと近づいていた
「――っ!」
その瞬間、クラムハイドの視界と知覚を、自身に向かって飛来する強大にして巨大な妖力の斬撃が埋め尽くす
まるで世界を遮るカーテンの如く、世界を切り裂いた極大の力の波動を月光を閉ざした薔薇花弁を思わせる妖力を纏わせたレイピアの一閃で恥じたクラムハイドは、妖界城の屋上に立ち、身の丈にも及ぶ巨大な斧槍を担ぐ褐色の肌の大男を見据える
「お前か」
「ここから先は行かせん」
微笑の仮面の下に冷酷な意志を隠したクラムハイドの視線を受けた大男――妖界三巨頭の一人である乱世は、その姿を見据えて大山の如き不動の威圧感を以ってその姿を見据える
「邪魔をするな」
乱世と視線を交錯させたクラムハイドは、静かに言い放つと同時に一切の助走や加速をせず最高速へと到達してその刃を乱世に向かって振るう
しかしその刃は乱世に届く前にその巨大な斧槍の刃によって弾かれ、間髪入れずに放たれた拳から放たれた妖力の衝撃が、鼓舞しその者を回避したクラムハイドを捉えて天を穿つ
「――っ、相変わらずの馬鹿力だな」
魂の髄まで揺るがすような圧倒的な力に全身を叩かれ、戦慄の入り混じった笑みを浮かべたクラムハイドの視線を受けた乱世はその巨大な斧槍を一閃し、それが巻き起こした衝撃で一体を薙ぎ払う
「黙れ、もはや交わす言葉はない。貴様が世界へ牙を向くのなら、我が刃でそれを完膚なきまでにへし折るまでだ」
抑制された声の中に煮えたぎる煉獄の怒りを宿した乱世の身体から噴き上がった劫火の如き妖力の波動が、まるで炎で焼かれるような威圧感とそれに伴う危機感をクラムハイドの心身に刻みつける
「こうして敵として対峙するのは初めての事だな……乱世」
魂すらも焼き尽くさんばかりの煉獄の姿をした妖力を纏う乱世に、畏怖と敵意の入り混じった視線を向けたクラムハイドは、自身の妖力を解放して破壊の化身と化したかつての同胞を見据える
九世界で最も変異性に富んだ神能――それが、この世界、妖界を統べる全霊命である妖怪の力だ。
しかし、最も変質性に富んでいるからといって、誰もがその力を持っている訳ではない。例えば「特異型」と呼ばれる特殊な形状の武器を九世界で最も顕現しやすい種族である妖怪だが、その割合は全体の二割ほど。そして特異な妖力性質を有しているのもおおよそその程度だ。
また、萼や李仙といった者達が有している妖力特性も、他の神能が有している破壊や追尾といった特性を常態的に顕現させる特徴があると言った方が適切なものでしかなく、神や異端神の持つ〝能力〟とは大きくかけ離れている
天使や悪魔といった他の種族が、特異型武器、異質な特性を有する確率が全体の一パーセントを大きく割り込んでいる事を考えれば、その数字は驚異的だ。だが、やはりこれと言って特殊な力を持たない妖怪の方が、全体の多くの割合を占めている。――そして、乱世もまたそんな妖怪の一人だ
(乱世には取り立てて目立った特性などはない。――だが、そんな事は奴の前では何の意味もない事だ)
同じ三十六真祖として、そして三巨頭として何度もその力を目の当たりにし、共に戦場をかけた事もある乱世の力をクラムハイドは誰よりも知っていた
乱世の強さは、何の変哲もないただの生まれ持った強さだ。妖力そのものの神格の高さ、強大な力、命を削り合う戦いの中で研鑽されたその力は、煉獄の炎を彷彿とさせる妖力の姿を除けば極一般的なそれだ。
かつては味方として振るわれていたその力が自分に向けられている事に、クラムハイドは自分が確かに恐怖と戦慄、畏怖を覚えている事を自覚していた
(――だが、こいつを倒さなければ妖界王には辿りつけない)
自身の手に携えた血色の刃のレイピアの柄を強く握りしめ、薔薇花弁を思わせる己の妖力を解放してクラムハイドが眼前に佇む乱世を見据える
クラムハイドの目的はあくまでも妖界王・虚空。その腹心の一人であるこの男を倒せないようでは到底その目的を成し遂げる事など出来ない。――その強い視線を受けた乱世は、先の宣告の通り、言葉ではなく力で答える
