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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖界編
103/305

邂逅





(ようやく、ようやくこの時が来た……)

 妖界城へと同胞たちを従えながら天を翔けるクラムハイドは、待ち望んだこの瞬間に心躍らせ、自身でさえ抑制きれない歓喜の高揚を懸命に抑え込んで平静を装う




 およそ百年前のあの日――九世界の一つ「妖界」を司る者として守り続けてきた矜持を投げ捨て、十世界のいちいんとなることを決めたあの時から、クラムハイドはこの時を待ち望んできた

《ただし、一つだけ条件がある――》

 脳裏に響くその声は、クラムハイドの高潔な執政官としての理念と意志を捨てさせ、堕としめた甘い誘惑を囁く言霊。

《妖界王を仕留める時期は、私の指示で決める。それまで君は戦力を集める事に専念し、確実に妖界王うを屠る力を蓄えるのだ――これまで何億年も耐えてきたのだ。後ほんの少し耐える事くらい造作もないだろう?》




 小さく笑みを浮かべて紡がれた言葉を受け入れ、一日千秋の思いで待ちわびたこの日を迎え、クラムハイドは己の中にある確かな戦意と、これまで命をかけて仕えてきた世界と王へ反逆の刃を向ける決意を再確認して目を細める

(もうすぐだ……もうすぐ――)





「来たわね。なにか仲間内で揉めていたらしかったけど」

「フン、下らん。あんなつぎはぎのような組織にはよくあることだろう」

 クラムハイドを筆頭に天空を翔けて向かってくる十世界の軍勢を妖界城の屋上に立って見据える法魚(ファユ)の言葉に、直立不動の態勢でその様子を睨みつけていた乱世が小さく鼻を鳴らして応える

 (うてな)の報告を受け、戦力を整えて十世界の襲来を待っていた真祖に名を列ねる二人は、しばし動きを見せなかったその軍勢がこちらに向かって来ているのを見ても、さほど動じた様子も見せずに軽口を交わし合う

「あら、実の弟(・・・)が半殺しにされたっていうのにちょっと冷たいんじゃない?」

「世界の法に背き、十世界などという夢物語に踊らされるようなあんな男など既に弟とは思っておらん」

 法魚(ファユ)の目に見据えられた乱世は、その目に心の底からの侮蔑を込め、自身の知覚を十世界の軍勢が飛び立った地に留まっている実弟へと向ける

「そんな風に言われるなんて、双閣(・・)も気の毒ね」

「瑣末な事だ。――奴の命も、これから奴らを滅ぼす事も、全てこの世界のために必要な事。真祖としての責務。世界としての責任だ」

 抑制された感情の見えない声でそう言い放った乱世は、自身の妖力を武器として顕在化させ、己の妖力特性に最も適した形――幾何学的な紋様が刻み込まれた二つの刃を有す身の丈にも及ぶ巨大な斧としてその手に携える

「あら、先手を取るの?」

「無論だ。一先に相手の戦力を一気に殺ぎ落とす」

 乱世の身体から噴き出すその身と魂を等しき神格の霊によって構築された存在である全霊命(ファースト)だからこそ放出する事ができる一点の混じりけもない純然たる殺意と、天に昇る怒濤のような妖力を放出する乱世を横目に、法魚(ファユ)は口元に微笑を刻みつける

「オオオオオオオッ!!!」

 天を震わせるほどの咆哮とその身から吹き上がる噴火の如く天を衝く妖力をその刃に注ぎ込んだ乱世は、刃に注ぎ込んだ妖力を斬撃の波動として向かってくる十世界の軍勢に向けて解放する


 世界そのものを軋ませているのではないかと思えるほどの妖力が凝縮された斬撃の波動は、おびただしい数の十世界の軍勢を丸ごと呑み込むのではないかという程の巨大な怒濤となって放出され、そこに込められた純然たる殺意が何人たりとも存在を許さぬとその牙をむく


「――っ!!」

(乱世め)

