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魔界闘神伝  作者: 和和和和
妖界編
101/305

神の残言





 世界と世界の狭間に広がる時空の境界、――上も下もない虚数世界の中で、金色の髪をなびかせて、茉莉は静かに佇んでいた

「…………」

 その端正な顔に沈痛な面持ちを浮かべ、唇を引き結ぶ茉莉の意識に、世界を介した思念の言葉が届く

《何をしている?》

「……っ」

《ゼノン様……》

 脳内に響いた声――十世界に所属する悪魔たちの元締めである最強の悪魔「五大皇魔」の一人「ゼノン」の声に、茉莉は思わず目を瞠りその顔を青褪めさせる


 思念通話というものは、互いに命を共有した伴侶でもない限り、世界の境界をまたいで届く事はない。紫怨から頻繁に送られてくる思念も、茉莉が意識して遮断しているからこそ、その言葉が届かないのだから。

 しかし、十世界の本拠地は世界と世界の狭間に存在する。あの場(・・・)から逃げ出して時空の狭間に逃げ込んだが故に、ゼノンの思念が自分に届いたのだと茉莉が理解するまでに少しの時間を要した


《お前には、神眼(ファブリア)の回収を命じたはずだ》

 そんな分かり切った事すら一瞬失念してしまうほど平静さを欠いている茉莉の意識に、ゼノンの淡々とした冷ややかな声が響く

《ですが……》

 ただの意識、言葉でしかないゼノンの言葉が持つ圧倒的存在感と優位性に、茉莉は自分の身体が芯から震えだすような感覚を覚えて重ねた手を強く握りしめる

《過去の男から逃げたのか》

「……っ!」

 まるで見てきたようなゼノンの言葉に茉莉は目を瞠り、言葉を失う


 心の底から愛し合い、魂と身体を重ねて命を共有した茉莉だからこそ、その伴侶である紫怨が存在する座標を正確に把握することができる。

 それが伝えてきた紫怨の位置――あの時、まさに神魔と桜と戦いを繰り広げていた妖界に向かって来ていた愛する人の存在を知覚していたからこそ、堕天使の乱入という不測の事態に紛れてこの時空の狭間に逃げ込んだのだ

 茉莉は誰よりも分かっている。自分の心の中心に存在する想い人(紫怨)の存在が自分にとっていかに尊いものであるか。これまでとは違い、自分を求めてくれる紫怨の言葉に、感情のままにいつその胸に身を委ねてしまってもおかしくないという事を


《そんな事をしても、無駄だと分かっているだろう? ――身体を重ね、命を共有したお前達は、互いにその存在を感知し合う。奴がお前を追ってくる事を阻む事は出来ない》

 そんな茉莉の心中を見透かしているかのように、ゼノンの重厚な声音が茉莉の意識に響く

《ですが……》

 ゼノンの言葉に、躊躇いを滲ませた口調で口ごもった茉莉は、その視線を伏せて唇を引き結ぶ


 紫怨と茉莉――心と身体を重ね、命を共有した全霊命(ファースト)同士は、互いの存在を認識し合う事が出来る。どれほど離れても、異なる世界にいても互いの生存を知り、必要とあらばその位置を検索する事も可能になる

 その力を以って、紫怨が妖界に近づいている事を察知してあの場から逃亡した茉莉だったが、それが意味を成さない事など、ゼノンに言われるまでもなく承知している。

 今日まで紫怨が茉莉に積極的に接触してこなかったのは、茉莉が十世界の本拠地にいたからだ。さすがの紫怨も異端神や世界最強レベルの全霊命(ファースト)が何人もいる本拠地に乗り込んでくる事はしない


《それほどまで、男の事を忘れられないのならば、お前の手で殺せ》

 沈黙を貫く茉莉は脳裏に響いたゼノンの無機質な声に、その顔を一瞬で青褪めさせる

《そのような事……》

 想い人への想いに縛られている以上、それを断ち切るには紫怨を殺すしかない。しかし、紫怨への想いを失った訳ではない茉莉にはそんな選択肢を承服する事など出来なかった


 茉莉が紫怨を遠ざけるのは、決して愛情が失われたからではない。むしろ、今でもその気持ちは微塵も変わっていないと断言できる。だが、今思念によって言葉を交わすゼノンが――十世界の理念の裏に隠れて何かを成そうとする者達から紫怨を遠ざけたいからだ

