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ふるさとの一番光

作者: 久遠 睦

第一部 コンクリートの色


午前二時。私の世界は、モニターが放つ青白い光と、無機質なキーボードの打鍵音だけで構成されていた。画面には、意味をなさない記号の羅列が川のように流れ、私の思考はその濁流に飲み込まれていく。システムエンジニアとして東京で働き始めて五年。かつて抱いていた「何かを創り出す」というささやかな希望は、終わりのないデバッグ作業と、容赦なく迫る納期の前で、とっくに色褪せていた 。

チャットウィンドウが点滅する。「高橋さん、明朝九時までに修正版の提出、厳守で」。上司からの短いメッセージには、労いの言葉も、私の存在を認める温かみもない。私たちはプロジェクトという巨大な機械を動かすための、交換可能な歯車に過ぎなかった 。

始発電車で帰路につく。夜明け前の空は、コンクリートの建物群の向こうで、気怠い紫色をしていた。乗り込んだ車両はまだ空いていたが、数時間後にはこれが、人をモノのように圧縮する鉄の箱へと変貌する。毎朝の通勤ラッシュは、肉体だけでなく、精神を確実にすり減らす儀式だった 。窓の外を流れる灰色の景色を眺めながら、私はいつも同じことを考えていた。私はここで、何をしているのだろう。

家賃十三万円のワンルームマンションは、眠るためだけに帰る場所だった。冷蔵庫にはコンビニで買ったサラダと、いつ開けたか分からないミネラルウォーターしかない。東京での生活は、収入のほとんどが家賃と生活費に消えていく、終わりのない自転車操業のようだった 。静寂に満ちた部屋で、プラスチックの容器に入った冷たいパスタを口に運びながら、スマートフォンの画面をなぞる。友人たちのSNSには、きらびやかな都会の夜景や、お洒落なカフェでのランチの写真が並んでいた。誰もがこの街で、自分だけの物語を生きているように見える。私だけが、物語の外側にいるようだった 。

無意識に、故郷の町の名前を検索していた。画面に表示されたのは、深い緑の山々に抱かれた、小さな盆地の写真。春には桜が咲き乱れ、夏には蛍が舞い、秋には山々が燃えるように色づく。冬は厳しいけれど、雪解け水がもたらす恵みは豊かだった。その風景は、今の私の生活とはあまりにもかけ離れていた。

その夜、母から電話があった。「葵、ちゃんと食べてるの?声が疲れてるわよ」。受話器の向こうから聞こえる母の優しい声に、張り詰めていた糸が切れそうになる。母は、近所の誰それが孫を連れて帰ってきたとか、今年は筍が豊作だとか、そんな他愛もない話をした。その一つ一つが、私が失ってしまった、人と人との繋がりや、季節の移ろいを感じさせるものだった 。

「…もう、帰ろうかな」

自分でも驚くほど、その言葉は自然に口からこぼれ落ちた。母は一瞬黙り込み、そして静かに言った。「いつでも、帰っておいで」。

電話を切った後、私は窓の外に広がる、眠らない街の光を見つめていた。無数の光が点滅しているのに、そのどれ一つとして、私を照らしてはくれない。私の心は、遠い故郷の、静かで穏やかな光を求めていた。


第二部 谷間のこだま


週末を利用して、私は数年ぶりに故郷の土を踏んだ。新幹線を降り、ローカル線に乗り換える。車両がトンネルを抜けるたびに、窓の外の景色はコンクリートから深い緑へと変わっていった。乗客は一人、また一人と降りていき、終着駅に着く頃には、私を含めて数人しか残っていなかった。

駅舎は昔のままで、懐かしさがこみ上げる。しかし、改札を出て駅前通りに立った瞬間、私の心は冷水を浴びせられたように凍りついた。シャッターが下りたままの商店が、まるで歯が抜け落ちたように並んでいる 。かつては子供たちの笑い声が響いていた駄菓子屋も、学生たちで賑わっていた本屋も、今は固く扉を閉ざしていた。これは、統計データが示す「地方経済の縮小」という言葉の、あまりにも生々しい現実の姿だった 。