 全てを滅ぼす破壊の領域を放出してきた乱世の一撃に、忌々しげに目を細めたクラムハイドの背後で、眼前の妖力に勝るとも劣らない膨大な力が噴き上がる

 その力を知覚したクラムハイドが背後に視線を向けると、そこにはその背に巨大な真紅の花を携えた恋依(こより)が、乱世の破壊の波動に向けて引き金を引き絞るところだった


 意識を引き金として、自身の存在が力を戦う形として顕在化された破壊の花の力を解放した恋依(こより)の手から真紅の閃光が放出され、巨大な怒濤の如き破壊の波とぶつかり合って相殺される

 世界のうねりとなって押し寄せた乱世の破壊の力とぶつかり合った恋依(こより)の紅光は、それと共に相殺され、それと同時にその力に込められていた純然たる破壊の力が世界に現象としての破壊をもたらす


「あら、相殺されちゃったわね……まあ、恋依(こより)なら当然だろうけど」

 同じ真祖として恋依(こより)――墜天の装雷の力を十分に理解している法魚(ファユ)は、まるで他人事のように呟いて、乱世を一瞥する

「この程度の事、分かり切っていた事だ。それよりも奴らに城の敷地を踏ませるような事はさせん。――分かっているな、法魚(ファユ)?」

 法魚(ファユ)の言葉に、(うてな)の報告で知っていても恋依(こより)が裏切った事を見届けた乱世は、それに対する憤りと己の力を相殺されたという二つの事実に対して不愉快さを隠さずに鼻を鳴らす

「ええ。城で働く妖怪達もいつでも出られるわよ」

 機嫌の悪い乱世の鋭い視線にも微塵も動じず、小さく肩を竦めて応じた法魚(ファユ)は、怒気と戦意に満ち満ちた巨躯の隣に並んで立つ

「他の真祖達は?」

「すでに何人か来ているわ」

 肩を並べて立つ大男と小柄な女性――現在この妖界を担う役割を与えられた二人の真祖が、眼前の敵軍を見据える中、空間が開き、そこから現れた数人の人物が十世界の軍勢と妖界の間に阻むように立ちはだかる

「――!」

「……戻ってきたか」

 十世界と妖界の間に立ちはだかった大貴、神魔、クロス、桜、マリア、瑞希、(うてな)、李仙は戦況を知覚で確認する

「どうやら間に合ったようね」

「よりによって、こんなところに出てこなくても……」

 (うてな)の抑制の利いた声に、同行していた李仙が辟易した様子で肩を落とす

 十世界と妖界、二つの世界の争いの真っただ中に割って入るような形で乱入する事になった状況に渋い表情を見せる李仙に、(うてな)は視線を一瞥する事もなくやる気のない同輩に冷ややかに言い放つ

「助力は早い方がいいでしょう!? ――つべこべ言わずに行きますよ」

「へぇい」




「乱世に先手(・・)を取られたからな。こちらも返さねばなるまい」

 大貴達一行が割って入ったのを見たクラムハイドは、天を翔ける足を止めて宙空に立ち止まると、その視線をはるか後方にいる人物に向ける

「はぁい」

 その視線を向けられた人物――恋依(こより)は、クラムハイドに何を求められているのかを正しく理解して、特有の間延びした声と共にゆっくりと前方に移動すると、その腕を軽く天へと差し伸べる

「――『奉殲花(バルサム)狂咲(インパチェンス)』」

 恋依(こより)の静かな声と共に、天空に出現した真紅の花の中心から無数の種が飛び散ると、天空におびただしい数の種玉が天に浮かぶ星々のように浮かぶ


 乱世の初撃は、話し合いの余地はなく、降伏を勧告し、従わないのならば徹底抗戦を証明するという、いわば妖界側の意志表示。その力を見せつけ、戦意を殺ぐ事も目的とした初撃を向けられ、先に自分達の意志を誇示した妖界側にクラムハイド達十世界側も答えを返す――己の信念は曲げない、と。


 クラムハイドの意志を受け、その比類なき力を振るう恋依(こより)の上空に浮かんだ真紅の花と、それを中心に浮かぶ無数の種星から一斉に真紅の閃光がほとばしり、さながら光の雨となって妖界城に向かって降り注ぐ。

 墜天の装雷と称され、圧倒的な破壊力と殲滅力を以って解放される破壊の閃光は、神能(ゴットクロア)の力によって全てを超越する速さを獲得し、光さえも貫いて全てを滅ぼさんと降り注ぐ

