妖界城乱戦
自身の眼前で起きた事を一瞬把握できず、桜は先程まで共に戦っていたはずの最愛の人が消えた空間を見つめてその紫色の瞳に動揺を映す
桜にとって神魔は何よりも愛しく尊い人。自身の存在理由といってさえ、過言ではないような人物だ。その人を失えば、桜には自分だけが生きている意味を見出せない
神魔に依存している訳ではない。神魔に全てを委ねて生きている訳でもない。だがそれでも、桜にとって神魔という存在は、そしてその人に抱く何者にも代え難い愛しい想いは、桜にとって唯一無二の幸福そのものなのだ
「……神魔様」
しかし、桜の動揺と困惑は一瞬のもの。すぐにその絶世の美貌は強い意志を宿して、胸の中にある確かな温もりに戦意と生きる気力を取り戻していく
(いえ、まだ神魔様をわたくしの中に感じます。生きておられるのは間違いないはずです)
確かにこの場から神魔の魔力は完全に消失してしまっている。普通ならばその死を連想するのは間違いないだろう
だが、桜だけは――愛の契りを交わし、自身の命の内に互いの存在を共有している伴侶たる者には、神魔の存在が失われた訳ではない事を己の魂で感じ取ることができていた
「――っ!」
神魔を消し去ったクラムハイドは、時間にして一秒にも見たない間に返された桜の夜桜の魔力の反撃をレイピアの一撃で相殺し、一瞥を向ける
隔離した空間に伴侶を閉じ込めた事で、魔力共鳴は失われているが、桜の美貌には怒り――愛する人を失った怒りではなく、愛する人と引き裂いた自分への静かでありながら深く強い怒りが宿っていた
「神魔様をどうなさったのですか?」
「……意外と冷静だな。少しは取り乱すと思ったのだが」
春風のように吹き抜けていく清流のように澄んだ桜の声が、身も震えるような静かな怒りを内包してクラムハイドに向けられる
身も心も凍てつくような桜の声に、クラムハイドが微塵も動じることなくわざとらしく肩を竦めると、桜色の髪の美女から純然たる殺意に満ちた夜桜の魔力が噴き上がる
「取り乱しておりますよ――ですから、今、こうして気が立っているのです」
全霊命特有の造形の如き完全な左右対称の浮世離れした整った顔立ちの中でも、さらに一段異常優れた美貌を持つ悪魔。
その美貌を崩す事無く、しかし千年に渡る怨念すら足元にも及ばぬような深く強い感情を宿した桜を一瞥したクラムハイドは口元に小さく笑みを浮かべる
「なるほど。――やはり美人が起こると怖いな」
クラムハイドが軽口を叩いた瞬間、刹那すら越える神速で肉迫した桜の斬撃が、天を切り裂く夜天のひらめきとなって世界を切り裂く
「神魔様を返しなさい」
自身の斬撃を苦もなく受けとめたクラムハイドは、一件凪いでいる桜の中に隠れた絶対零度の怒りと底の見えない愛情という名の殺意に目を細める
「……怖い怖い。だが、今はこれ以上君にかかずらっている時間はないんだ」
「――っ」
クラムハイドがそう言った瞬間、桜は己の頭上から向かってくる妖力を知覚して、合わせていた刃を離してはるか後方へ飛び退く
その瞬間、天空から降り注いだ破壊の光が先程まで桜がいた場所を通り抜け、クラムハイドとの間に一人の女性が割って入る
「助かったよ、籠目」
着物と道着を合わせたような衣に、注連縄のような帯、そして真紅の髪をなびかせた女妖怪――籠目を一瞥したクラムハイドが微笑を浮かべる
「……ここは私に」
クラムハイドの視線を受けた籠目は、それに背を向けたまま応じると先ほどの一撃を紙一重で回避して見せた桜色の髪の悪魔に対峙し、その腕に自身の妖力を大斧として顕現させる
「ああ」
「――っ、待ちなさい!」
籠目の言葉に頷いたクラムハイドが身を翻すのを見た桜は、自身の武器である薙刀に夜桜の魔力を纏わせ、斬撃の渦嵐として放出する