 かつて自分の強さ故に紫怨を傷つけ、自分の弱さゆえに紫怨を傷つけてしまった事を今でも後悔している茉莉は、また自分にかかわる事で紫怨が傷つく事を避けたかった。――仮にそれが、紫怨が望んでいない、自分の独りよがりであったとしても。


 茉莉の沈黙に耐えかねたのか、あるいはただ単に本心で言った訳ではなかったのか、一瞬の沈黙の後に、ゼノンの声が響く

《……こちらからジュダを送るように仕向けてやる。お前は神眼(ファブリア)と、そこに眠るもう一つの神器を回収してこい。これは命令だ――分かるな?》

「……はい」

 神眼(ファブリア)を回収するように言いながらも、おそらく本命は妖牙の谷(ザナフバレー)に眠っている神器の方であろうゼノンの言葉に、茉莉は神妙な面持ちで小さく頷く


 姫の理念の影で蠢くゼノンの目的は、茉莉にさえ判然としない。全ての神器を使う事が出来るという姫――「奏姫」の能力を逆手にとり、姫を慕う十世界の同胞たちを使って「真の神器」を集めている事だけは知っているが、その先に何があるのかは分からない。

 だが「真の神器」の事を考えれば、最悪の予想はつく。――そして、もしもその考えが的中しているならば、ゼノンの後ろにいるのは――……


 一方的に意識の通信を終了したゼノンの言葉を脳裏に響かせながら、茉莉は自分に言い聞かせるように胸に手を当てて、沈痛な面持ちで唇を引き締める

「紫怨……」

 小さく想い人の名を噛みしめ、自分の心にある紫怨と過ごしたかけがえのない日々を思い起こして、戦意を保つ茉莉は、その場かに世界を繋ぐ空間の扉を開いてその中へと足を踏み出した





「なんだ、城の外じゃない。……一気に玉座の間まで突入できると思ったのに」

「……会忌(えいみ)

 純白の髪と着物を纏った女性――凍女(こごめ)の妖力特性によって、戦略地の中心に召集された十世界の妖怪達を見回して、会忌(えいみ)はありありと不満を滲ませ、ヤマセがそれをたしなめる

 眼前にそびえ立っているのは、紛れもなくこの世界の中枢である妖界城。妖怪王を抹殺し、自分が新たな世界の中心になり替わろうとするクラムハイドの思惑を熟知している会忌(えいみ)は、一気に玉座の間へと侵攻し、攻勢をかけられると思っていた当てが外れて肩を落とす

「無茶を言わないでくれる? あなた達を転移させるためには、凍女(こごめ)凍女(こごめ)の妖力の媒体がその座標にいる必要があるの。

 妖界城の中に、誰にも気づかれずに分身体を送り込める訳がないし、仮に送り込めたとしても転移させる時の空間の乱れで、すぐに察知されて包囲されるのが関の山よ」

 会忌(えいみ)の言葉に、恋依(こより)の背後に控えていた赤い髪の女妖怪が一歩前で出て、凍女(こごめ)を庇うように一歩前に強い口調で応じる

「……籠目(かごめ)

 その女妖怪は、まるで凍女(こごめ)を鏡に映したような瓜二つの顔立ちを持ちながら、しかし凍女(こごめ)とは対照的に赤い髪と胸元が大きく開いた巫女服と道着を合わせたような着物の上に、注連縄のような帯を持つ霊衣を纏っている

 どこか気が強そうな印象を受ける女妖怪の名は「籠目(かごめ)」。――凍女(こごめ)の双子の姉であり、共に三十六真祖の一角を成す「恋依(こより)」の腹心をも務めている

「んな事言われなくても、分かってるわよ。冗談が通じないわね」

 籠目(かごめ)に非難の言葉を向けられた会忌(えいみ)は、苦々しげに表情を歪めて吐き捨てるように言い放つ



 神に最も近い霊格を持つ力――「神能(ゴットクロア)」を持つ全霊命(ファースト)は、その力を以って時空を歪めて世界を移動したり、空間を繋げて超長距離を転移することができる。

 世界最高位の存在である全霊命(ファースト)にとって、この世で覆せない理はなく、この世界の全てを支配下に置いていいると言ってもよい。


 しかし、その高すぎる力には、ある一つの危険性があった。それが、会忌(えいみ)の言ったように、時空間を歪めて玉座の間や重要施設に容易に侵入することができるという長所にして欠陥。