「なっ……!?」

 視界を埋め尽くさんばかりの破壊の紅閃に、その一撃の威力を身に染みて知っている大貴は、思わず声を漏らす

 降り注ぐ全ての光に宿ったのは、全霊命(ファースト)だけが持ち得る全てを滅ぼす純然たる破壊の意志。それによってその力を定められた妖力は、その力のままに世界すら焼き滅ぼす破壊の力を容赦なく振るう

「くそ……っ」

 一瞬動揺の色を浮かべた大貴だったが、この破壊の光が妖界城に降り注げばどれほどの破壊が起き、それほどの命が奪われる事になるか想像もつかない。

 手にした己の武器である太刀に渾身の太極(オール)の力を込めた大貴は、光魔神の力である統一によってその力を自らの者へと巻き込むべく干渉をしようとする

「――っ!」

(これは妖力!? ……上!?)

 しかしその瞬間、大貴は上空から降り注ぐ強大な妖力を知覚して眼前の破壊光から意識を離す事無く知覚を上空へと向ける

 刹那、妖力の風雷が吹き荒れ、大貴の脇をすり抜けて恋依(こより)が放った破壊光とぶつかり合い、それを相殺すると同時にその破壊の力を上空へと誘導して逃がす

「これは……」

 自身の破壊光を風雷の嵐が呑み込み、相殺し無力化されたのを見て恋依(こより)はその穏やかな瞳の中に剣呑な光を宿す


 恋依(こより)の妖力の最大の特徴は、その破壊力というよりも干渉のしづらさにある。全霊命(ファースト)の力である世界最高位の神格を持つ霊の力――神能(ゴットクロア)は、その力を意志によって定められる。

 強い意志で放つほど世界に与える影響は大きく、いかに神能(ゴットクロア)の力が強くとも、迷いを持った意志ではその力を十全に活かす事が出来ない。

 恋依(こより)の妖力は、世間一般で天然と称される彼女の性格を表しているかのように、他者からの力と意志の干渉を最大限に抑え、神能(ゴットクロア)からの干渉を極小にとどめる事ができる。

 頑なな意志を示すのではなく、他者に同調し、その意志を受け流す事で意志の力そのものである神能(ゴットクロア)の力の影響を最小限にとどめつつ、その力を最大限に振るう。――妖牙の谷(ザナフバレー)で大貴や玉章(たまずさ)の力による弱体化を最低限に抑えたのもその特性によるところが大きい


 しかし、大貴の眼前で荒れ狂った風雷の妖力は、そんな恋依(こより)の妖力特性をものともせずその意志そのもの(・・・・・・)を吹き飛ばして上空へとかき消してみせた


恋依(こより)様」

「ええ。こんな事をできるのは彼しかいませんね」

 墜天の装雷と呼ばれた恋依(こより)は、自身の妖力光の群れが一瞬でかき消されたのを見た凍女(こごめ)の言葉にその笑みを崩す事無く応じて視線を上空へ向ける


「いいところを持って行くわね」

 その様子を妖界城の上から見守っていた三十六真祖の一人「法魚(ファユ)」は、その力の主を正しく理解して不敵な笑みを浮かべ、その隣に立つ乱世も上空を仰いでその目を細める

「……ゼーレ」


 乱世、法魚(ファユ)恋依(こより)――三十六真祖たる三人の眼差しを受けて、戦場の遥か上空に佇むのは、山伏のような衣を彷彿とさせる霊衣を纏った妖怪。

 逆立った黒髪を背の中ほどまで伸ばし、額に巻いた緋色のバンダナを風になびかせる両眼の下に三つの空色の爪痕のような妖紋を持つ妖怪の青年は、眼下にいる恋依(こより)を睥睨して疲れた様子でため息をつく