まるで世界を食らい尽くさんばかりの破壊と殺傷の力が凝縮された一点の曇りもない黒と、その中を舞う鮮やかな桜色の花が美しいほどの終焉の顕現となってクラムハイドに向かって迸る
「確かに頭に血がのぼっているというのは本当かも知れないね。共鳴なしの君の魔力では、私には遠く及ばないというのに」
しかし、神魔と引き離され魔力の共鳴を失った今の桜の魔力では、全霊命として最強に限りなく近いレベルにあるクラムハイドには及ぶべくもない
血色の刃を持つレイピアに、月光を閉じ込めた薔薇花弁の如き妖力を纏わせたクラムハイドは、その細身の剣の一閃で、夜桜の渦嵐を容易く斬り伏せてみせる
「――っ!」
「よそ見とは、随分余裕だね」
クラムハイドに渾身の斬撃を容易くかき消された桜が、その美貌に険しい色を浮かべた瞬間、その上空に真紅の髪をなびかせた籠目が肉迫する
さながら煙のように立ち昇る緋色の妖力を纏わせた大斧を籠目が振り上げた瞬間、その真下から漆黒の闇の奔流が渦巻く槍となって襲いかかる
「――っ!?」
完全に意表を衝かれる形で放たれた桜の一撃に、小さく目を瞠った籠目は軽く舌打ちをして、さながら大蛇のようにうねる魔力の槍を回避する
桜の魔力が凝縮された魔力の槍が籠目の髪を掠め、その毛先を一瞬にして消滅させて天へと吸い込まれていく
「――あまり、わたくしを侮らない事です」
「……!」
激情を封じ込めた抑制の利いた声で、籠目を見据えた桜は自身の魔力が戦う形として具現化した薙刀を携えて、静かにして純然たる殺意を向ける
「申し訳ありませんが、早々にあなたを倒して神魔様を取り戻させていただきます」
淑やかに、慎ましやかに言葉を美しく紡ぎ、織りあげた桜は、そこに殺意の花を添えて夜桜の魔力を解放する
決して感情を荒げる事無く、強い激情を宿した視線で見据えてくる桜にわずかに気後れしながらも、籠目の表情には余裕の色すら宿していた
「あんたこそ、甘く見ないでくれるかい?」
「――っ!」
その言葉に桜が目を瞠った瞬間、その背後に白煙が渦を巻板かと思うと、そこから矛を携えた腕が伸び、桜の白い柔肌を掠めていく
頬に一筋の傷をつけられ、炎のような血炎を立ち昇らせた桜が態勢を整えると、さらにその周囲を白煙の渦が舞う
「……この妖力、あの時の方ですか」
周囲を舞う白煙の妖力を知覚した桜の脳裏に蘇るのは、妖牙の谷へと突如真紅の破壊光――墜天の装雷の攻撃を導いたもの。
その際の妖力を思い出し、目を細めた桜はその手に持つ薙刀に自身の妖力を纏わせ、さながら神楽を舞うように自身の武器の刃を閃かせる
「はぁっ!」
さながら月下に舞う花弁のように薙刀の刃が閃き、白煙の中から出現した矛の刃を弾いて火花を散らす。純然たる殺意に彩られた魔力と妖力の衝撃の残滓が儚くも美しい光の花を生み出し、その中で舞う桜を幻想的で神秘的な輝きで照らし出す
「……っ」
魔力の刃が白煙の中から迫る矛を弾き、次いで放出された夜桜の魔力の渦がそれを呑み込んで吹き荒れる。
それに押し出されるようにして弾き飛ばされた白煙は、空中で一つに集まり白い着物を纏った女性の姿となって籠目の隣に降り立つ
「私の妖力を正確に察知していますね……」
桜を覆った白煙は、白い女妖怪――凍女の妖力が凝縮されたもの。同じ妖力の中に同じ別人の妖力を隠す白煙は、全霊命の知覚を狂わせ、攻撃に対する反応を半瞬以上遅らせる事が出来る
桜は事も無げに阻んでいたが、それは桜の知覚能力が一般的な悪魔のそれを凌ぐ高い精度を持っているが故のことだった
「ああ、中々出来る奴だ」
白煙から姿を戻した凍女の苦々しげな言葉に、赤い髪の籠目がどこか嬉しそうな表情で応じる。双子であるため、まるで鏡に映したように同じ顔立ちをした赤と白の女性は、夜桜の魔力の中から姿を現した桜を一瞥して各々の武器を構える
「――なら、さっさと二人で片付けるとしようか!」