 故に、一般的に全霊命(ファースト)が統治する各世界の城は、王本人かその腹心の誰かが、常に結界を張り巡らせ、空間を歪めての侵入を阻んでいる。――しかも大抵の場合、転移してくる方を阻んでも、基本的に転移する方は邪魔しないようになっている。

 さらに言えば、凍女(こごめ)の妖力特性によって生み出される分身体は、それ自体が妖力の塊であるが故に、簡単に知覚に捉えられてしまう。仮に誰にも気づかれずに侵入し、結界を力づくで破っても、結界を展開する者の知覚の網にかかって見つかってしまう。そうなっては奇襲も何もあったものではない。


「それよりも、妖界王様への対応は大丈夫なのですか? いくらあの方が引き籠りでも、命の危機に晒されれば確実に繭の中から出てきますよ?」

 たがいに睨み合い、一触即発の装いを見せている籠目(かごめ)会忌(えいみ)の間に割った入った凍女(こごめ)は、その視線を妖界城を見据えているクラムハイドへ向ける


 クラムハイドが立てたこの計画は、妖界王を殺し、自分達がこの妖界の支配者となる事で十世界の――否、愛梨の傘下に入る事を目的としている。

 そのために必要となるのは、全ての全霊命(ファースト)の中でも最強クラスの実力を持つ王級の全霊命(ファースト)――「妖界王・虚空」を退けるだけの力だ


「大丈夫だ。抜かりはない……既に切り札はこちらの手の内にある」

 凍女(こごめ)の問いかけに不敵な笑みを浮かべたクラムハイドは、そう応じると眼前にそびえ立つ妖界城に視線を向けて、自身に突き従う全ての十世界の所属者達に背中越しに語りかける

「切り札?」

「あぁ、我が身には神の加護が宿っている」

「――っ!?」

 クラムハイドの言葉にその場にいた全員が息を呑む

 ただ黙してそれ以上語る事無く眼前の妖界城――否、これから起こる戦いとその未来を見据えるように佇むクラムハイドの背に、恋依(こより)は抑制の利いた静かな声を向ける

「まさか、あなた神器を……」

「俺は戻るぞ」

 恋依(こより)が言葉を言い終えるよりも早く、その言葉を逆立った真紅の髪を持つ悪魔が強い口調で遮る

「紅蓮」

 妖牙の谷(ザナフバレー)へ戻ると言いだした紅蓮にラグナがたしなめるように声を向けると、当の本人は遥か彼方にある戦場とそこにいるであろう好敵手と定めた相手を見据える

「あの程度であいつがくたばる訳ねぇ。俺は戻って大貴との決着(ケリ)をつける」

 先ほどの攻撃では大貴が死んでいるなど微塵も思わず、確信に満ちた声で言い放った紅蓮は、その視線をラグナに向けて鋭く抑制された声を向ける

「止めるなよ、ラグナ。俺達には神眼(ファブリア)を回収するという目的があるだろうが。――それに妖牙の谷(ザナフバレー)にの神器も回収してこないといけないからな」

「それなら心配ない。すでに『アーウィン』に回収を頼んだ」

 やや語気を強めて発せられた紅蓮の言葉に、クラムハイドは抑制の利いた静かな声で応じる

「……なっ!?」

 クラムハイドの言葉に目を見開き、言葉を失う紅蓮を横目に、十世界と合流したばかりの恋依(こより)が小首を傾げる

「誰ですか?」

「……アーウィンは十世界に所属する天使を束ねる総督で、四聖天使にすら匹敵する力を持つ、十世界最強の天使だ」

「十世界最強の天使……」

 恋依(こより)の言葉を受けたラグナは、その目を細めて抑制の利いた声で応じると妖界城を前に佇むクラムハイドを一瞥し、黙して語らないその背にしばし思慮に満ちた視線を向け続けていた







 その頃、天空から降り注いだ真紅の閃光によって焼き払われた妖牙の谷(ザナフバレー)の底――玉章(たまずさ)が統治する街は、破壊の光に内包された純然たる殺意の力が現実に及ぼした破壊の事象によって瓦礫の山と化していた

