愛あるが故に戦うならば
「さて、皆準備はいいか?」
静かにこの場に集まった十世界の同志たちを見回したクラムハイドが余裕の笑みを含んだ穏やかな声音で問いかける
十世界に所属する妖怪達、そして結局説き伏せられた紅蓮とラグナを加えたメンバーが眼前にそびえ立つ妖界城へ向かって歩を進めようとした瞬間、その前に一つの巨大な影が立ちはだかる
「待て」
「……『双閣』」
大地のように勇壮で重厚感にあふれた声に呼び止められたクラムハイドは、その声の主である大男――「双閣」へ視線を向ける
身の丈二メートルを超えるのではないかと思われる引き締まった筋肉質の巨躯に、背の中ほどまで届く逆立った黒髪を持った精悍な顔立ちの男は、額に生えた二本の角で陽天を貫きながら、威風堂々と佇んでいる。
その身に纏うのは武者鎧を思わせる霊衣。たった一人でクラムハイド率いる十世界の軍の前に立ちはだかるその姿は、まさに殿を務める勇猛果敢な武将そのものだった
「何のつもりだ」
「見ればわかるだろう? 妖界王を殺して、この世界を十世界に併合する」
静かな声の中に隠しきれない激情を滲ませた双閣の言葉に、クラムハイドは飄々とした様子で笑みを返す。その瞳には一抹の逡巡や疑問は感じられず、クラムハイドが本心からその言葉を発しているのが分かる
「姫がそんな事を望んでおられると思うのか!?」
自分の言葉の意図を解しているはずなのに、あえてはぐらかしたように応じるクラムハイドの言葉に、とうとう双閣が声を荒げる
十世界の盟主である姫――「愛梨」は、対話による恒久的和平を望んでいる。実力行使で世界を手に入れようなどとは全く思っていないはずだ
にもかかわらず、クラムハイドはその意志を無視し、独断による攻撃で妖界そのものを手中に収め、愛梨に献上しようとしている。――苛烈なまでの忠誠心とみる事もできるが、それでは本末転倒。姫の意志を踏み躙る背信行為に等しい
「……姫は悲しまれるだろう。だが、お前も分かっているはずだ――他に十世界の理想を実現する手段は存在しないと」
「……っ」
どこか切ない色を帯びたクラムハイドの瞳と声音に、双閣はその眉間に皺を寄せたまま、憤りの表情の中にわずかに渋い色を浮かべて眼前の妖怪を見据える
姫の理念がいかに美しく、理想的であろうともそれは所詮綺麗事に過ぎない事を、おそらく十世界にいる誰もが理解している。
しかしそれでも、十世界に所属する者達は姫とその理念のために、不可能と思えるその道を諦めず、まるで先の見えない道を進むかのように手探りで前に進んでいる。――無論、全員が全員そうではないことも事実だが
「出来ない事をできないと諦めない――それは確かに美談だ。だが、出来ないものはできない。それは他ならぬこの世界の理そのものだ。そしてそれであるが故に、この世界の者達は姫の理念を美しいだけの理想論と切り捨てる
だが、たった一つ前例があり、そこに理想郷を築き上げることができたならば、他の世界でも心変わりをする者が出てくるだろう」
声音を荒げる事は無くとも、その一言一言に強い意志を込めて言葉を発するクラムハイドに、双閣はその目を細める
「まさか……お前は」
世界が愛梨の言葉を理想論と切り捨て、世界の同盟を拒むのはそれが出来ない事を分かっているからだ。世界の創世から三度行われた大戦をはじめとする過去の事実が、争いは無くせないと、言葉は心を動かせないと教えている。
創世の頃からこの世界に生き、その過去を目の当たりにしてきた九世界の王達は、それであるが故に希望を切り捨てる。「たった一%でも可能性があるのなら、それにかける」などと言うより「九十九%失敗させない方を選ぶ」のが王だ。