「オオオオッ!!!」
煉獄の炎の如き妖力を纏わせた斧槍を咆哮と共に一閃した乱世は、かつて盟友であり共に戦場を駆け、世界を守るために戦った男へと何の迷いもなくその力を解放する
「――超えさせてもらうぞ、乱世!」
自身の眼前に迫る極大の天壌の炎の如き力を前に、クラムハイドは自身の妖力を纏わせたレイピアを一閃するのだった
世界を滅ぼすほどの強大な力が吹き荒れる中、そそくさと距離を取って避難していた現三巨頭の一人である妖怪――法魚は、乱世とクラムハイドの妖力がぶつかり合っているのを知覚してわざとらしく肩を竦めて独白する
「……さっさと決着を付けてもらわないと、乱世が妖界城を破壊しかねないわね」
乱世の心配ではなく、妖界城の心配をして風に束ねた髪を揺らす法魚の背後に、妖界の妖怪達の包囲網を抜けた妖怪の一人が大きく弧を描いた剣を携えて神速で肉迫する
「もらったぁ!!」
完全に隙を衝いて放たれた妖怪の一閃。しかし、その刃は法魚の掌の中に生じた立方体の形状をした武器によって阻まれる
「残念」
不意を衝いて肉迫してきた妖怪の一閃を造作もなく阻んでみせた法魚の笑みを受けた妖怪の男は、しかし逆に不敵な笑みを刻む
「――そっちがな」
その様子を見て、法魚が訝しげに眉をひそめた瞬間、その小さな身体の中心を灼熱の傷みが突き抜ける
「なっ……!?」
突如身体に加えられた衝撃に目を瞠った法魚が視線を向けると、先ほど自分が攻撃を防いだはずの妖怪と全く同じ外見をした妖怪が手にした剣で背後から自分の胸を貫いている姿だった
「驚いたか?」
驚愕に目を瞠る法魚が動く前に、最初に攻撃を繰り出した側の妖怪が剣を一閃させ、立方体の箱型武器を持つ細い腕を斬り落とす
「――っ」
腕を斬り飛ばされた法魚が苦悶に表情をしかめたのを一瞥し、全く同じ外見をした二人の妖怪は、その姿を冷酷な目で睥睨しながら二人で一つの言葉を向ける
「俺達は双子の妖怪でな」
「よっぽど意識しないと、区別がつかないほど妖力が似てるんだよ」
視線を交錯させ、そう言い放った双子の妖怪はその手に携えた剣で容赦なく法魚の胸の中心を穿つ
存在を形取る魂の力――全霊命でいう神能は個人ごとにその性質が全く異なり、仮に全霊命のクローンを作る事ができたとしてもその性質が等しくなる事はない。
だがこの双子の悪魔は、一卵性双生児としてこの世に生を受け、まるで一つの妖力を二人で分けたかのように、ほとんど誤差の無い妖力を有している。
九世界的に見ても極めて希少な極似妖力は、よほど知覚をこらさねば見分ける事が出来ず、二人の妖怪を一人と知覚してしまうのだ
「あら、本当。確かにほとんど妖力の誤差がないわね。これでは一人分と間違えてもしょうがないわ」
法魚の華奢な身体を二人で貫いた二人の双子妖怪が勝利を確信した瞬間、その刃に胸の中心を穿たれた少女にしか見えない真祖が感嘆の声と共に二人を見比べる
「――なっ!?」
「なんで、なんで、胸の中心を貫かれて平然としていやがる!?」
事も無げに言葉を発した法魚を前に、さしもの双子妖怪も驚愕を禁じ得ない様子で感情のままに声を上げる
確かに妖怪は九世界の中で最も生命力の高い種族であり、天使や悪魔と比べても死ににくいのは間違いない。しかし、かといって全く死なないという訳ではないのだ。
この世界では霊的に高度な存在であるほど、その体内は完全な左右対称になっている。必然的に神能そのもので構築されている全霊命の身体も、胸の中心にある存在そのもの――「核」を中心に左右対称の力の流れを以って構築されている
頭、首、胸の中心に霊的にある心臓。――それは、この世において最強の存在である全霊命の確かな弱点なのだ
「く、そ……っ!!」