 まるで生命を刈り取ってしまったかのような破壊の後には、世界を真紅に染め上げた妖力の残滓が漂いながら、その力と共に世界に溶けていく


「……っ」

 以前の優美な姿を完全に失ってしまった街の光景を見て、瑞希の結界に守られてその破壊の力をやり過ごした詩織は息を呑む

「……やってくれたわね」

 詩織を結界で包み込んで守った瑞希は、破壊の力を防いだ自身の武器である双剣を手にして、その氷麗な顔に憤りの色を浮かべる

 瑞希の彫刻のように整ったと両腕の一部から血炎が上がっており、天空から降り注いだ破壊の光を相殺しきれなかった事を如実に表している

「瑞希さん、あの……」

「私の事は気にしなくていいわ……それにしても、かなり弱められたにもかかわらずこの破壊力――さすが墜天の装雷といったところね」

 軽く天を仰いだ瑞希の視線を追った詩織は、そこに左右非対称色の黒白の翼を広げた自身の双子の弟の姿を見て目を細める

「……大貴」


 天空から破壊の光が降り注いだその瞬間、大貴は光魔神としての自身の能力を解放し、真紅の破壊光を自身の力として取り込み、その破壊の力をそのまま破壊光に撃ち返していた。

 光と闇、生と死――この世に存在するあらゆる境界を司る光と闇の力を同時に持つ唯一の全霊命(ファースト)である光魔神の力は、あらゆる力を一つに束ね、自身の力へと紡ぎ上げる力を有している。


「……間一髪だったな」

 万象を紡ぐ力によって、天空から降り注いできた破壊の力に宿る妖力を自身の神能(ゴットクロア)――太極(オール)の力によって紡ぎ上げた大貴は、己の力が顕在化した武器である刀を持つ手を一瞥してから、その視線をさらに下にずらす

「御助力感謝するわ、光魔神殿」

 大貴の視線を受けた玉章(たまずさ)は、その手に持つ自身の武器である身の丈に及ぶ筆杖を手にその美貌を優しく緩める


 妖力共鳴によっておびただしい数の自身の伴侶と妖力を共鳴させた玉章(たまずさ)は、共鳴強化された妖力を用いて自身の妖力特性である「色」の力を最大級に顕現させ、恋依(こより)の破壊の光を中和し、さらに自分達の力を強化して相殺している


「こちらこそ、助かったよ」

 玉章(たまずさ)の言葉に静かに応じた大貴は、無残な瓦礫の荒野と化した谷底の街を見回して目を細める


 太極(オール)と多重妖力共鳴による中和と強化。主にこの二つの力を以って相殺された破壊の紅光は、その破壊力を大幅に削られた。――にもかかわらず、万象を超越する神速で放たれた破壊光を完全に相殺しきるには至らず、その破壊の余波が|妖牙の谷を蹂躙してしまっていた

 神速の世界で行われた刹那すら存在しえない、ほんの一時のやり取りが、破壊光の破壊力と大貴達の力のすさまじさを共に物語っていると言えるだろう


「あの、瑞希さん……墜天の装雷ってなんですか?」

 その光景を瑞希の結界の中から、その知覚を与える力によって見ていた詩織は、凄まじい破壊力と形をとどめない凄惨な瓦礫の光景から眼前に立つ漆黒の髪を後頭部で一つに結った氷麗な悪魔の女性に視線を向ける

「かつて聖魔戦争の折、たった一人で天使の軍勢を撃ち落とした闇の全霊命(ファースト)屈指の戦力保有者の事よ。『墜天の装雷』は、『天使』を墜とす破壊者と呼ばれたその人物の通り名といった所かしら

 他世界の事だから戦争の後の話にはあまり詳しくはないけれど、今では三十六真祖の一人になっていると聞いているわ」

 詩織の言葉に、瑞希は抑揚のない口調で淡々と言葉を紡いでいく


 恋依(こより)という名は知られていなくとも、その通り名である「墜天の装雷」は九世界中に轟いている。――かつて光と闇の軍勢が争った大戦争「聖魔戦争」において、天使の軍勢をたった一人で撃ち払ったと言われる妖怪。

 圧倒的な破壊特化の妖力特性を持ち、空間ごと天使たちを焼き払い屠っていくその様は敵味方問わず畏怖の視線に晒され、「天を墜とす破壊者」と呼ばれたその人物は、いつの間にか「墜天の装雷」という字で知られるようになっていた


「――っ!」

「まったく、とんだ人物を引っ張り出して来てくれたものだわ」

 その説明を受けて絶句する詩織の傍らで、瑞希は大戦以来その身を潜めていた伝説的な妖怪を味方に引き入れた十世界と、九世界を裏切って十世界についた墜天の装雷に対して忌々しげに舌打ちをする