護る力があるが故に、彼等は逆に奇跡に縋る事をしない。己が身を傷つけてでも護るために、自分達に害を成すものを排除する事に徹し、そしてそのために争いが途絶える事はない
「姫ならば、私という愚かなものによって略奪されたこの世界に、その慈愛を以って幸福をもたらす事ができるだろう。その時はこの命を以っていくらでも償ってみせる」
抑制の利いた声で静かに、しかしその中に力強く揺るぎない意志を込めて言い放ったクラムハイドは、自身の手で拳を作り、その視線を妖界城へ向ける
この世界に生きる者達は知っている。人と人は異なるが故に分かり合えず、分かり合えないが故に手を取り合う事が出来る、と。
この戦いによって妖界そのものを手中に収め、姫に実際に統治させることで、この世界が愛梨の言うように言葉によって分かり合う恒久的平和世界となれば、今以上に世界に生きる者たちも、その結果を考慮する事になる。そうすれば世界は、今以上にその理の天秤を傾ける事になる可能性を孕んでいる
そしてそこには、クラムハイドの「愛梨ならば、この世界を理想に導いてくれる」という絶対的な信頼と忠誠心が込められている。
「だが、お前のやり方は承服しかねる!! ……貴様たちもこれでいいのか!? 本当にこんなやり方で姫のためになると思っているのか!? 誰かの理想に共感し、その願いを叶えたいからと言って、我々が勝手に本人の理想を諦めて、それでいいと思うのか!?」
クラムハイドの意志を正しく汲み取りながら、しかしそれでもそれを否定する双閣は低く重厚な声で周囲を見回して声を上げる。
クラムハイドだけではなく、そこにいる同じ十世界の同胞に向けて語りかけた双閣は、次いでその視線を先ほど自分達の仲間に加わったばかりであるはずの恋依に向ける
「恋依! 貴様もだ」
双閣の視線を受けた恋依は、その表情を変える事無く、その言葉を微笑みを浮かべながら受け流す
クラムハイドと同じく三十六真祖に名を連ねる最高位の妖怪へ視線を受けた双閣は、十世界の矜持を曲げてまで十世界の理念を通そうとする者達を制止させるために強い語気で言葉を発する
「墜天の装雷と呼ばれたお前が……っ」
双閣が言葉を続けようとした瞬間、真紅の閃光がその頬を掠めて奔り、その精悍な顔に一筋の傷をつける
刹那、双閣は目を見開いて言葉を失い、それを見ていた十世界の面々もまた言葉を失う。突然の攻撃にその場に静寂の帳が下り、誰もが声を発する事すらはばかられる様子を見せる中、その攻撃を放った張本人である恋依は、満面の笑みを浮かべて双閣に微笑みかける
「私、その呼ばれ方嫌いなんですよ?」
「――っ!」
恋依のその言葉が嘘である事など誰にでも分かる。真祖に名を連ねてからも、恋依を「墜天の装雷」と呼ぶ者は少なくない。
つまり、日常的に恋依は墜天の装雷と呼ばれているが、本人が申告していたようにその呼び名を嫌っているなどという話をここにいる誰一人聞いたことがない――つまり、恋依の言葉には「それ以上喋るな」という真意が含まれている事になる
「十世界に所属する妖怪の中で第三位の力を持つお前が味方に加わってくれると嬉しいのだがな」
誰もが絶句し、言葉を失っている中、いち早く我に返ったクラムハイドは笑いを噛み殺しながら、愉快そうな口調と視線を双閣に向ける
「断わる! 姫の意志を順守せず、十世界の名を語り事を成す事を見過ごすわけにはいかん!!」
しかしその言葉を受けた双閣は、クラムハイドの言葉を重低音の声で打ち消し、その腕に自身の妖力を戦う形として顕現させる
「……!」
双閣の妖力が武器として顕在化したのは、双閣の身の丈を超える巨大な檄。三日月形の刃を四つ備えた巨大な矛槍がその闘志を受けて妖しく輝き、その刀身に双閣の強大な妖力が絡みついている