道を歩いているのは、ほとんどが高齢者だった。若者の姿は驚くほど少ない。2000年から2015年の間に、地方の若者人口が約三割も減少したという事実が、目の前の光景となって突きつけられる 。私の記憶の中にある活気ある故郷は、もうどこにも存在しなかった。

実家に着くと、両親は変わらない笑顔で迎えてくれた。しかし、その笑顔の裏に、町の未来に対する諦めにも似た憂いが滲んでいるのを、私は感じずにはいられなかった。

翌日、町の公民館で開かれた小さな集会に顔を出した。そこで、彼と出会った。

「高橋…葵ちゃんか?久しぶりだな」

声をかけてきたのは、少し日に焼けた、穏やかな目をした男性だった。私より六つ年上の、健司さん。実家が営む酒蔵を継ぐために、大学卒業後すぐに町に戻ってきたのだという。

「都会の暮らしはどうだ?」

彼の問いに、私は言葉を詰まらせた。疲れた、と正直に言うべきか、見栄を張るべきか。私の逡巡を見透かしたように、健司さんは苦笑した。

「無理もないさ。この町から出ていく若者の気持ちは、痛いほどわかるからな」

健司さんは、私を軽トラックの助手席に乗せ、町を案内してくれた。それは、観光パンフレットには載っていない、町の「本当の姿」を巡るツアーだった。

「あそこに見えるのが、去年廃校になった小学校だ。生徒数が少なすぎて、維持できなくなった」 。 「この辺りは、空き家だらけだ。持ち主は都会に出ていて、もう戻ってくる気はない。固定資産税だけが、この町に落ちる金だ」 。

そして、彼は町の外れにある、立派だが人の気配がない建物の前で車を停めた。

「十年前に建てられた、町の交流センター。国からの補助金で作った、典型的な箱モノだ。最初の数年はイベントもやっていたが、結局、誰も来なくなった。今じゃ、ただの巨大な倉庫さ」 。

過去の町おこしの失敗の残骸。それは、この町が抱える問題の根深さを物語っていた。健司さんは、感傷的になるでもなく、ただ淡々と事実を語った。彼はこの町を愛している。だからこそ、その現実から目を逸らさないのだ。

「魅力的な働き場所がないから、若者は東京圏に流出する。教育の機会も減り、移住者も定着しない。悪循環だよ」 。

彼の言葉は、私が漠然と感じていた問題意識を、明確な輪郭を持った課題として突きつけてきた。東京で感じていたのは、私個人の疲れだけではなかった。それは、若者を吸い込み続ける都市と、活力を奪われ続ける地方という、この国全体の構造的な歪みが生み出す痛みの一部だったのだ。

健司さんと話しているうちに、私の心の中に、これまでとは違う感情が芽生え始めていた。この町は、ただ逃げ帰る場所ではないのかもしれない。もし、私が東京で培ったスキルを、この場所でなら、何か違う形で活かせるのではないか。

夕暮れ時、健司さんは私を、町の高台にある神社へ連れて行ってくれた。そこから見下ろす盆地は、家々の窓に灯りがともり始め、まるで宝石箱のように美しかった。

「綺麗だろ。俺は、この景色を守りたいだけなんだ」

健司さんの横顔を見ながら、私は思った。この景色を、私も守りたい。それは、感傷的なノスタルジーではなく、はっきりとした意志を伴った、新しい感情の芽生えだった。


第三部 希望の糸口


健司さんが私を連れて行ってくれたのは、町の中心部から少し離れた、古い家屋が立ち並ぶ一角だった。その中の一軒、ひときわ古びた工房の扉を開けると、独特の漆の香りが鼻をついた。中では、背中の曲がった老人が一人、黙々と木椀に漆を塗っていた。

「この道六十年、斎藤さんだ。この町で最後の輪島塗の職人だよ」

健司さんの紹介に、斎藤さんは顔を上げた。その顔に刻まれた深い皺は、この町が誇る伝統工芸の、長い歴史そのもののように見えた。輪島塗。堅牢さと、沈金や蒔絵による優美な加飾で知られる、四百年以上の歴史を持つ漆器 。しかし、斎藤さんの口から語られたのは、その厳しい現実だった。