命の源そのものである核を、破壊の力を纏わせた妖力の刃で確実に穿ったにも関わらず、命を落とすどころか弱った気配さえ見せない法魚に本能的な恐怖を覚えた双子の妖怪は、まるで示し合わせたかのようにその頭を貫き、首と胴を一瞬にして斬り分ける
いかに生命力が強い妖怪であろうと、頭、首、心臓、三つの弱点を一斉に潰されれば確実に命を落とす。胴と切り分けられた頭を見て、先ほどの恐怖を払拭した双子の妖怪たちに、首だけとなった法魚がその眼を見開いて、優しい笑みを浮かべる
「そんなに怖がらないでちょうだいな」
首だけになったはずの法魚からまるで挨拶を交わすかのような軽い言葉を向けられた瞬間、双子の妖怪は恐怖に駆られてその首を投げ飛ばし、半狂乱で声を荒げる
「な、何なんだよ、お前!? 何で死なないんだ!」
全く同じタイミングで全く同じ言葉を述べた双子の妖怪を首だけになって見つめていた法魚は、一瞬の沈黙を置いて淑女然とした微笑を浮かべる
「……その台詞を二人同時に言われると、なんだか滑稽に聞こえるわね」
恐怖に駆られて身を震わせる双子の妖怪を見てあざ笑う法魚の言葉を聞いた瞬間、二人は全く同じ行動に移る
「消えろ!」
自身の妖力を破壊の波動に変え、首と胴に別れた法魚に向かって解放した双子の妖怪は、それが命中して爆発を起こしてもその手を緩めることなく破壊の力を放ち続ける
「消えろ! 消えろ! 消えろ! 消えろ! 消えろ!!」
恐怖を排除する事を求める双子の心を映し、対象を破壊するためだけの力を得た妖力の弾が神速で生み出されては放たれ、一瞬の間もないほどの破壊の弾幕が降り注ぐ
爆発が連鎖し、破壊の力が一点で渦巻く己たちの妖力の破壊を見た双子の妖怪は、天高く掲げた両の手の中に渾身の力を込めた力を収束し、極大の砲撃として解放する
「オオオオオオオオオオオッ!!!」
恐怖を吹き消すように怒号の如き咆哮と共に放たれた破壊の力が炸裂し、その意志のままにあらゆるものを滅ぼす事象を顕現させる
二人の渾身の力が込められた妖力砲によって生じた爆発は、対象のみを破壊する結果を顕現させたまま炸裂し、そこに込められた破壊の神格を有す意志だけが現象として物理的な破壊の余波を生み出して渦巻く
「これなら、どうだ……?」
眼下で渦を巻き、時空すら歪めるほどの破壊の意志を生じたさせたそこを見据える双子は、法魚が滅びている事を心の底から祈りながら、視線を送る
無限の力を有している全霊命は疲労せず、力が枯渇する事はない。呼吸が乱れる時は心身に神能による損傷を受け、弱体化している時のみ。力が枯渇するのは命を落とした時だけだ
疲労を知らない身体で、しかしその魂をこれ以上ないほどに疲弊させて眼下を見据える双子の妖怪は、その中にある妖力を知覚して恐怖に目を見開く
「あらあら、随分な怯えようね。私、傷ついちゃうわ」
恐怖に顔をひきつらせて半歩後ずさる双子の妖怪を一瞥し、身体の大半を破壊されて失っている法魚は、まるで何事もなかったかのように淑女の笑みを浮かべる
「何でお前は生きて……いや、それ以前に、何でお前血が出てないんだよ!?」
この世のものではありえない光景に戦々恐々とした双子の妖怪は、その姿の決定的な異常に気づき、声を張り上げる
恐怖のあまり失念していたが――否、あまりにも自然な事に意識さえ向いていなかったために気づいていなかったが、眼前に立つ法魚からは全霊命の血――血炎が上がっていない。
頭と胸を穿たれ、首と胴を切り離され、体中を破壊の力で砕かれながらも生命活動を行い、しかも血の一滴も流していない。――それはまるで二人にとってこの世の悪夢そのものだった
その双子の言葉を受けた法魚は、まるで子供が戯れる様を見守る母親のような笑みを浮かべると、頭の半分以上を失ったその姿で恐怖に竦む二人の敵に微笑みかける
「あら、妖界城を攻めようというのに、三巨頭の妖力特性も調べないなんて不用意にも程があるんじゃない?」
(……調べなかったんじゃない、分からなかったんだ!!)