「はい」
大斧を構えた籠目の言葉に、矛を携えた凍女が応じる様を楚々とした表情で見つめる桜は、その知覚でこの場から離れていくクラムハイドを捉えてわずかにその柳眉を寄せる
(……先にこの二人を倒さないと、神魔様の居場所を聞き出す事もできませんね)
突然この世界から消し去られた神魔を案じながらも、目の前の赤白の女妖怪に阻まれそれを聞き出す事も適わない桜は、内心で苦々しく呟いて自身の武器である薙刀を構える
「いくよ、凍女!」
「はい」
高らかに声を上げた籠目の声に応じ、凍女から放出された白煙の妖力が、その持ち主と全く同じ形となって一斉に桜に向かって空を奔る
「――っ!」
「うらぁあああああっ!」
何人もの凍女の姿と平等に分散された妖力を知覚し、その紫色の瞳に驚愕の色を映した桜に大斧に紅煙の妖力を纏わせた籠目が肉迫する
身の丈にも及ぶ巨大な大斧が、空をも引き裂かんばかりの威力と威圧感を以って振り抜かれ、桜は光すら置き去りにされる速度で放たれたその斬閃を最小限の舞うような動きで回避し、薙刀を構える
「っ」
その瞬間、桜の薙刀の柄に分身から白煙へと形を変えて距離を詰めていた凍女の矛の刃が座標を共有する能力によって時空間を超えて統一された位相を共有して放たれる。
空間を超えて放たれた凍女の刃を薙刀の柄で受け止め、相殺した魔力と妖力が破壊の衝撃を振り撒く中、桜はその攻撃の威力をそのまま利用し、身体をしなやかに踊らせる
「――っ!」
合わせられた武器を起点とし、身を大きく逸らした桜の脇を、即座に斬軌を切り替えた籠目の大斧の刃か霞めるよううに通り過ぎていく
「ちょこまかと……っ!」
紙一重で神速の斬撃を回避した桜に、籠目はその表情を苦々しげに歪め、軽く舌打ちをすると物理法則の全てを無視して大斧の軌道を直角に変化させて桜色の髪の悪魔を追う
「逃げるんじゃねぇよ!」
籠目の咆哮に応じるように大斧に纏わされた紅煙の妖力が炸裂した瞬間、その中から妖力が凝縮された濃密な熱塊が噴き上がる
「っ!!」
まるで噴火のように籠目の妖力の中から吹き上がったマグマの如き灼熱の妖塊に見舞われた桜は、それに触れるよりも早く自身を包み込むように展開させた魔力の結界で己の身を阻む
しかし、変化はすぐに訪れる。溶岩の如き妖力を阻んでいた魔力の結界がその結合を失い、その強度を喪失していく
「なっ……!?」
(これは、わたくしの魔力を溶かして……)
溶岩の如き籠目の妖力は、接触した桜の魔力を溶解させその力を目に見える形で徐々に奪っていく。二人の神能の力がほぼ互角であるために、その力は一瞬拮抗し合いながらも確かに桜の力に対して影響を与えていく
そしてついに桜の魔力の結界を溶かした溶岩の如き妖力の欠片は、その身体に降り注ぎ霊衣と共にその身体を焼き溶かしていく
「ぁく……っ」
腕に降り注いだ熱塊の妖力に肌を焼かれ、桜の美貌が苦悶に歪む。触れたものを焼き溶かす特性を持つ籠目の妖力特性によって、魔力で構築された全霊命の身体までもが結界のように溶かされ、身を焼き溶かされる苦痛に見舞われる
だが、その痛みに戦闘を止めている暇は桜にはない。苦悶にたじろいだ桜の一瞬の隙を衝いて背後に回り込んだ凍女の矛の斬閃が放たれる
「っ!」
無数の分身が白煙となり、各々と本体との座標を繋ぐ陣の中に閉じ込められた桜は文字通り籠の中の鳥、袋の鼠。逃げ場をなくした美しい花を刈り取らんと赤と白の刃が襲いかかる
「凍女!」
籠目の声に応じ、その前方に出現した凍女の妖力体が白煙へと形を変え、その軌道を桜を取り巻く白い渦と共有させる
「おらァアアアアアアアッ!!」
「――っ!」
紅煙の中から吹き上がる熱塊の妖力を知覚した桜は、同時に白煙へと吸い込まれた白の矛の殺意を知覚してその瞳に焦燥を宿す
(この攻撃は……!)