「わしが若い頃は、この辺りにも何十軒と工房があった。だが、生活様式が変わって、座卓やお膳なんて誰も使わなくなった。安物のプラスチック製品に、あっという間に仕事は奪われたよ」 。

後継者もいない。原材料の漆や木材の価格は高騰する一方だ 。棚には、埃をかぶった見事な重箱や椀が並んでいた。それは、時代の変化に取り残された、美しい遺物のように見えた。工房を出た後、私たちは町に唯一残る喫茶店に入った。斎藤さんの工房で見た、あの美しい漆器が私の頭から離れない。

「もったいない…」

思わず呟くと、健司さんが頷いた。「ああ。だが、どうしようもない。今の時代、あの重箱を欲しがる人間はいない」

その時、私の頭に閃きが走った。テーブルの上に置かれた、自分のスマートフォン。その無機質な表面と、先ほど見た漆器の深い艶が、頭の中で重なった。

「重箱じゃなければ、いいんじゃない?」

私はナプキンを掴むと、夢中でスケッチを始めた。スマートフォンのケース、コーヒーのタンブラー、アクセサリー。伝統的な文様を、現代的なアイテムに落とし込む。

「これなら、どうかな。伝統的な技術はそのままに、今の暮らしに合うものを作る。そして、それをインターネットで、世界中に直接売るの。私が東京でやってきたことなら、それができる」 。

私の言葉に、健司さんの目が輝いた。「面白い…面白いじゃないか」。

興奮冷めやらぬまま、私たちは再び斎藤さんの工房の周りを歩いた。そこには、人の住まなくなった美しい古民家が、まるで時が止まったかのように静かに佇んでいた 。

「この空き家…」

私が指さすと、健司さんが言った。「これも町の課題だ。壊すにも金がかかるし、買い手もつかない」

そこで、第二のアイデアが生まれた。

「この空き家を改装して、宿泊施設にするのはどうだろう。ただの宿じゃない。『町全体を一つの宿』と見なす、分散型のホテル。お客さんは、この古民家の一棟を丸ごと借りて、暮らすように滞在するの。そして、斎藤さんの工房を、このホテルの『ロビー』兼『体験工房』にする。ここで輪島塗の体験をしてもらい、私たちが作った新しい商品を買ってもらう」 。

それは、町の「負の遺産」と見なされていた空き家と、衰退しつつある伝統工芸という二つの課題を、一度に解決するアイデアだった。地域の未利用資源を活用し、新たな観光体験を創出する。それは、持続可能な地域活性化のモデルになるかもしれない 。

数日後、私は東京に戻る新幹線の中で、ノートパソコンを開いていた。猛烈な勢いで、事業計画書を作成していく。市場分析、ターゲット顧客、収益予測。東京での仕事で培ったスキルが、今、全く違う目的のために動き出していた。プロジェクト名は「ふるさとライト」と名付けた。この町の未来に、小さな光を灯したい。そんな願いを込めて。

計画書を健司さんに送ると、すぐに返信があった。「すごいな。これなら、いけるかもしれない」。

その短い言葉が、私の心を強く後押しした。不安がなかったわけではない。しかし、それ以上に、私の心は高揚していた。コンクリートのジャングルの中で見失っていた、何かを「創り出す」ことへの純粋な情熱が、今、蘇ってきていた。


第四部 係留を解く


「退職させていただきたく、お願い申し上げます」

会議室の硬い椅子に座り、私は深々と頭を下げた。目の前に座る上司は、私の提出した退職届を一瞥すると、鼻で笑った。

「町おこし?高橋さん、ずいぶんロマンチストなんだな。田舎で起業なんて、ままごとみたいなもんだぞ。まあ、せいぜい頑張ってくれ」

彼の言葉には、私の決断に対する侮蔑と、都会で成功することだけが唯一の正解だと信じて疑わない価値観が透けて見えた 。同僚たちの反応は様々だった。「すごいね、勇気あるなあ」と羨望の眼差しを向ける者もいれば、「どうせすぐ失敗して戻ってくるさ」と囁き合う者もいた。誰一人として、私の挑戦を本気で理解しようとはしてくれなかった。