「そう言えば、みんなは!?」

 瑞希の言葉に神妙な面持ちで耳を傾けていた詩織は、自身の胸を締め付ける不安に急かされるように先ほどの破壊光に巻き込まれたであろう想い人の事を問いかける

「……大丈夫よ。あの一撃で多少なりとも傷を負っている可能性はあるけれど、そこまで深刻なダメージを受けた様子の人はいないわ」

 詩織の言葉に、その真意を正しく理解している瑞希は、知覚で捉えた神魔を含めた神能(ゴットクロア)が全て生存している事を確認し、加えてそれらが生命の危機にかかわるように大きな損傷を負っていない事を感じ取って抑制の利いた声で静かに応じる


 神能(ゴットクロア)全霊命(ファースト)にとって生命力と等しい。命の危機が近ければ近いほど本来無限であり、衰える事を知らないはずの存在そのものの力である神能(ゴットクロア)はその力を弱めて消えていく

 しかし、この場で感じられる千を超える全ての神能(ゴットクロア)からは、生命の危機に晒されるような重傷を負ったと思しき霊の力の弱体化は感じられない。――それが意味するのは、誰ひとり死んでおらず致命的な損傷を受けた者も皆無であるという事だ







 そして、そこから離れた一角にある瓦礫を押しのけ、ゆっくりと立ちあがった神魔は、自分とほぼ同じところにいた桜色の髪を持つ己の伴侶に優しく手を差し伸べる

「大丈夫、桜?」

「はい……神魔様こそ」

 神魔の手にそっと自身の手を添えた桜は、背中の左肩辺りから血炎を立ち昇らせている最愛の伴侶を憂いを帯びた瞳で見つめる

 桜の言葉を受けた神魔は、その表情を見て優しく微笑み返すとその表情を険しいものに変えて真紅の光が降り注いだ天を仰ぎ見る

「僕は大丈夫だけど、めちゃくちゃやってくれるね、本当に……!」

「あれが噂に名高い墜天の装雷の破壊の雷ですか……確かに天使の軍勢を単体で圧倒し、撃沈したと言われるだけの事はありますね」

 伝説に語られる墜天の装雷の圧倒的攻撃力を実際に垣間見た二人は、神妙な面持ちでこれから敵対する相手の事へ思案を巡らせてその目を剣呑に細める

「だね。単純な破壊力に特化した妖力特性――威力だけなら、王にも匹敵するっていうのは誇張じゃないね」

 神魔がやや強張った声で独白した瞬間、背後の瓦礫が漆黒の光によって消し飛び、そこから暗黒色の翼を持つ男――堕天使・ザフィールが姿を現す

「やっと出てきたね」

「ぐっ……」

 腹部に袈裟掛けに切り裂かれた小さくない傷と、全身から血炎を立ち昇らせるザフィールは神魔と桜を見据えて、漆黒の斧槍を持つ手に力を込める

「神器は瓦礫の下か……」

 地下へに広がる洞窟となっていた神器の安置場所は、天空から降り注いだ赤光の破壊によって崩れた地盤に埋まってしまっている

 全霊(ファースト)にとってそれを取り出す事はさして難しい事ではないが、眼前にいる二人がそれをさせない事をザフィールはこれまでのやり取りから十分に理解していた

「やっぱり、あの程度じゃ死なないか。頑丈だね」

「あの攻撃を囮にして特攻を仕掛けてきた者の言葉とは思えんな」

 素直に感嘆の念を表す神魔の言葉に、ザフィールは腹部に刻まれた大きな傷に手を当てて、畏敬の念すら感じられる笑みを浮かべる


 天空から破壊の光が降り注いだ時、さすがのザフィールも知覚を焼く強大な力の波動に一瞬意識を奪われてしまった。

 その刹那の隙は、時すら超越する神速を有する全霊命(ファースト)同士の間では、まさに命取り。地上で大貴や玉章(たまずさ)がしたような防御や相殺行動を一切取らずに肉迫した神魔の大槍刀による一撃が、ザフィールの身体に大きな傷を刻みつけ、そのまま破壊の光に呑み込まれたのだ


「特攻? ……そんな訳ないじゃない」

 ザフィールが自身の身体に刻みつけられた傷を抑えながら苦悶の笑みを浮かべるのを見て冷ややかにそう言放った神魔は、その視線を隣にいる桜に向ける

「――っ! クク……なるほど、したたかな奴らだ」

 その視線で、瞬時に最初から神魔と桜が示し合わせた攻撃だった事を理解したザフィールは、その口から堪え切れない笑みをこぼす


 最初から神魔は全て計算ずくで行動していた。常に一呼吸も乱さず連携を行う事が出来る神魔と桜があの時だけは、神魔(片方)しか攻撃しなかった。それは、最初から桜が万が一攻撃を見切られた時、あるいは天から降り注いだ破壊の光から神魔を守るために後方に控えていた事を意味する。