法魚の言葉を受けた双子の妖怪は、愉快そうなその表情を見て苦々しげに顔を歪めて心の中で全く同じ言葉を吐き捨てる
法魚の妖力特性は、同じ三十六真祖の中でさえほとんど知っている者がおらず、無論クラムハイドも例外ではない。
あどけない少女のような外見をしてこそいるが、真祖の中では最古参の部類に入る法魚には他者を謀って楽しむという悪癖がある。仲間にさえ面白半分で特性を隠し、本心を隠し、手玉に取って弄ぶ――故に、法魚は影でこう囁かれている
――『女狐』。
「うふふ、じゃあここまで来れたご褒美に私の妖力特性を教えてあげる」
そんな事を全て知り尽くした上で、法魚は苦々しげに表情を歪めている双子の妖怪に満面の笑みを向ける
「私、不死身なの」
「なっ……!?」
法魚の口から発せられたその言葉に双子の妖怪が目を見開いた瞬間、二人の周囲に漆黒の壁が出現する
「しまっ……」
それが内側に剣が無数に付いた箱――法魚の攻撃だと気づいた時には既に手遅れ。四方を取り囲み、逃げ場を塞いだ漆黒の箱は重厚な金属質の音と共に閉じ、その内側に捉えた二人の妖怪の命を奪う
「――まあ、もちろん嘘なのだけれどね」
手の中に漆黒の立方体――キューブを手にした法魚は、全く傷がついていない身体で微笑を浮かべ、その箱に視線を落とす
「『箱庭世界』。私の特異型武器の中の世界はいかがだったかしら? 随分と粋がっていたようだけれど、あなた達は文字通り私の手の内にいたのよ」
手の平の浮かぶ立方体の武器を見る法魚は、その幼い容姿からは想像もできないほどに冷酷な笑みを浮かべ、静かに目を伏せる
全霊命の力である神能は、力の及ぶ限り、世界を自らの思うがままに改変し、望むとおりの事象を引き起こす力。法則も、理もその全てを無視し、破棄して作り出した事象はこの世のあまねくそれを超越する
そして、法魚の妖力特性は、そんな力を強く顕在化したものと言える。箱の形状をした特異型武器――「箱庭世界」は、その内側に法魚が望んだままの世界を作り出し、そこに捉えた者を偽りの世界の中に閉じ込め、命を奪う力を持つ。
法魚の妖力で作られたもう一つの異空間は全て実像と等しい幻。双子の妖怪達が殺していたのは、法魚が作り出した法魚と寸分違わぬ影。――故に、それを殺す手段など存在しない
無論、制限や限界、制約は存在する。意識すればそれが偽りの世界だったと気づけたかも知れない。だが双子の妖怪は、自分達の勝利を確信していたが故に、それを崩された動揺で冷静に世界の歪みに気づく事が出来なかった――無論、それも全て法魚の掌の上の事だが。
「けれど……」
手の平の中にある立方体型の武器から視線を離した法魚が浮かない表情で見つめる先には、妖界城に向かって流れてくる膨大な数の十世界の妖怪たちが映っている
「随分、こちらに流れてきたわね」
ゼーレを始め、既に何人か真祖が戦いに加わっているはずだが、十世界の妖怪達はなんといっても数が多く、複数人で真祖や実力者を囲い、時間を稼ぐような戦術を取ってきている
いかに強大な力を持つ真祖でも、乱戦になれば同士討ちを避けるために極大範囲を攻撃するような事は難しくなる。十世界もそれを分かっているために、妖界側が乱戦状態を作るように、真祖の中でも屈指の破壊力を有す恋依を用いている
「……恋依を囮にしていたのね。こんな単純な餌にまんまと釣られるなんて、我ながら耄碌したものだわ」