東京での最後の数週間は、まるで嵐のようだった。仕事の引き継ぎに追われながら、住み慣れた部屋の片付けを進める。五年分の荷物は、思った以上に多かった。その一つ一つに、東京での喜びや悲しみ、そして数えきれないほどの疲労が染み付いているようだった。

通帳の残高を確認するたびに、心臓が冷たくなる。起業の初期費用を考えると、私の貯金など焼け石に水だった 。収入が激減するどころか、しばらくはゼロになる。その現実が、重くのしかかってきた。

そして、最大の難関が待っていた。両親への報告だ。電話で計画の全貌を話すと、父は激怒した。

「何を考えているんだ!お前を東京の大学まで行かせたのは、こんな田舎で苦労させないためだったんだぞ。それを全部投げ捨てて、一体どうするつもりだ!」 。

母も泣きそうな声で言った。「葵、お願いだから考え直して。この町がどれだけ寂れていくのを、私たちが見てきたと思ってるの…」

両親の反対は、私を憎んでのことではない。娘を想うが故の、深い愛情から来るものだった。だからこそ、その言葉は私の胸に鋭く突き刺さった。私は、親の期待を裏切る、親不孝な娘なのだろうか。

引っ越しの前夜、荷物がすべて運び出され、がらんとした部屋で、私は一人、床に座り込んでいた。窓の外には、いつものように東京の夜景が広がっている。かつては憧れの象徴だったその光が、今は私を拒絶しているように感じられた。本当に、これでよかったのだろうか。安定したキャリア、都会での便利な生活、そのすべてを捨てて、私は得体の知れない未来に飛び込もうとしている。後悔が、津波のように押し寄せてきた。

その時、スマートフォンが短く震えた。健司さんからのメッセージだった。

「準備、大変だろ。こっちはいつでも準備万端だ。待ってるぞ」

その短い文面と、最後に添えられた、力こぶの絵文字。それを見た瞬間、私の目から涙が溢れ出した。一人じゃなかった。私には、同じ夢を見て、一緒に戦ってくれる仲間がいる。その事実が、暗闇の中で揺らぐ私の心を、しっかりと繋ぎ止めてくれた。

私は涙を拭うと、窓の外の夜景に別れを告げた。さようなら、私のコンクリートの森。私は、私の光を見つけに行く。


第五部 長い冬


故郷に戻ってからの最初の一年は、長く、暗い冬のようだった。東京で描いた事業計画は、現実という名の分厚い氷壁の前に、もろくも砕け散った。

最初のつまずきは、資金調達だった。町の活性化を目的とした補助金に申請したが、結果は不採択。理由は「事業計画の具体性に欠ける」という、あまりにも官僚的なものだった 。窓口の担当者は、申し訳なさそうに言うだけだった。「前例がない事業には、なかなか予算はつきにくいんですよ」。私たちは、スタートラインに立つことさえ許されなかった。

自己資金はあっという間に底をつき始めた。それでも、私たちは最初の空き家の改修に取り掛かった。健司さんが地元の工務店に頭を下げ、支払いを待ってもらう約束を取り付けてくれた。しかし、今度は地域社会との軋轢が生じた。

「毎日毎日、うるさくてかなわん!」

隣家の老婆が、工事の音に怒鳴り込んできた。私たちは何度も謝罪し、菓子折りを持って挨拶に回った。しかし、住民たちの視線は冷たかった。私が東京から戻ってきた「よそ者」であること、そして健司さんが町の伝統とは違う「得体の知れないこと」を始めたことへの、静かな拒絶反応だった 。それは、地域おこし協力隊の多くが直面するという、見えない壁だった 。

輪島塗の職人である斎藤さんも、私たちが試作したモダンなデザインの漆器を見るなり、顔をしかめた。「こんなものは、輪島塗じゃない。ただの遊びだ」。彼の言葉は、伝統を守ってきた者の矜持から来るものだと分かってはいたが、私たちの心を深く傷つけた 。

満を持して、オンラインショップを開設した。だが、現実は非情だった。アクセス数はほとんどなく、商品は一つも売れない。都会で通用したウェブマーケティングの手法は、ここでは全く効果がなかった。口コミや地域の繋がりが何よりも重視されるこの場所で、私たちは完全に孤立していた 。