「やれやれ。お前のする事は相変わらずむちゃくちゃだな」

「――あらあら。お久しぶりですね、ゼーレさん」

 恋依(こより)にゼーレと呼ばれた山伏風の霊衣を纏った妖怪は、風雷の妖力を身に纏い、砂時計に似た両刃の刀身を持つ矛を携えてゆっくりと降下する

「ここは俺に任せてもらおう。客人殿は他を」

「あんたは……?」

 恋依(こより)と対峙し、自分に背を向けたまま口を開いた人物の言葉に、大貴は怪訝な声音で問いかける

「ゼーレ。三十六真祖に名を列ねるものだ」

 大貴の問いかけに気を悪くした様子もなく応じた山伏風の霊衣を纏う妖界の青年――ゼーレは、自らの名と共に自らが三十六真祖に名を列ねる者である事を打ち明ける

 それには、自らの身分を明かすという意味以外にも、己の力を示し、恋依(こより)との戦いの相手を自分が勤めるべき正当な理由がある事を大貴に匂わせるという目的がある

「……分かった」

 ゼーレの言葉の真意を本当の意味で理解したとは言えないが、その言葉に宿る強い意志を感じ取った大貴は首肯の言葉と同時に左右非対称色の翼をはばたかせてその場を飛び去る

恋依(こより)様!」

 ゼーレが立ちはだかったのを見て、鋭い警戒を強める赤髪と白髪の女妖怪――籠目(かごめ)凍女(こごめ)の声を聞いた恋依(こより)は、その穏やかな視線で二人を見据える

「二人は先へ」

 簡潔に一言述べ、先へ行く事を促す恋依(こより)の言葉に、籠目(かごめ)凍女(こごめ)はわずかな逡巡の色を浮かべる

「ですが……」

 恋依(こより)の腹心としてその力を誰よりも知っているという自負がある籠目(かごめ)凍女(こごめ)だが、相手が同格の真祖であるゼーレでは一抹の不安がないとは言えない。加えて他の真祖が介入してくる可能性を考慮に入れれば、この場で三人で戦った方が有益に思える

「大丈夫です。ここにいると、巻き込まれてしまいますよ?」

 しかし、そんな二人の憂いを正しく理解し、考慮した上で恋依(こより)はそれを杞憂と切り捨てる

「――っ!」

 長年、恋依(こより)の下で腹心として仕えてきた二人は、その言葉が意味する事が正確に理解し、互いに顔を見合わせると互いに頷き合ってその場から離れていく

「――奉殲花(ほうせんか)!」

 籠目(かごめ)凍女(こごめ)が離れていくのを見送った恋依(こより)は、厳かな声音で静かに言の葉を紡いだ刹那、その声に応じるように恋依(こより)の身体に真紅の花が咲く。


 両の手には、花弁を形取った銃剣と盾が合わさったかのような武器が握られ、その身体にはまるで衣のように真紅の花弁を彷彿とさせる鎧が纏われていた。

 これこそが恋依(こより)の特異型武器――「奉殲花(バルサム)」の真の姿「奉殲花(ほうせんか)」。砲撃と防御、迎撃と爆撃を主体とする移動砲台型鎧衣だ。


「本気で十世界に寝返る気か? そのまま十世界の連中を焼き払うなら、諜報活動だったって事で見逃してやるぞ?」

 赤い殲花の鎧を纏い、全力戦闘態勢に移行した恋依(こより)を見たゼーレは、その目に険しい光を宿して最後通告を兼ねた言葉を向ける

 ゼーレの言葉を受けた恋依(こより)は、口元を手で隠してその目を細めると、その特徴的な間を持つ声で微笑を紡ぎ出す

「あらあら、お優しいんですね。でも私も戦う理由というものがありますので、それが終わるまではそのお誘いに乗る訳にはいかないんですよ」

 最初に笑みを浮かべて答えた恋依(こより)は、言葉の後半にその両手に携えた銃剣盾の方針をゼーレに向けて、その目に普段の温厚さとは違う鋭い光を宿す

「……そうか。後悔するなよ――刃笙扇(ヴィントブルーム)!」

 恋依(こより)の返答を聞いたゼーレは、その目を細め、一点の曇りもない純粋な殺意で彩られた風雷の妖力を放出し、その手に持つ砂時計型の刃を持つ矛を一薙ぎする。

「あなたも」






「ここは恋依(こより)に任せて、我々は一気に妖界城に攻め込むぞ」

 ゼーレと対峙した恋依(こより)を一瞥したクラムハイドは、その場にいる全員に思念と声の二つを使って語りかけ、一直線にこの世界の中枢である妖界城へと突撃する

「させません!」

「――っ!」

 その刹那、凛と響いた声と共に奔った斬閃を自身の武器である血刃のレイピアでかき消したクラムハイドは、その攻撃の主――悪魔と妖怪の混濁者(マドラス)である紋無しの女妖怪へ視線を向ける