「やれやれ、困ったものだね」
武器を顕現させ、戦意と殺意を剥き出しにした双閣――「力づくでもここで阻む」という無言の主張をしてくる同胞を一瞥したクラムハイドは、小さくため息をつくと同時にゆっくりと前に歩を進める
「……仕方がない。こんな事をしたくはないが、お前を排除して先に進ませてもらおう――『血薔薇』」
抑制された静かなクラムハイドの声が紡がれると、その手に銀の柄に血色の刀身を持つサーベルが顕現し、凶々しい妖力を帯びたその刀身がまるで獲物を狙う蛇のような印象を受ける妖かしき力によって鈍く輝く
「クラムハイド……!」
武器を顕現させ、そのサーベルの刀身を地面に向けながら歩み寄ってくるクラムハイドへ視線を向けた双閣に、十世界を統べる妖怪の抑制の利いた冷ややかな声が向けられる
「悪いが、こちらには時間がないんだ――すぐにでも終わらせてもらうぞ」
その頃、妖牙の谷では、恋依の攻撃を耐え、生き残った大貴達と、玉章一家達の前に、十世界に所属する悪魔「茉莉」と、異端なる神に列なる存在である「戦兵のジュダ、そして十世界最強の天使である「アーウィン」の三人が対峙していた
「まさか、わざわざあんたが出てくるとはな」
不敵な笑みを浮かべたジュダが、戦兵の証である瞳の無い目でアーウィンに視線を送ると、それを受けた十世界最強の天使は小さく肩を竦める
「そうですね……クラムハイドの言い分によれば、中々厄介な相手らしいので、確実に神器を手に入れるために、と聞いていましたから。それに――」
おそらくはクラムハイドから聞いていたのであろう妖力連鎖共鳴の中心である玉章を一瞥したアーウィンは、その視線を横にずらしてこの場で――否、この世界で唯一黒と白、光の闇の翼を持つ存在である大貴へと視線を向ける
「……光魔神にも興味がありますからね」
「なるほど」
アーウィンの言葉に、ジュダは抑制の利いた声で静かに応じ、その視線を眼下へ向ける
「神器の回収行動に入る。標的は二つ。一つはここに安置されていた神器。そしてもう一つは――神眼だ」
周囲を見回したジュダが抑制の利いた声で淡々と言葉を発すると、それを受けたアーウィンは十枚の翼を広げてゆっくりと空に一歩を踏み出す
「では、あなた達には神眼の回収をお願いしましょうか」
「ああ」
「わかりました」
自分だけの判断で勝手に割り振りを決めたアーウィンの言葉に、ジュダと茉莉は特に反論する事もなく同意を示す。
光と闇の恒久的平和を求める十世界だが、これまでの歴史の中で培われた敵意やしがらみを全く無にして接する事は難しい。茉莉が紅蓮とラグナを従えているように、十世界側が割り振ったチームも存在するが、やはり多くの人が集まれば、仲が良い者同士で徒党を組み、派閥が出来るのは必然と言える。
十世界の盟主である姫も、それは仕方がない事と許容し容認しているし、それを否定するつもりもない。――だが、その枠を超えて触れ合いたいという思いも彼女には確かにある。
だからこそ愛梨は、十世界の中で各種族ごとに代表を決め、まずそのレベルでの意思疎通と友好を図り、それを末端にまで広げていこうと考えた。
そうして末端の者たちにまで影響を及ぼすべく選ばれた者は、すべからくそのリーダーたる実力と資質を持ち合わせており、アーウィンの力は紛れもなく天使の中でも最高位のもの。そして十世界という組織の頂点に近い、その決定にその部下の位に当たる茉莉やジュダが異論を唱える筈もなかった
「何をしているの?」
「……え?」
その様子を地上から見上げていた萼が、不意に横からかけられた声に視線を向けると、底にはいつの間にか移動してきていた玉章がその絶世の美貌に硬質な意志を宿して佇んでいた