 しかし、いずれにしても天から破壊の紅光が降り注いできたのは、神魔にとっても桜にとっても全く予想だにしない事だったのは間違いない。にも拘わらず、それを一瞬で利用し、互いに呼吸を合わせた連携を行う事が出来たのは、ただ単純に二人の絆のなせる技。――ザフィールにとっては、素直に驚嘆するしかない事だ


「さっきの話でいくつか聞きたい事があるんだけどいい?」


 神魔の言う「さっきの話」が、世界に歪みをもたらす神の力である事は容易に想像できる。――混濁者(マドラス)を生みだす原因となる本来ありえないはずの異なる全霊命(ファースト)種族による愛情の芽生え。

 それらは、全霊命(ファースト)と呼ばれる神の映し身である世界最高位の存在に対する影響を与えられるもの――即ち「神」の力によるものだということに対する疑問という事になる


「…………」

 神魔の言葉に、ザフィールは一切表情を変える事無く、無言を以って応じる

 それは無言の肯定とも取れるが、拒絶しているようにも見える。しかし神魔はその返答を待たずに淡々と言葉を続けていく

「その神器の見分け方と、それを九世界に隠して行動している堕天使王の真意を確かめたいんだけど」

 神魔の問いかけを受けたザフィールは、その鋭い目で眼前の悪魔を見据えたまま、しばらくの沈黙を貫く


 神魔の問いかけの真意は、全霊命(ファースト)の存在を根底から揺るがし、世界に歪みを生じさせている神器の判別方法と、その事実を九世界に隠して堕天使だけでその行動を行う堕天使王の真意を問いかけるもの。

 もし、ザフィールの言葉が真実であり、混濁者(マドラス)や「在ってはならぬもの」が世界の歪みの象徴であるのならば、この先世界にどのような異常が起こるか分からない。

 にも関わらず、かつて天界の王を務めた最強の天使であった堕天使王がそれを世界にひた隠しにして行動する意図が理解できない


「見分け方が分かっていれば苦労はない。唯一分かっているのは、現在進行形で世界の歪みが生じている以上、半覚醒状態であろうと機能している神器であることだ」

「……だろうね」

 しばしの沈黙を守っていたザフィールが重厚な声で発した言葉を受けて、神魔は抑制の利いた声で淡々と応じる


 いつから世界に影響をもたらしているのか判然としないが、現在進行形で世界に影響を及ぼしている神の力があるとすれば、それは現在もその力を発現させていると考えるのが自然だ。

 そのためには神の力そのものが微弱にでも働いている必要がある。天使達の居城である天界城が、半覚醒の神器の力を利用した結界に守られていたように、完全ではなくともその力を発しているものが元凶と見るのが正しいだろう


「そして堕天使王様の真意だが……私は『神』が関与していると考えている」

「考えている、って……知らないって事?」

 次いで紡がれたザフィールの言葉に、神魔は驚愕の色をわずかに滲ませた声音で確認するように問いかける

「貴様たちも知っているだろうが、堕天使王・ロギア様はかつて十聖天とよばれた最強の天使の長。その御方が堕天使となったのは、闇の神の一柱――神位第六位『堕神・フォール』の加護を得たからだ」

「……知ってる。九世界で唯一、神からその権能と権威を譲渡された存在――神によって意図的に作られた生きた神器(・・・・・)だよね」

 ザフィールの言葉に、神魔が小さく応じる


 神から生まれた最初にして最強の十人の天使の一人でありながら、闇に染まった光の力を得た「堕天使堕天使王・ロギア」は、九世界の歴史上唯一神の手によって直接生み出された「神器」だ。

 その詳しい経緯を知る者は現在の十聖天や王にすら存在しないが、ロギアはその身に闇の神の一柱「堕神」の加護を受け、最初の堕天使となった。堕天使王だけが堕天使を生みだす力を持っているのは、天使を堕天使へ変える「堕天」の権能をその際に授かっているからだ

 それは、光と闇の神位第一位である二柱の絶対神「創造神・コスモス」と「破壊神・カオス」の戦闘の際、その力の残滓から生じた数多の神器とは一線を画す、神によって意図的に作られた生きた神器――それが「堕天使王・ロギア」だ