おそらくは、全く同じタイミングで白煙を介して打ちこまれるであろう赤と白の斬撃。それぞれがほぼ同等の神格を持つが故に、万象と万理を超越する神速の斬撃でも二人の攻撃を同時に阻む事は出来ない
ダメージだけで言えば赤を防ぐべきだろうが、白を軽んじればその一撃が己の命を確実に刈り取り事を桜は正しく理解していた
(なんとか、両方同時に阻む方法を……)
瞬時に思案を巡らせるが、容易にその打開策を閃くはずもない。刹那すら存在しえない神速の中で思案を巡らせる中、桜の命を刈り取らんと赤と白の斬撃が同時に放たれる
「なっ!?」
しかし次の瞬間に驚愕に彩られた声を上げたのは、赤髪の女妖怪――籠目だった
「っ」
その手に握られた大斧はあらぬ方向へ向いており、その刃の側面には何かが激突したとおぼしき衝撃の跡がはっきりと残っている
傷こそついていないが、何者かの攻撃によって攻撃を弾かれ、逸らされた籠目はその攻撃が飛来した方向へ視線を向ける
「誰だ!」
声を荒げた籠目の視線の先に佇んでいたのは、頭の後ろで結った腰まで届く漆黒の髪をなびかせる一人の女悪魔。
その左手には細身の剣が握られており、先ほど籠目の斧をはじいた剣を手元に呼び戻した女悪魔――瑞希は、赤髪の妖怪の声など意にも介した様子見せずに、白煙の中にいる桜へ水晶のような視線を向ける
「お邪魔だったかしら?」
「……いえ」
瑞希の言葉に、小さく肩を竦めて静かに微笑んだ桜は手にした薙刀に魔力を注ぎ込んで、動きが鈍っている凍女に舞う様な斬撃を見舞う
「――っ!」
「凍女!」
夜桜の魔力を纏った薙刀の刃に跳ね上げられた凍女を一瞥して声を上げた籠目は、背後に迫った瑞希の二本の剣による斬撃を紙一重で回避する
「っ! てめぇ……!」
頬に一筋の傷をつけられ、そこから炎と見紛うばかりの全霊命特有の血――血炎を立ち昇らせた籠目の視線を受けた瑞希は、視線だけを桜に向けその氷麗な美貌に微笑を浮かべる
「……さて、初の組み合わせね。私では不服でしょうけど、我慢して頂戴」
桜が微塵も戦意を失っていない様を見て、神魔が生きているのだろうと推測した瑞希は何も訊ねる事無く、自身の武器である双剣に魔力を纏わせる
その様子を一瞥した桜は、「自分では代わりにはならないだろうけど」と暗に言う瑞希の言葉に、淑やかな笑みを返す
「いえ、よろしくお願いしたします」
天空に白と黒、光と闇が同時に入り混じる世界でも異質な力――太極の力が閃き、それを漆黒の斬撃が打ち砕く
「大貴!!」
全てを統一し、一を全に、全を一へと変える光と闇の神能を魔力の斬撃で相殺して見せた紅蓮は、この世界で唯一無二のその力を持つ自身が定めた好敵手を見据えて声を上げる
刹那すら存在しえない神速で左右非対称色の翼を持つ大貴に肉迫した紅蓮は、自身の魔力を纏わせた漆黒の剣を最上段から力任せに叩きつける
「……ったく、しつこい奴だな」
自分への戦意を隠そうともしない紅蓮の斬撃を受け止め、身体に染みついているその魔力と威力に煩わしそうな言葉を発する大貴の顔に自然と戦意に満ちた笑みが浮かぶ
戦いを求められることで、紅蓮とそして、戦意と殺意を向けられる自分という存在を認識する大貴は、自分でも信じられない程にこの命のやり取りに恐怖と高揚を覚えていることを自覚する
「ああ、俺はお前を殺して俺を証明する。お前は俺を殺してお前を証明する! それが俺達だろう!?」
「勝手に言ってろ!」
歓喜と殺意が一つとなった表情で咆哮し、魔力を波動を解き放った紅蓮の一撃を自身の力によって統一した大貴は、その力に自分の力を上乗せした斬撃の波動として放つ
紅蓮の純然たる意志と魔力を統一した太極の斬撃が時空すら消滅させる威力と時を超越する速さで世界を駆け抜け、その残滓を世界に刻みつける
「あぁ!! こうでなきゃいけねぇ!! 俺とお前の戦いは!!」
歓喜に声を打ち震わせ、憎しみも怒りも正義も信念さえもにないただ純然たる殺意に彩られた瞳で大貴を見据えた紅蓮が自身の武器である剣に魔力を纏わせた瞬間、その上空から光を貫く一撃が振り下ろされる