「十世界は間違いなく妖界城に向かったわ。ここはここは私達に任せて行きなさい」
一瞬何を言われたのか分かないといった様子の萼を叱咤するように、その清流のような声に鋭く強い刃のような意志を宿して声を向ける
「っ、ですが……」
玉章の言葉を受けた萼は、一瞬迷いを浮かべる
萼にとって、玉章は祖母にあたる人物。そして母と父を護り、両親を殺すきっかけとなった人物でもある。その事に対して憎しみを抱いている訳ではない。この世の法と理に照らして考えれば、世界の禁忌を犯して悪魔との混濁者である自分を生んだ母にこそ咎があるのだから。
だが、それを頭で分かっているからと言って、心でそれを割り切れるという訳でもない。決して慕っている訳ではないが、死んでもいいと思っている訳ではない。――萼にとって玉章は、この世における己の存在を証明する確かな繋がりの一つであるのは事実なのだ
「見くびらないで頂戴。これでもかつては妖界王様にこの世界を統べる者としての力と資質を認められた者の一人よ。あなた如きに心配されるいわれはないわ」
そんな萼の心情を見透かしているかのように、玉章は楚々として整った表情で、凛とした言葉を向ける
「……!」
まるで一輪の花のように凛々しく誇り高く、矢のように鋭く心中を射抜くその言葉に、萼はどこかその美貌に面影の似た表情にわずかな揺らぎを生じさせる
迷いを振り払うように静かに鋭く自身の孫にあたる混血の女妖怪に言い放った玉章は、その表情を背を押す母性に満ちた笑みに変えて、優しく声をかける
「あなたは、妖界王様に選ばれた腹心でしょう? ――自分の成すべき事を成しなさい」
その言葉に、萼は小さく目を瞠り一瞬口をついて出そうになった言葉を寸前で呑み込み、喉の奥へと押し込める
「あなたにとって私は一体なんなのですか?」――最愛の娘が禁忌を犯して産んだ子供。その娘への愛ゆえに王を裏切り、約束された地位と信頼を失う原因となった忌み児。
生まれてきた事に罪はない。しかし、その存在に何の罪もなかったわけではない。王に認められた今でも、産んでくれた母への感謝と、普通の妖怪として産んで欲しかったという願いを半々に持っているのが本心だ。
ならば、今この世界の自分が手の届く所に唯一残る肉親である彼女は、自分をどう見るのだろう。愚かで愛おしい娘と、その愛を奪った悪魔の幻影を重ねているのだろうか、自分に対するその感情は他の子供の子供と同じなのか――その言葉は、かつて身内の情に溺れ、自らを貶めた戒めを繰り返させないために発せられたものなのか、単純に妖界を司る責任を言及するものなのか
「……はい」
しばしの逡巡の末、萼はその想いを自分の胸の内に押し込めることを選択し、孫としてではなく、妖界の政務補佐を任せられた者としての責任に満ちた表情で頷く
問いかければ応えてくれるのかもしれない。――だが、ならば自分にとって玉章という存在はどういうものなのかと考えた時、萼にはその答えが出せなかった。
孫としてその家族の一員になりたいのか、それともそうではないのか――そう自分自身に問いかけても答えは出ない。ならばそれはきっと玉章も同じだろう
「李仙、戻りますよ」
「了解、姐御」
自分の心に答えが出せぬまま、しかしそれが自分達らしい――そんな考えがふと頭をよぎった萼は、自分と同様にこの妖界に仕える部下の名を呼び、身を翻す
「ここは任せます。神器の守護を任せられた者としての働きを期待しています」
「……言われなくとも」
背中越しに一瞥した萼の言葉に、玉章は軽く肩を竦めるとその美貌をわずかに綻ばせて微笑み返す
「敵は三人、でも一人一人が厄介だね……どうする?」