(うてな)

「これ以上、妖界城には近づけさせません」

 己の存在が武器として顕在化した太刀を携えて空に佇む(うてな)に視線を向けたクラムハイドがレイピアを構える

 クラムハイドと相対した(うてな)は、妖界を統べる三十六真祖として当代の妖界の秩序を預っていたはずの人物に、その下に仕えていた事を思い起こしながら言葉を向ける

「クラムハイド様。――なぜ、なぜあなたはこのような事を? 法と秩序を重んじ、理を守ることの尊さを常に説いておられたあなたが――私の両親と玉章(たまずさ)様達を正しく(・・・)断罪したあなたが……!」

 妖怪の母と悪魔の父の間に生まれ、混濁者(マドラス)として両親、そしてそれをかくまっていた祖母の玉章(たまずさ)共々、妖界王と共に断罪したクラムハイドが、十世界に与してこの世界に敵対する――かつて妖界城に仕える者としてその下に仕えていた事がある(うてな)にとって、クラムハイドのその行動は理解に苦しむものだった

「今、その問答は時間の無駄だ」

「――っ」

 しかしクラムハイドから返されたのは、冷酷な宣告だった


 行動を起こしたクラムハイドにとって――否、妖界城を去ったその瞬間から、後戻りのできない道に踏み込んだ時に命を賭して弧の意志をやり通す決意は終えている。

 今のクラムハイドには目的の成就しかなく、そのためには一刻の猶予も無駄にできない。――したくないのだ


「……だが、強いて言うならば」

 苦虫を噛み潰したようにその美貌をわずかに歪める(うてな)に視線を向けたクラムハイドは、抑制された静かな声で、己の計画と目的を言葉として発する

「自分の大切なもののために、世界を敵に回す覚悟があるか――という事だろうな」

 まるで自身に語りかけているような、優しく思慮に満ちた声で呟いたクラムハイドの言葉に(うてな)は怪訝そうにその目を細める

「それは、どういう……?」

「クラムハイドォ!」

 さらに追及を続けようとした瞬間、(うてな)の耳に、効き慣れた因縁深い男の咆哮が届く

「……鋼牙!」

 その声に知覚と視線を向けた(うてな)と視線を交錯させた鋼牙は、その表情に歓喜と殺意の入り混じった色を浮かべて咆哮を上げる

「そいつは俺の獲物だ!!」

「ああ」

 捨て台詞とも取れる言葉と共に自分の横を通り過ぎていった鋼牙を微笑と共に見送ったクラムハイドは、聞こえているかも定かではない小さな首肯の声を向ける

(うてな)ァ!!」

 互いの視線を交錯させ、互いの因縁を以って(うてな)と対峙した鋼牙は、自身の存在が顕在化した武器である二つの大型ナイフを振り抜く

「――っ!」

 鋼牙の純然たる殺意に染められた妖力を纏った大型ナイフによる一撃を太刀の刃で受けとめた(うてな)は、そのまま後方に飛びずさって二本目の牙を回避する

「先に行きな、あの女は俺の獲物だ」

 (うてな)を退け、空中に留まった鋼牙か肩越しにクラムハイドに視線を向ける

 その目に映っているのは、自身が獲物と定めた(うてな)との戦いのみ。自身の享楽に準じ、殺意と戦意を纏って立つ鋼牙の姿をため息混じりに見つめたクラムハイドは、よくせいの利いた声でその背に語りかける