「――なっ!?」
「うらァ!!!」
大貴に気を取られていた紅蓮が知覚と視線を向けたのとほぼ同時、神速で肉迫していた妖怪――李仙がその武器である槌を力の限り振り下ろして緋色の髪の悪魔を捉える
「ぐっ……!?」
「りゃああああああっ!!」
魂の髄に杭を打ち込まれたような李仙の一撃に苦悶の表情を浮かべる紅蓮は、その妖力の隕石に呑み込まれて真下に打ち落とされる
「まだまだァ!」
初撃で紅蓮の身体にマーキングした李仙は、己の妖力を無数の弾丸へと変えて一斉に追撃を放つ。破壊の力が凝縮された破壊の小星があらゆる法則を無視して宙を奔る
李仙が放った無数の星は容赦なく紅蓮を捉え、破壊の力の顕現と共にその姿をさらなる破壊の渦の中へと呑み込む
「オイラ、カッチョイイッ!! あんたが美人のお姉さんだったらもっと良かったんすけどね」
「悪かったな……オイ」
自画自賛し、鼻息を荒くした李仙の視線を向け、一瞬渋い表情を浮かべた大貴だったが、すぐに低く抑制された声を発する
大貴のその声を受けた李仙はその意味するところを正確に把握し、先程まではしゃいでいたのと同一人物とは思えない鋭い視線を動かす
「しぶといっすね」
その言葉に応じるように妖力の爆発が吹き飛ばされ、血炎を立ち昇らせた紅蓮が李仙へと神速で肉迫し、怒りに満ちた目で大貴との逢瀬を邪魔した妖怪を睥睨する
「邪魔するんじゃねぇよ!! 俺の獲物はそいつだけ――」
理性と本能が一体化した純然たる殺意に彩られ、その意志を望むままに世界に顕現させた破壊の魔力が渦巻く剣の刃を振りかざした紅蓮が、それを李仙に叩きつけようとした瞬間、はるか後方から飛来した妖力の塊がその首元を貫く
その一撃を知覚し、紙一重で回避した紅蓮はそれが掠めて吹き飛ばされた霊衣の一部と血炎を上げる首筋に視線を落として忌々しげに舌打ちをする
「っ、次から次へと……っ!」
「あら、外しましたか」
ことごとく大貴との戦いを邪魔され、苛立ちを募らせる紅蓮は、自分の首を狙って攻撃を放った人物――小柄で手を隠してしまうほど長い袖の霊衣を纏った少女に視線を向ける
怒りに満ちた紅蓮の視線を受けた妖怪――弔は、それに全く動じた様子も見せずにその腕に無数の注射器を彷彿とさせる小さな矢を顕現させる
「厄血矢!」
その身体に風のような妖力を纏った小柄な妖怪の少女――弔が静かに声を発すると、袖に隠れたその腕の中から無数の注射器に似た形状の矢が出現し、それが不規則な軌道を描きながら光すら穿つほどの速さで世界を奔る
時空を貫き、まるで時空を跳躍したような速さで奔った小さな矢は、李仙の頬を掠めてその背後に迫っていた紅蓮に炸裂する
「ナイスアシストだ、弔」
「ちっ」
紅蓮を迎撃した小矢に目を戦意にぎらつかせた李仙が声を上げると、それを見ていた弔の口から小さな舌打ちが響く
「あ! お前、どさくさにまぎれてオイラにも当てようとしたな!?」
「言いがかりはよしてください。あなたじゃあるまいし、この非常時にそんなおふざけをするわけないじゃないですか」
「こっち見て言えェ!!」
明後日の方向へ視線を向けて淡々と応じる弔に、李仙が声を荒げるのその背後で、強大な魔力の奔流が渦を巻く
「くそ、が……っ、次から次へと!」
小さな無数の矢が自分に刺さる寸前に、魔力を纏わせた剣を一閃させてその一撃を弾いた紅蓮が忌々しげに声を上げる姿を一瞥し、弔がその仮面のような表情に微笑を刻む
「――っ!?」
それに気づいた紅蓮が目を見張った瞬間、注射器に似た形状の矢が砕け散り、その内側に蓄えられていたどす黒い液体のような物が空中に飛散する
「私の矢は、刺さった時と防がれた時にその真価を発揮するのですよ」
「しまっ……!」
「やっべ!」
小さく目を瞠った紅蓮の眼前で、小さな矢の中に封じ込められていた液体が光を帯びたのを見た李仙が反射的に身を翻す
刹那、その液体が炸裂し極大の爆発を引き起こす。飛び散った液体が連鎖的に反応を起こし、爆発の渦が紅蓮を呑みこんで巨大な破壊の力が一つに収束されて天を衝く