上空に現れた茉莉、ジュダ、アーウィンを見て、その力を知覚する神魔の呟きに、その傍らに控える桜は一瞬思案を巡らせると、花弁のような唇を開いて淑やかな声で言葉を紡ぐ
「やはり、誰かは妖界城へ向かうべきかと存じますが」
今神魔達は九世界との交流、および十世界への敵対を目的にこの世界に滞在している。その立場を考えると、妖界城が襲撃されているであろうこの状況の中、そちらへ戦力を裂かない訳にはいかない
「……だね、とりあえず詩織さんもいるし、大貴君とあの二人に行ってもらおうか?」
《それは困るわね》
桜の言葉をもっともだと受け入れた神魔は、茉莉かジュダを自分と桜で請け負い、詩織を引き続き瑞希に任せる計算で大貴、クロス、マリアの三人を妖界城へ向かわせようとするが、思念を介して聞いていた瑞希がその案に異論を述べる
《この状況で魔界としても、妖界そのものに対して一切何もしない訳にはいかないわ》
《同じ事じゃないですか?》
頭の中に響いてきた瑞希の思念に、神魔は渋い表情を浮かべる
《異端神と天使が助けに行って、悪魔が何もしないというのは、十世界と敵対するとか神器を守るというのとはまた違うのよ。まあ、意地汚く恩を売っておきたいって所かしら》
種族は違えど、同じ闇の全霊命である悪魔がいながら、その世界の中枢である王の居城を攻められて救いに行かず、本来は敵対する存在であるべき光の全霊命である天使や異端神に代わりを頼んだとあれば、「世界よりも神器を優先した」と見る者も出かねない
《めんどくさ》
《そう言わないで。私も馬鹿らしいとは思うけれど、立場があると色々あるのよ》
思念で話しているためその表情は伺えないが、いかにも苦々しく言い放ったであろう神魔の表情が容易に想像できる瑞希は、苦笑を混じりに言う
《ですが、どうされます? こういう言い方は憚られますが、わたくし達の中であの二人のどちらかと戦えるのは神魔様とわたくしだけでは?》
《そうね》
そのやり取りに神妙な声音で割って入った桜の言葉に、瑞希は思案を巡らせる
確かに桜の言う通り、茉莉かジュダの相手をするとして、その相手をできるのはこの中では魔力を共鳴させた神魔と桜だけだ。
《彼女を誰かに任せて……》
「――っ!」
自身が結界で守っている詩織を誰かに預けようと思案する瑞希だったが、その言葉はさらに空間に生じた二つの扉によって遮られる
「……一回消えたから駄目かと思ったが、また戻って来たんだな」
(やっぱり、来たのね……)
異なる世界と世界、空間と空間を繋ぐ二つの時空の扉の内、片方から出現した漆黒の髪をなびかせる青年の言葉に、茉莉はその形の良い眉をわずかにひそめ、その表情にわずかな哀愁と愛執の入り混じった色を浮かべる
「紫怨」
空間の扉を開いて現れた最愛の人――紫怨の姿を見つめる茉莉の脳裏に、一瞬この世界の外でゼノンに言われた「自分は紫怨からは逃げられない」という言葉を思い出し、その目を伏せる
(私は……)
「悪いな。茉莉は俺に任せてもらうぞ」
対峙した愛し合う者同士でありながら、相手から視線を逸らす茉莉とは対照的に、眼前の想い人を真っ直ぐに見つめる紫怨の言葉に、偶然にも隣り合って出現した門から現れた人物――戦乙女を彷彿とさせる鎧に身を包んだ女性が、抑制の利いた声で応じる
「ご自由に」
紫怨の言葉に軽く応じた戦乙女風の女性――最強の異端神・円卓の神座№10「護法神」の力に列なるユニット「神庭騎士」の一人である「シルヴィア」は、自らの祖と対を成す対極の神「覇国神」に列なる存在であるジュダを見据えて穏やかに微笑みかける
「お久しぶりね」
「……またお前か」