最後の望みをかけて、改修費用を集めるためのクラウドファンディングを立ち上げた。しかし、目標金額には遠く及ばず、キャンペーンは失敗に終わった。それは、私たちの夢が、誰の共感も得られていないという事実を、公に突きつけられるような、屈辱的な出来事だった 。

資金は完全に尽きた。私は、屈辱を噛み締めながら、夜になるとノートパソコンを開き、東京の会社から請け負ったフリーランスのコーディング作業を始めた。逃げ出したはずの生活に、再び囚われていた 。食事は、カップラーメンと、近所の農家の人が不憫に思って分けてくれる野菜だけ。精神的にも、肉体的にも、限界だった 。

そしてある夜、ついに私たちは爆発した。

「どうして分かってくれないの!私がどれだけのリスクを背負って、ここに戻ってきたと思ってるの!」

「焦りすぎなんだよ、葵!ここは東京じゃないんだ。もっと時間をかけて、地域の人たちの信頼を得なきゃ、何も始まらない!」

互いを傷つける言葉を、投げつけ合った。私たちが共有していたはずの夢は、厳しい現実の前で、バラバラに砕け散ろうとしていた。その夜、私は一人、改修途中の古民家の冷たい床の上で泣いた。孤独と、後悔と、絶望。起業家が直面するという精神的な苦境の、まさに只中にいた 。もう、すべてを諦めて、東京に帰ろうか。そんな考えが、頭をよぎった。


第六部 雪解け


どん底まで落ち込んだ後、変化は本当に些細なことから始まった。

大喧嘩の翌日、私たちは気まずい沈黙の中で顔を合わせた。どちらからともなく、謝罪の言葉を口にした。そして、私たちは初めて、自分たちの過ちを認め合った。私たちは、都会の論理を、この場所に押し付けようとしていたのだ。

「もう一度、やり直そう。今度は、私たちのやり方じゃなく、この町のやり方で」

健司さんの言葉に、私は頷いた。私たちは戦略を百八十度転換した。まず、オンラインショップを一時的に閉鎖し、町で開かれる小さな朝市に出店することにした。売るのは、斎藤さんの工房の隅で眠っていた、少し傷のついたお椀や箸。そして、私たちの試作品を並べるのではなく、一枚の大きな紙を広げた。「どんな漆器があったら、使ってみたいですか?」。

最初は誰も足を止めてくれなかった。しかし、健司さんが辛抱強く道行く人に声をかけ続けると、ぽつりぽつりと、お年寄りたちが意見をくれるようになった。「こんな派手なもんじゃなくて、もっと毎日使える、丈夫な汁椀が欲しいねえ」。あるお婆さんのその一言が、私たちの新しい出発点になった 。

その言葉をヒントに、私たちは斎藤さんと相談し、ごくシンプルで、しかし輪島塗本来の堅牢さを持つ、日常使いの汁椀を作った。それを次の朝市で売ると、驚くことに、数時間で完売した。利益は微々たるものだったが、それは私たちにとって、何物にも代えがたい「最初の成功」だった。

そんなある日、一本の電話が鳴った。改修を終えた一棟だけの古民家に、客が入ったのだ。予約サイトの備考欄には、「あるブログを見て」と書かれていた。調べてみると、数週間前に私たちの宿に泊まった、フォロワー数もさほど多くない旅行ブロガーが、私たちのことを記事にしていたのだ。「忘れられた谷間に灯る、小さな希望の光」。そんなタイトルの記事は、私たちの苦闘と、この町の静かな魅力を、飾り気のない言葉で綴っていた。その記事が、「スローライフ」や「本物の体験」を求めるニッチなコミュニティで、静かに拡散していたのだ。その日から、予約の問い合わせが、少しずつ、しかし確実に増え始めた。

夏が来て、町の祭りの季節がやってきた。去年、私たちは自分たちのことで手一杯で、祭りに参加することさえできなかった。今年は違った。私たちは、祭りの実行委員会に、無償での協力を申し出た。私は、東京で培ったデザインスキルを活かして、祭りのポスターやウェブサイトを制作した。健司さんは、持ち前の人脈でボランティアをまとめ上げた。私たちの真摯な姿勢は、少しずつ、地域の人々の心を溶かし始めていた 。