極度に脆い弔の武器であるダーツの矢は、突き刺さったり迎撃された瞬間、「爆発」の特性を持つ妖力特性に従い、極大の爆撃を相手に見舞う力がある
「えげつない、えげつない」
連鎖的に炸裂し、破壊の力が凝縮された爆発を横目にしながら李仙は、紅蓮への一抹の同情すら混じった言葉を向ける
全霊命の武器は、本人の存在の力が戦う形で顕現したもの。故に基本的には一人に一つだ。しかし、短剣や投擲具のような武器を顕在化させる者は、まれに一度に同型の武器を複数顕現させる事の出来る者も存在する弔もそんな全霊命の一人だった。
「まだ、魔力が残っていますね。確実に仕留めましょう」
抑制の利いた声で独白した弔は、爆発の渦の中に紅蓮の魔力が残っているのを知覚して、その腕の中に注射器に似た矢を顕現させる
「――っ!」
袖に隠された手で、無数のダーツを持った弔がその矢を放とうとした瞬間、それを見ていた大貴、李仙の知覚が急速に接近してくる力を知覚して警報を鳴らす
「上だ!」
「っ! 言われるまでも……っ!!」
李仙の声に、静かに応じた弔は、そのダーツの標的を紅蓮から強襲者――闇に堕ちた光の力を持つ者へと切り替える
弔の手を離れた無数の矢が光さえ穿つ神速で世界を奔り、絡み合い、離れながら不規則な軌道を描いて標的を定めた獲物――十世界に所属する堕天使・ラグナに襲いかかる
「…………」
それを一瞥したラグナが漆黒の翼を広げると、そこに無数の黒光が凝縮された玉が顕現し、それが黒光の閃光となって迸る
弧を描くような軌道で放たれた黒光の矢はまるで意志があるかのようにその軌道を収束し、やがて弔が放ったダーツの矢とぶつかり合って相殺させる
闇に堕ちたとはいえ、堕天使の神能である「光魔力」は天使の神能である光力の性質を色濃く残している。即ち、純粋な光の力である光力ほどではなくとも、闇の力に対する優位性を保有しているのだ。
その力によって、弔の爆発の特性を持った妖力を抑え込み、穢れた光によって浄化したラグナは、漆黒の翼をはばたかせて一直線に目標に向かって飛翔する
「――っ!」
攻撃を完全に相殺され、小さく目を瞠る弔の視界に映っていた堕天使ラグナは、あくまでも無機質な表情を崩す事無く自身の武器である身の丈にも及ぶ斬馬刀を手に小さな妖界の少女に肉迫する
刹那すら存在しえない速さで存在しないも同様の距離をゼロに変えたラグナは、自分より一回り以上小柄な妖怪の少女の首を狙って巨大な刃を振り抜く
「させるか!!」
世界の法則と理の全てを超越する斬撃が純然たる破壊の意志に彩られた黒光を纏う斬馬刀と共に放たれた瞬間、その一撃を横から割り込んだ光と闇の力を持つ太刀の一閃が弾き飛ばす
「……光魔神」
光と闇の力を併せ持つ力によって斬撃を弾かれたラグナは、その攻撃を繰り出してきた人物の名を呼び、広げた翼から漆黒の破壊光を放出する
「っ!」
ラグナの翼から極大の黒光砲が放たれたのを見て取った大貴は、左右非対称色の翼を広げ、自身の存在そのものである力――太極の力を解放し、その特性によって黒光の力を己の力に統一し、制御していく
(やはり、光魔力も統一できるのか……)
「オオオオオオオオッ!」
自身の光魔力が統一されていく様子を睥睨していたラグナは、大貴の持つ刀に絡みつくように渦巻く白と黒、光と闇の力が入り混じった世界唯一の力の波動を回避する
「光魔神……っ!」
光と闇を同時に持つ力と、闇に穢れた光の力。二つの力がぶつかり合うの見て、自身の武器である槌を構えた李仙と、注射器に似た小さなダーツを顕在化させた弔が援護をしようとした瞬間、二人の背後に漆黒の魔力が荒れ狂う
「オラァアアアアアッ!!」
天空に漆黒の斬軌を残し、刃を振り抜いた紅蓮は、全身に妖力の爆発で受けた傷を負い、そこから炎の如き血を燃え上がらせて二人の妖怪をにらみつける
「ったく、どんだけタフなんだよ。妖怪もびっくりだ」
「……しぶとい」
全身から怒りに満ちた魔力を放出する紅蓮から距離を取り、槌を構える李仙と完全に回避できずに肩口に小さな切り傷を付けた弔がその姿を見て独白する
「余計な真似をしやがって」