ゆりかごの世界で対峙して以来、人間界、妖界と、まるで縁でもあるかのように顔を合わせるシルヴィアを見て、ジュダは呆れたような声を漏らす
「言ったでしょう? あなた達に神器を渡す訳にはいかないと」
いかにも辟易したといった様子のジュダを見て不敵に微笑んだシルヴィアは、自身の武器であるハルバートを構えて因縁の深い眼前の闘戦士へ戦意に満ちた視線を向ける
「ここは私共に任せてください」
「……あ、ああ」
怜悧なその視線を向け、一瞬だけ目元を綻ばせてきたシルヴィアに言葉に、それを受けた大貴は自分に向けられたその視線の意図が理解できずに戸惑った様子を見せながらも、何とか声を絞り出して頷く
「どういう意図があるのか分からないけれど、これは好機ね。神魔、桜あなた達も妖界城の方へ来なさい」
紫怨が茉莉を、シルヴィアがジュダを抑え、玉章達がアーウィンを抑える。これで十世界の戦力を完全に抑え込む事に成功したと見てとった瑞希は、神魔と桜に言い放つと同時にその視線を大貴に移す
「あなたも行くのよ」
「ああ……」
異論は認めないとばかりに抑制された鋭い声で言い放った瑞希の言葉に思わず頷いてしまった大貴は、ふと先ほどのシルヴィアとのやり取りを思い出し、誰にも見られないようにわずかに渋い表情を浮かべる
(……俺、気の強い女に弱いのか?)
強い口調で女性に言われると、反射的に頷いてしまう自分の悪癖に「意外と尻に敷かれるタイプなのか?」と漠然と考えた大貴は、戦いとは別の――しかし、それ以上に疲れた様子でため息をつく
「俺達も行くぞ、マリア」
「はい」
クロスの力強い声にマリアが頷き、純白の天使たちが神速の速さで瑞希達の許へと飛来してくる
「神魔さん、私も……」
そのやり取りを瑞希の結界の中から見ていた詩織が同行を申し出ると、神魔は一瞬思案するような表情を見せてから小さく頷く
「うん、分かった」
たった一人でこの場に置き去りにされていく事を嫌がり、出来る限り想い人と一緒にいたいと願う詩織の強い視線に負けて同行を了承された瞬間、それを玉章の凛とした声が横から遮る
「待ちなさい。これから行く妖界城は、ここ以上の戦場になるわ。足手まといを連れて行っては駄目よ。――棕櫚」
「はい」
玉章の言葉に応じ、天空から飛来した愛娘の一人「棕櫚」が降り立ち、花のように凛々として高貴に佇む美しい実母に視線を向ける
「そのゆりかごの子を守ってあげなさい」
「わかりました」
玉章の言葉に頷いた棕櫚は、その身を翻して詩織を結界で守る瑞希の許へ歩み寄る
「代わります」
「ありがとう」
軽く言葉を交わし、瑞希に代わって棕櫚が妖力の結界を展開して包み込まれると、詩織は自分だけが個々に取り残されていくことに一抹の不安と恐怖を覚えて、焦燥に彩られた声を上げる
「でも……っ」
「不安なのも心配なのもわかるけど、今は我慢しなさい。あなたが行って何かできるわけじゃなし、あなたを守るために彼らの戦力を奪って危険に晒すのはいい事ではないでしょ?」
そんな詩織の不安な気持ちを正確に読み取り、棕櫚は優しい声音でありながらも、たしなめるような強い口調で諭すように語りかける
駄目な事は駄目と言い聞かせるその様はどこか母性的なものを感じさせ、その言動の端々に玉章と似たものを感じさせる辺りは、やはり母娘なのだと
「それは……」
棕櫚の言葉に、自身が戦う力もなく、ただ守られているだけの存在である事を自覚し、それに歯痒さも感じている詩織は言葉を濁らせる
(私にも戦う力があれば……)
大貴のようにその身に特別な力を宿している訳ではない。人間界でその身体に入り込んだ神器「神眼」も詩織に戦う力を授けてはくれない。