クラムハイドの思惑を読み取って自分自身に辟易した独白した法魚は、視界を埋め尽くす膨大な数の妖怪達を一瞥してその目に剣呑な光を灯す
元々全霊命というのは、事象と現象を超越する圧倒的な力を有しているために、大半の物事を力任せに解決する傾向がある
突出した力を持つ一人がいれば、生半可な戦術や人数差など力任せにねじ伏せて、いくらでも戦況をひっくり返してしまえるために、世界は力ある者を優遇している。
故に妖界に限らず、全霊命世界では、中枢の城に常時控えているのは、実力のある限られた人数だけだ。力ない者ではどれだけ数を束ねてもその一人の前に屈してしまうのだから、必然と言えば必然だが、強大な力を持つ存在――恋依のような存在がいるとそれが裏目に出てしまう
「……やれやれ、あまり総力戦のような事は避けたいのだけれど」
その力故に衣食住を全く必要としない全霊命が統べる世界は、「軍界王政」とよばれる、世界全ての民が世界の軍に所属する兵士という制度を採用している。
普段は必要最低限の人数で世界を運営しているが、戦争のような時には王の顕現を以ってそれらを招集し、世界という単位の軍隊として戦う事になる
場合によってはその権限を発動させ、妖界の総力を以って十世界の叛乱を鎮圧し、殲滅しなければならない――対世界の戦争以外ではほとんど使われない顕現を発動しなければならない可能性も考慮し、法魚は辟易とした様子でため息をつくのだった
その頃、妖界城から遠く離れた巨大な大地の裂け目――妖牙の谷では、十世界の使者たちと、この地で神器を守護する玉章の一族による激しい戦いが繰り広げられていた
「……矛津!」
その美貌に凛々しい戦意を宿した玉章の声に、その傍らを矛津が自身の武器である三又の槍を手に、天空を舞う純白の十枚翼の天使――十世界天使総督「アーウィン」に向かって神速で世界を駆ける
「はあああっ!!」
矛津の波濤の如き妖力を纏い、神速で放たれた乱撃は、しかしアーウィンが携える光の大槍刀とは別に天空から飛来した剣によって弾かれる
「――っ!」
闇に対し、圧倒的な優勢を誇る光の力を帯びた剣に弾かれた矛津は、身体を奔る聖なる傷みに顔をしかめ、十枚翼の天使とその周囲を舞う六つの剣をにらみつける
「くっ……!」
攻撃を弾かれ、聖なる力にその身を焼かれる矛津に視線を向けたアーウィンは、その手にもつ純白の柄を持つ片刃の大槍刀に己の光力を纏わせて光を超える神光の一線を放つ
しかし、その光の一閃は虚しく空を切り、斬撃を放って隙が生じたアーウィンに全方位から玉章の伴侶と子供たちが一斉に武器と妖力の攻撃を仕掛ける
「……何度やっても無駄ですよ」
それを知覚し、睥睨したアーウィンの周囲に純白の刃が踊り、十枚の翼から放たれた閃光の雨が全ての攻撃を阻み、相殺し、妖怪の家族達を光の力の下に吹き飛ばす
「お兄様!」
その様子を、はるか離れた場所で詩織を結界に守りながら見ていた棕櫚は、天空に煌めく一つ星の如き天使に視線を向けて、小さく歯噛みする
その戦場に自分がいない事をもどかしく思いながらも、己ではその力に抗う事も難しいであろう力の差を知覚して拳を握りしめる棕櫚の背後では、結界の力によってかろうじてその戦いを視認する事が出来る詩織が、息を呑んでいた
「あの人強い……!」
全霊命の結界は、その内側にいる者に対して展開者の知覚を与える力を有しているとはいえ、知覚を百パーセント共有させられる訳ではない上、棕櫚とアーウィンではかなりの力の差がある
