上野芝の肉すいさん
土曜日の朝。
堺・上野芝の空気には、冬の手前の冷たさが混じりはじめていた。
秋香は、ライトブラウンの髪を
ハーフアップでまとめ、トップにほんのり“カチモリ”を効かせた。
ふんわり高さを出したシルエットは、
上品でありながら、どこか華やかさも宿している。
淡いベージュを基調にしたクラシカルなワンピース。
薄いシャツカラーの襟元には、同系色の細いネクタイ風リボンがすっと流れ、
胸元には小さなエンブレム刺繍が気品を添えている。
ウエストには同色のリボンベルトがきゅっと結ばれ、
そこから広がるスカートは大きく柔らかなプリーツが幾重にも揺れ、
外側のベージュと内側のモカブラウンの二重仕立てが
動くたびにふわりと重なり合って、まるで花びらのように広がった。
今日は――ひとりで、あの“肉すい店”へ向かう特別な日。
上野芝駅から歩いて二十分。
冷たい風に頬を赤らめながら、秋香はその店の暖簾を目指す。
「……ふぅ。やはり、この季節は温かいものが恋しくなりますわね」
古い木戸に近づいた瞬間、ふわりと出汁の香りが鼻をくすぐった。
鰹、昆布、そして牛肉の甘い香りが混ざり合って、
たった一呼吸で心がほどけてしまいそう。
「いらっしゃい!」
大将の明るい声に迎えられ、秋香は軽く会釈する。
「餅入り肉すい肉増しと、卵かけセットをお願いいたしますわ」
ほどなく届いたお膳を見て、秋香は思わず息をのみそうになった。
どん。
と――握りこぶし大の、大きな焼き餅。
こんがりと焼けて、外はカリッ。
湯気の奥に、黄金色の衣のような焦げ目が美しい。
「……まぁ、なんて迫力……。これはもう“主役”ではなくて?」
(え、餅デカすぎん!?これ主役どころか“ラスボス”級やん……!
やば、テンション上がってきたって……!)
肉すいの出汁は澄み切っていて、
ひとさじすくうだけで冬の体がゆるんでいくような香りが広がる。
ひと口すすむ。
「……っ……! なんてやさしい……のに、力強い……!」
鰹の香りがふわりと抜け、昆布の甘みがあとから追いかけてくる。
そこへ黒毛和牛の旨味が混ざり合い、
出汁の温度ごと胸の奥にじんわりと染みていく。
(え、バチバチに沁みるやつやん……!これ体ほどけるやつやん……!)
肉をひと切れすくうと――
黒毛和牛の薄切りが、出汁をしみしみに吸い込んで輝いている。
「……まぁ……! この瑞々しさ……!」
口に入れた瞬間、
じゅるっ。
その甘みが舌に溶けて消えた。
(うわ……じゅるじゅるやん……!肉増しにしてよかった……!
かき分けても、かき分けても肉……!最高か!!)
お椀の底には豆腐も潜んでいて、
それがまた出汁の旨味をやわらかくまとめあげていた。
卵かけご飯の卵は、まるで宝石みたいに透き通っている。
そこへ肉すいの出汁をほんの少し――たらり。
「……まぁ……! この香り……!」
ひと口食べると、卵の甘みと出汁の旨味が
口の中でふわりと混ざり合っていく。
(これ、究極の料理やん……!
卵×出汁×米とか、もう勝ち確のやつ……!)
最後、肉すいの出汁が少し残った。
秋香は静かにご飯をよそい、
残りの出汁をすべて注ぎ入れる。
湯気が立ちのぼり、冬の始まりの空気と混ざり合って――
まるで、香りの湯気が花のように広がった。
「……ふふ。なんて贅沢な締め……」
(出汁茶漬けとか優勝やん……! しみる……しみすぎる……!)
食べ終わって暖簾をくぐると、
風が肌をなでて、さっきまでの温かさを思い出させた。
「……やはり、冬はお出汁の季節ですわね」
プリーツの裾が風に揺れ、
胸元のエンブレム刺繍がきらりと光る。
「今日の肉すい……きっと、この冬最初の、いちばんの味でしたわ」
秋香はふわりと微笑んで歩き出した。