詩織自身、戦うことが好きな訳ではなく、興味がある訳でもない。戦わずに済むならば戦いたくはないし、命をかけて戦うなど怖いだけだ。――ただそれでも、想い人が戦地に出向くのを見送っているだけというのはどうしようもない不安と恐怖にかきたてられる
「大丈夫、誇りなさい。ただ信じて帰ってくるのを待つのも女の強さのうちよ」
「……!」
まるで詩織の心を見透かしているかのように、玉章は優しく微笑んでその耳元に囁きかける
「ただ待ち続けて、出迎えた人におかえりなさいと言ってあげること――それが、どれだけ人の心に安らぎを与え、救うことができるか。
今はまだ分からないかもしれないけれど、共に戦えなくともそういう風に生きられる事は、時に共に肩を並べて戦うよりも価値がある事なのよ」
優しく諭すように語りかける玉章の言葉を、理解しながらも許容しきれないといった様子の複雑な表情で聞いていた詩織は、その視線を自分の想い人の隣に佇む絶世の美女に向ける
詩織の視線と、その意味するところを正確に理解している桜は、神魔の傍らに佇みながら優しく淑やかな表情で小さく頷いてみせる
「……分かりました」
桜からの答えを受け、詩織は自身の無力さを噛みしめながら、己の心を押し殺すようにして小さく了承の声を返す
「すみません、彼女をお願いします」
「任せて」
(神魔さん、私の事心配してくれてる……)
話がついた事を見届けた神魔が、棕櫚に軽く頭を下げて言葉を交わすのを見ていた詩織は、自分の存在が神魔の意識に中にあるというだけで、都合のよい解釈と不思議な高揚感を覚えていた。
そこに含まれる意志が特別ではないことが分かっていても、ただ思われているのだと考えるだけで、詩織の口は、抑え切れない感情に突き動かされるように、自分の意志に反して思わず言葉を発していた
「あの……っ、神魔さん」
「なに?」
衝動的に声を発してしまった詩織は、優しく微笑む神魔の金色の瞳に見つめられて、頬を赤らめながらどう応じるべきが逡巡し、懸命にその背を送りだす言葉を紡ぎだす
「気をつけて言ってきてください」
「うん、ありがとう」
自分の言葉に込められた想いになど全く気付いていないであろう事は分かっていても、詩織はその笑みに胸の高鳴りを抑える事が出来ない。
自分は神魔にとって、特別ではあっても大切ではなく、思っていても想ってはいない。近くにいればわかる。自分が本当に向けてほしい感情――愛情を神魔が向けるのはその隣にいる桜色の髪を持つ絶世の美女ただ一人だ
自分では敵わないと分かっていても、この想いが伝わってはならないことも知っている。――しかしそれでも、自分の心はそこに宿ったこの感情を棄てる事を容認してくれない
「急ぎましょう。この間にも妖界城でどのような事態が起きているかわかりません」
そこに李仙を従えて現れた萼の言葉に、神魔、桜、大貴、クロス、マリア、瑞希――妖界城へ向かう者達が無言で頷く
萼の妖力によって空間と空間を繋ぐ扉が開かれ、妖界城と妖牙の谷――二つの場所を一瞬にして結ぶ道が生まれ、その中に順番に足を踏み入れていく
「…………」
その身を翻し、神魔と共に空間の扉をくぐる桜は、自身と同じ人を愛する少女を肩越しに一瞥し、その脳裏に先程まで対峙していた堕天使、ザフィールの言葉を思い出していた
(……異種間における愛情が歪みだというのなら、詩織さんが抱いておられるあの感情は、ゆりかごの人間であるからなのか、その歪みによるものなのかどちらなのでしょうね)
心の中で静かに自分自身に問いかけた桜は、答えの出ないその疑問をそっと目を伏せて打ち切ると神魔と共に空間の門の中へと姿を消した
「……そろそろいいかな?」
最後に萼が空間の扉をくぐり、それが閉じるのと同時に天空から穏やかな青年の声が残った者たちに向けられる
