第二話 感情をなくした村
追放から三日。
リオンは北の街道を歩いていた。
森を抜け、崖を越え、見渡す限りの荒野。
夜は冷たく、昼は眩しい。
でも、誰にも命令されないというだけで、空気が美味かった。
「……こんなに静かなの、久しぶりだな。」
思えば、ずっと誰かの顔色をうかがって生きてきた。
バフもデバフも効かない俺は、“パーティ全体の空気を読んで動く”しかできなかったから。
だけど今、俺は一人だ。
自由だ。
そう思っていた。
――あの村に着くまでは。
◆
小高い丘の上に、それはあった。
木造の家々が並び、煙突から白い煙がゆるやかに上がっている。
一見すれば、穏やかな田舎の村だ。
だが、近づくにつれて、違和感があった。
「……人の声がしない。」
子供の笑い声も、犬の鳴き声も、鍛冶屋の金槌も聞こえない。
まるで、世界ごと“ミュート”されているようだった。
村の中央まで歩いて、リオンは息を呑んだ。
人々がいた。
畑を耕す者、店先で野菜を並べる者、子供を抱いた母親。
でも、誰も――笑っていない。
表情が、一切ない。
まるで仮面のように、無。
「……これ、デバフか?」
目を凝らすと、薄く黒い霧のようなものが人々の足元を這っていた。
魔素……いや、もっと違う。
感情を吸い取る“精神系デバフ”だ。
試しに、声をかけてみる。
「おい、大丈夫か?」
近くの青年が、無表情のまま振り向く。
その瞳には光がなかった。
「……大丈夫、です。」
声すら平坦。
感情を失った人間が、ただ生理的に返答しているだけだった。
その瞬間、リオンの頭の奥で“世界のざわめき”が鳴る。
――『感情抑制フィールド:発動中』
――『対象:全人類(免除対象0)』
……声? いや、違う。
世界そのものの“システム音”が、脳内で鳴っていた。
「……免除対象、ゼロ?」
その言葉を復唱した瞬間、世界が少し“歪んだ”。
――『例外存在、確認』
黒い霧がリオンの足元に絡みつく。
が、霧は触れた瞬間に霧散した。
その反応を見て、リオンは確信する。
「やっぱりな。俺には、デバフが効かない。」
そして気づいた。
村人たちは、“誰にもデバフを解除できない”状態にある。
つまり、この世界では感情そのものがデバフ扱いなのだ。
怒り、悲しみ、喜び――
それらは“理性を乱すバグ”として、神々によって削除されていた。
リオンは拳を握った。
「ふざけんなよ……感情まで、システム管理か。」
彼の周囲の空気が震える。
世界が、拒むように軋んだ。
――『異常反応検知。感情値の上昇。抑制プログラム、発動』
黒い霧が再び集まり、リオンの身体を包み込もうとする。
「……あいにく、効かないんだわ。」
リオンが一歩踏み出す。
霧が音もなく弾け飛ぶ。
その瞬間、村の空気が“揺れた”。
足元の少年が、ふと瞬きをする。
少女が、小さく口を開いた。
「……お兄ちゃん……?」
その声は、震えていた。
感情が戻り始めている。
リオンは膝をつき、微笑んだ。
「大丈夫だ。もう、誰も“無理に笑わなくていい”。」
光が走った。
世界のシステムが、ほんの一瞬、書き換えられる。
――『デバフ:感情抑制 消去』
人々が一斉に息を吸い込み、涙を流した。
それは歓喜でも、悲しみでもない。
ただ、生きているという証だった。
リオンは静かに立ち上がる。
世界が再び自分を見つめる感覚がした。
「……俺にしかできないこと、か。」
風が吹き、空が高くなる。
誰も知らない世界の法則が、今、ほんの少しだけ崩れた。