「……あまり時間をかけるなよ」

 クラムハイドの言葉を受けた鋼牙は、軽く舌舐めずりをして大型のナイフを持った両腕を交差するように組む

「あァ、妖界王の首を取るまでには間に合わせるさ」

「あなたという人は……!」

 鋼牙の言葉に憤りを露にする(うてな)は、クラムハイドがその身を翻した瞬間、それを追おうとその身を前に踏み出す

「待ちなさ――っ!」

 しかし、鋼牙がそれを許すはずもなく、さながら獲物を狙う狼の牙の如き鋭い二本の大型ナイフの斬撃に、(うてな)はそれを刃で受け流してその目に剣呑な光を宿す

「あそこでくたばっておけばいいものを。わざわざてめぇの弱さに絶望するために戻ってくるなんざ、酔狂な事だ」

「弱さに絶望するよりも、何もしなかった事に絶望する事の方が耐えられない性分だと知っているでしょう?」

 舞うように斬撃を回避し、妖力が戦う形として顕現した太刀の切っ先を鋼牙に向けた(うてな)の言葉と、揺るぎない決意の込められた瞳を向けられた鋼牙は軽く舌舐めずりをして両手に持った大型ナイフの刃を擦り合わせる

「いいぜェ。そういうお前だから、フライドも何もかも粉々にしたくなるんだ」

 刃通しがこすれ合う、高く鋭い金属質の音を響かせながら笑みを浮かべた鋼牙は、(うてな)を見据えて純然たる殺意の宿った妖力を放出する

「今は、あなたの相手をしている暇などないのですよ」

「なら、さっさと俺を殺して行くんだな」

 強い意志を向ける(うてな)の視線をうすら笑いと共に受け流した鋼牙は、自身の妖力を宿したナイフによる斬撃を放つ


「――まったく、昔からあの二人の相性の悪さは変わっていないな」

 互いの武器をぶつけ合う鋼牙と(うてな)を一瞥したクラムハイドは、その二人の姿に懐古の念を呼び起こされて目を細める


 当代の三巨頭の一角を成し、かつて何度か妖界城で執政をになった事もあるクラムハイドは、妖界城に仕えていた(うてな)と鋼牙をよく知っている。

 生真面目な(うてな)と、どこかいい加減で自由に振舞う鋼牙。二人はそんなスタンスの違いから衝突まではいかなくとも目に見えて相性の悪い組み合わせだった


 そんな二人が今まさに純然たる殺意を纏って戦っている姿に感慨深いものを覚えながら、目を細めたクラムハイドは、自分に向けられた強大な力と殺意に剣呑な光をその目に宿す

「――っ!」

「はあああっ!!」

 クラムハイドが振り向いた瞬間、極大の漆黒の力を纏った武器の刃を重ね、斬撃を放つ黒髪の青年と桜色の髪の美女の姿が目に入る


 互いの魔力を共鳴させ、その力に純然たる破壊の意志を乗せた力を解放した神魔と桜の斬撃を、自身の妖力を纏わせた血色刃のレイピアの一閃で相殺したクラムハイドは、魔力と妖力の残滓が蛍のように舞う中で目を細める


「……悪魔か」

「神魔さん、桜さん」

 互いの魔力を共鳴させてクラムハイドの前に立ちはだかった神魔と桜に視線を送り、(うてな)は小さく目を瞠る

「ここは僕達に」

 神魔の言葉に桜が視線を添えて(うてな)を一瞥する

 その視線を受けた(うてな)は、二人の視線と想いにその表情を綻ばせ、太刀の一閃で鋼牙を弾き飛ばすと二人から目の前の倒すべき敵へ視線を移す

「……お任せします」

 (うてな)の声を受けた神魔と桜は、互いの武器である大槍刀と薙刀の切っ先をクラムハイドに向け、抑制された純然たる殺意の宿った静かな視線で見据える

「番いの悪魔か。――少々面倒だな」

 共鳴し、高まっていく神魔と桜の魔力の奔流を知覚で捉えるクラムハイドは、その目を細めてため息混じりに妖力を解放する

 様々な特性を宿し、変質しやすいという妖怪の神能(ゴットクロア)――妖力の特性に従うクラムハイドの妖力は、さながら紅玉(ルビー)の光を宿したような真紅の妖力。赤い月光を閉じ込めた薔薇の花弁のような形で顕在化した妖力が渦を巻き、クラムハイドの身体から宙に舞い上がっていく


 三十六真祖の一角にその名を連ねる紛れもなく世界最強の妖怪の一人であるクラムハイドの力が渦を巻き、神魔と桜の魔力とぶつかり合って天を呑み込む力の嵐を生み出す

 純然たる殺意の込められた二つの力は、世界で最も神に近い全霊命(ファースト)の意志を、最高位の存在としての干渉力によって物理世界に顕現させ、及びうる限りの滅びを顕現させていく