「そうだ」

 神魔の言葉に簡潔な言葉で応じたザフィールは、そこで一呼吸置いて話を区切ると、そのまま言葉を続けていく

「この世界を真の意味で創造した神々は、創界神争の後に我々に世界を委ねてその姿を消した。――だが、神は消えたわけではない。神は干渉しないだけでこの世界を常に監視している」

「不可神協定……」

 ザフィールの言葉に、神魔の口から小さな声が漏れる


 この世界とそこにある万物万象を創造した二柱の絶対神を筆頭とする光と闇の神々は、創界神争の後にその存在をこの世界から消したが、神が滅びた訳ではない。

 神は自分達が作り上げたこの世界を、同じく自分から生まれた全霊命(ファースト)を筆頭とする被造物(子供達)に託し、「不可神協定」と呼ばれる神が世界に干渉しない約定を光と闇の神々の間で取り交わして以来傍観者に徹している

 異神大戦の時も聖魔戦争の時も神々はその力を示す事もせず、世界はそこに生きる者たちによって動かされてきた


「そうだ。神々は常にこの世界を見ている。――当然、この世界の歪みにも気づいているはずだ。だがいかに不可神の協定があるとはいえ、滅びゆく世界を救いもせず、傍観と諦観に徹するその意図を図っておられるのだと私は考えている」

 神魔の言葉に淡々と応じたザフィールは、まるで「滅びゆく事もまた世界の運命」とばかりに、神の力が原因と思える世界の歪みと崩壊への序曲を前にしても傍観に徹し続ける神々を見据えるように天を仰ぎ見る

「我らがこの世界を担うのにふさわしいかどうかを確かめているのか、あるいはこれが神の定めた試練と選択なのかもしれん……だが、常に我々は我々の意志と力で世界の在り方を見極め、世界を導いていかなければならないのだ」

 世界を慮る強い意志の籠った瞳で神魔を見据え、重厚な声で静かに言葉を発したザフィールは、その武器である黒翼の刀身を持つ斧槍の切っ先を向ける

「神の意志……か」

「ならば示す必要があるだろう!? ……いや、そうでなくとも成さねばならぬだろう。この世界に生きている我らが、この世界を担う意志を」

 その身体から漆黒の光を噴き上げながら、重厚な声に強い意志と決意を宿すザフィールの言葉に、神魔と桜は無言のまま共鳴させた魔力をを各々の武器に纏わせて、その意志と力に相対する

「それが、九世界にそれを言わない理由?」

「あの御方もまた見定めているのだ。その身に神の力の一端を宿した者として、神々の意志を。……そして世界の行く末を。――世界の選択を!!」

 九世界と十世界。互いの存在を認めながらも互いの存在を否定し合う二つの意志。――世界の選ぶべき選択そのものである二つに分けられた現在の世界を見据えて咆哮したザフィールの言葉を、神魔と桜は無言のまま受けとめ、しかし微塵も揺るがない戦意と殺意を向ける

「……やはり、退く気はないのだな」

「お互いにね」





 それとほぼ同時刻、地上ではザフィールと共にやってきた堕天使「オルク」とクロスが黒と白の翼を向かい合わせた状態で距離を取って佇んでいた

「……なんだったんだ、今の?」

「オルク」

 天を仰ぎ、漆黒の光の結界を解いたオルクに、クロスは視線を向ける

 かつて共に天界に白い翼を広げた二人は、今は互いに相反する翼を以って対峙し、互いに過ぎ去った無情な時の流れに想いを馳せて目を細める

「クロス」

 戦意を向けるでもなく、敵意を向ける訳でもなく、ただ互いに視線を交錯させていたクロスとオルクの間に、四枚の純白の翼をはばたかせてマリアが飛来する

「マリア」

「……マリア姉」

 天使と堕天使二人からの視線を受け、クロスの許へと舞い降りたマリアは、相対する相手――オルクへと視線を向けて、一抹の寂しさをにじませた視線を向ける

「オルク君……」

(本当に堕天使に……)

 思念通話でオルクの事を聞いていたマリアは、目の前にいるオルクを見ても驚いた様子を見せず、クロスの言葉を再確認して、ばつが悪そうに視線を彷徨わせるその姿に愁いを帯びた笑みを向ける

「後悔していませんか?」

 クロスと違い、責めるでも問い詰めるでもなく、その心を見定めようと思慮に満ちた慈悲深い視線を向けるマリアに、オルクはしばしの沈黙の後ゆっくりと絞りだように声を発する