「あら、御親切に待ってくれていたのね、ありがとう」
その声の主――十世界最強の天使「アーウィン」に視線を向けた玉章は、その絶世の美貌に妖艶な笑みを浮かべて、夫や子供たちと共に武器を構えて臨戦態勢を整える
この世のあまねく男を虜にするのではないかと思えるほどの美しさと透き通るような慈愛と妖艶さを兼ね備えた玉章の笑みを受けたアーウィンは、それに優しく微笑み返す
「いえいえ、できれば戦いは避けたいと考えておりますので……どうでしょう? 彼女と神器を渡してもらえると助かるのですが」
「はいそうですか、って答えると思うの?」
この場を任せろと言って萼達を送りだした手前、決して承諾する事の出来ない条件を提示してきたアーウィンの言葉に、抑制の利いた鋭い声で応じた玉章は全ての伴侶と妖力を共鳴させる
「……ですよね」
そう応える事が分かっていた様子で小さくため息をついたアーウィンは、その身体から神聖な光の力を噴き上げ、自身の力を水晶のような片刃の刀身を持つ純白の大槍刀へと顕在化させる
「――さぁみんな、私達の力を見せつけてあげましょう」
戦意に満ち溢れた玉章の言葉と同時に、その一家が武器をアーウィンへ向け、茉莉と紫怨と、ジュダとシルヴィア――それぞれ対峙する相手との戦いの火蓋が切って落とされた
「残念だよ、双閣」
その手に持つ血のような色の刀身を持つサーベルを軽く振るって、冷ややかな声を発したクラムハイドの視線の先にいるのは、全身からおびただしい量の血炎を立ち昇らせ、その場にうずくまるようにして倒れ伏している双閣の姿。
瀕死とまでは言わないが、これ以上の戦闘は確実に不可能であろう程痛めつけられた双閣の傍らを通り抜けて振り返り、妖界城へ背を向けたクラムハイドはこの場に集った十世界の同士達に勝利の確信に満ちた笑みを見せつける
「さあ、諸君行こうか。新たなる世界の礎を築きに」
クラムハイドの宣言を聞きながら、恋依はその穏やかな微笑を崩さず、しかしその表情とはかけ離れた鋭い光をその瞳に宿して勝者と敗者を見比べる
(……まぁ、三十六真祖の中でも上位の力を持つクラムハイドさん相手ならこんなものでしょうね)
双閣は決して弱くない。十世界に所属する妖怪の中でもクラムハイド、鋼牙に次ぐ実力を有しているのは間違いない。
しかし、クラムハイドは妖怪の中でも突出した力を持つ三十六人の真祖の中で、さらに上位の力を持っている。強さの順位は二つしか違わないが、その力の差は果てしなく大きなものがある
(でも、やっぱり変ですよね~)
クラムハイドに続き、十世界の妖怪たちが妖界城に向かっていくのを見送っていた恋依は、疑惑に満ちた視線を向けて内心で呟く
(もし、本当に彼が神の力を手に入れているなら、私など仲間に引き込む必要がなかったのではないでしょうかね? むしろ、いつでもこれができたはず……)
恋依の脳裏によぎるのは、クラムハイドが先ほど言っていた言葉――「この身には神の力が宿っている」というもの。
もし本当に神の力を得ているというのならば、自分を十世界に引き込む必要性などなかったはずだ。神の力をもってすれば、いかに九世界の王といえど互角以上に戦う事が出来る。
にも関わらず、クラムハイドは自分が加入するタイミングを待って、この戦いを仕掛けた――そこに何らかの思惑があるような気がしてならない
(なぜ、このタイミングで妖界を手に入れようとするのか……)
十世界の軍勢を率いて天を翔けるクラムハイドの背に視線を向け、剣呑に目を細めた恋依は自身の同胞である籠目、凍女と共に地を蹴ってその後に続く
(この戦い、何か裏があるかもしれませんね)