「いくよ桜」

「はい、神魔様」

 渦巻く殺意の力を神魔の言葉で振り切り、刹那すら存在しえない神速でクラムハイドに肉迫した番いの悪魔は、共鳴する魔力の斬撃を放つ


 純然たる意志を世界に顕現させる神のごとき力を纏った大槍刀と薙刀の斬撃が乱舞し、魔力の奔流が渦を巻いてクラムハイドに襲いかかる

 敵と定めたものの存在を許さず、欠片も残さず滅ぼす魔力の力が斬撃の乱舞として放たれ、クラムハイドを滅ぼさんと打ちつけられる


「ほう、なかなかやるな」

 滅びの力が凝縮された神魔と桜の斬撃を、二人の武器の刃と比べれば明らかに細いレイピアの刃で弾きながら余裕をも感じさせる表情を見せる


 魔力を共鳴させた神魔と桜の力は、紛れもなく全霊命(ファースト)として最上位の力を有している。しかしクラムハイドは妖界王によって選ばれた三十六人の妖怪の一人。紛れもなく全霊命(ファースト)として最上位の存在だ。

 魔力と妖力を纏わせた刃を交える二人――一対の悪魔と一人妖怪の力はほぼ拮抗している。少なくとも決定的な程の力の差は感じられない。――しかし、それでも尚クラムハイドの表情には余裕の色が張り付いているように見えた


 神魔の斬撃を影に桜の刃が奔り、桜の刃が神魔の一撃を補佐する。互いが互いを補佐し合って絶妙の攻撃を仕掛ける神魔と桜の一糸乱れぬ斬撃を刃で受けたクラムハイドは、その攻撃を捌きながら、番いの悪魔に視線を向ける

「――いいだろう。本番(・・)の予行練習を兼ねて、少々この力に慣れておく事にするか」

「っ!?」

 刹那、クラムハイドに生じた違和感に、神魔と桜はわずかに目を瞠る

 血色の刃を持つレイピアで二人の斬撃を捌いたクラムハイドは、不敵で不気味な笑みを刻みつけた表情で神魔と桜を見据え、武器を持っていない方の掌を向ける


「悪夢の世界で真の夢を見るといい」


「――っ!?」

 その瞬間、心臓を握りつぶされるような冷たい感覚を覚えた神魔は、その危機感に誘われるまま反射的に桜を突き飛ばす

「神魔様……っ!」

 神魔に突き飛ばされた桜は、空中で態勢を立て直し、そして眼前の光景に目を瞠る

 桜の視界に映るのは、レイピア(武器)を携えていない方の手を突き出したまま空中に佇んでいるクラムハイドのみ。その眼前に先程まで自分と共にいたはずの神魔の姿は存在していなかった



 そしてその異常は、知覚を以って戦場にいるすべての者たちに届けられる。

「なっ……!?」

 戦場の中、十世界の妖怪たちと刃を交えていた大貴が目を瞠り、左右非対称色の瞳を異常を知覚した方へと向ける



「これは……っ」

 クロスとマリアもまた互いに視線を交わし、知覚だけを向ける。

 それだけではなく、瑞希、(うてな)、李仙はもちろんその場にいた誰もがその異常事態を知覚し、戦場の中で明らかに異質な状況に動揺と困惑を滲ませる



「――どういう事だ!? 神魔の魔力が、消えた……!?」

 霊的な力が消滅する事は、その魂――引いてはその存在が失われた事を意味する。全霊命(ファースト)にとっての魂そのものであり、存在の力である神能(ゴットクロア)が消滅したという事は真っ先に思いつくのはその死だ

「まさか……」







「……ここは?」

 気がついた時、神魔の眼前に広がっていたのは、何もない純白の空間だった

 先程まで感じられていた大小様々な神能(ゴットクロア)が入り混じっていた戦場とは違う場所。そして妖界でさえないこの場所が何者かによって作られた異空間である事を推測するのはさほど難しい事ではなかった