故に棕櫚の結界の中にいる詩織には、天空で行われている玉章達の戦いはほとんど認識する事は出来ないが、その圧倒的な力だけは否応なく理解できた
「――『多現顕在者』よ」
「?」
忌々しげに唇を噛みしめる棕櫚が言い放った聞き覚えのない言葉に、詩織が訝しげに眉をひそめる
そんな詩織の反応を背中越しに感じ取った棕櫚は、アーウィンと戦う家族たちから目を離すことなく背後にいるゆりかごの世界から来た少女に説明の言葉を向ける
「全霊命の武器は、自身の戦う形が神能によって顕現した、いわば戦うための自分。だから、普通は一人に一つなの」
天空で大槍刀と六つの剣を支配して戦い、玉章達に対して圧倒的な力を見せつけるアーウィンを睨みつけながら棕櫚は説明を続ける
背後からその姿を見つめる詩織にはその表情を読み取ることはできないが、まるで自分の中には溜めておけなくなった感情を、話す事によって発散しているかのように感じられた
「けど、極稀に複数の武器を顕現させる事ができる全霊命がいるのよ。それが、『多現顕在者』。――複数の武器を同時に顕現させる者よ」
全霊命の武器は、その本心の神能が戦う形を取って顕現したもの。故にその形状は一つしかない。
ナイフなどの小型武器や暗器、投擲系の武器を顕現させる者の中には、一度に複数個の武器を出せる者がいるが、それはあくまでも同型の武器を複数個顕現させることができるだけに過ぎない。
だが、多現顕在者と呼ばれる者は、己の神能を複数種の武器として顕現させる事ができる、特異型以上に数の少ない極めて稀な存在だ。
純白の柄を持ち、煌めく刃を携えた片刃の大槍刀。そして翼を彷彿とさせる形状をした荘厳な作りをした独立駆動型の六つの剣。己の存在が形作る二種類の武器を携え、十枚の翼を有した天使は、自身を取り巻く無数の妖怪たちに静かな声で言い放つ
「『聖煌霊槍』、『熾星天剣』。――これらが私の力ですよ」
余裕を崩さず、勝利を疑っていないような表情で中性的なその顔に微笑を浮かべたアーウィンに視線を向け、矛津を己の武器である筆槍の穂で絡め取って十枚翼の天使の攻撃から守った玉章はその絶世の美貌をわずかに歪める
「想像以上に厄介ね、さすがは十世界の天使のまとめ役といった所かしら……」
十世界の天使の総督――アーウィンと、玉章の一家が戦いを繰り広げているのを傍らで観察していた、堕天使界からの来訪者、「ザフィール」は共にこの世界へやってきた堕天使「オルク」を一瞥する
「今の内に、神器を破壊するぞ」
この地に眠っていた神器の守護者である玉章達はアーウィンの対処で手が離せない。ならば、その神器を回収し、破壊する事を目的としているザフィール達にはやり易い環境が整ったという事だ
「はい」
その言葉にオルクが小さく頷き、二人の堕天使は己が放つ神格の力を必要最低限まで落とし、妖力をはじめとして、戦いの中で放出されている力を隠れ蓑に行動を始めようとした瞬間、天空から飛来した聖剣がザフィールの眼前に突き刺さる
「――っ」
自分の進行方向を阻むように狙いすまして突き刺さった剣に小さく目を瞠ったザフィールが視線を送ると、玉章一家の攻撃を捌きながら、アーウィンが二人の堕天使に冷ややかな視線を送っていた
「火事場泥棒とは感心しませんね」
「チッ……」
(気づかれていたか……!)
