九つの世界
この世界には「空間」という壁に隔てられた無数の「世界」が存在する。
そして、それはこの世で最も強大な力を持つ「八つの種族」と、最も異端な種族である「人間」の統治する九つの世界を中心として成り立っている。
その九つの世界を中心とする世界と、その中心である九つの世界を総称して「九世界」と呼ぶ。
※
ここは九世界の空間の狭間。どの世界にも属さない世界と世界の境界にある空ろな世界。
そこに広がっているのは、緑や水を抱いた大陸のように、巨大な大地から小さな岩塊までが重力など存在していないかのように浮遊し、果てしなく広がる一面の純白の雲海に抱かれたような世界。
天を覆う厚い雨雲から差し込む光に照らし出される神秘の空間は、まさに天に抱かれた世界だった
そこで一点の曇りも無い純白と純然たる漆黒が真正面からぶつかり合い、世界を揺らしているのではないかと錯覚する程の衝撃と共に消滅する
そして純白と漆黒のせめぎあったその場所に二つの影が静かに佇んでいた
「やるな」
金色の髪に金色の瞳。その背に二枚の純白の翼を生やした青年が手に持った両刃の大剣を握る手に力を込めて目の前に悠然と佇む人物に鋭い視線を向ける
「それはどうも」
その言葉に皮肉なのかそのままの意味に受け取ったのか、漆黒の髪と金色の眼を持つ青年が優しそうな笑みを浮かべる
その手に持つ武器――「大槍刀」と呼ばれる槍のような長い柄に身の丈にも及ぶほどの巨大な刀身を備えた武器をまるで棒切れのように弄びながら答えるその姿は、その穏やかそうな容貌からはかけ離れているように思われた
「一応、名前を聞いておいてやる。俺はクロス」
「……神魔」
クロスと名乗った天使は、自身の言葉に応じた悪魔――神魔を見て、まるでその存在を自身の中に刻みつけようとしているかのように目を伏せる
「そうか」
神魔が名乗ったのを見るとクロスが手に持つ大剣から純白の力が吹き上がり、その刀身に絡みつく。
クロスの放つ静かで激しい殺気をそよ風のように受け流して神魔は穏やかな笑みを浮かべた
「もうやめない? このまま戦ったら死ぬのは君のほうだよ?」
「分かってるでしょ?」といった様子で丁寧な口調で話かけてくる神魔にクロスは殺意を緩める事無く答える
「確かに俺よりお前の方が強い。……だがそれがどうした?」
クロス自身も神魔の言葉が示す意味を理解していた。しかし理解している事と納得する事は決して同じ事ではない
「やれやれ、まぁ確かに僕が悪魔で君が天使。戦う理由としては十分だろうけど出来れば逃げてくれると嬉しいな」
クロスの言葉と視線、何よりもその光力に宿った決意が揺るがないことを見て取った神魔が再度忠告する
「悪魔に逃げろって言われてはいそうですかって言うと思うか?」
歯牙にもかけていないからというわけではなく、その言葉の通りのことをおそらく本気で思っているであろう神魔の言葉に、クロスは抑制の利いた声で応じる
「……だよね、なら、仕方ない」
分かりきっていたとはいえ、戦意に満ち満ち、諦めなどという感情は微塵も感じられないクロスの返答に神魔は溜息混じりに応じる
瞬間、神魔の身体から漆黒の力が噴き出し、その手に持つ大槍刀にその黒い力が流れ込んでいく
「……っ!」
「さっさと終わらせてもらうよ。連れも待たせてるしね」
自分のものとは比較にならない圧倒的な冷たさと恐怖をはらむ殺気にクロスはわずかに眉をひそめる。
神魔も言った様にわずかだが神魔の方が強い。その言葉の通り決して圧倒的といえるほどには違わないその実力差でも、放つ殺気の冷たさと重さは悪魔である神魔の方がクロスを遥かに凌駕していた
「いくよ」
優しく穏やかな神魔の口調はその軽い耳障りとは無縁のドス黒い殺意を宿している。
その言葉に気圧される事無く神魔と視線を交差させるクロスは大剣を握り締めて戦意を研ぎ澄ませる
「……来い」
刹那、二人の姿は漆黒と純白の光となって奔る。一瞬にしてその間合いを詰めた二人は漆黒と純白の力を纏った武器を相手に向けて振り下ろす
「はあああっ!!」
漆黒と純白の力が真正面からぶつかり合い、絡み合い、収束し、相手を呑み込み、掻き消そうとその殺意のままに牙を剥く
「……くっ!」
一瞬の均衡。しかしその力の圧力にクロスは歯を食いしばる
神魔の言う通りわずかに、しかし確実に神魔の方が強い。その漆黒の力に呑み込まれないように全霊の力を振り絞ってその圧力に耐える
「くっ……おおおおおおっ!」
クロスは自身の出せる限りの力を振り絞る。しかし必死に力を振り絞るクロスとは対照的に神魔の表情には余裕すらも伺える
わずかだが確実な力の差は真正面からぶつかり合ったクロスを圧倒し、何とか踏みとどまっていた均衡が徐々に崩れ、純白を漆黒が浸食していく
(やられる……!!)
神魔の漆黒の力に飲み込まれ、自らの命の終わりをクロスが予感したその瞬間、世界が悲鳴を上げた
「!?」
神魔とクロスが一瞬目を見開く
世界が悲鳴を上げて、空間が軋む。二人の力がぶつかり合うその中心から空間が歪み、それが世界を歪めて亀裂を奔らせる
「なっ……!?」
その異常事態に二人が離れようとした時には時すでに遅かった
二人の力の接触点から発生した世界の亀裂は一瞬にして世界の渦となり、二人を呑み込む
クロスと神魔を呑み込んだ空間の渦は、世界の持つ自己修復機構によって拡大する事無くそのまま縮小して、消滅する。
「…………!」
空間の渦と共に二人の姿が消え、静寂を取り戻したその場所を遥か彼方から見つめる一人の人物がいた
黒い着物の上に足元まで届く白い陣羽織を羽織り、膝の裏にまで届く長い桜色の髪をなびかせるその人物は、神魔とクロスが呑まれ、消失した空間の渦があった場所を見つめたまま小さく息を呑む
しかし、その唇から言葉が紡がれる事はなく、その人物はそれ以上言葉を発する事無く、ただその場所へ視線を送り続けていた