九世界の内、八つの世界を統べる八種の全霊命の中で最も生命力が高い妖怪をしてタフと言わしめた当の本人である紅蓮は、ラグナの力をも巻き込み、理性と本能と意志を等しくする完全なる破壊の意志によって制御された太極の力を回避した堕天使を一瞥して吐き捨てる
自分が好敵手と定めた大貴と戦うラグナに、それを奪われた憤りを向けた紅蓮に、当の本人である堕天使は、世界を切り裂く破壊の波動として解放された黒白の力を避けてその声に答える
「そうか、悪いな」
「……っ!」
世界を滅ぼすほどの力が凝縮された破壊の一撃を回避されたのを知覚で感じ取った大貴は、力の解放を止めると同時に、瞬時に自身の背後に向かって斬撃を放つ
刹那、大気の背後に移動してきていたラグナが振り下ろした斬馬刀の刃と大貴の刀の刃がぶつかり合い、二人の力がぶつかり合って相殺され、渦を巻いて噴き上がる
「光魔神、俺達は似ていると思わないか?」
「なに?」
普通の武器ならば確実に叩きおられているであろう遥かに巨大で重厚感のある武器を刀で受けとめる大貴は、力と力が相殺し合い火花のように散っていく様を見ながらラグナの言葉に眉をひそめる
「光と闇を持つお前と、闇に穢れた光を持つ堕天使――光と闇の狭間にあるお前は、光と闇、どちらを選ぶんだろうな」
「あいつらの事を言ってるつもりか?」
ラグナの言葉に、剣呑な光を左右非対称色の瞳に宿した大貴は黒白の力を纏った斬撃の力で斬馬刀を携えた堕天使を弾き飛ばす
光魔神と光魔力――光と闇の力を持つものと、闇に穢れた光を持つもの。決定的に違うものでありながら、その二つの存在はある意味世界において同等の意義を以って存在しているように感じられる
光と闇の二つの力を等しく持つ存在として、神魔達とクロス達、この世界で生きる相反するもののどちらに近しいのか――ラグナの問いかけに、大貴は不快感を露にして距離を取った堕天使をにらみつける
「生憎、俺はどっちつかずなんだよ。光だろうと闇だろうと関係ない。どっちも選ぶのが、俺のやり方だ!」
ラグナに切っ先を向け、静かに抑制された声で、しかしその手に携える刀のように鋭く迷いない意志で大貴は力強く言い放つ
できないと言われたからといって諦めない。自分が求めるものを手に入れるために勝利を求め、戦う事。それが、大貴が光魔神の力を得てから学んだ――否、思い出した生き方だ。
天使と悪魔、クロスと神魔どちらかを選ぶような事はしない。光と闇を等しく持つ光魔神の存在のままに、どちらとも、誰とも等しく接し、等しく信じ、等しく否定し、等しく戦う――それが、大貴の願いであり、決意であり、答えそのものだ
「――世界がそんなに優しければいいがな」
大貴の言葉に、漆黒の翼をはばたかせて飛翔したラグナは、その瞳に一抹の憂いを抱いて誰にも聞こえないように小さな声で独白すると、身の丈にも及ぶ斬馬刀を一振りして黒光の斬撃を放った
「うりゃあああああああっ!!」
歓喜と殺気が入り混じった声と共に、耳をつんざくような音を立て、無数の円盤状の刃が空中を奔る。妖力によって強化された円鋸が狙うのは四枚の翼をもった女天使――マリア
「――っ」
自身に向かって奔ってくる無数の円鋸を光力の結界で阻んだマリアは、その手に携える杖から光力を収束させた極大の破壊光を放つ
時空を歪ませる程の力で天を穿った極光の波動に狙われた女妖怪――会忌は、その身に纏った絡繰の武器から扇のような形状をした盾を顕現させ、その一撃を阻む
「無駄無駄ァ!!」
マリアの光力砲を阻んだ会忌は、「特異型」と呼ばれる特殊な形状の武器であり、武器庫として能力を持った絡繰型の武器――「花魁錦」から無数の刃を現出さえ、可憐な四枚翼の天使へとその凶刃を振り下ろす
「今度こそ、その羽を千切り取って細切れにしてやるよ!」
自分のものと絡繰の四本の腕を合わせた六本の刃が間断なく閃き、マリアはその斬乱撃を光力の結界と自身の武器である杖で防ぎながら、神速の速さで飛翔して回避する
「マリア!」
「はあああっ!!」