ザフィールと視線を交わして軽口をたたくアーウィンに、ここにいる数え切れないほどの伴侶と存在の力を共鳴させた玉章の筆槍の穂が、無数に分裂して不規則な軌道を描きながら襲い掛かる
「よそ見なんて、余裕ね!」
存在の力に色を差し、中和や強化を行う特性を持つ玉章の妖力を帯びた穂槍が、伴侶達との共鳴によって高まった自身の妖力をさらに強化し、妖しくも目を奪われるほど美しく強大な力としてアーウィンに向かう
自身に向かってくる玉章の強力な妖力を知覚したアーウィンは、その目に剣呑な光を宿し、神々しい程の輝きを放つ己の光力を纏わせた大槍刀、その意志によって制御され、独立して天を翔ける六つの刃、そして十枚の翼から放出される光力の閃光を一斉に解放し、その攻撃を迎撃、相殺して見せる
「――っ!」
闇の力に対して絶対的な優位性を有するが故に、玉章の妖力特性を完全に封殺して見せた十世界最強の天使は、小さく目を瞠っている絶世の美貌を持つ妖怪に視線を向ける
「……余裕がある訳ではありませんよ」
「っ、嫌な人ね。あなたの事は好きになれなそう」
事も無げに微笑むアーウィンの言葉に、玉章はその美貌に微笑と共に敵意と殺意を浮かべ、淑やかな声を向ける
「そうですか、あなたのような美人にそう言われると、さすがに傷つきますね」
玉章の言葉を受けて、苦笑を浮かべたアーウィンは、細めていた目に鋭く冷たい光を宿して絶世の美女から、漆黒の翼を持つ二人の堕天使――その片方を視界に収める
「ですが、それよりも私は今、傷ついているんですよ」
自身に注がれる妖怪達の澱みない殺意を受けながらも、まるで親しい人と言葉を交わすように口を開いたアーウィンは、しかしその穏やかな声音の中に確かな鋭い意志を滲ませて、ザフィールに視線を向ける
「久しぶりに再会したというのに、何の挨拶もなしですか? ザフィールさん」
「――!?」
アーウィンの言葉に、小さく目を瞠った玉章達が戦いながら視線を向け、隣にいたオルクも驚いた様子でザフィールに顔を向ける
「知り合いなんですか?」
戦場の全ての視線を一瞬だけ己の身に集めたザフィールは、オルクの問いかけにアーウィンと視線を交錯させたまま、その鋭い目に鋭い光を宿す
「……ああ」
オルクの問いかけに、アーウィンと既知の中である事を認めたザフィールだが、その瞳には懐古の念というよりも敵意に近い色が浮かんでいる
「――っ」
それを見るだけで、ザフィールとアーウィンがただならぬ関係であると容易く察する事ができたオルクは、それ以上質問を続ける事の出来ない雰囲気のその身から感じて言葉を呑みこむ
「よく似合いますよ、その黒い翼。兄と同じですね」
だが、気怖じするオルクをよそに、当事者であるアーウィンは全く気後れすることなく、玉章一家の攻撃を捌きながら、嘲っているようにも、突き離しているように感じられる言葉を向ける
「お前こそ、十世界にいるとは、堕ちたものだな。兄の仇のつもりか?」
穏やかで礼儀正しいながらも、隠しきれない敵意と棘のあるアーウィンの言葉を受けたザフィールは、それに鋭い敵意を宿した瞳で応じる
そんなザフィールの嘲るような声を受けたアーウィンは、微笑を浮かべて
「仇? 見当違いも甚だしいですね。私は、兄とあなたのお姉さんの本懐を遂げるために十世界に入ったのですよ」
その言葉に応じるように、アーウィンの周囲を独立して飛行していた六本の剣の一振りが、その切っ先をザフィールに向けて神速で飛来する
「っ!!」
輝く光力を纏い、光を超える光となって自身に飛来する剣を見たザフィールは、闇に穢れた黒光を纏わせた黒翼刃の斧槍を振るってそれを地面に叩き落とす
全霊命として間違いなく上位に位置する者達の純然たる殺意の込められた武器がぶつかり合い、概念を粉砕された力の脈動が荒れ狂って世界に溶けていく