「……分からない」

 天使と人間の間に生まれた許されざる存在――混濁者(マドラス)であるマリアだからこそ、天使の白い翼を棄てたオルクの意志を懸命に汲み取ろうとしている。

 それが分かっているからこそ、まるで母親のように自身の身を案じてくれているマリアの視線から逃げるように目を逸らしたオルクは、自分自身に問いかけようと目を伏せる


 純白から漆黒へと変わった四枚の翼。それによってオルクは自分の立場と世界が変わったことを実感している。しかしそれで自分が変わった訳ではない。

 本当に白い翼を棄て黒い翼を得た自分の選択が正しかったのか、二度と白には戻らない黒い翼を見る度に後悔と疑念に駆られるのが本心だった


 そんなオルクの迷いを見抜いたかのように目を伏せたマリアは、優しい声に凛とした静かな張りを持たせてかつて同胞だった堕天使に視線を向ける

「そうですか……では、その黒い翼に恥じないように生きなさい」

「僕は……っ」

 楚々としたマリアの言葉に、まるで自身の存在意義を問いかけられているかのような錯覚に陥ったオルクは拳を握りしめて声を噛み殺す

「――っ!!」

 オルクが何か言葉を続けようとしたその瞬間、はるか上空の空間が歪み、世界と世界を繋ぐ門へと形を変えたと同時に、そこから現れた強大な力がその場にいた全員の知覚を焼く

「なっ……!?」

 全員が天を仰ぐと、空間同士をつなぐ門となった空の歪みから、瞳のない目と鹿のように枝分かれした角を持つ男と、金色の髪をなびかせる美女が姿を現す

「……丁度いいタイミングだな」

 眼下に広がる光景を見て、瞳の無い有角の男――ジュダが小さく独白すると、茉莉はその言葉に無言を以って応じる

「あれは……」

 ジュダと茉莉――共に全霊命(ファースト)の中でも上位に位置する力を持つ二人は、墜天の装雷の一撃を受けても尚、生き残っている者たちを睥睨し、感嘆の入り混じった声で呟く

「だが、墜天の装雷の一撃を受けては、さすがに無事では済まなかったらしいな」

 そこにいる誰もが多かれ少なかれ傷を負っているのを見て独白したジュダは、沈黙を貫く茉莉を一瞥してその口元に笑みを刻む

「さっさと神器を回収するか」

「ええ、そうですね」

 ジュダの言葉に抑制の利いた声が続いたかと思うと、二人の背後の空間が異なる世界同士を繋ぐ扉と化してそこから一人の男が姿を現す


「……!」


 空間の扉から現れた人物を見て、神魔達や(うてな)と李仙、玉章(たまずさ)達一家はもちろん、ジュダと茉莉までもがその表情に驚愕を浮かべる


 そこに佇んでいるのは、肩にかかるほどの長さの金色の髪を持つ十枚の翼を持つ天使の青年。中性的な顔立ちには、力強さというよりは物腰の柔らかさがありありと滲んでおり、一言で表すならば優しそうなお兄さんという印象がある。

 一点の曇りもない純白の翼と、それと同じくらい白いコートを風になびかせたその人物は、金色の神の隙間から見える白銀の瞳でジュダと茉莉を一瞥して優しく微笑む


(こいつ、強い……この光力、四聖級じゃないか)

 その身体から発せられる最強の天使に匹敵するほどの光力を知覚したクロスは、穏やかそうなその外見からは想像もできない程に強いその力に、身体を戦慄に震わせる

「クロス……」

 自分達よりも遥かに格上の天使が現れた事に身を強張らせるクロスに、マリアが憂いと不安の入り混じった視線と声を向けて小さな声を漏らす

「あらあら、これはちょっと分が悪いわね……」

 天空に現れた十枚翼の天使の力に、わずかに引き攣らせたような笑みを浮かべた玉章(たまずさ)は、その美貌に険しい色を宿して小さく独白する

 言葉には出さないが、神魔と桜、大貴、瑞希をはじめ、(うてな)、李仙、玉章(たまずさ)の一家と途中から乱入してきた二人の堕天使、ザフィールとオルクもその姿から目を離す事が出来ずに視線を送り続ける中、その天使は優しくその表情を綻ばせる

「お初にお目にかかります。十世界所属・天界総督――『アーウィン』と申します」

 その場にいる全員の視線を受けて優しく微笑んだ十枚翼の天使――「アーウィン」の声音は、とても穏やかで優しいものだった





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