その様子を知覚で捉えたクロスがマリアの許へ駆け寄ろうとした瞬間、その死角から肉迫した女妖怪が巨大な鋏を広げて襲いかかる
「――っ!」
巨大な鋏の剪断音が響き、それを紙一重で回避したクロスは泡のような妖力を纏った女妖怪――ヤマセに光力を帯びた大剣の一閃を見舞う
大剣と大鋏がぶつかり合い、相殺した光と闇の力の欠片が嵐となって吹き荒れる。粘性を有したヤマセの妖力がクロスを捕らえようと吹き荒れるが、その身体を覆う神聖な力に阻まれ、触れた瞬間に消滅していく
「やっぱり、私の妖力を振り切るか!」
クロスの力の前に、自分の妖力特性が弱められているのを見て小さく笑みを浮かべたヤマセは、大鋏の合わせ目を外して、それを二本の剣へと変える
大鋏から二刀へと変化した武器を構え、神速で飛翔したヤマセはクロスに肉迫すると、舞う様な動きで斬撃の嵐を見舞う
「――っ!」
左右から連続し、間断なく断続的に放たれる二刀の斬撃を身の丈にも及ぶ大剣で受け、捌いていたクロスだったが、その全てを防ぎきる事が出来ずその頬に一筋の斬り傷を受ける
「調子に、乗るな!!」
頬につけられた傷から血炎が上がったのを一瞥したクロスは、その身体から神聖な光の力を放出して斬撃と共に解放する
光輝で神聖な力が斬撃の渦となって天に迸った瞬間、ヤマセはその身体を退いてそれを回避し、鋭い視線でその一撃を放った天使を射抜き、微笑を浮かべる
「残念」
「……どうかな?」
しかし、激情に任せた一撃を嘲笑ったかのよううなヤマセに、クロスはその意図を一笑に伏すような微笑を返す
「っ、まさか……っ」
その微笑に大きく背後を振りかえったヤマセは、大きく背後を振り返ってクロスが放った光の斬撃の軌道に目を瞠る
「会忌!!」
ヤマセが声を上げた瞬間、絡繰の鎧衣を身に纏った会忌は、自分に向かって飛来した光の斬撃に気づいて身を翻す
「っく……!」
紙一重で自分を掠め、闇の存在に対する優位性を持つ光の力に肌を焼かれながら、苦悶の表情を浮かべる会忌は、その一瞬で自身の頭上へ飛翔した四枚翼の天使の女を見て目を瞠る
「――なっ!?」
「はあっ!」
会忌の視界に映ったのは、その手に杖を携えたマリアが光力を凝縮させた極大の光力砲を解放した瞬間だった
解放された光の波動は無数に枝分かれし、まるで意志を持っているかのような軌道を描いて一直線にその標的に向かって光すらをも貫く速度で迸る
「なっ!?」
その光力の波動の標的となった人物――ヤマセは、クロスと対峙ている自分に向かって飛来した破壊の光砲を知覚して目を瞠る
神聖な神能が凝縮された砲撃を咄嗟に回避したヤマセだったが、そこに待ち構えていたのは、光の力を大剣に纏わせたクロスだった
「――っ!」
マリアの砲撃を囮に、それに気を取られたヤマセに一瞬にして肉迫したクロスは、聖なる光を纏った神光の斬撃を見舞う
「ぐっ……!」
光の斬閃が閃き、それをその身に受けたヤマセの身体から真紅の血炎が上がる
両手に持つ鋏の両剣で斬撃を受け止め威力を殺したヤマセだが、その光の力と斬撃を完全に防ぎきる事は出来ず、その身体に袈裟掛けの傷を刻みつけられ、血炎と共に体を崩す
「なにやってるんだ、ヤマセ!」
ヤマセがクロスの斬撃を受けた事を知覚した会忌が声を荒げた瞬間、そこに肉迫したマリアが光力を纏わせた杖でその身体を貫く
「あなたも油断し過ぎです」
「っ!!」
さながら天使の翼のような光の力を放出させたマリアの杖撃を受けた会忌は、その衝撃に苦悶の表情を浮かべ、その威力に歯を食いしばる
その身に纏った絡繰の腕でマリアを掴もうとするが、それよりも速くその身体は光力の衝撃波によって苦痛と怒りの籠った声と共に吹き飛ばされていく
「あああああっ!」
「く、そ……っ!」
離れた位置にいながらも互いをフォローし合うように戦うクロスとマリアを一瞥し、その身体に深い斬傷を刻みつけたヤマセが忌々しげに目を細める
その視線の先では、距離が離れ得いるにも関わらず、まるで寄り添っているように視線を交わしたクロスとマリアがそれぞれの武器を携えて視線を交わす
「いくぞ、マリア。二人で奴らを倒す」
「……はい」