「……っ!」
吹き荒れる極大の力の残滓を両手を交差させて凌ぐオルクは、その腕の隙間からその鋭い目に激昂を宿して天をにらみつけるザフィールの姿を見止める
「愚かな! こんな事が、二人の本懐だと!? 貴様こそ勘違いも甚だしいわ!!」
「見解の相違ですね」
ザフィールの言葉を受けたアーウィンは、その整った顔に冷笑を浮かべて、輝く光の力を斬撃の波動として解放する
「――っ!」
視界を埋め尽くす純然たる殺意の込められた輝く光の力に目を瞠ったザフィールは、渾身の力を込めた漆黒の光の斬撃をそれに向かって解放する
しかし、限りなく最強の天使に近い力を持つアーウィンの力は、光の優位性が効果を成さない堕天使の神能――光魔力でさえ力任せに押しつぶし、ザフィールをその光の中に呑み込む
「――私は、姫と志を共にし世界に調和をもたらすのです」
十枚の翼を広げ六つの剣を従えてその身に纏った力で天に燦然と輝くアーウィンは、眼下に生じた煌光の爆発を睥睨しながら厳かな声で、光爆の中に消えたザフィールに語りかける
「天使と堕天使であるが故に、愛し合う事も許されず命を奪われた兄と姉のような人を出さないためにも」
悲壮な決意をその瞳に宿して、純然たる破壊の光の暴虐を見下ろすアーウィンに、玉章はその美麗な目を細めて、己の娘の幻影を重ねる
「……っ」
妖怪の身でありながら、悪魔に想いを寄せ、あまつさえ混濁者の子を連れて帰って来た愚かな、しかし愛しい娘。
三十六真祖に名を連ね、誰よりも法を守らねばならぬ立場にありながら、間違いを正す事も、娘を守る事も出来なかった自身の無力を思い出し、紅で彩った艶やかな唇を引き結ぶ
その隙を衝いて放った筆杖の穂槍をアーウィンの大槍刀に弾かれた玉章の眼下で、光の爆発が闇の光によってかき消され、そこから大量の血炎を噴き上げたザフィールが姿を現す
「――っ!」
闇の存在が先ほどの光の一撃を受けていれば、致命的なダメージを受けていただろうが、堕天使は闇に堕ちた光の全霊命。故に、光の力の優位性を無力化する事が出来る
最低限のダメージだけを受けたザフィールは、黒光の力を纏わせた斧槍を手に、漆黒の翼をはばたかせて暗黒光の流星となってアーウィンに斬撃を叩きつける
「オオオオオッ!」
「……今のあなたを見ていると、あなたが白い翼を持っていた頃がとても懐かしく思えます」
ザフィールの黒光の斬撃を聖光を纏わせた大槍刀で造作もなく受け止めたアーウィンは、見慣れぬ黒翼を持つ姿に、かつての白い翼を持つ姿を重ねる
「ほざけ!!」
低く抑制された声と共に、ザフィールは刃を合わせて動きを封じたアーウィンに、黒翼に収束した光魔力を破壊の波動として叩きつける
黒い翼に生じた黒い太陽から放たれた極大の黒光砲が放たれた瞬間、アーウィンは同様に十枚の翼から輝く光の砲撃を放ってそれを相殺する
「無駄ですよ、あなたの無力はあなたが一番よく知っているでしょう?」
全霊命として紛れもなく上位の力を持っているザフィールに冷酷に言い放ったアーウィンは、大槍刀と独立して飛行する六つの刃で神速の光撃を放つ
「――っ!」
最強クラスの神能の力によって世界の理を超越して同時に放たれた神速の七つの斬閃。それはザフィールの事象を凌駕し、防御も回避も許さない速さでその身体を斬りつける
「ザフィールさん!」
「ぐ……ッ」
七つの斬閃に切り裂かれ、体中から血炎を噴き上げて弾き飛ばされたザフィールの目には、さらに休む事無く放たれたアーウィンの斬撃の光だけが映っていた
それが己を死へ誘う光である事を知りながらも、ザフィールにはその光が、まるで闇に閉ざされた世界に輝く一筋の光明の如く燦然と輝いて見えていた。