「異空間? でも、空間隔離とは違う……」

 ここが異なる空間である事を見抜いた神魔は、真っ先に空間隔離を真っ先に想像したが、この空間がそれとは全く違なるものである事を知覚が教えてくる

「本質的には空間隔離と似たようなものか……でも、ここは違う。なんていうか……位相が違う(・・・・・)みたいな」

 自分を取り込んだ異空間を見回す神魔は、自分と対話しているかのように声に出してこの世界を分析してい、推測をしていく


 この空間が空間隔離と決定的に違うのは、空間の存在座標(・・・・)だ。空間隔離は、異空間を作り出す力だが、それは隔離を行った座標、時間軸と同一の場所に存在している。――それは、例えるなら鏡面に映し出された映像のように、一定の境界を以って同時に存在している空間だ。

 だが、この空間はそうではない。妖界のあの場所でに作られた異空間ではなく、別なる世界軸、空間座標に存在している外界と隔離された異空間だ


「とにかく、ここから出るないと……」

 これが先ほどのクラムハイドの仕業によるものであろう事は想像に難くない。一刻も早くこの空間から脱出するべく、魔力を纏わせた大槍刀で空間を断絶、破壊しようと試みた神魔だが、その斬撃によって放たれた黒閃は虚しく空間に吸い込まれていく

「だめか……これは、本格的に閉じ込められたかな……桜達の力も知覚できないし、戦場が全く把握できない」

 世界を渡るように、空間を隔離するように神能(ゴットクロア)には世界を繋げ、破壊し、改変する力がある。それを以ってしても破壊できない空間という事は、単純にこの空間を作り出し維持している力が神魔の干渉力を凌駕しているということだ

 何より神魔の焦燥を煽るのは知覚が全く機能しない事だ。、隔離された空間と同じように、異なる世界として隔離されたこの空間では、他世界となっている妖界の戦場を把握することができない

「……命を共有している桜だけは無事なのが分かるけど――っ」

 契りを交わし、魂と命を分け合った伴侶――桜だけは、かろうじてその生存を魂そのもので感じ取ることができるが、それ以外の一切の情報が遮断された状態に、神魔は苦虫を噛み潰す

「何とかして、ここからでないと――っ!」

 神魔にとって妖界のことなど半ばどうでもいい。だが、今無事でもいつ向こうに取り残されている桜の身に危険が及ぶかと考えると気が気ではなかった

 手にした大槍刀の柄を強く握りしめ、吐き捨てるような声と共にその刃を純白の平坦な大地に叩きつけた神魔が、その手ごたえの無さに目を細めた瞬間、その知覚が自分以外の存在を捉える

「――っ!」 

(この、魔力……)

 打つ向けていた顔を上げ、驚愕を張りつけた表情で知覚が捉えた存在の方へ視線を向けた神魔の目の前に、規則的な足音を響かせながら一つの影が姿を現す

「な、んで……?」

 驚愕に目を見開き、目の前の光景を信じられないような表情で見る神魔の視界に、軽やかな足音を響かせて一人の女性が姿を見せる


 腰まで届く癖のない赤紫色の髪をなびかせ、花のような刺繍が施された鉢巻きをカチューシャのように巻いた女性は、白いレースのような装飾を施された着物のような霊衣を花弁のように翻らせ、桜色の瞳で神魔を見つめて屈託のない笑みを浮かべる


「久しぶりだね、神魔」

 その微笑みに、神魔の脳裏にかつての記憶が甦ってくる

 屈託のない天真爛漫な笑み。端々に垣間見える所作、その佇まい、その魂とそこから放たれる魔力の全てがそんな事がありえるはずがないと分かっていながらも、目の前の人物が誰なのかを如実に神魔に語りかけてくる

「……風花(ふうか)

 思わず口をついて出た女性の名。緊張と動揺と、非現実的な再会に上ずったその声に呼ばれた桜色の髪の女悪魔――風花は、それを肯定するように神魔の知る向日葵のような笑みを浮かべる

「なんで……」

 頭では違うと分かっているはずなのに、知覚が、感覚が目の前の人物が間違いなく「風花」である事を伝えてくる


 ここに風花がいるはずがない。

 いてはならない。

 これが現実であるはずはない。


 なぜなら――



「――君はあの時死んだのに(・・・・・・・・・・)


 風花の最期を看取ったのは――その身体と魂が形を失い、世界に還っていく全霊命(ファースト)の死を見届けたのは、他ならぬ自分なのだから。





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