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第二話 感情をなくした村

追放から三日。


 リオンは北の街道を歩いていた。

 森を抜け、崖を越え、見渡す限りの荒野。

 夜は冷たく、昼は眩しい。

 でも、誰にも命令されないというだけで、空気が美味かった。


「……こんなに静かなの、久しぶりだな。」

 思えば、ずっと誰かの顔色をうかがって生きてきた。


 バフもデバフも効かない俺は、“パーティ全体の空気を読んで動く”しかできなかったから。


 だけど今、俺は一人だ。

 自由だ。


 そう思っていた。

 ――あの村に着くまでは。



 小高い丘の上に、それはあった。

 木造の家々が並び、煙突から白い煙がゆるやかに上がっている。


 一見すれば、穏やかな田舎の村だ。

 だが、近づくにつれて、違和感があった。

「……人の声がしない。」

 子供の笑い声も、犬の鳴き声も、鍛冶屋の金槌も聞こえない。


 まるで、世界ごと“ミュート”されているようだった。

 村の中央まで歩いて、リオンは息を呑んだ。

 人々がいた。


 畑を耕す者、店先で野菜を並べる者、子供を抱いた母親。

 でも、誰も――笑っていない。

 表情が、一切ない。

 まるで仮面のように、無。


「……これ、デバフか?」

 目を凝らすと、薄く黒い霧のようなものが人々の足元を這っていた。

 魔素……いや、もっと違う。


 感情を吸い取る“精神系デバフ”だ。

 試しに、声をかけてみる。


「おい、大丈夫か?」

 近くの青年が、無表情のまま振り向く。

 その瞳には光がなかった。

「……大丈夫、です。」

 声すら平坦。


 感情を失った人間が、ただ生理的に返答しているだけだった。

 その瞬間、リオンの頭の奥で“世界のざわめき”が鳴る。


 ――『感情抑制フィールド:発動中』

 ――『対象:全人類(免除対象0)』

 ……声? いや、違う。

 世界そのものの“システム音”が、脳内で鳴っていた。


「……免除対象、ゼロ?」

 その言葉を復唱した瞬間、世界が少し“歪んだ”。

 ――『例外存在、確認』

 黒い霧がリオンの足元に絡みつく。

 が、霧は触れた瞬間に霧散した。

 その反応を見て、リオンは確信する。


「やっぱりな。俺には、デバフが効かない。」

 そして気づいた。

 村人たちは、“誰にもデバフを解除できない”状態にある。


 つまり、この世界では感情そのものがデバフ扱いなのだ。

 怒り、悲しみ、喜び――

 それらは“理性を乱すバグ”として、神々によって削除されていた。


 リオンは拳を握った。

「ふざけんなよ……感情まで、システム管理か。」

 彼の周囲の空気が震える。

 世界が、拒むように軋んだ。


 ――『異常反応検知。感情値の上昇。抑制プログラム、発動』

 黒い霧が再び集まり、リオンの身体を包み込もうとする。

「……あいにく、効かないんだわ。」


 リオンが一歩踏み出す。

 霧が音もなく弾け飛ぶ。

 その瞬間、村の空気が“揺れた”。

 足元の少年が、ふと瞬きをする。

 少女が、小さく口を開いた。


「……お兄ちゃん……?」

 その声は、震えていた。

 感情が戻り始めている。

 リオンは膝をつき、微笑んだ。

「大丈夫だ。もう、誰も“無理に笑わなくていい”。」


 光が走った。

 世界のシステムが、ほんの一瞬、書き換えられる。

 ――『デバフ:感情抑制 消去』


 人々が一斉に息を吸い込み、涙を流した。

 それは歓喜でも、悲しみでもない。

 ただ、生きているという証だった。

 リオンは静かに立ち上がる。

 世界が再び自分を見つめる感覚がした。


「……俺にしかできないこと、か。」

 風が吹き、空が高くなる。

 誰も知らない世界の法則が、今、ほんの少しだけ崩れた。

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