心斎橋のたこ焼き屋さん
夕陽に照らされたネオンが、ゆっくりと灯りはじめていた。
人の波とソースの香りが入り混じる、不思議な温度が街を包んでいる。
秋香は、白鳳女学院の制服姿のまま、
心斎橋筋の交差点をひとりで歩いていた。
ライトブラウンの髪が、風にゆるやかに揺れる。
それは空の色をひとすじ閉じ込めたような淡い色で、
通りのネオンを反射して、ほのかに光って見えた。
制服の襟元はきちんと整えられ、
足元のローファーは、磨き上げられたように艶を帯びている。
その立ち姿には、育ちのよさと静かな品があった。
けれど、目元にわずかにきらめくラメが光る。
それは校則ぎりぎりのライン――
彼女の“素”をほんの少しだけ覗かせる、ささやかな反抗だった。
風が通り抜けるたび、
彼女の髪がふわりと舞い、甘いシャンプーの香りが夜に溶ける。
清楚さの中に、ふと息づく自由さ。
そのバランスこそが、秋香という少女の魅力だった。
駅のホームでは感じなかった春の湿気が、
この街ではどこか生きているように香る。
ふと風が吹き抜け、甘辛い匂いが鼻先をくすぐった。
「……まあ、香ばしいこと。これが“たこ焼き”の匂い、ですのね?」
視線の先には、小さな屋台。
アメリカ村の角――赤い提灯と白い湯気に包まれた、
どこか懐かしいたたずまい。
鉄板の上で丸い生地がくるくると転がされ、
マヨネーズが格子模様を描いていく。
音も香りも、秋香の世界をそっと揺らした。
「お嬢ちゃん、初めて? 熱いで~」
「ええ。……少しだけ、味見してみたくて」
紙舟に乗せられた六つのたこ焼き。
ソースが照明を受けて艶めき、かつおぶしが小さく踊る。
その光景を見つめる秋香の瞳は、
まるで宝石を覗き込むようにきらめいていた。
――ぱくり。
「……っ、あ、あつ……でもっ……なにこれ……!」
(うわ、やば……外カリ中トロすぎて意味わからん!
ソースの香ばしさバチバチくるし、タコの弾力ぷりっぷりすぎ
青のりとマヨのバランス、神ってる……!
これ、舌が拍手してるレベルやんっ!)
外は香ばしく、歯を立てた瞬間、中からとろりと生地が溢れる。
舌に広がるソースの甘辛さ、青のりの香り、
そして中に潜む柔らかなタコの弾力。
(うっま……やば……幸せってこういうこと言うんやろ……!
高級フレンチより全然刺さるんですけど!?
あかん、これ“庶民の宝石”認定やわ)
「はぁ……っ、これ……想像の百倍……幸せですわ……っ」
(語彙力なくなる~! てか、この屋台まじで殿堂入り確定!
職人さん、絶対たこ焼き界のラスボスやん!)
「外がカリッとして……中がとろけて……まるで、天使の食感ですわねっ……!
あぁ、これは、罪深いおいしさではなくて?」
(あ~もうだめ、止まらん。
この一舟、永遠に続いてほしいんですけど……)
周囲の人々がつい笑みを漏らす。
それに気づいた秋香は、少し頬を赤らめて、
慌ててハンカチで口元を拭った。
「……あら、失礼いたしました。少々、取り乱してしまいましたわね」
けれどその唇には、まだソースの香りが残っていた。
心斎橋のざわめきが遠のき、
秋香の胸の中には、ふわりと温かい幸福が灯っていた。
「……心斎橋って、なんて罪な街……。
次はどんな幸せが待っているのかしら」
その声音は、春風よりもやわらかく、甘く弾んでいた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この物語は、
「清楚なお嬢様が、食べる瞬間だけ“素”を見せる」――
そんな小さなギャップの愛しさから生まれました。
秋香という少女は、
完璧で、美しくて、どこか遠い存在のようでいて、
実はとても人間らしい“お腹の素直さ”を持っています。
上品な口調のまま、心の中はギャル語
心斎橋の街でたこ焼きをほおばる彼女の笑顔は、
きっと“食べる幸せ”そのものです。
忙しい毎日の中でも、
あたたかいごはんと、ちょっとした笑顔さえあれば、
人はほんの少し、優しくなれる。
そんな思いを込めて、
このシリーズを書いていきます。
これからもどうぞ、
秋香様の食べ歩きを温かく見守ってください。
――あなたの今日のごはんが、美味しくありますように。