祭りの夜、私たちは自分たちの漆器を使って、参道に手作りの灯籠を並べた。漆塗りの椀の中で揺れるろうそくの光が、幻想的な光の道を作り出す。その光景に、町の人々から感嘆の声が上がった。その時、頑固だった斎藤さんが、私の隣に来て、ぽつりと言った。「…悪くないな」。その一言が、何よりの勲章だった。

秋になる頃には、宿の運営と漆器の制作で、二人だけでは手が回らなくなっていた。私たちは、初めての従業員を雇うことにした。村に住む、小さな子供を持つ若い母親だった。柔軟な働き方ができる場所がなく、仕事を探していたのだという 。彼女に最初の給料を渡した時、私たちは、自分たちの事業が、初めてこの町に「雇用」という具体的な価値を生み出したことを実感した。

長い冬は、終わりを告げようとしていた。分厚い氷の下から、確かな生命の息吹が聞こえ始めていた。


第七部 新しい景色


あれから二年が過ぎた。「ふるさとライト」と名付けた私たちの事業は、ゆっくりと、しかし着実に、この町に根を下ろしていた。

久しぶりに、あの駅前通りを歩いてみる。三年前、絶望的な気持ちで眺めたシャッター街の景色は、少しだけ変わっていた。私たちが最初に改修した古民家は、今や工房兼カフェとして、温かい光を放っている。窓からは、観光客が漆器作りに興じる姿が見える。そして、その隣。かつては固く閉ざされていた乾物屋の跡地に、新しい看板が掛かっていた。「やまびこベーカリー」。私たちに触発されたと言って、隣町からUターンしてきた若い夫婦が始めたパン屋だった 。劇的な変化ではない。しかし、それは確かな再生の兆しだった。

工房の中では、斎藤さんが数人の客を相手に、楽しそうに漆塗りの手ほどきをしていた。彼の顔には、以前のような気難しさはなく、自らの技術が受け継がれていくことへの喜びに満ちていた。店の棚には、斎藤さんが作る伝統的な輪島塗と、私たちがデザインしたモダンな漆器が、互いを引き立て合うように並んでいる。伝統と革新は、対立するものではなく、共存できるのだと、その光景が教えてくれていた。今では、パートタイムの従業員も三人に増えた。ささやかではあるが、私たちはこの町に「質の高い雇用」を生み出すことができたのだ 。

健司さんと私は、仕事のパートナーであると同時に、人生のパートナーになっていた。共に乗り越えた長い冬が、私たちの絆を強く、しなやかなものにしてくれた。私たちの生活は、東京にいた頃に比べれば、ずっと質素だ。収入も少ない。しかし、心は比べ物にならないほど豊かだった。満員電車に揺られることも、意味のない会議に時間を費やすこともない。朝は鳥の声で目覚め、夜は満点の星空の下で眠りにつく。そして何より、自分たちの仕事が、誰かの喜びや、この町の未来に繋がっているという確かな実感がある 。

その日の夜明け前、私は健司さんと一緒に、自宅の縁側に座っていた。ここは、私たちが二番目に改修した古民家で、今では私たちの住まいになっている。

「覚えてるか。葵が初めてここに来た時のこと」

健司さんが、温かいお茶の入った漆塗りのカップを差し出しながら言った。

「忘れるわけないよ。絶望的な気分だった」

「今もそうか?」

私は首を横に振って、彼の肩にそっと頭をもたせかけた。私たちは、この町を「救った」わけではない。そんなおこがましいことは、思ってもいない。ただ、忘れ去られ、光を失いかけていたこの場所に、もう一度光を当てる、ほんの少しの手伝いをしただけだ。

東の空が、ゆっくりと白み始める。深い谷を覆っていた朝霧が、光に溶けるように晴れていく。そして、一番光が、眼下に広がる小さな町の屋根を、優しく照らし始めた。

それは、新しい一日の始まりを告げる光であり、この町の、そして私たちの、ささやかな希望を象徴する光だった。私は目を細め、その美しい景色を、心のフィルムに焼き付けた。私の居場所は、もう迷うことなく、ここにある。


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